マタイによる福音書11章27節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「イエスの喜びと招き」 マタイ11:25~30

マタイ11:25~30 ルカ10:21~24
マタイ11:25~30

Matt.11:27すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく(そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。 ルカ10:22)、父を知る者は(また父がだれであるかは ルカ10:22)、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。(10:23それから弟子たちの方に振りむいて、ひそかに言われた、「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである。 10:24あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、あなたがたの見ていることを見ようとしたが、見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」 ルカ10:23~24)口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.11:27

【漢訳聖書】
Matt.11:27 萬物由我父賜我、父之外、無識子者、子及子所樂示之者而外、亦無識父者。

【明治元訳】
Matt.11:27 父は我(われ)に萬物(ばんもつ)を予(あたへ)たまへり父の外(ほか)に子を識(しる)もの無(なく)また子(こ)および子の顯(あらは)す所(ところ)の者の外(ほか)に父を識者(しるもの)なし

【大正文語訳】
Matt.11:27 すべての物は我わが父より委ねられたり。子を知る者は父の外になく、父をしる者は子または子の欲するままに顯すところの者の外になし。

【ラゲ訳】
Matt.11:27 一切の物は我父より我に賜はれり、父の外に子を知る者なく、子及子より肯て示されたらん者の外に、父を知る者なし。

【口語訳】
Matt.11:27 すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。

【新改訳改訂3】
Matt.11:27 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。

【新共同訳】
Matt.11:27 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。

【バルバロ訳】
Matt.11:27 すべてのものは、私の父から私にまかせられました。子が何者かを知っているのは父のほかにはなく、父が何者かを知っているのは、子と、子が示しを与えた人のほかにはありません。

【フランシスコ会訳】
Matt.11:27 すべてのものは父からわたしに任せられている。父のほかに、子を知る者はなく、子と、子が父のことを現そうと思う者とのほかに、父を知る者はない。

【日本正教会訳】
Matt.11:27 萬物は我が父より我に授けられたり、父の外に子を識る者なく、子及び子が顯さんと欲する者の外に父を識る者なし。

【塚本虎二訳】
Matt.11:27 ──(知恵も力も、その他)一切のものが父上からわたしに任せられた。父上のほかに、子(であるわたし)を知る者は一人もなく、また、子と、子が(父上を)あらわしてやる者とのほかに、父上を知る者は一人もない。

【前田護郎訳】
Matt.11:27 すべては父上からわたしにゆだねられている。父上のほか子を知るものはなく、子と、子が父上をあらわそうとするもののほか、父上を知るものはない。

【永井直治訳】
Matt.11:27 すべてのものは我が父より我に授けられたり。また父の外に子をかに知る者なく、また子及び子の默示するを欲する者の外に、誰も父を審かに知らず。

【詳訳聖書】
Matt.11:27 すべての事物は私の父から私に託されました<正確に理解する>者は父のほかになく、また父を十分に知る<正確に理解する>者は子、または子がみこころによって父を知らせようとする者のほかにはありません。

† 聖書引照 Matt.11:27

Matt.11:27 すべての物は我わが父より委ねられたり。子を知る者は父の外になく、父をしる者は子または子の欲するままに顯すところの者の外になし。

[すべての物は我わが父より委ねられたり] マタ28:18; ヨハ3:35; 5:21~29; 13:3; 17:2; Ⅰコリ15:25~27; エペ1:20~23; ピリ2:10,11; ヘブ2:8~10; Ⅰペテ3:22
[子を知る者は父の外になく] ルカ10:22; ヨハ10:15
[父をしる者は子または子の欲するままに顯すところの者の外になし] ヨハ1:18; 6:46; 10:15; 14:6~9; 17:2,3,6,25,26; Ⅰヨハ2:23; 5:19,20; Ⅱヨハ1:9

† ギリシャ語聖書 Matt.11:27

Stephens 1550 Textus Receptus
παντα μοι παρεδοθη υπο του πατρος μου και ουδεις επιγινωσκει τον υιον ει μη ο πατηρ ουδε τον πατερα τις επιγινωσκει ει μη ο υιος και ω εαν βουληται ο υιος αποκαλυψαι

