マタイによる福音書25章2節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「十人のおとめの譬え」 

マタイ25:1~13

Matt.25:2その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.25:2 

【漢訳聖書】
Matt.25:2 其中愚五智五。

【明治元訳】
Matt.25:2 その中の五人は智く五人は愚なり

【大正文語訳】
Matt.25:2 その中の五人は愚にして五人は慧し。

【ラゲ訳】
Matt.25:2 其中五人は愚にして五人は賢し、

【口語訳】
Matt.25:2 その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。

【新改訳改訂3】
Matt.25:2 そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。

【新共同訳】
Matt.25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

【聖書協会共同訳】
Matt.25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

【バルバロ訳】
Matt.25:2 そのうちの五人は愚か者で、五人は賢い。

【フランシスコ会訳】
Matt.25:2 その中の五人は愚かで、五人は賢かった。

【日本正教会訳】
Matt.25:2 其中の五人は智く、五人は愚なり。

【塚本虎二訳】
Matt.25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

【前田護郎訳】
Matt.25:2 その五人は愚かで五人は賢かった。

【永井直治訳】
Matt.25:2 然るにそのうち五〔人〕は怜き者にて五〔人〕は愚なる者なりき。

【詳訳聖書】
Matt.25:2 そのうち五人は愚かであった<思慮がなかった、さきの考えがなかった>が、五人は賢かった<分別があり、聡明で、思慮深かった>。

† 聖書引照 Matt.25:2 

Matt.25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

[そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった]  マタ7:24~27; 13:19~23,38~43,47,48; 22:10,11; エレ24:2; Ⅰコリ10:1~5; Ⅰヨハ2:19; ユダ1:5

† ギリシャ語聖書 Matt.25:2 

Stephens 1550 Textus Receptus
πεντε δε ησαν εξ αυτων φρονιμοι και αι πεντε μωραι

Scrivener 1894 Textus Receptus
πεντε δε ησαν εξ αυτων φρονιμοι και αι πεντε μωραι

Byzantine Majority
πεντε δε ησαν εξ αυτων φρονιμοι και αι πεντε μωραι

Alexandrian
πεντε δε εξ αυτων ησαν μωραι και πεντε φρονιμοι

Hort and Westcott
πεντε δε εξ αυτων ησαν μωραι και πεντε φρονιμοι

† ギリシャ語聖書 Interlinear

Matt.25:2

πέντε δὲ ἐξ αὐτῶν ἦσαν μωραὶ καὶ πέντε φρόνιμοι.

聖書協会共同訳聖書

そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

πέντε δὲ  ἐξ  αὐτῶν   ἦσαν   μωραὶ   καὶ  πέντε   φρόνιμοι.
Now five   of   them     were   foolish   and   five      prudent.

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.25:2

πέντε δὲ ἐξ αὐτῶν ἦσαν μωραὶ καὶ πέντε φρόνιμοι.

† ヘブライ語聖書 Matt.25:2 

Matt.25:2

ָמֵשׁ מֵהֶן הָיוּ כְּסִילוֹת וְחָמֵשׁ הָיוּ נְבוֹנוֹת

† ラテン語聖書 Matt.25:2 

Latin Vulgate
Matt.25:2

Quinque autem ex eis erant fatuæ, et quinque prudentes:
But five of them were foolish, and five were prudent.

† 私訳(詳訳)Matt.25:2 

【私訳】 「そして、その中の五人は愚かで、五人は賢かった」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.25:2

πέντε δὲ ἐξ αὐτῶν ἦσαν μωραὶ καὶ πέντε φρόνιμοι.

