† 福音書対観 「会堂司の娘と長血の女」 マタイ9:18~26
マタイ9:18~26 マルコ5:21~43 ルカ8:40~56
マタイ9:18~26
Matt.9:18(イエスがまた舟で向こう岸へ渡られると、大ぜいの群衆がみもとに集まってきた。イエスは海べにおられた。マルコ5:21 イエスが帰ってこられると、群衆は喜び迎えた。みんながイエスを待ちうけていたのである。ルカ8:40)これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、(会堂司のひとりであるヤイロという者がきて(彼に十二歳ばかりになるひとり娘があったが、死にかけていた。ルカ8:42)、イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、しきりに願って言った(自分の家においでくださるようにと、しきりに願った ルカ8:41、マルコ5:22~23)「わたしの娘がただ今死にました (わたしの幼い娘が死にかかっています。 マルコ5:23)。しかし(どうぞ、その子がなおって助かりますように、マルコ5:23)おいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」。
† 日本語訳聖書 Matt.9:18
【漢訳聖書】
Matt.9:18 耶穌言此時、有宰來拜之、曰、我女甫死、爾來、按手於其上、則必生。
【明治元訳】
Matt.9:18 イエスに此(この)事(こと)を言(いへ)る時(とき)ある宰(つかさ)きたり拜(はい)して曰(いひ)けるは我(わが)女(むすめ)いま既(すで)に死(しね)り來(きたり)て彼(かれ)に手(て)を按(つけ)たまはば生(いく)べし
【大正文語訳】
Matt.9:18 イエス此等のことを語りゐ給ふとき、視よ、一人の司きたり、拜して言ふ『わが娘いま死にたり。されど來りて御手を之におき給はば活きん』
【ラゲ訳】
Matt.9:18 イエズス是等の事を語り給へる折しも、一人の司近づき拝して云ひけるは、主よ、我女今死せり、然れど來りて彼に按手し給へ、然らば活きん、と。
【口語訳】
Matt.9:18 これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」。
【新改訳改訂3】
Matt.9:18 イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」
【新共同訳】
Matt.9:18 イエスがこのようなことを話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」
【バルバロ訳】
Matt.9:18 こう話しているとき、一人の司が近寄ってひれ伏し、「私の娘がいま死にました。あの子の上にあなたの手をのべに来てくだされば、あの子は生き返ります」と言った。
【フランシスコ会訳】
Matt.9:18 イエズスが彼らにこのことを語っておられたとき、一人の会堂つかさがイエズスのもとに来て、ひれ伏し、「わたくしの娘が今なくなりました。しかし、あなたがおいでになって、手を娘の上に置いて下さるならば、娘は生き返るでしょう」と言った。
【日本正教会訳】
Matt.9:18 イイスス彼等に此を語れる時、或宰來りて彼を拜して曰く、我が女今死せり、求む、爾來りて之に手を按せよ、彼必生きん。
【塚本虎二訳】
Matt.9:18 こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」
【前田護郎訳】
Matt.9:18 こう彼らに話しておられるところへ、見よ、ひとりの司が来て、ひれ伏していう、「娘がいま死にました。しかしいらしてお手を置いてくだされば生き返るでしょう」と。
【永井直治訳】
Matt.9:18 彼の此等の事をたりておはししとき、見よ、〔一人の〕長(をさ)來り彼に平伏(ひれふ)し、云ひけるは、我が娘は只今死ねり。されど來りて汝の手を彼の上に按き給へ、されば生くべし。
【詳訳聖書】
Matt.9:18 イエスが彼からにこのように話しておられると、見よ、ひとりの役人がはいって来て、ひざまずいて、彼を拝んで言った、「私の娘がちょうど今死にました。しかし、おいでになってあなたのみ手を娘の上に置いてください。そうすれば娘は生き返ります」。
† 聖書引照 Matt.9:18
Matt.9:18 イエス此等のことを語りゐ給ふとき、視よ、一人の司きたり、拜して言ふ『わが娘いま死にたり。されど來りて御手を之におき給はば活きん』
[イエス此等のことを語りゐ給ふとき、視よ] マル5:22; etc.; ルカ8:41; etc.
