マタイによる福音書1章23節

マタイによる福音書
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† 福音書対観 「イエスの誕生」 マタイ1:18~25

マタイ1:18~25

Matt. 1:23「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。

これは、「神われらと共にいます」という意味である。口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt. 1:23

【漢訳聖書】
Matt. 1:23 視哉、將有一處女、懷孕而生子、人必稱其名曰以馬内利、譯卽神偕我儕。

【明治元訳】
Matt. 1:23 處女(をとめ)はらみて子(こ)を生(うま)ん其(その)名(な)をインマヌエルと稱(となふ)べしと有(ある)に應(かなは)せん爲(ため)なり其(その)名(な)を譯(とけ)ば神(かみ)われらと偕(とも)に在(をる)との義(こころ)なり

【大正文語訳】
Matt. 1:23 『視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと稱(とな)へられん』之を釋(と)けば、神われらと偕に在すといふ意(こころ)なり』

【ラゲ訳】
Matt. 1:23 曰く「看よ童貞女(どうていじょ)懐胎(かいたい)して一子を生まん、其名はエンマヌエルと稱(とな)へられん」と。エンマヌエルとは我等と偕に在す神の義なり。

【口語訳】
Matt. 1:23 「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。

【新改訳改訂3】
Matt. 1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

【新共同訳】
Matt. 1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

【バルバロ訳】
Matt. 1:23 「処女(おとめ)が身ごもって子を生む。その名はエンマヌエルと呼ばれる。」 その名は「神はわれわれとともにまします」という意味である。

【フランシスコ会訳】
Matt. 1:23 「見よ、おとめが身籠って男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」。この名は、「神はわたしたちとともにおられる」という意味である。

【日本正教会訳】
Matt. 1:23 視よ、童女(どうぢょ)孕みて子を生まん、其名はエムマヌイルと稱(とな)へられん、譯すれば神我等と偕にするなり。

【塚本虎二訳】

Matt. 1:23 “見よ、乙女が身重になって男の子を産み、人はその(子の)名をインマヌエルと呼ぶであろう。”インマヌエルを訳すると“神はわれらと共なり”である。

【前田護郎訳】

Matt. 1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を生み、人々は彼の名をインマヌエルと呼ぼう」と。訳せば、「神われらとともに」の意味である。

【永井直治訳】
Matt. 1:23 見よ、處女(をとめ)孕(はら)みて子を産まん。かくてその名をイマヌエルと呼ぶべし、卽ち譯すれば、我等のうちにおはす神なり。

【詳訳聖書】
Matt. 1:23 『見よ、処女がみごもり、男の子を産む。彼らはその名をインマヌエルと呼ぶ』」。それを訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。

† 聖書引照 Matt. 1:23

Matt. 1:23 『視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと稱(とな)へられん』之を釋(と)けば、神われらと偕に在すといふ意(こころ)なり』

[視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん]  イザ7:14;  ルカ1:31~32; 2:21
[その名はインマヌエルと稱(とな)へられん] イザヤ7:14; 8:8
[神われらと偕に在す]  マタ28:20; 詩46:7,11; イザ8:8~10; 9:6,7; 12:2; ヨハ1:14; 使18:9; ロマ1:3,4; 9:5; Ⅱコロ5:19; Ⅰテモ3:16; Ⅱテモ4:17,22

† ギリシャ語聖書 Matt. 1:23

Stephens 1550 Textus Receptus
ιδου η παρθενος εν γαστρι εξει και τεξεται υιον και καλεσουσιν το ονομα αυτου εμμανουηλ ο εστιν μεθερμηνευομενον μεθ ημων ο θεος

Scrivener 1894 Textus Receptus
ιδου η παρθενος εν γαστρι εξει και τεξεται υιον και καλεσουσιν το ονομα αυτου εμμανουηλ ο εστιν μεθερμηνευομενον μεθ ημων ο θεος

Byzantine Majority
ιδου η παρθενος εν γαστρι εξει και τεξεται υιον και καλεσουσιν το ονομα αυτου εμμανουηλ ο εστιν μεθερμηνευομενον μεθ ημων ο θεος

