† 福音書縦観 「ゼベダイの子らの願い」 マタイ20:20~28
マタイ20:20~28 マルコ10:35~45
マタイ20:20~28
Matt.20:28それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。 口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.20:28
【漢訳聖書】
Matt.20:28 卽如人子至、非以役人、乃役於人、且捨其生、爲衆贖也。
【明治元訳】
Matt.20:28 此(かく)のく人(ひと)の子(こ)の來(きた)るも人(ひと)を役(つか)ふ爲(ため)には非(あら)ず反(かへつ)て人(ひと)に役(つか)はれ又(また)おほくの人(ひと)に代(かはり)て生命(いのち)を予(あたへ)その贖(あがなひ)とならん爲(ため)なり
【大正文語訳】
Matt.20:28 かくのごとく、人の子の來れるも事へらるる爲にあらず、反つて事ふることをなし、又おほくの人の贖償として己が生命を與へん爲なり』
【ラゲ訳】
Matt.20:28 是恰も人の子の來れるは仕へらるる為に非ずして、却て仕へん為、且衆人の贖として生命を棄てん為なるが如し。
【口語訳】
Matt.20:28 それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。
【新改訳改訂3】
Matt.20:28 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
【新共同訳】
Matt.20:28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」
【バルバロ訳】
Matt.20:28 それと同じで、人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、多くの人のあがないとして自分の命を与えるためである」と言われた。
【フランシスコ会訳】
Matt.20:28 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、多くの人の贖いとして、自分の命を与えるためである」。
【日本正教会訳】
Matt.20:28 蓋人の子の來りしは、人を役はん爲に非ず、乃人に役はれ、且己の生命を與へて、衆くの者の贖を爲さん爲なり。
【塚本虎二訳】
Matt.20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」
【前田護郎訳】
Matt.20:28 ちょうど人の子のように。彼が来たのは仕えられるためではなく、仕えて、多くの人のあがないとしておのがいのちを与えるためである」。
【永井直治訳】
Matt.20:28 されば人の子さへ事へらるるために來りしにあらず、されど事へ且つ多くの者のために、その魂を供へんとて〔なり〕。
【詳訳聖書】
Matt.20:28 ちょうど人の子が来たのが仕えられるためではなくて仕えるためであり、また多くの人のための身のしろ金<人々を開放するために払われる代価>として自分のいのちを与えるためであるのと同じである」。
† 聖書引照 Matt.20:28
Matt.20:28 かくのごとく、人の子の來れるも事へらるる爲にあらず、反つて事ふることをなし、又おほくの人の贖償として己が生命を與へん爲なり
[かくのごとく、人の子の來れるも事へらるる爲にあらず] ルカ 22:27; ヨハ13:4-17; ピリ2:4-8; ヘブ5:8
[反つて事ふることをなし] ヨブ33:24; 詩篇49:7; イザ53:5,8,10,11; ダニ9:24-26; ヨハ10:15; 11:50-52; ロマ3:24-26; ガラ3:13; エペ1:7; 5:2; Ⅰテモ2:6; テト2:14; ヘブ9:28; Ⅰペテ1:18,19; 2:24; 3:18; 黙示1:5; 5:8,9
[又おほくの人の贖償として己が生命を與へん爲なり] マタ26:28; マル14:24; ロマ5:15-19; ヘブ9:28; Ⅰヨハ2:2
† ギリシャ語聖書 Matt.20:28
Stephens 1550 Textus Receptus
ωσπερ ο υιος του ανθρωπου ουκ ηλθεν διακονηθηναι αλλα διακονησαι και δουναι την ψυχην αυτου λυτρον αντι πολλων
Scrivener 1894 Textus Receptus
ωσπερ ο υιος του ανθρωπου ουκ ηλθεν διακονηθηναι αλλα διακονησαι και δουναι την ψυχην αυτου λυτρον αντι πολλων
Byzantine Majority
ωσπερ ο υιος του ανθρωπου ουκ ηλθεν διακονηθηναι αλλα διακονησαι και δουναι την ψυχην αυτου λυτρον αντι πολλων
Alexandrian
ωσπερ ο υιος του ανθρωπου ουκ ηλθεν διακονηθηναι αλλα διακονησαι και δουναι την ψυχην αυτου λυτρον αντι πολλων
Hort and Westcott
ωσπερ ο υιος του ανθρωπου ουκ ηλθεν διακονηθηναι αλλα διακονησαι και δουναι την ψυχην αυτου λυτρον αντι πολλων
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.20:28
ὥσπερ ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου οὐκ ἦλθεν διακονηθῆναι ἀλλὰ διακονῆσαι καὶ δοῦναι τὴν ψυχὴν αὐτοῦ λύτρον ἀντὶ πολλῶν.
