マタイによる福音書15章31節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「ガガリラヤ湖畔のいやし」 マタイ15:29~31  

マタイ15:29~31 マルコ7:31~37
マタイ15:29~31

Matt.15:31群衆は、おしが物を言い、不具者が直り、足なえが歩き、盲人が見えるようになったのを見て驚き、そしてイスラエルの神をほめたたえた。 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.15:31 

【漢訳聖書】
Matt.15:31 衆見瘖者言、殘缺者痊、跛者行、瞽者明、則奇之、而歸榮以色列之神。

【明治元訳】
Matt.15:31 是(ここ)にて瘖者(おふし)はものいひ殘缺(かたは)はいえ跛者(あしなへ)はあゆみ瞽者(めしひ)は見(み)たるを人々(ひとびと)見(み)て奇(あやし)みイスラエルの神(かみ)を榮(あがめ)たり

【大正文語訳】
Matt.15:31 群衆は、唖者の物いひ、不具の癒え、跛者の歩み、盲人の見えたるを見て之を怪しみ、イスラエルの神を崇めたり。

【ラゲ訳】
Matt.15:31 然れば群衆は唖者の言ひ、跛者の歩み、瞽者の見ゆるを見て感嘆し、光榮をイスラエルの神に歸し奉れり。

【口語訳】
Matt.15:31  群衆は、口のきけなかった人が物を言い、手や足が不自由だった人がいやされ、盲人が見えるようになったのを見て驚き、そしてイスラエルの神をほめたたえた。

【新改訳改訂3】
Matt.15:31  それで群衆は、口のきけない者がものを言い、手足の不自由な者が直り、足のなえた者が歩き、盲人たちが見えるようになるのを見て驚いた。そして彼らはイスラエルの神をあがめた。

【新共同訳】
Matt.15:31  群衆は、口の利けない人が話すようになり、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を賛美した。

【バルバロ訳】
Matt.15:31 唖がものを言い、不具者が治り、足なえが歩き、盲人が見えるのを見た人々は、驚いてイスラエルの神を賛美した。

【フランシスコ会訳】
Matt.15:31 群衆は、口のきけない人がものを言い、体の不自由な人が回復し、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神をほめたたえた。

【日本正教会訳】
Matt.15:31 民は唖者の言ひ、殘缺者の健になり、跛者の歩み、瞽者の見るを見て、之を奇として、イズライリの神を讃榮せり。

【塚本虎二訳】
Matt.15:31 群衆は唖が物を言い、片輪が直り、足なえが歩きまわり、盲人が目が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を讃美した。

【前田護郎訳】
Matt.15:31 唖者が語り、不具の人がなおり、足なえが歩き、目しいが見るのを見て群衆はおどろき、イスラエルの神を讃美した。

【永井直治訳】
Matt.15:31 されば諸群衆は唖のたり、不具者の健になり、跛者の歩み、また盲者の視るを視て驚かされき。かくて彼等はイスラエルの神を頌めたり。

【詳訳聖書】
Matt.15:31 それで群衆は、おしが物を言い、不具者が健やかになり、足なえが歩き、盲人が見えるようになったのを見て驚嘆した。そして彼らはイスラエルの神を認めた<賛美した<に感謝した<崇めた>。

† 聖書引照 Matt.15:31 

Matt.15:31 群衆は、唖者の物いひ、不具の癒え、跛者の歩み、盲人の見えたるを見て之を怪しみ、イスラエルの神を崇めたり。

[群衆は、唖者の物いひ]  マタ9:33; マル7:37
[不具の癒え]  マタ18:8; マル9:43; ルカ14:13,21
[跛者の歩み]  マタ21:14; 使徒3:2-11; 14:8~10
[盲人の見えたるを見て之を怪しみ]  マタ9:8; 詩篇50:15,23; マル2:12; ルカ7:16; 17:15-18; 18:43; ヨハ9:24
[イスラエルの神を崇めたり]  創世32:28; 33:20; *marg:; 出エ24:10

† ギリシャ語聖書 Matt.15:31 

Stephens 1550 Textus Receptus
ωστε τουσ οχλουσ θαυμασαι βλεποντας κωφους λαλουντας κυλλους υγιεις χωλους περιπατουντας και τυφλους βλεποντας και εδοξασαν τον θεον ισραηλ

Scrivener 1894 Textus Receptus 
ωστε τουσ οχλουσ θαυμασαι βλεποντας κωφους λαλουντας κυλλους υγιεις χωλους περιπατουντας και τυφλους βλεποντας και εδοξασαν τον θεον ισραηλ