[一人の司きたり] ルカ8:49; 13:14; 18:18; 使徒13:15
[拜して言ふ] マタ8:2; 14:33; 15:25; 17:14; 20:20; 28:17; マル5:22; ルカ17:15,16; 10:25,26
[わが娘いま死にたり] マタ9:24; マル5:23; ルカ7:2; 8:42,49; ヨハ4:47-49
[されど來りて御手を之におき給はば活きん] マタ8:8,9; Ⅱ列王5:11; ヨハ11:21,22,25,32
† ギリシャ語聖書 Matt.9:18
Stephens 1550 Textus Receptus
ταυτα αυτου λαλουντος αυτοις ιδου αρχων ελθων προσεκυνει αυτω λεγων οτι η θυγατηρ μου αρτι ετελευτησεν αλλα ελθων επιθες την χειρα σου επ αυτην και ζησεται
Scrivener 1894 Textus Receptus
ταυτα αυτου λαλουντος αυτοις ιδου αρχων εισ ελθων προσεκυνει αυτω λεγων οτι η θυγατηρ μου αρτι ετελευτησεν αλλα ελθων επιθες την χειρα σου επ αυτην και ζησεται
Byzantine Majority
ταυτα αυτου λαλουντος αυτοις ιδου αρχων εισ ελθων προσεκυνει αυτω λεγων οτι η θυγατηρ μου αρτι ετελευτησεν αλλα ελθων επιθες την χειρα σου επ αυτην και ζησεται
Alexandrian
ταυτα αυτου λαλουντος αυτοις ιδου αρχων εισ ελθων προσεκυνει αυτω λεγων οτι η θυγατηρ μου αρτι ετελευτησεν αλλα ελθων επιθες την χειρα σου επ αυτην και ζησεται
Hort and Westcott
ταυτα αυτου λαλουντος αυτοις ιδου αρχων εισ ελθων προσεκυνει αυτω λεγων οτι η θυγατηρ μου αρτι ετελευτησεν αλλα ελθων επιθες την χειρα σου επ αυτην και ζησεται
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.9:18
Ταῦτα αὐτοῦ λαλοῦντος αὐτοῖς ἰδοὺ ἄρχων εἷς ελθων προσεκύνει αὐτῷ λέγων ὅτι ῾Η θυγάτηρ μου ἄρτι ἐτελεύτησεν ἀλλὰ ἐλθὼν ἐπίθες τὴν χεῖρά σου ἐπ᾽ αὐτήν, καὶ ζήσεται.
† ヘブライ語聖書 Matt.9:18
Matt.9:18
כַּאֲשֶׁר דִּבֵּר אֲלֵיהֶם אֶת הַדְּבָרִים הָאֵלֶּה בָּא אַחַד הַנִּכְבָּדִים, הִשְׁתַּחֲוָה לוֹ וְאָמַר: זֶה עַתָּה מֵתָה בִּתִּי. בּוֹא נָא וְשִׂים אֶת יָדְךָ עָלֶיהָ וְתִחְיֶה
† ラテン語聖書 Matt.9:18
Latin Vulgate
Matt.9:18
Hæc illo loquente ad eos, ecce princeps unus accessit, et adorabat eum, dicens: Domine, filia mea modo defuncta est: sed veni, impone manum tuam super eam, et vivet.
As he was speaking these things to them, behold, a certain ruler approached and adored him, saying: “Lord, my daughter has recently passed away. But come and impose your hand upon her, and she will live.”
