† 福音書縦観 「イエスの喜びと招き」 マタイ11:25~30
マタイ11:25~30 ルカ10:21~24
マタイ11:25~30
Matt.11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。 口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.11:30
【漢訳聖書】
Matt.11:30 蓋我軛易、我負輕也。
【明治元訳】
Matt.11:30 蓋(そは)わが軛(くびき)は易(やすく)わが荷(に)は輕(かろ)ければ也(なり)
【大正文語訳】
Matt.11:30 わが軛は易く、わが荷は輕ければなり』
【ラゲ訳】
Matt.11:30 其は我が[負はする]軛は快く、荷は軽ければなり。
【口語訳】
Matt.11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
【新改訳改訂3】
Matt.11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
【新共同訳】
Matt.11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
【バルバロ訳】
Matt.11:30 そうすれば、霊魂は休む。私のくびきは快く、私の荷は軽い」。
【フランシスコ会訳】
Matt.11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
【日本正教会訳】
Matt.11:30 蓋我が軛は易く、我が任は輕し。
【塚本虎二訳】
Matt.11:30 わたしの軛は甘く、わたしの荷は軽い。」
【前田護郎訳】
Matt.11:30 わが軛はやさしく、わが荷は軽いから」と。
【永井直治訳】
Matt.11:30 そは我が軛は易く、また我が荷は輕ければなり。
【詳訳聖書】
Matt.11:30 なせなら、私のくびきは益となる<役にたつ、有用な>ものであり<粗らい、堅い、とがった、または締めつけるようなものでなく、快適で、ゆるやかで、気持ちのよいものであり>、私の荷は軽い<負いやすい>からである」。
† 聖書引照 Matt.11:30
Matt.11:30 わが軛は易く、わが荷は輕ければなり』
[わが軛は易く] 箴言3:17; ミカ6:8; 使徒15:10,28; ガラ5:1,18; Ⅰヨハ5:3
[わが荷は輕ければなり] ヨハ16:33; Ⅱコリ1:4,5; 4:17; 12:9,10; ピリ4:13
† ギリシャ語聖書 Matt.11:30
Stephens 1550 Textus Receptus
ο γαρ ζυγος μου χρηστος και το φορτιον μου ελαφρον εστιν
Scrivener 1894 Textus Receptus
ο γαρ ζυγος μου χρηστος και το φορτιον μου ελαφρον εστιν
Byzantine Majority
ο γαρ ζυγος μου χρηστος και το φορτιον μου ελαφρον εστιν
Alexandrian
ο γαρ ζυγος μου χρηστος και το φορτιον μου ελαφρον εστιν
Hort and Westcott
ο γαρ ζυγος μου χρηστος και το φορτιον μου ελαφρον εστιν
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.11:30
ὁ γὰρ ζυγός μου χρηστὸς καὶ τὸ φορτίον μου ἐλαφρόν ἐστιν.
† ヘブライ語聖書 Matt.11:30
Matt.11:30
כִּי עֻלִּי נָעִים וְקַל מַשָֹאִי
† ラテン語聖書 Matt.11:30
Latin Vulgate
Matt.11:30
Iugum enim meum suave est, et onus meum leve.
For my yoke is sweet and my burden is light.”
† 私訳(詳訳)Matt.11:30
【私訳】 「というのは、わたしの軛は軽く<役に立つ、有用で、親切で、心地よく>、わたしの荷は軽い<容易な、楽な、とるに足りない、小さな>ものです」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.11:30
ὁ γὰρ ζυγός μου χρηστὸς καὶ τὸ φορτίον μου ἐλαφρόν ἐστιν.
