マタイによる福音書8章30節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観  「ガダラの豚」 マタイ8:28~34

マタイ8:28~34  マルコ5:1~20  ルカ8:26~39
マタイ8:28~34

Matt.8:30さて、そこからはるか離れた所に(そこの山の中腹に マルコ5:11)、おびただしい豚の群れが飼ってあった。口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.8:30

【漢訳聖書】
Matt.8:30 與眾相遠、有羣豕方食、

【明治元訳】
Matt.8:30 遙(はるか)はなれての多(おほく)のむれ食(しよく)し居(ゐ)ければ

【大正文語訳】
Matt.8:30 遙にへだたりて多くの豚の一群、食しゐたりしが、

【ラゲ訳】
Matt.8:30 然るに彼等を距る事遠からぬ處に、多くの豚の群物喰ひ居ければ、

【口語訳】
Matt.8:30 さて、そこからはるか離れた所に、おびただしい豚の群れが飼ってあった。

【新改訳改訂3】
Matt.8:30 ところで、そこからずっと離れた所に、たくさんの豚の群れが飼ってあった。

【新共同訳】
Matt.8:30 はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。

【バルバロ訳】
Matt.8:30 そこからさほど遠くない所に、豚の大群が飼われていた。

【フランシスコ会訳】
Matt.8:30 さて、程遠くない所で、多くの豚の群れが草を食べていた。

【日本正教会訳】
Matt.8:30 此より遙に豕(ぶた)の大なる群は牧はれたり。

【塚本虎二訳】
Matt.8:30 折から、はるかかなたに多くの豚の群が草を食っていた。

【前田護郎訳】
Matt.8:30 彼らから離れたところに多くの豚の群れが飼われていた。

【永井直治訳】
Matt.8:30 また遙か隔たりて多くの豚の群飼はれてありき。

【詳訳聖書】
Matt.8:30 ところがそこからいくらか離れた所で、多くの豚の一群が草を食べていた。

† 聖書引照 Matt.8:30

Matt.8:30 遙にへだたりて多くの豚の一群、食しゐたりしが、

[遙にへだたりて多くの豚の一群、食しゐたりしが]レビ11:7;申命14:8;イザ65:3,4; 66:3;マル5:11;ルカ8:32; 15:15,16

† ギリシャ語聖書 Matt.8:30

Stephens 1550 Textus Receptus 
και ιδου εκραξαν λεγοντες τι ημιν και σοι ιησου υιε του θεου ηλθες ωδε προ καιρου βασανισαι ημας  

Scrivener 1894 Textus Receptus 
και ιδου εκραξαν λεγοντες τι ημιν και σοι ιησου υιε του θεου ηλθες ωδε προ καιρου βασανισαι ημας  

Byzantine Majority 
και ιδου εκραξαν λεγοντες τι ημιν και σοι ιησου υιε του θεου ηλθες ωδε προ καιρου βασανισαι ημας  

Alexandrian 
και ιδου εκραξαν λεγοντες τι ημιν και σοι υιε του θεου ηλθες ωδε προ καιρου βασανισαι ημας  

Hort and Westcott 
και ιδου εκραξαν λεγοντες τι ημιν και σοι υιε του θεου ηλθες ωδε προ καιρου βασανισαι ημας  

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.8:30

ἦν δὲ μακρὰν ἀπ᾽ αὐτῶν ἀγέλη χοίρων πολλῶν βοσκομένη. 

† ヘブライ語聖書 Matt.8:30

Matt.8:30

בְּמֶרְחָק מְסֻיָּם מֵהֶם רָעָה עֵדֶר חֲזִירִים גָּדוֹלֹ

† ラテン語聖書 Matt.8:30

Latin Vulgate
Matt.8:30

Erat autem non longe ab illis grex multorum porcorum pascens.
Now there was, not far from them, a herd of many swine feeding.

† 私訳(詳訳)Matt.8:30

私訳 「また、彼らから遠く離れたところで、多くの<夥しい数の>豚の群れが餌をあさっていた」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.8:30

ἦν δὲ μακρὰν ἀπ᾽ αὐτῶν ἀγέλη χοίρων πολλῶν βοσκομένη. 

