† 福音書縦観 「幼子の祝福」 マタイ19:13~15
マタイ19:13~15 マルコ10:13~16 ルカ18:15~17
マタイ19:13~15
Matt.19:15そして手を彼らの上においてから(そして彼らを抱き、手をその上において祝福された マルコ10:16)、そこを去って行かれた。 口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.19:15
【漢訳聖書】
Matt.19:15 遂按手其上、然後離此徃焉。
【明治元訳】
Matt.19:15 即(すなは)ちに手(て)を按(つけ)て此(ここ)を去(さり)ぬ
【大正文語訳】
Matt.19:15 かくて手を彼らの上におきて此處を去り給へり。
【ラゲ訳】
Matt.19:15 斯て彼等に按手し給ひ、さて此處を去り給へり。
【口語訳】
Matt.19:15 そして手を彼らの上においてから、そこを去って行かれた。
【新改訳改訂3】
Matt.19:15 そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。
【新共同訳】
Matt.19:15 そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。
【バルバロ訳】
Matt.19:15 彼らに按手してからここを去られた。
【フランシスコ会訳】
Matt.19:15 そして、幼子たちの上に手を置いてから、そこを去っていかれた。
【日本正教会訳】
Matt.19:15 乃彼等に手を按せて、彼處を去れり。
【塚本虎二訳】
Matt.19:15 それから子供たち(の頭)に手をのせて祝福したのち、そこを去られた。
【前田護郎訳】
Matt.19:15 彼らに(祝福の)手を置いて、そこを去られた。
【永井直治訳】
Matt.19:15 かくて彼は手を彼等の上に按き給ひて〔後〕、そこより往き給へり。
【詳訳聖書】
Matt.19:15 そしてイエスは幼子たちの上にみ手を置いてから、そこを去って行かれた。
† 聖書引照 Matt.19:15
Matt.19:15 かくて手を彼らの上におきて此處を去り給へり。
[かくて手を彼らの上におきて此處を去り給へり] イザ40:11; マル10:16; Ⅰコリ7:14; Ⅱテモ 3:15
† ギリシャ語聖書 Matt.19:15
Stephens 1550 Textus Receptus
και επιθεις αυτοισ τας χειρας επορευθη εκειθεν
Scrivener 1894 Textus Receptus
και επιθεις αυτοισ τας χειρας επορευθη εκειθεν
Byzantine Majority
και επιθεις αυτοισ τας χειρας επορευθη εκειθεν
Alexandrian
και επιθεις τας χειρας αυτοισ επορευθη εκειθεν
Hort and Westcott
και επιθεις τας χειρας αυτοισ επορευθη εκειθεν
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.19:15
καὶ ἐπιθεὶς τὰς χεῖρας αὐτοῖς ἐπορεύθη ἐκεῖθεν.
† ヘブライ語聖書 Matt.19:15
Matt.19:15
הוּא סָמַךְ יָדָיו עֲלֵיהֶם וְאַחֲרֵי כֵן הָלַךְ מִשָּׁם
† ラテン語聖書
Latin Vulgate
Matt.19:15
Et cum imposuisset eis manus, abiit inde.
And when he had imposed his hands upon them, he went away from there.
† 私訳(詳訳)Matt.19:15
【私訳】 「そして、彼ら〔幼児たち〕に手を置いてから、そこを去られた」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.19:15
καὶ ἐπιθεὶς τὰς χεῖρας αὐτοῖς ἐπορεύθη ἐκεῖθεν.
【そして】 καὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【彼らに】 αὐτοῖς αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3p 代名詞・与中3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【手を】 χεῖρας χαίρω かイロー chairō {khah‘ee-ro} (n-af-p 名詞・対女複)
1)喜ぶ、心から喜ぶ、大いに喜ぶ 2)好む、好んで~する 3)ごきげんよう、(無事であることを喜ぶ)、御無事で
ユダヤ人は会う時、別れの時に挨拶としてこのことばを用いる。
(G5463 χαίρω A primary verb; to be full of “cheer”, that is, calmly happy or well off; impersonal especially as a salutation (on meeting or parting), be well: – farewell, be glad, God speed, greeting, hail, joy (-fully), rejoice. Internet Sacred Text Archive)
マタ2:10; マル14:11; ルカ15:5,32; 19:6,37; 22:5; 23:8; ヨハ3:29; 4:36; 8:56; 16:20; 20:20 etc.
【置いてから】 ἐπιθεὶς ἐπιτίθημι エピティてーミ epitithēmi {ep-ee-tith‘-ay-mee} (vpaanm-s 分詞・2アオ能主男単)
< ἐπί 上に + τίθημι 置く
1)上に置く 2)のせる 3)かける 4)かぶらせる 5)上に当てる 6)加える、 7)負わせる、8)与える 9)襲う
(G2007 ἐπιτίθημι From 1909 and 5087 to impose (in a friendly or hostile sense): – add unto, lade, lay upon, put (up) on, set on (up), + surname, X wound. Internet Sacred Text Archive)
マタ9:18; 19:13; 21:7; 27:37; マル5:23; 6:5; 7:32; ルカ13:13; etc.