† 私訳(詳訳)Matt.9:18
【私訳】 「彼〔イエス〕がこのことを彼らに話しておられると、見よ、一人の指導者<会堂管理者、会堂司>が彼〔イエス〕のそばに近づいて、礼拝して<平伏して、敬意をあらわして、敬礼して、拝して、>言った。『わたしの娘が、たった今、死に<終わり、命が尽き、生を終り>ました。けれども、おいでになって、あなたの手を彼女の上に置いてくだされば、生き<生き返り、いのちが湧き上がり>ます』」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.9:18
Ταῦτα αὐτοῦ λαλοῦντος αὐτοῖς ἰδοὺ ἄρχων εἷς ελθων προσεκύνει αὐτῷ λέγων ὅτι ῾Η θυγάτηρ μου ἄρτι ἐτελεύτησεν ἀλλὰ ἐλθὼν ἐπίθες τὴν χεῖρά σου ἐπ᾽ αὐτήν, καὶ ζήσεται.
【イエスがこのようなことを】 Ταῦτα αὐτοῦ /
【イエスが】 αὐτοῦ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npgm3s 代名詞・属男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【このようなことを】 Ταῦτα οὗτος フートス houtos {hoo‘-tos} (apdan-p 指示代名詞・対中複)
1)その、この、これ 2)この者、この男・女 2)そんな、こんな 3)すなわち、だから 4)そこで、それ故
(G3779 οὗτος Or, before a vowel, οὕτως houtōs hoo‘-toce . From 3778 in this way (referring to what precedes or follows): – after that, after (in) this manner, as, even (so), for all that, like (-wise), no more, on this fashion (-wise), so (in like manner), thus, what. Internet Sacred Text Archive)
【彼らに】 αὐτοῖς αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3p 代名詞・与男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【話しておられると】 λαλοῦντος λαλέω られオー laleō {lal-eh‘-o} (vppagm-s 分詞・現能属男単)
1)声を出す 2)言葉を語る 3)語る、話す 4)ものを言う、口にする 5)しゃべる、述べる 古典では「無駄口」を意味したが新約聖書では「語る、話す」の意味に用いる。
(G2980 λαλέω A prolonged form of an otherwise obsolete verb; to talk, that is, utter words: – preach, say, speak (after), talk, tell, utter. Compare 3004. Internet Sacred Text Arachive)
【見よ】 ἰδοὺ ἰδού イドゥ idou {id-oo‘} (qs 不変化詞)
1)そら、ほら、さあ、まあ、それ 2)見よ、見よ驚くことに、ごらん
注意を喚起する言葉「見よ、驚くことに」
(G2400 ἰδού Second person singular imperative middle voice of 1492 used as imperative lo!: – behold, lo, see. Internet Sacred Text Archive)
【一人の】 εἷς εἷς ヘイス heis {hice} (a-cnm-s 数詞・主男単)
1) 1 2)一つの、ただ一つの 3)全く同一の 4)ある人
(G1520 εἷς (Including the neuter [etc.] ἕν hen ); a primary numeral; one: – a (-n, -ny, certain), + abundantly, man, one (another), only, other, some. See also 1527 3367 3391 3762. Internet Sacred Text Archive)
【指導者が】 ἄρχων ἄρχων アルこーン archōn {ar‘-khone} (n-nm-s 名詞・主男単)
1)指揮者、支配者、君主、長、首長 2)裁判人、裁判官、長官 3)最高法院の議員 4)会堂監督人、会堂司
(G758 ἄρχων Present participle of 757 a first (in rank or power): – chief (ruler), magistrate, prince, ruler. Internet Sacred Text Archive)
マタ9:18,23; 12:24; ルカ8:41; 12:58; 18:18; 23:13,35; 24:20; ヨハ3:1; 7:26,48; 12:42; etc.
