マタイによる福音書10章12節

マタイによる福音書
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
カテゴリーで絞込

† 福音書縦観 「宣教ⅰ」 マタイ10:5~15

マタイ10:5~15 マルコ6:7~11 ルカ9:1~5,10:1~2,4~12
マタイ10:5~15

Matt.10:12その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。 (10:5どこかの家にはいったら、まず『平安がこの家にあるように』と言いなさい ルカ10: 5) 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.10:12

【漢訳聖書】
Matt.10:12 爾入人之家、則祈安焉。

【明治元訳】
Matt.10:12 人(ひと)のにいらば其(その)平安(やすき)を問(とへ)

【大正文語訳】
Matt.10:12 人の家に入らば平安を祈れ。

【ラゲ訳】
Matt.10:12 家に入る時、此家に平安あれかしと云ひて之を祝せよ、

【口語訳】
Matt.10:12 その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。

【新改訳改訂3】
Matt.10:12 その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。

【新共同訳】
Matt.10:12 その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。

【バルバロ訳】
Matt.10:12 家に入るときには、平和を祈れ。

【フランシスコ会訳】
Matt.10:12 家に入ったら、平安を祈りなさい。

【日本正教会訳】
Matt.10:12 家に入る時は、其安を問ひて、此の家に平安と云へ。

【塚本虎二訳】
Matt.10:12 家に入ったらば、まず平安を祈れ。

【前田護郎訳】
Matt.10:12 家に入るとき、その家の平和を祈れ。

【永井直治訳】
Matt.10:12 また家に入り來るとき、これに挨拶せよ。

【詳訳聖書】
Matt.10:12 その家にはいるときに、あいさつをしなさい<平安があるように、と言いなさい>。

† 聖書引照 Matt.10:12

Matt.10:12 人の家に入らば平安を祈れ。

[人の家に入らば平安を祈れ] ルカ10:5,6; 使徒10:36; Ⅱコリ5:20; Ⅲヨハ1:14

† ギリシャ語聖書 Matt.10:12

Stephens 1550 Textus Receptus
εισερχομενοι δε εις την οικιαν ασπασασθε αυτην

Scrivener 1894 Textus Receptus
εισερχομενοι δε εις την οικιαν ασπασασθε αυτην

Byzantine Majority
εισερχομενοι δε εις την οικιαν ασπασασθε αυτην

Alexandrian
εισερχομενοι δε εις την οικιαν ασπασασθε αυτην

Hort and Westcott
εισερχομενοι δε εις την οικιαν ασπασασθε αυτην

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.10:12

εἰσερχόμενοι δὲ εἰς τὴν οἰκίαν ἀσπάσασθε αὐτήν

† ヘブライ語聖書 Matt.10:12

Matt.10:12

כְּשֶׁאַתֶּם נִכְנָסִים לְבַיִת בָּרְכוּהוּ בְּשָׁלוֹם

† ラテン語聖書 Matt.10:12

Latin Vulgate
Matt.10:12

Intrantes autem in domum, salutate eam, dicentes: Pax huic domui.
Then, when you enter into the house, greet it, saying, ‘Peace to this house.’

† 私訳(詳訳)Matt.10:12

【私訳】 「その家に入ったら、これに挨拶しなさい<『平和があるように』、と言いなさい>」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.10:12

εἰσερχόμενοι δὲ εἰς τὴν οἰκίαν ἀσπάσασθε αὐτήν

【それで】 δὲ δέ デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

(G1161 δέ A primary particle (adversative or continuative); butand, etc.: – also, and, but, moreover, now [often unexpressed in English].  Internet Sacred Text Archive)

【その家に】 οἰκίαν  οἰκία オイキア oikia {oy-kee‘-ah} (n-af-s 名詞・対女単)

1)家、建物、家屋、住居、住家、住処、部屋 2)家の者、家族、家庭、家系、一族、一家、世帯 3)家財、財産 4)家系、家柄

(G362 οἶκος Of uncertain affinity; a dwelling (more or less extensive, literally or figuratively); by implication a family (more or less related, literally or figuratively): – home, house (-hold), temple.  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:11; 7:25,26; 8:6; 10:36; 12:25; 23:38; マル5:19; 8:3,26; ルカ2:49; 6:48,49; 10:7; 15:6,8; ヨハ12:3; 14:2; 19:27 etc.

