† 福音書縦観 「会堂司の娘と長血の女」 マタイ9:18~26
マタイ9:18~26 マルコ5:21~43 ルカ8:40~56
マタイ9:18~26
Matt.9:19そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った(大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。 マルコ5:24 ところが、イエスが出て行かれる途中、群衆が押し迫ってきた。 ルカ8:42)。 口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.9:19
【漢訳聖書】
Matt.9:19 耶穌遂起而從之、其門徒偕焉。
【明治元訳】
Matt.9:19 イエスて彼(かれ)に從(したが)ひ其(その)弟子(でし)と偕(とも)に往(ゆく)
【大正文語訳】
Matt.9:19 イエス起ちて彼に伴ひ給ふに、弟子たちも從ふ。
【ラゲ訳】
Matt.9:19 イエズス起ちて是に從ひ給ひ、弟子等も從行きけるに、
【口語訳】
Matt.9:19 そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。
【新改訳改訂3】
Matt.9:19 イエスが立って彼について行かれると、弟子たちもついて行った。
【新共同訳】
Matt.9:19 そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。弟子たちも一緒だった。
【バルバロ訳】
Matt.9:19 イエズスは立ち上がって弟子たちを連れて司についていかれた。
【フランシスコ会訳】
Matt.9:19 イエズスは立ち上がって、弟子たちを連れて彼について行かれた。
【日本正教会訳】
Matt.9:19 イイスス起ちて之に從へり、其門徒も偕にせり。
【塚本虎二訳】
Matt.9:19 イエスは立ち上がって彼について行かれた、弟子たちも一しょに。
【前田護郎訳】
Matt.9:19 イエスは立ちあがって彼について行かれた。弟子たちもいっしょであった。
【永井直治訳】
Matt.9:19 乃ちイエス起ちて弟子等と彼に從ひ給へり。
【詳訳聖書】
Matt.9:19 イエスは立ち上がって弟子たちを連れ、彼といっしょに行かれた。
† 聖書引照 Matt.9:19
Matt.9:19 イエス起ちて彼に伴ひ給ふに、弟子たちも從ふ。
[イエス起ちて彼に伴ひ給ふに、弟子たちも從ふ] マタ8:7; ヨハ4:34; 使徒10:38; ガラ6:9,10
† ギリシャ語聖書 Matt.9:19
Stephens 1550 Textus Receptus
και εγερθεις ο ιησους ηκολουθησεν αυτω και οι μαθηται αυτου
Scrivener 1894 Textus Receptus
και εγερθεις ο ιησους ηκολουθησεν αυτω και οι μαθηται αυτου
Byzantine Majority
και εγερθεις ο ιησους ηκολουθησεν αυτω και οι μαθηται αυτου
Alexandrian
και εγερθεις ο ιησους ηκολουθησεν αυτω και οι μαθηται αυτου
Hort and Westcott
και εγερθεις ο ιησους ηκολουθη αυτω και οι μαθηται αυτου
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.9:19
καὶ ἐγερθεὶς ὁ ᾽Ιησοῦς ἠκολούθησεν αὐτῷ καὶ οἱ μαθηταὶ αὐτοῦ.
† ヘブライ語聖書 Matt.9:19
Matt.9:19
יֵשׁוּעַ קָם וְהָלַךְ אַחֲרָיו הוּא וְתַלְמִידָיו
† ラテン語聖書 Matt.9:19
Latin Vulgate
Matt.9:19
Et surgens Iesus, sequebatur eum, et discipuli eius.
And Jesus, rising up, followed him, with his disciples.
† 私訳(詳訳)Matt.9:19
【私訳】 「そして、イエスは立ち上がり、彼について行かれた<彼に同行された、一緒に行かれた>。また彼の弟子たちも〔ついて行った<同行した、一緒に行かれた>〕
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.9:19
καὶ ἐγερθεὶς ὁ ᾽Ιησοῦς ἠκολούθησεν αὐτῷ καὶ οἱ μαθηταὶ αὐτοῦ.
