† 福音書縦観 「婚宴の譬え」
マタイ22:1~14 ルカ14:15~24
マタイ22:1~14
Matt.22:14招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。 口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.22:14
【漢訳聖書】
Matt.22:14 蓋見召者多、見選者少也。
【明治元訳】
Matt.22:14 それるる者(もの)は多(おほ)しと雖(いへど)も選(えらば)るる者(もの)は少(すく)なし
【大正文語訳】
Matt.22:14 それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し』
【ラゲ訳】
Matt.22:14 夫召されたる人は多けれども、選まるる人は少し、と。
【口語訳】
Matt.22:14 招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。
【新改訳改訂3】
Matt.22:14 招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」
【新共同訳】
Matt.22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」
【バルバロ訳】
Matt.22:14 実に招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」。
【フランシスコ会訳】
Matt.22:14 実に、招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。
【日本正教会訳】
Matt.22:14 蓋召されたる者は多けれども、選ばれたる者は少し。
【塚本虎二訳】
Matt. 22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」
【前田護郎訳】
Matt.22:14 召されるものは多いが、選ばれるものは少ない」。
【永井直治訳】
Matt.22:14 そは召されたる者は多くの者なれど、選ばれたる者は僅なる者なればなり。
【詳訳聖書】 Matt.22:14 なぜなら、呼ばれる人<招待される人、招集される人>は多いけれども、選ばれる人は少ないからである」。
† 聖書引照 Matt.22:14
Matt.22:14 それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し』
[それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し] マタ7:13,14; 20:16; ルカ13:23,24
† ギリシャ語聖書 Matt.22:14
Stephens 1550 Textus Receptus
πολλοι γαρ εισιν κλητοι ολιγοι δε εκλεκτοι
Scrivener 1894 Textus Receptus
πολλοι γαρ εισιν κλητοι ολιγοι δε εκλεκτοι
Byzantine Majority
πολλοι γαρ εισιν κλητοι ολιγοι δε εκλεκτοι
Alexandrian
πολλοι γαρ εισιν κλητοι ολιγοι δε εκλεκτοι
Hort and Westcott
πολλοι γαρ εισιν κλητοι ολιγοι δε εκλεκτοι
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt. 22:14
πολλοὶ γάρ εἰσιν κλητοὶ ὀλίγοι δὲ ἐκλεκτοί.
† ヘブライ語聖書 Matt.22:14
Matt.22:14
הֵן רַבִּים הַקְּרוּאִים וּמְעַטִּים הַנִּבְחָרִים.”
† ラテン語聖書 Matt.22:14
Latin Vulgate
Matt.22:14
Multi enim sunt vocati, pauci vero electi.
For many are called, but few are chosen.’ ”
† 私訳(詳訳) Matt.22:14
【私訳】 「というのは、招かれた<呼び出された>人は多いが、しかし選ばれる人は少ない<まれである>」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.22:14
πολλοὶ γάρ εἰσιν κλητοὶ ὀλίγοι δὲ ἐκλεκτοί.
【というのは】 γάρ γάρ ガル gar {gar} (cs 接続詞・従位)
1)なぜなら、というのは、その理由は、だから 2)すなわち、では、いったい、結局 4)確かに、もちろん、だって
(G1063 γάρ A primary particle; properly assigning a reason (used in argument, explanation or intensification; often with other particles): – and, as, because (that), but, even, for indeed, no doubt, seeing, then, therefore, verily, what, why, yet. Internet Sacred Text Archive)
【招かれる人は】 κλητοὶ. κλητός クれートス klētos {klay-tos‘} (a–nm-p 形容詞・主男複)
1)招待された 2)歓迎された 3)選び出された 4)召された 5)呼ばれた 6)招かれた
(G2822 κλητός From the same as 2821 invited, that is, appointed, or (specifically) a saint: - called. Internet Sacred Text Archive)
ロマ1:1,6,7; 8:28; Ⅰコリ1:1,24; ユダ1:1; 黙示17:14
【多く】 κλητοὶ. πολύς ポりゆス polus polos {pol-oos‘} (ap-nm-p 形容詞・主男複)
1)(数が)多い、よリ多く、余る、余分にある、十分過ぎる、ほどである、余裕がある、余計である 2)(大きさ、強さ、程度の)大きい、激しい、大いなる、非常な、重大な、3)おびただしい、幾多の、幾つもの、大量の 4)より永い、より先の 5)価値の高い、より優れた、より大切な
(G4183 πολύς Including the forms from the alternate “pollos”; (singular) much (in any respect) or (plural) many; neuter (singular) as adverb largely; neuter (plural) as adverb or noun often, mostly, largely: – abundant, + altogether, common, + far (passed, spent), (+ be of a) great (age, deal, -ly, while), long, many, much, oft (-en [-times]), plenteous, sore, straitly. Compare 4118 4119. Internet Sacred Text Archive)
【いるが】 εἰσιν εἰμί エイミ eimi {i-mee‘} (vipa–3p 動詞・直・現・能・3複)
1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている
(G1510 εἰμί First person singular present indicative; a prolonged form of a primary and defective verb; I exist (used only when emphatic): – am, have been, X it is I, was. See also 1488 1498 1511 1527 2258 2071 2070 2075 2076 2771 2468 5600. Internet Sacred Text Archive)
