† 福音書縦観 「祈り」 マタイ6:5~15
マタイ6:5~15
マタイ6:5~15
Matt.6:9だから、あなたがたはこう祈りなさい、
天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.6:9
【漢訳聖書】
Matt.6:9 故爾祈禱、當如是云、我父在天、願爾名聖、
【明治元訳】
Matt.6:9 然(され)ば爾曹(なんぢら)かく祈(いの)るべし天(てん)に在(まし)ます我儕(われら)の父(ちち)よ願(ねがは)くは爾名(みな)を尊崇(あがめ)させ給(たま)へ
【大正文語訳】
Matt.6:9 この故に汝らは斯く祈れ。「天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を。
【ラゲ訳】
Matt.6:9 然れば汝等斯く祈るべし。天に在す我等の父よ、願はくは御名の聖と為られん事を、
【口語訳】
Matt.6:9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
【新改訳改訂3】
Matt.6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
【新共同訳】
Matt.6:9 だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。
【バルバロ訳】
Matt.6:9 あなたがたはこう祈るがよ、(天にましますわれらの父よ、み名が聖とせられますように。
【フランシスコ会訳】
Matt.6:9 だから、あなたがたはこう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、み名が尊まれますように。
【日本正教会訳】
Matt.6:9 故に爾等是くの如く禱(いの)れ。天に在す我等の父よ、願はくは爾の名は聖とせられ、
【塚本虎二訳】
Matt.6:9 だからあなた達は、このように祈りなさい。──、わたしたちの天のお父様、お名前がきよまりますように。
【前田護郎訳】
Matt.6:9 それゆえあなた方は次のように祈りなさい。天にいますわれらの父上、あなたのみ名が聖められますように。
【永井直治訳】
Matt.6:9 是の故に汝等はかく祈れ。天に〔おはす〕我等の父よ、御名の聖められ給はんことを。
【詳訳聖書】
Matt.6:9 それで、次のように祈りなさい、天にいます私たちの父よ、あなたのみ名が崇められますように<あくまで聖なるものでありますように>。
† 聖書引照 Matt.6:9
Matt. 6:9 この故に汝らは斯く祈れ。「天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を。
[この故に汝らは斯く祈れ] ルカ11:1,2
[天にいます] マタ23:9; Ⅱ歴代20:6; 詩篇115:3; イザ57:15; 66:1
[我らの父よ] マタ6:1,6,14; 5:16,48; 7:11; 10:29; 26:29,42; イザ63:16; 64:8; ルカ15:18,21; ヨハ20:17; ロマ1:7; 8:15; ガラ1:1; 4:6; Ⅰペテ1:17
[願はくは御名の崇められん事を] レビ10:3; Ⅱサム7:26; Ⅰ列王8:43; Ⅰ歴代17:24; ネヘ9:5; 詩篇72:18; 111:9; イザ6:3; 37:20; エゼ36:23; 38:23; ハバ2:14; ゼカ14:9; マラ1:11; ルカ2:14; 11:2; Ⅰテモ6:16; レビ4:11; 5:12
† ギリシャ語聖書 Matt.6:9
Stephens 1550 Textus Receptus
ουτως ουν προσευχεσθε υμεις πατερ ημων ο εν τοις ουρανοις αγιασθητω το ονομα σου
Scrivener 1894 Textus Receptus
ουτως ουν προσευχεσθε υμεις πατερ ημων ο εν τοις ουρανοις αγιασθητω το ονομα σου
Byzantine Majority
ουτως ουν προσευχεσθε υμεις πατερ ημων ο εν τοις ουρανοις αγιασθητω το ονομα σου
Alexandrian
ουτως ουν προσευχεσθε υμεις πατερ ημων ο εν τοις ουρανοις αγιασθητω το ονομα σου
Hort and Westcott
ουτως ουν προσευχεσθε υμεις πατερ ημων ο εν τοις ουρανοις αγιασθητω το ονομα σου
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.6:9
Οὕτως οὖν προσεύχεσθε ὑμεῖς Πάτερ ἡμῶν ὁ ἐν τοῖς οὐρανοῖς, ἁγιασθήτω τὸ ὄνομά σου
† ヘブライ語聖書 Matt.6:9
Matt.6:9
לָכֵן כָּךְ הִתְפַּלְּלוּ אַתֶּם
אָבִינוּ שֶׁבַּשָּׁמַיִם, יִתְקַדֵּשׁ שִׁמְךָ
† ラテン語聖書 Matt. 6:9
Latin Vulgate
Matt.6:9
Sic ergo vos orabitis: Pater noster, qui es in cælis: sanctificetur nomen tuum.
