† 福音書対観 「宣教 ⅲ」 マタイ10:24~33
マタイ10:24~33 ルカ6:40 ヨハネ13:6,15:20
マタイ10:24~33
Matt.10:24弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。 (弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう ルカ6:40 よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない ヨハネ13:16)
† 日本語訳聖書 Matt.10:24
【漢訳聖書】
Matt.10:24 徒不踰師、僕人不踰主、
【明治元訳】
Matt.10:24 弟子(でし)はより優(まさ)らず僕(しもべ)は主(あるじ)より優(まさ)らざる也(なり)
【大正文語訳】
Matt.10:24 弟子はその師にまさらず、僕はその主にまさらず、
【ラゲ訳】
Matt.10:24 弟子は其師に優らず、僕は其主人に優らざるなり。
【口語訳】
Matt.10:24 弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。
【新改訳改訂3】
Matt.10:24 弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。
【新共同訳】
Matt.10:24 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。
【バルバロ訳】
Matt.10:24 弟子は先生以上のものではない。下男も主人以上のものではない。
【フランシスコ会訳】
Matt.10:24 弟子は師にまさるものでなく、しもべは主人にまさるものではない。
【日本正教会訳】
Matt. 10:24 門徒は其師の上に在らず、僕は其主の上に在らず。
【塚本虎二訳】
Matt.10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)
【前田護郎訳】
Matt.10:24 弟子は師にまさらず、僕は主人にまさらない。
【永井直治訳】
Matt.10:24 弟子は師に勝らず、またはその主に。
【詳訳聖書】
Matt.10:24 弟子はその師にまさらず、しもべ<奴隷>はその主人にまさらない。
† 聖書引照 Matt.10:24
Matt.10:24 弟子はその師にまさらず、僕はその主にまさらず、
[弟子はその師にまさらず、僕はその主にまさらず] Ⅱサム11:11; ルカ6:40; ヨハ13:16; 15:20; ヘブ12:2~4
† ギリシャ語聖書 Matt.10:24
Stephens 1550 Textus Receptus
ουκ εστιν μαθητης υπερ τον διδασκαλον ουδε δουλος υπερ τον κυριον αυτου
Scrivener 1894 Textus Receptus
ουκ εστιν μαθητης υπερ τον διδασκαλον ουδε δουλος υπερ τον κυριον αυτου
Byzantine Majority
ουκ εστιν μαθητης υπερ τον διδασκαλον ουδε δουλος υπερ τον κυριον αυτου
Alexandrian
ουκ εστιν μαθητης υπερ τον διδασκαλον ουδε δουλος υπερ τον κυριον αυτου
Hort and Westcott
ουκ εστιν μαθητης υπερ τον διδασκαλον ουδε δουλος υπερ τον κυριον αυτου
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.10:24
Οὐκ ἔστιν μαθητὴς ὑπὲρ τὸν διδάσκαλον οὐδὲ δοῦλος ὑπὲρ τὸν κύριον αὐτοῦ.
† ヘブライ語聖書 Matt.10:24
Matt.10:24
תַּלְמִיד אֵינֶנּוּ גָּדוֹל מִן הַמּוֹרֶה אַף לֹא הָעֶבֶד גָּדוֹל מֵאֲדוֹנָיו
† ラテン語聖書 Matt.10:24
Latin Vulgate
Matt.10:24
Non est discipulus super magistrum, nec servus super dominum suum.
The disciple is not above the teacher, nor is the servant above his master.
† 私訳(詳訳)Matt.10:24
【私訳】 「弟子は師にまさる<越える、に代わる、の上の、より優れた>ものではなく、また、僕は彼の主人に〔まさる<越える、に代わる、の上の、より優れた>ものでも〕ない」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.10:24
Οὐκ ἔστιν μαθητὴς ὑπὲρ τὸν διδάσκαλον οὐδὲ δοῦλος ὑπὲρ τὸν κύριον αὐτοῦ.
【弟子は】 μαθητὴς μαθητής マてーテース mathētēs {math-ay-tes‘} (n-nm-s 名詞・主男単)
< μανθάνω 学ぶ、覚える、聞き知る、尋ねる
1)学生、弟子、門弟 2)弟子、門人、帰依者 3)学ぶ者、師を見出した者
(G3101 μαθητής From 3129 a learner, that is, pupil: – disciple. Internet Sacred Text Archive)
【師に】 διδάσκαλον διδάσκαλος ディダスカろス didaskalos {did-as‘-kal-os} (n-am-s 名詞・対男単)
1)先生 2)教師 3)師 4)師匠 5)教訓、教説
(G1320 διδάσκαλος From 1321 an instructor (generally or specifically): – doctor, master, teacher. Internet Sacred Text Archive)
マタ8:19; 9:11; 10:24,25; 12:38; 17:24; 19:16; 22:16,24,36; 23:8; 26:18; マル4:38; 5:35; 9:17,38; 10:17,20,35; 12:14,19,32; 13:1; 14:14; etc.