【しかし】 δὲ δέ デ de {deh} (ch 接続詞・完)
1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ
(G1161 δέ A primary particle (adversative or continuative); but, and, etc.: – also, and, but, moreover, now [often unexpressed in English]. Internet Sacred Text Archive)
【選ばれる人は】 ἐκλεκτοί, ἐκλεκτός エクレクトス eklektos {ek-lek-tos‘} (a–nm-p 形容詞・主男複)
1)選ばれた 2)選り抜きの 3)特選の 4)優秀な
(G1588 ἐκλεκτός From 1586 select; by implication favorite: - chosen, elect. Internet Sacred Text Archive)
【少ない】 ὀλίγοι ὀλίγος オりゴス oligos {ol-ee‘-gos} (ap-nm-p 形容詞・主男複)
1)小さい 2)少ない、少量の 3)まれ、 4)短い 5)わずかな 6)狭い 7)乏しい
(G3641 ὀλίγος Of uncertain affinity; puny (in extent, degree, number, duration or value); especially neuter (adverbially) somewhat: – + almost, brief [-ly], few, (a) little, + long, a season, short, small, a while. Internet Sacred Text Archive)
マタ7:14; 9:37; 22:14; ルカ7:47; 10:2; 12:48; 13:23; 使徒17:12; Ⅱコリ8:15
† 英語訳聖書 Matt.22:14
King James Version
22:14 For many are called, but few [are] chosen.
New King James Version
22:14 “For many are called, but few are chosen.”
American Standard Version
22:14 For many are called, but few chosen.
New International Version
22:14 “For many are invited, but few are chosen.”
Bible in Basic English
22:14 For out of all to whom the good news has come, only a small number will get salvation.
Today’s English Version
22:14 And Jesus concluded, “Many are invited, but few are chosen.”
Darby’s English Translation
22:14 For many are called ones, but few chosen ones.
Douay Rheims
22:14 For many are called, but few are chosen.
Noah Webster Bible
22:14 For many are called, but few are chosen.
Weymouth New Testament
22:14 ‘For there are many called, but few chosen.’
World English Bible
22:14 For many are called, but few chosen.’
Young’s Literal Translation
22:14 for many are called, and few chosen.’
† 細き聲 聖書研究ノート
<それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し>
「王の婚礼」の譬えの終わりに、イエスは「それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し」と語られた。
<それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し>
婚宴には「町の大通りや小道へ行って、貧乏人、不具者、盲人、足なえなど」が無理やり引っ張ってこられた。しかし、そのずべてが「選ばれた者」ではなかった。
† 心のデボーション
「それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し」 マタイ22:14 大正文語訳聖書
「実に、招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」 フランシスコ会訳聖書
「選ばれたる者」
招かれずして選ばれる者なく、選ばれずして招かれる者なし。されど、招かれしが選ばれず、選ばれざりしが招かれたる者あり。
† 心のデボーション
「それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し」 マタイ22:14 大正文語訳聖書
「実に、招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」 フランシスコ会訳聖書
「選ばれた証」
自分は神に招かれはしたが選ばれていないと思うことがある。
しかし、そう思えることこそが選ばれた証である。神の選びは人には見えない。ただ、招かれはしたが選ばれる理由が思い当たらないままに婚宴の席につくことが許されていることがわかるだけである。
† 心のデボーション
「それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し」 マタイ22:14 大正文語訳聖書
「実に、招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」 フランシスコ会訳聖書
「招きと選び」
欧米人にとって、招かられることと選ばれることは同じではない。日本人は招かれると選ばれたのだと思ってしまう。
† 細き聲 説教
「恵みによって」
「それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し」 マタイ22:14 大正文語訳聖書
「実に、招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」 フランシスコ会訳聖書
「王の婚礼」の譬えの終わりに、イエスは「それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し」と語られた。
婚宴には「町の大通りや小道へ行って、貧乏人、不具者、盲人、足なえなど」が無理やり引っ張ってこられた。しかし、そのすべてが「選ばれた者」ではなかった。
「神の国に招かれる者」がすべて「選ばれた者」ではない。
だれが「選ばれた者か」を論じることは無意味である。私達にわかるのは、理由はわからないが、神が私を選ばれたことである。
神の準備された「ふさわしい装束」は、神が私に着させてくださったもので、神が私を整えられるまでは、自分が「選ばれた」ことも知らずにいたのである。
誰が「選ばれた者」であり、誰が「選ばれない者」かを、考えるべきではない。
「選び」の理由は神の内にあり、人は自分がその神に選ばれて祝宴の席にあることを知るのみである。
「ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。」 ガラテヤ3:11 新共同訳聖書
(皆川誠)
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