† 福音書縦観 「ゼベダイの子らの願い」 マタイ20:20~28
マタイ20:20~28 マルコ10:35~45
マタイ20:20~28
Matt.20:22イエスは答えて言われた、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか(あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができるか マルコ10:38)」。彼らは「できます」と答えた。 口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.20:22
【漢訳聖書】
Matt.20:22 耶穌答曰、爾所求者、爾不知也。我將飮之杯、爾能飮乎、我將受之洗禮、爾能受乎。謂之曰、我儕能、
【明治元訳】
Matt.20:22 イエスて曰(いひ)けるは爾曹(なんぢら)は求(もとむ)ところを知(しら)ず爾曹(なんぢら)は我(わ)が飮(のま)んとする杯(さかづき)をのみ又(また)わが受(うけ)んとするバプテスマを受(うけ)得(う)るや彼等(かれら)いひけるは能(よく)すべし
【大正文語訳】
Matt.20:22 イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず、我が飮まんとする酒杯を飮み得るか』かれら言ふ『得るなり』
【ラゲ訳】
Matt.20:22 イエズス答へて曰ひけるは、汝等は願ふ所を知らず、汝等我が飲まんとする杯を飲み得るか、と。彼等得るなり、と云ひしかば、
【口語訳】
Matt.20:22 イエスは答えて言われた、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」。彼らは「できます」と答えた。
【新改訳改訂3】
Matt.20:22 けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。
【新共同訳】
Matt.20:22 イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、
【バルバロ訳】
Matt.20:22 イエズスは「あなたたちは自分が何を願っているのかを知らぬ。あなたたに私が飲もうとする杯が飲めるか」と問われた。二人は「できます」と答えた。
【フランシスコ会訳】
Matt.20:22 イエスは答えて仰せになった、「あなた方は自分が何を願っているのか、分かっていない。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」。すると、二人は答えた、「できます」。
【日本正教会訳】
Matt.20:22 イイスス答へて曰へり、爾の求むる所を知らず、爾等我が飮まんとする爵を飮むことを能するか、我が受くる洗を受くることを能するか。彼等曰く、能す。
【塚本虎二訳】
Matt.20:22 イエスが答えられた、「あなた達は自分で何を願っているのか、わからずにいる。(ヤコブとヨハネに聞くが、)わたしが飲まねばならない(苦難の)杯を飲むことが出来るのか。」「出来ます」と二人がこたえる。
【前田護郎訳】
Matt.20:22 イエスは答えられた、「あなた方は求めるものをわきまえない。いったいわたしが飲むべき杯を飲むことができるのか」と。彼らはいう、「できます」と。
【永井直治訳】
Matt.20:22 然るにイエス答へてへり、汝等は求むるところのものを知らず。汝等は我が將に飮まんとする杯を飮み、また我がバプテズマせらるるバプテズマにて、バプテズマせらるることを得るや。彼等云ふ、能くすべし。
【詳訳聖書】
Matt.20:22 イエスは答えられた、「あなたたちは自分たちが何を願っているのかわからないでいる。あなたたちは私が飲もうとしている杯を飲むことができるのか。また私が受けるバプテスマを受けることができるのか」。彼らは答えた、「私たちはできます」。
† 聖書引照 Matt.20:22
Matt.20:22 イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず、我が飮まんとする酒杯を飮み得るか』かれら言ふ『得るなり』
[イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず』 ] マル10:38; ロマ8:26; ヤコ4:3
[我が飮まんとする] マル10:39; ルカ12:50
[酒杯を飮み得るか』] マタ26:39,42; 詩篇75:3; エレ25:15; etc.; マル14:36; ルカ22:42; ヨハ18:11
[かれら言ふ『得るなり』] マタ26:35,56; 箴言16:18
† ギリシャ語聖書 Matt.20:22
Stephens 1550 Textus Receptus
αποκριθεις δε ο ιησους ειπεν ουκ οιδατε τι αιτεισθε δυνασθε πιειν το ποτηριον ο εγω μελλω πινειν και το βαπτισμα ο εγω βαπτιζομαι βαπτισθηναι λεγουσιν αυτω δυναμεθα
Scrivener 1894 Textus Receptus
αποκριθεις δε ο ιησους ειπεν ουκ οιδατε τι αιτεισθε δυνασθε πιειν το ποτηριον ο εγω μελλω πινειν και το βαπτισμα ο εγω βαπτιζομαι βαπτισθηναι λεγουσιν αυτω δυναμεθα
Byzantine Majority
αποκριθεις δε ο ιησους ειπεν ουκ οιδατε τι αιτεισθε δυνασθε πιειν το ποτηριον ο εγω μελλω πινειν η το βαπτισμα ο εγω βαπτιζομαι βαπτισθηναι λεγουσιν αυτω δυναμεθα
Alexandrian
αποκριθεις δε ο ιησους ειπεν ουκ οιδατε τι αιτεισθε δυνασθε πιειν το ποτηριον ο εγω μελλω πινειν λεγουσιν αυτω δυναμεθα
Hort and Westcott
αποκριθεις δε ο ιησους ειπεν ουκ οιδατε τι αιτεισθε δυνασθε πιειν το ποτηριον ο εγω μελλω πινειν λεγουσιν αυτω δυναμεθα
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.20:22
ἀποκριθεὶς δὲ ὁ ἰησοῦς εἶπεν, οὐκ οἴδατε τί αἰτεῖσθε· δύνασθε πιεῖν τὸ ποτήριον ὃ ἐγὼ μέλλω πίνειν; λέγουσιν αὐτῶ, δυνάμεθα.