【まさる】 ὑπὲρ ὑπέρ フゆペル huper {hoop-er‘} (pa 前置詞・対)
1)のために 2)の代わりに、に代わって 3)の上に、上方に、上位に 3)の故に 4)~のことで 5)を越えて、~のように 6)(副)それ以上に、いっそうすぐれて
(G5228 ὑπέρ A primary preposition; “over”, that is, (with the genitive case) of place, above, beyond, across, or causal, for the sake of, instead, regarding; with the accusative case superior to, more than. In compounds it retains many of the listed applications: – (+ exceeding abundantly) above, in (on) behalf of, beyond, by, + very chiefest, concerning, exceeding (above, -ly), for, + very highly, more (than), of, over, on the part of, for sake of, in stead, than, to (-ward), very. In compounds it retains many of the above applications. Internet Sacred Text Archive)
【ものではなく】 Οὐκ ἔστιν
Οὐκ οὐ ウー ou {oo} (qn 不変化詞・否定)
1)否 2)~ない 3)~でない
(G3756 οὐ Also οὐκ ouk ook used before a vowel and οὐχ ouch ookh before an aspirate. A primary word; the absolutely negative (compare 3361 adverb; no or not: – + long, nay, neither, never, no (X man), none, [can-] not, + nothing, + special, un ([-worthy]), when, + without, + yet but. See also 3364 3372. Internet Sacred Text Archive)
ἔστιν εἰμί エイミ eimi {i-mee‘} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3単)
1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている
(G1510 εἰμί First person singular present indicative; a prolonged form of a primary and defective verb; I exist (used only when emphatic): – am, have been, X it is I, was. See also 1488 1498 1511 1527 2258 2071 2070 2075 2076 2771 2468 5600. Internet Sacred Text Archive)
【僕は】 δοῦλος δοῦλος ドウーろス doulos {doo‘-los} (n-nm-s 名詞・主男単)
1)仕えている、従属する 2)奴隷、下僕 3)召使、従者
(G1401 δοῦλος From 1210 a slave (literally or figuratively, involuntarily or voluntarily; frequently therefore in a qualified sense of subjection or subserviency): – bond (-man), servant. Internet Sacred Text Archive)
【彼の】 αὐτοῦ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npgm3s 代名詞・属男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【主人に】 κύριον κύριος キゆリオス kurios {koo‘-ree-os} (n-am-s 名詞・対男単)
1)自由にする力のある、支配する、権威のある、力のある 2)主人、君主、所有者、旦那、師 3)正当な、順当な 4)主、神
(G2962 κύριος From κῦρος kuros (supremacy); supreme in authority, that is, (as noun) controller; by implication Mr. (as a respectful title): – God, Lord, master, Sir. Internet Sacred Text Archive)
マタ1:20; 8:25; 9:38; 10:24; 12:4,8; 16:22; マル1:3; 2:28: 12:9; 13:35; ルカ6:5; 9:54; 10:17; 12:6,46; 14:21 Ⅱコリ1:3,14; エペ6:5,9; Ⅰテモ1:2,14; 6:15 etc.
【まさる】 ὑπὲρ ὑπέρ フゆペル huper {hoop-er‘} (pa 前置詞・対)
1)のために 2)の代わりに、に代わって 3)の上に、上方に、上位に 3)の故に 4)~のことで 5)を越えて、~のように 6)(副)それ以上に、いっそうすぐれて
(G5228 ὑπέρ A primary preposition; “over”, that is, (with the genitive case) of place, above, beyond, across, or causal, for the sake of, instead, regarding; with the accusative case superior to, more than. In compounds it retains many of the listed applications: – (+ exceeding abundantly) above, in (on) behalf of, beyond, by, + very chiefest, concerning, exceeding (above, -ly), for, + very highly, more (than), of, over, on the part of, for sake of, in stead, than, to (-ward), very. In compounds it retains many of the above applications. Internet Sacred Text Archive)
【ない】 οὐδὲ οὐδέ ウーデ oude {oo-deh‘} (cc 接続詞・等位)
1)また~ない 2)さえ~ない、でさえない 3)そして~ない
(G3761 οὐδέ From 3756 and 1161 not however, that is, neither, nor, not even: – neither (indeed), never, no (more, nor, not), nor (yet), (also, even, then) not (even, so much as), + nothing, so much as. Internet Sacred Text Archive)
† 英語訳聖書 Matt.10:24
King James Version
10:24 The disciple is not above [his] master, nor the servant above his lord.
