マタイによる福音書12章27節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「悪霊論争」 マタイ12:22~37

マタイ12:22~37 マルコ3:19~30 ルカ11:14~23
マタイ12:22~37

Matt.12:27もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。 (あなたがたはわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出していると言うが、11:19もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。ルカ11:18~19)口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.12:27

【漢訳聖書】
Matt.12:27 若我藉別西卜逐鬼、則爾子弟藉誰付逐之耶、故彼將爲爾之識者乎。

【明治元訳】
Matt.12:27 若(もし)われベルゼブルにて惡鬼(あくき)を逐(おひ)出(いだ)さば爾曹(なんぢら)の子弟(こども)は誰(たれ)に由(より)て之(これ)を逐(おひ)出(いだ)すや夫(それ)かれらは爾曹(なんぢら)の裁判人(さいばんにん)となるべし

【大正文語訳】
Matt.12:27 我もしベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出さば、汝らの子は誰によりて之を逐ひ出すか。この故に彼らは汝らの審判人となるべし。

【ラゲ訳】
Matt.12:27 我若ベエルゼブブに籍りて惡魔を逐払ふならば、汝等の子等は誰に籍りて逐払ふぞ、然れば彼等は汝等の審判者となるべし。

【口語訳】
Matt.12:27 もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。

【新改訳改訂3】
Matt.12:27 また、もしわたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの子らはだれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの子らが、あなたがたをさばく人となるのです。

【新共同訳】
Matt.12:27 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。

【バルバロ訳】
Matt.12:27 私がベルゼブルによって悪魔を追い出すなら、あなたがたの弟子は何によって追い出すのか。こうして彼らがあなたたちをさばく者となる。

【フランシスコ会訳】
Matt.12:27 もし、わたしがベルゼブルによって悪魔を追い出しているのならば、あなたがたの弟子はだれによって悪魔を追い出すというのか。だから、あなたがたの弟子はあなたがたの裁き手となるであろう。

【日本正教会訳】
Matt.12:27 若し我ワェエルゼウルに藉りて魔鬼を逐ひ出さば、爾等の諸子は誰に藉りて之を逐ひ出すか、故に彼等は爾等の審判者と爲らん。

【塚本虎二訳】
Matt.12:27 それから、(あなた達の言うように)わたしがベルゼブルを使って悪鬼を追い出すとすれば、(同じことをしている)あなた達の弟子は、いったい何を使って(悪鬼を)追い出しているのか。(まさかベルゼブルではあるまい。)だから(このことについては、)あなた達の弟子に裁判官になってもらったがよかろう。

【前田護郎訳】
Matt.12:27 もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すなら、あなた方の子らは何によって追い出すか。それゆえ彼らこそあなた方の裁き人になろう。

【永井直治訳】
Matt.12:27 われもしベルゼブルもて惡鬼を逐ひ出ださば、汝等の子等は誰にて逐ひ出だすや。此のゆゑに彼等は汝等の裁き人たるべし。

【詳訳聖書】
Matt.12:27 また、もし私がベルゼブル[の助け]によって悪鬼どもを追い出すのならば、あなたたちの子らはだれ[の助け]によって悪鬼どもを追い出すのか。この理由によって、彼らがあなたたちの審判者となるのである。

† 聖書引照 Matt.12:27

Matt.12:27 我もしベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出さば、汝らの子は誰によりて之を逐ひ出すか。この故に彼らは汝らの審判人となるべし。

[我もしベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出さば] マタ12:24.
[汝らの子は誰によりて之を逐ひ出すか] マル9:38,39; ルカ9:49,50; 11:19; 使徒19:13~16
[この故に彼らは汝らの審判人となるべし] マタ12:41,42; ルカ19:22; ロマ3:19

† ギリシャ語聖書 Matt.12:27

Stephens 1550 Textus Receptus
και ει εγω εν βεελζεβουλ εκβαλλω τα δαιμονια οι υιοι υμων εν τινι εκβαλλουσιν δια τουτο αυτοι υμων εσονται κριται

Scrivener 1894 Textus Receptus
και ει εγω εν βεελζεβουλ εκβαλλω τα δαιμονια οι υιοι υμων εν τινι εκβαλλουσιν δια τουτο αυτοι υμων εσονται κριται