【また】 δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位) 

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ 

(G1161 δέ A primary particle (adversative or continuative); butand, etc.: – also, and, but, moreover, now [often unexpressed in English].  Internet Sacred Text Archive) 

【彼ら】 αὐτῶν  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npgm3p 代名詞・属男3) 

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど 

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive) 

【から】 ἀπ᾽  ἀπό  アポ apo {apo‘} (pg 前置詞・属)  

1)~から  2)~から離れて 3)~の中から、~のうちの、~のうちから 4)~以来、~の後で 5)によって 6)(人、物、状態から)自由にする、取り去る 

(G575  ἀπό A primary particle; “off”, that is, away (from something near), in various senses (of place, time, or relation; literally or figuratively): – (X here-) after, ago, at, because of, before, by (the space of), for (-th), from, in, (out) of, off, (up-) on (-ce), since, with. In composition (as a prefix) it usually denotes separationdeparturecessationcompletionreversal, etc.  Internet Sacred Text Archive) 

【はるかかなたで】 μακρὰν  μακράν  マクラン  makran {mak-ran‘} (ab 副詞)  

1)長い 2)遠い 3)遠く離れた、ずっと離れた 

(G3112 μακράν Feminine accusative singular of 3117 (3598 being implied); at a distance (literally or figuratively): – (a-) far (off), good (great) way off.  Internet Sacred Text Archive) 

マタ8:30;  マル11:34;  ルカ7:6; 15:20;  ヨハ21:8;  使徒2:39; 17:27; 22:21;  ピリ2:13,17 

【多くの】 πολλῶν  πολύς ポりゆス polus polos {pol-oos‘}  (a–gm-p 形容詞・属男複) 

1)(数が)多い、よリ多く、余る、余分にある、十分過ぎる、ほどである、余裕がある、余計である 2)(大きさ、強さ、程度の)大きい、激しい、大いなる、非常な、重大な、3)おびただしい、幾多の、幾つもの、大量の 4)より永い、より先の 5)価値の高い、より優れた、より大切な 

(G4183 πολύς Including the forms from the alternate “pollos”; (singular) much (in any respect) or (plural) many; neuter (singular) as adverb largely; neuter (plural) as adverb or noun oftenmostlylargely: – abundant, + altogether, common, + far (passed, spent), (+ be of a) great (age, deal, -ly, while), long, many, much, oft (-en [-times]), plenteous, sore, straitly. Compare 4118 4119.  Internet Sacred Text Archive) 

【豚の】 χοίρωνn  χοῖρος  こイロス  choiros {khoy-‘ros} (n-gm-p 名詞・属男複)  

1)豚 

(G5519 χοῖρος Of uncertain derivation; a hog: – swine.  Internet Sacred Text Archive) 

マタ7:6; 8:30,31,32, マル5:11,12,13,16;  ルカ3:32,33; 15:15,16 

【群れが】 ἀγέλη  ἀγέλη  アゲれー  agelē {ag-el‘-ay} (n-nf-s 名詞・主女単)  

1)(豚、牛、馬などの)群れ、大群 2)(一般に)群れ 

(G34  ἀγέλη From 71 (compare 32 ; a drove: – herd.  Internet Sacred Text Archive) 

マタ8:30,31,32;  マル5:11,13;  ルカ8:32,33 

【えさをあさって】 βοσκομένη  βόσκω  ボスコー  boskō {bos‘-ko} (+vpppnf-s 分詞・現受主女単) 

1)えさを食う 2)草を食う 3)飼う、養う 

(G1006 βόσκω A prolonged form of a primary verb (compare 977 and 1016 ; to pasture; by extension to fodder; reflexively to graze: – feed, keep.  Internet Sacred Text Archive) 

マタ8:30,33;  マル5:11,14;  ルカ8:32,34; 15:15 

【いた】 ἦν  εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘} (viia–3s+ 動詞・直・未完・能・3単) 

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている 

(G1510 εἰμί  First person singular present indicative; a prolonged form of a primary and defective verb; I exist (used only when emphatic): – am, have been, X it is I, was. See also 1488 1498 1511 1527 2258 2071 2070 2075 2076 2771 2468 5600.  Internet Sacred Text Archive) 

† 英語訳聖書 Matt.8:30

King James Version
8:30 And there was a good way off from them an herd of many swine feeding.

New King James Version
8:30 Now a good way off from them there was a herd of many swine feeding.

American Standard Version
8:30 Now there wasafaroff from them a herd of many swine feeding.

New International Version
8:30 Some distance from them a large herd of pigs was feeding.

Bible in Basic English
8:30 Now there was, some distance away, a great herd of pigs taking their food.

Today’s English Version
8:30 Not far away there was a large herd of pigs feeding.

Darby’s English Translation
8:30 Now there was, a great way off from them, a herd of many swine feeding;

Douay Rheims
8:30 And there was, not far from them, an herd of many swine feeding.

Noah Webster Bible
8:30 And there was a good way off from them a herd of many swine, feeding.

Weymouth New Testament
8:30 Now at some distance from them a vast herd of swine were feeding.

World English Bible
8:30 Now there was a herd of many pigs feeding far away from them.

Young’s Literal Translation
8:30 And there was far off from them a herd of many swine feeding,

Amplified Bible
8:30 Some distance from them a large herd of pigs was grazing.

