マタイによる福音書11章17節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「洗礼者ヨハネの質問」 マタイ11:2~19

マタイ11:2~19 ルカ7:18~35,16:16
マタイ11:2~19

Matt.11:17『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった』と言うのに似ている。 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.11:17

【漢訳聖書】
Matt.11:17 我儕向爾吹籥、而爾不躍、我儕向爾悲歌、爾不哭。

【明治元訳】
Matt.11:17 われら笛(ふえ)ふけども爾曹(なんぢら)おどらず哀(かなしみ)をすれども爾曹胸(むね)うたずと云(いふ)に似(に)たり

【大正文語訳】
Matt.11:17 われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」と言ふに似たり。

【ラゲ訳】
Matt.11:17 我等汝等の為に笛吹きたれども汝等踊らず、我等嘆きたれども汝等悲しまざりき、と云ふに似たり。

【口語訳】
Matt.11:17 『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった』と言うのに似ている。

【新改訳改訂3】
Matt.11:17 こう言うのです。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』

【新共同訳】
Matt.11:17 『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』

【バルバロ訳】
Matt.11:17 <われわれは君たちのために笛を吹いたが、きみたちは踊らず、悲しみの歌を歌ったのに、きみたちは胸を打たなかった>と言うのに似ている。

【フランシスコ会訳】
Matt.11:17 『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌をうたったのに、悲しんでくれなかった』と言っているのに似ている。

【日本正教会訳】
Matt.11:17 我等は爾等に籥を吹きたれども、爾等踊らざりき、爾等に悲の歌を謡ひたれども、爾等哭かざりきと、云ふ者に似たり。

【塚本虎二訳】
Matt.11:17 笛を吹いたのに、踊ってくれない。弔いの歌をうたったのに、悲しんでくれない。

【前田護郎訳】
Matt.11:17 われらが笛を吹いたのにあなた方は踊らず、哀歌をうたったのにあなた方はなげかなかった。

【永井直治訳】
Matt.11:17 汝等のために我等笛吹きたれども汝等踊らず、また汝等のために我等悲しみたれども汝等胸打たざりき、と云ふ童等に等しきなり。

【詳訳聖書】
Matt.11:17 『私たちは[嫁入り遊びで]笛を吹いたのに、あなたがたは踊らなかった。私たちは[葬式遊びで]弔い泣きの歌をうたったのに、あなたがたは悲しむ<胸を打つ<大声で泣く>ことをしなかった』。

† 聖書引照 Matt.11:17

Matt.11:17 われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」と言ふに似たり。

[われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」と言ふに似たり] イザ28:9~13; Ⅰコリ9:19~23
[笛吹きたれど] マタ9:15,23; Ⅰ列王1:40; イザ30:29; エレ9:17~20; 31:4; ルカ15:25

† ギリシャ語聖書 Matt.11:17

Stephens 1550 Textus Receptus
και λεγουσιν ηυλησαμεν υμιν και ουκ ωρχησασθε εθρηνησαμεν υμιν και ουκ εκοψασθε

Scrivener 1894 Textus Receptus
και λεγουσιν ηυλησαμεν υμιν και ουκ ωρχησασθε εθρηνησαμεν υμιν και ουκ εκοψασθε

Byzantine Majority
και λεγουσιν ηυλησαμεν υμιν και ουκ ωρχησασθε εθρηνησαμεν υμιν και ουκ εκοψασθε

Alexandrian
λεγουσιν ηυλησαμεν υμιν και ουκ ωρχησασθε εθρηνησαμεν και ουκ εκοψασθε

Hort and Westcott
λεγουσιν ηυλησαμεν υμιν και ουκ ωρχησασθε εθρηνησαμεν και ουκ εκοψασθε

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.11:17

λέγουσινΗὐλήσαμεν ὑμῖν καὶ οὐκ ὠρχήσασθεἐθρηνήσαμεν καὶ οὐκ ἐκόψασθε.

