† 福音書縦観 「目を覚ましていなさい」
マタイ24:36~44 マルコ13:32~37 ルカ17:26: 26~30,34~35
Matt.24:37人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。(そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう ルカ17:26)口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.24:37
【漢訳聖書】
Matt.24:37 蓋如挪亞之日、人子之臨亦然。
【明治元訳】
Matt.24:37 ノアの時の如く人の子の來るも亦然らん
【大正文語訳】
Matt.24:37 ノアの時のごとく人の子の來るも然あるべし。
【ラゲ訳】
Matt.24:37 ノエの日に於る如く、人の子の來るも亦然らん。
【口語訳】
Matt.24:37 人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。
【新改訳改訂3】
Matt.24:37 人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
【新共同訳】
Matt.24:37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
【聖書協会共同訳】
Matt.24:37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
【バルバロ訳】
Matt.24:37 人の子の来臨はノアの日々と同じである。
【フランシスコ会訳】
Matt.24:37 人の子が来臨する時は、ちょうどノアの時と同様である。
【日本正教会訳】
Matt.24:37 然れどもノイの日の如く、人の子の來るも亦是くの如くならん。
【塚本虎二訳】
Matt.24:37 人の子の来臨は、ちょうどノアの(洪水の)時のようであるから。
【前田護郎訳】
Matt.24:37 人の子の来臨はノアの日のごとくであろう。
【永井直治訳】
Matt.24:37 さればかのノアの日の如く、人の子の到來もその如くあるべし。
【詳訳聖書】
Matt.24:37 人の子の来るのはノアの時と同様である。
† 聖書引照 Matt.24:37
Matt.24:37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
[人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである] 創世6;7; ヨブ22:15~17; ルカ17:26,27; ヘブ11:7; Ⅰペテ3:20,21; Ⅱペテ2:5; 3:6
† ギリシャ語聖書 Matt.24:37
Stephens 1550 Textus Receptus
ωσπερ δε αι ημεραι του νωε ουτως εσται και η παρουσια του υιου του ανθρωπου
Scrivener 1894 Textus Receptus
ωσπερ δε αι ημεραι του νωε ουτως εσται και η παρουσια του υιου του ανθρωπου
Byzantine Majority
ωσπερ δε αι ημεραι του νωε ουτως εσται και η παρουσια του υιου του ανθρωπου
Alexandrian
ωσπερ γαρ αι ημεραι του νωε ουτως εσται η παρουσια του υιου του ανθρωπου
Hort and Westcott
ωσπερ γαρ αι ημεραι του νωε ουτως εσται η παρουσια του υιου του ανθρωπου
† ギリシャ語聖書 Interlinear
Matt.24:37
ὥσπερ γὰρ αἱ ἡμέραι τοῦ νῶε, οὕτως ἔσται ἡ παρουσία τοῦ υἱοῦ τοῦ ἀνθρώπου.
聖書協会共同訳聖書
人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
ὥσπερ γὰρ αἱ ἡμέραι τοῦ νῶε, οὕτως ἔσται ἡ παρουσία τοῦ υἱοῦ τοῦ ἀνθρώπου.
For as the days of Noah, so will be the presence of the Son of man.
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.24:37
ὥσπερ γὰρ αἱ ἡμέραι τοῦ νῶε, οὕτως ἔσται ἡ παρουσία τοῦ υἱοῦ τοῦ ἀνθρώπου.
† ヘブライ語聖書 Matt.24:37
Matt.24:37
כִּימֵי נֹחַ כֵּן יִהְיֶה בּוֹאוֹ שֶׁל בֶּן־הָאָדָם
† ラテン語聖書 Matt.24:37
Latin Vulgate
Matt.24:37
Sicut autem in diebus Noe, ita erit et adventus Filii hominis.
And just as in the days of Noah, so also will be the advent of the Son of man.
† 私訳(詳訳)Matt.24:37
【私訳】 「人の子が来られる時は、ちょうどノアの時と同じである」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.24:37
ὥσπερ γὰρ αἱ ἡμέραι τοῦ νῶε, οὕτως ἔσται ἡ παρουσία τοῦ υἱοῦ τοῦ ἀνθρώπου.