Byzantine Majority
και ει εγω εν βεελζεβουλ εκβαλλω τα δαιμονια οι υιοι υμων εν τινι εκβαλλουσιν δια τουτο αυτοι υμων εσονται κριται

Alexandrian
και ει εγω εν βεελζεβουλ εκβαλλω τα δαιμονια οι υιοι υμων εν τινι εκβαλλουσιν δια τουτο αυτοι κριται εσονται υμων

Hort and Westcott
και ει εγω εν βεελζεβουλ εκβαλλω τα δαιμονια οι υιοι υμων εν τινι εκβαλλουσιν δια τουτο αυτοι κριται εσονται υμων

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.12:27

καὶ εἰ ἐγὼ ἐν Βεελζεβοὺλ ἐκβάλλω τὰ δαιμόνια, οἱ υἱοὶ ὑμῶν ἐν τίνι ἐκβάλλουσιν διὰ τοῦτο αὐτοὶ κριταὶ ἔσονται ὑμῶν.

† ヘブライ語聖書 Matt.12:27

Matt.12:27

וְאִם אֲנִי מְגָרֵשׁ אֶת הַשֵּׁדִים בְּעֶזְרַת בַּעַל־זְבוּל, בְּעֶזְרַת מִי מְגָרְשִׁים אוֹתָם בְּנֵיכֶם? לָכֵן הֵם יִהְיוּ שׁוֹפְטֵיכֶם

† ラテン語聖書 Matt.12:27

Latin Vulgate
Matt.12:27

Et si ego in Beelzebub eiicio dæmones, filii vestri in quo eiiciunt? Ideo ipsi iudices vestri erunt.
And if I cast out demons by Beelzebub, by whom do your own sons cast them out? Therefore, they shall be your judges.

† 私訳(詳訳)Matt.12:27

【私訳】 「そして、もし、わたしがベルゼブル<蝿の主>によって悪霊を追い出すなら<抜き出せば、追放すれば、追放すれば、叩き落とせば、外に投げ出せば>、あなたたちの子ら〔息子たち〕は何によって〔悪霊を〕追い出す<抜き出す、追放する、追放する、叩き落とす、外に投げ出す>のか? それ故に<この理由で>、彼ら自身があなたたちの審判者<裁判官、裁き主>となるのである」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.12:27

καὶ εἰ ἐγὼ ἐν Βεελζεβοὺλ ἐκβάλλω τὰ δαιμόνια, οἱ υἱοὶ ὑμῶν ἐν τίνι ἐκβάλλουσιν διὰ τοῦτο αὐτοὶ κριταὶ ἔσονται ὑμῶν.

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【もし】 εἰ εἰ エイ ei {i } (cs 接続詞・従位)

1)もし 2)もしも、かりに 3)もし~であれば 4)~かどうか 5)~ならば 6)決して~ない

(G1487 εἰ A primary particle of conditionality; ifwhetherthat, etc.: – forasmuch as, if, that, ([al-]) though, whether. Often used in connection or composition with other particles, especially as in 1489 1490 1499 1508 1509 1512 1513 1536 and 1537 See also 1437.  Internet Sacred Text Archive)

【わたしが】 ἐγὼ  ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npn-1s 代名詞・主1単)

1)私 2)わたし

(G1473  ἐγώ A primary pronoun of the first person, “I” (only expressed when emphatic): – I, me. For the other cases and the plural see 1691 1698 1700 2248 2249 2254 2257 etc.  Internet Sacred Text Archive)

【ベルゼブルの力で】 ἐν Βεελζεβοὺλ  原文「ベルゼブルによって」

【ベルゼブル】 Βεελζεβοὺλ  Βεελζεβούλ  ベエゼブーる  Beelzeboul {beh-el-zeb-ool‘} (n-dm-s 名詞・与男単)

1)蠅の主 2)糞のバアル 3)ベルゼブル

英語 Beelzebub は 「Beel 神 + Zebub 蠅」でサタンの名称である。本来の読み方は「beel 

zebubu 住居の主」であったが、ユダヤ人はヤーゥエ神と区別して「蠅、糞の主」と読み替えた

KJV 「the prince of the devils」

(G954 Βεελζεβούλ Of Chaldee origin (by parody upon [1176 ); dung godBeelzebul, a name of Satan: – Beelzebub.  Internet Sacred Text Archive)

