† 福音書縦観 「離縁と独身」 マタイ19:1~12
マタイ19:1~12 マルコ10:1~12 ルカ16:18
マタイ19:1~12
Matt.19:2すると大ぜいの群衆がついてきたので、(いつものように、また教えておられた マルコ10:1)彼らをそこでおいやしになった。 口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.19:2
【漢訳聖書】
Matt.19:2 羣眾從之、耶穌在彼、醫之焉。
【明治元訳】
Matt.19:2 多(おほく)の從(したが)ひしかば此(この)處(ところ)にて彼等(かれら)を醫(いや)し給(たま)へり
【大正文語訳】
Matt.19:2 大なる群衆したがひたれば、此處にて彼らを醫し給へり。
【ラゲ訳】
Matt.19:2 群衆夥しく之に從ひければ、其處にて彼等を醫し給へり。
【口語訳】
Matt.19:2 すると大ぜいの群衆がついてきたので、彼らをそこでおいやしになった。
【新改訳改訂3】
Matt.19:2 すると、大ぜいの群衆がついて来たので、そこで彼らをいやされた。
【新共同訳】
Matt.19:2 大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気をいやされた。
【バルバロ訳】
Matt.19:2 大ぜいの人々がついてきたので、その場で彼らを治された。
【フランシスコ会訳】
Matt.19:2 すると、大勢の群衆がイエスについて来たので、イエスはその場で彼らを癒された。
【日本正教会訳】
Matt.19:2 多くの民彼に從ひしに、彼は彼處に於て彼等を醫せり。
【塚本虎二訳】
Matt.19:2 すると大勢の群衆がついて来たので、そこで彼らの病気をなおされた。
【前田護郎訳】
Matt.19:2 多くの群衆が彼に従い、彼はその地方で彼らの病をいやされた。
【永井直治訳】
Matt.19:2 また多くの群衆彼に從ひたれば、そこにて彼等を癒し給へり。
【詳訳聖書】
Matt.19:2 大ぜいの群衆が彼について行ったので、彼はそこで彼らをいやされた。
† 聖書引照 Matt.19:2
Matt.19:2 大なる群衆したがひたれば、此處にて彼らを醫し給へり。
[大なる群衆したがひたれば、此處にて彼らを醫し給へり] マタ4:23~25; 9:35,36; 12:15; 14:35,36; 15:30,31; マル6:55,56
† ギリシャ語聖書 Matt.19:2
Stephens 1550 Textus Receptus
και ηκολουθησαν αυτω οχλοι πολλοι και εθεραπευσεν αυτους εκει
Scrivener 1894 Textus Receptus
και ηκολουθησαν αυτω οχλοι πολλοι και εθεραπευσεν αυτους εκει
Alexandrian
και ηκολουθησαν αυτω οχλοι πολλοι και εθεραπευσεν αυτους εκει
Hort and Westcott
και ηκολουθησαν αυτω οχλοι πολλοι και εθεραπευσεν αυτους εκει
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.19:2
καὶ ἠκολούθησαν αὐτῶ ὄχλοι πολλοί, καὶ ἐθεράπευσεν αὐτοὺς ἐκεῖ.
† ヘブライ語聖書 Matt.19:2
Matt.19:2
הֲמוֹן עַם רַב הָלְכוּ אַחֲרָיו וְהוּא רִפֵּא אוֹתָם שָׁם
† ラテン語聖書 Matt.19:2
Latin Vulgate
Matt.19:2
et secutæ sunt eum turbæ multæ, et curavit eos ibi.
And great crowds followed him, and he healed them there.
† 私訳(詳訳)Matt.19:2
【私訳】 「そして、大勢の群集が彼〔イエス〕に従った。そして、そのところで彼らをいやされた<仕えられた、手当をされた>」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.19:2
καὶ ἠκολούθησαν αὐτῶ ὄχλοι πολλοί, καὶ ἐθεράπευσεν αὐτοὺς ἐκεῖ.
