マタイによる福音書19章25節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「富の危機」 マタイ19:23~26 

マタイ19:23~26 マルコ10:23~27 ルカ18:24~27
マタイ19:23~26

Matt.19:25弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて(驚き怪しんだ マルコ10:24)言った(ますます驚いて、互に言ったマルコ10:26)、「では、だれが救われることができるのだろう」。 (これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われることができるのですか」と尋ねると ルカ18:26)口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.19:25 

【漢訳聖書】
Matt.19:25 門徒聞之、訝甚、曰、然則誰得救耶。

【明治元訳】
Matt.19:25 弟子(でし)之(これ)をて甚(いた)く驚(おどろ)き曰(いひ)けるは然(さら)ば誰(たれ)か救(すくひ)を受(うく)べき乎(や)

【大正文語訳】
Matt.19:25 弟子たち之をきき、甚だしく驚きて言ふ『さらば誰か救はるることを得ん』

【ラゲ訳】
Matt.19:25 弟子等聞きて甚怪しみ、然らば誰か救はるるを得ん、と云ひければ、

【口語訳】
Matt.19:25  弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて言った、「では、だれが救われることができるのだろう」。

【新改訳改訂3】
Matt.19:25  弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」

【新共同訳】
Matt.19:25  弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。

【バルバロ訳】
Matt.19:25 弟子たちはこれを聞いて大いに驚き、「すると救われるのはどんな人ですか」と言った。

【フランシスコ会訳】
Matt.19:25 これを聞いた弟子たちは、非常に驚いて言った、「それでは、いったい誰が救われるのだろう」。

【日本正教会訳】
Matt.19:25 門徒之を聞きて、甚驚きて曰へり、然らば誰か能く救はれん。

【塚本虎二訳】
Matt.19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」

【前田護郎訳】
Matt.19:25 それを聞いて弟子たちははなはだおどろいていう、「それならだれが救われえよう」と。

【永井直治訳】
Matt.19:25 乃ち弟子等聞きて一方ならず驚かされ、云ひけるは、されば誰か救はるることを得ん。

【詳訳聖書】
Matt.19:25 弟子たちがこれを聞いた時、彼らはすっかりわからなくなって<驚いて、困惑して>言った、「それではだれが〔永遠の死から〕救われることができるのですか」。

† 聖書引照 Matt.19:25 

Matt.19:25 弟子たち之をきき、甚だしく驚きて言ふ『さらば誰か救はるることを得ん』

[弟子たち之をきき、甚だしく驚きて言ふ『さらば誰か救はるることを得ん』]  マタ24:22; マル13:20; ルカ13:23,24; ロマ10:13; 11:5~7

† ギリシャ語聖書 Matt.19:25 

Stephens 1550 Textus Receptus
ακουσαντες δε οι μαθηται αυτου εξεπλησσοντο σφοδρα λεγοντες τις αρα δυναται σωθηναι

Scrivener 1894 Textus Receptus 
ακουσαντες δε οι μαθηται αυτου εξεπλησσοντο σφοδρα λεγοντες τις αρα δυναται σωθηναι

Byzantine Majority 
ακουσαντες δε οι μαθηται αυτου εξεπλησσοντο σφοδρα λεγοντες τις αρα δυναται σωθηναι

Alexandrian
ακουσαντες δε οι μαθηται εξεπλησσοντο σφοδρα λεγοντες τις αρα δυναται σωθηναι

Hort and Westcott 
ακουσαντες δε οι μαθηται εξεπλησσοντο σφοδρα λεγοντες τις αρα δυναται σωθηναι

† ギリシャ語聖書 品詞色分け 

Matt.19:25

ἀκούσαντες δὲ οἱ μαθηταὶ ἐξεπλήσσοντο σφόδρα λέγοντες, τίς ἄρα δύναται σωθῆναι;

† ヘブライ語聖書 Matt.19:25  

Matt.19:25

שָׁמְעוּ הַתַּלְמִידִים וְתָמְהוּ מְאֹד. “אִם כֵּן, מִי יָכוֹל לְהִוָּשַׁע?” שָׁאֲלוּ

† ラテン語聖書 Matt.19:25 

Latin Vulgate
Matt.19:25

Auditis autem his, discipuli mirabantur valde, dicentes: Quis ergo poterit salvus esse?
And upon hearing this, the disciples wondered greatly, saying: “Then who will be able to be saved?” 