† ヘブライ語聖書 Matt.11:17

Matt.11:17

חִלַּלְנוּ לָכֶם בַּחֲלִילִים וְלֹא רְקַדְתֶּם, קוֹנַנּוּ לָכֶם קִינָה וְלֹא בְּכִיתֶם

† ラテン語聖書 Matt.11:17

Latin Vulgate
Matt.11:17

dicunt: Cecinimus vobis, et non saltastis: lamentavimus, et non planxistis.
who, calling out to their companions, say: ‘We played music for you, and you did not dance. We lamented, and you did not mourn.’

† 私訳(詳訳)Matt.11:17

【私訳】 「彼らはこう言う、『私たちはあなたがたの為に笛を吹いたが、あなたがたは踊らず、葬式の哀歌<嘆きの歌、悼みの歌>を歌ったが、あなたがたは悲しまなかった<胸を打ち叩いて泣き悲しまなかった>』」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.11:17

λέγουσιν, Ηὐλήσαμεν ὑμῖν καὶ οὐκ ὠρχήσασθε, ἐθρηνήσαμεν καὶ οὐκ ἐκόψασθε.

【彼らは言う】 λέγουσιν  λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vipa–3p 動詞・直・現・能・3)

1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す

(G3004 λέγω  A primary verb; properly to “lay” forth, that is, (figuratively) relate (in words [usually of systematic or set discourse; whereas2036 and 5346 generally refer to an individual expression or speech respectively; while 4483 is properly to break silence merely, and 2980 means an extended or random harangue]); by implication to mean: – ask, bid, boast, call, describe, give out, name, put forth, say (-ing, on), shew, speak, tell, utter.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34; マル2:11; 5:9; 12:18; ルカ5:39; 6:46; 20:41; ヨハ1:29; 2:6; 16:12; etc.

【笛を吹いたのに】 原文「我々はあなたの為に笛を吹いたが」

【あなたたちに】 ὑμῖν  σύ スゆ sou {soo} (npd-2p 代名詞・与2複)

1)あなた 2)汝 3)君

(G4771 σύ The personal pronoun of the second person singular; thou: – thou. See also 4571 4671 4675 and for the plur. 5209 5210 5213 5216.  Internet Sacred Text Archive)

【笛を吹いたのに】 Ηὐλήσαμεν  αὐλέω  アウれオー auleō {ow-leh‘-o} (viaa–1p 動詞・直・1アオ・能・1複)

< αὐλος 笛

1)笛を吹く 2)笛を奏でる

ヘブル語 חָלִיל cha-lil 葦の茎や木管に穴をあけたもので、婚礼や宴会で吹奏された。イスラエルでは貧しい者の葬儀であっても少なくとも泣き女一人に笛吹き一人がついた。

(G832 αὐλέω From 836 to play the flute: – pipe.  Internet Sacred Text Archive)

マタ11:17; ルカ7:32; Ⅰコリ14:7

【しかし】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (ch 接続詞・完)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【踊って】 ὠρχήσασθε  ὀρχέομαι オルけオマイ orcheomai {or-kheh‘-om-ahee} (viad–2p 動詞・直・1アオ・能欠・2複)

< χορός  踊り

1)踊る 2)舞う、舞を舞う 3)跳ねる

(G3738  ὀρχέομαι Middle voice from όρχος orchos (a row or ring); to dance (from the ranklike or regular motion): – dance.  Internet Sacred Text Archive)

マタ11:17; 14:6; マル6:22; ルカ7:32

【くれなかった】 原文「あなたは踊らず」

【ない】 οὐκ  οὐ ウー ou {oo} (qn 不変化詞・否定)

1)否 2)~ない 3)~でない

(G3756 οὐ Also οὐκ ouk ook used before a vowel and οὐχ ouch ookh before an aspirate. A primary word; the absolutely negative (compare 3361 adverb; no or not: – + long, nay, neither, never, no (X man), none, [can-] not, + nothing, + special, un ([-worthy]), when, + without, + yet but. See also 3364 3372.  Internet Sacred Text Archive)