聖書協会共同訳聖書
人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
【人の】ἀνθρώπου ἄνθρωπος アンとローポス anthrōpos {anth‘-ro-pos} (n-gm-s 名詞・属男)
1)人間、人、人類 2)男、夫 3)ある人、或る者、この人
(G444 ἄνθρωπος From 435 and ὤψ ōps (the countenance; from 3700 ; manfaced, that is, a human being: – certain, man. Internet Sacred Text Archive)
【子が】υἱοῦ υἱός フゅィオス huios {hwee-os’} (n-gm-s 名詞・属男)
1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子
「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן ベーン ben {bane} 息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。
(G5207 υἱός Apparently a primary word; a “son” (sometimes of animals), used very widely of immediate, remote or figurative kinship: – child, foal, son. Internet Sacred Text Archive)
マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45; Ⅱコリ6:18; ガラ3:7
【来臨する時は】παρουσία παρουσία パルーシア parousia {par-oo-see‘-ah} (n-nf-s 名詞・主女単)
1) 来られる時 2)到来、到着、来臨 3)現前、臨席、目の前にいること 4)王の訪問 5)キリストの再臨
(G3952 αρουσία From the present participle of 3918 a being near, that is, advent (often, return; specifically of Christ to punish Jerusalem, or finally the wicked); (by implication) physical aspect: – coming, presence. Internet Sacred Text Archive)
【ちょうど】ὥσπερ ὥσπερ ホースぺル hōsper {hoce‘-per} (cs 接続詞・従位)
1)のように 2)ちょうど~のように 3)~と同じく 4)いわば、あたかも
(G5618 ὥσπερ From 5613 and 4007 just as, that is, exactly like: – (even, like) as. Internet Sacred Text Archive)
γὰρ γάρ ガル gar {gar} (cs 接続詞・従位)
1)なぜなら、というのは、その理由は、だから 2)すなわち、では、いったい、結局 4)確かに、もちろん、だって
(G1063 γάρ A primary particle; properly assigning a reason (used in argument, explanation or intensification; often with other particles): – and, as, because (that), but, even, for indeed, no doubt, seeing, then, therefore, verily, what, why, yet. Internet Sacred Text Archive)
【ノアの】νῶε Νῶε ノーエ Nōe {no‘-eh} (n-gm-s 名詞・属男単)
ノア ヘブライ名「休息」
(G3575 Νῶε Of Hebrew origin [5146 ; Noe, (that is, Noach), a patriarch: – Noe. Internet Sacred Text Archive)
【時と】ἡμέραι ἡμέρα ヘーメラ hēmera {hay-mer‘-ah} (n-nf-p 名詞・主女複)
1)日、時 2)昼間、日中 3)時期、時代 4)人生、生活
(G2250 ἡμέρα Feminine (with 5610 implied) of a derivative of ἧμαι hēmai (to sit; akin to the base of 1476 meaning tame, that is, gentle; day, that is, (literally) the time space between dawn and dark, or the whole 24 hours (but several days were usually reckoned by the Jews as inclusive of the parts of both extremes); figuratively a period (always defined more or less clearly by the context): – age, + alway, (mid-) day (by day, [-ly]), + for ever, judgment, (day) time, while, years. Internet Sacred Text Archive)
マタ2:1; 4:2; 7:22; 10:15; 12:40; 20:2; マル4:27; 5:5; ルカ2:37,44; 4:42; 6:13; 9:12; ヨハ1:39; 11:9; 使徒5:32; 9:24; 12:18; ロマ13:12,13; Ⅰテサ5:5,8; etc.
【同様で】οὕτως οὕτω フートー houtō {hoo‘-to} (ab 副詞)
1)次のように、このように、それ程に、こういう風にして 2)さあ、ぐずぐずせずに 3)そこで、かくて 4)それ故、だから 5)それほど、非常に
(G3779 οὕτω Or, before a vowel, οὕτως houtōs hoo‘-toce . From 3778 in this way (referring to what precedes or follows): – after that, after (in) this manner, as, even (so), for all that, like (-wise), no more, on this fashion (-wise), so (in like manner), thus, what. Internet Sacred Text Archive)
【ある】ἔσται εἰμί エイミ eimi {i-mee‘} (vifd–3s 動詞・直・未来・能欠・3単)
1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている
(G1510 εἰμί First person singular present indicative; a prolonged form of a primary and defective verb; I exist (used only when emphatic): – am, have been, X it is I, was. See also 1488 1498 1511 1527 2258 2071 2070 2075 2076 2771 2468 5600. Internet Sacred Text Archive)
† 英語訳聖書 Matt.24:37
King James Version
24:37 But as the days of Noe [were], so shall also the coming of the Son of man be.
New King James Version
24:37 “But as the days of Noah were, so also will the coming of the Son of Man be.
American Standard Version
24:37 And as were the days of Noah, so shall be the coming of the Son of man.
New International Version
24:37 As it was in the days of Noah, so it will be at the coming of the Son of Man.