【というのは】 γὰρ γάρ ガル gar {gar} (cs 接続詞・従位)
1)なぜなら、というのは、その理由は、だから 2)すなわち、では、いったい、結局 4)確かに、もちろん、だって
(G1063 γάρ A primary particle; properly assigning a reason (used in argument, explanation or intensification; often with other particles): – and, as, because (that), but, even, for indeed, no doubt, seeing, then, therefore, verily, what, why, yet. Internet Sacred Text Archive)
【私の】 μου ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npg-1s 代名詞・属1単)
1)私 2)わたし
(G1473 ἐγώ A primary pronoun of the first person, “I” (only expressed when emphatic): – I, me. For the other cases and the plural see 1691 1698 1700 2248 2249 2254 2257 etc. Internet Sacred Text Archive)
【軛は】 ζυγός ζυγός ズゆゴス zugos {dzoo-gos‘} (n-nm-s 名詞・主男単)
< εύγνυμι 結ぶ、くびきにつなぐ
1)軛 2)絆 3)重荷、束縛、負担 4)竪琴の琴柱 5)天秤の竿、天秤 6)夫婦
(G2218 ζυγός From the root of ζεύγνυμι zeugnumi (to join, especially by a “yoke”); a coupling, that is, (figuratively) servitude (a law or obligation); also (literally) the beam of the balance (as connecting the scales): – pair of balances, yoke. Internet Sacred Text Archive)
マタ11:29;,30; 使徒15:10; ガラ5:1; Ⅰテモ6:1
【負いやすく】 χρηστὸς χρηστός くレーストス chrēstos {khrase-tos‘} (a–nm-s 形容詞・主男単)
1)役に立つ、為になる、有用な 2)(荷が)軽い 3)情け深い、親切な、思いやりのある 4)す ばらしい、良い、立派な、高潔な、忠実な 5)快い、善い 6)楽な
(G5543 χρηστός From 5530 employed, that is, (by implication) useful (in manner or morals): – better, easy, good (-ness), gracious, kind. Internet Sacred Text Archive)
マタ11:30; ルカ5:39; Ⅰコリ13:33
【そして】 καὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【私の】 μου ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npg-1s 代名詞・属1単)
1)私 2)わたし
(G1473 ἐγώ A primary pronoun of the first person, “I” (only expressed when emphatic): – I, me. For the other cases and the plural see 1691 1698 1700 2248 2249 2254 2257 etc. Internet Sacred Text Archive)
【荷は】 φορτίον φορτίον ふォルティン phortion {for-tee‘-on} (n-nn-s 名詞・主中単)
1)(船の)積荷 2)荷、荷物 3)重荷、重み 4)大きさ、嵩 5)(比喩的に)胎児
ギリシャ語には「重荷」を意味する2つの言葉がある
1 ὄγκος オグコス 「見かけの重々しさ、うぬぼれ、誇り」の意味に用いる
2 φορτίον フォルティオン 「実際にかついでいる積荷、運ぶにも重い荷、やっかいなもの、邪魔物、目方のある重荷」
(G5413 φορτίον Diminutive of 5414 an invoice (as part of freight), that is, (figuratively) a task or service: – burden. Internet Sacred Text Archive)
マタ11:30; 23:4; ルカ11:46; ガラ6:5;
【軽い】 ἐλαφρόν ἐλαφρός エらふロス elaphros {el-af-ros‘} (a–nn-s 形容詞・主中単)
1)(荷物、患難が)軽い 2)容易な、楽な、気楽な 3)身軽な、活発な 4)持ちやすい 5)小さな、とるに足りない 6)軽薄な 7)温厚な、気軽な
(G1645 ἐλαφρός Probably akin to 1643 and the base of 1640 light, that is, easy: – light. Internet Sacred Text Archive)
マタ11:30; Ⅱコリ4:17
【です】 ἐστιν εἰμί エイミ eimi {i-mee‘} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3単)
1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている
(G1510 εἰμί First person singular present indicative; a prolonged form of a primary and defective verb; I exist (used only when emphatic): – am, have been, X it is I, was. See also 1488 1498 1511 1527 2258 2071 2070 2075 2076 2771 2468 5600. Internet Sacred Text Archive)
† 英語訳聖書 Matt.11:30
King James Version
11:30 For my yoke [is] easy, and my burden is light.