【葬式の歌をうたったのに】 ἐθρηνήσαμεν  θρηνέω とレーネオー thrēneō {thray-neh‘-o qrhne} (viaa–1p 動詞・直・1アオ・能・1複)

1)悲しむ、泣き悲しむ、悼む 2)哀歌を歌う、嘆きの歌を歌う 3)悲しみ嘆く 4)なげく、泣きわめく 5)大声で悲嘆する、嘆きの声を上げる

(G2354 θρηνέω From 2355 to bewail: – lament, mourn.  Internet Sacred Text Archive)

マタ11:17; ルカ7:32; 23:27; ヨハ16:20

【しかし】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (ch 接続詞・完)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【悲しんで】 ἐκόψασθε  κόπτω コプトー koptō {kop‘-to} (viam–2p 動詞・直・1アオ・中・2複)

1)切り取る 2)(胸、頭を)打つ、斬り殺す、切り裂く、切り取る 3)泣き悲しむ、悲しむ 4)悲嘆する 5)なげく、胸をうちたたいて悲嘆する 6)(小鳥などが)餌をついばむ 7)鍛造する 8)悩ませる

(G2875 κόπτω A primary verb; to “chop”; specifically to beat the breast in grief: – cut down, lament, mourn, (be-) wail. Compare the base of 5114.  Internet Sacred Text Archive)

マタ11:17; 21:8; マル11:8

【くれなかった】 原文「あなたは悲しまず」

【ない】 οὐκ  οὐ ウー ou {oo} (qn 不変化詞・否定)

1)否 2)~ない 3)~でない

(G3756 οὐ Also οὐκ ouk ook used before a vowel and οὐχ ouch ookh before an aspirate. A primary word; the absolutely negative (compare 3361 adverb; no or not: – + long, nay, neither, never, no (X man), none, [can-] not, + nothing, + special, un ([-worthy]), when, + without, + yet but. See also 3364 3372.  Internet Sacred Text Archive)

† 英語訳聖書 Matt.11:17

King James Version
11:17 And saying, We have piped unto you, and ye have not danced; we have mourned unto you, and ye have not lamented.

New King James Version
11:17 “and saying:’We played the flute for you,And you did not dance;We mourned to you,And you did not lament.’

American Standard Version
11:17 and say, We piped unto you, and ye did not dance; we wailed, and ye did not mourn.

New International Version
11:17 “`We played the flute for you, and you did not dance; we sang a dirge, and you did not mourn.’

Bible in Basic English
11:17 We made music for you and you did not take part in the dance; we gave cries of sorrow and you made no signs of grief.

Today’s English Version
11:17 “We played wedding music for you, but you wouldn’t dance! We sang funeral songs, but you wouldn’t cry!’

Darby’s English Translation
11:17 say, We have piped to you, and ye have not danced: we have mourned to you, and ye have not wailed.

Douay Rheims
11:17 Who crying to their companions say: We have piped to you, and you have not danced: we have lamented, and you have not mourned.

Noah Webster Bible
11:17 And saying, We have piped to you, and ye have not danced; We have mourned to you, and ye have not lamented.

Weymouth New Testament
11:17 ”We have played the flute to you,’ they say, ‘and you have not danced: we have sung dirges, and you have not beaten your breasts.’

World English Bible
11:17 and say, ‘We played the flute for you, and you didn’t dance. We mourned for you, and you didn’t lament.’

Young’s Literal Translation
11:17 and saying, We piped unto you, and ye did not dance, we lamented to you, and ye did not smite the breast.

Amplified Bible
11:17 and say ‘We piped the flute for you [playing wedding], and you did not dance; we wailed sad dirges [playing funeral], and you did not mourn and cry aloud.’

