マタイによる福音書22章45節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「ダビデの子」 

マタイ22:41~46  マルコ12:35~37  ルカ10:41~44
マタイ22:41~46

Matt. 22:45このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」。 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.22:45 

【漢訳聖書】
Matt.22:45 夫大闢既稱基督爲主、則基督如何爲大闢之裔乎。

【明治元訳】
Matt.22:45 然ばダビデ既に之を主と稱たれば如何その子ならん乎

【大正文語訳】
Matt.22:45 斯くダビデ彼を主と稱ふれば、爭でその子ならんや』

【ラゲ訳】
Matt.22:45 然ればダヴィド彼を主と稱ふるに、彼爭でか其子ならんや、と。

【口語訳】
Matt.22:45 このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」。

【新改訳改訂3】
Matt.22:45 ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」

【新共同訳】
Matt.22:45 このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」

【聖書協会共同訳】
Matt.22:45 このように、ダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」

【バルバロ訳】
Matt.22:45 ダビドは彼を主と呼んでいるのに、なぜ子なのか」と言われた。

【フランシスコ会訳】
Matt.22:45 このように、ダビデはメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか」。

【日本正教会訳】
Matt.22:45 然らばダワィド彼を主と稱ふれば、如何ぞ彼は其子たる。

【塚本虎二訳】
Matt.22:45 だから、ダビデが(このように)救世主を主と呼んでいる以上、どういう訳で(その救世主が)ダビデの子であろうか。」

【前田護郎訳】
Matt.22:45 もしダビデが彼を主と呼ぶならば、どうして彼の子か」と。

【永井直治訳】
Matt.22:45 是の故にもしダビデ彼を主と呼ばば、如何にして彼はその子ならんや。

【詳訳聖書】
Matt.22:45 ダビデがこのように彼を主と呼んでいるならば、彼がどうしてその子なのか」。

† 聖書引照 Matt.22:45 

Matt.22:45 このように、ダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」

[このように、ダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか]  ヨハ8:58; ロマ1:3,4; 9:5; ピリ2:6-8; Ⅰテモ3:16; ヘブ2:14; 黙示22:16

† ギリシャ語聖書 Matt.22:45 

Stephens 1550 Textus Receptus
ει ουν δαβιδ καλει αυτον κυριον πως υιος αυτου εστιν

Scrivener 1894 Textus Receptus
ει ουν δαβιδ καλει αυτον κυριον πως υιος αυτου εστιν

Byzantine Majority
ει ουν δαβιδ καλει αυτον κυριον πως υιος αυτου εστιν

Alexandrian
ει ουν δαβιδ καλει αυτον κυριον πως υιος αυτου εστιν

Hort and Westcott
ει ουν δαβιδ καλει αυτον κυριον πως υιος αυτου εστιν

† ヘブライ語聖書 Matt.22:45

Matt.22:45

“?וּבְכֵן אִם דָּוִד קוֹרֵא לוֹ ‘אָדוֹן’ כֵּיצַד הוּא בְּנוֹ

† ラテン語聖書 Matt.22:45

Latin Vulgate
Matt.22:45

Si ergo David vocat eum Dominum, quomodo filius eius est?
So then, if David calls him Lord, how can he be his son?”

† 私訳(詳訳)Matt.22:45

【私訳】 「それでもし、ダビデが彼〔メシア〕を主と呼んでいるのに、どうして彼〔メシア〕が〔ダビデの〕子なのか?」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究 Matt.22:45

Matt.22:45

εἰ οὗν δαυὶδ καλεῖ αὐτὸν κύριον, πῶς υἱὸς αὐτοῦ ἐστιν;

聖書協会共同訳聖

このように、ダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」

【それで】ον  οὖν  ウーン  oun {oon} (ch 接続詞・完等)

1)それで、それから、それゆえ、そうゆうわけで、故に、さて、ところで、そこで 2)そのように、実際に、確かに、いずれにしても、とにかく 3)だから、その理由で、そんなわけで 4)すると、それでは

(G3767 οὖν Apparently a primary word; (adverbially) certainly, or (conjugationally) accordingly: – and (so, truly), but, now (then), so (likewise then), then, therefore, verily, wherefore.  Internet Sacred Text Archive)