† ヘブライ語聖書 Matt.20:28
Matt.20:28
ְּשֵׁם שֶׁבֶּן־הָאָדָם לֹא בָּא כְּדֵי שֶׁיְּשָׁרְתוּהוּ אֶלָּא כְּדֵי לְשָׁרֵת וְלָתֵת אֶת נַפְשׁוֹ כֹּפֶר בְּעַד רַבִּים
† ラテン語聖書 Matt.20:28
Latin Vulgate
Matt.20:28
Sicut Filius hominis non venit ministrari, sed ministrare, et dare animam suam, redemptionem pro multis.
even as the Son of man has not come to be served, but to serve, and to give his life as a redemption for many.”
† 私訳(詳訳)Matt.20:28
【私訳】 「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、むしろ、仕えるためであり、また、多くの人の身代金<贖い>として自分のいのち<魂、精神、自己>を与える<差し出す、渡す>ためであるのと同じように」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.20:28
ὥσπερ ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου οὐκ ἦλθεν διακονηθῆναι ἀλλὰ διακονῆσαι καὶ δοῦναι τὴν ψυχὴν αὐτοῦ λύτρον ἀντὶ πολλῶν.
【人の子は】
【人の】 ἀνθρώπουu ἄνθρωπος アンとローポス anthrōpos {anth‘-ro-pos} (n-gm-s 名詞・属男)
< ἄνήρ 人 +ὤψ 顔
1)人間、人、人類 2)男、夫 3)ある人、或る者、この人
(G444 ἄνθρωπος From 435 and ὤψ ōps (the countenance; from 3700 ; manfaced, that is, a human being: – certain, man. Internet Sacred Text Archive)
【子は】 υἱὸς υἱός フゅィオス huios {hwee-os’} (n-nm-s 名詞・主男)
1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子
「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן ベーン ben {bane} 息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。
(G5207 υἱός Apparently a primary word; a “son” (sometimes of animals), used very widely of immediate, remote or figurative kinship: – child, foal, son. Internet Sacred Text Archive)
マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45; Ⅱコリ6:18; ガラ3:7
【仕えられるために】 διακονηθῆναι διακονέω ディアコネオー diakoneō {dee-ak-on-eh‘-o} (vnap 不定詞・1アオ受)
1)仕える、世話する、助ける、奉仕する、~してやる 2)施しをする 3)執事の務めをする教会の「執事職 διάκονος ディアコノス」はこの語からとられた。
(「仕える διακονέω ディアコネオー」は、「 δια ~を通して + κονία 立ち昇る砂、灰」で「灰を通して」からくる。灰まみれで炊事することから、「奉仕する」の意味になったという説がある)
(G1247 διακονέω From 1249 to be an attendant, that is, wait upon (menially or as a host, friend or [figuratively] teacher); technically to act as a Christian deacon: – (ad-) minister (unto), serve, use the office of a deacon. Internet Sacred Text Archive)
マタ4:11; 8:15; 20:28; 25:44; 27:55; マル1:13,31; 10:45; 15:41; ルカ4:39; 8:3; 22:26,27; ヨハ12:2,26 etc.