【そばに来て】 λθων ἔρχομαι エルこマイ erchomai {er‘-khom-ahee} (vpaanm-s 分詞・2アオ能主男単)
1)来る、やってくる、~しにやってくる 2)近づく、臨む、達する 3)着く、到着する 4)現れる 5)上がる、下る
(G2064 ἔρχομαι Middle voice of a primary verb (used only in the present and imperfect tenses, the others being supplied by a kindred [middle voice] word, ἐλεύθομαι eleuthomai or ἕλθω elthō ; which do not otherwise occur); to come or go (in a great variety of applications, literally and figuratively): – accompany, appear, bring, come enter, fall out, go, grow, X light, X next, pass, resort, be set. Internet Sacred Text Archive)
【彼に】 αὐτῷ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3s 代名詞・与男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【ひれ伏して】 προσεκύνει προσκυνέω プロスクゆネオー proskuneō {pros-koo-neh‘-o} (viia–3s 動詞・直・未完・能・3単)
< πρός ~に + κυνέω 接吻する
1)平伏して敬意を表す、ひざまずく、拝する、恭しく挨拶する、尊崇の意をあらわす、敬礼する、2)拝する、礼拝する
(G4352 προσκυνέω From 4314 and probably a derivative of 2965 (meaning to kiss, like a dog licking his master’s hand); to fawn or crouch to, that is, (literally or figuratively) prostrate oneself in homage (do reverence to, adore): – worship. Internet Sacred Text Archive)
マタ2:11; 4:10; 26:9 マル5:6; 15:19; ルカ4:8; ヨハ4:20,24; 9:38; 使徒10:35; ロマ1:25; Ⅰコリ14:25; 黙示3:9; 4:10; 9:20; 13:4; 19:10; 22:9 etc.
【言った】 λέγων λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vppanm-s 分詞・現能主男)
1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す
(G3004 λέγω A primary verb; properly to “lay” forth, that is, (figuratively) relate (in words [usually of systematic or set discourse; whereas2036 and 5346 generally refer to an individual expression or speech respectively; while 4483 is properly to break silence merely, and 2980 means an extended or random harangue]); by implication to mean: – ask, bid, boast, call, describe, give out, name, put forth, say (-ing, on), shew, speak, tell, utter. Internet Sacred Text Archive)
マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34; マル2:11; 5:9; 12:18; ルカ5:39; 6:46; 20:41; ヨハ1:29; 2:6; 16:12; etc.
【なぜなら】 ὅτι ὅτι ホティ hoti {hot‘-ee} (ch 接続詞・完)
1)~ということ 2)なぜなら~だから、というのは~だから、すなわち 3)~であるから 4)というのは
(G3754 ὅτι Neuter of 3748 as conjugation; demonstrative that (sometimes redundant); causatively because: – as concerning that, as though, because (that), for (that), how (that), (in) that, though, why. Internet Sacred Text Archive)
【わたしの】 μου ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npg-1s 代名詞・属1単)
1)私 2)わたし
(G1473 ἐγώ A primary pronoun of the first person, “I” (only expressed when emphatic): – I, me. For the other cases and the plural see 1691 1698 1700 2248 2249 2254 2257 etc. Internet Sacred Text Archive)
【娘が】 θυγάτηρ θυγάτηρ とゆガテール thugatēr {thoo-gat‘-air} (n-nf-s 名詞・主女単)
1)娘 2)女の子孫
(G2364 θυγάτηρ Apparently a primary word (compare “daughter”); a female child, or (by Hebraismdescendant (or inhabitant): – daughter. Internet Sacred Text Archive)
マタ9:18,22; 10:35,37; 14:6; 15:22,28; 21:5; マル5:34,35; 6:23, 7:26,29; ルカ2:36; 8:42,48,49; 12:53; 13:16; 23:28; ヨハ12:15; etc.
【たったいま】 ἄρτι ἄρτι アルティ arti {ar‘-tee} (ab 副詞)
1)まさに 2)丁度 3)たった今、ちょうど今、この瞬間、今しがた、今という今 4)今、現在、目下 5)近頃、この間 6)直ちに
(G737 ἄρτι Adverb from a derivative of 142 (compare 740 through the idea of suspension; just now: – this day (hour), hence [-forth], here [-after], hither [-to], (even) now, (this) present. Internet Sacred Text Archive)
マタ3:15; 9:18; 11:12; 23:39; 26:29,53,64; ヨハ2:10; 5:17; 9:19,25; 13:7,19,33,37; 14:7; 16:12,24,31; etc.