マタ10:25; 12:24,27; マル3:22; ルカ11:15,18,19;

【によって】 ἐν ἐν エン en {en}  (pd 前置詞・属)

1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に

(G1722  ἐν A primary preposition denoting (fixed) position (in place, time or state), and (by implication) instrumentality (medially or constructively), that is, a relation of rest (intermediate between 1519 and 1537 ; “in”at, (up-) onby, etc.: – about, after, against, + almost, X altogether, among, X as, at, before, between, (here-) by (+ all means), for (. . . sake of), + give self wholly to, (here-) in (-to, -wardly), X mightily, (because) of, (up-) on, [open-] ly, X outwardly, one, X quickly, X shortly, [speedi-] ly, X that, X there (-in, -on), through (-out), (un-) to(-ward), under, when, where (-with), while, with (-in). Often used in compounds, with substantially the same import; rarely with verbs of motion, and then not to indicate direction, except (elliptically) by a separate (and different) prep.  Internet Sacred Text Archive)

【悪霊を】 δαιμόνια  δαιμόνιον ダイモニオン daimonion {dahee-mon‘-ee-on} (n-an-p 名詞・対中複)

1)神的なもの(存在)、神的力、神霊、神 2)異教の神々、偽りの神 3)悪霊、悪鬼、死者の霊、死霊

(G1140 δαιμόνιον Neuter of a derivative of 1142 a daemonic being; by extension a deity: – devil, god.  Internet Sacred Text Archive)

マタ7:22; 9:33,34; 10:8; 11:18; 12:24,27,28; 17:18; マル1:34,39; 3:15,22; 6:13; 7:26,29,30; 9:38; 16:9,17; etc.

【追い出すのなら】 ἐκβάλλω  ἐκβάλλω エクバるろー ekballō {ek-bal‘-lo} (vipa–1s 動詞・直・現・能・1単)

1)追い出す、追放する、去らせる 2)抜き出す、たたき落とす、外に投げ出す、投げ捨てる、投げ出す、放り出す、放逐する 3)送り出す、取り出す 4)見捨てる、排斥する 5)拒絶する、斥ける、見捨てる 6)たたき落とす、伐り倒す、手放す

(G1544  ἐκβάλλω From 1537 and 906 to eject (literally or figuratively): – bring forth, cast (forth, out), drive (out), expel, leave, pluck (pull, take, thrust) out, put forth (out), send away (forth, out).  Internet Sacred Text Archive)

マタ7:22; 8:12,16,31; 9:33,34; 10:1,8; 12:24,26,27,28; 17:19; 21:12,39; 25:30; マル1:34,39; 3:15,22,23;6:13; 7:26; 9:18,25, 38; 11:15; 16:9,17 etc.

【あなたたちの仲間は】 οἱ υἱοὶ ὑμῶν  原文「あなたたちの息子たちは」

【あなたたちの】 ὑμῶν  σύ スゆ sou {soo} (npg-2p 代名詞・属2複)

1)あなた 2)汝 3)君

(G4771 σύ The personal pronoun of the second person singular; thou: – thou. See also 4571 4671 4675 and for the plur. 5209 5210 5213 5216.  Internet Sacred Text Archive)

【息子たちは】 υἱοὶ  υἱός フゅィオス huios {hwee-os’} (n-nm-p 名詞・主男)

1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子

「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן ベーン ben {bane} 息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。

(G5207 υἱός Apparently a primary word; a “son” (sometimes of animals), used very widely of immediate, remote or figurative kinship: – child, foal, son.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45; Ⅱコリ6:18; ガラ3:7 etc.