Scrivener 1894 Textus Receptus
παντα μοι παρεδοθη υπο του πατρος μου και ουδεις επιγινωσκει τον υιον ει μη ο πατηρ ουδε τον πατερα τις επιγινωσκει ει μη ο υιος και ω εαν βουληται ο υιος αποκαλυψαι

Byzantine Majority
παντα μοι παρεδοθη υπο του πατρος μου και ουδεις επιγινωσκει τον υιον ει μη ο πατηρ ουδε τον πατερα τις επιγινωσκει ει μη ο υιος και ω εαν βουληται ο υιος αποκαλυψαι

Alexandrian
παντα μοι παρεδοθη υπο του πατρος μου και ουδεις επιγινωσκει τον υιον ει μη ο πατηρ ουδε τον πατερα τις επιγινωσκει ει μη ο υιος και ω εαν βουληται ο υιος αποκαλυψαι

Hort and Westcott
παντα μοι παρεδοθη υπο του πατρος μου και ουδεις επιγινωσκει τον υιον ει μη ο πατηρ ουδε τον πατερα τις επιγινωσκει ει μη ο υιος και ω εαν βουληται ο υιος αποκαλυψαι

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.11:27

Πάντα μοι παρεδόθη ὑπὸ τοῦ πατρός μου, καὶ οὐδεὶς ἐπιγινώσκει τὸν υἱὸν εἰ μὴ ὁ πατήρ, οὐδὲ τὸν πατέρα τις ἐπιγινώσκει εἰ μὴ ὁ υἱὸς καὶ ὧ ἐὰν βούληται ὁ υἱὸς ἀποκαλύψαι.

† ヘブライ語聖書 Matt.11:27

Matt.11:27

הַכֹּל נִמְסַר לִי מֵאֵת אָבִי וְאֵין אִישׁ מַכִּיר אֶת הַבֵּן, זוּלָתִי הָאָב; אַף אֵין אִישׁ מַכִּיר אֶת הָאָב, זוּלָתִי הַבֵּן וְכָל מִי שֶׁהַבֵּן רוֹצֶה לְגַלּוֹת לוֹ

† ラテン語聖書 Matt.11:27

Latin Vulgate
Matt.11:27

Omnia mihi tradita sunt a Patre meo. Et nemo novit Filium, nisi Pater: neque Patrem quis novit, nisi Filius, et cui voluerit Filius revelare.
All things have been delivered to me by my Father. And no one knows the Son except the Father, nor does anyone know the Father except the Son, and those to whom the Son is willing to reveal him.

† 私訳(詳訳)Matt.11:27

【私訳】 「すべてのことはわたしの父からわたしに委ねられて<手渡されて、引き渡されて、任せられて>います。そして、父のほかに子を知る<知り尽くす、理解する、見届ける>者はいません。父を知る<知り尽くす、理解する、見届ける、知り尽くす、見分ける、洞察する>人は子と、そして、子が〔父を〕知らせ<覆いをとる、啓示する、明らかにする>ようと望む<欲する>者の他にはいません」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.11:27

Πάντα μοι παρεδόθη ὑπὸ τοῦ πατρός μου, καὶ οὐδεὶς ἐπιγινώσκει τὸν υἱὸν εἰ μὴ ὁ πατήροὐδὲ τὸν πατέρα τις ἐπιγινώσκει εἰ μὴ ὁ υἱὸς καὶ ὧ ἐὰν βούληται ὁ υἱὸς ἀποκαλύψαι.

【すべてのことは】 Πάντα  πᾶς パース pas {pas} (a–nf-p 形容詞・主複)

1)どれでも、何であれ、何でも、あらゆる、みな  2)~全部の、あらんかぎりの、1つも欠けが無い、ひとり残らず 3)全体の、全部の、すべて 4)混じりものがなく、純粋な

πᾶσαι パーサイ 「πᾶς どれでも、全体の」の複数形

(G3956 πᾶς Including all the forms of declension; apparently a primary word; allanyevery, the whole: – all (manner of, means) alway (-s), any (one), X daily, + ever, every (one, way), as many as, + no (-thing), X throughly, whatsoever, whole, whosoever.  Internet Sacred Text Archive)

【わたしの】 μοι  ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npd-1s 代名詞・与1単)

