マタイによる福音書9章3節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「中風の者のいやし」 マタイ9:1~8 

マタイ9:1~8 マルコ:1~12 ルカ5:17~26
マタイ9:1~8

Matt.9:3(ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、 マルコ2:6)すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している (この人は、なぜあんなことを言うのか。それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか マルコ2:7  すると律法学者とパリサイ人たちとは、「神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」と言って論じはじめた。 ルカ5:21) 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.9:3

【漢訳聖書】
Matt.9:3 有士子數人、其意謂此人褻瀆也。

【明治元訳】
Matt.9:3 あるたち心(こころ)の中(うち)に謂(いひ)けるは此(この)人(ひと)は褻涜(けがすこと)を言(いへ)り

【大正文語訳】
Matt.9:3 視よ、或學者ら心の中にいふ『この人は神を瀆すなり』

【ラゲ訳】
Matt.9:3 折しも或律法學士等心の中に、彼は冒涜の言を吐けり、と謂ひしが、

【口語訳】
Matt.9:3 すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している」。

【新改訳改訂3】
Matt.9:3 すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている」と言った。

【新共同訳】
Matt.9:3 ところが、律法学者の中に、「この男は神を冒涜している」と思う者がいた。

【バルバロ訳】
Matt.9:3 そのときある律法学士たちは心の中で、「この人は冒瀆のことばを吐いた」と思った。

【フランシスコ会訳】
Matt. 9:3 すると、律法学者のある者は心の中でこう思った。「この人は冒瀆の言葉をはいている」。

【日本正教会訳】
Matt.9:3 時に或學士等己の衷に謂へり、彼は褻す言を言ふ。

【塚本虎二訳】
Matt.9:3 すると数人の聖書学者がひそかに思った、「この人は神を冒涜している。」

【前田護郎訳】
Matt.9:3 すると数名の学者が心の中でいった、この人はけがしごとをいう、と。

【永井直治訳】
Matt.9:3 然るに見よ、學者等の或る者己自らのうちにいへり、此の者はす。

【詳訳聖書】
Matt.9:3 すると見よ、学者の中のある者たちが心の中で言った、「この者はけがしごとを言う<神の権力と大権を自分のものだとする>」。

† 聖書引照 Matt.9:3

Matt.9:3 視よ、或學者ら心の中にいふ『この人は神を瀆すなり』

[視よ、或學者ら心の中にいふ] マタ7:29; マル2:6,7; 7:21; ルカ5:21; 7:39,40
[この人は神を瀆すなり] マタ26:65; レビ24:16; マル14:64; ヨハ10:33~36; 使徒6:11~13

† ギリシャ語聖書 Matt.9:3

Stephens 1550 Textus Receptus
και ιδου τινες των γραμματεων ειπον εν εαυτοις ουτος βλασφημει

Scrivener 1894 Textus Receptus
και ιδου τινες των γραμματεων ειπον εν εαυτοις ουτος βλασφημει

Byzantine Majority
και ιδου τινες των γραμματεων ειπον εν εαυτοις ουτος βλασφημει

Alexandrian
και ιδου τινες των γραμματεων ειπαν εν εαυτοις ουτος βλασφημει

Hort and Westcott
και ιδου τινες των γραμματεων ειπαν εν εαυτοις ουτος βλασφημει

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.9:3

καὶ ἰδού τινες τῶν γραμματέων εἶπαν ἐν ἑαυτοῖς, Οὗτος βλασφημεῖ

† ヘブライ語聖書 Matt.9:3

Matt.9:3

אֲחָדִים מִן הַסּוֹפְרִים אָמְרוּ בְּלִבָּם: זֶה מְגַדֵּף שֵׁם שָׁמַיִם

† ラテン語聖書 Matt.9:3

Latin Vulgate
Matt.9:3

Et ecce quidam de Scribis dixerunt intra se: Hic blasphemat.
And behold, some of the scribes said within themselves, “He is blaspheming.”