† 細き聲 聖書研究ノート

 <われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」と言ふに似たり>

イエスは、今の時代は「市場にいる子どもたちが他の子どもたちに呼びかけて、結婚式の笛を吹く真似をしてみたが、彼らは踊らなかった。そこで今度は葬式の泣き女の真似をしてみたが、彼らは応じなかった。」と嘆くのに似ていると言われた。

 <われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず>

パレスティナでは婚礼は一般的に春の麦刈りの後か、秋のぶどう収穫の後の農閑期に行われた。挙式の当日、夕刻に正装した花婿が大勢の友人に囲まれ、賑やかに太鼓や楽器をならしながら、花嫁の家への贈り物をたずさえて行進した。

子どもたちはその情景を真似して面白おかしく遊んだのだろう。だが、仲間はその遊びに乗ってこなかった。

 <歎きたれど、汝ら胸うたざりき>

そこで、子どもたちは今度は「葬儀」の真似をはじめた。

人が息を引き取ると、人々は集まり、大声で泣き叫んだ。葬送の列は死の道案内として雇われた泣き女たちが嘆きの歌を歌い、甲高い鳴き声を上げながら先導した。子どもたちはその情景を真似して遊んだ。しかし、それにも仲間たちは乗ってこなかった。

 <イエスのたとえ>

人々は結婚式の賑わいをヨハネに期待して笛を吹いたのにヨハネは踊らなかった。そこでしめやかな葬儀の悲しみの歌を歌ったのにイエスの弟子たちは飲み食いしていると不満に思っている。それは結婚式ごっこ、葬式ごっこで相手が乗ってこないことに腹を立てる子どもに似ているとイエスは言われるのである。

† 心のデボーション  

「われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」と言ふに似たり」 マタイ11:17 大正文語訳聖書

「『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌をうたったのに、悲しんでくれなかった』と言っているのに似ている」 フランシスコ会訳聖書

 「葬式ごっこ」

子供たちは人々の集まる広場で婚礼ごっこをして笛を吹いたが踊ってくれなかった。それでは「葬式ごっこ」をして哀歌をうたったが胸を打って悲しまなかった。「遊び」からは本当の悲しみも喜びも引き出せない。

† 心のデボーション

「われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」と言ふに似たり」 マタイ11:17 大正文語訳聖書

「『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌をうたったのに、悲しんでくれなかった』と言っているのに似ている」 フランシスコ会訳聖書

 「自分の笛」

広場にいる子どもが、さあ結婚式ごっこをしようと笛を吹いたのに、他の子どもは踊らなかった。では葬式ごっこをしようと弔いの歌をうたったのに泣いてくれなかった。他人が自分の笛に合わせて踊ってくれないと嘆くのは子どもばかりではない。喜びがあれば人は笛がなくても踊る。悲しければ弔いの歌がなくても涙は流れる。この笛は勝手に吹いてよいものではない。

† 心のデボーション  

「われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」と言ふに似たり」 マタイ11:17 大正文語訳聖書

「『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌をうたったのに、悲しんでくれなかった』と言っているのに似ている」 フランシスコ会訳聖書

 「期待ごっこ」

期待がことごとく裏切られるとき、「期待」が正しいかどうかを調べなければならない。「婚礼の笛」も「葬式の歌」も子供の「婚礼ごっこ」「葬式ごっこ」に過ぎず、「期待ごっこ」から得られるものは何もない。

† 心のデボーション  

「われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」と言ふに似たり」 マタイ11:17 大正文語訳聖書

「『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌をうたったのに、悲しんでくれなかった』と言っているのに似ている」 フランシスコ会訳聖書

 「慰めのことば」

バプテスマのヨハネが荒野に出現したので、人々は喜び、結婚式の笛を吹いたがヨハネは踊ってくれなかった。慰めのことばを期待して教会に行ったが、悔改めの説教を聞いて耳を塞ぐ人々がそれである。聖書を開くなら聖書自身に語らせよ。

† 心のデボーション

「われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」と言ふに似たり」 マタイ11:17 大正文語訳聖書

「『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌をうたったのに、悲しんでくれなかった』と言っているのに似ている」 フランシスコ会訳聖書

 「全部を聞く」

イエスが来られたので、悲しみの歌を歌ったが、イエスは胸を打って、一緒に泣いてくれなかった。胸に苦しいことがあり、イエスなら同情してくれると思ってきたが、イエスは自分の悲しみを癒してはくれなかったという人がそれである。イエスのことばの全部を聞いてみたのか?