New King James Version
11:30 “For My yoke is easy and My burden is light.”
American Standard Version
11:30 For my yoke is easy, and my burden is light.
New International Version
11:30 For my yoke is easy and my burden is light.”
Bible in Basic English
11:30 For my yoke is good, and the weight I take up is not hard.
Today’s English Version
11:30 For the yoke I will give you is easy, and the load I will put on you is light.”
Darby’s English Translation
11:30 for my yoke is easy, and my burden is light.
Douay Rheims
11:30 For my yoke is sweet and my burden light.
Noah Webster Bible
11:30 For my yoke is easy, and my burden is light.
Weymouth New Testament
11:30 For it is good to bear my yoke, and my burden is light.’
World English Bible
11:30 For my yoke is easy, and my burden is light.’
Young’s Literal Translation
11:30 for my yoke is easy, and my burden is light.’
Amplified Bible
11:30 For My yoke is easy [to bear] and My burden is light.”
† 細き聲 聖書研究ノート
<わが軛は易く、わが荷は輕ければなり』>
イエスのくびきは負いやすく、負うのに軽い。
<わが軛は易く>
「軛 ζυγός ズゆゴス」(「軛」は「衡、頸木、首木」とも書く)は、牛、馬などの大型家畜(輓獣)を犂や馬車、牛車に繋ぐ際に用いる木製の棒状器具である。
「易く χρηστός くレーストス」は「情け深い、親切な、思いやりのある」で「快い」の意味がある。
<わが荷は輕ければなり>
ギリシャ語には「重荷」を意味する2つの言葉がある
1 ὄγκος オグコス 「見かけの重々しさ、うぬぼれ、誇り」の意味に用いる
2 φορτίον フォルティオン 「実際にかついでいる積荷、運ぶにも重い荷、やっかいなもの、邪魔物、目方のある重荷」
「イエスの荷」は「φορτίον ふォルティン」で実際にかつぐ「運ぶにも重い荷」で「やっかいなもの」であり、ほどほどの「目方」もある。しかし、それは「軽く」、「とるに足りない」ほど「小さく」、「持ちやすい」。
「軽い ἐλαφρός エらふロス」には、「持ちやすい、小さな、とるに足りない」の意味もある。
† 心のデボーション
「わが軛は易く、わが荷は輕ければなり』」 マタイ11:30 大正文語訳聖書
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」 新共同訳聖書
「負うべき重荷」
人にはそれぞれの負うべき「φορτίον フォルティオン 重荷 」と、「見かけの重々しさ、うぬぼれ、誇り」という負うべきでない「重荷 ὄγκος オグコス」がある。
ヘブル12:1「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて」の「重荷」は「ὄγκος オグコス」である。
† 心のデボーション
「わが軛は易く、わが荷は輕ければなり』」 マタイ11:30 大正文語訳聖書
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」 新共同訳聖書
「重く感じる荷」
どれほど重く感じる荷も、担げるなら「軽い」。
† 心のデボーション
「わが軛は易く、わが荷は輕ければなり』」 マタイ11:30 大正文語訳聖書
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」 新共同訳聖書
「一箕之功 (いっきのこう)」
「一箕之功 (いっきのこう)」という言葉がある。「一箕」は「もっこ一杯の土」で、もっこで土を運び山を造る。完成間近のあと一息の「一箕 (もっこ一杯の土)」を担いで運ぶ。
