マタイによる福音書6章11節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「祈り」 マタイ6:5~15

マタイ6:5~15

Matt.6:11わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.6:11

【漢訳聖書】
Matt.6:11 我儕所需之糧、今日賜我。

【明治元訳】
Matt.6:11 我儕(われら)の日用(にちよう)の糧(かて)を今日(けふ)も與(あたへ)たまへ

【大正文語訳】
Matt.6:11 我らの日用の糧を今日も与え給え。

【ラゲ訳】
Matt.6:11 我等の日用の糧を今日我等に與へ給へ。

【口語訳】
Matt.6:11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。

【新改訳改訂3】
Matt.6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

【新共同訳】
Matt.6:11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

【バルバロ訳】
Matt.6:11 日ごとのパンを今日も与えてください。

【フランシスコ会訳】
Matt.6:11 今日の糧を今日お与えください。

【日本正教会訳】
Matt.6:11 我が日用の糧を今日我等に與へ給へ、

【塚本虎二訳】
Matt.6:11 その日の食べ物をきょうも、わたしたちに戴かせてください。

【前田護郎訳】
Matt.6:11 われらのその日の糧(かて)をきょうもお与えください。

【永井直治訳】
Matt.6:11 我等のパン、無くてならぬ物を、今日我等に與へ給へ。

【詳訳聖書】
Matt.6:11 私たちの日々のパンをきょうも私たちに与えてください。

† 聖書引照 Matt.6:11

Matt.6:11 我らの日用の糧を今日も与え給え。

[我らの日用の糧を今日も与え給え]  マタ4:4; 出エ16:16~35; ヨブ23:12; 詩篇33:18,19; 34:10; 箴言30:8; イザ33:16; ルカ11:3; ヨハ6:31; etc.; Ⅱテサ3:12; Ⅰテモ6:8

† ギリシャ語聖書 Matt.6:11

Stephens 1550 Textus Receptus
τον αρτον ημων τον επιουσιον δος ημιν σημερον

Scrivener 1894 Textus Receptus
τον αρτον ημων τον επιουσιον δος ημιν σημερον

Byzantine Majority
τον αρτον ημων τον επιουσιον δος ημιν σημερον

Alexandrian
τον αρτον ημων τον επιουσιον δος ημιν σημερον

Hort and Westcott
τον αρτον ημων τον επιουσιον δος ημιν σημερον

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.6:11

τὸν ἄρτον ἡμῶν τὸν ἐπιούσιον δὸς ἡμῖν σήμερον

† ヘブライ語聖書 Matt.6:11

Matt.6:11

אֶת לֶחֶם חֻקֵּנוּ תֵּן לָנוּ הַיּוֹם

† ラテン語聖書 Matt.6:11

Latin Vulgate
Matt.6:11

Panem nostrum supersubstantialem da nobis hodie.
Give us this day our life-sustaining bread.

~ The word ‘super’ in Latin is sometimes used to refer to remaining alive (above ground). The word ‘substantialem’ refers to what is essential or necessary. So supersubstantialem refers to what is necessary to sustain life, in this case, spiritual life.

† 私訳(詳訳)Matt.6:11

【私訳】 「わたしたちの日ごとの<明日必要な、次の日のための、毎日の、どうしても必要な>パンを、今日わたしに与えてください」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.6:11

τὸν ἄρτον ἡμῶν τὸν ἐπιούσιον δὸς ἡμῖν σήμερον

【わたしたちに必要なパン】 原文「明日に必要なわたしたちのパンを」

【私たちの】 ἡμῶν ἐγώ エゴー  egō {eg-o‘} (npg-1p 代名詞・属1複)

1)私 2)わたし

G1473  ἐγώ A primary pronoun of the first person, “I” (only expressed when emphatic): – I, me. For the other cases and the plural see 1691 1698 1700 2248 2249 2254 2257 etc.  Internet Sacred Text Archive)

【日ごとの】 ἐπιούσιον  ἐπιούσιος  エピウーシオス  epiousios {ep-ee-oo‘-see-os} (a–am-s 形容詞・対男単)

1)次の日の為の、明日必要な、明日の、翌日の、来る日の 2)毎日の、日ごとの 3)どうしても必要な

(G1967  ἐπιούσιος Perhaps from the same as 1966 to-morrow‘s; but more probably from 1909 and a derivative of the present participle feminine of 1510 for subsistence, that is, needful: – daily. Internet Sacred Text Archive)

マタ6:11;  ルカ11:3

【糧を】 ἄρτον  ἄρτος  アルトス  artos {ar‘-tos} (n-am-s 名詞・対男単)

1)パン、厚さ2センチくらいの円形のパン 2)パンの一塊 3)食物

(G740  ἄρτος From 142 bread (as raised) or a loaf: – (shew-) bread, loaf.  Internet Sacred Text Archive)

マタ4:3,4; 7:9; 12:4; 14:17,19; 15:26,33,34,36; 16:5,7,8,9,10,11,12; 26;26;  マル2:26; 6:37,38,41,44,52; 7:27; 8:4,5,6,14,16,17,19,14:22 etc.