【来たのでは】 ἦλθεν ἔρχομαι エルこマイ erchomai {er‘-khom-ahee} (viaa–1p 動詞・直・2アオ・能・3単)
1)来る、やってくる、~しにやってくる 2)近づく、臨む、達する 3)着く、到着する 4)現れる 5)上がる、下る
(G2064 ἔρχομαι Middle voice of a primary verb (used only in the present and imperfect tenses, the others being supplied by a kindred [middle voice] word, ἐλεύθομαι eleuthomai or ἕλθω elthō ; which do not otherwise occur); to come or go (in a great variety of applications, literally and figuratively): – accompany, appear, bring, come enter, fall out, go, grow, X light, X next, pass, resort, be set. Internet Sacred Text Archive)
【ない】 οὐκ οὐ ウー ou {oo} (qn 不変化詞・否定)
1)否 2)~ない 3)~でない
(G3756 οὐ Also οὐκ ouk ook used before a vowel and οὐχ ouch ookh before an aspirate. A primary word; the absolutely negative (compare 3361 adverb; no or not: – + long, nay, neither, never, no (X man), none, [can-] not, + nothing, + special, un ([-worthy]), when, + without, + yet but. See also 3364 3372. Internet Sacred Text Archive)
【むしろ】 ἀλλὰ ἀλλά アるら alla {al-lah‘} (ch 接続詞・完)
1)けれども、たしかに 2)しかし、それでも 3)かえって 4)むしろ、むしろ反対に、それのみか 5)以外に、そうではなくて、それどころか
(G235 ἀλλά Neuter plural of 243 properly other things, that is, (adverbially) contrariwise (in many relations): – and, but (even), howbeit, indeed, nay, nevertheless, no, notwithstanding, save, therefore, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【仕えるために】 διακονῆσαι διακονέω ディアコネオー diakoneō {dee-ak-on-eh‘-o} (vnaa 不定詞・1アオ受)
1)仕える、世話する、助ける、奉仕する、~してやる 2)施しをする 3)執事の務めをする教会の「執事職 διάκονος ディアコノス」はこの語からとられた。
(「仕える διακονέω ディアコネオー」は、「 δια ~を通して + κονία 立ち昇る砂、灰」で「灰を通して」からくる。灰まみれで炊事することから、「奉仕する」の意味になったという説がある)
(G1247 διακονέω From 1249 to be an attendant, that is, wait upon (menially or as a host, friend or [figuratively] teacher); technically to act as a Christian deacon: – (ad-) minister (unto), serve, use the office of a deacon. Internet Sacred Text Archive)
マタ4:11; 8:15; 20:28; 25:44; 27:55; マル1:13,31; 10:45; 15:41; ルカ4:39; 8:3; 22:26,27; ヨハ12:2,26 etc.
【そして】 καὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【多くの人の】 πολλῶν πολύς ポりゆス polus polos {pol-oos‘} (ap-gm-p 形容詞・属男複)
1)(数が)多い、よリ多く、余る、余分にある、十分過ぎる、ほどである、余裕がある、余計である 2)(大きさ、強さ、程度の)大きい、激しい、大いなる、非常な、重大な、3)おびただしい、幾多の、幾つもの、大量の 4)より永い、より先の 5)価値の高い、より優れた、より大切な
(G4183 πολύς Including the forms from the alternate “pollos”; (singular) much (in any respect) or (plural) many; neuter (singular) as adverb largely; neuter (plural) as adverb or noun often, mostly, largely: – abundant, + altogether, common, + far (passed, spent), (+ be of a) great (age, deal, -ly, while), long, many, much, oft (-en [-times]), plenteous, sore, straitly. Compare 4118 4119. Internet Sacred Text Archive)
【身代金として】 λύτρον λύτρον りゆトロン lutron {loo‘-tron} (n-an-s 名詞・対中単)
1)身代金、贖いの代価、贖い金 2)贖い、贖罪
(G3083 λύτρον From 3089 something to loosen with, that is, a redemption price (figuratively atonement): – ransom. Internet Sacred Text Archive)
マタ20:28; マル10:45;
【彼の】 αὐτοῦ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npgm3s 代名詞・属男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【命を】 ψυχὴν ψυχή プスゆけー psuchē {psoo-khay‘} (n-af-s 名詞・対女単)
1)生命、生命力、息 2)魂 3)霊魂 4)(感情・意志・知性の根源としての)精神、自我、自己、思い、心 5)いのちそのもの (ラテン語 anima アニマ) 6)人間、いのちを持つもの、生き物 7)蝶 8)死者の魂
