マタイによる福音書12章22節

マタイによる福音書
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
カテゴリーで絞込

† 福音書対観 「悪霊論争」 マタイ12:22~37

マタイ12:22~37 マルコ3:19~30 ルカ11:14~23

† 福音書縦観 「悪霊論争」 マタイ12:22~37

マタイ12:22~37 マルコ3:19~30 ルカ11:14~23
マタイ12:22~37

Matt.12:22(イエスが家にはいられると、 3:20群衆がまた集まってきたので一同は食事をする暇もないほどであった。 3:21身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。 マルコ3:19~21)そのとき、人々が悪霊につかれた盲人のおしを連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。 (さて、イエスが悪霊を追い出しておられた。それは、おしの霊であった。悪霊が出て行くと、おしが物を言うようになったので、群衆は不思議に思った。ルカ11:14)口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.12:22

【漢訳聖書】
Matt.12:22 時、有攜患鬼瞽而瘖者就之、耶穌醫焉、致瞽而瘖者、且見且言。

【明治元訳】
Matt.12:22 爰(ここ)にに憑(つかれ)たる瞽(めくら)の瘖(おふし)なる者(もの)をイエスの所(ところ)に携(つれ)來(きた)りければ此(この)瞽(めくら)の瘖(おふし)を醫(いや)して言(ものい)ひ見(みゆ)るやうに爲(なせ)り

【大正文語訳】
Matt.12:22 ここに惡鬼に憑かれたる盲目の唖者を御許に連れ來りたれば、之を醫して、唖者の物言ひ見ゆるやうに爲し給ひぬ。

【ラゲ訳】
Matt.12:22 時に一人、惡魔に憑かれて瞽ひ口唖なるもの差出されしを、イエズス醫し給ひて、彼言ひ且見るに至りしかば、

【口語訳】
Matt.12:22 そのとき、人々が悪霊につかれた盲人で口のきけない人を連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。

【新改訳改訂3】
Matt.12:22 そのとき、悪霊につかれて、目も見えず、口もきけない人が連れて来られた。イエスが彼をいやされたので、その人はものを言い、目も見えるようになった。

【新共同訳】
Matt.12:22 そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった。

【バルバロ訳】
Matt.12:22 そのとき、盲人で唖の悪魔つきが連れ出されたので、イエズスはそれを治された。すると唖は話し目は見えるようになった。

【フランシスコ会訳】
Matt.12:22 そのとき、悪魔についかれて盲目で口のきけない人がイエズスのもとに連れて来られた。イエズスがおいやしになると、その口のきけない人はものを言い、目が見えるようになった。

【日本正教会訳】
Matt.12:22 時に魔鬼に憑らるる瞽にして唖なる者を彼に攜へ來れるあり、彼之を醫し、瞽にして唖なる者は言ひ且見るを得たり。

【塚本虎二訳】
Matt.12:22 そこに、悪鬼につかれた盲の唖をつれて来られたので、それをなおされると、唖が物を言い、目が見えるようになった。

【前田護郎訳】
Matt.12:22 そのとき目しいで唖者の悪霊つきが連れられて来たので、それをなおされると、唖者が口をきき、目が見えた。

【永井直治訳】
Matt.12:22 そのとき惡鬼に憑かれたる盲にて唖なる者、彼の許に連れ往かれければ、これを癒し給へり。乃ち盲は視、また唖はたりたり。

【詳訳聖書】
Matt.12:22 その時、悪鬼の力の下にある盲目で口のきけない男がイエスのところに連れて来られた。彼がその男をいやされたので、その盲目で口のきけない男は物を言い、見えるようになった。

† 聖書引照 Matt.12:22

Matt.12:22 ここに惡鬼に憑かれたる盲目の唖者を御許に連れ來りたれば、之を醫して、唖者の物言ひ見ゆるやうに爲し給ひぬ。

[ここに惡鬼に憑かれたる盲目の唖者を御許に連れ來りたれば] マタ9:32; マル3:11; ルカ11:14
[之を醫して] マル7:35-37; 9:17-26
[唖者の物言ひ見ゆるやうに爲し給ひぬ] 詩篇51:15; イザ29:18; 32:3,4; 35:5,6; 使徒26:18