† 私訳(詳訳)Matt.19:25 

【私訳】 「また、弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて<困惑して、茫然として>言った。『それでは、誰が救われることができるだろうか?』」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究 

Matt.19:25

ἀκούσαντες δὲ οἱ μαθηταὶ ἐξεπλήσσοντο σφόδρα λέγοντες, τίς ἄρα δύναται σωθῆναι;

【また】 δὲ δέ  デ de {deh} (ch 接続詞・完)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

(G1161 δέ A primary particle (adversative or continuative); butand, etc.: – also, and, but, moreover, now [often unexpressed in English].  Internet Sacred Text Archive)

【弟子たちは】 μαθηταὶ  μαθητής  マてーテース mathētēs {math-ay-tes‘} (n-nm-p 名詞・主男複)

< μανθάνω 学ぶ、覚える、聞き知る、尋ねる

1)学生、弟子、門弟 2)弟子、門人、帰依者 3)学ぶ者、師を見出した者

(G3101 μαθητής From 3129 a learner, that is, pupil: – disciple.  Internet Sacred Text Archive)

【これを聞いて】 ἀκούσαντες  ἀκούω アクーオー akouō {ak-oo‘-o} (vpaanm-p 分詞・1アオ能主男)

1)聞く、傾聴する、伝え聞く 2)耳に入る、知らせを受け取る、聞こえる 3)耳を傾ける、聞き従う、理解する 4)~と呼ばれる

(G191  ἀκούω A primary verb; to hear (in various senses): – give (in the) audience (of), come (to the ears), ([shall]) hear (-er, -ken), be noised, be reported, understand.  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:3,9; 7:24; 13:15; 17:5;  マル7:14; 8:18; ルカ2:46; 5:1; 7:22; 8:18; 9:35; 19:48; 20:45;  ヨハ5:24; 9:31;  使徒3:22; 4:19; 12:13; 13:16; 15:12; 22:1;  ロマ10:17;  ガラ3:2,5;  etc.

【非常に】 σφόδρα  σφόδρα  スふォドラ sphodra {sfod‘-rah} (ab 副詞)

< σφόδρος 烈しい、過度な

1)非常に強く 2)すっかり、全く、ひどく 3)大いに、甚だしく、烈しく、激しく、強く 4)正確に、はっきりと

(G4970 σφόδρα Neuter plural of σφοδρός sphodros (violent; of uncertain derivation) as adverb; vehemently, that is, in a high degreemuch: – exceeding (-ly), greatly, sore, very.  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:10; 17:6; 19:25;  マル16:4;  ルカ6:7; 18:23;  使徒6:7;  黙示18:23

【驚き】 ἐξεπλήσσοντο  ἐκπλήσσω  エクプれースソー  ekplēssō {ek-place‘-so} (viip–3p 動詞・直・未完・受・3複)

< ἐκ + πλήσσω 打つ

1)(驚き、喜びなどで)仰天させる、アッと驚く、肝をつぶす 2)叩き出す、追い出す、追い払う 3)我を忘れる、驚愕する、茫然とする、打ちのめす、 唖然とする

(G1605  ἐκπλήσσω From 1537 and 4141 to strike with astonishment: – amaze, astonish.  Internet Sacred Text Archive)

マタ7:28; 13:54; 19:25; 22:33;  マル6:2; 10:26; 11:10;  使徒13:12; etc.

【言った】 λέγοντες  λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vppanm-p 分詞・現能主男)

1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す

(G3004 λέγω  A primary verb; properly to “lay” forth, that is, (figuratively) relate (in words [usually of systematic or set discourse; whereas2036 and 5346 generally refer to an individual expression or speech respectively; while 4483 is properly to break silence merely, and 2980 means an extended or random harangue]); by implication to mean: – ask, bid, boast, call, describe, give out, name, put forth, say (-ing, on), shew, speak, tell, utter.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34;  マル2:11; 5:9; 12:18;  ルカ5:39; 6:46; 20:41;  ヨハ1:29; 2:6; 16:12; etc.

