マタイによる福音書26章43節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観  「ゲッセマネの祈り」 

マタイ26:36~46  マルコ14:32~42  ルカ22:39~46

Matt.26:43またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである(そして、彼らはどうお答えしてよいか、わからなかった。マルコ14:40)。 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.26:43 

【漢訳聖書】
Matt.26:43 又返、見其仍寝、以其自倦也。

【明治元訳】
Matt.26:43 來りて又かれらの寢たるを見これ彼等の目疲たる也

【大正文語訳】
Matt.26:43 復きたりて彼らの眠れるを見たまふ、是その目疲れたるなり。

【ラゲ訳】
Matt.26:43 又再至りて彼等の眠れるを見給へり、蓋彼等の目疲れたるなり。

【口語訳】
Matt.26:43 またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。

【新改訳改訂3】
Matt.26:43 イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。

【新共同訳】
Matt.26:43 再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。

【聖書協会共同訳】
Matt.26:43 再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたが重くなっていたのである。

【バルバロ訳】
Matt.26:43 それからまた帰ってきて、弟子たちが眠っているのを見られた。弟子たちの目は重くなっていた。

【フランシスコ会訳】
Matt.26:43 そして、また戻ってこられると、また弟子たちが眠っているのをご覧になった。彼らのまぶたは重かったのである。

【日本正教会訳】
Matt.26:43 來りて、復彼等の寢ぬるを見る、其目倦みたればなり。

【塚本虎二訳】
Matt.26:43 また来て見られると、彼らはまたもや眠っていた。(悲しみのために疲れて、)瞼が重かったのである。

【前田護郎訳】
Matt.26:43 また来てみると彼らは眠っていた。まぶたが重かったのである。

【永井直治訳】
Matt.26:43 かくて彼は來りて復た寢ぬる彼等を見出だし給ふ。そは彼等の目疲れたればなり。

【詳訳聖書】
Matt.26:43 そして彼はまた来て彼らが眠っているのを見られた。彼らの目は眠けのため重たかったのである。

† 聖書引照 Matt.26:43 

Matt.26:43 再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたが重くなっていたのである。

[再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたが重くなっていたのである]  箴言23:34; ヨハ1:6; ルカ9:32; 使徒20:9; ロマ13:1; Ⅰテサ5:6~8

† ギリシャ語聖書 Matt.26:43 

Stephens 1550 Textus Receptus
και ελθων ευρισκει αυτουσ παλιν καθευδοντας ησαν γαρ αυτων οι οφθαλμοι βεβαρημενοι

Scrivener 1894 Textus Receptus
και ελθων ευρισκει αυτουσ παλιν καθευδοντας ησαν γαρ αυτων οι οφθαλμοι βεβαρημενοι

Byzantine Majority
και ελθων ευρισκει αυτουσ παλιν καθευδοντας ησαν γαρ αυτων οι οφθαλμοι βεβαρημενοι

Alexandrian
και ελθων παλιν ευρεν αυτουσ καθευδοντας ησαν γαρ αυτων οι οφθαλμοι βεβαρημενοι

Hort and Westcott
και ελθων παλιν ευρεν αυτουσ καθευδοντας ησαν γαρ αυτων οι οφθαλμοι βεβαρημενοι

† ギリシャ語聖書 Interlinear

Matt.26:43

καὶ ἐλθὼν πάλιν εὖρεν αὐτοὺς καθεύδοντας, ἦσαν γὰρ αὐτῶν οἱ ὀφθαλμοὶ βεβαρημένοι.

聖書協会共同訳聖書

再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたが重くなっていたのである。

καὶ  ἐλθὼν   πάλιν  εὖρεν     αὐτοὺς   καθεύδοντας,
And   coming   again   he found    them    sleeping,

ἦσαν γὰρ  αὐτῶν   οἱ   ὀφθαλμοὶ  βεβαρημένοι.
for were   of them   the   eyes   having been burdened.

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.26:43

καὶ ἐλθὼν πάλιν εὖρεν αὐτοὺς καθεύδοντας, ἦσαν γὰρ αὐτῶν οἱ ὀφθαλμοὶ βεβαρημένοι.

† ヘブライ語聖書 Matt.26:43 

Matt.26:43

הוּא חָזַר וְשׁוּב מָצָא אוֹתָם יְשֵׁנִים, כִּי עֵינֵיהֶם הָיוּ כְּבֵדוֹת

† ラテン語聖書 Matt.26:43 

Latin Vulgate
Matt.26:43

Et venit iterum, et invenit eos dormientes: erant enim oculi eorum gravati.
And again, he went and found them sleeping, for their eyes were heavy.

