マタイによる福音書12章8節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「安息日の麦畑」 マタイ12:1~8

マタイ12:1~8 マルコ2:23~28 ルカ6:1~5
マタイ12:1~8

Matt.12:8人の子は安息日の主である」(また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。 2:28それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」 マルコ2:27~28ルカ6:5)。 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.12:8

【漢訳聖書】
Matt.12:8 蓋人子亦安息日之主也。

【明治元訳】
Matt.12:8 それの子(こ)は安息日(あんそくにち)の主(しゆ)たるなり

【大正文語訳】
Matt.12:8 それ人の子は安息日の主たるなり』

【ラゲ訳】
Matt.12:8 其は人の子は亦安息日の主なればなり、と。

【口語訳】
Matt.12:8 人の子は安息日の主である」。

【新改訳改訂3】
Matt.12:8 人の子は安息日の主です。」

【新共同訳】
Matt.12:8 人の子は安息日の主なのである。」

【バルバロ訳】
Matt.12:8 実に人の子は安息日の主である」。

【フランシスコ会訳】
Matt.12:8 人の子は安息日の主なのである」。

【日本正教会訳】
Matt.12:8 蓋人の子は亦安息日の主なり。

【塚本虎二訳】
Matt.12:8 (わたしの弟子たちに罪はない。)人の子(わたし)は安息日の主人であるから。」

【前田護郎訳】
Matt.12:8 人の子は安息日の主であるから」と。

【永井直治訳】
Matt.12:8 そは人の子はまた安息日の主なればなり。

【詳訳聖書】
Matt.12:8 人の子は安息日に対して[さえも]主なのである」。

† 聖書引照 Matt.12:8

Matt.12:8 それ人の子は安息日の主たるなり』

[それ人の子は安息日の主たるなり] マタ9:6; マル2:28; 9:4~7; ルカ6:5; ヨハ5:17~23; Ⅰコリ9:21; 16:2; 黙示1:10

† ギリシャ語聖書 Matt.12:8

Stephens 1550 Textus Receptus
κυριος γαρ εστιν και του σαββατου ο υιος του ανθρωπου

Scrivener 1894 Textus Receptus

κυριος γαρ εστιν και του σαββατου ο υιος του ανθρωπου

Byzantine Majority
κυριος γαρ εστιν του σαββατου ο υιος του ανθρωπου

Alexandrian
κυριος γαρ εστιν του σαββατου ο υιος του ανθρωπου

Hort and Westcott
κυριος γαρ εστιν του σαββατου ο υιος του ανθρωπου

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.12:8

κύριος γάρ ἐστιν τοῦ σαββάτου ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου.

† ヘブライ語聖書 Matt.12:8

Matt.12:8

שֶׁהֲרֵי בֶּן־הָאָדָם הוּא אֲדוֹן הַשַּׁבָּת

† ラテン語聖書 Matt.12:8

Latin Vulgate
Matt.12:8

Dominus enim est Filius hominis etiam Sabbati.
For the Son of man is Lord even of the Sabbath.”

† 私訳(詳訳)Matt.12:8

【私訳】 「というのは、人の子は安息日の主<自由にする力のある、権威のあるもの>である」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.12:8

κύριος γάρ ἐστιν τοῦ σαββάτου ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου.

【というのは】 γάρ  γάρ ガル gar {gar} (cs 接続詞・従位)

1)なぜなら、というのは、その理由は、だから 2)すなわち、では、いったい、結局 4)確かに、もちろん、だって

(G1063 γάρ A primary particle; properly assigning a reason (used in argument, explanation or intensification; often with other particles): – and, as, because (that), but, even, for indeed, no doubt, seeing, then, therefore, verily, what, why, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【人の子は】 ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου

【人の】 ἀνθρώπου  ἄνθρωπος アンとローポス anthrōpos {anth‘-ro-pos} (n-gm-s 名詞・属男)

< ἄνήρ 人 +ὤψ  顔

1)人間、人、人類 2)男、夫 3)ある人、或る者、この人

(G444  ἄνθρωπος From 435 and ὤψ ōps (the countenance; from 3700 ; manfaced, that is, a human being: – certain, man.  Internet Sacred Text Archive)

【子は】 υἱὸς  υἱός フゅィオス huios {hwee-os’} (n-nm-s 名詞・主男)

1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子

「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן ベーン ben {bane} 息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。

(G5207 υἱός Apparently a primary word; a “son” (sometimes of animals), used very widely of immediate, remote or figurative kinship: – child, foal, son.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45; Ⅱコリ6:18; ガラ3:7 etc.

【安息日の】 σαββάτου  σάββατον サブバトン sabbaton {sab‘-bat-on} (n-gn-s 名詞・属中単)

1)安息日 2)週の七日目 3)週、一週間

(G4521 σάββατον Of Hebrew origin [7676 ; the Sabbath (that is, Shabbath), or day of weekly repose from secular avocations (also the observance or institution itself); by extension a se‘nnight, that is, the interval between two Sabbaths; likewise the plural in all the above applications: – sabbath (day), week.  Internet Sacred Text Archive)

マタ12:1,2,58,10,11,12; 24:20; 28:1; マル1:21; 2:23,21,27,28; 3:2,4; 6:2; 16:1; etc.