† 私訳(詳訳)Matt.9:3

【私訳】 「ところが、見よ驚くことに、律法学者たちのある者たちが、『この者は神を汚す<冒涜する、非難する、中傷する、、侮辱する言葉をあびせる、神を汚す、神を冒涜する>ことばを吐く』とつぶやいて<心の中で、自分に>言った」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.9:3

καὶ ἰδού τινες τῶν γραμματέων εἶπαν ἐν ἑαυτοῖςΟὗτος βλασφημεῖ

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and,also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition)with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【見よ】 ἰδού  ἰδού イドゥ idou {id-oo‘} (qs 不変化詞)

1)そら、ほら、さあ、まあ、それ 2)見よ、見よ驚くことに、ごらん

注意を喚起する言葉「見よ、驚くことに」

(G2400  ἰδού Second person singular imperative middle voice of 1492 used as imperative lo!: – behold, lo, see.  Internet Sacred Text Archive)

【律法学者たち】 γραμματέων  γραμματεύς グラムマテウス  grammateus {gram-mat-yooce‘} (n-gm-p 名詞・属男複)

< γράμμα 文字

1)書記、記録係 2)律法学者 3)学者

彼らは聖書の筆写から始まり、律法を日常生活に適用するための研究を目指した

(G1122 γραμματεύς From 1121 a writer, that is, (professionally) scribe or secretary: – scribe, town-clerk.  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:4; 5:20; 9:3; 15:1; 17:10; 21:15; 23:2,34; マル2:6; 7:1; 9:11; 11:18,27; 12:23,35; 15:1; ルカ19:47; 20:1; 22:2; Ⅰコリ1:20

【ある人々が】 τινες  τίς ティス tis {tis}  (apinm-p 不定代名詞・主男複)

1)誰 2)何 3)どんな 4)なぜ 5)どちら 6)何故、どうして

(G5101 τίς Probably emphatic of 5100 an interrogitive pronoun, who, which or what (in direct or indirect questions): – every man, how (much), + no (-ne, thing), what (manner, thing), where ([-by, -fore, -of, -unto, -with, -withal]), whether, which, who (-m, -se), why.  Internet Sacred Text Archive)

【心の内で】
ἐν  ἐν エン en {en}  (pd 前置詞・属)

1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に

(G1722  ἐν A primary preposition denoting (fixed) position (in place, time or state), and (by implication) instrumentality (medially or constructively), that is, a relation of rest (intermediate between 1519 and 1537 ; “in”at, (up-) onby, etc.: – about, after, against, + almost, X altogether, among, X as, at, before, between, (here-) by (+ all means), for (. . . sake of), + give self wholly to, (here-) in (-to, -wardly), X mightily, (because) of, (up-) on, [open-] ly, X outwardly, one, X quickly, X shortly, [speedi-] ly, X that, X there (-in, -on), through (-out), (un-) to(-ward), under, when, where (-with), while, with (-in). Often used in compounds, with substantially the same import; rarely with verbs of motion, and then not to indicate direction, except (elliptically) by a separate (and different) prep.  Internet Sacred Text Archive)

ἑαυτοῖς  ἑαυτοῦ ヘアウトウー heautou {heh-ow-too‘} (npdm3p 代名詞・与男3複)

1)彼(彼女、それ)自身の 2)自分自身の 3)自らの中に、自分自身に

(G1438  ἑαυτοῦ (Including all the other cases); from a reflexive pronoun otherwise obsolete and the genitive (dative or accusative) of 846 him (heritthem, also [in conjunction with the personal pronoun of the other persons] mythyouryour) -self (-selves), etc.: – alone, her (own, -self), (he) himself, his (own), itself, one (to) another, our (thine) own (-selves), + that she had, their (own, own selves), (of) them (-selves), they, thyself, you, your (own, own conceits, own selves, -selves).  Internet Sacred Text Archive)

【言った】 εἶπαν  εἶπον エイポン eipon {i‘-pon} (viaa–3p動詞・直・2アオ・能・3)

1)言う、話す、語る、告げる、言いあらわす、述べる、呼ぶ 2)命じる、願う、尋ねる 3)~と呼ぶ、称する 4)語られたこと、言葉、発言、発話、話の内容 5)出来事