1)私 2)わたし

(G1473  ἐγώ A primary pronoun of the first person, “I” (only expressed when emphatic): – I, me. For the other cases and the plural see 1691 1698 1700 2248 2249 2254 2257 etc.  Internet Sacred Text Archive)

【父】 πατρός  πατήρ パテール patēr {pat-ayr‘} (n-gm-s 名詞・属男単)

1)父、父親、おとうさん 2)(複数)祖先、祖父、創始者、元祖 3)(複数)両親 4)父なる神

(G3962 πατήρ Apparently a primary word; a “father” (literally or figuratively, near or more remote): – father, parent.  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:22; 5:48: 6:8,9,32; 7:21; 10:37; 11:25; 18:10; 23:9; 25:34; マル10:7; 11:25; 14:36; ルカ2:49; 6:36; 10:21; 11:2; 12:30,31; 14:26; 15:12; 16:24; 22:42; 23:34,46 etc.

【から】 ὑπὸ  ὑπό ヒゆポ hupo {hoop-o‘} (pg 前置詞・属)

1) 下に、~の下から 2)~の下に、下の 3)によって 4)~の故に 5)と共に

(G5259  ὑπό A primary preposition; under, that is, (with the genitive) of place (beneath), or with verbs (the agency or means, through); (with the accusative) of place (whither [underneath] or where [below]) or time (when [at]): – among, by, from, in, of, under, with. In compounds it retains the same genitive applications, especially of inferior position or condition, and specifically covertly or moderately.  Internet Sacred Text Archive)

【わたしに】 μου  ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npg-1s 代名詞・属1単)

1)私 2)わたし

(G1473  ἐγώ A primary pronoun of the first person, “I” (only expressed when emphatic): – I, me. For the other cases and the plural see 1691 1698 1700 2248 2249 2254 2257 etc.  Internet Sacred Text Archive)

【任せられています】 παρεδόθη  παραδίδωμι パラディドーミ paradidōmi {par-ad-id‘-o-mee} (viap–3s 動詞・直・1アオ・受・3単)

1)手渡す、引き渡す、捕える、手渡す 2)委ねる、任せる、預ける、託す 3)生命を死の危険にさらすこと 4)伝える、口頭で伝える 5)裏切る

(G3860 παραδίδωμι From 3844 and 1325 to surrender, that is, yield upintrusttransmit: – betray, bring forth, cast, commit, deliver (up), give (over, up), hazard, put in prison, recommend.  Internet Sacred Text Archive)

マタ4:12; 10:17,19,21,22; 17:22; 18:34; 20:18,19; 24:9,10; 26:15,16,45; 27:2,18,26; マル9:31; 10:33; 13:9;,11,12; 14:11,41; 15:1,10,15 etc.

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【父の】 πατήρ  πατήρ パテール patēr {pat-ayr‘} (n-nm-s 名詞・主男単)

1)父、父親、おとうさん 2)(複数)祖先、祖父、創始者、元祖 3)(複数)両親 4)父なる神

(G3962 πατήρ Apparently a primary word; a “father” (literally or figuratively, near or more remote): – father, parent.  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:22; 5:48: 6:8,9,32; 7:21; 10:37; 11:25; 18:10; 23:9; 25:34; マル10:7; 11:25; 14:36; ルカ2:49; 6:36; 10:21; 11:2; 12:30,31; 14:26; 15:12; 16:24; 22:42; 23:34,46 etc.

【ほかに】 εἰ μὴ  の他に

εἰ  εἰ エイ ei {i } (cs 接続詞・従位)

1)もし 2)もしも、かりに 3)もし~であれば 4)~かどうか 5)~ならば 6)決して~ない

(G1487 εἰ A primary particle of conditionality; ifwhetherthat, etc.: – forasmuch as, if, that, ([al-]) though, whether. Often used in connection or composition with other particles, especially as in 1489 1490 1499 1508 1509 1512 1513 1536 and 1537 See also 1437.  Internet Sacred Text Archive)

μὴ  μή メー mē {may} (qn 不変化詞・否定)

