マタイによる福音書11章15節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「洗礼者ヨハネの質問」 マタイ11:2~19

マタイ11:2~19 ルカ7:18~35,16:16
マタイ11:2~19

Matt.11:15耳のある者は聞くがよい。 (7:29これを聞いた民衆は皆、また取税人たちも、ヨハネのバプテスマを受けて神の正しいことを認めた。7:30しかし、パリサイ人と律法学者たちとは彼からバプテスマを受けないで、自分たちに対する神のみこころを無にした。ルカ7:29~30)口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.11:15

【漢訳聖書】
Matt.11:15 凡有耳以聽者、宜聽焉。

【明治元訳】
Matt.11:15 耳(みみ)ありて聽(きこ)ゆる者は聽(きく)べし

【大正文語訳】
Matt.11:15 耳ある者は聽くべし。

【ラゲ訳】
Matt.11:15 聴く耳を持てる人は聴け。

【口語訳】
Matt.11:15 耳のある者は聞くがよい。

【新改訳改訂3】
Matt.11:15 耳のある者は聞きなさい。

【新共同訳】
Matt.11:15 耳のある者は聞きなさい。

【バルバロ訳】
Matt.11:15 耳をもつ者は聞け。

【フランシスコ会訳】
Matt.11:15 聞く耳のある者は聞きなさい。

【日本正教会訳】
Matt.11:15 耳ありて聽くを得る者は聽くべし。

【塚本虎二訳】
Matt.11:15 耳のある者は聞け。

【前田護郎訳】
Matt.11:15 耳あるものは聞け。

【永井直治訳】
Matt.11:15 聞くべく耳をもつ者は聞くべし。

【詳訳聖書】
Matt.11:15 聞く耳を持つ者は耳を傾けなさい<聞いて、考えよ、悟れ、理解せよ>

† 聖書引照 Matt.11:15

Matt.11:15 耳ある者は聽くべし。

[耳ある者は聽くべし] マタ13:9,43; マル4:9,23; 7:16; ルカ8:8; 黙示2:7,11,17,29; 3:6,13,22

† ギリシャ語聖書 Matt.11:15

Stephens 1550 Textus Receptus
ο εχων ωτα ακουειν ακουετω

Scrivener 1894 Textus Receptus
ο εχων ωτα ακουειν ακουετω

Byzantine Majority
ο εχων ωτα ακουειν ακουετω

Alexandrian
ο εχων ωτα ακουετω

Hort and Westcott
ο εχων ωτα ακουετω

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.11:15

ὁ ἔχων ὦτα ἀκουέτω.

† ヘブライ語聖書 Matt.11:15

Matt.11:15

מִי שֶׁאָזְנַיִם לוֹ, שֶׁיִּשְׁמַע

† ラテン語聖書 Matt.11:15

Latin Vulgate
Matt.11:15

Qui habet aures audiendi, audiat.
Whoever has ears to hear, let him hear.

† 私訳(詳訳)Matt.11:15

【私訳】 「耳を持つ<しっかり捕えている>者は聞きなさい<伝え聞きなさい、耳を傾けなさい、傾聴しなさい、聴き従いなさい>」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.11:15

ὁ ἔχων ὦτα ἀκουέτω.

【耳の】 ὦτα  οὖς ウース ous {ooce} (n-an-p 名詞・対中複)

1)耳 2)聴覚 3)聞く能力 4)聞いて理解する能力

(G3775 οὖς Apparently a primary word; the ear (physically or mentally): – ear.  Internet Sacred Text Archive)

マタ10:27; 11:15; 13:9,15,16,43; マル4:9,23; 7:33; 8:18; ルカ1:44; 4:21; 8:8; 9:44; 12:3; 14:35; 22:50; etc.