【そして】 καὶ καί カイ kai {kahee} (ch 接続詞・完)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【イエスは】 ᾽Ιησοῦς ᾽Ιησοῦς イエースウース Iēsous {ee-ay-sooce‘ } (n-nm-s 名詞・主男単)
イエス 意味は「ヤㇵウェは救いである」
「イエス」はヘブル語「 יְהוֺשׁוּעַ イェホーシュア Yehowshuwa` {yeh-ho-shoo’-ah} ”Jehovah is
salvation” 主は救い、ヨシュア」の ギリシャ名
マタ16:16; マル5:7; ルカ1:32; ヨハ1:29,36; 14:6; 6:33,51; ロマ1:16; 3:29; 11:26; 14:9; Ⅰコリ1:24; 2:8; 15:45; Ⅰテモ6:15; ヘブ2:10; 3:6; 9:11,15; 12:24; 黙示1:5,8; 2:8; 3:14 etc.
(G2424 ᾽Ιησοῦς Of Hebrew origin [3091; Jesus (that is, Jehoshua), the name of our Lord and two (three) other Israelites: – Jesus. H3091 יְהוֹשׁוַּע יְהוֹשׁוַּע yehôshûa‛ yehôshûa‛ yeh-ho-shoo‘-ah,yeh-ho-shoo‘-ah From 3068 and 3467 Jehovah-saved; Jehoshua (that is, Joshua), the Jewish leader: – Jehoshua, Jehoshuah, Joshua. Compare 1954 3442. Internet Sacred Text Archive)
【立ち上がり】 ἐγερθεὶς ἐγείρω エゲイロー egeirō {eg-i‘-ro} (vpapnm-s 分詞・1アオ受主男単)
1)眠りからさます、おこす、めざめさせる、目を覚ます、呼び起こす、起こす、立ち上がる 2)動かす、刺激する 3)甦らせる、復活する、生き返らす
(G1453 ἐγείρω Probably akin to the base of 58 (through the idea of collecting one’s faculties); to waken (transitively or intransitively), that is, rouse (literally from sleep, from sitting or lying, from disease, from death; or figuratively from obscurity, inactivity, ruins, nonexistence): – awake, lift (up), raise (again, up), rear up, (a-) rise (again, up), stand, take up. Internet Sacred Text Archive)
マタ1:24; 2:13,14,20, 21; 11:11; 8:15,26; 11:5; 25:7; 26:46; マル4:27; 5:41; 14:42; 使徒3:15; 12:7; ロ
マ13:11; エペ1:20; 5:14 コロ2:12; Ⅰテサ1:10 etc.
【彼に】 αὐτῷ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3s 代名詞・与男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【ついて行かれた】 ἠκολούθησεν ἀκολουθέω アコるーてオー akoloutheō {ak-ol-oo-theh‘-o} (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・3単)
< α 一緒に + κέλευθος 道
1)同じ道を歩む、ついて行く、従う、つき従う、一緒に行く、~に同行する、随行する、同行する 2)導かれる、適合する 3)弟子になる、弟子である 4)愛着する、固く結びつく、生死を共にする
(G190 ἀκολουθέω From 1 (as a particle of union) and κέλευθος keleuthos (a road); properly to be in the same way with, that is, to accompany (specifically as a disciple): – follow, reach. Internet Sacred Text Archive)
マタ4:20,22,23; 8:1,10,19,22,23; 9:9,27; 10:24; 19:2,21,27,28; 20:29,34; 26:58 etc.
【そして】 καὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【彼の】 αὐτοῦ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npgm3s 代名詞・属男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【弟子たちも】 μαθηταὶ μαθητής マてーテース mathētēs {math-ay-tes‘} (n-nm-p 名詞・主男複)
< μανθάνω 学ぶ、覚える、聞き知る、尋ねる
1)学生、弟子、門弟 2)弟子、門人、帰依者 3)学ぶ者、師を見出した者
(G3101 μαθητής From 3129 a learner, that is, pupil: – disciple. Internet Sacred Text Archive)
【一緒だった】 原文「イエスは立ち上がり、彼〔イエス〕の弟子たちと、彼について行かれた」
† 英語訳聖書 Matt.9:19
King James Version
9:19 And Jesus arose, and followed him, and [so did] his disciples.
New King James Version
9:19 So Jesus arose and followed him, and so did His disciples.
American Standard Version
9:19 And Jesus arose, and followed him, and so did his disciples.
New International Version
9:19 Jesus got up and went with him, and so did his disciples.
Bible in Basic English
9:19 And Jesus got up and went after him, and so did his disciples.
Today’s English Version
9:19 So Jesus got up and followed him, and his disciples went along with him.
Darby’s English Translation
9:19 And Jesus rose up and followed him, and so did his disciples.