聖書協会共同訳聖書

そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

【そして】δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

(G1161 δέ A primary particle (adversative or continuative); butand, etc.: – also, and, but, moreover, now [often unexpressed in English].  Internet Sacred Text Archive)

【その】αὐτῶν  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘} (npgf3p 代名詞・属女3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 ofthe third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive)

【中の】ἐξ  ἐκ エク  ek ex {ek, ex} (pg 前置詞・属)

1)から、~の中から 2)~の外に、~から外へ、~から出て 3)によって 4)で  (動作の出発点を示す) 5)のために

(G1537  ἐκ A primary preposition denoting origin (the point whence motion or action proceeds), fromout (of place, time or cause; literally or figuratively; direct or remote): – after, among, X are, at betwixt (-yond), by (the means of), exceedingly, (+ abundantly above), for (-th), from (among, forth, up), + grudgingly, + heartily, X heavenly, X hereby, + very highly, in, . . . ly, (because, by reason) of, off (from), on, out among (from, of), over, since, X thenceforth, through, X unto, X vehemently, with (-out). Often used in composition, with the same general import; often of completion.  Internet Sacred Text Archive)

【五人は】πέντε  πέντε  ペンテ  pente {pen‘-the} (apcnf-p 数詞・主女複)

五の

(G4002 πέντε A primary number; “five”: – five.  Internet Sacred Text Archive)

【愚か】μωραὶ μωρός  モーロス mōros {mo-ros‘} (a–nf-p 形容詞・主女複)

1)愚かな、馬鹿な、ぐずの、のろのろした 2)気の抜けた、味のない

ヘブル語 marah  「そむく、手に負えない」から来た言葉で、英語 moron 魯鈍、痴愚の語源

(G3474 μωρός Probably form the base of 3466 dull or stupid (as if shut up), that is, heedless, (morally) blockhead, (apparently) absurd: – fool (-ish, X -ishness).  Internet Sacred Text Archive)

マタ5:22; 7:26; 23:17; 25:2,3,8;  Ⅰコリ1:25,27; 3:18; 4:10;  Ⅱコリ2:23;  テト3:9

【で】ἦσαν  εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘} (viia–3p 動詞・直・未完・能・3複)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

(G1510 εἰμί  First person singular present indicative; a prolonged form of a primary and defective verb; I exist (used only when emphatic): – am, have been, X it is I, was. See also 1488 1498 1511 1527 2258 2071 2070 2075 2076 2771 2468 5600.  Internet Sacred Text Archive)

【そして】καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【五人は】πέντε  πέντε  ペンテ  pente {pen‘-the} (apcnf-p 数詞・主女複)

五の

(G4002 πέντε A primary number; “five”: – five.  Internet Sacred Text Archive)

【賢かった】φρόνιμοι  φρόνιμος  ふロニモス  phronimos {fron‘-ee-mos} (a–nf-p 形容詞・主女複)

1)物わかりのよい、わけの分かった、分別のある、冷静な 2)賢い、賢明な、思慮深い、理解力の鋭い 4)慎重な、利口な、抜け目のない、利口な、知力の備えた、見識のある

(G5429 φρόνιμος  From 5424 thoughtful, that is, sagacious or discreet (implying a cautious character; while 4680 denotes practical skill or acumen; and 4908 indicates rather intelligence or mental acquirement); in a bad sense conceited (also in the comparative): – wise (-r).  Internet Sacred Text Archive)

マタ7:24; 10:16; 24:45; 25:2,4,8,9;  ルカ12:42;  ロマ11:25; 12:16;  Ⅰコリ4:10; 10:15;  Ⅱコリ11:19;

† 英語訳聖書 Matt.25:2 

King James Version
25:2 And five of them were wise, and five [were] foolish.

New King James Version
25:2 “Now five of them were wise, and five were foolish.

American Standard Version
25:2 And five of them were foolish, and five were wise.

New International Version
25:2 Five of them were foolish and five were wise.

Bible in Basic English
25:2 And five of them were foolish, and five were wise.

Today’s English Version
25:2 Five of them were foolish, and the other five were wise.

Darby’s English Translation
25:2 And five of them were prudent and five foolish.