† 私訳(詳訳)Matt.26:43 

【私訳】 「また、戻ってこられると、弟子たちが眠っているのを見つけられた。というのも彼らの目は重たかったのである」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.26:43

καὶ ἐλθὼν πάλιν εὖρεν αὐτοὺς καθεύδοντας, ἦσαν γὰρ αὐτῶν οἱ ὀφθαλμοὶ βεβαρημένοι.

聖書協会共同訳聖書

再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたが重くなっていたのである。

【そして】καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【また】πάλιν  πάλιν  パりン  palin {pal‘-in} (ab 副詞)

1)逆の方向に、引き返して 2)元に、元の方向に、戻って、また、再び、~とも 3)後ろに 4)もう一度、こんどは、他方では

(G3825 πάλιν Probably from the same as 3823 (through the idea of oscillatory repetition); (adverbially) anew, that is, (of place) back, (of time) once more, or (conjugationally) furthermore or on the other hand: – again.  Internet Sacred Text Archive)

【戻ってこられると】ἐλθὼν  ἔρχομαι エルこマイ  erchomai {er‘-khom-ahee} (vpaanm-s 分詞・2アオ能主男単)

1)来る、やってくる、~しにやってくる 2)近づく、臨む、達する 3)着く、到着する 4)現れる 5)上がる、下る

(G2064 ἔρχομαι Middle voice of a primary verb (used only in the present and imperfect tenses, the others being supplied by a kindred [middle voice] word, ἐλεύθομαι eleuthomai or ἕλθω elthō ; which do not otherwise occur); to come or go (in a great variety of applications, literally and figuratively): – accompany, appear, bring, come enter, fall out, go, grow, X light, X next, pass, resort, be set.  Internet Sacred Text Archive)

【弟子たちが】αὐτοὺς  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘} (npam3p 代名詞・対男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 ofthe third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive)

【眠っているのを】καθεύδοντας  καθεύδω  カてウドー  katheudō {kath-yoo‘-do} (vppaam-p 分詞・現能対男複)

1)知らず知らず眠る、居眠りする 2)眠る、眠っている、寝ている、睡眠中である 3)何もしないでいる 4)死んでいる、永眠している

(G2518 καθεύδω From 2596 and εὕδω heudō (to sleep); to lie down to rest, that is, (by implication) to fall asleep (literally or figuratively): – (be a-) sleep.  Internet Sacred Text Archive)

マタ8:24; 13:25; 26:40,43,45;  マル13:36; 14:47,40,41;  ルカ22:46;  ピリ5:14;  Ⅰテサ5:6,7,10

ἦσαν  εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘} (viia–3p+ 動詞・直・未完・能・3複)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

(G1510 εἰμί  First person singular present indicative; a prolonged form of a primary and defective verb; I exist (used only when emphatic): – am, have been, X it is I, was. See also 1488 1498 1511 1527 2258 2071 2070 2075 2076 2771 2468 5600.  Internet Sacred Text Archive)

【ご覧になった】εὖρεν  εὑρίσκω ヘウリスコー  heuriskō {hyoo-ris‘-ko} (viaa–3s 動詞・直・2アオ・能・3単)

1)見出す、見つける、発見する、尋ね出す 2)探した末に見つける、捜し出す、判明する、見抜く、看破する、認める3)わかる、悟る 3)考え出す 4)手に入れる、獲得する、我がものとする

(G2147 εὑρίσκω A prolonged form of a primary word εὕρω heurō ; which (together with another cognate form, εὑρέω heureō ) is used for it in all the tenses except the present and imperfect; to find (literally or figuratively): – find, get, obtain, perceive, see.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:18;2:8: 7:7,8,14; 8:10; 13:14,46; 24:46;  マル11:2; 14:16;  ルカ2:12; 6:7;7:9; 9:36; 12:37; 17:18;18:8;  ヨハ2:14; 11:17; 18:38; 19:4,6  Ⅱテモ1:17;  Ⅱテモ1:17etc.

【というのは】γὰρ  γάρ  ガル gar {gar} (cs 接続詞・従位)

1)なぜなら、というのは、その理由は、だから 2)すなわち、では、いったい、結局 4)確かに、もちろん、だって

(G1063 γάρ A primary particle; properly assigning a reason (used in argument, explanation or intensification; often with other particles): – and, as, because (that), but, even, for indeed, no doubt, seeing, then, therefore, verily, what, why, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【彼らの】αὐτῶν  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘} (npgm3p 代名詞・属男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 ofthe third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive)

【目は】ὀφθαλμοὶ  ὀφθαλμός  オふたるモス  ophthalmos {of-thal-mos‘} (n-nm-p 名詞・主男複)

1)目、眼 2)視力、視界 3)眼のように大切なもの、すばらしいもの 4)理解力、心の目 5) 芽

(G3788  ὀφθαλμός From 3700 the eye (literally or figuratively); by implication vision; figuratively envy (from the jealous side glance): – eye, sight.  Internet Sacred Text Archive)

マタ5:29,38; 6:22,23; 7:3,4,5; 9:29,30; 13:15,16; 17:8; 18:9; 20:15,33; 21:42; 26:43;  マル8:18,25; 9:47; 12:11; 14:40 etc.