Bible in Basic English
24:37 And as were the days of Noah, so will be the coming of the Son of man.
Today’s English Version
24:37 The coming of the Son of Man will be like what happened in the time of Noah.
Darby’s English Translation
24:37 But as the days of Noe, so also shall be the coming of the Son of man.
Douay Rheims
24:37 And as in the days of Noe, so shall also the coming of the Son of man be.
Noah Webster Bible
24:37 But as the days of Noah were, so will also the coming of the Son of man be.
Weymouth New Testament
24:37 ‘For as it was in the time of Noah, so it will be at the Coming of the Son of Man.
World English Bible
24:37 As the days of Noah, so will be the coming of the Son of Man.
Young’s Literal Translation
24:37 and as the days of Noah — so shall be also the presence of the Son of Man;
† 細き聲 聖書研究ノート
Matt.24:37
ὥσπερ γὰρ αἱ ἡμέραι τοῦ νῶε, οὕτως ἔσται ἡ παρουσία τοῦ υἱοῦ τοῦ ἀνθρώπου.
聖書協会共同訳聖書
人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
<人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう>
「人の子」はノアの大洪水の始まる日のように、突然おこるだろう。
<ノアの時のごとく人の子の來るも然あるべし>
人の子が来られる時、「ノアの時代」にあったと「同様なことが起る」。(ルカ17:26)
その日はノアの洪水が起きたと同じように突然やって来る。
<ノアの洪水>
創世記6~8章 ノアの時代に人々は堕落し、地は「暴虐」で満ちていた。神は「すべての肉なるものの終わり」が来たことをお認めになり、地に大洪水をおこされた。(創世記6:12~13)
† 心のデボーション
「ノアの時のごとく人の子の來るも然あるべし」 マタイ24:37 大正文語訳聖書
「人の子が来臨する時は、ちょうどノアの時と同様である」 フランシスコ会訳聖書
「ノアの洪水の記憶」
「ノアの洪水」の記憶を失ってはならない。それは「地に満ちた暴虐」が自らに来らす「終わりの日」であった。
地に積み上げられた悪の塔がその重みに耐えかねて自壊するかのようである。
† 心のデボーション
「ノアの時のごとく人の子の來るも然あるべし」 マタイ24:37 大正文語訳聖書
「人の子が来臨する時は、ちょうどノアの時と同様である」 フランシスコ会訳聖書
「ノアの洪水」
システィーナ礼拝堂の天井にあるミケランジェロの「ノアの洪水」では、神の警告を聞かなかった人々が描かれている。やや遠くに窓のない建物のような方舟があるが、すでに方舟に入ったノアと家族の姿は見えない。男たちが方舟にすがり、梯子をのばして屋根に登ろうとしている。
人々はそれぞれに「逃げ場」に身を避けようとするが、やがて洪水がすべてを飲み込む。
† 細き聲 説教
「ノアの日」
「ノアの時のごとく人の子の來るも然あるべし」 マタイ24:37 大正文語訳聖書
「人の子が来臨する時は、ちょうどノアの時と同様である」 フランシスコ会訳聖書
「人の子」はノアの大洪水の始まる日のように、突然おこるだろう。
人の子が来られる時、「ノアの時代」にあったと「同様なことが起る」。(ルカ17:26)その日はノアの洪水が起きたと同じように突然やって来る。
ノアの時代に「地上に人の悪が増大し、その心にはかることがみな、いつも悪に傾く」のを神はご覧になり、神は「創造された人を地の面から消し去る」御決意をなされた。(創世記6:5~7) しかし、地が堕落するなかでノアは「正しい人」であった。神はノアに大洪水を予告され、箱舟を建設するようお命じになった。(創世記6:13~22)
箱舟が完成するとノアとその家族は箱舟に入るように命じられた。7日後には40日40夜の豪雨が起こり、地のすべての生き物が地の面から消し去られると告げられて、ノアは人々に一緒に箱舟に入るよう説得したが誰一人信じる者はなく、ノアと家族が箱舟に入ると神がその戸を閉ざされた。やがて豪雨が始まると、不安に駆られて人々は箱舟に集まり、中に入ろうとしたが、神の閉ざされた戸はノアも開けることはできなかった。
「人の子」が来るのは、ノアの時のように、神はおおくの「しるし」を示して、その日を予告される。しかし、少数の信じる者を除いて、人々は悪の増大をとめようとはせず、箱舟を嗤う。しかし、雨は突然、降り始め、地に洪水が始まるが、神は箱舟の戸を自ら閉ざされ、乗ろうとするものの道は閉ざされてしまうだろう。
(皆川誠)
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