† 福音書対観 「無抵抗」 マタイ5:38~42
マタイ5:38~42
マタイ5:38~42
5:38『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 5:39しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。 5:40あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。 5:41もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。 5:42求める者には与え、借りようとする者を断るな。口語訳聖書
† 福音書縦観 「無抵抗」 マタイ5:38~42
マタイ5:38~42
マタイ5:38~42
Matt.5:38『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
Matt.5:39しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
Matt.5:40あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
Matt.5:41もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。
Matt.5:42求める者には与え、借りようとする者を断るな。
口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.5:38
【漢訳聖書】
Matt.5:38 爾聞有言、以目償目、以齒償齒。
【明治元訳】
Matt.5:38 目(め)にて目(め)を償(つくの)ひ齒(は)にて齒(は)を償(つくの)へと言(いへ)ること有(ある)は爾曹(なんぢら)が聞(きき)し所(ところ)なり
【大正文語訳】
Matt.5:38 「目には目を、齒には齒を」と云へることあるを汝ら聞けり。
【ラゲ訳】
Matt.5:38 又「目にて目を[償ひ]、歯にて歯を[償ふべし]」と云はれしは汝等の聞ける所なり。
【口語訳】
Matt.5:38 『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
【新改訳改訂3】
Matt.5:38 『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
【新共同訳】
Matt.5:38 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
【バルバロ訳】
Matt.5:38 また、知ってのとおり、<目には目を、歯には歯を>と教えられた。
【フランシスコ会訳】
Matt.5:38 『目には目を、歯には歯を』と命じられたのを、あなたがたは聞いている。
【日本正教会訳】
Matt.5:38 爾等言へるあるを聞けり、目を以て目を償(つくの)ひ、齒を以て齒を償(つくの)へと。
【塚本虎二訳】
Matt.5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)“目には目、歯には歯”──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
【前田護郎訳】
Matt.5:38 あなた方が聞いたようにこういわれている、『目には目、歯には歯』と。
【永井直治訳】
Matt.5:38 目には目を、また齒には齒を、と謂はれしことを汝等聞けり。
【詳訳聖書】
Matt.5:38 目には目で、歯に歯で、と言われたことをあなたたちは聞いている。
† 聖書引照 Matt.5:38
Matt.5:38 「目には目を、齒には齒を」と云へることあるを汝ら聞けり。
「目には目を、齒には齒を」と云へることあるを汝ら聞けり] 出エ21:22~27; レビ24:19,20; 申命19:19
† ギリシャ語聖書 Matt.5:38
Stephens 1550 Textus Receptus
ηκουσατε οτι ερρεθη οφθαλμον αντι οφθαλμου και οδοντα αντι οδοντος
Scrivener 1894 Textus Receptus
ηκουσατε οτι ερρεθη οφθαλμον αντι οφθαλμου και οδοντα αντι οδοντος
Byzantine Majority
ηκουσατε οτι ερρεθη οφθαλμον αντι οφθαλμου και οδοντα αντι οδοντος
Alexandrian
ηκουσατε οτι ερρεθη οφθαλμον αντι οφθαλμου και οδοντα αντι οδοντος
Hort and Westcott
ηκουσατε οτι ερρεθη οφθαλμον αντι οφθαλμου και οδοντα αντι οδοντος
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.5:38
᾽Ηκούσατε ὅτι ἐρρέθη, ᾽Οφθαλμὸν ἀντὶ ὀφθαλμοῦ καὶ ὀδόντα ἀντὶ ὀδόντος.
† ヘブライ語聖書 Matt.5:38
Matt.5:38
שְׁמַעְתֶּם כִּי נֶאֱמַר עַיִן תַּחַת עַיִן, שֵׁן תַּחַת שֵׁן
† ラテン語聖書 Matt.5:38
Latin Vulgate
Matt.5:38
Audistis quia dictum est: Oculum pro oculo, et dentem pro dente.
You have heard that it was said: ‘An eye for an eye, and a tooth for a tooth.’