【に】 εἰς  εἰς エイス eis {ice} (pa 前置詞・対)

1)~の中へ 2)~へ 3)~まで 4)~のために 5)~に対して 6)~に向かって 7)~を目標にして 8)の間に

(G1519 εἰς  A primary preposition; to or into (indicating the point reached or entered), of place, time, or (figuratively) purpose (result, etc.); also in adverbial phrases.: – [abundant-] ly, against, among, as, at, [back-] ward, before, by, concerning, + continual, + far more exceeding, for [intent, purpose],  fore, + forth, in (among, at unto, -so much that, -to), to the intent that, + of one mind, + never, of, (up-) on, + perish, + set at one again, (so) that, therefore (-unto), throughout, till, to (be, the end, -ward), (here-) until (-to), . . . ward, [where-] fore, with. Often used in composition with the same general import, but only with verbs (etc.) expressing motion (literallyor figuratively.  Internet Sacred Text Archive)

【入ったら】 εἰσερχόμενοι  εἰσέρχομαι エイセルこマイ eiserchomai {ice-er’-khom-ahee} (vppnnm2p 分詞・現能欠主男2複)

< εἰς 中へ + ἔρχομαι 行く、来る

1)入る、入って行く、入り込む 2)(心中に)おきる、思いつく 3)生じる、起きる 4)登場する、出廷する 4)来る(行く)、到着する

(G1525 εἰσέρχομαι From 1519 and 2064 to enter (literally or figuratively): – X arise, come (in, into), enter in (-to), go in (through).  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:21; 8:5; 10:12; マル2:1; 11:11; ヨハ10:1,2,3; 使徒23,33 etc.

【『平和があるように』と挨拶しなさい】 原文「これに挨拶せよ」

【これに】 αὐτήν\ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npaf3s 代名詞・対女3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive)

【挨拶しなさい】 ἀσπάσασθε  ἀσπάζομαι アスパゾマイ  aspazomai {as-pad‘-zom-ahee} (vmad–2p 動詞・命・1アオ・能欠・2複)

< α 強意 + σπάζομαι 抱擁する

1)(会うと別れの)挨拶をする、挨拶の抱擁をする、接吻する、抱擁する 2)好意をもって受け入れる、喜び迎える 3)敬意を表す、~を喜ぶ、歓迎する 4)安否を問う、別れを告げるユダヤ人の挨拶の言葉は「לְשָׁלוֺם שָׁאַל sāal sālôm サアール シャローム 平安を問う(平和があるように)」であった。

(G782  ἀσπάζομαι From 1 (as a particle of union) and a presumed form of 4685 to enfold in the arms, that is, (by implication) to salute, (figuratively) to welcome: – embrace, greet, salute,take leave.  Internet Sacred Text Archive)

マタ5:47; 10:12; ルカ1:40; 10:4 etc.

† 英語訳聖書 Matt.10:12

King James Version
10:12 And when ye come into an house, salute it.

New King James Version
10:12 “And when you go into a household, greet it.

American Standard Version
10:12 And as ye enter into the house, salute it.

New International Version
10:12 As you enter the home, give it your greeting.

Bible in Basic English
10:12 And when you go in, say, May peace be on this house.

Today’s English Version
10:12 When you go into a house, say, “Peace be with you.’

Darby’s English Translation
10:12 And as ye enter into a house salute it.

Douay Rheims
10:12 And when you come into the house, salute it, saying: Peace be to this house.

Noah Webster Bible
10:12 And when ye come into a house, salute it.

