† 福音書縦観 「地の塩・世の光」 マタイ5:13~16
マタイ5:13~16 マルコ9:49,50;4:21~23 ルカ14:34; 8:16; 11:33~36
マタイ5:13~16
Matt.5:14あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.5:14
【漢訳聖書】
Matt.5:14 爾乃世之光。建於山上之邑、必不能隱。
【明治元訳】
Matt.5:14 爾曹(なんぢら)は世(よ)の光(ひかり)なり山(やま)の上(うへ)に建(たて)られたる城(しろ)は隱(かくる)ることを得(え)ず
【大正文語訳】
Matt.5:14 汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし。
【ラゲ訳】
Matt.5:14 汝等は世の光なり。山の上に建てたる街は隠るること能はず。
【口語訳】
Matt.5:14 あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
【新改訳改訂3】
Matt.5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
【新共同訳】
Matt.5:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
【バルバロ訳】
Matt.5:14 あなたたちは世の光である。山の上にある町は隠せぬ。
【フランシスコ会訳】
Matt.5:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることはできない。
【日本正教会訳】
Matt.5:14 爾等は世の光なり、山の上に建てる邑は隱るゝ能はず。
【塚本虎二訳】
Matt.5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
【前田護郎訳】
Matt.5:14 あなた方は世の光である。山の上にある町は隠されえない。
【永井直治訳】
Matt.5:14 汝等は世の光なり。山の上に置かれたる市(まち)は隱るること能はず。
【詳訳聖書】
Matt.5:14 あなたたちは世の光である。丘の上に建てられた町は隠れることができない。
† 聖書引照 Matt.5:14
Matt.5:14 汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし。
[汝らは世の光なり] 箴言4:18; ヨハ5:35; 12:36; ロマ2:19,20; Ⅱコリ6:14; エペ5:8~14; ピリ2:15; Ⅰテサ5:5; 黙示1:20; 2:1
[山の上にある町は隱るることなし] 創世11:4~8; 黙示21:14; etc.
† ギリシャ語聖書 Matt.5:14
Stephens 1550 Textus Receptus
υμεις εστε το φως του κοσμου ου δυναται πολις κρυβηναι επανω ορους κειμενη
Scrivener 1894 Textus Receptus
υμεις εστε το φως του κοσμου ου δυναται πολις κρυβηναι επανω ορους κειμενη
Byzantine Majority
υμεις εστε το φως του κοσμου ου δυναται πολις κρυβηναι επανω ορους κειμενη
Alexandrian
υμεις εστε το φως του κοσμου ου δυναται πολις κρυβηναι επανω ορους κειμενη
Hort and Westcott
υμεις εστε το φως του κοσμου ου δυναται πολις κρυβηναι επανω ορους κειμενη
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.5:14
῾Υμεῖς ἐστε τὸ φῶς τοῦ κόσμου. οὐ δύναται πόλις κρυβῆναι ἐπάνω ὄρους κειμένη.
† ヘブライ語聖書 Matt.5:14
Matt.5:14
אַתֶּם אוֹר הָעוֹלָם. עִיר שׁוֹכֶנֶת עַל הַר אֵינָהּ יְכוֹלָה לְהִסָּתֵר
† ラテン語聖書 Matt.5:14
Latin Vulgate
Matt.5:14
Vos estis lux mundi. Non potest civitas abscondi supra montem posita.
You are the light of the world. A city set on a mountain cannot be hidden.
† 私訳(詳訳)Matt.5:14
【私訳】 「あなたがたは世<秩序ある世界、この世、世界、美しい世界>の光<あかり、灯火、理性、理解力>である。山の上にある<横たわる、建てられた、積まれた、築かれた>町は隠れる<覆う、隠す、覆い隠す、秘密にする、見過ごしにする>ことはできない」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.5:14
῾Υμεῖς ἐστε τὸ φῶς τοῦ κόσμου. οὐ δύναται πόλις κρυβῆναι ἐπάνω ὄρους κειμένη.