【ある者】 ἔχων  ἔχω エこー  echō {ekh‘-o} (vppanm-s 分詞・現能主男単)

1)持っている、保持している、保存する、保管する、所有する、保つ 2)身につける、帯びる、具備している、着る 3)含んでいる、抱く、とどめる、しっかり捕らえている 4)~とみなす、思う

(G2192  ἔχω A primary verb (including an alternate form σχέω scheō skheh‘-o used in certain tenses only); to hold (used in very various applications, literally or figuratively, direct or remote; such as possessionabilitycontiguityrelation or condition): – be (able, X hold, possessed with), accompany, + begin to amend, can (+ -not), X conceive, count, diseased, do, + eat, + enjoy, + fear, following, have, hold, keep, + lack, + go to law, lie, + must needs, + of necessity, + need, next, + recover, + reign, + rest, return, X sick, take for, + tremble, + uncircumcised, use.  Internet Sacred Text Archive)

【聞きなさい】 ἀκουέτω  ἀκούω アクーオー akouō {ak-oo‘-o} (vmpa–3s 動詞・命・現・能・3)

1)聞く、傾聴する、伝え聞く 2)耳に入る、知らせを受け取る、聞こえる 3)耳を傾ける、聞き従う、理解する 4)~と呼ばれる

(G191  ἀκούω A primary verb; to hear (in various senses): – give (in the) audience (of), come (to the ears), ([shall]) hear (-er, -ken), be noised, be reported, understand.  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:3,9; 7:24; 13:15; 17:5; マル7:14; 8:18; ルカ2:46; 5:1; 7:22; 8:18; 9:35; 19:48; 20:45; ヨハ5:24; 9:31; 使徒3:22; 4:19; 12:13; 13:16; 15:12; 22:1; ロマ10:17; ガラ3:2,5; etc.

† 英語訳聖書 Matt.11:15

King James Version
11:15 He that hath ears to hear, let him hear.

New King James Version
11:15 “He who has ears to hear, let him hear!

American Standard Version
11:15 He that hath ears to hear, let him hear.

New International Version
11:15 He who has ears, let him hear.

Bible in Basic English
11:15 He who has ears, let him give ear.

Today’s English Version
11:15 Listen, then, if you have ears!

Darby’s English Translation
11:15 He that has ears to hear, let him hear.

Douay Rheims
11:15 He that hath ears to hear, let him hear.

Noah Webster Bible
11:15 He that hath ears to hear, let him hear.

Weymouth New Testament
11:15 Listen, every one who has ears!

World English Bible
11:15 He who has ears to hear, let him hear.

Young’s Literal Translation
11:15 he who is having ears to hear — let him hear.

Amplified Bible
11:15 He who has ears to hear, let him hear and heed My words.

† 細き聲 聖書研究ノート

 <耳ある者は聽くべし>

聞いて従う意思をもって聞きなさい。

 <耳ある者は聽くべし>

フランシスコ会訳 「聞く耳のある者は聞きなさい」

文語訳 「耳ある者は聴くべし」

正教会訳 「耳ありて聴くを得る者は聴くべし」

永井訳 「聞くべく耳をもつ者は聞くべし」

「耳のある ὁ ἔχων ὦτα」は、「耳」を「ἔχω エこー する者」の意であり、「ἔχω エこー」には「持っている、保持している、所有する」に加えて「保つ、抱く、とどめる、しっかり捕らえている」の意味がある。「聞くこと」の機能が全的に保たれ、機能している者のことである。

† 心のデボーション  

「耳ある者は聽くべし」 マタイ11:15 大正文語訳聖書

「聞く耳のある者は聞きなさい」 フランシスコ会訳聖書

 「耳を澄まして聞く人」

「耳のある者」は「耳がある者」というよりも「耳」を「保つ、抱く、しっかり捕らえている」者、「聞く耳のある者」である。聞こうとして耳を傾ける者である。

「耳を澄まして聞く人に語る者は、幸いである」シラ書25:9

† 心のデボーション  

「耳ある者は聽くべし」 マタイ11:15 大正文語訳聖書

「聞く耳のある者は聞きなさい」 フランシスコ会訳聖書

 「耳の役割」

信仰において「耳」の役割は重い。「聴く」は「知る」であり、「知る」は「行為」である。聞く耳ある者は神に聴くごとくに人に聞く。

† 心のデボーション  

「耳ある者は聽くべし」 マタイ11:15 大正文語訳聖書

「聞く耳のある者は聞きなさい」 フランシスコ会訳聖書

 「聞く耳なき者」

「耳」あるも「聞く耳なき者」は多い。「聞く耳なき者」は自分のことしか語らない。「聞く耳なき者」に聞かせるのは、耳なき者に伝えるよりも難しい。

† 心のデボーション  

「耳ある者は聽くべし」 マタイ11:15 大正文語訳聖書

「聞く耳のある者は聞きなさい」 フランシスコ会訳聖書

 「心して聞く人々」

ベン=シラの書に「幸いなるかな、悟りを得し人。心して聞く人びとに教えを語る人」とある。(ベン=シラ25:9) 「悟りを得た人」とは、その教えを「心して聞く人々」を持つ人である。人々が「心して聞くことのできる」ことを知った人である。「耳のある者は聞きなさい」は、声高に主張できることばではない。