ギリシャ語 プシュケーは「魂、心」の他に「蝶」を意味する
(G5590 ψυχή From 5594 breath, that is, (by implication) spirit, abstractly or concretely (the animal sentient principle only; thus distinguished on the one hand from 4151 which is the rational and immortal soul; and on the other from 2222 which is mere vitality, even of plants: these terms thus exactly correspond respectively to the Hebrew [5315 , [7307 and [2416 : – heart (+ -ily), life, mind, soul, + us, + you. Internet Sacred Text Archive)
マタ2:20; 6:26; 10:39; 16:25;,26; 20:28; マル3:4; 8:35,36,37; 10:45; ルカ6:9; 9:24; 12:22,23; 14:26; 17:33; ヨハ10:11;,15,17; 12:25; 13:37,38; 15:13 etc.
【与える】 δοῦναι δίδωμι ディドーミ didōmi {did‘-o-mee} (vnaa 不定詞・2アオ能)
1)与える、あげる、差し出す、提供する、分け与える、賜う、施す、支払う 2)捧げる、供える、提供する、授ける、賜る 3)ゆだねる、渡す、許す、かなえる、置く
(G1325 δίδωμι A prolonged form of a primary verb (which is used as an alternate in most of the tenses); to give (used in a very wide application, properly or by implication, literally or figuratively; greatly modified by the connection): – adventure, bestow, bring forth, commit, deliver (up), give, grant, hinder, make, minister, number, offer, have power, put, receive, set, shew, smite (+ with the hand), strike (+ with the palm of the hand), suffer, take, utter, yield. Internet Sacred Text Archive)
【~のように】 ὥσπερ ὥσπερ ホースぺル hōsper {hoce‘-per} (cs 接続詞・従位)
1)のように 2)ちょうど~のように 3)~と同じく 4)いわば、あたかも
(G5618 ὥσπερ From 5613 and 4007 just as, that is, exactly like: – (even, like) as. Internet Sacred Text Archive)
† 英語訳聖書 Matt.20:28
King James Version
20:28 Even as the Son of man came not to be ministered unto, but to minister, and to give his life a ransom for many.
New King James Version
20:28 “just as the Son of Man did not come to be served, but to serve, and to give His life a ransom for many.”
American Standard Version
20:28 even as the Son of man came not to be ministered unto, but to minister, and to give his life a ransom for many.
New International Version
20:28 just as the Son of Man did not come to be served, but to serve, and to give his life as a ransom for many.”
Bible in Basic English
20:28 Even as the Son of man did not come to have servants, but to be a servant, and to give his life for the salvation of men.
Today’s English Version
20:28 like the Son of Man, who did not come to be served, but to serve and to give his life to redeem many people.”
Darby’s English Translation
20:28 as indeed the Son of man did not come to be served, but to serve, and to give his life a ransom for many.
Douay Rheims
20:28 Even as the Son of man is not come to be ministered unto, but to minister, and to give his life a redemption for many.
Noah Webster Bible
20:28 Even as the Son of man came not to be ministered to, but to minister, and to give his life a ransom for many.
Weymouth New Testament
20:28 just as the Son of Man came not to be served but to serve, and to give His life as the redemption-price for many.’
World English Bible
20:28 even as the Son of Man came not to be served, but to serve, and to give his life as a ransom for many.’
Young’s Literal Translation
20:28 even as the Son of Man did not come to be ministered to, but to minister, and to give his life a ransom for many.’