【何の力で】 ἐν τίνι  原文「何によって」

【何に】 τίνι  τίς ティス tis {tis} (aptdm-s/aptdn-s 形容詞・疑与男単/中)

1)誰 2)何 3)どんな 4)なぜ 5)どちら 6)何故、どうして

(G5101 τίς Probably emphatic of 5100 an interrogitive pronoun, who, which or what (in direct or indirect questions): – every man, how (much), + no (-ne, thing), what (manner, thing), where ([-by, -fore, -of, -unto, -with, -withal]), whether, which, who (-m, -se), why.  Internet Sacred Text Archive)

【よって】 ἐν ἐν エン en {en}  (pd 前置詞・属)

1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に

(G1722  ἐν A primary preposition denoting (fixed) position (in place, time or state), and (by implication) instrumentality (medially or constructively), that is, a relation of rest (intermediate between 1519 and 1537 ; “in”at, (up-) onby, etc.: – about, after, against, + almost, X altogether, among, X as, at, before, between, (here-) by (+ all means), for (. . . sake of), + give self wholly to, (here-) in (-to, -wardly), X mightily, (because) of, (up-) on, [open-] ly, X outwardly, one, X quickly, X shortly, [speedi-] ly, X that, X there (-in, -on), through (-out), (un-) to(-ward), under, when, where (-with), while, with (-in). Often used in compounds, with substantially the same import; rarely with verbs of motion, and then not to indicate direction, except (elliptically) by a separate (and different) prep.  Internet Sacred Text Archive)

【追い出すのか】 ἐκβάλλουσιν  ἐκβάλλω エクバるろー ekballō {ek-bal‘-lo} (vipa–3p 動詞・直・現・能・3複)

1)追い出す、追放する、去らせる 2)抜き出す、たたき落とす、外に投げ出す、投げ捨てる、投げ出す、放り出す、放逐する 3)送り出す、取り出す 4)見捨てる、排斥する 5)拒絶する、斥ける、見捨てる 6)たたき落とす、伐り倒す、手放す

(G1544  ἐκβάλλω From 1537 and 906 to eject (literally or figuratively): – bring forth, cast (forth, out), drive (out), expel, leave, pluck (pull, take, thrust) out, put forth (out), send away (forth, out).  Internet Sacred Text Archive)

マタ7:22; 8:12,16,31; 9:33,34; 10:1,8; 12:24,26,27,28; 17:19; 21:12,39; 25:30; マル1:34,39; 3:15,22,23;6:13; 7:26; 9:18,25, 38; 11:15; 16:9,17 etc.

【それ】 τοῦτο  οὗτος フートス houtos {hoo‘-tos} (apdan-s 指示代名詞・対中単)

1)その、この、これ 2)この者、この男・女 2)そんな、こんな 3)すなわち、だから 4)そこで、それ故

(G3779 οὗτος Or, before a vowel, οὕτως houtōs hoo‘-toce . From 3778 in this way (referring to what precedes or follows): – after that, after (in) this manner, as, even (so), for all that, like (-wise), no more, on this fashion (-wise), so (in like manner), thus, what.  Internet Sacred Text Archive)

【故に】 διὰ  διά ディア dia {dee-ah‘} (pa 前置詞・対)

1)~を通って、通り抜けて 2)~を通じて、~中ずっと、~の中に、~の中へと 3)~の故に 3)~のために、~の故に 4)~の間で 5)~を経て、~によって、~の後に

(G1223 διά A primary preposition denoting the channel of an act; through (in very wide applications, local, causal or occasional). In composition it retains the same general import: – after, always, among, at, to avoid, because of (that), briefly, by, for (cause) . . . fore, from, in, by occasion of, of, by reason of, for sake, that, thereby, therefore, X though, through (-out), to, wherefore, with (-in). In composition it retains the same general import.  Internet Sacred Text Archive)

【彼ら自身が】 αὐτοὶ  αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npnm3p 代名詞・主男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive)

【あなたたちの】 ὑμῶν  σύ スゆ sou {soo} (npg-2p 代名詞・属2複)

1)あなた 2)汝 3)君

(G4771 σύ The personal pronoun of the second person singular; thou: – thou. See also 4571 4671 4675 and for the plur. 5209 5210 5213 5216.  Internet Sacred Text Archive)

【裁判官】 κριταὶ  κριτής クリテース kritēs {kree-tace‘} (n-nm-p 名詞・主男複)

1)裁判官 2)審判者、裁く者、さばき主 3)(旧約聖書)士師

(G2923 κριτής From 2919 a judge (generally or specifically): – judge.  Internet Sacred Text Archive)

マタ5:25; 12:27; ルカ11:19; 12:14,58; 使徒13:20; 18:15; 24:10; ヤコ2:4; 4:11,12 etc.

