† 福音書対観 「パリサイ人とサドカイ人のパン種」 マタイ16:5~12
マタイ16:5~12 マルコ8:14~21 ルカ12:1
† 福音書縦観 「パリサイ人とサドカイ人のパン種」 マタイ16:5~12
マタイ16:5~12 マルコ8:14~21 ルカ12:1
マタイ16:5~12
Matt.16:5弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。 (弟子たちはパンを持って来るのを忘れていたので、舟の中にはパン一つしか持ち合わせがなかった。マルコ8:14)(その間に、おびただしい群衆が、互に踏み合うほどに群がってきたが、イエスはまず弟子たちに語りはじめられた、「パリサイ人のパン種、すなわち彼らの偽善に気をつけなさい。ルカ12:1)
口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.16:5
【漢訳聖書】
Matt.16:5 門徒濟彼岸、忘取餅。
【明治元訳】
Matt.16:5 そのむかふの岸(きし)に到(いたり)しにパンを携(たづさ)ふることを忘(わすれ)たり
【大正文語訳】
Matt.16:5 弟子たち彼方の岸に到りしに、パンを携ふることを忘れたり。
【ラゲ訳】
Matt.16:5 弟子等湖の彼方に至りしに、麪を携ふる事を忘れたり。
【口語訳】
Matt.16:5 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。
【新改訳改訂3】
Matt.16:5 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れた。
【新共同訳】
Matt.16:5 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。
【バルバロ訳】
Matt.16:5 弟子たちは向こう岸へ行ったが、パンを持ってくるのを忘れた。
【フランシスコ会訳】
Matt.16:5 さて、弟子たちは向こう岸に渡ったが、パンをもって来るのを忘れていた。
【日本正教会訳】
Matt.16:5 門徒彼の岸に濟りて、餅を取ることを忘れたり。
【塚本虎二訳】
Matt.16:5 向う岸に着いたとき、弟子たちはパンを持ってくるのを忘れていた。
【前田護郎訳】
Matt.16:5 向こう岸に渡るとき弟子たちはパンを持って来るのを忘れていた。
【永井直治訳】
Matt.16:5 また弟子等の向側に到りしとき、彼等はパンを携ふることを忘れたり。
【詳訳聖書】
Matt.16:5 弟子たちは、湖の向こう岸に着いてから、パンを持って来るのをすっかり忘れていたのに気がついた。
† 聖書引照 Matt.16:5
Matt.16:5 弟子たち彼方の岸に到りしに、パンを携ふることを忘れたり。
[弟子たち彼方の岸に到りしに、パンを携ふることを忘れたり] マタ 15:39; マル8:13,14
† ギリシャ語聖書 Matt.16:5
Stephens 1550 Textus Receptus
και ελθοντες οι μαθηται αυτου εις το περαν επελαθοντο αρτους λαβειν
Scrivener 1894 Textus Receptus
και ελθοντες οι μαθηται αυτου εις το περαν επελαθοντο αρτους λαβειν
Byzantine Majority
και ελθοντες οι μαθηται αυτου εις το περαν επελαθοντο αρτους λαβειν
Alexandrian
και ελθοντες οι μαθηται εις το περαν επελαθοντο αρτους λαβειν
Hort and Westcott
και ελθοντες οι μαθηται εις το περαν επελαθοντο αρτους λαβειν
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.16:5
αὶ ἐλθόντες οἱ μαθηταὶ εἰς τὸ πέραν ἐπελάθοντο ἄρτους λαβεῖν.
† ヘブライ語聖書 Matt.16:5
Matt.16:5
כְּשֶׁעָבְרוּ הַתַּלְמִידִים אֶל הַצַּד הַשֵּׁנִי שָׁכְחוּ לָקַחַת לֶחֶם. אָמַר לָהֶם יֵשׁוּעַ
† ラテン語聖書 Matt.16:5
Latin Vulgate
Matt.16:5
Et cum venissent discipuli eius trans fretum, obliti sunt panes accipere.
And when his disciples went across the sea, they forgot to bring bread.
† 私訳(詳訳)Matt.16:5
【私訳】 「そして、弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持ってくるのを忘れて<見落として、軽視して、おこたって>いた」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.16:5
καὶ ἐλθόντες οἱ μαθηταὶ εἰς τὸ πέραν ἐπελάθοντο ἄρτους λαβεῖν.
【そして】 καὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【弟子たちは】 μαθηταὶ μαθητής マてーテース mathētēs {math-ay-tes‘} (n-nm-p 名詞・主男複)
< μανθάνω 学ぶ、覚える、聞き知る、尋ねる
1)学生、弟子、門弟 2)弟子、門人、帰依者 3)学ぶ者、師を見出した者
(G3101 μαθητής From 3129 a learner, that is, pupil: – disciple. Internet Sacred Text Archive)
【向こう岸】 πέραν πέραν ペラン peran {per‘-an} (ab 副詞)
1)向こうに、越えて向こう岸に、向こう側に 2)対岸、向こう岸 3)向き合って 4)境界、はて、終り、限度、限界、きわみ、端 5)ヨルダン川の向側
(G4008 πέραν Apparently the accusative case of an obsolete derivation of πείρω peirō (to “peirce”); through (as adverb or preposition), that is, across: – beyond, farther (other) side, over. Internet Sacred Text Archive)
マタ4:15,25; 8:28; 19:1; マル4:35; 5:1,21; 6:45; 8:13; 10:1; ルカ8:22 etc.