Amplified Bible
20:28 just as the Son of Man did not come to be served, but to serve, and to give His life as a ransom for many [paying the price to set them free from the penalty of sin].”
Sight for the Blind
† 細き聲 聖書研究ノート
<かくのごとく、人の子の來れるも事へらるる爲にあらず、反つて事ふることをなし、又おほくの人の贖償として己が生命を與へん爲なり>
イエスが来られたのも、「仕えられるため」ではなく、かえって「仕える」ためであり、多くの人の贖いとして自分のいのちを与えるためであった。
<人の子の來れるも事へらるる爲にあらず、反つて事ふることをなし、又おほくの人の贖償として己が生命を與へん爲なり>
「身代金 λύτρον りゆトロン」は奴隷になった者を買い戻す金のこと。
イスラエルでは五十年に一度のヨベルの年 「וֹיבֵל yowbel {yo-bale’} (喜びの年) ギリシャ語 Ἰώβηκαῖος ラテン語 jubilaeus (jubilum 喜びの叫び)」には、すべての奴隷は解放された。(レビ記25章)
奴隷はヨベルの年までの年数と買われた時の代金を計算して、買い戻すための金額を計算して「身代金」とした。解放のための代価である。
イエスは捕らわれた者を買い戻すための「身代金」として、ご自分のいのちを支払われた。
† 心のデボーション
「かくのごとく、人の子の來れるも事へらるる爲にあらず、反つて事ふることをなし、又おほくの人の贖償として己が生命を與へん爲なり』」 マタイ20:28 大正文語訳聖書
「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです」 新改訳聖書
「イエスと私」
イエスが「仕える者」となり給うたのは、御自分のいのちを与えるためである。
イエスが「仕える者」として来られ、私とイエスの間にその関係が成立したかどうかは、私にイエスのいのちが与えられたかどうかで判断できる。
ペテロのようにイエスが私に仕えられることを拒んではならない。それを受け入れた者だけが「仕える者」になれる。
† 心のデボーション
「かくのごとく、人の子の來れるも事へらるる爲にあらず、反つて事ふることをなし、又おほくの人の贖償として己が生命を與へん爲なり』」 マタイ20:28 大正文語訳聖書
「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです」 新改訳聖書
「最早われ生くるにあらず」
信仰者が受け取る最大のものは「イエスのいのち」である。それは「我キリストと偕に十字架につけられたり。最早われ生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり。今われ肉體に在りて生くるは、我を愛して我がために己が身を捨て給ひし神の子を信ずるに由りて生くるなり」(ガラテヤ2:20 大正文語訳聖書)の経験とともに来る「いのち」である。
† 細き聲 説教
「自由を与えるために」
「かくのごとく、人の子の來れるも事へらるる爲にあらず、反つて事ふることをなし、又おほくの人の贖償として己が生命を與へん爲なり』」 マタイ20:28 大正文語訳聖書
「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです」 新改訳聖書
イエスが来られたのも、「仕えられるため」ではなく、かえって「仕える」ためであり、多くの人の贖いとして自分のいのちを与えるためであった。
「身代金 λύτρον りゆトロン」は奴隷になった者を買い戻す金のこと。
イスラエルでは五十年に一度のヨベルの年 「וֹיבֵל yowbel {yo-bale’} (喜びの年) ギリシャ語 Ἰώβηκαῖος ラテン語 jubilaeus (jubilum 喜びの叫び)」には、すべての奴隷は解放された。(レビ記25章)
奴隷はヨベルの年までの年数と買われた時の代金を計算して、買い戻すための金額を計算して「身代金」とした。解放のための代価である。
イエスは捕らわれた者を買い戻すための「身代金」として、ご自分のいのちを支払われるために来られた。
イエスは自由を与えるために来られた。再び「人間の奴隷」になってはならない。
「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります」 Ⅱコリント3:17 新改訳聖書
「あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません」 Ⅰコリント7:23 新改訳聖書
(皆川誠)
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