Douay Rheims
9:19 And Jesus rising up followed him, with his disciples.
Noah Webster Bible
9:19 And Jesus arose, and followed him, and so did his disciples.
Weymouth New Testament
9:19 And Jesus rose and followed him, as did also His disciples.
World English Bible
9:19 Jesus got up and followed him, as did his disciples.
Young’s Literal Translation
9:19 And Jesus having risen, did follow him, also his disciples,
Amplified Bible
9:19 Jesus got up and began to accompany the ruler, with His disciples.
† 細き聲 聖書研究ノート
<イエス起ちて彼に伴ひ給ふに、弟子たちも從ふ>
会堂管理者ヤイロの信仰をごらんになって、イエスは直ちに立ち上がられ、ヤイロの家に向かわれた。イエスの弟子たちもついて行った。
<イエス起ちて彼に伴ひ給ふに>
「立ち上がり ἐγείρω エゲイロー 」は 「起こす、立ち上がる」の意味で、揺り動かされて行動を起こすこと。
イエスは会堂管理者ヤイロの言葉に心を揺さぶられて立ち上がられた。
<弟子たちも從ふ>
イエスは直ちに立ち上がり、会堂司ヤイロの家に行かれた。弟子たちも一緒だったが、マルコ、ルカ並行記事によれば「大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。 マルコ5:24 ところが、イエスが出て行かれる途中、群衆が押し迫ってきた。 ルカ8:42」 口語訳聖書
その場からイエスと一緒に行った群衆があり、進むにつれて新たな群衆が加わったのである。
† 心のデボーション
「イエス起ちて彼に伴ひ給ふに、弟子たちも從ふ」 マタイ9:19 大正文語訳聖書
「イエズスは立ち上がって、弟子たちを連れて彼について行かれた」 フランシスコ会訳聖書
「イエスの対応」
イエスは百人隊長にはことばをもって応じられたが(マタイ8:5∼13)、男の娘の所には歩いて行かれる。どちらも急を要したが、イエスの対応はいつも同じではない。
† 心のデボーション
「イエス起ちて彼に伴ひ給ふに、弟子たちも從ふ」 マタイ9:19 大正文語訳聖書
「イエズスは立ち上がって、弟子たちを連れて彼について行かれた」 フランシスコ会訳聖書
「人々の期待」
会堂司ヤイロの家に向かうイエスと弟子たちの後を群衆が従い、その道中にも新たな群衆が加わった。噂は噂を生んだ。不幸からも人はある期待をもってしまう。
† 細き聲 説教
「イエスの眼差し」
「イエス起ちて彼に伴ひ給ふに、弟子たちも從ふ」 マタイ9:19 大正文語訳聖書
「イエズスは立ち上がって、弟子たちを連れて彼について行かれた」 フランシスコ会訳聖書
会堂管理者ヤイロの信仰をごらんになって、イエスは直ちに立ち上がられ、ヤイロの家に向かわれた。イエスの弟子たちもついて行った。
弟子たちも一緒だったが、マルコ、ルカ並行記事によれば「大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。 マルコ5:24 ところが、イエスが出て行かれる途中、群衆が押し迫ってきた。 ルカ8:42」 口語訳聖書
会堂管理者ヤイロの家に向かうイエスの周囲には、会堂管理者ヤイロがおり、イエスの弟子たちがおり、群衆がおり、噂を聞いて駆けつける新たな群衆がいた。
不幸な人の周辺には多くの関心が寄せられる。心底心配する人ばかりでなく、事の展開をうかがうだけの野次馬のような人々がいる。
会堂管理者ヤイロの家に近づけば、気の早い近隣の者たちが葬儀の手配や泣き女たちを集めるために右往左往するのが見られたろう。
一人の人間の不幸には様々な立場の違う反応が寄せられる。それは人間社会のどこにでもある、見慣れた光景かもしれない。
しかし、それは人の心に生起する、背反する感情として一人の人の中に凝縮されてあると言わざるを得ない。
人の心には不幸に身を切られるような思いがありながらも、同時に、その顛末に物見するような醒めた思いがあることを否定できるだろうか。
しかし、一種の華やいだ軽薄とも言える群衆が従ってくるのをイエスは咎めることもなさらずヤイロの家に向かわれている。イエスの目はまっすぐ、死につつあるヤイロの娘に注がれている。
人の心に行き来する思いを鎮めるのは、この時のイエスの眼差しである。
(皆川誠)
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