† 福音書縦観 「伝道の機会」 マタイ9:35~10:1
マタイ9:35~10:1 マルコ6:6b,34,7,33:13~15 ルカ8:1,10:2,9:1
マタイ9:35~10:1
Matt.9:37そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.9:37
【漢訳聖書】
Matt.9:37 語其門徒曰、穡多工少、
【明治元訳】
Matt.9:37 其(その)とき等(たち)に曰(いひ)給(たまひ)けるは收稼(かりいれもの)は多(おほ)く工人(はたらくもの)は少(すくな)し
【大正文語訳】
Matt.9:37 遂に弟子たちに言ひたまふ『收穫はおほく勞動人(はたらきびと)はすくなし。
【ラゲ訳】
Matt.9:37 然て弟子等に曰ひけるは、収穫は多けれども働く者は少し、
【口語訳】
Matt.9:37 そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。
【新改訳改訂3】
Matt.9:37 そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
【新共同訳】
Matt.9:37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
【バルバロ訳】
Matt.9:37 また牧者のいない羊のように疲れ果ててぐったりしている人々を見てあわれに思い、弟子たちに向かい、「借り入れは多いが、働く人は少ない。
【フランシスコ会訳】
Matt.9:37 弟子たちに仰せになった。「刈り入れは多いが、働く人は少ない。
【日本正教会訳】
Matt.9:37 是に於て其門徒に謂ふ、穡は多く、工は少し。
【塚本虎二訳】
Matt.9:37 そこで弟子たちに言われる、「刈入れは多いが、働き手は少ない。
【前田護郎訳】
Matt.9:37 そこで弟子たちにいわれる、「取入れは多く、働き手は少ない。
【永井直治訳】
Matt.9:37 そのとき弟子等に云ひ給ふ、如何にも穫り入は多し、されど働き人は少なし。
【詳訳聖書】
Matt.9:37 その時、彼は弟子たちに言われた、「確かに刈り入れは多いのに、働き人は少ない。
† 聖書引照 Matt.9:37
Matt.9:37 遂に弟子たちに言ひたまふ『收穫はおほく勞動人(はたらきびと)はすくなし。
[遂に弟子たちに言ひたまふ『收穫はおほく』] マタ28:19; マル16:15; ルカ10:2; 24:47; ヨハ4:35,36; 使徒16:9; 18:10
[勞動人(はたらきびと)はすくなし] 詩篇68:11; Ⅰコリ3:9; Ⅱコリ6:1; ピリ2:19~21; コロ4:11; Ⅰテサ5:12,13; Ⅰテモ5:17
† ギリシャ語聖書 Matt. 9:37
Stephens 1550 Textus Receptus
τοτε λεγει τοις μαθηταις αυτου ο μεν θερισμος πολυς οι δε εργαται ολιγοι
Scrivener 1894 Textus Receptus
τοτε λεγει τοις μαθηταις αυτου ο μεν θερισμος πολυς οι δε εργαται ολιγοι
Byzantine Majority
τοτε λεγει τοις μαθηταις αυτου ο μεν θερισμος πολυς οι δε εργαται ολιγοι
Alexandrian
τοτε λεγει τοις μαθηταις αυτου ο μεν θερισμος πολυς οι δε εργαται ολιγοι
Hort and Westcott
τοτε λεγει τοις μαθηταις αυτου ο μεν θερισμος πολυς οι δε εργαται ολιγοι
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.9:37
τότε λέγει τοῖς μαθηταῖς αὐτοῦ, ῾Ο μὲν θερισμὸς πολύς, οἱ δὲ ἐργάται ὀλίγοι
† ヘブライ語聖書 Matt.9:37
Matt.9:37
אָמַר אֶל תַּלְמִידָיו: הַקָּצִיר רַב, אֲבָל הַפּוֹעֲלִים מְעַטִּים
† ラテン語聖書 Matt.9:37
Latin Vulgate
Matt.9:37
Tunc dicit discipulis suis: Messis quidem multa, operarii autem pauci.
Then he said to his disciples: “The harvest indeed is great, but the laborers are few.