【そして】 καὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【大勢の】 πολλοί πολύς ポりゆス polus polos {pol-oos‘} (a–nm-p 形容詞・主男複)
1)(数が)多い、よリ多く、余る、余分にある、十分過ぎる、ほどである、余裕がある、余計である 2)(大きさ、強さ、程度の)大きい、激しい、大いなる、非常な、重大な、3)おびただしい、幾多の、幾つもの、大量の 4)より永い、より先の 5)価値の高い、より優れた、より大切な
(G4183 πολύς Including the forms from the alternate “pollos”; (singular) much (in any respect) or (plural) many; neuter (singular) as adverb largely; neuter (plural) as adverb or noun often, mostly, largely: – abundant, + altogether, common, + far (passed, spent), (+ be of a) great (age, deal, -ly, while), long, many, much, oft (-en [-times]), plenteous, sore, straitly. Compare 4118 4119. Internet Sacred Text Archive)
【群衆が】 ὄχλοι ὄχλος オくろス ochlos {okh‘-los} (n-nm-p 名詞・主男複)
1)群衆、集団、群れ、大勢の人々 2)軍勢 3)大衆、民衆、人民、市民、 4)人だかり、雑踏 5)ごたごた、煩わしさ、迷惑、厄介、面倒
(G3793 ὄχλος From a derivative of 2192 (meaning a vehicle); a throng (as borne along); by implication the rabble; by extension a class of people; figuratively a riot: – company, multitude, number (of people), people, press. Internet Sacred Text Archive)
【彼に】 αὐτῶ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3s 代名詞・与男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【従った】 κολούθησαν ἀκολουθέω アコるーてオー akoloutheō {ak-ol-oo-theh‘-o} (viaa–3p 動詞・直・1アオ・能・3複)
< α + κέλευθος 道
1)同じ道を歩む、ついて行く、従う、つき従う、一緒に行く、~に同行する、随行する、同行する 2)導かれる、適合する 3)弟子になる、弟子である 4)愛着する、固く結びつく、生死を共にする
(G190 ἀκολουθέω From 1 (as a particle of union) and κέλευθος keleuthos (a road); properly to be in the same way with, that is, to accompany (specifically as a disciple): – follow, reach. Internet Sacred Text Archive)
マタ4:20,22,23; 8:1,10,19,22,23; 9:9,27; 10:24; 19:2,21,27,28; 20:29,34; 26:58 etc.
【そして】 καὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【そこで】 ἐκεῖ ἐκεῖ エケイ ekei {ek-i‘} (ab 副詞)
1)そこに、そこで、かしこに、そちらへ、あちらへ、その方へ 2)その場所で 3)その時、当時
(G1563 ἐκεῖ Of uncertain affinity; there; by extension thither: – there, thither (-ward), (to) yonder (place). Internet Sacred Text Archive)
【彼らを】 αὐτοὺς αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npam3p 代名詞・対男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【いやされた】 ἐθεράπευσεν θεραπεύω てラペウオー therapeuō {ther-ap-yoo‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・3単)
< θεράπων 召使い、下僕
1)奉仕する、仕える 2)治療する、いやす、直す、看護する、手当する 3)世話する、面倒をみる、心を掛ける、配慮する 4)育む、養う
Psychotherapy 精神療法 はギリシャ語の 「θεραπεία ψυχῆς」に由来する。「ψυχῆς プシュケー いのち、こころ、精神、自我、自己」に「θεραπεία テラペイア 奉仕、世話、治療、手当」すること
(G2323 θεραπεύω From the same as 2324 to wait upon menially, that is, (figuratively) to adore (God), or (specifically) to relieve (of disease): – cure, heal, worship. Internet Sacred Text Archive)
マタ4:23,24; 8:7,16; 9:35; 10:1,8; 12:10,15,22; 14:14; 15:30; 17:26; 19:2: 21:14; マル1:34; 3:2,10: 6:5,13 etc.
† 英語訳聖書 Matt.19:2
King James Version
19:2 And great multitudes followed him; and he healed them there.
New King James Version
19:2 And great multitudes followed Him, and He healed them there.
American Standard Version
19:2 and great multitudes followed him; and he healed them there.
New International Version
19:2 Large crowds followed him, and he healed them there.
Bible in Basic English
19:2 And a great number went after him; and he made them well there.
Today’s English Version
19:2 Large crowds followed him, and he healed them there.