† ギリシャ語聖書 Matt.12:22

Stephens 1550 Textus Receptu
εκ γαρ των λογων σου δικαιωθηση και εκ των λογων σου καταδικασθηση

Scrivener 1894 Textus Receptus
εκ γαρ των λογων σου δικαιωθηση και εκ των λογων σου καταδικασθηση

Byzantine Majority
εκ γαρ των λογων σου δικαιωθηση και εκ των λογων σου καταδικασθηση

Alexandrian
εκ γαρ των λογων σου δικαιωθηση και εκ των λογων σου καταδικασθηση

Hort and Westcott
εκ γαρ των λογων σου δικαιωθηση και εκ των λογων σου καταδικασθηση

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.12:22

Τότε προσηνέχθη αὐτῷ δαιμονιζόμενος τυφλὸς καὶ κωφός, καὶ ἐθεράπευσεν αὐτόν, ὥστε τὸν κωφὸν λαλεῖν καὶ βλέπειν.

† ヘブライ語聖書 Matt.12:22

Matt.12:22

אָז הוּבָא אֵלָיו אִישׁ אֲחוּז שֵׁד וְהוּא עִוֵּר וְאִלֵּם. יֵשׁוּעַ רִפֵּא אוֹתוֹ וְהָאִלֵּם דִּבֵּר וְגַם רָאָה

† ラテン語聖書 Matt.12:22

Latin Vulgate
Matt.12:22

Tunc oblatus est ei dæmonium habens, cæcus, et mutus, et curavit eum ita ut loqueretur, et videret.
Then one who had a demon, who was blind and mute, was brought to him. And he cured him, so that he spoke and saw.

† 私訳(詳訳)Matt.12:22

【私訳】 「そこで、人々は悪霊に取りつかれて、目が見えず<おぼろげな>、口のきけない<ものの云えない、耳が聞こえない>人が彼〔イエス〕のところに連れてこられた<差し出された、奉げられた>。そして彼〔イエス〕がその男を癒された<治された、仕えられた>ので、その口のきけない<ものの云えない、耳の聞こえない>人が、ものを言い、そして見えるようになった」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.12:22

Τότε προσηνέχθη αὐτῷ δαιμονιζόμενος τυφλὸς καὶ κωφός, καὶ ἐθεράπευσεν αὐτόνὥστε τὸν κωφὸν λαλεῖν καὶ βλέπειν.

【そこで】 Τότε  τότε トテ tote {tot‘-eh} (ab 副詞)

1)そのとき 2)それから 3)そうすれば 4)そのあとで 5)そこで 6)その時間に 7)次に 8)同時に

(G5119 τότε From (the neuter of) 3588 and 3753 the when, that is, at the time that (of the past or future, also in consecution): – that time, then.  Internet Sacred Text Archive)

【悪霊に取りつかれて】 δαιμονιζόμενος  δαιμονίζομαι ダイモニゾマイ daimonizomai {dahee-mon-id‘-zom-ahee} (vppnnm-s 分詞・現能欠主男単)

1)悪霊の支配下にある 2)悪霊にとりつかれる 3)死者の霊に取り憑かれる 4)病魔に憑かれる

「δαιμονίζομαι ダイモニゾマイ」は「δαίμων ダイモーン 悪魔」の力にとりこになった者、死者の霊にとりつかれた者

(G1139 δαιμονίζομαι Middle voice from 1142 to be exercised by a daemon: – have a (be vexed with, be possessed with) devil (-s).  Internet Sacred Text Archive)

マタ4:24; 8:16,28,33; 9:32; 12:22; 15:22; マル1:32; 5:15,16,18; ルカ8:36; ヨハ10:21

【目が見えず】 τυφλὸς  τυφλός トゆふろス tuphlos {toof-los‘} (a–nm-s 形容詞・主男単)

< τύφω 煙を上げる、煙で暗くする

1)目の見えない 2)おぼろげな 3)はっきりしない

(G5185 τυφλός From 5187 opaque (as if smoky), that is, (by analogy) blind (physically or mentally): – blind.  Internet Sacred Text Archive)

マタ9:27,28; 11:5; 12:22; 15:14,30,31; 20:30; 21:14; 23:16,17,19,21,26; マル8:22,23; 10:46,49,51; etc.