Therefore, you shall pray in this way: Our Father, who is in heaven: May your name be kept holy.
† 私訳(詳訳)Matt.6:9
【私訳】 「だから、あなたがたはこのように祈り<願い>なさい。『天に〔います〕私たちの父よ、あなたの名が聖別され<崇められ、神聖なものと認められ、清められ>ますように』」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.6:9
Οὕτως οὖν προσεύχεσθε ὑμεῖς Πάτερ ἡμῶν ὁ ἐν τοῖς οὐρανοῖς, ἁγιασθήτω τὸ ὄνομά σου
【だから】 οὖν οὖν ウーン oun {oon} (ch 接続詞・完等)
1)それで、それから、それゆえ、そうゆうわけで、故に、さて、ところで、そこで 2)そのように、実際に、確かに、いずれにしても、とにかく 3)だから、その理由で、そんなわけで 4)すると、それでは
(G3767 οὖν Apparently a primary word; (adverbially) certainly, or (conjugationally) accordingly: – and (so, truly), but, now (then), so (likewise then), then, therefore, verily, wherefore. Internet Sacred Text Archive)
【あなた方は】 ὑμεῖς \ σύ スゆ sou {soo} (npn-2p 代名詞・主2複)
1)あなた 2)汝 3)君
(G4771 σύ The personal pronoun of the second person singular; thou: – thou. See also 4571 4671 4675 and for the plur. 5209 5210 5213 5216. Internet Sacred Text Archive)
【このように】 Οὕτως οὕτω フートー houtō {hoo‘-to} (ab 副詞)
1)次のように、このように、それ程に、こういう風にして 2)さあ、ぐずぐずせずに 3)そこで、かくて 4)それ故、だから 5)それほど、非常に
(G3779 οὕτω Or, before a vowel, οὕτως houtōs hoo‘-toce . From 3778 in this way (referring to what precedes or follows): – after that, after (in) this manner, as, even (so), for all that, like (-wise), no more, on this fashion (-wise), so (in like manner), thus, what. Internet Sacred Text Archive)
【祈りなさい】 προσεύχεσθε προσεύχομαι プロセウこマイ proseuchomai {pros-yoo‘-khom-ahee} (vmpn–2p 動詞・命・現・能欠・2複)
< πρός + εύχομαι 祈る、願う
1)祈る、祈祷する、祈りをする、祈りをささげる 2)願う
(G4336 προσεύχομαι From 4314 and 2172 to pray to God, that is, supplicate, worship: – pray (X earnestly, for), make prayer. Internet Sacred Text Archive)
マタ5:44; 6:5,6,7,9; 14:23; 19:13; 24:20; 26:36,39,41,42,44; マル1:35; 6:46; 11:24;,25; 12:40; 13:18; 14:32,35,38; 14:39 etc.
【天】 οὐρανοῖς οὐρανός ウーラノス ouranos {oo-ran-os‘} (n-dm-p 名詞・与男複)
1)空、大空、蒼穹、丸天井 2)天の、天にある、天、天界 3)神の座、神のいますところ、神のみ住まい 4)王権 5)宇宙
ユダヤ人は天が幾層もあると考えた
(G3772 οὐρανός Perhaps from the same as 3735 (through the idea of elevation); the sky; by extension heaven (as the abode of God); by implication happiness, power, eternity; specifically the Gospel (Christianity): – air, heaven ([-ly]), sky. Internet Sacred Text Archive)
マタ3:2,17; 5:35,48; 6:9,20,26; 7:11; 24:29; マル1:11; 13:25; 16:19; ルカ2:1311:13; 12:33; 15:18; 24:51; ヨハ1:51 etc.