Darby’s English Translation
19:2 and great crowds followed him, and he healed them there.
Douay Rheims
19:2 And great multitudes followed him: and he healed them there.
Noah Webster Bible
19:2 And great multitudes followed him, and he healed them there.
Weymouth New Testament
19:2 And a vast multitude followed him, and He cured them there.
World English Bible
19:2 Great multitudes followed him, and he healed them there.
Young’s Literal Translation
19:2 and great multitudes followed him, and he healed them there.
Amplified Bible
19:2 and large crowds followed Him, and He healed them there.
† 細き聲 聖書研究ノート
<大なる群衆したがひたれば、此處にて彼らを醫し給へり>
エルサレムへの「ヴィア・ドロローサ 苦難の道」を歩まれるイエスのあとを群衆も従った。イエスは群衆が連れてきた病人をことごとく癒された。
<大なる群衆したがひたれば>
イエスの行かれるところどこにも「群衆」が発生する。
<此處にて彼らを醫し給へり>
イエスは大ぜいの群衆がついてきたのをご覧になり「いつものように、また教えられ」(マルコ10:1)また、彼らの病を癒された。
† 心のデボーション
「大なる群衆したがひたれば、此處にて彼らを醫し給へり」 マタイ19:2 大正文語訳聖書
「すると、大勢の群衆がイエスについて来たので、イエスはその場で彼らを癒された」 フランシスコ会訳聖書
「群衆」
「群衆」は個人の集まりであるが、「群衆」になると、個人とは別の「意識」が生まれる。しかし、その「意識」もまた「個人」の意識の底にあるものである。「群衆」は大きくなるにつれて、意識の底に横たわるものが強化され、人々を動かし、「危機」をもたらす。イエスの周辺にもその危機的なものが表面化しつつあった。
† 心のデボーション
「大なる群衆したがひたれば、此處にて彼らを醫し給へり」 マタイ19:2 大正文語訳聖書
「すると、大勢の群衆がイエスについて来たので、イエスはその場で彼らを癒された」 フランシスコ会訳聖書
「その場で彼らを癒された」
イエスは従ってくる群衆のなかに、病をもつ人を見ると、「その場で」彼らを癒された。病に苦しむ人がイエスに連れてこられる時は狭まっていた。イエスは十字架の直前に、病の人々を見れば、直ちにその場で彼らを癒されたのである。
恵みはいつも「その場で」受け取らなければならない。「その場」に思いを開く。
† 心のデボーション
「大なる群衆したがひたれば、此處にて彼らを醫し給へり」 マタイ19:2 大正文語訳聖書
「すると、大勢の群衆がイエスについて来たので、イエスはその場で彼らを癒された」 フランシスコ会訳聖書
「イエス癒し給う」
ヨブは「うわべを繕う者、皆、無用の医師だ」という。(ヨブ13:4)
病のために、医療を受けよ。正しい医療は病から人を救う。医師のもとを訪ねるもイエスと共にあれ。
† 細き聲 説教
「光のある間に光を信ぜよ」
「大なる群衆したがひたれば、此處にて彼らを醫し給へり」 マタイ19:2 大正文語訳聖書
「すると、大勢の群衆がイエスについて来たので、イエスはその場で彼らを癒された」 フランシスコ会訳聖書
エルサレムへの「ヴィア・ドロローサ 苦難の道」を歩まれるイエスのあとを群衆も従った。イエスは群衆が連れてきた病人をことごとく癒された。
イエスは大ぜいの群衆がついてきたのをご覧になり「いつものように、また教えられ」(マルコ10:1)また、いつものようい病を癒された。
この時、群衆はいつものようにイエスを追い、いつものように病人を差し出し、イエスはいつものように病人を 癒され、いつものように群衆を教えられた。
わずかの日の後に、イエスの教えは議会で裁かれ、群衆はイエスを「十字架につけろ!」と叫ぶ群衆に変わる。そのことを誰も知らない。
日々が「いつものように」過ぎ、「いつものような私」でいられると考えてはならない。
「光の子とならんために、光のある間に光を信ぜよ」 ヨハネ12:36 大正文語訳聖書
(皆川誠)
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