イエスが私の肩に担がせられるのは、その最後の「一箕 (もっこ一杯の土)」だ。これを運ばないと山はできない。
† 心のデボーション
「わが軛は易く、わが荷は輕ければなり』」 マタイ11:30 大正文語訳聖書
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」 新共同訳聖書
「わたしの軛は負いやすく」
江戸時代に長い旅には「駕籠」が使われた。駕籠かきは重労働だった。そこで仲間が重そうな駕籠を担いでいると、すぐすぐ担ぎ棒の下に自分の肩を入れて手伝ってやった。だからといって「賃料」を求めたりはしない。見返りを期待しない行為だった。
イエスは辛い荷物を担ぐに疲れたわたしに、「肩入れ」してくださる。担ぎ棒の下に肩を入れて手伝ってくださるのである。
† 心のデボーション
「わが軛は易く、わが荷は輕ければなり』」 マタイ11:30 大正文語訳聖書
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」 新共同訳聖書
「肩入れ」
昔、駕籠かきが重そうな客をかついで難儀しているのを見ると仲間が駆け寄って担ぎ棒に自分の肩を入れて手伝うのを「肩入れ」といった。これは見返りなど期待しない行為だったという。
イエスはしばしば私に「肩入れ」してくださるが、私がイエスに「肩入れ」することはめったにない。
「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい」(マタイ11:29 新改訳聖書)は、私にもイエスに「肩入れ」できるということか。
(†心のデボーション01397)
† 細き聲 説教
「イエスのくびき」
「わが軛は易く、わが荷は輕ければなり』」 マタイ11:30 大正文語訳聖書
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」 新共同訳聖書
イエスのくびきは負いやすく、負うのに軽い。
「わが軛は易く」
「軛 ζυγός ズゆゴス」(「軛」は「衡、頸木、首木」とも書く)は、牛、馬などの大型家畜(輓獣)を犂や馬車、牛車に繋ぐ際に用いる木製の棒状器具である。
「易く χρηστός くレーストス」は「情け深い、親切な、思いやりのある」で「快い」の意味がある。
「わが荷は輕ければ」
ギリシャ語には「重荷」を意味する2つの言葉がある
1 ὄγκος オグコス 「見かけの重々しさ、うぬぼれ、誇り」の意味に用いる
2 φορτίον フォルティオン 「実際にかついでいる積荷、運ぶにも重い荷、やっかいなもの、邪魔物、目方のある重荷」
「イエスの荷」は「φορτίον ふォルティン」で実際にかつぐ「運ぶにも重い荷」で「やっかいなもの」であり、ほどほどの「目方」もある。しかし、それは「軽く」、「とるに足りない」ほど「小さく」、「持ちやすい」。
「軽い ἐλαφρός エらふロス」には、「持ちやすい、小さな、とるに足りない」の意味もある。
イエスが「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い』と言われたからといって、私が負うべき「私」をすべてイエスにお任せしようなどと考えてはならない。
イエスは私から「私」を取りのぞかれて、イエスの負われる「私」を与えられるようなことはなさらない。
私は神の創られた「私」を負い切ることによって生きるのである。
イエスは私に、その負い方を教えてくださり、そのように負う力を与えてくださるのである。
私が「私」というものに、ふと「軽い」と感じる時、私の横にはイエスがおられるのである。
† 細き聲 説教
「荷の負い方」
「わが軛は易く、わが荷は輕ければなり』」 マタイ11:30 大正文語訳聖書
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」 新共同訳聖書
「荷を負う」ことはポーターに学ぶところが大きい。
ヒマラヤ登山で、ポーターは自分の身の丈ほど高く荷を負ってキャンプ地まで運び上げる。
荷物は重いものも軽いものもあり、その組み合わせに知恵がいる。
組み合わせが悪いとただに重くて、急な山道を登れない。
身体の傾斜にあわせて、重いものと軽いものを組み合わせると軽いと感じる支点があり、そこを捉えると相当な重量の荷も負える。
荷を運ぶ一輪車も同じで、重い荷と軽い荷を前後にバランスよく配置すると大して力もいらずに押すことができる。荷のバランスが悪いと力で押すことになり、うまくいかない。
「負うべき重荷」は、荷を適当な位置に置き、その重さを利用すれば、意外と軽く負えるところがある。
(皆川誠)
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