† 私訳(詳訳)Matt.5:38
【私訳】 「『目<視力、視界、理解力、心の目>には<交換して、代償として、報いとして>目を、また、歯<歯、牙>には<交換して、代償として、報いとして>歯を』と命じられた<告げられた、語られた>のをあなたがたは聞いている<聞く、傾聴している、伝え聞いている、聞き従っている、理解している>」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.5:38
᾽Ηκούσατε ὅτι ἐρρέθη, ᾽Οφθαλμὸν ἀντὶ ὀφθαλμοῦ καὶ ὀδόντα ἀντὶ ὀδόντος.
【目】 ᾽Οφθαλμὸν ὀφθαλμός オふたるモス ophthalmos {of-thal-mos‘} (n-am-s 名詞・対男単)
1)目、眼 2)視力、視界 3)眼のように大切なもの、すばらしいもの 4)理解力、心の目 5) 芽
(G3788 ὀφθαλμός From 3700 the eye (literally or figuratively); by implication vision; figuratively envy (from the jealous side glance): – eye, sight. Internet Sacred Text Archive)
マタ5:29,38; 6:22,23; 7:3,4,5; 9:29,30; 13:15,16; 17:8; 18:9; 20:15,33; 21:42; 26:43; マル8:18,25; 9:47; 12:11; 14:40 etc.
【には】 ἀντὶ ἀντί アンティ anti {an-tee‘} (pg 前置詞・属)
1)の代わりに、に代わって、~のために、ゆえに 2)~と交換して、~の代償として、~の報いとして 3)反対、相互、敵対、報い
(G473 ἀντί A primary particle; opposite, that is, instead or because of (rarely in addition to): – for, in the room of. Often used in composition to denote contrast, requital, substitution, correspondence, etc. Internet Sacred Text Archive)
マタ2:22; 5:38; 17:27; 20:28; マル10:45; ルカ1:20; 11:11; 12:3; 19:44; ヨハ1:16 etc.
【目】 ὀφθαλμοῦ ὀφθαλμός オふたるモス ophthalmos {of-thal-mos‘} (n-gm-s 名詞・属男単)
1)目、眼 2)視力、視界 3)眼のように大切なもの、すばらしいもの 4)理解力、心の目 5) 芽
(G3788 ὀφθαλμός From 3700 the eye (literally or figuratively); by implication vision; figuratively envy (from the jealous side glance): – eye, sight. Internet Sacred Text Archive)
マタ5:29,38; 6:22,23; 7:3,4,5; 9:29,30; 13:15,16; 17:8; 18:9; 20:15,33; 21:42; 26:43; マル8:18,25; 9:47; 12:11; 14:40 etc.
【そして】 καὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【歯】 ὀδόντα ὀδούς オドウス odous {od-ooce} (n-am-s 名詞・対男単)
1)歯 2)牙 3)歯状のもの
(G3599 ὀδούς Perhaps from the base of 2068 a “tooth”: – tooth. Internet Sacred Text Archive)
マタ5:38; 8:12; マル9:18; 使徒7:54; 黙示9:8
【には】ἀντὶ ἀντί アンティ anti {an-tee‘} (pg 前置詞・属)
1)の代わりに、に代わって、~のために、ゆえに 2)~と交換して、~の代償として、~の報いとして 3)反対、相互、敵対、報い
(G473 ἀντί A primary particle; opposite, that is, instead or because of (rarely in addition to): – for, in the room of. Often used in composition to denote contrast, requital, substitution, correspondence, etc. Internet Sacred Text Archive)
マタ2:22; 5:38; 17:27; 20:28; マル10:45; ルカ1:20; 11:11; 12:3; 19:44; ヨハ1:16 etc.
