C ガリラヤ及び北方地域の宣教 (023~133)
(ⅱ) 山上の説教 (032~051)
† 福音書対観 「人を裁くな」 マタイ7:1~5
マタイ7:1~5 マルコ4:24 ルカ6:37~38,41~42
マタイ7:1~5
7:1人をさばくな。自分がさばかれないためである。 7:2あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。 7:3なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。 7:4自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。 7:5偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。口語訳聖書
マルコ4:24
4:24また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。口語訳聖書
ルカ6:37~38,41~42
6:37人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。 6:38与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。
6:41なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。 6:42自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。
† 福音書縦観 「人を裁くな」 マタイ7:1~5
マタイ7:1~5 マルコ4:24 ルカ6:37~38,41~42
マタイ7:1~5
Matt.7:1人をさばくな。自分がさばかれないためである。
Matt 7:2あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。 (また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう マルコ4:24 6:37人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。 6:38与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。 ルカルカ6:37~38)
Matt 7:3なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
Matt 7:4自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
Matt 7:5偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.7:1
【漢訳聖書】
Matt.7:1 勿議人、致爾不見議、
【明治元訳】
Matt.7:1 人を議すること勿れ恐くは爾曹もまた議せられん (明治14(1881)年版ではこの節全体が「人の罪を定ること勿れ恐くは爾曹もまた罪に定られん」)
【大正文語訳】
Matt.7:1 なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり。
【ラゲ訳】
Matt.7:1 人を是非することなかれ、さらば汝らも是非せられじ
【口語訳】
Matt.7:1 人をさばくな。自分がさばかれないためである。
【新改訳改訂3】
Matt.7:1 さばいてはいけません。さばかれないためです。
【新共同訳】
Matt.7:1 人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
【バルバロ訳】
Matt.7:1 さばかれたくないなら、他人をさばくな。
【フランシスコ会訳】
Matt.7:1 裁いてはならない。そうすれば、あなたがたも裁かれないであろう。
【日本正教会訳】
Matt.7:1 人を議(ぎ)する勿れ、議(ぎ)せられざらん為なり、
【塚本虎二訳】
Matt.7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである。
【前田護郎訳】
Matt.7:1 裁くな、裁かれないために。
【永井直治訳】
Matt.7:1 裁く勿れ、是れ汝等の裁かれざるため〔なり〕。
【詳訳聖書】
Matt.7:1 ほかの人をさばく<批評する<罪に定める>ことをしてはいけない。自分自身がさばかれる<批評される<罪に定められる>ことのないためである。
† 聖書引照 Matt.7:1
Matt.7:1 なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり。
[なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり] イザ66:5; エゼ16:52~56; ルカ6:37; ロマ2:1,2; 14:3,4,10~13; Ⅰコリ4:3~5; ヤコ3:1; 4:11,12
† ギリシャ語聖書 Matt.7:1
Stephens 1550 Textus Receptus
μη κρινετε ινα μη κριθητε
Scrivener 1894 Textus Receptus
μη κρινετε ινα μη κριθητε
Byzantine Majority
μη κρινετε ινα μη κριθητε
Alexandrian
μη κρινετε ινα μη κριθητε
Hort and Westcott
μη κρινετε ινα μη κριθητε
† ギリシャ語聖書 Interlinear
Matt.7:1
Μὴ κρίνετε, ἵνα μὴ κριθῆτε
Μὴ κρίνετε, ἵνα μὴ κριθῆτε
not Judge, that ye be not judged.
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.7:1
Μὴ κρίνετε, ἵνα μὴ κριθῆτε
† ヘブライ語聖書 Matt.7:1
Matt.7:1
ז “אַל תִּשְׁפְּטוּ לְמַעַן לֹא תִּשָּׁפְטוּ
† ラテン語聖書 Matt.7:1
Latin Vulgate
Matt.7:1
Nolite iudicare, ut non iudicemini.
“Do not judge, so that you may not be judged.
† 私訳(詳訳)Matt.7:1
【私訳】 「裁く<分ける、分離する、判断する、区別する、識別する、判定する審判する>な。裁かれ<分けられ、分離され、判断され、区別され、識別され、判断され、判定され、審判され>ないために」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.7:1
Μὴ κρίνετε, ἵνα μὴ κριθῆτε
【人を裁く】 κρίνετε κρίνω クリノー krinō {kree‘-no} (vmpa–2p 動詞・命・現・能・2複)
1)分離する、別々にする、分ける、区別する、識別する 2)選ぶ、選び出す 3)裁く、審判する、裁定する、判定する、判断する、意見である 4)告訴する、非難する
(G2919 κρίνω Properly to distinguish, that is, decide (mentally or judicially); by implication to try, condemn, punish: – avenge, conclude, condemn, damn, decree, determine, esteem, judge, go to (sue at the) law, ordain, call in question, sentence to, think. Internet Sacred Text Archive)
マタ5:40; 7:1,2; 19:28; ルカ6:37; 7:43; 12:57; 19:22; 22:30 etc.