【主】 κύριος  κύριος キゆリオス kurios {koo‘-ree-os} (n-nm-s 名詞・主男単)

1)自由にする力のある、支配する、権威のある、力のある 2)主人、君主、所有者、旦那、師 3)正当な、順当な 4)主、神

(G2962 κύριος From κῦρος kuros (supremacy); supreme in authority, that is, (as noun) controller; by implication Mr. (as a respectful title): – God, Lord, master, Sir.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:20; 8:25; 9:38; 10:24; 12:4,8; 16:22; マル1:3; 2:28: 12:9; 13:35; ルカ6:5; 9:54; 10:17; 12:6,46; 14:21 Ⅱコリ1:3,14; エペ6:5,9; Ⅰテモ1:2,14; 6:15 etc.

【である】 ἐστιν  εἰμί エイミ eimi {i-mee‘} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3単)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

(G1510 εἰμί  First person singular present indicative; a prolonged form of a primary and defective verb; I exist (used only when emphatic): – am, have been, X it is I, was. See also 1488 1498 1511 1527 2258 2071 2070 2075 2076 2771 2468 5600.  Internet Sacred Text Archive)

† 英語訳聖書 Matt.12:8

King James Version
12:8 For the Son of man is Lord even of the sabbath day.

New King James Version
12:8 “For the Son of Man is Lord even of the Sabbath.”

American Standard Version
12:8 For the Son of man is lord of the sabbath.

New International Version
12:8 For the Son of Man is Lord of the Sabbath.”

Bible in Basic English
12:8 For the Son of man is lord of the Sabbath.

Today’s English Version
12:8 for the Son of Man is Lord of the Sabbath.”

Darby’s English Translation
12:8 For the Son of man is Lord of the sabbath.

Douay Rheims
12:8 For the Son of man is Lord even of the sabbath.

Noah Webster Bible
12:8 For the Son of man is Lord even of the sabbath.

Weymouth New Testament
12:8 For the Son of Man is the Lord of the Sabbath.’

World English Bible
12:8 For the Son of Man is Lord of the Sabbath.’

Young’s Literal Translation
12:8 for the son of man is lord even of the sabbath.’

Amplified Bible
12:8 For the Son of Man is Lord of the Sabbath.”

† 細き聲 聖書研究ノート

 <それ人の子は安息日の主たるなり>

イエスは御自身を「安息日の主である」と言われた。

 <安息日>

安息日は二つの起源をもつ。

1 創世記2:3 創造の完成としての安息日
2 申命記5:15 救出の完成としての安息日

イエスは「創造と救済」の完成、主である。

 <安息日の規定>

安息日(シャバット)は週の最後の日、金曜日の日没から土曜日の日没までを指し、一切の労働が禁じられる聖なる日とされた。安息日に禁じられた仕事は「メラハー」と呼ばれ、タルムードには39種類の「メラハー」が挙げられている。今日でも厳格に教えを守る人々には、電気は「火」の一種と考えられ、電気のスイッチを押すことは「火を灯す」こととされ、電気製品はもとより、エレベーターも通常の使い方ができなくなる。

 <人の子は安息日の主である>

Matt.12:8人の子は安息日の主である。

並行記事マルコ2:27~28、ルカ6:5 「また彼らに言われた、『安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである』」。 口語訳聖書

† 心のデボーション  

「それ人の子は安息日の主たるなり」 マタイ12:8 大正文語訳聖書

「人の子は安息日の主なのである」 フランシスコ会訳聖書

 「安息の回復」

イエスは「安息日」を否定されたのではない。安息日に対して、不必要なまでの意味のない規定を設け、それを厳守することによって、むしろ「安息日」を見失う信仰を戒められるのである。それは安息日を破ることであった。

「安息」を回復し、新しき日々に備えるのが「安息日」である。イエスはその中心におられる。

「また彼らに言われた、『安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである』」。マルコ2:27~28

† 心のデボーション  

「それ人の子は安息日の主たるなり」 マタイ12:8 大正文語訳聖書

「人の子は安息日の主なのである」 フランシスコ会訳聖書

 「安息日」

「安息」は「止める、休む、中断する」の意味からくる言葉である。元に戻るために人は「働きを止め、休み、中断する」のである。神はその働きの中心におられる。その業をともなわないものは礼拝ではない。

† 心のデボーション  

「それ人の子は安息日の主たるなり」 マタイ12:8 大正文語訳聖書

「人の子は安息日の主なのである」 フランシスコ会訳聖書

芭蕉のうたに「いざともに穂麥喰はん草枕」というのがある。(「野ざらし紀行」)

イエスは人とともに歩まれる。人はイエスに人の歩みの何かを知る。

† 細き聲 説教 

 「安息日の主」

「それ人の子は安息日の主たるなり」 マタイ12:8 大正文語訳聖書

「人の子は安息日の主なのである」 フランシスコ会訳聖書

イエスは御自身を「安息日の主である」と言われた。

安息日は二つの起源をもつ。

創世記2:3 創造の完成としての安息日

申命記5:15 救出の完成としての安息日

イエスは「創造と救済」の完成であり、「創造と救済」の主である。

Matt.12:8人の子は安息日の主である。

並行記事マルコ2:27~28、ルカ6:5 「また彼らに言われた、『安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである』」。 口語訳聖書

「安息日」は「創造と救済」が神によることを知る日である。

すべての物事が神によってはじまり、神によって完成することを祝う日である。

「神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」 黙示1:8 新改訳聖書

「安息日」は主イエスの十字架と復活によって完成し、復活の朝を始まりの聖日として礼拝をささげるのである。

すべてのことは神によって始まり、神によって完成することの中に「救済」がある。

(皆川誠)

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