† ヘブライ語聖書 Matt.20:22
Matt.20:22
עָנָה יֵשׁוּעַ וְאָמַר: אֵינְכֶם יוֹדְעִים מַה שֶּׁאַתֶּם מְבַקְשִׁים. הַאִם יְכוֹלִים אַתֶּם לִשְׁתּוֹת אֶת הַכּוֹס אֲשֶׁר אֲנִי עָתִיד לִשְׁתּוֹת הֵשִׁיבוּ לוֹ: יְכוֹלִים אָנוּ
† ラテン語聖書 Matt.20:22
Latin Vulgate
Matt.20:22
Respondens autem Iesus, dixit: Nescitis quid petatis. Potestis bibere calicem, quem ego bibiturus sum? Dicunt ei: Possumus.
But Jesus, responding, said: “You do not know what you are asking. Are you able to drink from the chalice, from which I will drink?” They said to him, “We are able.”
† 私訳(詳訳)Matt.20:22
【私訳】 「しかし、イエスはお答えになって言われた。『あなたは何を願って<求めて>いるか分かって<知って、理解して>いない。わたしが飲もうとしているこの杯を飲むことが出来るか?』 彼らは彼〔イエス〕に『出来ます』と言った」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.20:22
ἀποκριθεὶς δὲ ὁ ἰησοῦς εἶπεν, οὐκ οἴδατε τί αἰτεῖσθε· δύνασθε πιεῖν τὸ ποτήριον ὃ ἐγὼ μέλλω πίνειν; λέγουσιν αὐτῶ, δυνάμεθα.
【しかし】 δὲ δέ デ de {deh} (ch 接続詞・完)
1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ
(G1161 δέ A primary particle (adversative or continuative); but, and, etc.: – also, and, but, moreover, now [often unexpressed in English]. Internet Sacred Text Archive)
【イエスは】 ἰησοῦς ᾽Ιησοῦς イエースウース Iēsous {ee-ay-sooce‘ } (n-nm-s 名詞・主男単)
イエス 意味は「ヤㇵウェは救いである」
「イエス」はヘブル語「 יְהוֺשׁוּעַ イェホーシュア Yehowshuwa` {yeh-ho-shoo’-ah} ”Jehovah is salvation” 主は救い、ヨシュア」の ギリシャ名
(G2424 ᾽Ιησοῦς Of Hebrew origin [3091; Jesus (that is, Jehoshua), the name of our Lord and two (three) other Israelites: – Jesus. H3091 יְהוֹשׁוַּע יְהוֹשׁוַּע yehôshûa‛ yehôshûa‛ yeh-ho-shoo‘-ah,yeh-ho-shoo‘-ah From 3068 and 3467 Jehovah-saved; Jehoshua (that is, Joshua), the Jewish leader: – Jehoshua, Jehoshuah, Joshua. Compare 1954 3442. Internet Sacred Text Archive)
マタ16:16; マル5:7; ルカ1:32; ヨハ1:29,36; 14:6; 6:33,51; ロマ1:16; 3:29; 11:26; 14:9; Ⅰコリ1:24; 2:8; 15:45; Ⅰテモ6:15; ヘブ2:10; 3:6; 9:11,15; 12:24; 黙示1:5,8; 2:8; 3:14 etc.