(G2036 ἔπω A primary verb (used only in the definite past tense, the others being borrowed from 2046 4483 and 5346 ; to speak or say (by word or writting): – answer, bid, bring word, call, command, grant, say (on), speak,tell. Compare 3004.  Internet Sacred Text Archive)

【この男は】 Οὗτος  οὗτος フートス houtos {hoo‘-tos} (apdnm-s 指示代名詞・主男単)

1)その、この、これ 2)この者、この男・女 2)そんな、こんな 3)すなわち、だから 4)そこで、それ故

(G3779 οὗτος Or, before a vowel, οὕτως houtōs hoo‘-toce . From 3778 in this way (referring to what precedes or follows): – after that, after (in) this manner, as, even (so), for all that, like (-wise), no more, on this fashion (-wise), so (in like manner), thus, what.  Internet Sacred Text Archive)

【神を冒涜している】 βλασφημεῖ  βλασφημέω ブらスふェーメオー  blasphēmeō {blas-fay-meh‘-o} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3単)

< βλασφημός  口汚い

1)冒涜する 2)非難する、誹謗する、中傷する、悪口を言う 3)罵る、侮辱する言葉をあびせる 4)神を汚す、神を冒涜する、不敬の言葉を吐く

(G987 βλασφημέω From 989 to vilify; specifically to speak impiously: – (speak) blaspheme (-er, -mously, -my), defame, rail on, revile, speak evil.  Internet Sacred Text Archive)

マタ9:3; マル2:7; 3;28,29; ルカ12:20; etc.

† 英語訳聖書 Matt.9:3

King James Version
9:3 And, behold, certain of the scribes said within themselves, This [man] blasphemeth.

New King James Version
9:3 And at once some of the scribes said within themselves, “This Man blasphemes!”

American Standard Version
9:3 And behold, certain of the scribes said within themselves, This man blasphemeth.

New International Version
9:3 At this, some of the teachers of the law said to themselves, “This fellow is blaspheming!”

Bible in Basic English
9:3 And some of the scribes said among themselves, This man has no respect for God.

Today’s English Version
9:3 Then some teachers of the Law said to themselves, “This man is speaking blasphemy!”

Darby’s English Translation
9:3 And behold, certain of the scribes said to themselves, This man blasphemes.

Douay Rheims
9:3 And behold some of the scribes said within themselves: He blasphemeth.

Noah Webster Bible
9:3 And behold, certain of the scribes said within themselves, This man blasphemeth.

Weymouth New Testament
9:3 ‘Such language is impious,’ said some of the Scribes among themselves.

World English Bible
9:3 Behold, some of the scribes said to themselves, ‘This man blasphemes.’

Young’s Literal Translation
9:3 And lo, certain of the scribes said within themselves, ‘This one doth speak evil.’

Amplified Bible
9:3 And some of the scribes said to themselves, “This man blasphemes [by claiming the rights and prerogatives of God]!”

† 細き聲 聖書研究ノート

 <視よ、或學者ら心の中にいふ『この人は神を瀆すなり』>

人々の前で中風の男が癒され、イエスが男に「あなたの罪は赦された」と言われたことに、律法学者たちは心に「この人は神を汚している」とイエスを批判した。

 <視よ>

「ἰδού イドゥ 」は「そら、ほら、さあ、まあ、それ」と注意を喚起する言葉で「見よ、驚くことに」の意味である。驚くべきことが起こっている。

 <この人は神を瀆すなり>

律法学者とパリサイ人はイエスが中風の男に「あなたの罪は赦された」といわれたことを「神を瀆すことば」と受け止めた。

「神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」(マルコ2:7 ルカ5:21) というのがその根拠だった。

その思いははじめ「心の中」に生じたが(マルコ2:7)、やがて「論争」になっていく(ルカ5:21)。

 <神を穢すなり>

「神を穢す  βλασφημέω ブらスふェーメオー」は「βλασφημός  口汚い」から来た言葉で「冒涜する、非難する、非難する、誹謗する、中傷する、罵る、神を汚す、不敬の言葉を吐く」こと。この律法学者は「汝の罪は赦されたり」と告げるイエスは「神を冒涜している」と心に思った。神は「罪を赦す神」である。(ネヘミヤ9:17,詩篇99:8) 「主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる」(イザヤ55:7)「罪を赦す権威は神に属する、ではイエスは何の権威によって罪を赦すのか」というのが律法学者の考えであった。