Alexandrian
ιδου η παρθενος εν γαστρι εξει και τεξεται υιον και καλεσουσιν το ονομα αυτου εμμανουηλ ο εστιν μεθερμηνευομενον μεθ ημων ο θεος

Hort and Westcott
ιδου η παρθενος εν γαστρι εξει και τεξεται υιον και καλεσουσιν το ονομα αυτου εμμανουηλ ο εστιν μεθερμηνευομενον μεθ ημων ο θεος

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt. 1:23

᾽Ιδοὺ ἡ παρθένος ἐν γαστρὶ ἕξει καὶ τέξεται υἱόν, καὶ καλέσουσιν τὸ ὄνομα αὐτοῦ ᾽Εμμανουήλ, ὅ ἐστιν μεθερμηνευόμενον Μεθ᾽  ἡμῶν ὁ θεός.

† ヘブライ語聖書 Matt. 1:23

Matt. 1:23

“הִנֵּה הָעַלְמָה הָרָה וְיֹלֶדֶת בֵּן וְקָרָאת שְׁמוֹ עִמָּנוּ אֵל.”

† ラテン語聖書 Matt. 1:23

Latin Vulgate

Matt. 1:23

Ecce virgo in utero habebit, et pariet filium. Et vocabunt nomen eius Emmanuel, quod est interpretatum Nobiscum Deus.

“Behold, a virgin shall conceive in her womb, and she shall give birth to a son. And they shall call his name Emmanuel, which means: God is with us.”

~ The expression ‘in utero habebit’ literally means ‘shall have in the womb.’ But this verse is a quote from Isaiah 7:14, which, in the Latin, uses ‘virgo concipiet’ rather than ‘in utero habebit.’ Therefore, the use of the translation ‘shall conceive in her womb’ to convey the expression ‘shall have in the womb’ is justified. Verse 18 which has a similar expression, with a similar translation.

† 私訳(詳訳)Matt. 1:23

【私訳】  「『見よ<驚くことに>、おとめ<処女>が子を宿して<身ごもって>子<息子、男の子>を産む。そしてその名はインマヌエルと呼ばれる』 訳すと、『彼は我らと共におられる<我らの中央におられる>神である』である」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt. 1:23

᾽Ιδοὺ ἡ παρθένος ἐν γαστρὶ ἕξει καὶ τέξεται υἱόν, καὶ καλέσουσιν τὸ ὄνομα αὐτοῦ ᾽Εμμανουήλ, ὅ ἐστιν μεθερμηνευόμενον Μεθ᾽  ἡμῶν ὁ θεός.

【見よ】᾽Ιδοὺ ἰδού イドゥ  idou {id-oo‘} (qs 不変化詞)

1)そら、ほら、さあ、まあ、それ 2)見よ、見よ驚くことに、ごらん注意を喚起する言葉「見よ、驚くことに」

【おとめが】παρθένος   παρθένος  パルてノス   parthenos {par-then‘-os} (n-nf-s 名詞・主女単)

1)処女 2)おとめ

「パルセノス」は未婚の女性の意味。この言葉は未婚の男性にも用いられる。

マタ1:23; 25:1,7,11;  ルカ1:26,27;  使徒21:9;  Ⅰコリ7:25,28,34,36,37,38;  Ⅱコリ11:2;  黙示14:14

【身ごもって】ἐν γαστρὶ ἕξει  妊娠中である、身重である、みごもる

ἐν  ἐν エン en {en} (pd 前置詞・属)

1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に

γαστρὶ  γαστήρ  ガステール gastēr {gas-tare‘} (n-df-s 名詞・与女単)

1)子宮、胎内、腹部、子を宿すころ 2)ἐν γαστρὶ ἐχειν  妊娠中である、身重である、みごもる

マタ1:18,23; 24:19;  マル13:17;  ルカ1:31; 21:23;  黙示12:23

ἕξει  ἔχω エこー  echō {ekh‘-o} (vifa–3s 動詞・直・未来・能・3単)

1)持っている、保持している、保存する、保管する、所有する、保つ 2)身につける、帯びる、具備している、着る 3)含んでいる、抱く、とどめる、しっかり捕らえている 4)~とみなす、思う

【そして】καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

【男の子を】υἱόν  υἱός フゅィオス huios {hwee-os’}  (n-am-s 名詞・対男単)