【である】 ἔσονται  εἰμί エイミ eimi {i-mee‘} (vifd–3p 動詞・直・未来・能欠・3複)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

(G1510 εἰμί  First person singular present indicative; a prolonged form of a primary and defective verb; I exist (used only when emphatic): – am, have been, X it is I, was. See also 1488 1498 1511 1527 2258 2071 2070 2075 2076 2771 2468 5600.  Internet Sacred Text Archive)

† 英語訳聖書 Matt.12:27

King James Version
12:27 And if I by Beelzebub cast out devils, by whom do your children cast [them] out? therefore they shall be your judges.

New King James Version
12:27 “And if I cast out demons by Beelzebub, by whom do your sons cast them out? Therefore they shall be your judges.

American Standard Version
12:27 And if I by Beelzebub cast out demons, by whom do your sons cast them out? therefore shall they be your judges.

New International Version
12:27 And if I drive out demons by Beelzebub, by whom do your people drive them out? So then, they will be your judges.

Bible in Basic English
12:27 And if I by Beelzebub send evil spirits out of men, by whom do your sons send them out? So let them be your judges.

Today’s English Version
12:27 You say that I drive out demons because Beelzebul gives me the power to do so. Well, then, who gives your followers the power to drive them out? What your own followers do proves that you are wrong!

Darby’s English Translation
12:27 And if I cast out demons by Beelzebub, your sons, by whom do they cast them out? For this reason they shall be your judges.

Douay Rheims
12:27 And if I by Beelzebub cast out devils, by whom do your children cast them out? Therefore they shall be your judges.

Noah Webster Bible
12:27 And if I by Beelzebub cast out demons, by whom do your children expel them? therefore they shall be your judges.

Weymouth New Testament
12:27 And if it is by Baal-zebul’s power that I expel the demons, by whose power do your disciples expel them? They therefore shall be your judges.

World English Bible
12:27 If I by Beelzebul cast out demons, by whom do your sons cast them out? Therefore they will be your judges.

Young’s Literal Translation
12:27 ‘And if I, by Beelzeboul, do cast out the demons, your sons — by whom do they cast out? because of this they — they shall be your judges.

Amplified Bible
12:27 If I cast out the demons by [the help of] Beelzebul (Satan), by whom do your sons drive them out? For this reason they will be your judges.

† 細き聲 聖書研究ノート

 <我もしベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出さば、汝らの子は誰によりて之を逐ひ出すか。この故に彼らは汝らの審判人となるべし>

ユダヤ人の中にはベルゼブルによって悪霊を追い出す者たちもいた。もし、パリサイ人たちが言うようにイエスがベルゼブルによって悪霊を追い出していると批判するのなら、あなた方の内で同じ行動をとる者たちをも批判しなければならいはずなのに、それをしないのは何故かとイエスは言われる。

 <祈祷師>

ユダヤ人の中には「悪霊追い出し」をしながら各地を巡り歩く「祈祷師 ἐξορκιστής エクソルキステース」がいた(使徒19:13)。ファリサイ派の主張に従えば、彼らの仲間である祈祷師も「ベルゼブルの力」によってベルゼブルを追い出していることになり、ファリサイ派は身内を敵にまわすことになる。

(「祈祷師 ἐξορκιστής エクソルキステース」は英語 exorcist エクソーシスト)

ユダヤ人の祭司スワケと7人の息子たちはパルロが身につけているものをはずして病人に当てると病気が去ったのを見て、試しに悪霊につかれた者に向かってイエスの名をとなえて悪霊を追い出そうとしたが、逆に彼ら自身が悪霊に取り憑かれた人に襲いかかられている。(使徒19:11~17)

 <爾曹(なんぢら)の子弟(こども)は誰(たれ)に由て之を逐出(おひいだ)すや>

ユダヤ人のなかにイエスの仲間でもないのにイエスの名をとなえて悪霊を追い出す者がいたので、バプテスマのヨハネがそれを禁じたところ、イエスは「やめさせることはない」とそれを許した。「我らに逆はぬ者は、我らに附く者なり」(マルコ9:40)というのがこの問題に対するイエスの基本的な姿勢だった。

† 心のデボーション  

「我もしベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出さば、汝らの子は誰によりて之を逐ひ出すか。この故に彼らは汝らの審判人となるべし」 マタイ12:27 大正文語訳聖書