【におられる】 ἐν ἐν エン en {en} (pd 前置詞・属)
1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に
(G1722 ἐν A primary preposition denoting (fixed) position (in place, time or state), and (by implication) instrumentality (medially or constructively), that is, a relation of rest (intermediate between 1519 and 1537 ; “in”, at, (up-) on, by, etc.: – about, after, against, + almost, X altogether, among, X as, at, before, between, (here-) by (+ all means), for (. . . sake of), + give self wholly to, (here-) in (-to, -wardly), X mightily, (because) of, (up-) on, [open-] ly, X outwardly, one, X quickly, X shortly, [speedi-] ly, X that, X there (-in, -on), through (-out), (un-) to(-ward), under, when, where (-with), while, with (-in). Often used in compounds, with substantially the same import; rarely with verbs of motion, and then not to indicate direction, except (elliptically) by a separate (and different) prep. Internet Sacred Text Archive)
【わたしたちの】 ἡμῶν ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npg-1p 代名詞・属1複)
1)私 2)わたし
(G1473 ἐγώ A primary pronoun of the first person, “I” (only expressed when emphatic): – I, me. For the other cases and the plural see 1691 1698 1700 2248 2249 2254 2257 etc. Internet Sacred Text Archive)
【父よ】 Πάτερ πατήρ パテール patēr {pat-ayr‘} (n-vm-s 名詞・呼男単)
1)父、父親、おとうさん 2)(複数)祖先、祖父、創始者、元祖 3)(複数)両親 4)父なる神
(G3962 πατήρ Apparently a primary word; a “father” (literally or figuratively, near or more remote): – father, parent. Internet Sacred Text Archive)
マタ2:22; 5:48: 6:8,9,32; 7:21; 10:37; 11:25; 18:10; 23:9; 25:34; マル10:7; 11:25; 14:36; ルカ 2:49; 6:36; 10:21; 11:2; 12:30,31; 14:26; 15:12; 16:24; 22:42; 23:34,46 etc.
【あなたの】 σου σύ スゆ sou {soo} (npg-2s 代名詞・属2単)
1)あなた 2)汝 3)君
(G4771 σύ The personal pronoun of the second person singular; thou: – thou. See also 4571 4671 4675 and for the plur. 5209 5210 5213 5216. Internet Sacred Text Archive)
【御名が】 ὄνομά ὄνομα オノマ onoma {on‘-om-ah} (n-nn-s 名詞・主中単)
1)名前、名、名称 2)人数 3)本人、人間、人格 4)名声 5)名目、口実 6)語、用語、術語
(G3686 ὄνομα From a presumed derivative of the base of 1097 (compare 3685 ; a “name” (literally or figuratively), (authority, character): – called, (+ sur-) name (-d). Internet Sacred Text Archive)
マタ1:21; 10:2; マル3:16; 14:32; ルカ1:5,26; ヨハ1:6; 3:1; 使徒13:8; 黙示21:14 etc.
【崇められますように】 ἁγιασθήτω ἁγιάζω ハギアゾー hagiazō {hag-ee-ad‘-zo} (vmap–3s 動詞・命1アオ・受・3単)
1)崇める、神聖なものと認める、聖別する 2)清める、神聖にする 3)奉献する、犠牲を献げる
(G37 ἁγιάζω From 40 to make holy, that is, (ceremonially) purify or consecrate; (mentally) to venerate: – hallow, be holy, sanctify. Internet Sacred Text Archive)
マタ6:9; ルカ11:2; Ⅰペテ3:15
† 英語訳聖書 Matt.6:9
King James Version
6:9 After this manner therefore pray ye: Our Father which art in heaven, Hallowed be thy name.