【に】 εἰς εἰς エイス eis {ice} (pa 前置詞・対)
1)~の中へ 2)~へ 3)~まで 4)~のために 5)~に対して 6)~に向かって 7)~を目標にして 8)の間に
(G1519 εἰς A primary preposition; to or into (indicating the point reached or entered), of place, time, or (figuratively) purpose (result, etc.); also in adverbial phrases.: – [abundant-] ly, against, among, as, at, [back-] ward, before, by, concerning, + continual, + far more exceeding, for [intent, purpose], fore, + forth, in (among, at unto, -so much that, -to), to the intent that, + of one mind, + never, of, (up-) on, + perish, + set at one again, (so) that, therefore (-unto), throughout, till, to (be, the end, -ward), (here-) until (-to), . . . ward, [where-] fore, with. Often used in composition with the same general import, but only with verbs (etc.) expressing motion (literallyor figuratively. Internet Sacred Text Archive)
【行ったが】 ἐλθόντες ἔρχομαι エルこマイ erchomai {er‘-khom-ahee} (vpaanm-p 分詞・2アオ能主男複)
1)来る、やってくる、~しにやってくる 2)近づく、臨む、達する 3)着く、到着する 4)現れる 5)上がる、下る
(G2064 ἔρχομαι Middle voice of a primary verb (used only in the present and imperfect tenses, the others being supplied by a kindred [middle voice] word, ἐλεύθομαι eleuthomai or ἕλθω elthō ; which do not otherwise occur); to come or go (in a great variety of applications, literally and figuratively): – accompany, appear, bring, come enter, fall out, go, grow, X light, X next, pass, resort, be set. Internet Sacred Text Archive)
【パンを】 ἄρτους ἄρτος アルトス artos {ar‘-tos} (n-am-p 名詞・対男複)
1)パン、厚さ2センチくらいの円形のパン 2)パンの一塊 3)食物
(G740 ἄρτος From 142 bread (as raised) or a loaf: – (shew-) bread, loaf. Internet Sacred Text Archive)
マタ4:3,4; 7:9; 12:4; 14:17,19; 15:26,33,34,36; 16:5,7,8,9,10,11,12; 26;26; マル2:26; 6:37,38,41,44,52; 7:27; 8:4;,5,6,14,16,17,19,14:22 etc
【持ってくるのを】 λαβεῖν λαμβάνω らムバノー lambanō {lam-ban‘-o} (vnaa 不定詞・2アオ能)
1)取る、取り去る、捉える、得る、つかむ、つかまえる 2)握る、抱える、自分のものとする 3)奪い去る、取り上げる、引き取る、捕らえる、取り去る、取り立てる
(G2983 λαμβάνω A prolonged form of a primary verb, which is used only as an alternate in certain tenses; to take (in very many applications, literally and figuratively [probably objective or active, to get hold of; whereas 1209 is rather subjective or passive, to have offered to one; while 138 is more violent, to seize or remove]): – accept, + be amazed, assay, attain, bring, X when I call, catch, come on (X unto), + forget, have, hold, obtain, receive (X after), take (away, up). Internet Sacred Text Archive)
マタ5:40; 10:38; 13:31,33; 16:19; 15:26;,36; 17:25;,27; 25:1,3; 26:26,27,52; 27:6,9,24,30,48,59; 28:15 etc.
【忘れていた】 ἐπελάθοντο ἐπιλανθάνομαι エピらンたノマイ epilanthanomai {ep-ee-lan-than‘-om-ahee} (viad–3p 動詞・直・2アオ・能欠・3複)
< ἐπί + λανθάνομαι 忘れる
1)忘れる 2)見落とす、軽視する、無視する 3)怠る、おろそかにする
(G1950 ἐπιλανθάνομαι Middle voice from 1909 and 2990 to lose out of mind; by implication to neglect: – (be) forget (-ful of). Internet Sacred Text Archive)
マタ16:5; マル8:14; ルカ12:6; ピリ3:13; ヘブ6:10; 13:2,16; ヤコ1:24
† 英語訳聖書 Matt.16:5
King James Version
16:5 And when his disciples were come to the other side, they had forgotten to take bread.
New King James Version
16:5 Now when His disciples had come to the other side, they had forgotten to take bread.
American Standard Version
16:5 And the disciples came to the other side and forgot to take bread.
New International Version
16:5 When they went across the lake, the disciples forgot to take bread.
Bible in Basic English
16:5 And when the disciples came to the other side they had not taken thought to get bread.
Today’s English Version
16:5 When the disciples crossed over to the other side of the lake, they forgot to take any bread.
Darby’s English Translation
16:5 And when his disciples were come to the other side, they had forgotten to take bread.