「もし、わたしがベルゼブルによって悪魔を追い出しているのならば、あなたがたの弟子はだれによって悪魔を追い出すというのか。だから、あなたがたの弟子はあなたがたの裁き手となるであろう」 フランシスコ会訳聖書

 「悪魔祓い」

「悪魔祓い 祓魔師 エクソーシスト」について語られることの大半は迷信であり、意味がない。だが、それによって「悪魔祓い」そのものを荒唐無稽なものと否定するべきではない。人間はまだ「惡との戦い」を克服してはいないし、その理解ですら不十分である。

† 心のデボーション  

「我もしベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出さば、汝らの子は誰によりて之を逐ひ出すか。この故に彼らは汝らの審判人となるべし」 マタイ12:27 大正文語訳聖書

「もし、わたしがベルゼブルによって悪魔を追い出しているのならば、あなたがたの弟子はだれによって悪魔を追い出すというのか。だから、あなたがたの弟子はあなたがたの裁き手となるであろう」 フランシスコ会訳聖書

 「迷信」

湯川秀樹博士は「現実は決して真実の全部ではない。ここに理論、否あらゆる科学の出発点がありまた目標がある。われわれは夢の世界に満足しない。しかし夢のない世界にはなおさら耐え難い。現実の世界の他になんらかの意味で可能な世界を想像せずにはいられない。現実の世界の背後には、色々の意味でこれと異なった、多種多様な可能の世界があるのではないか。そして前者もまた後者の中の一つであって、それが偶然かあるいはなんらかの理由によって実現されたものではなかろうか。」と語っている。(湯川秀樹「理論物理学への道」)

我々もまた、迷信と言われる世界にも「異なった、多種多様な可能の世界」に「現実の世界の他になんらかの意味で可能な世界を想像せずにはいられない」のである。

† 細き聲 説教 

 「心の貧しき者」

「我もしベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出さば、汝らの子は誰によりて之を逐ひ出すか。この故に彼らは汝らの審判人となるべし」 マタイ12:27 大正文語訳聖書

「もし、わたしがベルゼブルによって悪魔を追い出しているのならば、あなたがたの弟子はだれによって悪魔を追い出すというのか。だから、あなたがたの弟子はあなたがたの裁き手となるであろう」 フランシスコ会訳聖書

ユダヤ人の中にはベルゼブルによって悪霊を追い出す者たちもいた。もし、パリサイ人たちが言うようにイエスがベルゼブルによって悪霊を追い出していると批判するのなら、あなた方の内で同じ行動をとる者たちをも批判しなければならいはずなのに、それをしないのは何故かとイエスは言われる。

ユダヤ人の中には「悪霊追い出し」をしながら各地を巡り歩く「祈祷師 ἐξορκιστής エクソルキステース」がいた(使徒19:13)。

パリサイ派の主張に従えば、彼らの仲間である祈祷師も「ベルゼブルの力」によってベルゼブルを追い出していることになり、パリサイ派は身内を敵にまわすことになる。

「祈祷師 ἐξορκιστής エクソルキステース」は英語 exorcist エクソーシスト。

ユダヤ人の祭司スワケと7人の息子たちはパルロが身につけているものをはずして病人に当てると病気が去ったのを見て、試しに悪霊につかれた者に向かってイエスの名をとなえて悪霊を追い出そうとしたが、逆に彼ら自身が悪霊に取り憑かれた人に襲いかかられている。(使徒19:11~17)

ユダヤ人のなかにイエスの仲間でもないのにイエスの名をとなえて悪霊を追い出す者がいたので、バプテスマのヨハネがそれを禁じたところ、イエスは「やめさせることはない」とそれを許した。「我らに逆はぬ者は、我らに附く者なり」(マルコ9:40)というのがこの問題に対するイエスの基本的な姿勢だった。

霊的世界には人が安易に近づくことのできないものがある。しかし、特別な人間なら関われるというものでもない。

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」 (マタイ5:3 新共同訳聖書)と言われる時、「心の貧しい人々」とは「霊において徹底的に貧しい人」の意味であることを思うべきである。

霊的な事柄に徹底的に貧しいという自覚が、霊的祝福に生きる信仰である。

(皆川誠)

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