【お答えになって】 ἀποκριθεὶς ἀποκρίνομαι アポクリノマイ apokrinomai {ap-ok-ree‘-nom-ahee} (vpaonm-s 分詞・1アオ能欠主男単)
< ἀπό + κρίνω 審く、分ける
1)分離する、分ける、区別する、退ける 2)離れる、分かれる、帰着する 3)答える、返答する、答弁する、弁明する、言葉を続ける 4)選ぶ、選び出す
(G611 ἀποκρίνομαι From 575 and κρινω krino ; to conclude for oneself, that is, (by implication) to respond; by Hebraism (compare [6030 ) to begin to speak (where an address is expected): – answer. Internet Sacred Text Archive)
【言われた】 εἶπεν εἶπον エイポン eipon {i‘-pon} (viaa–3s 動)直アオ能3)
1)言う、話す、語る、告げる、言いあらわす、述べる、呼ぶ 2)命じる、願う、尋ねる 3)~と呼ぶ、称する 4)語られたこと、言葉、発言、発話、話の内容 5)出来事
εἶπον は ἔπω の2アオリスト形で実際には λέγω のアオリストとして用いられる
(G2036 ἔπω A primary verb (used only in the definite past tense, the others being borrowed from 2046 4483 and 5346 ; to speak or say (by word or writting): – answer, bid, bring word, call, command, grant, say (on), speak, tell. Compare 3004. Internet Sacred Text Archive)
【何を】 τί τίς ティス tis {tis} (aptan-s 形容詞・疑対中単)
1)誰 2)何 3)どんな 4)なぜ 5)どちら 6)何故、どうして
(G5101 τίς Probably emphatic of 5100 an interrogitive pronoun, who, which or what (in direct or indirect questions): – every man, how (much), + no (-ne, thing), what (manner, thing), where ([-by, -fore, -of, -unto, -with, -withal]), whether, which, who (-m, -se), why. Internet Sacred Text Archive)
【願っているか】 αἰτεῖσθε αἰτέω アイテオー aiteō {ahee-teh‘-o} (vipm–2p 動詞・直・現・中・2複)
1)願い求める、求める 2)請う、乞う 3)要求する 4)頼む
(G154 αἰτέω Of uncertain derivation; to ask (in generally): – ask, beg, call for, crave, desire, require. Compare 4441. Internet Sacred Text Archive)
【分かって】 οἴδατε οἶδα オイダ oida {oy’-da} (vira–2p 動詞・直・完了・能・2複)
1)知っている、~であることを知っている、~する方法を知っている 2)認めている、心得ている、わきまえる 3)見抜いている、理解する、わかる、認識している、覚えている、悟っている
οἶδα は ἐιδον の現在完了形 私は見た
(G1492 εἶδοω A primary verb; used only in certain past tenses, the others being borrowed from the equivalent, 3700 and 3708 properly to see (literally or figuratively); by implication (in the perfect only) to know: – be aware, behold, X can (+ not tell), consider, (have) known (-ledge), look (on), perceive, see, be sure, tell, understand, wist, wot. Compare 3700. Internet Sacred Text Archive)
【ない】 οὐκ οὐ ウー ou {oo} (qn 不変化詞・否定)
1)否 2)~ない 3)~でない
(G3756 οὐ Also οὐκ ouk ook used before a vowel and οὐχ ouch ookh before an aspirate. A primary word; the absolutely negative (compare 3361 adverb; no or not: – + long, nay, neither, never, no (X man), none, [can-] not, + nothing, + special, un ([-worthy]), when, + without, + yet but. See also 3364 3372. Internet Sacred Text Archive)
【わたしが】 ἐγὼ ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npn-1s 代名詞・主1単)
1)私 2)わたし
(G1473 ἐγώ A primary pronoun of the first person, “I” (only expressed when emphatic): – I, me. For the other cases and the plural see 1691 1698 1700 2248 2249 2254 2257 etc. Internet Sacred Text Archive)
【飲もうと】 πίνειν πίνω ピノー pinō {pee‘-no } (+vnpa 不定詞・2アオ能)
1)飲む 2)吸い込む 3)吸収する
(G4095 πίνω The first is a prolonged form of the second, which (together with the third form) occurs only as an alternate in certain tenses; to imbibe (literally or figuratively): – drink. Internet Sacred Text Archive)
マタ6:25;,31; 20:22,23; 24:38; 26:27;,29,42; 27:34; マル10:38,39; 14:23,25; 16:18 etc.