† 私訳(詳訳)Matt.9:37
【私訳】 「そこで、彼〔イエス〕の弟子たちに言われた。『刈り入れ<収穫、収穫物、穀物>はおびただしいが、しかし、働き人<労働者、畑で働く人、農夫、行為する人>は少ない』」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.9:37
τότε λέγει τοῖς μαθηταῖς αὐτοῦ, ῾Ο μὲν θερισμὸς πολύς, οἱ δὲ ἐργάται ὀλίγοι
【そこで】 τότε τότε トテ tote {tot‘-eh} (ab 副詞)
1)そのとき 2)それから 3)そうすれば 4)そのあとで 5)そこで 6)その時間に 7)次に 8)同時に
(G5119 τότε From (the neuter of) 3588 and 3753 the when, that is, at the time that (of the past or future, also in consecution): – that time, then. Internet Sacred Text Archive)
【彼の】 αὐτοῦ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npgm3s 代名詞・属男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【弟子たちに】 μαθηταῖς μαθητής マてーテース mathētēs {math-ay-tes‘} (n-dm-p 名詞・与男複)
< μανθάνω 学ぶ、覚える、聞き知る、尋ねる
1)学生、弟子、門弟 2)弟子、門人、帰依者 3)学ぶ者、師を見出した者
(G3101 μαθητής From 3129 a learner, that is, pupil: – disciple. Internet Sacred Text Archive)
【言われた】 λέγει λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3)
1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す
(G3004 λέγω A primary verb; properly to “lay” forth, that is, (figuratively) relate (in words [usually of systematic or set discourse; whereas2036 and 5346 generally refer to an individual expression or speech respectively; while 4483 is properly to break silence merely, and 2980 means an extended or random harangue]); by implication to mean: – ask, bid, boast, call, describe, give out, name, put forth, say (-ing, on), shew, speak, tell, utter. Internet Sacred Text Archive)
マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34; マル2:11; 5:9; 12:18; ルカ5:39; 6:46; 20:41; ヨハ1:29; 2:6; 16:12; etc.
【収穫は】 θερισμὸς θερισμός てリスモス therismos {ther-is-mos‘} (n-nm-s 名詞・主男単)
1)刈り取ること 2)収穫、収穫物、穀物 3)刈り入れ 4)刈り入れ時
(G2326 θερισμός From 2325 reaping, that is, the crop: – harvest. Internet Sacred Text Archive)
マタ9:37,38; 13:30;,39; ルカ10:2
【多い】 πολύς πολύς ポりゆス polus polos {pol-oos‘} (a–nm-s 形容詞・主男単)
1)(数が)多い、よリ多く、余る、余分にある、十分過ぎる、ほどである、余裕がある、余計である 2)(大きさ、強さ、程度の)大きい、激しい、大いなる、非常な、重大な、3)おびただしい、幾多の、幾つもの、大量の 4)より永い、より先の 5)価値の高い、より優れた、より大切な
(G4183 πολύς Including the forms from the alternate “pollos”; (singular) much (in any respect) or (plural) many; neuter (singular) as adverb largely; neuter (plural) as adverb or noun often, mostly, largely: – abundant, + altogether, common, + far (passed, spent), (+ be of a) great (age, deal, -ly, while), long, many, much, oft (-en [-times]), plenteous, sore, straitly. Compare 4118 4119. Internet Sacred Text Archive)
【が】 μὲν μέν メン men {men} (cc 接続詞・等位)
1)本当に 2)確かに 3)まさに 4)こそ 5)(~である)が 6)~にもかかわらず 7)~もまた、~も 8)一方では、他方では
(G3303 μέν A primary particle; properly indicative of affirmation or concession (in fact); usually followed by a contrasted clause with 1161 (this one, the former, etc.: – even, indeed, so, some, truly, verily. Often compounded with other particles in an intensive or asseverative sense. Internet Sacred Text Archive)
【しかし】 δὲ δέ デ de {deh} (cc 接続詞・等位)
1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ
(G1161 δέ A primary particle (adversative or continuative); but, and, etc.: – also, and, but, moreover, now [often unexpressed in English]. Internet Sacred Text Archive)
【働き手が】 ἐργάται ἐργάτης エルガテース ergatēs {er-gat‘-ace} (n-nm-p 名詞・主男複)
< ἐργάζομαι 働く
1)働く(仕事をすることが)人、働き手、労働者、(特に)畑で働く人、農夫、耕作者 2)為す人、行為者、遂行者
(G2040 ἐργάτης From 2041 a toiler; figuratively a teacher: – labourer, worker (-men). Internet Sacred Text Archive)
マタ9:37,38; 10:10; 20:1,2,8; ,ルカ10:2,7 Ⅱコリ11:13; ピリ33:2; Ⅰテモ5:18; etc.
【少ない】 ὀλίγοι\ ὀλίγος オりゴス oligos {ol-ee‘-gos} (a–nm-p 形容詞・主男複)
1)小さい 2)少ない、少量の 3)まれ、 4)短い 5)わずかな 6)狭い 7)乏しい
(G3641 ὀλίγος Of uncertain affinity; puny (in extent, degree, number, duration or value); especially neuter (adverbially) somewhat: – + almost, brief [-ly], few, (a) little, + long, a season, short, small, a while. Internet Sacred Text Archive)
マタ7:14; 9:37; 22:14; ルカ7:47; 10:2; 12:48; 13:23; 使徒17:12; Ⅱコリ8:15
† 英語訳聖書 Matt.9:37
King James Version
9:37 Then saith he unto his disciples, The harvest truly [is] plenteous, but the labourers [are] few;
New King James Version
9:37 Then He said to His disciples, “The harvest truly is plentiful, but the laborers are few.