† 細き聲 聖書研究ノート

 <遙にへだたりて多くの豚の一群、食しゐたりしが>

イエスと悪霊に憑かれた男は山の中腹にいた。そこからはガリラヤ湖を見渡すことができた。すると、ガリラヤ湖に面した高台に二千匹もの豚の群が餌をあさっているのが見えた。

 <遙にへだたりて>

「遙にへだたりて」は、マルコ並行記事によれば「そこの山の中腹 マルコ5:11」であった。

イエスのところから見渡せるほどの距離である。

 <多くの豚の一群、食しゐたりしが>

マルコ並行記事によれば、「その群れは二千匹ばかりであった マルコ5:13」。

ユダヤ人は豚を「汚れた家畜」とし、豚肉を食べなかったが、ローマ人は好んで豚を食べた。二千匹もの豚の飼育が行わたのは、ゲラサの地がローマ兵の駐屯地であったことによる。

聖書の「豚」は「飼いならされた猪」である。鋭い牙と強い鼻で土を掘り起こし、虫や草の根・球根などを食べる。「山の中腹」で、豚の群れは散らばって「食料をあさっていた」のである。

† 心のデボーション  

「遙にへだたりて多くの豚の一群、食しゐたりしが」 マタイ8:30 大正文語訳聖書

「さて、程遠くない所で、多くの豚の群れが草を食べていた」 フランシスコ会訳聖書

 「卑しき者」

レビ記11:7「いのしし ヘブル語 ハジール」は「豚 χοῖροςこイロス」である。律法は豚を「汚れたもの」として食べることを禁じ、豚飼いは「卑しき者」として神殿に入ることも許されなかった。ゲラサ人の地では多くの豚が飼われていた。

† 心のデボーション  

「遙にへだたりて多くの豚の一群、食しゐたりしが」 マタイ8:30 大正文語訳聖書

「さて、程遠くない所で、多くの豚の群れが草を食べていた」 フランシスコ会訳聖書

 「穢れ」

申命記14:8 「いのしし。これはひずめが分かれているが、反すうしないから汚れたものである」

旧約聖書は豚は汚れたものとして食べることも触れることも禁止した。

アラビア語で「豚」は「ヒンズィール」で「ヒンズ 不潔」+「アラ 私が見る」を意味する。

イスラム教ではコーラン5章、食卓の章に豚肉は穢れたものとされ信徒はいかなる料理にも豚肉を食べない。ヒンズー教徒は牛肉を食べない。

† 心のデボーション  

「遙にへだたりて多くの豚の一群、食しゐたりしが」 マタイ8:30 大正文語訳聖書

「さて、程遠くない所で、多くの豚の群れが草を食べていた」 フランシスコ会訳聖書

 「自分の体をもって」

「口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのである」(マタイ15:10)

人を汚す食べ物というものがあるのではない、というのがイエスの教えであった。何を食べ、何を飲むのも、それによって「汚れ」を身に負うことはない。しかし「『わたしには、すべてのことが許されている』しかし、すべてのことが益となるわけではない。『わたしには、すべてのことが許されている』しかし、わたしは何事にも支配されはしない」(Ⅰコリント6:12)とパウロはいう。「自分の体で神の栄光を現しなさい」(Ⅰコリント6:20)

† 細き聲 説教 

 「神の栄光のために」

「遙にへだたりて多くの豚の一群、食しゐたりしが」 マタイ8:30 大正文語訳聖書

「さて、程遠くない所で、多くの豚の群れが草を食べていた」 フランシスコ会訳聖書

イエスが「悪霊に憑かれた人」と出会ったのは山の中腹であった。そこからは遠くガリラヤ湖が見渡せた。そこからガリラヤ湖に面した小高い丘に2千匹もの豚が放し飼いにされており、餌をあさっていた。

「豚」は汚れた家畜とされたので、ユダヤ人は宗教的な理由から食べることを禁じられていた。(レビ11:7)

しかし、ゲラサ人はユダヤの律法の外におり、そこに駐屯したローマ兵たちも共に豚を食べた。そのために、豚の飼育が盛んにおこなわれていたのである。

聖書の「汚れの規定」は信仰上の定めであり、「汚れ」の対象とされた動物が汚れているというわけではない。

私たちは「汚れ」についてのイエスの教えに従うべきである。

「イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」 マタイ15:10~11 新改訳聖書

何を食べるか、何を飲むかによって人が「汚れる」のではない。人の内からでるものが人を「汚す」のである。

しかし、何を食べ、何を飲んでもよいのでもない。すべては神の栄光を現わすためになされるべきである。

「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。」 Ⅰコリント6:12 新改訳聖書

「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」 Ⅰコリント6:20 新改訳聖書

(皆川誠)

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