Byzantine Majority 
ωστε τουσ οχλουσ θαυμασαι βλεποντας κωφους λαλουντας κυλλους υγιεις χωλους περιπατουντας και τυφλους βλεποντας και εδοξασαν τον θεον ισραηλ

Alexandrian
ωστε τον οχλον θαυμασαι βλεποντας κωφους λαλουντας κυλλους υγιεις και χωλους περιπατουντας και τυφλους βλεποντας και εδοξασαν τον θεον ισραηλ

Hort and Westcott 
ωστε τον οχλον θαυμασαι βλεποντας κωφους λαλουντας και χωλους περιπατουντας και τυφλους βλεποντας και εδοξασαν τον θεον ισραηλ

† ギリシャ語聖書 品詞色分け 

Matt.15:31

ὥστε τὸν ὄχλον θαυμάσαι βλέποντας κωφοὺς λαλοῦντας, κυλλοὺς ὑγιεῖς, καὶ χωλοὺς περιπατοῦντας καὶ τυφλοὺς βλέποντας· καὶ ἐδόξασαν τὸν θεὸν ἰσραήλ.

† ヘブライ語聖書 Matt.15:31 

Matt.15:31

בָּאוּ אֵלָיו הֲמוֹן עַם רַב וְאִתָּם פִּסְחִים, נָכִים, עִוְרִים, אִלְּמִים וְרַבִּים אֲחֵרִים שֶׁהֻנְּחוּ לְרַגְלָיו, וְהוּא רִפֵּא אוֹתָם

† ラテン語聖書 Matt.15:31 

Latin Vulgate
Matt.15:31

ita ut turbæ mirarentur videntes mutos loquentes, claudos ambulantes, cæcos videntes: et magnificabant Deum Israel.
so much so that the crowds wondered, seeing the mute speaking, the lame walking, the blind seeing. And they magnified the God of Israel. 

† 私訳(詳訳)Matt.15:31 

【私訳】 「群衆は、口の利けない人が話す<声を出す、物言う>ようになり、体の不自由な人が元どおりになり<癒され、良くなっ>、そして足の不自由な人が歩き<歩き回り>、そして目の不自由な人が見えるようになったのを見て<凝視して、見分けて、じっと見て>驚き<感嘆し>、そしてイスラエル〔人〕の神を賛美した<称賛した、崇めた>」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究 

Matt.15:31

ὥστε τὸν ὄχλον θαυμάσαι βλέποντας κωφοὺς λαλοῦντας, κυλλοὺς ὑγιεῖς, καὶ χωλοὺς περιπατοῦντας καὶ τυφλοὺς βλέποντας· καὶ ἐδόξασαν τὸν θεὸν ἰσραήλ.

【それで】 ὥστε  ὥστε ホーステ hōste {hoce‘-the} (ch 接続詞・完等)

1)それゆえ、その結果、それだから 2)それで、だから、従って 3)~するために、するように

(G5616  ὥστε From 5613 and 1487 as if: – about, as (it had been, it were), like (as).  Internet Sacred Text Archive)

【群衆は】 ὄχλον  ὄχλος  オくろス  ochlos {okh‘-los} (n-am-s 名詞・対男単)

1)群衆、集団、群れ、大勢の人々 2)軍勢 3)大衆、民衆、人民、市民、 4)人だかり、雑踏 5)ごたごた、煩わしさ、迷惑、厄介、面倒

(G3793  ὄχλος From a derivative of 2192 (meaning a vehicle); a throng (as borne along); by implication the rabble; by extension a class of people; figuratively a riot: – company, multitude, number (of people), people, press.  Internet Sacred Text Archive)

【口の利けない人が】 κωφοὺς  κωφός  コーふォス  kōphos {ko-fos‘} (ap-am-p 形容詞・対男)

1)口の利けない 2)物の言えない 3)耳が聞こえぬ 4)鈍い、はっきりしない、かすかな

へブル語で「口の利けない人」は אִֵן で、この言葉は אַלָן「結ばれる」からきている。

(G2974 κωφός From 2875 blunted, that is, (figuratively) of hearing (deaf) or speech (dumb): – deaf, dumb, speechless.  Internet Sacred Text Archive)

マタ9:32; 33; 12:22; 15:30,31;  ルカ1:22; 11:14

【話すようになり】 λαλοῦντας  λαλέω られオー laleō {lal-eh‘-o} (vppaam-p 分詞・現能対男複)