【死にました】 ἐτελεύτησεν\ τελευτάω テれウタオー teleutaō {tel-yoo-tah‘-o} (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・3単)
< τελευτή 成就、達成、決着、終り、終末、最期、死
1)成就する、達成する 2)完成する、仕上げる、終わらせる 3)生命の終りに至る、生を終わる、死ぬ、終わる、命が尽きる
(G5053 τελευτάω From a presumed derivative of 5055 to finish life (by implication of 979 , that is, expire (demise): – be dead, decease, die. Internet Sacred Text Archive)
マタ2:19; 9:18; 15:4; 2:25; マル7:10; 9:48; 15:4 ルカ7:2; ヨハ11:39; 使徒2:29; 7:15
【けれども】 ἀλλὰ ἀλλά アるら alla {al-lah‘} (ch 接続詞・完)
1)けれども、たしかに 2)しかし、それでも 3)かえって 4)むしろ、むしろ反対に、それのみか 5)以外に、そうではなくて、それどころか
(G243 ἄλλος A primary word; “else”, that is, different (in many applications): – more, one (another), (an-, some an-) other (-s, -wise). Internet Sacred Text Archive)
【おいでになって】 ἐλθὼν ἔρχομαι エルこマイ erchomai {er‘-khom-ahee} (vraanm2s 動詞・命・2アオ・能欠・2単)
1)来る、やってくる、~しにやってくる 2)近づく、臨む、達する 3)着く、到着する 4)現れる 5)上がる、下る
(G2064 ἔρχομαι Middle voice of a primary verb (used only in the present and imperfect tenses, the others being supplied by a kindred [middle voice] word, ἐλεύθομαι eleuthomai or ἕλθω elthō ; which do not otherwise occur); to come or go (in a great variety of applications, literally and figuratively): – accompany, appear, bring, come enter, fall out, go, grow, X light, X next, pass, resort, be set. Internet Sacred Text Archive)
【あなたの】 σου σύ スゆ sou {soo} (npg-2s 代名詞・属2単)
1)あなた 2)汝 3)君
(G4771 σύ The personal pronoun of the second person singular; thou: – thou. See also 4571 4671 4675 and for the plur. 5209 5210 5213 5216. Internet Sacred Text Archive)
【手を】 χεῖρά χείρ けイル cheir {khire } (n-af-s 名詞・対女単)
1)手 2)行為、行動 3)人手、軍勢 4)(神の力、支配、活動をあらわす)手
(G5495 χείρ Perhaps from the base of 5494 in the sense of its congener the base of 5490 (through the idea of hollowness for grasping); the hand (literally or figuratively [power]; especially [by Hebraism] a means orinstrument): – hand. Internet Sacred Text Archive)
マタ3:12; 4:6; 5:30: 8:3,15; 9:25; 12:10;,13,40; 15:2;,20; 17:22; 18:5; 19:13,15; 23:13; 26:23,45,50,51; 27:24 etc.
【彼女の】 αὐτήν αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npaf3s 代名詞・対女3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【上に】 ἐπ᾽ ἐπί エピ epi{ep-ee‘} (pa 前置詞・対)
1)の上に、近くに 2)よって 3)に向かって 4)に 5)を 6)へ
(G1909 ἐπί A primary preposition properly meaning superimposition (of time, place, order, etc.), as a relation of distribution [with the genitive case], that is, over, upon, etc.; of rest (with the dative case) at, on, etc.; of direction (with the accusative case) towards, upon, etc.: – about (the times), above, after, against, among, as long as (touching), at, beside, X have charge of, (be-, [where-]) fore, in (a place, as much as, the time of, -to), (because) of, (up-) on (behalf of) over, (by, for) the space of, through (-out), (un-) to (-ward), with. In compounds it retains essentially the same import, at, upon, etc. (literally or figuratively). Internet Sacred Text Archive)
【置いてください】 ἐπίθες ἐπιτίθημι エピティてーミ epitithēmi {ep-ee-tith‘-ay-mee} (vmaa–2s 動詞・命・2アオ・能・2単)
< ἐπί 上に + τίθημι 置く
1)上に置く 2)のせる 3)かける 4)かぶらせる 5)上に当てる 6)加える、 7)負わせる、8)与える 9)襲う
(G2007 ἐπιτίθημι From 1909 and 5087 to impose (in a friendly or hostile sense): – add unto, lade, lay upon, put (up) on, set on (up), + surname, X wound. Internet Sacred Text Archive)
マタ9:18; 19:13; 21:7; 27:37; マル5:23; 6:5; 7:32; ルカ13:13; etc.