【な】 Μὴ μή メー mē {may} (qn 不変化詞・否定)
1)~ない
(G3361 μή A primary particle of qualified negation (whereas 3756 expresses an absolute denial); (adverbially) not, (conjugationally) lest; also (as interrogitive implying a negative answer [whereas 3756 expects an affirmative one]); whether: – any, but, (that), X forbear, + God forbid, + lack, lest, neither, never, no (X wise in), none, nor, [can-] not, nothing, that not, un [-taken], without. Often used in compounds in substantially the same relations. See also 3362 3363 3364 3372 3373 3375 3378. Internet Sacred Text Archive)
【裁かれ】 κριθῆτε\ κρίνω クリノー krinō {kree‘-no} (vsap–2p 動詞・仮・1アオ・受・2複)
1)分離する、別々にする、分ける、区別する、識別する 2)選ぶ、選び出す 3)裁く、審判する、裁定する、判定する、判断する、意見である 4)告訴する、非難する
(G2919 κρίνω Properly to distinguish, that is, decide (mentally or judicially); by implication to try, condemn, punish: – avenge, conclude, condemn, damn, decree, determine, esteem, judge, go to (sue at the) law, ordain, call in question, sentence to, think. Internet Sacred Text Archive)
マタ5:40; 7:1,2; 19:28; ルカ6:37; 7:43; 12:57; 19:22; 22:30 etc.
【ない】 μὴ μή メー mē {may} (qn 不変化詞・否定)
1)~ない
(G3361 μή A primary particle of qualified negation (whereas 3756 expresses an absolute denial); (adverbially) not, (conjugationally) lest; also (as interrogitive implying a negative answer [whereas 3756 expects an affirmative one]); whether: – any, but, (that), X forbear, + God forbid, + lack, lest, neither, never, no (X wise in), none, nor, [can-] not, nothing, that not, un [-taken], without. Often used in compounds in substantially the same relations. See also 3362 3363 3364 3372 3373 3375 3378. Internet Sacred Text Archive)
【ため】 ἵνα ἵνα ヒナ hina {hin‘-ah} (cs 接続詞・従)
1)そこに(へ) 2)~するために 3)~する事を 4)~ので 5)という事は 6)~であるところの 7)~するように 8)すなわち
(G2443 ἵνα Probably from the same as the former part of 1438 (through the demonstrative idea; compare 3588 ; in order that (denoting the purpose or the result): – albeit, because, to the intent (that), lest, so as, (so) that, (for) to. Compare 3363. Internet Sacred Text Archive)
† 英語訳聖書 Matt.7:1
King James Version
7:1 Judge not, that ye be not judged.
New King James Version
7:1 “Judge not, that you be not judged.
American Standard Version
7:1 Judge not, that ye be not judged.
New International Version
7:1 “Do not judge, or you too will be judged.
Today’s English Version
7:1 “Do not judge others, so that God will not judge you,
Bible in Basic English
7:1 Be not judges of others, and you will not be judged.
Darby’s English Translation
7:1 Judge not, that ye may not be judged;
Douay Rheims
7:1 Judge not, that you may not be judged,
Noah Webster Bible
7:1 Judge not, that ye be not judged.
Weymouth New Testament
7:1 ‘Judge not, that you may not be judged;
World English Bible
7:1 ‘Don’t judge, so that you won’t be judged.
Young’s Literal Translation
7:1 ‘Judge not, that ye may not be judged,
Amplified Bible
7:1 “[a]Do not judge and criticize and condemn [others unfairly with an attitude of self-righteous superiority as though assuming the office of a judge], so that you will not be judged [unfairly].
Footnotes:
[a]This is not a prohibition of judgment, nor is it a command to stop using godly wisdom, common sense, and moral courage together with God’s written word to discern right from wrong, to distinguish between morality and immorality, and to judge doctrinal truth. There are many judgments that are not only legitimate, but are commanded (cf John 7:24; 1 Cor 5:5, 12; Gal 1:8, 9; 1 John 4:1-3; 2 John 10); however, you cannot judge another if you are committing the same type of sin.