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【口の利けない人が】 κωφός  κωφός コーふォス kōphos {ko-fos‘} (a–nm-s 形容詞・主男)

1)口の利けない 2)物の言えない 3)耳が聞こえぬ 4)鈍い、はっきりしない、かすかな

へブル語で「口の利けない人」は אִֵן で、この言葉は אַלָן「結ばれる」からきている。

(G2974 κωφός From 2875 blunted, that is, (figuratively) of hearing (deaf) or speech (dumb): – deaf, dumb, speechless.  Internet Sacred Text Archive)

マタ9:32; 33; 12:22; 15:30,31; ルカ1:22; 11:14

【彼のところに】 αὐτῷ  αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3s 代名詞・与男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive)

【連れてこられた】 προσηνέχθη  προσφέρω プロスふェロー  prospherō {pros-fer‘-o} (viap–3s 動詞・直・1アオ・受・3単)

< πρός ~から + φέρω 運ぶ

1)持って行く、運んでくる、連れてくる 2)近づける、くっつける、あてがう 3)加える、差し出す、提供する、ささげる、贈る 、~にもってくる、献げものを献げる 4)適用する 5)申し出る、申し入れる

(G4374 προσφέρω From 4314 and 5342 (including its alternate); to bear towards, that is, lead totender (especially to God), treat: – bring (to, unto), deal with, do, offer (unto, up), present unto, put to.  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:11; 4:24; 5:23,24; 8:4,16; 9:2,32; 12:22; 14:35; 17:16; マル1:44;  使徒7:42; ヘブ5:1,7; 8:3,4; 9:7,9,25,28; 10:1;,2,8,12; 11:4,17 etc.

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (ch 接続詞・完)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【彼を】 αὐτόν  αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npam3s 代名詞・対男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with],

they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive)

【いやされると】 ἐθεράπευσεν  θεραπεύω てラペウオー therapeuō {ther-ap-yoo‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・3単)

< θεράπων 召使い、下僕

1)奉仕する、仕える 2)治療する、いやす、直す、看護する、手当する 3)世話する、面倒をみる、心を掛ける、配慮する 4)育む、養う

Psychotherapy 精神療法 はギリシャ語の 「θεραπεία ψυχῆς」に由来する。「ψυχῆς プシュケー いのち、こころ、精神、自我、自己」に「θεραπεία テラペイア 奉仕、世話、治療、手当」すること

(G2323 θεραπεύω From the same as 2324 to wait upon menially, that is, (figuratively) to adore (God), or (specifically) to relieve (of disease): – cure, heal, worship.  Internet Sacred Text Archive)

マタ4:23,24; 8:7,16; 9:35; 10:1,8; 12:10,15,22; 14:14; 15:30; 17:26; 19:2: 21:14; マル1:34; 3:2,10: 6:5,13 etc.

【それ故】 ὥστε  ὥστε ホーステ hōste {hoce‘-the} (ch 接続詞・完等)

1)それゆえ、その結果、それだから 2)それで、だから、従って 3)~するために、するように

(G5620  ὥστε From 5613 and 5037 so too, that is, thus therefore (in various relations of consecution, as shown): – (insomuch) as, so that (then), (insomuch) that, therefore, to, wherefore.  Internet Sacred Text Archive)

【ものが言え】 原文「口の利けない人が語り」

【口の利けない人が】 κωφὸν  κωφός コーふォス kōphos {ko-fos‘} (ap-am-s 形容詞・対男)

1)口の利けない 2)物の言えない 3)耳が聞こえぬ 4)鈍い、はっきりしない、かすかなへブル語で「口の利けない人」は אִֵן で、この言葉は אַלָן「結ばれる」からきている。

(G2974 κωφός From 2875 blunted, that is, (figuratively) of hearing (deaf) or speech (dumb): – deaf, dumb, speechless.  Internet Sacred Text Archive)

マタ9:32; 33; 12:22; 15:30,31; ルカ1:22; 11:14

【語り】 λαλεῖν  λαλέω られオー laleō {lal-eh‘-o} (vnpa 不定詞・現能)