【そうすれば】 καὶ καί カイ kai {kahee} (ch 接続詞・完)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【生き返るでしょう】 ζήσεται ζάω ザオー zaō {dzah‘-o } (vifm–3s 動詞・直・未来・中・3単)
1)沸き立つ、煮えたぎる、泡立つ、発酵する 2)生きる、生命のある(内に生命エネルギーが活動していること) 3)生活する
(G2198 ζάω A primary verb; to live (literally or figuratively): – life (-time), (a-) live (-ly), quick. Internet Sacred Text Archive)
マタ4:4; 9:18; 16:16; 22:32; 26:63; 27:63; マル5:23; 12:27; 16:11; etc
† 英語訳聖書 Matt. 9:18
King James Version
9:18 While he spake these things unto them, behold, there came a certain ruler, and worshipped him, saying, My daughter is even now dead: but come and lay thy hand upon her, and she shall live.
New King James Version
9:18 While He spoke these things to them, behold, a ruler came and worshiped Him, saying, “My daughter has just died, but come and lay Your hand on her and she will live.”
American Standard Version
9:18 While he spake these things unto them, behold, there came a ruler, and worshipped him, saying, My daughter is even now dead: but come and lay thy hand upon her, and she shall live.
New International Version
9:18 While he was saying this, a ruler came and knelt before him and said, “My daughter has just died. But come and put your hand on her, and she will live.”
Bible in Basic English
9:18 While he was saying these things to them, there came a ruler and gave him worship, saying, My daughter is even now dead; but come and put your hand on her, and she will come back to life.
Today’s English Version
9:18 While Jesus was saying this, a Jewish official came to him, knelt down before him, and said, “My daughter has just died; but come and place your hands on her, and she will live.”
Darby’s English Translation
9:18 As he spoke these things to them, behold, a ruler coming in did homage to him, saying, My daughter has by this died; but come and lay thy hand upon her and she shall live.
Douay Rheims
9:18 And he was speaking these things unto them, behold a certain ruler came up, and adored him, saying: Lord, my daughter is even now dead; but come, lay thy hand upon her, and she shall live.
Noah Webster Bible
9:18 While he was speaking these things to them, behold, there came a certain ruler, and worshiped him, saying, My daughter is even now dead: but come and lay thy hand upon her, and she will live.
Weymouth New Testament
9:18 While He was thus speaking, a Ruler came up and profoundly bowing said, ‘My daughter is just dead; but come and put your hand upon her and she will return to life.’
World English Bible
9:18 While he told these things to them, behold, a ruler came and worshipped him, saying, ‘My daughter has just died, but come and lay your hand on her, and she will live.’
Young’s Literal Translation
9:18 While he is speaking these things to them, lo, a ruler having come, was bowing to him, saying that ‘My daughter just now died, but, having come, lay thy hand upon her, and she shall live.’
Amplified Bible
9:18 While He was saying these things to them, a ruler (synagogue official) entered [the house] and kneeled down and worshiped Him, saying, “My daughter has just now died; but come and lay Your hand on her, and she will live.”