【している】 μέλλω μέλλω メるろー mellō {mel‘-lo} (vipa–1s+ 動詞・直・現・能・1単)
1)まさに~しようとしている 2)決心がつかずまだしていないが確実に来る 3)きっと~である、~に違いない 4)~でなければならない、~することになっている、~するつもりでいる 5)ためらう、ぐずぐずする、遅らせる
(G3195 μέλλω A strengthened form of 3199 (through the idea of expectation); to intend, that is, be about to be, do, or suffer something (of persons or things, especially events; in the sense of purpose, duty, necessity, probability, possibility, or hesitation): – about, after that, be (almost), (that which is, things, + which was for) to come, intend, was to (be), mean, mind, be at the point, (be) ready, + return, shall (begin), (which, that) should (after, afterwards, hereafter) tarry, which was for, will, would, be yet. Internet Sacred Text Archive)
マタ2:13; 20:17,22; マル10:32; 13:4; ルカ9:31; 10:1; 19:4; 21:7; ヨハ6:6,15,71; 7:35,39; 12:4 etc.
【この】 ὃ ὅς ホス hos {hos} (apran-s 関係代名詞・対中単)
1)この~ 2)これ 3)ところの、そして
(G3739 ὅς Probably a primary word (or perhaps a form of the article 3588 ; the relative (sometimes demonstrative) pronoun, who, which, what, that: – one, (an-, the) other, some, that, what, which, who (-m, -se), etc. See also 3757 Internet Sacred Text Archive)
【杯を】 ποτήριον ποτήριον ポテーリオン potērion {pot-ay‘-ree-on} (n-an-s 名詞・対中単)
1)杯 2)コップ
(G4221 ποτήριον Neuter of a derivative of the alternate of 4095 a drinking vessel; by extension the contents thereof, that is, a cupful (draught); figuratively a lot or fate: – cup. Internet Sacred Text Archive)
マタ10:42; 20:22,23; 23:25,26; 26:27,39; マル7:4; 10:38,39; 14:23;36; ルカ11:39; 22:17,20,42; ヨハ18:11; etc.
【飲むことが】 πιεῖν πίνω ピノー pinō {pee‘-no } (+vnpa 不定詞・現能)
1)飲む 2)吸い込む 3)吸収する
(G4095 πίνω The first is a prolonged form of the second, which (together with the third form) occurs only as an alternate in certain tenses; to imbibe (literally or figuratively): – drink. Internet Sacred Text Archive)
マタ6:25;,31; 20:22,23; 24:38; 26:27;,29,42; 27:34; マル10:38,39; 14:23,25; 16:18 etc.
【できるか?】 δύνασθε δύναμαι ドゆナマイ dunamai {doo‘-nam-ahee} (vipn–2p 動詞・直・現能・欠・2複)
1)力がある、可能な、能力がある 2)できる、し得る 3)生み出し得る 5)~をし得る、~することができる
(G1410 δύναμαι Of uncertain affinity; to be able or possible: – be able, can (do, + -not), could, may, might, be possible, be of power. Internet Sacred Text Archive)
マタ3:9; 6:27; 8:2; 9:15,28; 10:28; 12:29,34; 17:19; 19:12,25; 20:22; 26:9,61; マル1:40; 2:7;,19; 3:23; 4:32; 33; 5:3; 7:15;,18; 9:3;,28,39; 10:26,38,39; 14:5,7 etc.
【彼に】 αὐτῶ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3s 代名詞・与男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【彼らは言った】 λέγουσιν λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vipa–3p 動詞・直・現・能・3)
1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す
(G3004 λέγω A primary verb; properly to “lay” forth, that is, (figuratively) relate (in words [usually of systematic or set discourse; whereas2036 and 5346 generally refer to an individual expression or speech respectively; while 4483 is properly to break silence merely, and 2980 means an extended or random harangue]); by implication to mean: – ask, bid, boast, call, describe, give out, name, put forth, say (-ing, on), shew, speak, tell, utter. Internet Sacred Text Archive)
マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34; マル2:11; 5:9; 12:18; ルカ5:39; 6:46; 20:41; ヨハ1:29; 2:6; 16:12; etc.