【あなた方は】 ῾Υμεῖς σύ スゆ sou {soo} (npn-2p 代名詞・主2複)
1)あなた 2)汝 3)君
(G4771 σύ The personal pronoun of the second person singular; thou: – thou. See also 4571 4671 4675 and for the plur. 5209 5210 5213 5216. Internet Sacred Text Archive)
【世の】 κόσμου κόσμος コスモス kosmos {kos‘-mos } (n-gm-s 名詞・属男単)
1)秩序ある世界、整然としていること、折り目正しさ、慎み深い、まっとうな 2)政治 3)飾り、美しさ、名誉、栄光 4)宇宙、天空、星 5)世界、この世
(G2889 κόσμος Probably from the base of 2865 orderly arrangement, that is, decoration; by implication the world (in a wide or narrow sense, including its inhabitants, literally or figuratively [morally]): – adorning, world. Internet Sacred Text Archive)
マタ4:8; 5:14; 18:7; 24:21; 25:34; ルカ11:50; 12:30; ヨハ1:9,10,29; 3:16,17,19; 4:42; 6:14,33,51; 7:4,7;8:12,23,26; 9:5,39; 10:36; 11:9,27; 12:19,25,31,46,47; 13:1; 14:17,19,22,27,30,31; 15:18,19;16:8,11,20,21,28,33; 17:5; 18:20,36,37 etc.
【光】 φῶς φῶς ふォース phōs {foce} (n-nn-s 名詞・主中単)
1)光、発光体 2)あかり、火、灯火 3)昼の光、日の出、光、発光体、天体 4)眼の光、心、理性、理解力
(G5457 φῶς From an obsolete φάω phaō (to shine or make manifest, especially by rays; compare 5316 and 5346 ; luminousness (in the widest application, natural or artificial, abstract or concrete, literal or figurative): – fire, light. Internet Sacred Text Archive)
マタ4:16; 5:14,16; 6:23; 17:2; ルカ2:32; 8:16; 11:35; 16:8 etc.
【である】 ἐστε εἰμί エイミ eimi {i-mee‘} (vipa–2p 動詞・直・現・能・2複)
1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている
(G1510 εἰμί First person singular present indicative; a prolonged form of a primary and defective verb; I exist (used only when emphatic): – am, have been, X it is I, was. See also 1488 1498 1511 1527 2258 2071 2070 2075 2076 2771 2468 5600. Internet Sacred Text Archive)
【山の上にある】 ἐπάνω ὄρους κειμένη
【山の】 ὄρους ὄρος オロス oros {or‘-os} (n-gn-s 名詞・属中単)
1)境界 2)国境 3)山、丘 4)限られた場所、限界、限度 5)境界の標柱、柵 6)基準
(G3735 ὄρος Probably a from an obsolete word ὄρω orō (to rise or “rear”; perhaps akin to 142 compare 3733 ; a mountain (as lifting itself above the plain): – hill, mount (-ain). Internet Sacred Text Archive)
マタ4:8; 5:1,14; 8:1; 14:23; 15:29; 17:1,9,20; 18:12; 21:1,21; 24:3,16; 26:30; 28:16; マル3:13; 5:5,11;6:46; 9:2,9; 11:1,23: 13:3,14: 14:26 etc.
【上に】 ἐπάνω ἐπάνω エパノー epanō {ep-an‘-o} (pg 前置詞・属)
1)の上に、上方に、上側に 2)以上に、越えて 3)以前に
(G1883 ἐπάνω From 1909 and 507 up above, that is, over or on (of place, amount, rank, etc.): – above, more than, (up-) on, over. Internet Sacred Text Archive)
【ある】 κειμένη\ κεῖμαι ケイマイ keimai {ki‘-mahee} (vppnnf-s 分詞・現能欠主女単)
1)置かれる、横たえる、横たわる、倒れている 2)積まれている 3)定められる、認められている
(G2749 κεῖμαι Middle voice of a primary verb; to lie outstretched (literally or figuratively): – be (appointed, laid up, made, set), lay, lie. Compare 5087. Internet Sacred Text Archive)
マタ3:10; 28:6; ルカ2:34; 3:9; ヨハ20:5,6,12; Ⅰコリ3:11; Ⅱコリ3:15;
【町は】 πόλις πόλις ポりス polis {pol‘-is} (n-nf-s 名詞・主女単)
1)城砦、都市、市、町、住民 2)都市国家、国家、自由都市 3)市民としての権利 4)天のエルサレム
(G4172 πόλις Probably from the same as 4171 or perhaps from 4183 a town (properly with walls, of greater or less size): – city. Internet Sacred Text Archive)
マタ2:23; 5:14; 8:33; 9:1,35; 10:5,11,14,15,23; 11:1,20; 12:25; 14:13; 22:7; 23:34; マル1:33,45; 5:14;6:33,56 etc.