† 細き聲 聖書研究ノート
<イエス此等のことを語りゐ給ふとき、視よ、一人の司きたり、拜して言ふ『わが娘いま死にたり。されど來りて御手を之におき給はば活きん』>
イエスがバプテスマのヨハネの弟子たちの問いに答えられていると、一人の会堂管理者がきて、イエスに病で死にかけている娘を生き返らせてくださいと懇願した。
<「会堂司の娘と長血の女」 マタイ9:18∼26>
マルコ並行記事「イエスがまた舟で向こう岸へ渡られると、大ぜいの群衆がみもとに集まってきた。イエスは海べにおられた」マルコ5:21 とルカ並行記事「イエスが帰ってこられると、群衆は喜び迎えた。みんながイエスを待ちうけていたのである」ルカ8:40 は、マタイ9:1「さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた」に符合する。
したがって「会堂司の娘と長血の女」はカペナウムの町での出来事である。イエスは集まってきた大勢の人々に語っておられた。そこにただならぬ様子の会堂司がやって来たのである。
<イエス此等のことを語りゐ給ふとき、視よ、一人の司きたり>
「一人の会堂管理者」の名前は「ヤイロ」である。(ルカ8:42)
「彼に十二歳ばかりになるひとり娘があったが、死にかけていた。」(ルカ8:42) ヤイロは「イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、自分の家においでくださるようにと、しきりに願った」(ルカ8:41)、ヤイロは「わたしの娘がただ今死にました (わたしの幼い娘が死にかかっています。 マルコ5:23)。しかし(どうぞ、その子がなおって助かりますように、 マルコ5:23)おいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」とイエスに訴えた。
<拜して言ふ『わが娘いま死にたり。>
マタイには「わが娘いま死にたり」とあり、マルコは「わが稚なき娘、いまはの際なり」マルコ5:23、ルカは「おほよそ十二歳ほどの一人娘ありて、死ぬばかりなる故なり」ルカ8:42 とある。
娘は「いまはの際」にあって、「死ぬばかり」であったが、「いま死にたり」という緊急の事態に陥っていた。
<されど來りて御手を之におき給はば活きん>
ヤイロは娘がたった今息を引き取ったと知っても、イエスに「家に来て娘に手をおいてください」「どうぞ、その子がなおって助かりますように」と願う。
† 心のデボーション
「イエス此等のことを語りゐ給ふとき、視よ、一人の司きたり、拜して言ふ『わが娘いま死にたり。されど來りて御手を之におき給はば活きん』」 マタイ9:18 大正文語訳聖書
「イエズスが彼らにこのことを語っておられたとき、一人の会堂つかさがイエズスのもとに来て、ひれ伏し、『わたくしの娘が今なくなりました。しかし、あなたがおいでになって、手を娘の上に置いて下さるならば、娘は生き返るでしょう』と言った」 フランシスコ会訳聖書
「いのちの復活」
ある男の娘がたったいま死んだ。しかし、男はイエスが来て手を娘に置いて下されば娘は生きると信じた。男は娘の死を認めている。彼が信じたのは死からの甦り、すなわち「復活」であった。イエスはその信仰に応えられる。
イエスに死んだ者が生き返ることを祈るのでなく、いのちの復活を願え。イエスは生きている「私」に応えてくださる。
† 心のデボーション
「イエス此等のことを語りゐ給ふとき、視よ、一人の司きたり、拜して言ふ『わが娘いま死にたり。されど來りて御手を之におき給はば活きん』」 マタイ9:18 大正文語訳聖書
「イエズスが彼らにこのことを語っておられたとき、一人の会堂つかさがイエズスのもとに来て、ひれ伏し、『わたくしの娘が今なくなりました。しかし、あなたがおいでになって、手を娘の上に置いて下さるならば、娘は生き返るでしょう』と言った」 フランシスコ会訳聖書
「いのちの完成」