1)~ない

(G3361 μή A primary particle of qualified negation (whereas 3756 expresses an absolute denial); (adverbially) not, (conjugationally) lest; also (as interrogitive implying a negative answer [whereas 3756 expects an affirmative one]); whether: – any, but, (that), X forbear, + God forbid, + lack, lest, neither, never, no (X wise in), none, nor, [can-] not, nothing, that not, un [-taken], without. Often used in compounds in substantially the same relations. See also 3362 3363 3364 3372 3373 3375 3378.  Internet Sacred Text Archive)

【子を】 υἱὸν  υἱός フゅィオス huios {hwee-os’} (n-am-s 名詞・対男)

1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子

「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן ベーン ben {bane} 息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。

(G5207 υἱός Apparently a primary word; a “son” (sometimes of animals), used very widely of immediate, remote or figurative kinship: – child, foal, son.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45; Ⅱコリ6:18; ガラ3:7 etc.

【知る者は】 ἐπιγινώσκει  ἐπιγινώσκω エピギノースコー epiginōskō {ep-ig-in-oce‘-ko} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3単)

< ἐπί 向かって + γινώσκω 理解する

1)知り尽くす、知覚する、感ずく 2)見出す、確かめる、理解する 3)認める、識別する、しかと見届ける、目撃する、悟る、見分ける、はっきり知る、洞察する 4)決定する、よしとする 5)後できづく 6)知り尽くす

(G1921  ἐπιγινώσκω From 1909 and 1097 to know upon some mark, that is, recognise; by implication to become fully acquainted with, to acknowledge: – (ac-, have, take) know (-ledge, well), perceive.  Internet Sacred Text Archive)

マタ7:16,20; 11:27; 17:12; マル7:37; 23:7; ルカ7:37; 23:7etc.

【いない】 οὐδεὶς  οὐδείς  ウーデイス oudeis {oo-dice‘} (apcnm-s 数詞・主男単)

1)何も(誰も)~ない 2)ひとつもない 3)無意味なもの、無価値なもの、役立たず

(G3762 οὐδείς Including the feminine οὐδεμία oudemia oo-dem-ee‘-ah and the neuter οὐδέν ouden oo-den‘ From 3761 and 1520 not even one (man, woman or thing), that is, nonenobodynothing: – any (man), aught, man, neither any (thing), never (man), no (man), none (+ of these things), not (any, at all, -thing), nought.  Internet Sacred Text Archive)

【子の】 υἱὸς  υἱός フゅィオス huios {hwee-os’} (n-nm-s 名詞・主男)

1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子

「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן ベーン ben {bane} 息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。

(G5207 υἱός Apparently a primary word; a “son” (sometimes of animals), used very widely of immediate, remote or figurative kinship: – child, foal, son.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45; Ⅱコリ6:18; ガラ3:7 etc.

【ほかに】 εἰ μὴ  の他に

εἰ  εἰ エイ ei {i } (cs 接続詞・従位)

1)もし 2)もしも、かりに 3)もし~であれば 4)~かどうか 5)~ならば 6)決して~ない

(G1487 εἰ A primary particle of conditionality; ifwhetherthat, etc.: – forasmuch as, if, that, ([al-]) though, whether. Often used in connection or composition with other particles, especially as in 1489 1490 1499 1508 1509 1512 1513 1536 and 1537 See also 1437.  Internet Sacred Text Archive)

μὴ  μή メー mē {may} (qn 不変化詞・否定)

1)~ない

(G3361 μή A primary particle of qualified negation (whereas 3756 expresses an absolute denial); (adverbially) not, (conjugationally) lest; also (as interrogitive implying a negative answer [whereas 3756 expects an affirmative one]); whether: – any, but, (that), X forbear, + God forbid, + lack, lest, neither, never, no (X wise in), none, nor, [can-] not, nothing, that not, un [-taken], without. Often used in compounds in substantially the same relations. See also 3362 3363 3364 3372 3373 3375 3378.  Internet Sacred Text Archive)

【父を】 πατέρα  πατήρ パテール patēr {pat-ayr‘} (n-am-s 名詞・対男単)

1)父、父親、おとうさん 2)(複数)祖先、祖父、創始者、元祖 3)(複数)両親 4)父なる神

(G3962 πατήρ Apparently a primary word; a “father” (literally or figuratively, near or more remote): – father, parent.  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:22; 5:48: 6:8,9,32; 7:21; 10:37; 11:25; 18:10; 23:9; 25:34; マル10:7; 11:25; 14:36; ルカ2:49; 6:36; 10:21; 11:2; 12:30,31; 14:26; 15:12; 16:24; 22:42; 23:34,46 etc.