【歯】 ὀδόντος. ὀδούς オドウス odous {od-ooce} (n-gm-s 名詞・属男単)
1)歯 2)牙 3)歯状のもの
(G3599 ὀδούς Perhaps from the base of 2068 a “tooth”: – tooth. Internet Sacred Text Archive)
マタ5:38; 8:12; マル9:18; 使徒7:54; 黙示9:8
【と】 ὅτι ὅτι ホティ hoti {hot‘-ee} (ch 接続詞・完)
1)~ということ 2)なぜなら~だから、というのは~だから、すなわち 3)~であるから 4)というのは
(G3754 ὅτι Neuter of 3748 as conjugation; demonstrative that (sometimes redundant); causatively because: – as concerning that, as though, because (that), for (that), how (that), (in) that, though, why. Internet Sacred Text Archive)
【命じられているのを】 ἐρρέθη εἶπον エイポン eipon {i‘-pon} (viap–3s 動詞・直・1アオ・受・3)
1)言う、話す、語る、告げる、言いあらわす、述べる、呼ぶ 2)命じる、願う、尋ねる 3)~と呼ぶ、称する 4)語られたこと、言葉、発言、発話、話の内容 5)出来事
(λέω 「言う」の受動態) 「言われている」
(G2036 ἔπω A primary verb (used only in the definite past tense, the others being borrowed from 2046 4483 and 5346 ; to speak or say (by word or writting): – answer, bid, bring word, call, command, grant, say (on), speak, tell. Compare 3004. Internet Sacred Text Archive)
【あなたがたも聞いている】 ᾽Ηκούσατε ἀκούω アクーオー akouō {ak-oo‘-o} (viaa–2p 動詞・直・1アオ・能・2)
1)聞く、傾聴する、伝え聞く 2)耳に入る、知らせを受け取る、聞こえる 3)耳を傾ける、聞き従う、理解する 4)~と呼ばれる
(G191 ἀκούω A primary verb; to hear (in various senses): – give (in the) audience (of), come (to the ears), ([shall]) hear (-er, -ken), be noised, be reported, understand. Internet Sacred Text Archive)
マタ2:3,9; 7:24; 13:15; 17:5; マル7:14; 8:18; ルカ2:46; 5:1; 7:22; 8:18; 9:35; 19:48; 20:45; ヨハ5:24; 9:31; 使徒3:22; 4:19; 12:13; 13:16; 15:12; 22:1; ロマ10:17; ガラ3:2,5; etc.
† 英語訳聖書 Matt.5:38
King James Version
5:38 Ye have heard that it hath been said, An eye for an eye, and a tooth for a tooth:
New King James Version
5:38 “You have heard that it was said, ‘An eye for an eye and a tooth for a tooth.’
American Standard Version
5:38 Ye have heard that it was said, An eye for an eye, and a tooth for a tooth:
New International Version
5:38 “You have heard that it was said, `Eye for eye, and tooth for tooth.’
Bible in Basic English
5:38 You have knowledge that it was said, An eye for an eye, and a tooth for a tooth:
Today’s English Version
5:38 “You have heard that it was said, “An eye for an eye, and a tooth for a tooth.’
Darby’s English Translation
5:38 Ye have heard that it has been said, Eye for eye and tooth for tooth.
Douay Rheims
5:38 You have heard that it hath been said, An eye for an eye, and a tooth for a tooth.
Noah Webster Bible
5:38 Ye have heard that it hath been said, An eye for an eye, and a tooth for a tooth.
Weymouth New Testament
5:38 ‘You have heard that it was said, ‘Eye for eye, tooth for tooth.’
World English Bible
5:38 You have heard that it was said, ‘An eye for an eye, and a tooth for a tooth.’
Young’s Literal Translation
5:38 ‘Ye heard that it was said: Eye for eye, and tooth for tooth;
Amplified Bible
5:38 “You have heard that it was said, ‘An eye for an eye, and a tooth for a tooth [punishment that fits the offense].’