New King James Version
6:9 “In this manner, therefore, pray:Our Father in heaven,Hallowed be Your name.
American Standard Version
6:9 After this manner therefore pray ye. Our Father who art in heaven, Hallowed be thy name.
New International Version
6:9 ”This, then, is how you should pray: “`Our Father in heaven, hallowed be your name,
Bible in Basic English
6:9 Let this then be your prayer: Our Father in heaven, may your name be kept holy.
Today’s English Version
6:9 This, then, is how you should pray: /”Our Father in heaven: /May your holy name be honored;
Darby’s English Translation
6:9 Thus therefore pray ye: Our Father who art in the heavens, let thy name be sanctified,
Douay Rheims
6:9 Thus therefore shall you pray: Our Father who art in heaven, hallowed be thy name.
Noah Webster Bible
6:9 After this manner therefore pray ye: Our Father who art in heaven, Hallowed be thy name.
Weymouth New Testament
6:9 ‘In this manner therefore pray: ‘Our Father who art in Heaven, may Thy name be kept holy;
World English Bible
6:9 Pray like this. ‘Our Father, who is in heaven, may your name be kept holy.
Young’s Literal Translation
6:9 thus therefore pray ye: ‘Our Father who art in the heavens! hallowed be Thy name.
Amplified Bible
6:9 “Pray, then, [b]in this way:
‘Our Father who is in heaven,
[c]Hallowed be Your name.
Footnotes:
[b]I.e. as a model or pattern.
[c]I.e. set apart, keep and treat as holy, revere.
† 細き聲 聖書研究ノート
<この故に汝らは斯く祈れ。「天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を>
マタイ6:9~13は、イエスが弟子たちに教えられた「祈り」で、「主の祈り」である。祈りは「主の御名の崇められること」に始まる。
<主の祈り>
マタイ6:9~13は「主の祈り」(ギリシャ語 Κυριακή προσευχή ラテン語: Oratio Dominica)として、教会の礼拝で必ず唱えられる。日本正教会では「天主經 てんしゅけい)と呼ばれる。
<主の祈り キリシタン訳>
「どちり な ・きりしたん」 ( バチカン 本 ) 。
「ぱあてるのすてるのおらしょ」 [Paternosterの Oratlo] という表題のもとに,「主情交」が 載っている。
てん(天) にましますわれらが 国おや おん 親),
御名(みな)をたつとまれたま へ,
御代(みよ)きたりたま へ 。
てん(天)にお ひてご おんた一での 〔おぼしめす〕ままなるごとく
ち(地)にお ひ てもあ らせたま へ 。
われらが日々(にちにち)の御(おん)やしな ひ を今日(こんにち)
われらにあ たへた まへ 。
われら人にゆるし 申 (も うす)ごとく
われらがとがをゆるしたま へ 。
われらをてん た さんに
はなし 玉(たま)ふ事なかれ。
我等を げぅあ く(凶悪)よ りのがしたま へ 。 あ めん。
(吉 田 聖 「新口語訳「主の祈り」について 比較言語的並びに 教父神学的観点からの 一考察」より)
<天にいます我らの父よ>
神は「天 οὐρανός ウーラノス」に在まし、「天」は「神の座」である。神の臨在は「天」にあり、消滅することなく「私」にある。神は「天にいます」、それゆえに人は「地に」あって「天」を仰ぎ生きることができる。
<御名の崇められん事を>
「ヱホバの名は聖にしてあがむべきなり」 詩篇111:9 明治元訳聖書