1)声を出す 2)言葉を語る 3)語る、話す 4)ものを言う、口にする 5)しゃべる、述べる 古典では「無駄口」を意味したが新約聖書では「語る、話す」の意味に用いる。

(G2980 λαλέω A prolonged form of an otherwise obsolete verb; to talk, that is, utter words: – preach, say, speak (after), talk, tell, utter. Compare 3004.   Internet Sacred Text Arachive)

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それで、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【目が見えるようになった】 βλέπειν  βλέπω ブれポー blepō {blep‘-o} (vnpa 不定詞・現能)

1)(肉眼で)見る、眺める 2)凝視する、じっと見る、熱望する、目で認める 3)見やる、認識する、見分ける、わかる、経験で知る 4)考慮する、分け隔てする、気をつける、警戒する、心する、心を向ける、熟考する 5)目指す、~に向かう、面する

(G991 βλέπω A primary verb; to look at (literally or figuratively): – behold, beware, lie, look (on, to), perceive, regard, see, sight, take heed. Compare 3700.  Internet Sacred Text Archive)

† 英語訳聖書 Matt.12:22

King James Version
12:22 Then was brought unto him one possessed with a devil, blind, and dumb: and he healed him, insomuch that the blind and dumb both spake and saw.

New King James Version
12:22 Then one was brought to Him who was demon-possessed, blind and mute; and He healed him, so that the blind and mute man both spoke and saw.

American Standard Version
12:22 Then was brought unto him one possessed with a demon, blind and dumb: and he healed him, insomuch that the dumb man spake and saw.

New International Version
12:22 Then they brought him a demon-possessed man who was blind and mute, and Jesus healed him, so that he could both talk and see.

Bible in Basic English
12:22 Then they took to him one with an evil spirit, who was blind and had no power of talking: and he made him well so that he had the power of talking and seeing.

Today’s English Version
12:22 Then some people brought to Jesus a man who was blind and could not talk because he had a demon. Jesus healed the man, so that he was able to talk and see.

Darby’s English Translation
12:22 Then was brought to him one possessed by a demon, blind and dumb, and he healed him, so that the dumb man spake and saw.

Douay Rheims
12:22 Then was offered to him one possessed with a devil, blind and dumb: and he healed him, so that he spoke and saw.

Noah Webster Bible
12:22 Then was brought to him one possessed with a demon, blind and dumb; and he healed him, so that the blind and dumb both spoke and saw.

Weymouth New Testament
12:22 At that time a demoniac was brought to Him, blind and dumb; and He cured him, so that the dumb man could speak and see.

World English Bible
12:22 Then there was brought to him one possessed by a demon, blind and mute, and he healed him, so that the blind and mute man both spoke and saw.

Young’s Literal Translation
12:22 Then was brought to him a demoniac, blind and dumb, and he healed him, so that the blind and dumb both spake and saw.

Amplified Bible
12:22 Then a demon-possessed man who was blind and mute was brought to Jesus, and He healed him, so that the mute man both spoke and saw.

† 細き聲 聖書研究ノート

 <ここに惡鬼に憑かれたる盲目の唖者を御許に連れ來りたれば、之を醫して、唖者の物言ひ見ゆるやうに爲し給ひぬ>

イエスが家に入られると、そこに「惡鬼に憑かれたる盲目の唖者」が連れてこられた。すると、イエスは彼を癒され、口がきけ、目が見えるようにされた。

 <聖書における「悪霊に取りつかれた人」>

旧約聖書で「悪霊」は שֵׁד  δαιμόνιον である。イスラエルの歴史の初期には神が人間に送り、不幸をもたらすものと考えられたが、後に人間に精神的、肉体的な苦しみを与える「疫病神」「汚れた霊」を意味するようになった。人々はあらゆる病気、不幸が悪霊から来るものとして恐れたのである。

マタイ12:22の男がルカ8:27のゲラサ人の地にすむ「悪霊に取りつかれた男」と同質の混乱があったかどうかはわからない。目が見えず、口もきけず、耳も聞こえない三重苦を「悪霊に取りつかれた」と解釈したのかもしれない。そうであれば、人々はこの人には三重苦に加えてもう一つの苦痛を第四の苦痛として与えたことになる。人間もときには「悪霊」になる。