【それでは】 ἄρα  ἄρα  アラ ara {ar‘-ah} (ch 接続詞・完等)

1)こういうわけで、そういうわけで 2)だから、それで、それゆえに 3)したがって

(G686  ἄρα Probably from 142 (through the idea of drawing a conclusion); a particle denoting an inference more or less decisive (as follows): – haply, (what) manner (of man), no doubt, perhaps, so be, then, therefore, truly, wherefore. Often used in connection with other particles, especially 1065 or 3767 (after) or 1487 (before). Compare also 687.   Internet Sacred Text Archive)

【だれが】 τίς  τίς ティス tis {tis} (aptnm-s 形容詞・疑主男単)

1)誰 2)何 3)どんな 4)なぜ 5)どちら 6)何故、どうして

(G5101 τίς Probably emphatic of 5100 an interrogitive pronoun, who, which or what (in direct or indirect questions): – every man, how (much), + no (-ne, thing), what (manner, thing), where ([-by, -fore, -of, -unto, -with, -withal]), whether, which, who (-m, -se), why.  Internet Sacred Text Archive)

【救われる】 σωθῆναι  σῴζω  ソーゾー sōzō {sode‘-zo} (vnap 不定詞・1アオ受)

< σῶς 健康である

1)救済、死の危険からの解放、救出する、救済する、救助する、助ける、救う、安全に護る 2)無事に保つ、保護する、保持する、保存する 3)癒す、直す 4)心に留める、覚えている、忘れない

(G4982 σῴζω From a primary word σῶς sōs̄ (contraction for the obsolete σάος saos , “safe”); to save, that is, deliver or protect (literally or figuratively): – heal, preserve, save (self), do well, be (make) whole.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:21; 9:21,22; 19:25;  マル5:23,28,34; 10:26;  ルカ7:50; 18:26;  ヨハ3:17;  使徒2:40;  ロマ5:9;  Ⅰコリ1:18;  Ⅱコリ2:15;  Ⅰテモ1:15; 2:4; ヤコ5:20; etc.

【できるだろうか?】 δύναται  δύναμαι  ドゆナマイ  dunamai {doo‘-nam-ahee}  (vipn–3s 動詞・直・現・能欠・3単)

1)力がある、可能な、能力がある 2)できる、し得る 3)生み出し得る 5)~をし得る、~することができる

(G1410 δύναμαι Of uncertain affinity; to be able or possible: – be able, can (do, + -not), could, may, might, be possible, be of power.  Internet Sacred Text Archive)

マタ3:9; 6:27; 8:2; 9:15,28; 10:28; 12:29,34; 17:19; 19:12,25; 20:22; 26:9,61;  マル1:40; 2:7;,19; 3:23; 4:32; 33; 5:3; 7:15;,18; 9:3;,28,39; 10:26,38,39; 14:5,7 etc.

† 英語訳聖書 Matt.19:25 

King James Version 
19:25 When his disciples heard [it], they were exceedingly amazed, saying, Who then can be saved?

New King James Version
19:25 When His disciples heard it, they were greatly astonished, saying, “Who then can be saved?”

American Standard Version 
19:25 And when the disciples heard it, they were astonished exceedingly, saying, Who then can be saved?

New International Version
19:25 When the disciples heard this, they were greatly astonished and asked, “Who then can be saved?”

Bible in Basic English 
19:25 And the disciples, hearing this, were greatly surprised, saying, Who then may have salvation?

Today’s English Version
19:25 When the disciples heard this, they were completely amazed. “Who, then, can be saved?” they asked.

Darby’s English Translation 
19:25 And when the disciples heard it they were exceedingly astonished, saying, Who then can be saved?

Douay Rheims 
19:25 And when they had heard this, the disciples wondered very much, saying: Who then can be saved?

Noah Webster Bible 
19:25 When his disciples heard it, they were exceedingly amazed, saying, Who then can be saved?

Weymouth New Testament 
19:25 These words utterly amazed the disciples, and they asked, ‘Who then can be saved?’

World English Bible 
19:25 When the disciples heard it, they were exceedingly astonished, saying, ‘Who then can be saved?’