1)声を出す 2)言葉を語る 3)語る、話す 4)ものを言う、口にする 5)しゃべる、述べる 古典では「無駄口」を意味したが新約聖書では「語る、話す」の意味に用いる。

(G2980 λαλέω A prolonged form of an otherwise obsolete verb; to talk, that is, utter words: – preach, say, speak (after), talk, tell, utter. Compare 3004.   Internet Sacred Text Archive)

【体の不自由な人が】 κυλλοὺς  κυλλός  キゆるろス kullos {kool-los‘} (ap-am-p 形容詞・対男複)

1)身体障害 2)切断された 3)曲がった、曲がった足の

(G2948 κυλλός From the same as 2947 rocking about, that is, crippled (maimed, in feet or hands): – maimed.  Internet Sacred Text Archive)

マタ15:30,31; 18:8;  マル9:43

【元どおりになり】 ὑγιεῖς  ὑγιής  フゆギエース  hugiēs {hoog-ee-ace‘} (a–am-p 形容詞・対男複)

1)健康な、健全な 2)丈夫な、達者な、恙ない、無事な 3)癒されて、直って、良くなって 4)まっとうな、適切な、しっかりした 5)正気の

(G5199  ὑγιής From the base of 837 healthy, that is, well (in body); figuratively true (in doctrine): – sound, whole.  Internet Sacred Text Archive)

マタ12:13; 15:31;  ヨハ5:4,6,9,14:

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; andalsoevensothentoo, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【足の不自由な人が】 χωλοὺς  χωλός  こーロス  chōlos {kho-los‘} (ap-am-p 形容詞・対男複)

1)足のきかない 2)足の不自由な

(G5560  χωλός Apparently a primary word; “halt”, that is, limping: – cripple, halt, lame.  Internet Sacred Text Archive)

マタ11:5; 15:30,31; 18:8; 21:14;  マル9:45;  ルカ7:22; 14:13,14;  ヨハ5:3;  使徒3:2; 8:7; 14:8; ヘブ12:13;  

【歩き】 περιπατοῦντας  περιπατέω  ペリパテオー  peripateō {per-ee-pat-eh‘-o} (vppanm-s 分詞・現能対男複)

< περί まわり + πατέω 歩く

1)歩く、歩む、歩き回る、徘徊する、ぶらぶら歩く、散歩する 2)留まる 3)生きる、生活する 4)日を過ごす、生涯を送る、人生を生きる 5)振舞う、行動する

(G4043 περιπατέω From 4012 and 3961 to tread all around, that is, walk at large (especially as proof of ability); figuratively to livedeport oneselffollow (as a companion or votary): – go, be occupied with, walk (about).  Internet Sacred Text Archive)

マタ4:18; 9:5; 11:5; 14:25,26,29; 15:31;  マル2:9; 5:42; 6:48,49; 7:5; 11:27; 12:38; 16:12;  ルカ5:; 7:22; 11:44; 20:46; 24:17 etc.

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; andalsoevensothentoo, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【目の不自由な人が】 τυφλοὺς   τυφλός  トゆふろス  tuphlos {toof-los‘} (ap-am-p 形容詞・対男複)

< τύφω 煙を上げる、煙で暗くする

1)目の見えない 2)おぼろげな 3)はっきりしない

(G5185 τυφλός From 5187 opaque (as if smoky), that is, (by analogy) blind (physically or mentally): – blind.  Internet Sacred Text Archive)

マタ9:27,28; 11:5; 12:22; 15:14,30,31; 20:30; 21:14; 23:16,17,19,21,26;  マル8:22,23; 10:46,49,51; etc.

【見えるようになったのを】 βλέποντας \ βλέπω ブれポー blepō {blep‘-o} (vppaam-p 分詞・現能対男複)

1)(肉眼で)見る、眺める 2)凝視する、じっと見る、熱望する、目で認める 3)見やる、認識する、見分ける、わかる、経験で知る 4)考慮する、分け隔てする、気をつける、警戒する、心する、心を向ける、熟考する 5)目指す、~に向かう、面する

(G991 βλέπω A primary verb; to look at (literally or figuratively): – behold, beware, lie, look (on, to), perceive, regard, see, sight, take heed. Compare 3700.   Internet Sacred Text Archive)

【見て】 βλέποντας \ βλέπω ブれポー blepō {blep‘-o} (vppaam-p 分詞・現能対男複)