Douay Rheims
25:2 And five of them were foolish, and five wise.

Noah Webster Bible
25:2 And five of them were wise, and five were foolish.

Weymouth New Testament
25:2 Five of them were foolish and five were wise.

World English Bible
25:2 Five of them were foolish, and five were wise.

Young’s Literal Translation
25:2 and five of them were prudent, and five foolish;

† 細き聲 聖書研究ノート

Matt.25:2

πέντε δὲ ἐξ αὐτῶν ἦσαν μωραὶ καὶ πέντε φρόνιμοι.

聖書協会共同訳聖書

そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

 <その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった>

花嫁の十人の友人のうち、「五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者」であった。

 <その中の五人は愚にして五人は慧し>

ユダヤの婚宴は花婿が帰宅してから1週間続いた。新郎新婦はもとより、招かれた者たちにとっても至福の一週間であった。

しかし、花嫁の家で花婿を出迎えるために集まった「十人の乙女」のうち五人は賢かったが、五人は愚かだった。

「愚か μωρός  モーロス」は「ぐずの、のろのろした」の意味。

「賢い φρόνιμος  ふロニモス」は「分別があり、冷静で、理解力の鋭い」の意味。

† 心のデボーション

「その中の五人は愚にして五人は慧し」 マタイ25:2 大正文語訳聖書

「そのうち五人は愚かで、五人は賢かった」 新改訳聖書

 「賢い乙女と愚かな乙女」

「十人の乙女」うち五人は賢かったが、残りの五人は愚かだった。しかし、美しく着飾り、通りに出て踊りながら花婿の到着を待つ姿からは、誰が賢く、誰が愚かなのかはわからない。結婚するなら、「愚かな乙女」ではなく「賢い乙女」を選びたい。だが、男の目に「十人の乙女」はみな美しく聡明に見える。

† 心のデボーション

「その中の五人は愚にして五人は慧し」 マタイ25:2 大正文語訳聖書

「そのうち五人は愚かで、五人は賢かった」 新改訳聖書

 「優れた愚か人」

「愚かな人」は判断力に欠けた人である。「賢い人」とは「慎重で、細心な、用心深い、分別のある人」のことである。頭脳が優れている人の中に判断力に欠けた「愚かな人」はおり、頭脳は普通の人の中にも理解力の鋭い「賢い人」がいる。

† 心のデボーション

「その中の五人は愚にして五人は慧し」 マタイ25:2 大正文語訳聖書

「そのうち五人は愚かで、五人は賢かった」 新改訳聖書

 「悦びの務め」

神の祝宴に招かれたのは祝宴にあずかる者である。祝宴になくてならぬ悦びの務めに選ばれ、祝宴をなす者である。神は私をそのような者としてこの地に置かれた。

† 細き聲 説教 

 「神の国を待ち望む」

「その中の五人は愚にして五人は慧し」 マタイ25:2 大正文語訳聖書

「そのうち五人は愚かで、五人は賢かった」 新改訳聖書

花嫁の十人の友人のうち、「五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者」であった。

「愚か μωρός  モーロス」は「ぐずの、のろのろした」の意味。

「賢い φρόνιμος  ふロニモス」は「分別があり、冷静で、理解力の鋭い」の意味。

「神の国」を待ち望むために選ばれた者たちの半数は分別のある賢い者であったが、半数はぐずぐずした愚か者であった。譬えは、賢い者も愚かな者も共に「神の国」を待ち望むことを告げている。賢い者は賢く待ち望み、愚か者は愚かに待ち望むのである。神の国を「待ち望む者」が、すべて喜びの婚礼にあずかるのではない。

この「賢さ」は能力や知性のあるなしではない。備えをもって待ち望むか否かが問われるのである。この「備え」は外からでは分からない。花婿が現れる時に、明らかにされるのである。

信仰の「備え」とは神の御言葉への「鋭い理解力」にある。

(皆川誠)

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