【もし】ε  εἰ エイ  ei {i } (cs 接続詞・従位)

1)もし 2)もしも、かりに 3)もし~であれば 4)~かどうか 5)~ならば 6)決して~ない

(G1487 εἰ A primary particle of conditionality; ifwhetherthat, etc.: – forasmuch as, if, that, ([al-]) though, whether. Often used in connection or composition with other particles, especially as in 1489 1490 1499 1508 1509 1512 1513 1536 and 1537 See also 1437.  Internet Sacred Text Archive)

【ダビデは】δαυδ  Δἀυίδ  ダウイド  Dabid { dab-eed‘} (n-nm-s 名詞・主男単)

ダビデ  ヘブル名「愛せられる者」 イスラエルの王

(G1138 Δἀυίδ  From the same as 1730 lovingDavid, the youngest son of Jesse: – David.H1730דּד דּוד From an unused root meaning properly to boil, that is, (figuratively) to love; by implication a love tokenloverfriend; specifically an uncle: – (well-) beloved, father’s brother, love, uncle.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:1,6,17;  マル11:10;  ルカ1:32;  使徒15:16;  ヘブ4:7;  黙示3:7

【メシアを】ατν  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npam3s 代名詞・対男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 ofthe third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive)

【主と】κύριον  κύριος キゆリオス  kurios {koo‘-ree-os} (n-am-s 名詞・対男単)

1)自由にする力のある、支配する、権威のある、力のある 2)主人、君主、所有者、旦那、師 3)正当な、順当な 4)主、神

(G2962 κύριος From κῦρος kuros (supremacy); supreme in authority, that is, (as noun) controller; by implication Mr. (as a respectful title): – God, Lord, master, Sir.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:20; 8:25; 9:38; 10:24; 12:4,8; 16:22;  マル1:3; 2:28: 12:9; 13:35;  ルカ6:5; 9:54; 10:17; 12:6,46; 14:21  Ⅱコリ1:3,14;  エペ6:5,9;  Ⅰテモ1:2,14; 6:15  etc.

【呼んでいるのに】καλε  καλέω カれオー kaleō {kal-eh‘-o} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3単)

1)呼ぶ、呼びかける、大声で呼ぶ 2)招く 3)呼び出す、呼び掛ける、呼び寄せる 4)~を~と呼ぶ、名づける 5)召喚する

(G2564 καλέω Akin to the base of 2753 to “call” (properly aloud, but used in a variety of applications, directly or otherwise): – bid, call (forth), (whose, whose sur-) name (was [called]).  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:21; 2:15; 4:21; 9:13; 20:8; 22:3,8,9; 25:14;  マル1:20; 2:17; 3:31;  ルカ7:39; 19:13  ヨハ2:2; 10:3;  使徒4:18; 24:2;  ヘブ3:13; 11:8;  Ⅰペテ2:9 etc.

【どうして】πς  πῶς  ポース pōs {poce} (abt 副詞・疑)

1)なぜ 2)どのように、どのようにして、とにかく 3)どのような方法で、どんな風にして 4)どうして 5)どうしてか

(G4459 πῶς Adverb from the base of 4226 an interrogitive particle of manner; in what way? (sometimes the question is indirect, how?); also as exclamation, how much!: – how, after (by) what manner (means), that. [Occasionally unexpressed in English.]  Internet Sacred Text Archive)

【メシアが】ατο/  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npgm3s 代名詞・属男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 ofthe third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive)

【ダビデの子】υἱὸς  οὗτος フートス houtos {hoo‘-tos}(n-nm-s 名詞・主男)

1)その、この、これ 2)この者、この男・女 2)そんな、こんな 3)すなわち、だから 4)そこで、それ故

(G3779 οὗτος Or, before a vowel, οὕτως houtōs hoo‘-toce . From 3778 in this way (referring to what precedes or follows): – after that, after (in) this manner, as, even (so), for all that, like (-wise), no more, on this fashion (-wise), so (in like manner), thus, what.  Internet Sacred Text Archive)

【なのか?】στιν  εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3単)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

(G1510 εἰμί  First person singular present indicative; a prolonged form of a primary and defective verb; I exist (used only when emphatic): – am, have been, X it is I, was. See also 1488 1498 1511 1527 2258 2071 2070 2075 2076 2771 2468 5600.  Internet Sacred Text Archive)

† 英語訳聖書 Matt.22:45

King James Version
22:45 If David then call him Lord, how is he his son?