【できます】 δυνάμεθα δύναμαι ドゆナマイ dunamai {doo‘-nam-ahee} (vipn–1p 動詞・直・現・能欠・1複)
1)力がある、可能な、能力がある 2)できる、し得る 3)生み出し得る 5)~をし得る、~することができる
(G1410 δύναμαι Of uncertain affinity; to be able or possible: – be able, can (do, + -not), could, may, might, be possible, be of power. Internet Sacred Text Archive)
マタ3:9; 6:27; 8:2; 9:15,28; 10:28; 12:29,34; 17:19; 19:12,25; 20:22; 26:9,61; マル1:40; 2:7;,19; 3:23; 4:32; 33; 5:3; 7:15;,18; 9:3;,28,39; 10:26,38,39; 14:5,7 etc.
† 英語訳聖書 Matt.20:22
King James Version
20:22 But Jesus answered and said, Ye know not what ye ask. Are ye able to drink of the cup that I shall drink of, and to be baptized with the baptism that I am baptized with? They say unto him, We are able.
New King James Version
20:22 But Jesus answered and said, “You do not know what you ask. Are you able to drink the cup that I am about to drink, and be baptized with the baptism that I am baptized with?” They said to Him, “We are able.”
American Standard Version
20:22 But Jesus answered and said, Ye know not what ye ask. Are ye able to drink the cup that I am about to drink? They say unto him, We are able.
New International Version
20:22 “You don’t know what you are asking,” Jesus said to them. “Can you drink the cup I am going to drink?” “We can,” they answered
Bible in Basic English
20:22 But Jesus made answer and said, You have no idea what you are requesting. Are you able to take of the cup which I am about to take?
Today’s English Version
20:22 “You don’t know what you are asking for,” Jesus answered the sons. “Can you drink the cup of suffering that I am about to drink?” /”We can,” they answered.
Darby’s English Translation
20:22 And Jesus answering said, Ye know not what ye ask. Can ye drink the cup which I am about to drink? They say to him, We are able.
Douay Rheims
20:22 And Jesus answering, said: You know not what you ask. Can you drink the chalice that I shall drink? They say to him: We can.
Noah Webster Bible
20:22 But Jesus answered and said, Ye know not what ye ask. Are ye able to drink of the cup that I shall drink of, and to be baptized with the baptism that I am baptized with? They say to him, We are able.
Weymouth New Testament
20:22 ‘None of you know what you are asking for,’ said Jesus; ‘can you drink out of the cup from which I am about to drink?’ ‘We can,’ they replied.
World English Bible
20:22 But Jesus answered, ‘You don’t know what you ask. Are you able to drink the cup that I am about to drink, and be baptized with the baptism that I am baptized with?’ They said to him, ‘We are able.’
Young’s Literal Translation
20:22 And Jesus answering said, ‘Ye have not known what ye ask for yourselves; are ye able to drink of the cup that I am about to drink? and with the baptism that I am baptized with, to be baptized?’ They say to him, ‘We are able.’
Amplified Bible
20:22 But Jesus replied, “You do not realize what you are asking. Are you able to drink the cup [of suffering] that I am about to drink?” They answered, “We are able.”
† 細き聲 聖書研究ノート
<イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず、我が飮まんとする酒杯を飮み得るか』かれら言ふ『得るなり』>