Weymouth New Testament
10:12 When you enter the house, salute it;

World English Bible
10:12 As you enter into the household, greet it.

Young’s Literal Translation
10:12 And coming to the house salute it,

Amplified Bible
10:12 As you go into the house, give it your greeting [that is, ‘Peace be to this house’].

† 細き聲 聖書研究ノート

 <人の家に入らば平安を祈れ>

滞在する家に入ったら、まず、その家に平安を祈りなさい。

 <人の家に入らば平安を祈れ>

その家に入ったら平安を祈れ。その家だけではなく、どの家に入るときも、まず、『平安がこの家にあるように シャローム』と言いなさい。 ルカ10:5

 <挨拶>

「挨拶 ἀσπάζομαι アスパゾマイ」は「α 強意 + σπάζομαι 抱擁する」で、ユダヤ人は互いに抱擁して「לְשָׁלוֺם שָׁאַל sāal sālôm サアール シャローム 平安を問う(平和があるように)」と言い交わした。

「シャローム 平安」は「平和があるように」の意味である。

† 心のデボーション

「人の家に入らば平安を祈れ」 マタイ10:12 大正文語訳聖書

「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい」 新共同訳聖書

 「挨拶」

「挨拶 ἀσπάζομαι アスパゾマイ」は「α 強意 + σπάζομαι 抱擁する」で、ユダヤ人は互いに抱擁して「לְשָׁלוֺם שָׁאַל sāal sālôm サアール シャローム 平安を問う(平和があるように)」と言い交わした。

出会う前から、すでに「出会い」は始まっている。訪れる前に「内なる相手」との間で「平和があるように」と言い交わすのである。

† 心のデボーション  

「人の家に入らば平安を祈れ」 マタイ10:12 大正文語訳聖書

「人の家にいらば其平安(やすき)を問(とへ)」 明治元訳聖書

「家に入る時、此家に平安あれかしと云ひて之を祝せよ」 ラゲ訳聖書

 「一挨一拶」

「挨拶 ἀσπάζομαι アスパゾマイ」には「歓迎する、~を喜ぶ」の意味がある。

今の人は挨拶ができないという。

「挨拶」の「挨」は「そばにくっつく」、「拶」は「ぎりぎりに近づく」で「そばに身をすりよせ、近寄ることをさす。難しいのは、相手とぎりぎりのところに近づき、そこで立ちどまって礼をする、そのことである。

禅宗の「一挨一拶」は師匠が弟子との問答からその心の深さを試すことを言う。

(†心のデボーション00091)

† 心のデボーション

「人の家に入らば平安を祈れ」 マタイ10:12 大正文語訳聖書

「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい」 新共同訳聖書

 「内なるものへの挨拶」

内なる相手との間に混乱があるなら、自らに「לְשָׁלוֺם שָׁאַל sāal sālôm サアール シャローム 平安を問う(平和があるように)」べきである。「内なるものへの挨拶」は「シャローム 平和があるように」である。

† 心のデボーション

「人の家に入らば平安を祈れ」 マタイ10:12 大正文語訳聖書

「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい」 新共同訳聖書

 「シャローム」

フィリピンのタガログ語で「今日は」の挨拶は「リチャバーベ」で「飯食ったか」という意味である。これもまた相手に「シャローム 平和があるように」を問う挨拶の一つである。

英語の挨拶 Goodbye は God be with ye! (神、汝とともにあれ!)という祈りから来たとされる。

† 心のデボーション

「人の家に入らば平安を祈れ」 マタイ10:12 大正文語訳聖書

「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい」 新共同訳聖書

 「喜んで迎える」

「挨拶 ἀσπάζομαι アスパゾマイ」転義して「歓迎する、喜んで迎える」の意味にも用いられる(ヘブ11:13)。 イエスは弟子達に、途中でだれにも「挨拶し」てもならず(ルカ10:4)、一目散に訪れる家に向かわなければならなかった。そして、その家を訪れたら、「平和があるように」と挨拶するように命じられる(マタ10:12)。