【知る】 ἐπιγινώσκει  ἐπιγινώσκω エピギノースコー epiginōskō {ep-ig-in-oce‘-ko}  (vipa–3s 動詞・直現・能・3単)

< ἐπί 向かって + γινώσκω 理解する

1)知り尽くす、知覚する、感ずく 2)見出す、確かめる、理解する 3)認める、識別する、しかと見届ける、目撃する、悟る、見分ける、はっきり知る、洞察する 4)決定する、よしとする 5)後できづく 6)知り尽くす

(G1921  ἐπιγινώσκω From 1909 and 1097 to know upon some mark, that is, recognise; by implication to become fully acquainted with, to acknowledge: – (ac-, have, take) know (-ledge, well), perceive.  Internet Sacred Text Archive)

マタ7:16,20; 11:27; 17:12; マル7:37; 23:7; ルカ7:37; 23:7etc.

【者は】 τις  τίς ティス tis {tis} (aptnm-s 形容詞・疑主男単)

1)誰 2)何 3)どんな 4)なぜ 5)どちら 6)何故、どうして

(G5101 τίς Probably emphatic of 5100 an interrogitive pronoun, who, which or what (in direct or indirecquestions): – every man, how (much), + no (-ne, thing), what (manner, thing), where ([-by, -fore, -of, -unto, -with, -withal]), whether, which, who (-m, -se), why.  Internet Sacred Text Archive)

【いない】 οὐδὲ  οὐδείς  ウーデイス oudeis {oo-dice‘} (apcnm-s 数詞・主男単)

1)何も(誰も)~ない 2)ひとつもない 3)無意味なもの、無価値なもの、役立たず

(G3762 οὐδείς Including the feminine οὐδεμία oudemia oo-dem-ee‘-ah and the neuter οὐδέν ouden oo-den‘ From 3761 and 1520 not even one (man, woman or thing), that is, nonenobodynothing: – any (man), aught, man, neither any (thing), never (man), no (man), none (+ of these things), not (any, at all, -thing), nought.  Internet Sacred Text Archive)

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【もし】 ἐὰν  ἐάν エアン ean {eh-an‘} (qv 不変化詞)

1)もし、もし~ならば 2)~であれ 3)ひょっとして、万一

(G1437 ἐάν From 1487 and 302 a conditional particle; in case that, provided, etc.; often used in connection with other particles to denote indefiniteness or uncertainty: – before, but, except, (and) if, (if) so, (what-, whither-) soever, though, when (-soever), whether (or), to whom, [who-] so (-ever). See 3361 Internet Sacred Text Archive)

【子が】 υἱὸς  υἱός フゅィオス huios {hwee-os’} (n-nm-s 名詞・主男)

1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子

「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן ベーン ben {bane} 息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。

(G5207 υἱός Apparently a primary word; a “son” (sometimes of animals), used very widely of immediate, remote or figurative kinship: – child, foal, son.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45; Ⅱコリ6:18; ガラ3:7 etc.

【示そうと】 ἀποκαλύψαι  ἀποκαλύπτω  アポカリュプトー  apokaluptō {ap-ok-al-oop‘-to} (vnaa 不定詞・1アオ能)

< ἀπό + καλύπτω おおいをする

1)覆いを取る、正体を現す 2)現れる、明らかにする、暴露する 3)示される、開示する、表明する 4)啓示される 5)表わす、示す 6)仮面を剥ぐ

(G601  ἀποκαλύπτω From 575 and 2572 to take off the cover, that is, disclose: – reveal.  Internet Sacred Text Archive)

マタ10:26; 11:25,27; ルカ2:35; 10:21,22; 12:2; 17:30; ヨハ12:38; etc.