1)(肉眼で)見る、眺める 2)凝視する、じっと見る、熱望する、目で認める 3)見やる、認識する、見分ける、わかる、経験で知る 4)考慮する、分け隔てする、気をつける、警戒する、心する、心を向ける、熟考する 5)目指す、~に向かう、面する

(G991 βλέπω A primary verb; to look at (literally or figuratively): – behold, beware, lie, look (on, to), perceive, regard, see, sight, take heed. Compare 3700.   Internet Sacred Text Archive)

【驚き】 θαυμάσαι  θαυμάζω  たウマゾー  thaumazō {thou-mad‘-zo} (vnaa 不定詞・1アオ能)

1)驚きあやしむ、驚き恐れる、不思議に思う、驚嘆する、驚く、あやしむ、いぶかる 2)嘆賞する、感嘆する

(G2296 θαυμάζω From 2295 to wonder; by implication to admire: – admire, have in admiration, marvel, wonder.  Internet Sacred Text Archive)

マタ8:10,27; 9:33; 15:31; 21:20; 22:22; 27:14;  マル5:20; 6:6; 15:5 etc.

【それで】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (ch 接続詞・完)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; andalsoevensothentoo, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【イスラエルの】 ἰσραήλ  ᾽Ισραήλ  イスラエーる Israēl {is-rah-ale‘}  (n-am-s 名詞・属男単)

イスラエル

1)神の子 2)ヤコブの別名 3)イスラエル人「神の子」

(G2474 ᾽Ισραήλ Of Hebrew origin [3478 ; Israel (that is, Jisrael), the adopted name of Jacob, including his descendants (literally or figuratively): – Israel.  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:6,20,21; 8:10; 9:33; 27:44;  ルカ1:54,68,80;  ヨハ1:49;  使徒4:10,27; 28:20;  ロマ9:6; 11:2,7,25;  エペ2:12 etc.

【神を】 θεὸν  θεός てオス  theos {theh‘-os} (n-am-s 名詞・対男単)

1)神 2)神性 3)唯一の神

θεός の語源は次の二語に求められる

1 τεθειχέναι 万物を自らの基の上に置く
2  θέειν 駆ける

(G2316 θεός Of uncertain affinity; a deity, especially (with 3588 the supreme Divinity; figuratively a magistrate; by Hebraism very: – X exceeding, God, god [-ly, -ward].  Internet Sacred Text Archive)

【賛美した】 ἐδόξασαν  δοξάζω  ドクサゾー  doxazō {dox-ad‘-zo} (viaa–3p 動詞・直・1アオ・能・3複)

1)思う、考える、信ずる、推量する、思い出す、想像する 2)称讃する、もてはやす、尊敬する、栄光を与える、栄光を帰する、面目をほどこす、栄光をもって飾る、崇める、誉めたたえる、尊ぶ、敬う

「δοξάζω ドクサゾー は δόξα ドクサ 意見、評価を与えること」

(G1392 δοξάζω From 1391 to render (or esteemglorious (in a wide application): – (make) glorify (-ious), full of (have) glory, honour, magnify.  Internet Sacred Text Archive)

マタ5:16; 6:2; 9:8; 15:31;  マル2:12;  ルカ2:20; 4:15; 5:25.26; 7:16; 13:13; 17:15; 18:43; 23:47; etc.

† 英語訳聖書 Matt.15:31 

King James Version 
15:31 Insomuch that the multitude wondered, when they saw the dumb to speak, the maimed to be whole, the lame to walk, and the blind to see: and they glorified the God of Israel.

New King James Version
15:31 So the multitude marveled when they saw the mute speaking, the maimed made whole, the lame walking, and the blind seeing; and they glorified the God of Israel.

American Standard Version 
15:31 insomuch that the multitude wondered, when they saw the dumb speaking, the maimed whole, and lame walking, and the blind seeing: and they glorified the God of Israel.

New International Version
15:31 The people were amazed when they saw the mute speaking, the crippled made well, the lame walking and the blind seeing. And they praised the God of Israel.

Bible in Basic English 
15:31 So that the people were full of wonder when they saw that those who had no voice were talking, the feeble were made strong, those whose bodies were broken had the power of walking, and the blind were able to see: and they gave glory to the God of Israel.

Today’s English Version
15:31 The people were amazed as they saw the dumb speaking, the crippled made whole, the lame walking, and the blind seeing; and they praised the God of Israel.

Darby’s English Translation 
15:31 so that the crowds wondered, seeing dumb speaking, crippled sound, lame walking, and blind seeing; and they glorified the God of Israel.