Douay Rheims
16:5 And when his disciples were come over the water, they had forgotten to take bread.
Noah Webster Bible
16:5 And when his disciples had come to the other side, they had forgotten to take bread.
Weymouth New Testament
16:5 When the disciples arrived at the other side of the Lake, they found that they had forgotten to bring any bread;
World English Bible
16:5 The disciples came to the other side and forgot to take bread.
Young’s Literal Translation
16:5 And his disciples having come to the other side, forgot to take loaves,
Amplified Bible
16:5 When the disciples reached the other side of the sea, they realized that they had forgotten to bring bread.
† 細き聲 聖書研究ノート
<弟子たち彼方の岸に到りしに、パンを携ふることを忘れたり>
弟子たちはイエスと共に舟で移動した。そのとき、弟子たちは自分たちがパンを一つしか持ち合わせていないことに気づいた。
<パンを携ふることを忘れたり>
イエスと弟子たちは「向こう岸(異邦人の地)」に渡られた。そして、弟子たちは「パン」を持参しなかったことに気づいた。マルコ並行記事では「舟の中にはパン一つしか持ち合わせがなかった」(マルコ8:14)とある。
「その間に、おびただしい群衆が、互に踏み合うほどに群がってきた」(ルカ12:1)のである。
<パンを持って来るのを忘れていた>
当時の「パン」は前日の「こね鉢」に残した捏粉を「パン種」として加えて発酵させ焼いて作られた。ユダヤ人は異邦人の焼いたパンを「汚れたパン」として食べなかった。「汚れたパン種」のパンだからである。
「向こう岸(異邦人の地)」に渡った弟子たちは「パン」を持参しなかったことで、問題が発生した。弟子たちは異邦人の焼いたパンしかない所で、どうやって「パリサイ人、サドカイ人」の作る「浄いパン」を手に入れることができるのだろうかと思い悩んだ。
† 心のデボーション
「弟子たち彼方の岸に到りしに、パンを携ふることを忘れたり」 マタイ16:5 大正文語訳聖書
「弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた」 新共同訳聖書
「隠れた影響」
携えることを忘れた「パン」の問題から、弟子たちの心に隠れている「パリサイ派とサドカイ派の影響」が表面化してくる。
伝達された信仰には、本人も知らない「思い」が隠されている。それらが現れてきたときは、一つ一つを丁寧に扱う。それによって信仰は伝達されたものから生けるものに変わる。
† 心のデボーション
「弟子たち彼方の岸に到りしに、パンを携ふることを忘れたり」 マタイ16:5 大正文語訳聖書
「弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた」 新共同訳聖書
「パンを持って来るのを忘れていた」
弟子たちは向こう岸に渡ったが、誰もパンの準備をしていなかった。「忘れていた ἐπιλανθάνομαι エピらンたノマイ」には「軽視する」の意味もある。「パンを準備する」のは目下の者の役目である。うっかり「忘れた」のではなく、弟子たちの内で「誰がそれをするか」で探り合いがあり、それをする者がいなかったのだろう。
弟子たちの間で「だれがいちばん偉いだろうか」という議論があった(ルカ22:24)
主は「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」と教えられた。(ルカ22:26)
上に立つ者が「年若い者の役割を引き受ける」のはよいが、そうしたところ、それが当たり前のことになるようであれば、それは間違っている。はじめから「上に立つ者」の役割が失われているのである。
† 細き聲 説教
「儀式的な浄め」
「弟子たち彼方の岸に到りしに、パンを携ふることを忘れたり」 マタイ16:5 大正文語訳聖書
「弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた」 新共同訳聖書
弟子たちはイエスと共に舟で移動した。そのとき、弟子たちは自分たちがパンを一つしか持ち合わせていないことに気づいた。
イエスと弟子たちは「向こう岸(異邦人の地)」に渡られた。
マルコ並行記事では「舟の中にはパン一つしか持ち合わせがなかった」(マルコ8:14)とある。
当時の「パン」は前日の「こね鉢」に残した捏粉を「パン種」として加えて発酵させ焼いて作られた。ユダヤ人は異邦人の焼いたパンを「汚れたパン」として食べなかった。「汚れたパン種」のパンだからである。
「向こう岸(異邦人の地)」に渡った弟子たちは「パン」を持参しなかったことで、問題が発生した。弟子たちは異邦人の焼いたパンしかない所で、どうやって「パリサイ人、サドカイ人」の作る「浄いパン」を手に入れることができるのだろうかと思い悩んだのである。
弟子たちは依然としてパリサイ人やサドカイ人の信仰の影響を強く受けている。
イエスがいかに十字架と復活による救いを伝えても、儀式的な浄めへの心遣いに動かされてしまう。
人は律法の儀式によって浄められることはない。罪の浄めはイエスの「十字架と復活」にある。
イエスは「十字架と復活」によって律法の求めを満たされたのである。
イエスの教えを決定的に経験するまでは、すべての人は古い教えの中にいる。
だが、それまでの期間も、イエスは共におられ、その弱さを励まされる。
(皆川誠)
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