【思う】 βούληται  βούλομαι ブーろマイ boulomai {boo‘-lom-ahee} (vspn–3s 動詞・仮・現・能欠・3単)

< βουλή 意図、たくらみ

1)欲する、望む、願う、するつもりである、しようと思う、~しようと希望する 2)意図する、ある考えを持つ、傾く、考え出す、熟考する、企てる 3)決意する 4)好む、選ぶ

(G1014 βούλομαι Middle voice of a primary verb; to “will”, that is, (reflexively) be willing: – be disposed, minded, intend, list (be, of own) will (-ing). Compare 2309.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:19; 11:27; マル15:15; ルカ10:22; ヨハ18:39; 使徒5:28,33; 15:37; 17:20; 18:27; 19:30; 22:30; 23:28; 25:22; 27:43 etc.

【ところの者】 ὧ  ὅς ホス hos {hos} (-aprdm-s 関係代名詞・与男単)

1)この~ 2)これ 3)ところの、そして

(G3739  ὅς Probably a primary word (or perhaps a form of the article 3588 ; the relative (sometimes demonstrative) pronoun, whowhichwhatthat: – one, (an-, the) other, some, that, what, which, who (-m, -se), etc. See also 3757 Internet Sacred Text Archive)

† 英語訳聖書 Matt.11:27

King James Version
11:27 All things are delivered unto me of my Father: and no man knoweth the Son, but the Father; neither knoweth any man the Father, save the Son, and [he] to whomsoever the Son will reveal [him].

New King James Version
11:27 “All things have been delivered to Me by My Father, and no one knows the Son except the Father. Nor does anyone know the Father except the Son, and the one to whom the Son wills to reveal Him.

American Standard Version
11:27 All things have been delivered unto me of my Father: and no one knoweth the Son, save the Father; neither doth any know the Father, save the Son, and he to whomsoever the Son willeth to reveal him.

New International Version
11:27 “All things have been committed to me by my Father. No one knows the Son except the Father, and no one knows the Father except the Son and those to whom the Son chooses to reveal him.

Bible in Basic English
11:27 All things have been given to me by my Father; and no one has knowledge of the Son, but the Father; and no one has knowledge of the Father, but the Son, and he to whom the Son will make it clear.

Today’s English Version
11:27 “My Father has given me all things. No one knows the Son except the Father, and no one knows the Father except the Son and those to whom the Son chooses to reveal him.

Darby’s English Translation
11:27 All things have been delivered to me by my Father, and no one knows the Son but the Father, nor does any one know the Father, but the Son, and he to whom the Son may be pleased to reveal him.

Douay Rheims
11:27 All things are delivered to me by my Father. And no one knoweth the Son, but the Father: neither doth any one know the Father, but the Son, and he to whom it shall please the Son to reveal him.

Noah Webster Bible
11:27 All things are delivered to me by my Father; and no man knoweth the Son, but the Father; neither knoweth any man the Father, save the Son, and he to whomsoever the Son will reveal him.

Weymouth New Testament
11:27 ‘All things have been handed over to me by my Father, and no one fully knows the Son except the Father, nor does any one fully know the Father except the Son and all to whom the Son chooses to reveal Him.

World English Bible
11:27 All things have been delivered to me by my Father. No one knows the Son, except the Father; neither does anyone know the Father, except the Son, and he to whoever the Son wants to reveal him.

Young’s Literal Translation
11:27 ‘All things were delivered to me by my Father, and none doth know the Son, except the Father, nor doth any know the Father, except the Son, and he to whom the Son may wish to reveal Him.

Amplified Bible
11:27 All things have been handed over to Me by My Father; and no one fully knows and accurately understands the Son except the Father; and no one fully knows and accurately understands the Father except the Son, and anyone to whom the Son [deliberately] wills to reveal Him.

† 細き聲 聖書研究ノート

 <すべての物は我わが父より委ねられたり。子を知る者は父の外になく、父をしる者は子または子の欲するままに顯すところの者の外になし>

父なる神はすべてのことを幼子イエスに現わされ、イエスを知るものは父なる神の他になく、父なる神を知るのはイエスとイエスが欲するままに現わされた者の他にない。

 <すべての物は我わが父より委ねられたり>

ここでイエスはご自身を「神の嬰兒」であることに言及される。

「此等のことを智き者慧き者にかくして、嬰兒に顯し給もう」神が、「神の嬰兒」にすべてを現し給うは、「御意に適へる」こと「神の喜び」としたもうところ、神の叡智である。