New King James Version
22:45 “If David then calls Him ‘Lord,’ how is He his Son?”

American Standard Version
22:45 If David then calleth him Lord, how is he his son?

New International Version
22:45 If then David calls him `Lord,’ how can he be his son?”

Bible in Basic English
22:45 If David then gives him the name of Lord, how is he his son?

Today’s English Version
22:45 If, then, David called him “Lord,’ how can the Messiah be David’s descendant?”

Darby’s English Translation
22:45 If therefore David call him Lord, how is he his son?

Douay Rheims
22:45 If David then call him Lord, how is he his son?

Noah Webster Bible
22:45 If David then calleth him Lord, how is he his son?

Weymouth New Testament
22:45 ‘If therefore David calls Him Lord, how can He be his son?’

World English Bible
22:45 ‘If then David calls him Lord, how is he his son?’

Young’s Literal Translation
22:45 If then David doth call him lord, how is he his son?’

† 細き聲 聖書研究ノート

Matt.22:45

εἰ οὗν δαυὶδ καλεῖ αὐτὸν κύριον, πῶς υἱὸς αὐτοῦ ἐστιν;

聖書協会共同訳聖書

このように、ダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」

 <斯くダビデ彼を主と稱ふれば、爭でその子ならんや>

ダビデが主と呼んだキリストを、何故、あなたがたは「来るべきイスラエルの解放者」と呼ぶのかとイエスはパリサイ派の人々に尋ねる。

 <斯くダビデ彼を主と稱ふれば、爭でその子ならんや>

ダビデ王自身が、来るべき「ダビデの子」、すなわち「キリスト(メシア・救い主)」を「主(神)」と呼んでいるなら、どうして、パリサイ派の人々が待ち望む「キリスト(メシア・救い主)」が「ダビデの子(イスラエルの開放者としてのダビデの子孫)」だろうか。「キリスト(メシア・救い主)」は「神の子」である。

† 心のデボーション  

「斯くダビデ彼を主と稱ふれば、爭でその子ならんや」 マタイ22:45 大正文語訳聖書

「このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか」 新共同訳聖書

 「救い主イエス」

生まれつき目の見えない人がイエスによって見えるようにされたとき、パリサイ派の人々は「どうして見えるようになったのか?」と詰問した。「イエスをキリスト(メシア・救い主)」と告白する者を会堂から追放するためであった。

すると、彼は「わたしは、あの方が罪人であるかどうか知りません。ただ一つ知っていることは、目が見えなかったわたしが今、見えるということです」と答えた。(ヨハネ9:25 フランシスコ会訳聖書)

「何故、イエスはキリスト(メシア・救い主)なのか?」と問われるなら、私も「何故、イエスはキリスト(メシア・救い主)になられたのか、その理由を私は知りません。ただ一つ知っていることは、罪人のわたしが今、罪を許され、新しいいのちに生きていることです」と答える。

† 細き聲 説教 

 「飼う者のない羊のように」

「斯くダビデ彼を主と稱ふれば、爭でその子ならんや」 マタイ22:45 大正文語訳聖書

「このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか」 新共同訳聖書

ダビデが主と呼んだキリストを、何故、あなたがたは「来るべきイスラエルの解放者」と呼ぶのかとイエスはパリサイ派の人々に尋ねる。

 <斯くダビデ彼を主と稱ふれば、爭でその子ならんや>

ダビデ王自身が、来るべき「ダビデの子」、すなわち「キリスト(メシア・救い主)」を「主(神)」と呼んでいるなら、どうして、パリサイ派の人々が待ち望む「キリスト(メシア・救い主」が「ダビデの子(イスラエルをローマの支配から解放する王としてのダビデの子孫)」だろうか? とイエスは問われる。

誤った信仰は誤った世界観を生み、人々を熱狂の渦に巻き込む。イエスは人々が「群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれ」る。(マタイ9:36 口語訳聖書)

「わたしは羊のために命を捨てるのである。」 ヨハネ10:15 口語訳聖書

(皆川誠)

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