† 心のデボーション

「われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」 マタイ11:17 大正文語訳聖書

「笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった」 新改訳聖書

 「笛吹けども踊らず」

「笛吹けども踊らず」は、物事が自分の思い通りにならない嘆きの表現である。

しかし、相手の言いなりになって「笛の音にいつのまにか踊らされている」こともある。笛を吹いてくれる相手がいなければ落ち着けない人もいる。

無意識のうちに笛を吹いて相手を操ろうとするのは問題だが、自分を操ってくれる人の存在を必要とするのもやはり問題だ。この二人が出会ってつくられるのが、いわゆる「腐れ縁」であろう。

(†心のデボーション00272)

† 心のデボーション

「『われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき』と言ふに似たり」 マタイ11:17 大正文語訳聖書

「『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌をうたったのに、悲しんでくれなかった』と言っているのに似ている」 フランシスコ会訳聖書

 「笛を吹いたのに」

広場にいる子どもが、さあ結婚式ごっこをしようと笛を吹いたのに、他の子どもは踊らなかった。では葬式ごっこをしようと弔いの歌をうたったのに泣いてくれなかった。他人が自分の笛に合わせて踊ってくれないと嘆くのは子どもばかりではない。喜びがあれば人は笛がなくても踊る。悲しければ弔いの歌がなくても涙は流れる。この笛は勝手に吹いてよいものではない。

(†心のデボーション01154)

† 細き聲 説教 

 「ごっこ遊び」

「われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」 マタイ11:17 大正文語訳聖書

「笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった」 新改訳聖書

イエスは、バプテスマのヨハネやイエス御自身に対するパリサイ人や律法学者と彼らに導かれる群衆の「この時代」を市場で遊ぶ子どもの様子に譬えておられる。

大勢の人々の集まる市場の広場で子どもたちが遊んでいる。

ある子どもたちが他の子どもたちに呼びかけて、結婚式の笛を吹く真似をしてみたが、彼らは踊らなかった。

そこで今度は葬式の泣き女の真似をしてみたが、彼らは応じなかったと嘆いている。

「今の時代」はそのようなものだとイエスは言われたのである。

パレスティナでは婚礼は一般的に春の麦刈りの後か、秋のぶどう収穫の後の農閑期に行われた。挙式の当日、夕刻に正装した花婿が大勢の友人に囲まれ、賑やかに太鼓や楽器をならしながら、花嫁の家への贈り物をたずさえて行進した。

子どもたちはその情景を真似して面白おかしく遊んだのだろう。だが、仲間はその遊びに乗ってこなかった。

バプテスマのヨハネがユダの荒野に現われて宣教の声を上げると、人々はこぞって荒野におもむき、結婚式の賑わいをヨハネに期待して笛を吹いた。だがバプテスマのヨハネは彼らの歌に乗って踊らなかった。

そこで、子どもたちは今度は「葬儀」の真似をはじめた。

人が息を引き取ると、人々は集まり、大声で泣き叫んだ。葬送の列は死の道案内として雇われた泣き女たちが嘆きの歌を歌い、甲高い鳴き声を上げながら先導した。子どもたちはその情景を真似して遊んだ。しかし、それにも仲間たちは乗ってこなかった。

バプテスマのヨハネが捕らわれて牢獄に幽閉されると、人々はイエスに、葬儀の悲しみの歌を歌ったのにイエスと弟子たちは罪人や取税人たちと飲み食いしている。

パリサイ人や律法学者たちは、結婚式ごっこ、葬式ごっこで相手が乗ってこないことに腹を立てる子どもに似ているとイエスは言われるのである。

信仰は「子どものごっこ遊び」ではない。信仰は勝手な「期待ごっこ」になっていないかを振り返らなければならない。

「期待の強さ」が信仰なのではない。期待の正しさを常に調べるのが信仰である。

(皆川誠)

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