† 福音書対観 「重い皮膚病患者のいやし」 マタイ8:1~4
マタイ8:1~4 マルコ1:40~45 ルカ5:12~16
† 福音書縦観 「重い皮膚病患者のいやし」 マタイ8:1~4
マタイ8:1~4 マルコ1:40~45 ルカ5:12~16
マタイ8:1~4
Matt.8:1イエスが山をお降りになると(イエスがある町におられた時 ルカ5:12)、おびただしい群衆がついてきた。
† 日本語訳聖書 Matt.8:1
【漢訳聖書】
Matt.8:1 耶穌下山、羣眾随之、
【明治元訳】
Matt.8:1 イエスを下(くだり)しとき多(おほく)の人々(ひとびと)これに從(したが)へり
【大正文語訳】
Matt.8:1 イエス山を下り給ひしとき、大なる群衆これに從ふ。
【ラゲ訳】
Matt.8:1 イエズス山を下り給ひしに、群衆夥しく從ひしが、
【口語訳】
Matt.8:1 イエスが山をお降りになると、おびただしい群衆がついてきた。
【新改訳改訂3】
Matt.8:1 イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。
【新共同訳】
Matt.8:1 イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。
【バルバロ訳】
Matt.8:1 イエズスが山を下られると多くの人々が後についてきた。
【フランシスコ会訳】
Matt.8:1 イエズスが山をお下りになると、大勢の人々がついて来た。
【日本正教会訳】
Matt.8:1 彼山を下りしに、衆(おほ)くの民彼に隨へり。
【塚本虎二訳】
Matt.8:1 イエスが山を下りてこられると、多くの群衆がついて来た。
【前田護郎訳】
Matt.8:1 彼が山をおりられると多くの群衆が従った。
【永井直治訳】
Matt.8:1 かくて彼の山より下り來り給ひしとき、多くの群衆彼に從へり。
【詳訳聖書】
Matt.8:1 イエスが山から下って来られた時、多くの群衆が彼に従った。
† 聖書引照 Matt.8:1
Matt.8:1 イエス山を下り給ひしとき、大なる群衆これに從ふ。
[イエス山を下り給ひしとき]マタ5:1
[大なる群衆これに從ふ]マタ8:18; 4:25; 12:15; 15:30; 19:2; 20:29;マル3:7;ルカ5:15; 14:25-27
† ギリシャ語聖書 Matt.8:1
Stephens 1550TextusReceptus
καταβαντι δε αυτω απο του ορους ηκολουθησαν αυτωοχλοι πολλοι
Scrivener 1894TextusReceptus
καταβαντι δε αυτω απο του ορους ηκολουθησαν αυτωοχλοι πολλοι
Byzantine Majority
καταβαντι δε αυτω απο του ορους ηκολουθησαν αυτωοχλοι πολλοι
Alexandrian
καταβαντι δε αυτω απο του ορους ηκολουθησαν αυτωοχλοι πολλοι
Hortand Westcott
καταβαντι δε αυτω απο του ορους ηκολουθησαν αυτωοχλοι πολλοι
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.8:1
Καταβάντος δὲ αὐτοῦ ἀπὸ τοῦ ὄρους ἠκολούθησαν αὐτῷ ὄχλοι πολλοί.
† ヘブライ語聖書 Matt.8:1
Matt.8:1
חהוּא יָרַד מִן הָהָר וַהֲמוֹן עַם רַב הָלְכוּ אַחֲרָיו
† ラテン語聖書 Matt.8:1
Latin Vulgate
Matt.8:1
Cum autem descendisset de monte, secutæ sunt eum turbæ multæ:
And when he had descended from the mountain, great crowds followed him.
† 私訳(詳訳)Matt.8:1
【私訳】 「また、彼〔イエス〕が山から降りて行かれると、大勢の群集が彼〔イエス〕に従った<随行した、同行した、同じ道を歩いた、一緒について来た、行動を共にした>」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.8:1
Καταβάντος δὲ αὐτοῦ ἀπὸ τοῦ ὄρους ἠκολούθησαν αὐτῷ ὄχλοι πολλοί.
【また】 δὲ δέ デ de {deh} (cc 接続詞・等位)
1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ
(G1161 δέ A primary particle (adversative or continuative); but, and, etc.: – also, and, but, moreover, now [often unexpressed in English]. Internet Sacred Text Archive)
【彼が】 αὐτοῦ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npgm3s 代名詞・属男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【山】 ὄρους ὄρος オロス oros {or‘-os} (n-gn-s 名詞・属中単)
1)境界 2)国境 3)山、丘 4)限られた場所、限界、限度 5)境界の標柱、柵 6)基準
(G3735 ὄρος Probably a from an obsolete word ὄρω orō (to rise or “rear”; perhaps akin to 142 compare 3733 ; a mountain (as lifting itself above the plain): – hill, mount (-ain). Internet Sacred Text Archive)
マタ4:8; 5:1,14; 8:1; 14:23; 15:29; 17:1,9,20; 18:12; 21:1,21; 24:3,16; 26:30; 28:16; マル3:13; 5:5,11; 6:46; 9:2,9; 11:1,23: 13:3,14: 14:26 etc.