【今日】 σήμερον σήμερον  セーメロン  sēmeron {say‘-mer-on} (ab 副詞)

アッチカ語 τήμερον

1)今日 2)きょう

(G4594 σήμερον Neuter (as adverb) of a presumed compound of the article 3588 (“tau” changed to “sigma”) and 2250 on the (that is, thisday (or night current or just passed); genitively now (that is, at presenthitherto): – this (to-) day.  Internet Sacred Text Archive)

マタ6:11,30; 11:23; 16:3; 21:28; 27:19;  マル14:30;  ルカ2:11; 4:21; 5:26; 12:28; 13:32,33; 19:5,9; 22:34,61: 23:43 etc.

【私に】 ἡμῖν  ἐγώ エゴー  egō {eg-o‘} (npd-1p 代名詞・与1複)

1)私 2)わたし

(G1473  ἐγώ A primary pronoun of the first person, “I” (only expressed when emphatic): – I, me. For the other cases and the plural see 1691 1698 1700 2248 2249 2254 2257 etc.  Internet Sacred Text Archive)

【与えてください】 δὸς  δίδωμι  ディドーミ  didōmi {did‘-o-mee} (vmaa–2s 動詞・命・2アオ・能・2単)

1)与える、あげる、差し出す、提供する、分け与える、賜う、施す、支払う 2)捧げる、供える、提供する、授ける、賜る 3)ゆだねる、渡す、許す、かなえる、置く

(G1325 δίδωμι A prolonged form of a primary verb (which is used as an alternate in most of the tenses); to give (used in a very wide application, properly or by implication, literally or figuratively; greatly modified by the connection): – adventure, bestow, bring forth, commit, deliver (up), give, grant, hinder, make, minister, number, offer, have power, put, receive, set, shew, smite (+ with the hand), strike (+ with the palm of the hand), suffer, take, utter, yield. Internet Sacred Text Archive)

† 英語訳聖書 Matt.6:11

King James Version
6:11 Give us this day our daily bread.

New King James Version
6:11 Give us this day our daily bread.

American Standard Version
6:11 Give us this day our daily bread.

New International Version
6:11 Give us today our daily bread.

Bible in Basic English
6:11 Give us this day bread for our needs.

Today’s English Version
6:11 Give us today the food we need.

Darby’s English Translation
6:11 give us to-day our needed bread,

Douay Rheims
6:11 Give us this day our supersubstantial bread.

Noah Webster Bible
6:11 Give us this day our daily bread.

Weymouth New Testament
6:11 give us to-day our bread for the day;

World English Bible
6:11 Give us this day our daily bread.

Young’s Literal Translation
6:11 ‘Our appointed bread give us to-day.

Amplified Bible
6:11 ‘Give us this day our [f]daily bread.

Footnotes:
[f]I.e. life’s essentials.

† 細き聲 聖書研究ノート

<我らの日用の糧を今日も与え給え>

「日用の糧」は次の日のためにどうしても必要なパンである。明日のいのちの糧を今日祈れ。

<我らの日用の糧を今日も与え給え>

「糧」は「ἄρτος  アルトス」で「厚さ2センチくらいの円形のパン」である。「明日食べるパン」を「今日」のうちに与えてくださいと祈る。「明日食べるパン」は今日のうちに練って寝かせ、翌日焼かなければならなかった。「明日」に必要なものは「今日」の営みに含まれる事柄である。

<明日なくてならぬもの>

「明日なくてならぬもの」が今日のうちに準備されることは神の祝福による。この祝福のうちに生きよ。

<日毎の糧>

「日毎の糧 ἐπιούσιος  エピウーシオス」は「来ようとしている日の、明日」に「生存のための、生きていくためにどうしても必要な糧」の意味である。(新改訳 欄外 「あすのための糧」「必要な糧」) 聖書にはここのみに見られる珍しいことばである。

「日ごとの糧」(新改訳)、「日ごとの食物」(口語訳)、「必要な糧」(新共同訳)、「日用の糧」(文語訳)、「必要なパン」(岩波訳、柳生訳)、「無くてはならぬもの」(永井訳)、「その日の食べ物」(塚本訳)、「きょうのかて、日々のかて」(フランシスコ会訳) 等と訳される。