Douay Rheims 
15:31 So that the multitudes marvelled seeing the dumb speak, the lame walk, and the blind see: and they glorified the God of Israel.

Noah Webster Bible 
15:31 So that the multitude wondered, when they saw the dumb to speak, the maimed to be whole, the lame to walk, and the blind to see: and they glorified the God of Israel.

Weymouth New Testament 
15:31 so that the people were amazed to see the dumb speaking, the maimed with their hands perfect, the lame walking, and the blind seeing; and they gave the glory to the God of Israel.

World English Bible 
15:31 so that the multitude wondered, when they saw the mute speaking, the injured whole, lame walking, and the blind seeing — and they glorified the God of Israel.

Young’s Literal Translation 
15:31 so that the multitudes did wonder, seeing dumb ones speaking, maimed whole, lame walking, and blind seeing; and they glorified the God of Israel.

Amplified Bible
15:31 So the crowd was amazed when they saw the mute speaking, the crippled restored, the lame walking, and the blind seeing; and they praised and glorified the God of Israel.

† 細き聲 聖書研究ノート 

 <群衆は、唖者の物いひ、不具の癒え、跛者の歩み、盲人の見えたるを見て之を怪しみ、イスラエルの神を崇めたり>

イエスが癒されると、「唖者の物いひ、不具の癒え、跛者の歩み、盲人の見えた」。これを目撃した群衆は心底驚き、イスラエルの神を賛美した。

 <見て驚き、イスラエルの神をほめたたえた>

群衆は連れて来た病人がことごとく癒されるのを目撃して、「イスラエルの神」を賛美した。

「人々は肝を潰し、イスラエルの神さまは実にたいしたお方だと言って拝み申した」 山浦玄嗣訳

† 心のデボーション   

「群衆は、唖者の物いひ、不具の癒え、跛者の歩み、盲人の見えたるを見て之を怪しみ、イスラエルの神を崇めたり」 マタイ15:31 大正文語訳聖書

「群衆は、口のきけない人がものを言い、体の不自由な人が回復し、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神をほめたたえた」 フランシスコ会訳聖書

 「賛美」

群衆はイエスが病をことごとく癒されるのを目撃して「イスラエルの神」を賛美した。それは「賞賛」に値する光景だった。しかし、彼らは「奇跡」に驚くのであって、「イエス」を賛美したのではなかった。

「賛美」は人の内なる経験としてなされるものである。群集のそれは人々の経験の外に置かれるものにすぎない。如何に熱狂的に賛美しても、個人の内にまでは届かない。私の賛美もまた、そのようなものであることがある。

† 心のデボーション   

「群衆は、唖者の物いひ、不具の癒え、跛者の歩み、盲人の見えたるを見て之を怪しみ、イスラエルの神を崇めたり」 マタイ15:31 大正文語訳聖書

「人々は肝を潰し、イスラエルの神さまは実にたいしたお方だと言って拝み申した」 山浦玄嗣訳

 「魂飛魄散」

群衆はイエスの奇跡を見て、非常に驚き胆をつぶした。

「魂飛魄散 (驚いて肝を潰す)」である。

「肝」は魂の宿るところとされたところから「心」を意味する。

年をとるにつれ、「胆をつぶす」ほどの驚きを、私は忘れているような気がする。

† 細き聲 説教  

 「肝をつぶす」

「群衆は、唖者の物いひ、不具の癒え、跛者の歩み、盲人の見えたるを見て之を怪しみ、イスラエルの神を崇めたり」 マタイ15:31 大正文語訳聖書

「群衆は、口のきけない人がものを言い、体の不自由な人が回復し、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神をほめたたえた」 フランシスコ会訳聖書

イエスが癒されると、「唖者の物いひ、不具の癒え、跛者の歩み、盲人の見えた」。これを目撃した群衆は心底驚き、イスラエルの神を賛美した。

「人々は肝を潰し、イスラエルの神さまは実にたいしたお方だと言って拝み申した」 山浦玄嗣訳

群衆は癒された人々を見て、心底驚き、神を賛美した。しかし、いかに「目撃者」が肝をつぶすほどに驚いて神を賛美しようと、自らの身に「癒し」を経験した人々の「驚きと賛美」に比較すれば、微々たるものにすぎない。

信仰は他者の経験を見ることではなく、いかに貧しくても「自身」にまぎれもなく起きる神の業を通りて来るものである。

「娘シオンよ、声をあげて喜べ。わたしは来て/あなたのただ中に住まう、と主は言われる。」 ゼカリヤ2:14 新共同訳聖書

(皆川誠)

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