1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子

「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן  ベーン ben {bane}  息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。

マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45;  Ⅱコリ6:18;  ガラ3:7

【産む】τέξεται  τίκτω  ティクトー  tiktō {tik‘-to} (vifd–3s 動詞・直・未来・能欠・3単

1)母が子を産む、父が子をもうける 2)生む 3)生じる 4)産出するマタ1:21,23,25; 2:2;  ルカ1:31,57,; 2:6,7,22;  ヨハ16:21;  ガラ4:27;  ヘブ6:7;  ヤコ1:15;黙示12:2,4,5,13

【そして】καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

【その】αὐτοῦ  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npgm3s 代名詞・属男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

【名は】ὄνομα  ὄνομα  オノマ  onoma {on‘-om-ah} (n-an-s 名詞・対中単)

1)名前、名、名称 2)人数 3)本人、人間、人格 4)名声 5)名目、口実 6)語、用語、術語

マタ1:21; 10:2;  マル3:16; 14:32;  ルカ1:5,26;  ヨハ1:6; 3:1;  使徒13:8;  黙示21:14 etc.

【インマヌエルと】᾽Εμμανουήλ  ᾽Εμμανουήλ  エムマヌーエーる Emmanouēl {em-man-oo-ale‘} (n-am-s 名詞・対男単)

1)ヘブライ語 インマヌエル 「神我らと共に」 イザヤ7:14からの引用

マタ1:23

【呼ばれる】καλέσουσιν  καλέω カれオー kaleō {kal-eh‘-o} (vifa–3p 動詞・直・未来・能・3複)

1)呼ぶ、呼びかける、大声で呼ぶ 2)招く 3)呼び出す、呼び掛ける、呼び寄せる 4)~を~と呼ぶ、名づける 5)召喚する

マタ1:21; 2:15; 4:21; 9:13; 20:8; 22:3,8,9; 25:14;  マル1:20; 2:17; 3:31;  ルカ7:39; 19:13  ヨハ2:2;10:3;  使徒4:18; 24:2;  ヘブ3:13; 11:8;  Ⅰペテ2:9 etc.

【訳すと】μεθερμηνευόμενον  μεθερμηνεύω  メてルメーネウオー methermēneuō {meth-er-mane-yoo‘-o}  (+vpppnn-s 分詞・現受主中単)

1)説明する、解釈する 2)訳す、翻訳する、通訳する

マタ1:23;  マル5:41; 15:22;  ヨハ1:38,41;  使徒4:36; 13:8;

【神は】θεός  θεός てオス  theos {theh‘-os} (n-nm-s 名詞・主男単)

1)神 2)神性 3)唯一の神

θεός の語源は次の二語に求められる

1 τεθειχέναι 万物を自らの基の上に置く

2  θέειν 駆ける

【我々と】ἡμῶν  ἐγώ エゴー  egō {eg-o‘} (npg-1p 代名詞・属1複)

1)私 2)わたし

【共におられる】Μεθ᾽  μετά メタ  meta {met-ah‘} (pg 前置詞・属)

1)~の真中に、~の間に 2)~と共に、連結、交際、協力、関与、互いに 3)同行、同伴 4)共働、助力 5)一体になる 6)後に、後方に

【という意味】ὅ  ὅς  ホス  hos {hos} (aprnn-s 関係代名詞・主中単)

1)この~ 2)これ 3)ところの、そして

【である】ἐστιν  εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘} (vipa–3s+ 動詞・直・現・能・3単)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

† 英語訳聖書 Matt. 1:23

King James Version
1:23 Behold, a virgin shall be with child, and shall bring forth a son, and they shall call his name Emmanuel, which being interpreted is, God with us.

American Standard Version
1:23 Behold, the virgin shall be with child, and shall bring forth a son, And they shall call his name Immanuel; which is, being interpreted, God with us.

New International Versio
1:23 ”The virgin will be with child and will give birth to a son, and they will call him Immanuel” –which means, “God with us.”

Bible in Basic English
1:23 See, the virgin will be with child, and will give birth to a son, and they will give him the name Immanuel, that is, God with us.