「神よわれら汝にかんしやす われら感謝すなんぢの名はちかく坐せばなり もろもろの人はなんぢの奇しき事跡をかたりあへり」 詩篇75:1 明治元訳
「名(みな)をいつくしむ者にもなんぢによりて歓喜(よろこび)をえしめたまへ」 詩篇5:11 明治元訳聖書
神の御名に力あり、その名は神ご自身である。
文語訳聖書は神の名を「エホバ」と訳している。ユダヤ人は聖書に神の名 יהוה を見ると発音することを避けた。その爲、 יהוה の読み方がわからなくなり、神の名である「アドナイ」の発音記号をつけて「エホバ」と読んだところから来ている。その後、 יהוה (神聖四文字 テトラグラマトン)はヤーヴェであろうとの説が有力である。
(「細き聲 聖書研究」では文語訳聖書を多く使用し、「エホバ」と訳されるままに引用している。「エホバの証人」とは全く関わりはない)
「崇める ἁγιάζω ハギアゾー」は「神聖なものと認める、聖別する、清める」の意味である。
「汝等わが名を瀆すべからず我はかへつてイスラエルの子孫の中に聖者とあらはるべきなり我はヱホバにして汝
らを聖くする者」 レビ記22:32 明治元訳
<主の祈りの教会>
オリーブ山を登ったところに「Church of the Pater Noster 主の祈りの教会」がある。ローマ皇帝コンスタンチヌスの母ヘレナが建てさせたとされる。教会内には世界四十六ケ国の言葉で書いた主の祈りの壁面タイルが飾られている。日本語文は礼拝堂正面の左側にあるが、目立たないので探さないと読めない。
† 心のデボーション
「この故に汝らは斯く祈れ。『天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を』」 マタイ6:9 大正文語訳聖書
「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように』 新共同訳聖書
「神の御名を崇める」
「名 ὄνομα オノマ」はそのあらわすところの全体を指す。
「神の御名を崇める」は「神の神たることの全体を崇める」こと。その時、そこに人の人たる全体が現れる。人の人たることが否定される状況は最も礼拝に遠い。
† 心のデボーション
「この故に汝らは斯く祈れ。『天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を』」 マタイ6:9 大正文語訳聖書
「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように』 新共同訳聖書
「パライゾ(天国)」
上田世昭氏によると、長崎県の五島列島の福江島の「かくれ切支丹」の調査から、聖母マリアの像が産土神(うぶすなのかみ)を祀る神社本殿に祀られていたことが確認されている。さらに、十七世紀の古文書には、オランショ(祈祷の言葉)が書きとめられ、「パライゾ(天国)にましますイカズチノカミ」と記されているという。「イカズチノカミ」は神道の神である。(上田世昭『日本人の心』)
日本人の信仰は、常にこの経験を経ることになる。そこを飛ばして「父なる神」にたどりつくことができない。
「天にいますわれらの父よ」という祈りは、繰り返し私の心を探るのである。
† 心のデボーション
「この故に汝らは斯く祈れ。『天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を』」 マタイ6:9 大正文語訳聖書
「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように』 新共同訳聖書
「アンジェラスの鐘」
長崎市の浦上天守堂には二つの望楼にそれぞれフランス製の鐘があったが、原爆で望楼は倒壊し、二つの鐘は壊れたと思われたが、片方の鐘だけはほぼ無傷で掘り起こされ、再建された浦上天守堂の右側の望楼で「アンジェラスの鐘」として鳴り続けている。天主堂のそばには倒壊した望楼がそのままの状態で保存されている。
「アンジェラスの鐘」は直径1m、高さ85㎝、重量約600㎏で、側面には十字架のキリストが浮き彫りにされている。鐘は一日、朝5:30、昼12:00、夕6:00の三回鳴らされる。
「アンジェラス」は ラテン語 Angelus Domini 「主の御使い」の意味で、「お告げの鐘」と呼ばれ、朝、昼、夕の祈りの時刻を告げるものである。
「アンジェラスの鐘」は歌謡曲「長崎の鐘」のモデルになり、人類の平和への祈りのシンボルとなった。天使は「祈り」のために一日に三回時を告げるのである。
(教会の鐘は祈りの時を告げるだけでなく、葬儀を知らせる鐘としても鳴らされる。葬儀のミサの後、霊柩車が教会の玄関を離れるとき、死者との別れをおしんで小さく響く。ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の「鐘」は葬儀を告げる教会の鐘である)
† 心のデボーション
「この故に汝らは斯く祈れ。『天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を』」 マタイ6:9 大正文語訳聖書
「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように』 新共同訳聖書
「祈りかつ働け」