【重かったのである】βεβαρημένοι  βαρέως  バレオース  bareōs {bar-eh‘-oce} (+vprpnm-p 分詞・完了受主男複)

1)重く、重くする 2)辛うじて 3)重荷を負って、困難をもって 4)~しにくく 5)耳が遠い

(G917 βαρέως Adverb from 926 heavily (figuratively): – dull.  Internet Sacred Text Archive)

マタ13:15;  使徒28:27

† 英語訳聖書 Matt.26:43 

King James Version
26:43 And he came and found them asleep again: for their eyes were heavy.

New King James Version
26:43 And He came and found them asleep again, for their eyes were heavy.

American Standard Version
26:43 And he came again and found them sleeping, for their eyes were heavy.

New International Version
26:43 When he came back, he again found them sleeping, because their eyes were heavy.

Bible in Basic English
26:43 And he came again and saw them sleeping, for their eyes were tired.

Today’s English Version
26:43 He returned once more and found the disciples asleep; they could not keep their eyes open.

Darby’s English Translation
26:43 And coming he found them again sleeping, for their eyes were heavy.

Douay Rheims
26:43 And he cometh again and findeth them sleeping: for their eyes were heavy.

Noah Webster Bible
26:43 And he came and found them asleep again: for their eyes were heavy.

Weymouth New Testament
26:43 He came and again found them asleep, for they were very tired.

World English Bible
26:43 He came again and found them sleeping, for their eyes were heavy.

Young’s Literal Translation
26:43 and having come, he findeth them again sleeping, for their eyes were heavy.

† 細き聲 聖書研究ノート

Matt.26:43

καὶ ἐλθὼν πάλιν εὖρεν αὐτοὺς καθεύδοντας, ἦσαν γὰρ αὐτῶν οἱ ὀφθαλμοὶ βεβαρημένοι.

聖書協会共同訳聖書

再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたが重くなっていたのである。

 <またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである>

イエスが弟子たちのところに来られると、弟子たちは、また、眠っていた。彼らはイエスと起きていることができなかった。

 <復きたりて彼らの眠れるを見たまふ、是その目疲れたるなり>

イエスが再びペテロ、ヤコブ、ヨハネの所に来られると、やはり彼らは寝入ってしまっていた。

† 心のデボーション

「復きたりて彼らの眠れるを見たまふ、是その目疲れたるなり」 マタイ26:43 大正文語訳聖書

「そして、また戻ってこられると、また弟子たちが眠っているのをご覧になった。彼らのまぶたは重かったのである」 フランシスコ会訳聖書

 「その目は重たかった」

弟子たちはイエスが「汗を血のように流されて」祈るイエスの間近にいながら再び「寝入って」しまう。この時「異常な眠り」が弟子たちを襲ったのかもしれない。彼らの目は「重たかった βαρέως  バレオース  bareōs {bar-eh‘-oce} 」は「重荷を負う」の意味。魂の耐えることのできない霊的な深みがあるのかもしれない。イエスは、私たちの魂が「目を閉じる」「重み」を負い給う。

† 細き聲 説教 

 「わたしと一緒に祈れ」

「復きたりて彼らの眠れるを見たまふ、是その目疲れたるなり」 マタイ26:43 大正文語訳聖書

「そして、また戻ってこられると、また弟子たちが眠っているのをご覧になった。彼らのまぶたは重かったのである」 フランシスコ会訳聖書

イエスが再び、弟子たちのところに来られると、弟子たちは、また、寝入っていた。彼らはイエスと起きていることができなかったのである。

イエスは何故、繰り返し、祈りの場から離れて、弟子たちにところに来られたのだろうか? イエスは弟子たちに「わたしと一緒に目をさましていなさい」(マタイ26:38 口語訳聖書)と求められている。それは、迫っている十字架が弟子たち自身の受けるべきものであるからではなかったか? イエスは御自身のために「わたしと一緒に目をさましていなさい」と乞われるのではなく、「あなた自身の罪と救いのために、わたしと一緒に目をさましていなさい」と言われ、眠っている弟子たちのところに繰り返し「目を覚ます」ように促されたのではなかったか?

このとき弟子たちを襲った異常な「睡魔」は、単なる日中の疲れからくるものではなく、イエスと共に祈ることを妨げる霊的な意味をもつ睡魔であるのかもしれない。

(皆川誠)

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