 <子を知る者は父の外になく、父をしる者は子>

「知る ἐπιγινώσκω エピギノースコー」は、「ἐπί 向かって + γινώσκω 理解する」で、単に「知る」ことよりも「目撃して知る(認識する、理解する、識別する)」ことである。

神は御子の存在をその目をもって確かに知り(認識し、理解し、識別される)。そして御子は父なる神の存在をその目をもって確かに知り(認識し、理解し、識別される)。

 <父をしる者は子または子の欲するままに顯すところの者の外になし>

父なる神と御子の間には絶え間なく交わされる確かな認識がある。そして、それは「私」にまで及ぶ。イエスは私に「父なる神」を現され、それによって私は「父なる神が御子を知る」ように神とイエスを知り、神とイエスは私を知られる。そして、それによって私は「私」を知る。それらを目に見るように知る。

「顯す ἀποκαλύπτω  アポカリュプトー」の原意は「覆いを取り去る」である。イエスは人にかけられた「覆い」を取り去って、神をあらわされる。

† 心のデボーション  

「すべての物は我わが父より委ねられたり。子を知る者は父の外になく、父をしる者は子または子の欲するままに顯すところの者の外になし」 マタイ11:27 大正文語訳聖書

「すべてのものは父からわたしに任せられている。父のほかに、子を知る者はなく、子と、子が父のことを現そうと思う者とのほかに、父を知る者はない」 フランシスコ会訳聖書

 「神を知る」

人はイエスを介することなく神を「知る ἐπιγινώσκω エピギノースコー  知り尽くす、知覚する、感ずく、見出す、確かめる、理解する、認める、識別する、しかと見届ける、目撃する、悟る」ことはできない。

† 心のデボーション  

「すべての物は我わが父より委ねられたり。子を知る者は父の外になく、父をしる者は子または子の欲するままに顯すところの者の外になし」 マタイ11:27 大正文語訳聖書

「すべてのものは父からわたしに任せられている。父のほかに、子を知る者はなく、子と、子が父のことを現そうと思う者とのほかに、父を知る者はない」 フランシスコ会訳聖書

 「覆いを取り去る」

「神への思い」はイエスの「示し ἀποκαλύπτω  アポカリュプトー 覆いを取る、現れる、示される、啓示される、表わす、示す、正体を現す、暴露する、明らかにする」による。「示し ἀποκαλύπτω  アポカリュプトー」の原意は「覆いを取り去る」である。イエスは人にかけられた「覆い」を取り去って、神をあらわされる。

人に大切なことは常に「覆いをかけられて」いる。一つの「覆い」が取り払われて現されるのは新たな「覆い」である。すべての「覆い」の除けられることよりも、あらたな「覆い」の現われを喜ぶ。

† 細き聲 説教

 「神の嬰兒」

「すべての物は我わが父より委ねられたり。子を知る者は父の外になく、父をしる者は子または子の欲するままに顯すところの者の外になし」 マタイ11:27 大正文語訳聖書

「すべてのものは父からわたしに任せられている。父のほかに、子を知る者はなく、子と、子が父のことを現そうと思う者とのほかに、父を知る者はない」 フランシスコ会訳聖書

神は人の悔改めについて「知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになった」(マタイ11:25)

神の奥義は宗教的な指導者や熱心な「知恵ある者や賢い者」にではなく、ことばをもたない「幼子」にあらわされる。

この「幼子」とは神の御子イエスである。

父なる神は神の幼子イエスにすべてを現わされ、そして幼子イエスが望むままに現わそうとなさる人を父なる神は知り、人は父なる神を知り、そして人は自らを知るのである。

父なる神はすべてのことを幼子イエスに現わされ、イエスを知るものは父なる神の他になく、父なる神を知るのはイエスとイエスが欲するままに現わされた者の他にない。

人が神について知るのは、御自身を完全に現わされた「神の嬰兒」イエスによるのである。

いかなる「知恵ある者や賢い者」も、その「知恵や賢さ」ゆえに退けられる。

「顯す ἀποκαλύπτω  アポカリュプトー」の原意は「覆いを取り去る」である。イエスは「覆い」を取り去って、「幼子、貧しき者、小さき者、へりくだる者」に神をあらわされる。

(皆川誠)

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