「死ぬ τελευτάω テれウタオー」は「τελευτή 成就、達成、決着、終り、終末、最期、死」から来た言葉。「死」は「消滅」ではなく、「生命の終りに至る、完成する、完了する、成就する、仕上げる、生を終わる」ことである。「私」が完成されるときが「死」である。幼くして亡くなる子どもも、「いのち」を完成し、決着して亡くなったのである。未完成な死というものはない。
† 心のデボーション
「イエス此等のことを語りゐ給ふとき、視よ、一人の司きたり、拜して言ふ『わが娘いま死にたり。されど來りて御手を之におき給はば活きん』」 マタイ9:18 大正文語訳聖書
「イエズスが彼らにこのことを語っておられたとき、一人の会堂つかさがイエズスのもとに来て、ひれ伏し、『わたくしの娘が今なくなりました。しかし、あなたがおいでになって、手を娘の上に置いて下さるならば、娘は生き返るでしょう』と言った」 フランシスコ会訳聖書
「おお永遠」
バッハの教会カンタータBWV60 「おお永遠 雷の言葉」 (演奏時間が約15分)
ルター派の教会暦の三位一体節後第24主日の礼拝で用いる。この日の聖書朗読箇所はマタイ9:18~26「会堂司ヤイロの娘の奇跡」である。
恐怖(アルト)と希望(テノール)が対話する形式で、キリストの声(バス)も登場する。終曲はコラール。
オーストリアの作曲家アルバン・ベルク(1885~1935年)は、彼の最後の作品となったバイオリン協奏曲の第二楽章で、BWV60の終曲・コラールの旋律を引用している。この曲は、マーラーの未亡人が再婚しても生んだ娘マノンの訃報を受けてアルバン・ベルクが作曲にとりかかり、完成後間もなくアルバン・ベルク自身も亡くなっている。現在ではベルク自身も作曲完成直前には自分の死を覚悟していた可能性があると考えられている。死への恐怖(アルト)と希望(テノール)の対話とキリストへの希望が作曲者の心象風景と重なっているようである。
† 細き聲 説教
「娘は生き返ります」
「イエス此等のことを語りゐ給ふとき、視よ、一人の司きたり、拜して言ふ『わが娘いま死にたり。されど來りて御手を之におき給はば活きん』」 マタイ9:18 大正文語訳聖書
「イエズスが彼らにこのことを語っておられたとき、一人の会堂つかさがイエズスのもとに来て、ひれ伏し、『わたくしの娘が今なくなりました。しかし、あなたがおいでになって、手を娘の上に置いて下さるならば、娘は生き返るでしょう』と言った」 フランシスコ会訳聖書
イエスがバプテスマのヨハネの弟子たちの問いに応えられているところに、「ひとりの会堂管理者」がやってきて御前にひれ伏した。
「ひとりの会堂管理者」の名前は「ヤイロ」である。彼には12歳になる娘がおり、病にかかって死にかけていた。(ルカ8:42)そこで、ヤイロは「イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、自分の家においでくださるようにと、しきりに願った」(ルカ8:41)。のである。
マタイはヤイロが「わたしの娘がただ今死にました」と言っている。(マタイ9:18)
しかし、そのとき、娘はまだ死亡していなかったと思われる。
マルコはヤイロが「わたしの幼い娘が死にかかっています」と言ったとし(マルコ5:23)、ルカは「死にかけていたのである」と記録しているからである。
イエスの弟子になる以前に「医者」だったルカは、娘の症状を正確に見届けていたにちがいない。
マタイの表現は会堂管理者ヤイロの今にも死期を迎えた娘に追い詰められた親の切実な思いだった
ヤイロは、「どうぞ、その子がなおって助かりますように(マルコ5:23)、おいでになって手をその上においてやって下さい。そうすれば、娘は生き返ります」とイエスに訴えたのである。
ヤイロの娘はすでに死んだも同然の最後の苦しい息をしていた。娘はすでに死にとらえれていた。しかし、もしイエスがおいでくださって、娘の上に御手を置いて下されば、「娘は死から生き返る」とヤイロは信じたのだった。
イエスの元に来る人には、常にこの信仰がある。
(皆川誠)
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