「ora et labora 祈りかつ働け」はカトリック教会最古の修道会であるベネディクト会のモットーとされたものである。「ora」は「祈る」、「labora」は「働く」で、「labora」の綴りに「ora」が含まれており、「勤労の中に祈りがある」ことを示す。活動の底に祈りがある。
「確かに、審判の日の来る時に、私共の尋ねられるのは、何を読んだかでなくして、何を為したかである」(トマス・アケンピス『基督のまなび』)
† 心のデボーション
「この故に汝らは斯く祈れ。『天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を』」 マタイ6:9 大正文語訳聖書
「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように』 新共同訳聖書
「御名の崇められる」
「願はくは御名の崇められん事を」の「崇める ἁγιάζω ハギアゾー」には「大きくする」の意味もある。「御名の崇められる」は、神の御名が自分のうちで「大きくなる」ことである。
† 心のデボーション
「この故に汝らは斯く祈れ。『天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を』」 マタイ6:9 大正文語訳聖書
「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように』 新共同訳聖書
「最上のわざ」
「最上のわざ」 ヘルマン・ホイヴェルス>
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順に、平静におのれの十字架をになう
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見つけても妬まず
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役たたずとも
親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後の磨きをかける
まことの故郷へ行くために
おのれをこの世につなぐくさりを少しづつ
はずしていくのは、真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば
それを謙遜に承諾するのだ。
神は最後に一番よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「子よ、わが友よ、われ汝を見捨てじ」と。
(「最上のわざ」は上智大学学長を務めたヘルマン・ホイヴェルス神父(1890-1977)が、ドイツに帰国後、南ドイツの友人から贈られた詩。 『人生の秋に』春秋社、1969年 土居健郎、森田明 編、『ホイヴェルス神父 日本人への贈り物』、春秋社、1996年 に、この詩が載せられている)
† 心のデボーション
「この故に汝らは斯く祈れ。『天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を』」 マタイ6:9 大正文語訳聖書
「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように』 新共同訳聖書
「主よ来たり給え」
「祈り」は「アーメン」で終わる。
『十二使徒の教え』(『ディダケー(教え)Didach,』)にある「感謝の祈り」は「マラナタ・アーメン」となっている。ギリシャ語で「μαράν ἀθά 主は来られた」の意味である。パウロはコリントの信徒への挨拶にこの言葉を口にしている。Ⅰコリント16:22 「μαράνα θα 主よ、来てください」。
祈りはすべて、「マラナタ 主よ来たり給え」をもって終わるものである。
† 細き聲 説教
「この故に汝らは斯く祈れ。『天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を』」 マタイ6:9 大正文語訳聖書
「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように』 新共同訳聖書
「天にまします我らの神よ」と祈る人は、もう隠れることができません。
天が地の上にあって、あらゆるものを明らかにするように、私たちは「隠れた所にいまし、隠れたことを見ておられる」神の前で祈るのです。
問題はすべての隠されたことをご覧になる神の御名が崇められているかどうかです。
人ではなく、まず、自分が隠れたことをご覧下さる神を「崇める」ことが出来ているかどうかです。「隠れたこと」にまで神の御存在が崇められているでしょうか。
一人として、隠れた所に居まして隠れたことを見られる神の光を喜ぶことの出来る人はいません。
しかし、それで正しいのです。信仰はそれに気づくことにはじまる経験からです。
私たちは「祈り」の冒頭に、まず、祈りにふさわしくない自分に気づかされます。
イエスは「こう祈りなさい」と語られます。
自分にすら「隠されている」ものを、祈りは明らかにします。そのことが「神の御名が崇められる」ことなのです。「隠されていることがら」に神の光に照らされ、御心がなされるとき、いのちが新しくされ、人は真に生きる者とされます。
(皆川誠)
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