母サロメの望みをお聞きになってイエスはゼベダイの息子ヤコブとヨハネに向かって「なんぢらは求むる所を知らず、我が飮まんとする酒杯を飮み得るか?」とお尋ねになった。
<イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず』>
十字架の受難が間近に迫る中、弟子たちは「誰に神の国での位が約束されるか」という思いに満たされていた。彼らは自分たちが「求むる所」の意味を全く理解していなかった。
「我が飮まんとする酒杯を飮み得るか」とイエスに言われると彼らは即座に「得るなり」と答える。
マタイの「我が飮まんとする酒杯」に対して、マルコは「汝等わが飮む酒杯を飮み、我が受くるバプテスマを受け得るか」とイエスの言葉を伝えている。(マルコ10:38)
「わたしの飲もうとしている杯」はマタイ20:18~19の受難を指す「受難の杯」である。
† 心のデボーション
「イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず、我が飮まんとする酒杯を飮み得るか』かれら言ふ『得るなり』」 マタイ20:22 大正文語訳聖書
「イエスは答えて仰せになった、『あなた方は自分が何を願っているのか、分かっていない。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか』。すると、二人は答えた、『できます』。」 フランシスコ会訳聖書
「私の杯」
イエスに「わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」と問われて、ヤコブとヨハネは即座に「できます」と答えた。
わたしも「杯」の意味も知らずに「従います」と答えた。だが、イエスの杯に後悔はしていない。喜んで「私」の杯を飲み干したいのである。
† 心のデボーション
「イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず、我が飮まんとする酒杯を飮み得るか』かれら言ふ『得るなり』」 マタイ20:22 大正文語訳聖書
「イエスは答えて仰せになった、『あなた方は自分が何を願っているのか、分かっていない。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか』。すると、二人は答えた、『できます』。」 フランシスコ会訳聖書
「隠された求め」
「汝らは求むる所を知らず」文語訳
人の願い事の奥には「真の求め」が隠されている。それはどのように成るかを知れば、求めることをためらい、求めそのものを捨てるかもしれないような「求め」である。そのような「求め」を人に与えられるのは神である。
† 心のデボーション
「イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず、我が飮まんとする酒杯を飮み得るか』かれら言ふ『得るなり』」 マタイ20:22 大正文語訳聖書
「イエスは答えて仰せになった、『あなた方は自分が何を願っているのか、分かっていない。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか』。すると、二人は答えた、『できます』。」 フランシスコ会訳聖書
「イエスの杯」
「わたしの飲もうとしている杯」は「受難の杯」である。
ヤコブとヨハネはイエスの「この杯を飲むことができるか」と問われて、直ちに「できます」と答えた。
その言葉の通りに、ヤコブは弟子たちの最初の殉教者になった(使徒12:2)。ヨハネは百歳くらいまで生き、殉教はしなかったが、ペテロと共に投獄され、その晩年にはパトモス島で苦難を受けている(使徒4:3、黙示1:9)。
イエスに従う者で苦難がともなわない人はいない。そして、その苦難が栄光を意味しない者もいない。
† 心のデボーション
「イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず、我が飮まんとする酒杯を飮み得るか』かれら言ふ『得るなり』」 マタイ20:22 大正文語訳聖書
「イエスは答えて仰せになった、『あなた方は自分が何を願っているのか、分かっていない。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか』。すると、二人は答えた、『できます』。」 フランシスコ会訳聖書
「いずくまでもゆかん」
ゴスペル歌手のトーマス・A・ドーシーがある大きな集会に招かれたとき、妻は出産間際で出演を躊躇したが、妻に励まされて演奏旅行に出かけた。しかし、妻は難産で出産の最中に息を引き取り、生まれた子どもも助からなかった。トーマス・A・ドーシーは2日目の舞台に立ったとき、悲報を告げる電報を受けた。彼は友人の運転する車で帰宅し、妻と子どもの冷たい身体にすがりついて涙を流したという。そのような悲しい経験から聖歌 581 『したいまつる主の』が生まれた。
聖歌 581 『したいまつる主の』
したいまつる主の みまねきあるいま
十字架にないゆかん あいする主のあとを
いずくまでもゆかん いずくまでもゆかん
いずくまでもゆかん あいする主のあとを
† 細き聲 説教
「飲むべき杯」
「イエス答へて言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず、我が飮まんとする酒杯を飮み得るか』かれら言ふ『得るなり』」 マタイ20:22 大正文語訳聖書
「イエスは答えて仰せになった、『あなた方は自分が何を願っているのか、分かっていない。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか』。すると、二人は答えた、『できます』。」 フランシスコ会訳聖書
母サロメの望みをお聞きになってイエスはゼベダイの息子ヤコブとヨハネに「なんぢらは求むる所を知らず、我が飮まんとする酒杯を飮み得るか?」とお尋ねになった。
十字架の受難が間近に迫る中、ゼベダイの息子ヤコブとヨハネは「誰に神の国での位が約束されるか」という思いに満たされていたかからである。彼らは自分たちが「求むる所」の意味を全く理解していなかった。
「我が飮まんとする酒杯を飮み得るか」とイエスに言われると彼らは即座に「得るなり」と答える。
マタイの「我が飮まんとする酒杯」に対して、マルコは「汝等わが飮む酒杯を飮み、我が受くるバプテスマを受け得るか」とイエスの言葉を伝えている。(マルコ10:38)
「わたしの飲もうとしている杯」はマタイ20:18~19の受難を指す「受難の杯」である。
イエスに従う者は迫害の「杯」を飲まなければならないと聞けば、誰一人イエスに従うことはできないだろう。
弟子たちでさえ、誰一人として「イエスの杯」を飲むことはできなかったのである。
しかし、「飲むべき杯」はイエスに従う前に差し出されるのではない。イエスに従う瞬間に「十字架と復活のイエス」は、すでに完了したものとして、私の受ける「栄光」として私に来るのである。
(皆川誠)
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