† 細き聲 聖書研究ノート
<目には目を、齒には齒を」と云へることあるを汝ら聞けり>
「目には目を、歯には歯を」は同態復讐法として古代バビロニアのハンムラビ法典に見られる。旧約聖書には出エジプト記21:23~25、レビ記24:19~20、申命記19:21に定められている。
<目には目を、歯には歯を>
出エジプト21:23~25 レビ24:19~20 申命19:21 参照
「目には目を、歯には歯を」は犯罪に対する審判に認められたもので、目を打たれたら目、歯を折られたら歯をもって償う。私的な復讐を許したものではない。
<バビロニアのハンムラビ法典>
古代バビロニアのハンムラビ法典に「目には目」の同態復讐法が見られる。それによると家が倒壊して息子が死んだ場合、その家を建てた大工ではなく大工の息子が殺されなければならなかった。旧約聖書はハンムラビ法典と同じではなく、犯罪に対する審判の原則としてこれを定め、イスラエル人だけでなく寄留民にも同じ審判を適用した。審判が同胞に手心を加え、寄留民に厳格に過ぎない為であった。イエスの時代にイスラエル人は「目には目」の原則が個人に拡大され、個人的復讐が認められていた。
† 心のデボーション
「汝らの爲し得るかぎり力めて凡ての人と相和(あひやはら)げ。愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり」 ロマ12:18~19 大正文語訳聖書
「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復習してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」 新改訳聖書
「目には目、歯には歯」
聖書の「目には目、歯には歯」は、ハンムラビ法典の定めと同じではない。
聖書の原則はロマ12:18~20にある。「爲し得るかぎり力めて凡ての人と相和(あひやはら)ぐ」ことであり、「神の怒に任せ」て「自ら復讐しない」ことである。
ただ、アブラハムのように「なんぢ斯の如く爲て義者と惡者と倶(とも)に殺すが如きは是あるまじき事なり又義者と惡者を均等するが如きもあるまじき事なり天下を鞫(さば)く者は公儀(ただしき)を行ふ可(べき)にあらずや」 創世記18:25 明治元訳聖書 と神に祈るのである。
† 細き聲 説教
「目には目、歯には歯」
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」 マタイ5:38~42 新共同訳聖書
2012年3月11日、東日本大震災がおき、福島第一原発事故が発生した。二つの災害は現在も進行中で、終息の目安も立っていない。原発事故については複数の事故調査委員会によって検証がなされ、その中のある委員会は人災であるとの見解を公表した。しかし、「誰が、どのように責任を負うのか」というところに踏み込むことはできていない。
現代における出来事はすべて「私」と緊密に結びついている。したがって、あらゆる出来事は自分を問うことなしには語れない。責任を問う者がすでに加害者なのであり、問うことは問われることに他ならない。
私たちは問われることが怖い。そのことが日本では「責任」を追求する力が弱く、遂にはものごとがすべて無責任の暗い淵の中に投げ込まれ、時とともに底に沈んでいく理由かもしれない。
1945年8月6日、アメリカ軍は広島に原子爆弾を落とし、8月9日長崎に二つ目の原子爆弾を投下した。そして、2012年3月、私たちは日本人の手で福島に三つ目の原子爆弾を落としたのではないかという思いを消すことができない。
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている」マタイ5:38
イエスは人間の「責任」について、「目には目を、歯には歯を」という律法を引用される。これは出エジプト21:23~25 レビ24:19~20 申命19:21に定められている。
もし、相手に何らかの損傷を与えた場合、「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない」(出エジプト記21:23~25)と決められている。
「目には目を、歯には歯を」は1902年、ペルシャで発見された高さ2mの石円柱に刻まれた282条からなる「ハムラビ法典」に見られる。現存する世界最古の法律で、メソポタミアの「同害復習法 Lex talionis」と呼ばれる。それによれば、大工の手落ちで家が倒壊し、その家の息子が死亡した場合、家を建てた大工ではなく、大工の息子が殺されなければならないと定められている(229~230条)。