【から】 ἀπὸ ἀπό アポ apo {apo‘} (pg 前置詞・属)
1)~から 2)~から離れて 3)~の中から、~のうちの、~のうちから 4)~以来、~の後で 5)によって 6)(人、物、状態から)自由にする、取り去る
(G575 ἀπό A primary particle; “off”, that is, away (from something near), in various senses (of place, time, or relation; literally or figuratively): – (X here-) after, ago, at, because of, before, by (the space of), for (-th), from, in, (out) of, off, (up-) on (-ce), since, with. In composition (as a prefix) it usually denotes separation, departure, cessation, completion, reversal, etc. Internet Sacred Text Archive)
【降られると】 Καταβάντος καταβαίνω カタバイノー katabainō {kat-ab-ah‘ee-no } (vpaagm-s 分詞・2アオ能属男単)
1)降りる、降りてくる、降りていく 2)下る、落ちる、降りる 2)行きつく 3)応ずる、従う
(G2597 καταβαίνω From 2596 and the base of 939 to descend (literally or figuratively): – come (get, go, step) down, descend, fall (down). Internet Sacred Text Archive)
マタ3:16; 8:1; 11:23; 17:9; 24:17; 28:2; マル1:10; 3:22; 9:9; 13:15; ルカ2:51; 3:22; 6:17; 9:54; 10:15,30,31; 17:31 etc.
【大勢の】 πολλοί πολύς ポりゆス polus polos {pol-oos‘} (a–nm-p 形容詞・主男複)
1)(数が)多い、よリ多く、余る、余分にある、十分過ぎる、ほどである、余裕がある、余計である 2)(大きさ、強さ、程度の)大きい、激しい、大いなる、非常な、重大な、3)おびただしい、幾多の、幾つもの、大量の 4)より永い、より先の 5)価値の高い、より優れた、より大切な
(G4183 πολύς Including the forms from the alternate “pollos”; (singular) much (in any respect) or (plural) many; neuter (singular) as adverb largely; neuter (plural) as adverb or noun often, mostly, largely: – abundant, + altogether, common, + far (passed, spent), (+ be of a) great (age, deal, -ly, while), long, many, much, oft (-en [-times]), plenteous, sore, straitly. Compare 4118 4119. Internet Sacred Text Archive)
【群衆が】 ὄχλοι ὄχλος オくろス ochlos {okh‘-los} (n-nm-p 名詞・主男複)
1)群衆、集団、群れ、大勢の人々 2)軍勢 3)大衆、民衆、人民、市民、 4)人だかり、雑踏 5)ごたごた、煩わしさ、迷惑、厄介、面倒
(G3793 ὄχλος From a derivative of 2192 (meaning a vehicle); a throng (as borne along); by implication the rabble; by extension a class of people; figuratively a riot: – company, multitude, number (of people), people, press. Internet Sacred Text Archive)
【彼に】 αὐτῷ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3s 代名詞・与男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【従った】 ἠκολούθησαν ἀκολουθέω アコるーてオー akoloutheō {ak-ol-oo-theh‘-o} (viaa–3p 動詞・直・1アオ・能・3複)
< α 一緒に + κέλευθος 道
1)同じ道を歩む、ついて行く、従う、つき従う、一緒に行く、~に同行する、随行する、同行する 2)導かれる、適合する 3)弟子になる、弟子である 4)愛着する、固く結びつく、生死を共にする
(G190 ἀκολουθέω From 1 (as a particle of union) and κέλευθος keleuthos (a road); properly to be in the same way with, that is, to accompany (specifically as a disciple): – follow, reach. Internet Sacred Text Archive)
マタ4:20,22,23; 8:1,10,19,22,23; 9:9,27; 10:24; 19:2,21,27,28; 20:29,34; 26:58 etc.
† 英語訳聖書 Matt.8:1
King James Version
8:1 When he was come down from the mountain, great multitudes followed him.
New King James Version
8:1 When He had come down from the mountain, great multitudes followed Him.
American Standard Version
8:1 And when he was come down from the mountain, great multitudes followed him.
New International Version
8:1 When he came down from the mountainside, large crowds followed him.
Bible in Basic English
8:1 And when he had come down from the mountain, great numbers of people came after him.
Today’s English Version
8:1 When Jesus came down from the hill, large crowds followed him.
Darby’s English Translation
8:1 And when he had come down from the mountain, great crowds followed him.
Douay Rheims
8:1 And when he was come down from the mountain, great multitudes followed him:
Noah Webster Bible
8:1 When he had come down from the mountain, great multitudes followed him.