Young’s Literal Translation 
19:25 And his disciples having heard, were amazed exceedingly, saying, ‘Who, then, is able to be saved?’

Amplified Bible
19:25 When the disciples heard this, they were completely [c]astonished and bewildered, saying, “Then who can be saved [from the wrath of God]?”

Footnotes:
[c]These declarations of Jesus directly contradicted the teaching of the Pharisees that God bestows wealth on those He loves and chooses. If the rich were not automatically granted entrance to God’s kingdom, how could the common man ever be welcomed?

† 細き聲 聖書研究ノート 

 <弟子たち之をきき、甚だしく驚きて言ふ『さらば誰か救はるることを得ん』>

弟子たちは神の国に入ることの意味とその難しさを聞き、驚いて「さらば誰か救はるることを得ん」と語り合った。

 <弟子たち之をきき、甚だしく驚きて>

弟子たちは、イエスの教えに従って律法を守ることが永遠の命を得る条件と知り、非常に驚き、「誰がそれをすることができるだろうか」と戸惑う。「非常に驚き ἐκπλήσσω  エクプれースソー」は「仰天する、驚愕する」の意味で、詳訳聖書は「すっかりわからなくなって they were utterly puzzled」と訳す。

弟子たちは自身が「永遠のいのち」を得たかどうか、「すっかりわからなくなって」しまったのである。

 <『さらば誰か救はるることを得ん』>

富める青年は資産家でありながら、律法を厳格に守っている。弟子たちもその人となりを知る人物であったが、イエスが「彼が神の国に入るのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」と言われるのを聞いて、弟子たちは「では誰が救われるのか」と戸惑った。

† 心のデボーション   

「弟子たち之をきき、甚だしく驚きて言ふ『さらば誰か救はるることを得ん』」 マタイ19:25 大正文語訳聖書

「弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った」 新共同訳聖書

 「誰か救はるることを得ん」

「あの人が救われないなら、誰が救われるだろうか?」と思うことがある。だが、神の国に行ってみると、救われるはずのない者が救われ、そこに居てしかるべき者がいないことを知るだろう。

「天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」 マタイ11:12 新改訳聖書

† 心のデボーション    

「弟子たち之をきき、甚だしく驚きて言ふ『さらば誰か救はるることを得ん』」 マタイ19:25 大正文語訳聖書

「弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った」 新共同訳聖書

弟子たちはイエスのことばに「わけがわからなく」なる。

我々も、しばしば驚き、驚愕し、打ちのめされて、茫然とし、言葉を失う。しかし、それもまた信仰である。そこから始まるものに導かれ行く。

† 細き聲 説教  

 「選ばれる人は少ない」

「弟子たち之をきき、甚だしく驚きて言ふ『さらば誰か救はるることを得ん』」 マタイ19:25 大正文語訳聖書

「弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った」 新共同訳聖書

弟子たちは神の国に入ることの意味とその難しさを聞き、驚いて「さらば誰か救はるることを得ん」と語り合った。

弟子たちは、イエスの教えに従って律法を守ることが永遠の命を得る条件と知り、非常に驚き、「誰がそれをすることができるだろうか」と戸惑ったのであろう。

「非常に驚き ἐκπλήσσω  エクプれースソー」は「仰天する、驚愕する」の意味で、詳訳聖書は「すっかりわからなくなって they were utterly puzzled」と訳す。

弟子たちは自身が「永遠のいのち」を得たかどうか、「すっかりわからなくなって」しまったのである。

富める青年は資産家でありながら、律法を厳格に守っていた。弟子たちもその人となりを知る人物であったが、イエスが「彼が神の国に入るのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」と言われるのを聞いて、弟子たちは「では誰が救われるのか」と囁きあったのであろう。

「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」 マタイ22:14 新共同訳聖書

王の婚宴のたとえには招かれた客は来たがらず、町の通りにいるすべての者が招かれたが、王の婚礼にふさわしい者はいなかった。(マタイ22:1~14)

神の国に入る者は、「針の穴の門」をくぐるとき、自分が「ふさわしくない者」であることを告白するのである。この告白によって「針の穴の門」は開き、彼は招き入れられるのである。

 (皆川誠)

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