† 心のデボーション

「人の家に入らば平安を祈れ」 マタイ10:12 大正文語訳聖書

「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい」 新共同訳聖書

 「挨拶 salute」

英語訳の「挨拶 salute」は、帽子を上げ会釈することである。帽子は兜から派生しており、戦闘時に兜をぬぐのは敵意のないことをあらわしたことからきている。

† 細き聲 説教

 「平和があるように」

「人の家に入らば平安を祈れ」 マタイ10:12 大正文語訳聖書

「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい」 新共同訳聖書

イエスは弟子たちを宣教に遣わされるにあたり、「どんな町や村に入っても、その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい」と教えられる。

「挨拶 ἀσπάζομαι アスパゾマイ」は「α 強意 + σπάζομαι 抱擁する」で、ユダヤ人は互いに抱擁して「לְשָׁלוֺם שָׁאַל sāal sālôm サアール シャローム 平安を問う(平和があるように)」と言い交わした。

日本では小学校の下校時にすれ違った子どもが「こんにちは」と挨拶する。「挨拶」なら、小学生でも知っている。

イエスの弟子たちも、子どもの頃から、人に会うとき、挨拶の言葉「לְשָׁלוֺם שָׁאַל sāal sālôm サアール シャローム 平安を問う(平和があるように)」と言い交わしてきたに違いない。

何故、イエスは神の国の宣教に弟子たちを派遣するにあたって、「まず、あいさつをしなさい」と、当たり前のことを弟子たちに言われるのだろうか?

しかし、イエスの「挨拶」は、日常に交わされる礼儀としての挨拶ではない。

アブラハムが昼間の暑さを避けて天幕の入口にすわっていたとき、3人の見知らぬ旅人が近づいてきた。アブラハムはそのとき99歳の高齢だったが、立ち上がり、走り寄って近づき、地にひれ伏して「礼」をし、「どうか素通りしないでください」と願い、足を洗う水の手配をし、急いで天幕に戻り、妻サラに小麦を練ってパンをつくるように伝え、自分は牛のところに走り、上等の仔牛を選び若者に屠って料理するように命じ、凝乳と牛乳と仔牛の料理を運び、3人の旅人の給仕をした。(創世記18:1~8)

これが「挨拶」である。

3人の旅人はアブラハムの「挨拶」に「来年の今頃、必ずあなたのところに戻ってきます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている」と伝え、旅立つ3人を見送るアブラハムに「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか」とソドムとゴモラの審判を告げる。(創世記18:9~22)

アブラハムは見ず知らずの旅人に、持てるものの最上のものを差し出し、旅人は隠されている神のなさることを残らず明らかに告げる。

イエスが弟子たちに命じたのは、そのような「挨拶」をしなさいということだった。

挨拶のできない者に神のことばを語る資格はない。家の戸口で交わされる一つの「挨拶」にもてるものをあますところなくあらわすのでなければ、家の人は戸口を開けることをすまい。

私はこれまでの宣教の生活を振り返ると、自分は小学校の生徒が道端で交わす「挨拶」程度のものしかもたないで宣教の旅に出たのではないかと思えてならない。

一つの家を訪れるとき、戸口で、「לְשָׁלוֺם שָׁאַל sāal sālôm サアール シャローム 平安を問う(平和があるように)」といいさえすればすむような訪問しかできていないことは悲しい。

「視よ、われ戸の外に立ちて叩く、人もし我が聲を聞きて戸を開かば、我その内に入りて彼とともに食し、彼もまた我とともに食せん」 黙示3:20 大正文語訳聖書

確かなことは、イエスはそのような悲しい思いで訪問することを繰り返すだけの私の戸の外に立って叩かれ、戸を開いて「挨拶」を交わし、中に入られ、共に食し給うことである。

(皆川誠)

コメント