Darby’s English Translation
1:23 Behold, the virgin shall be with child, and shall bring forth a son, and they shall call his name Emmanuel, which is, being interpreted, ‘God with us.’

Douay Rheims
1:23 Behold a virgin shall be with child, and bring forth a son, and they shall call his name Emmanuel, which being interpreted is, God with us.

Noah Webster Bible
1:23 Behold, a virgin shall be with child, and shall bring forth a son, and they shall call his name Emmanuel, which being interpreted is, God with us.

Weymouth New Testament
1:23 ‘Mark! The maiden will be with child and will give birth to a son, and they will call His name Immanuel’ –a word which signifies ‘God with us’.

World English Bible
1:23 ‘Behold, the virgin shall be with child, and shall bring forth a son. They shall call his name Immanuel;’ which is, being interpreted, ‘God with us.’

Young’s Literal Translation
1:23 ‘Lo, the virgin shall conceive, and she shall bring forth a son, and they shall call his name Emmanuel,’ which is, being interpreted ‘With us he is God.’

Amplified Bible
1:23 “Behold, the [n]virgin shall be with child and give birth to a Son, and they shall call His name Immanuel”—which, when translated, means, “God with us.”

Footnotes:
[n] “Virgin” (Gr parthenos) clearly confirms that Mary was a virgin when she gave birth to Jesus.

† 細き聲 聖書研究ノート

<視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと稱(とな)へられん』之を釋(と)けば、神われらと偕に在すといふ意(こころ)なり>

主の使いはイザヤ7:14から、イエスはイザヤの預言した「インマヌエル」であることを告げる。

<インマヌエル>

インマヌエル(עִמָּנוּאֵל‎、Immanuel、Emmanuel、Imanu’el)は、イザヤ書7:14、8:8に記された名であり、実際の人物ではない。「インマヌエル」は「עמנו  Immanu インマヌ われらとともにいる」+「אל  El エル 神」で、「神はわれらとともに」の意味。

<広げた翼>

本節はイザヤからの引用である。

「יד לָכֵן יִתֵּן אֲדֹנָי הוּא, לָכֶם–אוֹת: הִנֵּה הָעַלְמָה, הָרָה וְיֹלֶדֶת בֵּן, וְקָרָאת שְׁמוֹ, עִמָּנוּ אֵל.  それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(イザヤ7:14)

「インマヌエル」はアラムの王レツインとイスラエルの王ペカがエルサレムを攻撃したとき、国家存亡の危機に預言者イザヤがユダの王アハズに告げた言葉。

「ユダにみなぎり、首に達し、溢れ、押し流す。その広げた翼は、インマヌエルよ、あなたの国土を覆い尽くす」(イザヤ8:8,10) 新改訳は「ユダに流れ込み、押し流して進み、首にまで達する。インマヌエル。その広げた翼はあなたの国の幅いっぱいに広がる」と訳す。新改訳は「広げた翼」をイスラエルの希望としての「インマヌエル」ととり、共同訳は「広げた翼」を「アッシリアの猛威」と解釈する。多くの訳はこれを採用する。

<インマヌエル>

「インマヌエル、神我らと共にいます」 神は私の真中に、私と連結し、私と交際し、私と協力し、私に関与し、私と同行し、私と同伴し、私と共働し、私と助力し、私と一体になられるお方である。永井訳 「即ち訳すれば、我らのうちにおわず神なり」

「私」を知ることは、「私と共にいます神」「私の真中の神」「私のうちにおわす神」を知ることである。「私」を知ったが「神」を知らないというのは、まだ私は「私の中央」を知ってはいないのである。

<クリスマス・ツリー>

クリスマス・ツリーは、もともと教会の習慣にはないものであった。ヨーロッパでは冬至の頃に、やがて到来する生命の春を待望してブナやトウヒ、カンバなどの小枝を「聖なる小枝」として身に着けたり、家の壁や庭に突き刺すなどした「マイエ(ドイツ語)」という習慣があった。

伝説によると8世紀のころ、ドイツに派遣された最初の宣教師ボニファティウス(Bonifatius 後672~754)が、樫の樹に人身御供をささげようとしているのを目撃して、それを止めさせ、代わりに傍らの小さなモミの樹をさして、これを持ち帰って幼子イエスの誕生を祝うようにと教えたのがクリスマス・ツリーとなったという。(『新聖書大辞典』より)