† 心のデボーション  

「耳ある者は聽くべし」 マタイ11:15 大正文語訳聖書

「聞く耳のある者は聞きなさい」 フランシスコ会訳聖書

 「対話」

対話は、まず「聞く」ことに始まる。聞くことができるなら、言葉がなくても、すでに対話は成立している。

† 心のデボーション  

「耳ある者は聽くべし」 マタイ11:15 大正文語訳聖書

「聞く耳のある者は聞きなさい」 フランシスコ会訳聖書

 「ステッキの長さだけの本」

フランスの言語学者ブーラールという人は毎日持ち歩くステッキの長さだけの本を買い集め、その数は数十万部にも及んだが、死後競売にされ、大部分は値のつかない無価値なものだったことから、ある人々はブーラールを笑った。だが、ブーラールの行為を笑うべきだろうか。

戦時中、国文学を専攻した学生が海兵団に入って間もない頃、文字に飢え、食事時間の数分前、メンソレータムの効能書をすみからすみまで読み返したという。(吉田満「戦中派の死生観」) 数ある効能書のなかで最も読みでがあったのがその理由であった。

出征した学生が後世に託したものを受ける人は、フーラールの「ステッキの長さだけの本」の中の一書をメンソレータムの効能書のように手にするだろう。

しかし、悲しいのは、毎日杖何百本分もの本が出版されるというのに、それらがかの一枚のメンソレータムの効能書の一つの文字、一つの活字に、切ない思いを寄せた若者に遠くおよばないことである。

何という恵まれた時代であるか。そして、何という重い責任を負ったことか。

† 心のデボーション  

「耳ある者は聽くべし」 マタイ11:15 大正文語訳聖書

「聞く耳のある者は聞きなさい」 フランシスコ会訳聖書

 「聞く耳を持たぬ者」

「聞く耳を持つ者は耳を傾けなさい<聞いて、考えよ、悟れ、理解せよ>」 マタイ11:15 詳訳聖書

聞こえないのと、聞こうとしないのでは違う。

† 細き聲 説教 

 「耳ある者は聽くべし」

「耳ある者は聽くべし」 マタイ11:15 大正文語訳聖書

「聞く耳のある者は聞きなさい」 フランシスコ会訳聖書

マタイ13:9,43 にも「耳ある者は聽くべし」という表現がある。特に黙示録には頻繁に用いられる。(黙示2:7,11,17,29; 3:6,13,22, 13:9)

「耳のある ὁ ἔχων ὦτα」は、勿論、耳を持つ者の意味ではない。

耳があっても「聞こえない耳」がある。

「引き出せ、目があっても、見えぬ民を/耳があっても、聞こえぬ民を」 イザヤ43:8 新共同訳聖書

「愚かで、心ない民よ、これを聞け。目があっても、見えず/耳があっても、聞こえない民」 エレミヤ5:21 新共同訳聖書

「耳はあっても「耳を傾けること」ができないのです。そのために、神の言葉が臨んでも「受け入れるようとはしないのです。

「誰に向かって語り、警告すれば/聞き入れるのだろうか。見よ、彼らの耳は無割礼で/耳を傾けることができない。見よ、主の言葉が彼らに臨んでも/それを侮り、受け入れようとしない。』」 エレミヤ6:10 新共同訳聖書

開かれることのない耳は神の言葉が臨んでも聞くことがなく、したがって、知ることもない。

「お前は聞いたこともなく、知ってもおらず/耳も開かれたことはなかった。お前は裏切りを重ねる者/生まれたときから背く者と呼ばれていることを/わたしは知っていたから」 イザヤ48:8 新共同訳聖書

「耳のある ὁ ἔχων ὦτα」は、「耳」を「ἔχω エこー する者」の意であり、「ἔχω エこー」には「持っている、保持している、所有する」に加えて「保つ、抱く、とどめる、しっかり捕らえている」の意味がある。「聞くこと」の機能が全的に保たれ、機能している者のことである。

私に「聞く耳」を開かれるのは神である。

「主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった」 イザヤ50:5 新共同訳聖書

(皆川誠)

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