American Standard Version
9:37 Then saith he unto his disciples, The harvest indeed is plenteous, but the laborers are few.
New International Version
9:37 Then he said to his disciples, “The harvest is plentiful but the workers are few.
Bible in Basic English
9:37 Then he said to his disciples, There is much grain but not enough men to get it in.
Today’s English Version
9:37 So he said to his disciples, “The harvest is large, but there are few workers to gather it in.
Darby’s English Translation
9:37 Then saith he to his disciples, The harvest is great and the workmen are few;
Douay Rheims
9:37 Then he saith to his disciples, The harvest indeed is great, but the labourers are few.
Noah Webster Bible
9:37 Then saith he to his disciples, The harvest truly is plentiful, but the laborers are few.
Weymouth New Testament
9:37 Then He said to His disciples, ‘The harvest is abundant, but the reapers are few;
World English Bible
9:37 Then he said to his disciples, ‘The harvest indeed is plentiful, but the laborers are few.
Young’s Literal Translation
9:37 then saith he to his disciples, ‘The harvest indeed is abundant, but the workmen few;
Amplified Bible
9:37 Then He said to His disciples, “The harvest is [indeed] plentiful, but the workers are few.
† 細き聲 聖書研究ノート
<遂に弟子たちに言ひたまふ『收穫はおほく勞動人(はたらきびと)はすくなし>
イエスは群衆が「飼う者のない羊」のように弱り果てているのを見て、弟子たちに「働き手」になるように促された。
<收穫はおほく>
「収穫」は前節の「その牧ふ者なき羊のごとく惱む群衆」にかかっている。イエスは群衆が、群れから離れた羊のように飢え乾いて荒野を彷徨いその後を野獣が襲撃の機会をつけ狙っているのをご覧になり、それを「穀物が熟している」と表現された。
<勞動人(はたらきびと)はすくなし>
「働き手 ἐργάτης エルガテース」 は「ἐργάζομαι 働く」からきた言葉である。この語は特に「畑で働く人、農夫、耕作者」を意味する。ἐργάτης に対する語は τεχνίτης 「技術者、職人」である。
したがって、「勞動人(はたらきびと)」とは「羊飼い」の勤めを果たす人である。群れから離れ、いのちの危機にある羊を救出する「勞動人(はたらきびと)」が足りない。
† 心のデボーション
「遂に弟子たちに言ひたまふ『收穫はおほく勞動人(はたらきびと)はすくなし』 マタイ9:37 大正文語訳聖書
「弟子たちに仰せになった。「刈り入れは多いが、働く人は少ない」 フランシスコ会訳聖書
「刈り入れ時」
これは喜びの収穫ではない。病と貧困が人々を追いつめ、その苦悩は「刈り入れ時」のように極まったのである。しかも、「苦悩への働き人」はあまりの苦悩の深さに為す術を知らない。
† 心のデボーション
「遂に弟子たちに言ひたまふ『收穫はおほく勞動人(はたらきびと)はすくなし』 マタイ9:37 大正文語訳聖書
「弟子たちに仰せになった。「刈り入れは多いが、働く人は少ない」 フランシスコ会訳聖書
「時を得て」
「働き人」とは人間の苦悩が熟しているところに遣わされる人である。時を失すれば、苦悩の実は落ちてしまう。時を得て刈り取れば、神の倉に収められる「値高き収穫」になる。
† 細き聲 説教
「転換の時」
「遂に弟子たちに言ひたまふ『收穫はおほく勞動人(はたらきびと)はすくなし』 マタイ9:37 大正文語訳聖書
「弟子たちに仰せになった。「刈り入れは多いが、働く人は少ない」 フランシスコ会訳聖書
イエスは群衆が「飼う者のない羊」のように弱り果てているのを見て、弟子たちに刈り入れは多いが、働く人は少ない、収穫の主に働き手を送って下さるように祈りなさいと言われた。
穀物が収穫の時を迎える。それは喜びの刈り入れの時である。
しかし、ここでイエスの言われる「刈り入れ」は喜びの収穫ではない。
「収穫」は前節の「その牧ふ者なき羊のごとく惱む群衆」にかかっている。
イエスは群衆が、群れから離れた羊のように飢え乾いて荒野を彷徨いその後を野獣が襲撃の機会をつけ狙っているのをご覧になり、それを「穀物が熟している」と表現されたのである。
群衆は病と貧困に追い詰められ、苦悩の極まりにあった。
「働き人」とは、苦悩の極まりに遣わされる人のことである。
「収穫の主」である神は「苦悩の極まる人々」に仕える「働き手」を送り出される。
「苦悩の極まり」はそれによって「転換の時」となる。
なぜなら、神こそが、人の苦悩の極まるときを「喜びの狩り入れ場と転換し給うからである。
(皆川誠)
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