† 細き聲 聖書研究ノート
<なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり>
裁いてはならない。性期は神に属する。裁く人はその裁きによって裁かれる。
<なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり>
「裁く κρίνω クリノー」は「根拠もなしに他人の行いを非難する判断をいう」。(「バルバロ訳 注」)
ラテン語 iudicare は「裁く、判決を下す、宣告をする」である。
「裁く κρίνετε」は「κρίνω クリノー」の現在命令法 vmpa–2p で、習慣的に人を裁き、うかがい見ること。
「人を審くな」は人が個人的な裁きを意味する。裁判などの公的な裁きを否定するものではない。私的な制裁を行う者は、いつしか、同じ制裁を受けることになる。
† 心のデボーション
「なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり」 マタイ7:1 大正文語訳聖書
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」 新共同訳聖書
「裁く」
「裁く κρίνω クリノー」は「判断する、意見である、裁判する、裁く、審判する、判定する、分離する、別々にする、分ける、区別する、識別する」こと。人は「裁く」とき、相手を自分から「分離し」、自分とは「分け、区別」する。どのような理由によっても、その存在ゆえに人を自分から「分離」することは許されない。人が何者であるかを断定するとき、彼は自らを「神」としている。
† 心のデボーション
「なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり」 マタイ7:1 大正文語訳聖書
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」 新共同訳聖書
「無関心」
裁かれないように、一切人に近づかない人もいる。だが、それは一種の無関心に逃げこむことであり、その無関心が裁かれるだろう。
「人に近づく」ことは、「裁き」と無縁にはできない。裁かずして人に近づき、彼によって自らを知れ。
† 心のデボーション
「なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり」 マタイ7:1 大正文語訳聖書
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」 新共同訳聖書
「最悪の物語」
人について想像することの大半は事実ではない。相手を想像することは間違いではない。ただ、想像を事実と断定することが間違いを招くのだ。人は常に「物語」を創って相手を理解する。自分によい「物語」も、悪い「物語」も、事実からのものでないかぎり「最悪の物語」であることにかわりはない。
† 心のデボーション
「なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり」 マタイ7:1 大正文語訳聖書
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」 新共同訳聖書
「人を是非することなかれ、さらば汝らも是非せられじ」 ラゲ訳聖書
「人を審くな」
「人を審くな」はラゲ訳では「人を是非することなかれ」である。「人のよしあしの判断をするな」という。
もし、私が人のよしあしを判断しないなら、神も私のよしあしを判断されない。
† 心のデボーション
「汝ら人を視て審判(さばき)すべからず小き者にも大なる者にも聽(きく)べし人の面(おもて)を懼(おそ)るべからず審判(さばき)は神の事なればなり汝らにおいて斷定(さだめ)がたき事は我に持きたれ我これを聽(きか)ん」 申命記1:17 明治元訳聖書
「裁判に当たって、偏り見ることがあってはならない。身分の上下を問わず、等しく事情を聞くべきである。人の顔色をうかがってはならない。裁判は神に属することだからである。事件があなたたちの手に負えない場合は、わたしのところに持って来なさい。わたしが聞くであろう」
「断定しがたきこと」
「人の面(おもて)を懼(おそ)れず」、「小き者にも大なる者にも聽(きく)」、人だけが裁くことができる。しかし、人を偏り見ることをしない人は、人を裁くこともしない。「斷定(さだめ)がたき事」があれば、神に委ねよ。
† 心のデボーション
「なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり」 マタイ7:1 大正文語訳聖書
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」 新共同訳聖書
「裁きを持ち込まない」
「裁く」には「分ける、運ぶ」という意味がある。物事を区別し、一方を選び、他方を退ける。人は裁かずに生きることはできない。この言葉を考えるには、心に裁きを持ち込まないことからはじめる必要がある。まず、自分を裁かないことである。人生が成功か失敗か、意味があったかなかったかという区別を持ち込まないことである。私が私になれたら、自然に他人を裁くことをしなくなる。
† 心のデボーション
「なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり」 マタイ7:1 大正文語訳聖書
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」 新共同訳聖書
「人を裁くな」
「裁く」には「分ける、運ぶ」という意味がある。物事を区別し、一方を選び、他方を退ける。人は裁かずに生きることはできない。この言葉を考えるには、心に裁きを持ち込まないことからはじめる必要がある。まず、自分を裁かないことである。人生が成功か失敗か、意味があったかなかったかという区別を持ち込まないことである。私が私になれたら、自然に他人を裁くことをしなくなる。
(†心のデボーション01258)
† 細き聲 説教
「裁き」
「なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり」 マタイ7:1 大正文語訳聖書
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」 新共同訳聖書
「審く κρίνω クリノー」は「判断する、判定する、分離する、別々にする、分ける、区別する、識別する」で、人を有罪と判断することである、
人は「裁く」とき、相手を自分から「分離し」、自分とは「分け、区別」する。
人が人を裁くときにはそれなりの理由もある。しかし、人の行動は多くの側面をもつもので裁きの根拠はその一部に過ぎない、
それにもかかわらず、人が何者であるかを断定するとき、彼は自らを「神」としている。
人を裁く人はその言葉によって自らも裁かれる。
箴言はいう。
「お前は自分の口の言葉によって罠に陥り、お前の口の言葉によって捕らえられたなら、」箴言6:2フランシスコ会訳聖書
「裁き」は罠をしかけて人を有罪にする。しかし、罠をしかけたつもりがその罠にかかってしまう。
すべての「裁き」は神に委ねよ。神が裁かれる。
「主は主を試みない者に見出され、不信を抱かない者にご自身を現わされる」 知恵の書2:1 フランシスコ会訳聖書
(皆川誠)
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