Weymouth New Testament
8:1 Upon descending from the hill country He was followed by immense crowds.
World English Bible
8:1 When he came down from the mountain, great multitudes followed him.
Young’s Literal Translation
8:1 And when he came down from the mount, great multitudes did follow him,
Amplified Bible
8:1 When Jesus came down from the mountain, large crowds [a]followed Him.
Footnotes:
[a]See note 4:19.
† 細き聲 聖書研究ノート
<イエス山を下り給ひしとき、大なる群衆これに從ふ>
イエスが山上の垂訓を終えられ、山からおりられると、それにもまして「大いなる群衆」がイエスに従った。
<イエス山を下り給ひしとき>
ルカ並行記事によると、イエスは山から下りられ、ある町にお入りになった。(ルカ5:12)
「ある町」が何処かは不明である。
<大なる群衆これに從ふ>
ラゲは「群衆夥しく」と訳す。
「夥」は「果」+「多」で、柿が木を赤く染めるような数である。イエスの後を数えることもできない程の人々が従った。
† 心のデボーション
「イエス山を下り給ひしとき、大なる群衆これに從ふ」 マタイ8:1 大正文語訳聖書
「イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った」 新共同訳聖書
「群衆」
大勢の「群衆」はイエスに従う、そしてやがて「群衆」はイエスを十字架につけろと叫ぶことになる。「群衆」の中に身を置くのは心地よい。しかし、「群衆」としてイエスに従うことはできない。「群衆」から出て、一人イエスに導かれるしかない。門は狭く、道は細い。しかし、それは「いのちの道」である。
† 心のデボーション
「イエス山を下り給ひしとき、大なる群衆これに從ふ」 マタイ8:1 大正文語訳聖書
「イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った」 新共同訳聖書
「群集の信仰」
人は「群集の信仰」を求める。人の集まる所に居れば安心するのだ。しかし、そこに「信仰」はない。信仰は神と私の間にしか成立しない。群集の中に身を置く信仰からは何も始まらない。アブアラハムのごとく、一人神に従って出発するしかない。
宗教改革者マルティン・ルターは1521年4月、ウォルムス帝国議会において、自分の著作の並べられた机の前に立ち、それらが自分の手によるものかどうかを尋ねられ、次にそれを撤回するかどうかを尋ねられた。ルターは第一の質問にはうなずき、第二の質問にはしばらくの猶予を乞い、熟考し、翌日、決然として撤回を拒否し、「聖書にかかれていることを認めないわけにはいかない。私はここに立っている、私はこうするよりほかない。神よ助けたまえ」と答えたという。これにより、ルターは帝国追放の刑を受け、異端者としてルターの著作を所有することを禁止される。
プロテスタントの信仰はここから始まった。
† 心のデボーション
「イエス山を下り給ひしとき、大なる群衆これに從ふ」 マタイ8:1 大正文語訳聖書
「イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った」 新共同訳聖書
「ヘイトスピーチ」
ヘイトスピーチでは、個人では言えないことを群衆だから言える。しかし、「群衆」もまた一個の人間である。
人間のうちには「群衆」という人間が存在する。人が個人になるには、内にいる「群衆」とも語らねばなるまい。
現代において、「群衆」という人間のあり方を無視することもできない。
† 細き聲 説教
「教会の群衆化」
「イエス山を下り給ひしとき、大なる群衆これに從ふ」 マタイ8:1 大正文語訳聖書
「イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った」 新共同訳聖書
「群衆」の中にいるとどこか心が安らぐ。
人が少ない教会よりも大勢の人が集まる教会の方が安心できる。
しかし、イエスが愛されたのは「群衆」ではなく、「ひとりの重い病の人」であったことの意味を考えてみたい。
教会には常に「大いなる存在」への誘惑がある。大会堂を建築し、信徒の拡大を目指す。
電波をつかっての巨大福音ショーには信じがたい金額の献金を集まる。そのようなことを可能にする背後に「教会の群衆化」がある。
「教会の群衆化」とは、教会が集まる人の数を計算することに終始し、視覚的聴覚的に受け入れやすいものを福音として提供することで、いわば信徒を「無知な群衆」と留め置くことである。
なるほど、それは「群衆」の求めに適った福音として一定の成果をあげている。しかし、人々の魂は「飼うもののない羊」のごとくである。
人間の心には他者がいる。心の成熟は「内なる他者」の成熟と共にある。
「内なる他者」が「愚かな群衆」となれば、個の完成は遠のくばかりである。
「内なる他者」もまた、神のかたちに似せて人を創られた「アダム 人間」である。
神は最初の人アダムの内に「人間」という存在を形づくられたのである。
したがって、「内なる他者」を成熟に導くことは福音が目指すものなのである。
教会は多く集まろうと、少なく集まろうと、問題ではない。集まる人の「内なる他者」を成熟に導くか否かが問題なのである。
(皆川誠)
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