<インマヌエルのイコン>

ロシア美術館にはインマヌエルのイコン(1668年)がある。ここでは「インマヌエル」は人間の姿をもつ存在として教えられている。

<メサイア>

ヘンデルの「メサイア」の第一部で、マタイ1:23「視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと稱(とな)へられん」がアコンバニャート(アルト独唱)で歌われる。

<聖母マリヤ>

聖母マリヤは「白薔薇」にたとえられ、「純潔の薔薇」と呼ばれる。花嫁が白薔薇のブーケをもって入場するのは純潔の愛を象徴しているのである。

† 心のデボーション

「その名はインマヌエルと稱(とな)へられん」 マタイ1:23 大正文語訳聖書

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」 新共同訳聖書

「インマヌエル」

マタイ福音書の冒頭で「インマヌエル」と呼ばれたイエスは、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」をもって福音書を閉じる。マタイ28:20 新共同訳聖書

「私」の始めに「インマヌエル 共におられる」と宣言なさる神は、「私」の終わりまで「いつも共にいる インマヌエル」神である。

† 心のデボーション

「神は我々と共におられる」 マタイ1:23 大正文語訳聖書

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」 新共同訳聖書

「我等のうちにおわす神」

「インマヌエル ᾽Εμμανουήλ」はラテン語で「Nobiscum Deus  God with us」と訳される。

「神(かみ)われらと偕(とも)に在(をる)」 明治元訳

「神われらと偕に在す」 大正文語訳

「我等と偕に在す神」 ラゲ訳

「神我等と偕にする」 日本正教会訳

「我等のうちにおわす神」 永井直治訳

神は私と偕に在し、在すところを偕にし、私のうちに「おわす」お方である。

† 心のデボーション

「神は我々と共におられる」 マタイ1:23 大正文語訳聖書

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」 新共同訳聖書

「並んで助ける」

「偕 とも」は「人」をあらわす「亻」+「皆」で、「皆」は「比 (並ぶ)」の下に「白 (白は「自」)で 助ける」と書く。「ある人と並んで助ける」こと。

神は「助けようとして」私と並んでいまし給う。

† 心のデボーション

「その名はインマヌエルと稱(とな)へられん」 マタイ1:23 大正文語訳聖書

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」 新共同訳聖書

「足跡」

あしあと  Margaret Fishback Powers

One night I dreamed a dream.
I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
one belonging to me
and one to my Lord.

When the last scene of my life shot before me
I looked back at the footprints in the sand.
There was only one set of footprints.
I realized that this was at the lowest and saddest times in my life.

This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.
“Lord, you told me when I decided to follow You,
You would walk and talk with me all the way.
But I’m aware that during the most troublesome times of my life there is only one set of footprints.
I just don’t understand why, when I needed You most,
You leave me.”

He whispered, “My precious child,
I love you and will never leave you
never, ever, during your trials and testings.
When you saw only one set of footprints
it was then that I carried you.”

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。

—- Margaret Fishback Powers

(この詩はかつて作者不詳で、英語、日本語ともにいくつかのバージョンがあったが、現在は、原作、日本語翻訳ともに著作権が認められている)

† 心のデボーション

「『見よ(驚くことに)、おとめ(処女)が子を宿して(身ごもって)子(息子、男の子)を産む。そしてその名はインマヌエルと呼ばれる』 訳すと、『彼は我らと共におられる(我らの中央におられる)神である』である」 マタイ1:23 私詳訳

「根源にいます神」

「インマヌエルの神」は「我らの中央におられる神」である。神は存在の「中央」に在す。神の在すところ、そこが「中央」である。中央とは根源のことである。

† 心のデボーション

「『視よ、處女みごもりて子を生まん。 その名はインマヌエルと稱へられん』 之を釋けば、神われらと偕に在すといふ意なり」 マタイ1:23 大正文語訳聖書

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」 新共同訳聖書

「探したもう主」

イエスは「インマヌエル ᾽Εμμανουήλ」と呼ばれた。「共にいます神」という意味である。イエスは傍観者ではなく、人を探し求めて止まないが故に「インマヌエル」と呼ばれる。