† 心のデボーション  

「視よ、或學者ら心の中にいふ『この人は神を瀆すなり』」 マタイ9:3 大正文語訳聖書

「すると、律法学者のある者は心の中でこう思った。『この人は冒瀆の言葉をはいている』」 フランシスコ会訳聖書

 「神を穢す」

「神を穢す  βλασφημέω ブらスふェーメオー」は「βλασφημός  口汚い」から来た言葉で神を口汚く罵ることである。

律法学者やパリサイ人は、イエスの言葉の根拠を聖書に調べ、イエスが「神を口汚く罵っている」という結論を引き出した。しかし、「口汚く罵る」のは律法学者、パリサイ人自身であることを彼らは知らない。「敬虔な行為」はしばしば「口汚い罵り」を引き出す。

† 心のデボーション  

「視よ、或學者ら心の中にいふ『この人は神を瀆すなり』」 マタイ9:3 大正文語訳聖書

「すると、律法学者のある者は心の中でこう思った。『この人は冒瀆の言葉をはいている』」 フランシスコ会訳聖書

 「見よ、驚くことに」

「視よ ἰδού イドゥ」は注意を喚起する言葉「見よ、驚くことに」。

四人の男が中風の人を寝かせたまま床ごと運んできたのは「驚くべきこと」であった。しかし、イエスが中風の男に「子よ、あなたの罪は赦される」と告げたことを聞いて、律法学者の心に「この男は神を冒涜している」というつぶやきが生まれたことは、それ以上に「驚くべきこと」であった。人の心には「驚くべき思い」が湧き上がるが、人は驚くこともしない。

† 心のデボーション

「視よ、或學者ら心の中にいふ『この人は神を瀆すなり』」 マタイ9:3 大正文語訳聖書

「すると、律法学者のある者は心の中でこう思った。『この人は冒瀆の言葉をはいている』」 フランシスコ会訳聖書

 「なれなれしく侮る」

「神を瀆すなり」を明治元訳聖書は「褻瀆(けがすこと)を言(いへ)り」とする。

「褻瀆 せっとく」の「褻」という漢字は「衣」と「熱」から成り「なじんだ下着」のことである。

「なれけがす」こと。心やすく、なれなれしく侮ること。

「神」の近くにおり、「下着」のようになじむ者に神を「なれけがす」言葉が生まれる。

† 細き聲 説教 

 「思いの暴走」

「視よ、或學者ら心の中にいふ『この人は神を瀆すなり』」 マタイ9:3 大正文語訳聖書

「すると、律法学者のある者は心の中でこう思った。『この人は冒瀆の言葉をはいている』」 フランシスコ会訳聖書

律法学者とパリサイ人たちも、マタイのように、中風の男が癒されたことよりも、イエスが「あなたの罪は赦された」といわれたことを重く受け止めた。

しかし、律法学者やパリサイ人はマタイとは違った視線をイエスに向けていた。

律法学者やパリサイ人が問題とするのは「権威」であり、人の罪を赦す権威は神に属し、イエスが何の権威によって「あなたの罪は赦された」と宣言されたのかを批判した。

イエスの言葉は「神を汚している」というのが律法学者やパリサイ人の見解だった。

もし、そうであれば、イエスの行われた奇跡も「神への冒涜」ということになる。

律法学者やパリサイ人は公にイエスを批判したのではない、「心の中」につぶやいたのである。

しかし、心の中でつぶやくことは、じきに行動として現れる。

イエスの言葉を聞き逃さない者が、すべて、その意味を悟るのではない。むしろ、そこからイエスへの冒涜がはじまる。イエスを十字架につける計画は、この時の律法学者やパリサイ人たちの「心の中」にはじまったのである。

思いの暴走から人を守るのも、聖霊の恵みである。

イエスに従う者は、自らの思いに対して謙虚であらねばならない。

(皆川誠)

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