倒壊の犠牲者となった子どものために、建物を建築した大工自身の責任を問うよりも、大工の子どもが犠牲となるというのは、理不尽な法律に思える。しかし、この「目には目を、歯には歯を」の法律は、大工に自分の仕事にどのような責任がともなうかを充分すぎるほどに自覚させただろう。自分の過失によって家が倒壊し犠牲者を出せば、失われたと同じだけの犠牲を家族で支払わなければならなかったのである。
旧約聖書における「目には目を、歯には歯を」の用法は、ハムラビ法典のそれとまったく同じではなく、聖書の律法の中でそれは理解されなければならない(紙面の都合から、ここではそのプロセスを省く)。
現代、ハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」は効力を失っている。しかし、それは人間の成熟によって克服されたのではない。むしろ、私たちはあらゆることに人間としての「責任」が無視される時代のなかで、個人に人間としての「責任」を新しく問う時代を向かえたのである。
しかし、イエスによれば、もし、人間が現在ハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」の精神をもって「責任」を自分に負ったとして、それで人間の「責任」が果たせたのではない。イエスは、「目には目を、歯には歯を」に引き続き、三つのたとえからその意味の深みを語られる。
1 「だれかが、あなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」
「右の頬を打つ rapizo- ラピゾー」は「rapis ラピス 棒」から来た言葉で「棒でなぐる、平手打ち」すること。「頬を打たれる」のは「棒で殴られる」程に痛い。原文に「左の頬」はなく、「もう一つを」である。「右」をやられたら「左」をむけもできようが、「左」から打たれたら何を向けたらよいのかという疑問は無用である。打たれたのがどちらでも「もう一つ」がある。
2 「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」
ここでイエスの言われるのは、泥棒に隠し金庫の金をも与えよということではない。「上着 himation ヒマティオン」はマントのような「衣服、着物、上衣」で、貧しい人々には夜の布団代わりになるもので、下着をとられても上衣さえあれば寝ることができた。そこでユダヤの法律は「上衣を質にとる場合には、日没までに返さなければならない」(出エジプト22:26,27)と定めていた。
ここに借金をしなければならなかった男がいる。彼は貧しく約束の時間までに返済ができなかった。そこで債権者は裁きに訴えて、法律に定められていない下着を取ろうとしたのである。借金をしたら、何よりも返済に務めなければならない。下着で間に合わなければ上衣も差し出すべきであるとイエスは言われる。
3 「だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい」
「強いる aggapeuo- アンガペウオー」の語源はペルシャ語「飛脚」を意味する「aggaros アンガロス」で、 ペルシャでは郵便制度が整い、騎馬伝令使は途中、馬でも舟でも人でも、強いて提供させることが認められ、彼らに「強いられ」たら従うことが義務づけられていた。
三つのたとえに共通するのは、責任として求められるものを差し出すだけでは足りず、「右の頬に対して左の頬」「下着に対して上着」「一ミリオンに対してもう一ミリオン」という「もう一つ」が語られていることである。
イエスが十字架を負われてゴルゴタの丘に向かわれた時、兵士はキレネ人シモン(キレネは北アフリカ、現在のリビアにあるギリシャの植民都市)という男に、イエスの十字架を「無理に」担がせた(マルコ15:21)。
シモンは「強いられて」、ゴルゴダの丘の処刑所までイエスの十字架を運んだ。兵士は「そこまでだ」とシモンに告げ、手荒くシモンを追いやった。しかし、シモンはその場から去ることはできなかったろう。「だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい」というイエスの言葉がシモンの心に響く。
「目には目」の復讐をもって、一ミリオン行き、さらに二ミリオンを歩くのではない。一ミリオン行き、自由な意志でさらなる一ミリオン歩けと言われるのである。
人間の負うべき「責任」は、「強いられて」から自由な意志で引き受ける「左の頬」「上着」「さらなる一ミリオン」となるのでなければならない。シモンは最初の「一ミリオン」でイエスの十字架を負い、次の「一ミリオン」でイエスが自分のために負われたことを知り、イエスと共に復活の道を歩んだのである。
(皆川誠)
コメント