【そこを】 ἐκεῖθεν ἐκεῖθεν エケイてン ekeithen {ek-i‘-then} (ab 副詞)
1)そこから 2)そのところから 3)その場所から 4)その時から 5)そのことから
(G1564 ἐκεῖθεν From 1563 thence: – from that place, (from) thence, there. Internet Sacred Text Archive)
【立ち去られた】 ἐπορεύθη πορεύομαι ポレウオマイ poreuomai {por-yoo‘-om-ahee} (viao–3s 動詞・直・1アオ・能欠・3単)
< πόρος 徒渉できる浅瀬、渡し
1)進ませる、歩かせる 2)渡す、越えていく、通り過ぎる 3)旅する、旅に出る、行く、歩く、進む、旅を続ける、~から去る 4)生きる、日を過ごす 5)去る、逝く、死ぬ
(G4198 πορεύομαι Middle voice from a derivative of the same as 3984 to traverse, that is, travel(literally or figuratively; especially to remove [figuratively die], live, etc.): – depart, go (away, forth, one’s way, up), (make a, take a) journey, walk. Internet Sacred Text Archive)
マタ2:8; 17:27; 19:15; 24:1; 25:41; マル16:12; ルカ1:39; 2:41; 4:42; 13:31; 22:39; 使徒8:39 etc.
† 英語訳聖書 Matt.19:15
King James Version
19:15 And he laid [his] hands on them, and departed thence.
New King James Version
19:15 And He laid His hands on them and departed from there.
American Standard Version
19:15 And he laid his hands on them, and departed thence.
New International Version
19:15 When he had placed his hands on them, he went on from there.
Bible in Basic English
19:15 And he put his hands on them, and went away.
Today’s English Version
19:15 He placed his hands on them and then went away.
Darby’s English Translation
19:15 and having laid his hands upon them, he departed thence.
Douay Rheims
19:15 And when he had imposed hands upon them, he departed from thence.
Noah Webster Bible
19:15 And he laid his hands on them, and departed thence.
Weymouth New Testament
19:15 So He laid His hands upon them and went away.
World English Bible
19:15 He laid his hands on them, and departed there.
Young’s Literal Translation
19:15 and having laid on them his hands, he departed thence.
Amplified Bible
19:15 After placing His hands on them [for a blessing], He went on from there.
† 細き聲 聖書研究ノート
<かくて手を彼らの上におきて此處を去り給へり>
イエスは幼子に手をおいて祝福されると、そのところを立ち去られた。
<かくて手を彼らの上におきて>
マルコによれば、この時イエスは「子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された」のである。(マルコ10:16)
<幼児洗礼>
本節を「幼児洗礼」の根拠とする教会もある。
幼児洗礼は二世紀頃に確立したが、新約聖書には直接的に言及されていない。家族と共に子どもも洗礼を受けたようである。やがて教会が社会に認められるに従って、幼児洗礼は「出生届や住民登録」的な意味をもつようになった。
宗教改革期には、洗礼は信仰告白に基づくものとする立場から幼児洗礼を否定する立場がプロテスタントに生まれたが、改革派、長老教会など幼児洗礼を支持する(その場合、洗礼を受けた幼児は成長した後に堅信礼が行われる)プロテスタント教会もある。
† 心のデボーション
「かくて手を彼らの上におきて此處を去り給へり」 マタイ19:15 大正文語訳聖書
「そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた」 新改訳聖書
「幼子と老人の祝福」
「幼子といへどもその動作によりておのれの根性の清きか或は正しきかをあらはす」 箴言20:11 明治元訳聖書
幼子でさえも「何かをするとき、その行いが純粋なのかどうか、正しいのかどうかを明らかにする」(新改訳聖書)。
老いた人の複雑な思考が必ずしも多くを知ったことに依らないように、幼子の純粋性は必ずしも無知からくるものではない。
イエスが幼子を抱きその手を置かれて祝されたように、イエスは老人を抱きその手を置いて祈られるであろう。
† 細き聲 説教
「祝福」
「かくて手を彼らの上におきて此處を去り給へり」 マタイ19:15 大正文語訳聖書
「そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた」 新改訳聖書
イエスは幼子に手をおいて祝福されると、そのところを立ち去られた。
マルコによれば、この時イエスは「子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された」のである。(マルコ10:16)
旧約聖書では、全焼のいけにえがささげられるとき、羊の頭に手を置いた。それは羊が罪の贖いのために彼の代わりに受け入れられる為であった。
「その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである」 レビ記 1:4 新改訳聖書
新約聖書では、主イエスが病める人に「手を置かれる」と病が癒された。(マタイ8:3,15,etc.)
「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった」 マタイ8:3 新共同訳聖書
弟子たちが人々の上に「手を置く」と彼らは聖霊を受けた。
「ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた」 使徒8:17 新共同訳聖書
「手を置く」は、贖いの儀式にはじまり、罪の浄めを約束した。人々はそれによって聖霊を受け、病は癒された。
イエスは病をもたない子どもを抱き、彼らの頭に手を置かれる。イエスは手を置かれることによって、子どもの全生涯を祝福し、浄められたのである。
祝福は「天と地を造られた方、いと高き神より」来る。
「彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より」 創世記14:19新改訳聖書
(皆川誠)
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