New King James Version
10:24 “A disciple is not above his teacher, nor a servant above his master.
American Standard Version
10:24 A disciple is not above his teacher, nor a servant above his lord.
New International Version
10:24 “A student is not above his teacher, nor a servant above his master.
Bible in Basic English
10:24 A disciple is not greater than his master, or a servant than his lord.
Today’s English Version
10:24 “No pupil is greater than his teacher; no slave is greater than his master.
Darby’s English Translation
10:24 The disciple is not above his teacher, nor the bondman above his lord.
Douay Rheims
10:24 The disciple is not above the master, nor the servant above his lord.
Noah Webster Bible
10:24 The disciple is not above his teacher, nor the servant above his lord.
Weymouth New Testament
10:24 ‘The learner is never superior to his teacher, and the servant is never superior to his master.
World English Bible
10:24 ‘A disciple is not above his teacher, nor a servant above his lord.
Young’s Literal Translation
10:24 ‘A disciple is not above the teacher, nor a servant above his lord;
Amplified Bible
10:24 “A disciple is not above his teacher, nor is a bond-servant above his master.
† 細き聲 聖書研究ノート
<弟子はその師にまさらず、僕はその主にまさらず>
イエスの弟子はイエスの受難を上回る苦しみを受けることはない。
<弟子は師にまさるものではない>
「弟子は師にまさるものではない」は当時のことわざであった。しかし、ここでイエスが言われるのは、弟子は師を乗り越えることができないという意味ではない。イエスはこのことわざを用いて、弟子は師(イエス)が受ける苦難以上のものは受けないと言われるのである。
「よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない」 ヨハネ13:16 口語訳聖書
<弟子は師にまさるものではない>
ルカ並行記事では「弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう」ルカ6:40 とある。
イエスが迫害されたのであれば、弟子たちも「そのように」なる。
† 心のデボーション
「弟子はその師にまさらず、僕はその主にまさらず」 マタイ10:24 大正文語訳聖書
「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない」 フランシスコ会訳聖書
「苦難以上のもの」
「弟子は師にまさるものではない」は当時のことわざであった。しかし、ここでイエスが言われるのは弟子は師を乗り越えることができないという意味ではない。イエスはこのことわざを用いて、弟子は師(イエス)が受ける苦難以上のものは受けないと言われるのである。イエスが反対を受けられるなら弟子もそれを免れるものではない。しかし、イエスの弟子は受ける困難においてもイエスのそれを越えることは決してないのである。
† 心のデボーション
「弟子はその師にまさらず、僕はその主にまさらず」 マタイ10:24 大正文語訳聖書
「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない」 フランシスコ会訳聖書
「師」
師を見出す者は幸いである。弟子はいつか師を越えていく。だが、彼が越えたのは「師」ではないだろう。彼が師を「越える」とき「師」もまた彼を越えるからである。
† 心のデボーション
「弟子はその師にまさらず、僕はその主にまさらず」 マタイ10:24 大正文語訳聖書
「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない」 フランシスコ会訳聖書
「師が師でなくなるとき」
あるとき、師が師でなくなることがある。それまでの師は何であったかを知るべきときがきたのだ。変化は師にではなく弟子に起こっている。
† 細き聲 説教
「弟子は師にまさらず」
「弟子はその師にまさらず、僕はその主にまさらず」 マタイ10:24 大正文語訳聖書
「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない」 フランシスコ会訳聖書
「弟子は師にまさるものではない」は当時のことわざであった。しかし、ここでイエスが言われるのは、弟子は師を乗り越えることができないという意味ではない。イエスはこのことわざを用いて、弟子は師(イエス)が受ける苦難以上のものは受けないと言われるのである。
「よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない」 ヨハネ13:16 口語訳聖書
イエスは私の師である。
師は弟子が自分は師を越えたと思うとき、師もまた弟子を越えている。
イエスは常にあらゆることに私を越えられる。
師が師でなくなったとき、変化は師にではなく弟子におこっているのである。
イエスの弟子はよき師を見出した者のことである。
(皆川誠)
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