若い人は「人が怖い」といい、子どもは「友達が怖い」という。自分を支える真の人間関係がなければ、その怖さから立ち直ることはできない。自分を探し求める人との出会いがないと嘆いてはならない。人はすでに出会っているのだから。

† 心のデボーション

「視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと稱(とな)へられん』之を釋(と)けば、神われらと偕に在すといふ意(こころ)なり」 マタイ1:23 大正文語訳聖書

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」 新共同訳聖書

「私の神」

「インマヌエル 神は我々と共におられる」は人間の願いによるのではなく、神の意志による。

人は都合の良い時にだけ「インマヌエル」を口にするが、都合の悪い時には「今はちょっとご遠慮ください」という。

「インマヌエル」が神の御意志によるとき、神は我らのあらゆる事柄に共におられるのであって、人は自らの都合によって拒むことはできない。私の都合の良い時も、悪い時も、神は「私の神」である。

(†心のデボーション00734)

† 心のデボーション

「視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと稱(とな)へられん』之を釋(と)けば、神われらと偕に在すといふ意(こころ)なり」 マタイ1:23 大正文語訳聖書

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」 新共同訳聖書

「インマヌエルの信仰」

神我らと共にいます。我ら神の内にいます。神我らの内にいます。それぞれ「インマヌエルの信仰」である。

† 細き聲 説教

「インマヌエル 神われらと偕に在す」

「視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと稱(とな)へられん』之を釋(と)けば、神われらと偕に在すといふ意(こころ)なり」 マタイ1:23 大正文語訳聖書

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」 新共同訳聖書

本節はイザヤからの引用である。

「それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(イザヤ7:14 新共同訳聖書)

アラムの王レツインとイスラエルの王ペカがエルサレムを攻撃したとき、国家存亡の危機に預言者イザヤがユダの王アハズに告げた言葉である。

「インマヌエル ᾽Εμμανουήλ」については二つの聖書翻訳がある。

その一つは新共同訳である。

「ユダにみなぎり、首に達し、溢れ、押し流す。その広げた翼は、インマヌエルよ、あなたの国土を覆い尽くす」(イザヤ8:8,10 新共同訳聖書)

共同訳は「広げた翼」を「アッシリアの猛威」と解釈する。多くの訳はこれを採用する。

もう一つは新改訳である。

「ユダに流れ込み、押し流して進み、首にまで達する。インマヌエル。その広げた翼はあなたの国の幅いっぱいに広がる」(イザヤ8:8,10 新改訳聖書)

新改訳は「広げた翼」をイスラエルの希望としての「インマヌエル」ととる。

マタイ福音書は夢に主の使いがヨセフに現われ、妻マリヤが男の子を産み、その名をイエスと名づけるるべきこと、そしてイエスは預言者イザヤが預言したとおり「インマヌエル」と呼ばれると告げる。(マタイ1:18~25)

「インマヌエル ᾽Εμμανουήλ エムマヌーエーる Emmanouēl {em-man-oo-ale‘}」はヘブライ語で「神我らと共に」の意味である。

「アッシリアの猛威」が「広げた翼のように国の幅いっぱいに広がる」とき、神のインマヌエルはその「翼」を大きく広げ、迫り来る危機の上をおおうのである。

創世記に神が天と地を創造されたとき、「地は形なく、何もなく、やみが大いなる水の上に」あった。そして「神の霊が水の上を動いていた」(創世1:2  新改訳聖書)

「動く רחף  ラカフ rachaph {raw-khaf’}」は「震える、震う」で、「羽ばたく、舞いかける、おおう」の意味である。

地は混沌としていたが、神の霊は母鳥のように翼をひろげ、雛の上を羽ばたき舞うのである。

神は創造のはじめに「インマヌエル」であられ、預言者の時代に「インマヌエル」の約束をされ、そしてイエスが「インマヌエル」として現われ給うのである。

すべてが混沌に覆われ、存在の危機の迫るときにも、神はその翼を大きく広げ、母鳥のようにわたしのうえを舞いかけられる。

「視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり」 マタイ28:20 大正文語訳聖書

(皆川誠)

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