 <惡鬼に憑かれたる盲目の唖者>

マルコ並行記事から、この時、「イエスが家にはいられると、群衆がまた集まってきたので一同は食事をする暇もないほどであった」。(マルコ3:19~20)そこで、「身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。」(マルコ3: 21)

「惡鬼に憑かれたる盲目の唖者」が「物言ひ見ゆるやうになる」の家族の者たちにも尋常のこととは思えなかったのである。

† 心のデボーション  

「ここに惡鬼に憑かれたる盲目の唖者を御許に連れ來りたれば、之を醫して、唖者の物言ひ見ゆるやうに爲し給ひぬ」 マタイ12:22 大正文語訳聖書

「そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった」 新共同訳聖書

 「悪霊」

この「悪霊に取りつかれた人」は、そのために目が見えず、口もきけず、耳も聞こえない三重苦を身におっていた。「悪霊」による霊的な障害が肉体にも及ぶことがある。

† 心のデボーション  

「ここに惡鬼に憑かれたる盲目の唖者を御許に連れ來りたれば、之を醫して、唖者の物言ひ見ゆるやうに爲し給ひぬ」 マタイ12:22 大正文語訳聖書

「そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった」 新共同訳聖書

 「連れてこられた人」

この人は目が見えず、口もきけず、耳も聞こえなかった。自分の意思でイエスを求めることが困難な人であった。彼はわけもわからず、群衆に連れられてきた。イエスはこのような人も拒まれない。

† 細き聲 説教 

 「惡鬼に憑かれた人」

「ここに惡鬼に憑かれたる盲目の唖者を御許に連れ來りたれば、之を醫して、唖者の物言ひ見ゆるやうに爲し給ひぬ」 マタイ12:22 大正文語訳聖書

「そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった」 新共同訳聖書

イエスが家に入られると、そこに「惡鬼に憑かれたる盲目の唖者」が連れてこられた。すると、イエスは彼を癒され、口がきけ、目が見えるようにされた。

旧約聖書で「悪霊」は שֵׁד  δαιμόνιον である。「悪霊」は、イスラエルの歴史の初期には神が人間に送り、不幸をもたらすものと考えられたが、後に人間に精神的、肉体的な苦しみを与える「疫病神」「汚れた霊」を意味するようになった。人々はあらゆる病気、不幸が悪霊から来るものとして恐れたのである。

マタイ12:22の男がルカ8:27のゲラサ人の地にすむ「悪霊に取りつかれた男」と同質の混乱があったかどうかはわからない。

目が見えず、口もきけず、耳も聞こえない三重苦を「悪霊に取りつかれた」と解釈したのかもしれない。そうであれば、人々はこの人には三重苦に加えてもう一つの苦痛、すなわち、苦悩をある目的のために人々の目にさらすという第四の苦痛として与えたことになる。人間もときには「悪霊」になる。

では、苦悩する人々をイエスにお連れするのは罪なのであろうか?

もし、三重苦に悩む人を見つけ出し、イエスのところに連れてきた群衆がいなければ、この人はどうなっただろうか? 彼が自力でイエスの居られる家に行くことはできなかったのである。

一人の人が主イエスにお会いするまでに不思議な経緯がそれそれにあることは否定できない。

私も中学生の時、同じクラスの友に偶然、彼が教会に行く道で出会い、誘われて教会に行った。同級生の彼は特に親しい友人ではなかったが、とにかくそれがきっかけになった。その後、高校に入学するとその友人は教会から離れ、私一人が教会に行き続けることになった。それから教会から離れた彼のために祈りつづけ、誘ったが遂に戻ることはなかった。

人はそれぞれ個別の道を経て神と出会う。

注目すべきは、その過程ではなく、出会いを与え、完成される神の恵みにこそある。

時々、世に苦しみをもつ人を見かけると、この人こそ神にお連れすべきだと思うのは自然である。しかし、人の「苦悩」は外観から分かるものではない。それにもかかわらす、その人を「苦悩の人」として強引にイエスにお連れするのは高慢な行為である。

人は、それぞれ固有の苦悩をもち、神の不思議なお導きに従って、自らイエスに赴くのである。

(皆川誠)

コメント