† 心のデボーション

「我らの日用の糧を今日も与え給え」 マタイ6:11 大正文語訳聖書

「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」 新共同訳聖書

「日用の糧」

「糧 ἄρτος  アルトス」は単に食料を意味しない。来ようとしている日に必要なもののすべてである。ヨハネの福音書では、「天からのまことのパン」(ヨハネ6:32) であり、「世にいのちを与えるもの」(ヨハネ6:33)であり、イエスが「わたしがいのちパンです」(ヨハネ6:34)と宣言された「パン」も「糧 ἄρτος  アルトス」である。

† 心のデボーション

「我らの日用の糧を今日も与え給え」 マタイ6:11 大正文語訳聖書

「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」 新共同訳聖書

「その日を生きる」

この祈りをささげる者は「来ようとしている」のが、どういう日かを知っていなければならない。さらに、その日を生きるのに必要なものが今この時、自分に欠けていることを知る者でなければならない。

来ようとしている日のために、その日を生きる為に今日求めなければならないものがある。その日になってからでは間に合わない。祈りは問いかけである。真の問いかけはすべてを含む。問うことによって明日を知り、明日を知ることによって今日を知る。

† 心のデボーション

「我らの日用の糧を今日も与え給え」 マタイ6:11 大正文語訳聖書

「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」 新共同訳聖書

「お祈りは?」

家内の妹が病気で入院し、2歳になる娘を一ヶ月あずかった。子のない我が家では台風の直撃を受けたようで右往左往した。退院した妹に娘を返したが、「食事をするときに、娘が『お祈りは?』と聞かれる」との報告があった。クリスチャンではない妹の家で食事の祈りの習慣がなかったからである。

2歳になる嵐のような子でも、「祈り」を覚えて帰宅できたのはよかった。

† 心のデボーション

「我らの日用の糧を今日も与え給え」 マタイ6:11 大正文語訳聖書

「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」 新共同訳聖書

「今日は今日だけ」

「必要以上のものを求めるのではない。今日一日分だけを願うのです。今日は今日だけ」 (藤井武『信仰生活』)

† 心のデボーション

「我らの日用の糧を今日も与え給え」 マタイ6:11 大正文語訳聖書

「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」 新共同訳聖書

「無くてならぬ物」

永井訳聖書は「日用の糧」を「我等のパン、無くてならぬ物」と訳す。「日用の糧」への祈りは「無くてならぬ」すべての物は神からのものであることを告白する祈りである。

三度の食卓に着く毎に、魂の糧のために祈れ。

† 心のデボーション

「我らの日用の糧を今日も与え給え」 マタイ6:11 大正文語訳聖書

「今日の糧を今日お与えください」 フランシスコ会訳聖書

「うましもの」

「日記 diary」の語源はラテン語「dicendum(食物や給料の)日々の割り当て」の意味で、その記録が「日記」である。

主からの「日々の諸手当」を記録したい。その「うましもの」に驚く。

(†心のデボーション00563)

† 心のデボーション

「我らの日用の糧を今日もあたへ給へ」 マタイ6:11 大正文語訳聖書

「我等の日用の糧を今日我等に與へ給へ」 ラゲ訳聖書

「日用の糧」

困ったことは「さらっと通り抜けちまう」のが良い。ちょっとした辛抱で問題のあらかたは解決するものだ。困ったことがおきた時にも「日ごとの糧を今日お与えください」という祈りをわすれないことだ。困ったことも神の下さる「日用の糧」なのだ。食べてしまえば元気にもなれる。

(†心のデボーション00690)

† 細き聲 説教

「貧しからしめず富ましめず」

「我らの日用の糧を今日もあたへ給へ」 マタイ6:11 大正文語訳聖書

「我等の日用の糧を今日我等に與へ給へ」 ラゲ訳聖書

イエスの時代にもユダヤ人の食生活は大麦のパンにレンズ豆やそら豆などを添えるだけの質素なものであった。

肉は特別の時に食べられる御馳走だった。

どんなに粗末な食料でも、すべては神から与えられたものとして感謝していただくのがユダヤ人の信仰であった。

「二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。」 箴言30:7~9 新改訳聖書

箴言は「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください」と祈る。

それは、
「私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないため」
「私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないため」
「私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないため」である。
そのために神が私に「定められた分の食物」(「我等のパン、無くてならぬ物」マタイ6:11  永井直治訳聖書)で「私を養ってください」と祈るのである。

「我らの日用の糧を今日もあたへ給へ」

「糧 ἄρτος  アルトス」は単に食料を意味しない。来ようとしている日に必要なもののすべてである。

ヨハネの福音書では、「天からのまことのパン」(6:32) であり、「世にいのちを与えるもの」(6:33)であり、イエスが「わたしがいのちパンです」(6:34)と宣言された「パン」も「糧 ἄρτος  アルトス」である。

「日用の糧」への祈りは「無くてならぬ」すべての物は神からのものであることを告白する祈りである。

三度の食卓に着く毎に、魂の糧のために祈れ。

(皆川誠)

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