【隠れることが】 κρυβῆναι κρύπτω クりゆプトー kruptō {kroop‘-to} (vnap 不定詞・2アオ・受)
1)覆う、隠す、覆い隠す 2)埋める、埋葬する 3)秘密にする、隠れる 4)見て見ぬふりをする
(G2928 κρύπτω A primary verb; to conceal (properly by covering): – hide (self), keep secret, secret [-ly]. Internet Sacred Text Archive)
マタ5:14; 13:35,44; ルカ18:34; 19:42; ヨハ8:59; 12:36; コロ3:3; Ⅰテサ5:25; 黙示2:17; 6:15 etc.
【~できない】 οὐ δύναται
【でき】 δύναται δύναμαι ドゆナマイ dunamai {doo‘-nam-ahee} (vipn–3s 動詞・直・現・能欠・3単)
1)力がある、可能な、能力がある 2)できる、し得る 3)生み出し得る 5)~をし得る、~することができる
(G1410 δύναμαι Of uncertain affinity; to be able or possible: – be able, can (do, + -not), could, may, might, be possible, be of power. Internet Sacred Text Archive)
マタ3:9; 6:27; 8:2; 9:15,28; 10:28; 12:29,34; 17:19; 19:12,25; 20:22; 26:9,61; マル1:40; 2:7;,19; 3:23; 4:32;,33; 5:3; 7:15;,18; 9:3;,28,39; 10:26,38,39; 14:5,7 etc.
【ない】 οὐ οὐ ウー ou {oo} (qn 不変化詞・否定)
1)否 2)~ない 3)~でない
(G3756 οὐ Also οὐκ ouk ook used before a vowel and οὐχ ouch ookh before an aspirate. A primary word; the absolutely negative (compare 3361 adverb; no or not: – + long, nay, neither, never, no (X man), none, [can-] not, + nothing, + special, un ([-worthy]), when, + without, + yet but. See also 3364 3372. Internet Sacred Text Archive)
† 英語訳聖書 Matt.5:14
King James Version
5:14 Ye are the light of the world. A city that is set on an hill cannot be hid.
New King James Version
5:14 “You are the light of the world. A city that is set on a hill cannot be hidden.
American Standard Version
5:14 Ye are the light of the world. A city set on a hill cannot be hid.
New International Version
5:14 “You are the light of the world. A city on a hill cannot be hidden.
Bible in Basic English
5:14 You are the light of the world. A town put on a hill may be seen by all.
Today’s English Version
5:14 “You are like light for the whole world. A city built on a hill cannot be hid.
Darby’s English Translation
5:14 Ye are the light of the world: a city situated on the top of a mountain cannot be hid.
Douay Rheims
5:14 You are the light of the world. A city seated on a mountain cannot be hid.
Noah Webster Bible
5:14 Ye are the light of the world. A city that is set on a hill cannot be hid.
Weymouth New Testament
5:14 *You* are the light of the world; a town cannot be hid if built on a hill-top.
World English Bible
5:14 You are the light of the world. A city set on a hill can’t be hid.
Young’s Literal Translation
5:14 ‘Ye are the light of the world, a city set upon a mount is not able to be hid;
Amplified Bible
5:14 “You are the light of [Christ to] the world. A city set on a hill cannot be hidden;
† 細き聲 聖書研究ノート
<汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし>
イエスの弟子は「地」にあっては「地の塩」であり、同時に「世の光」でなければならない。
<汝らは世の光なり>
「世 κόσμος コスモス 」は「秩序ある世界、整然としていること、折り目正しさ、慎み深い、まっとうな世界」を意味する。秩序ある「宇宙、天空、星、世界」も「世」と呼ばれる。
「光 φῶς ふォース 」は「発光体、あかり」を指し、「天体、光」だけでなく「心、理性、理解力」をも意味する。
イエスは弟子たちを「世の光」と呼ばれた。キリスト者は「秩序ある世界」を照らす「光(心、理性、理解力)」である。
<山の上にある町は隱るることなし>
当時の都市の多くは「テル tell」と呼ばれる「山の上」に築かれた。「テル tell」は人間の長期にわたる居住によって積み重ねられた丘である。テルはアラビア語で,イラン,アフガニスタンでは「テペ tepe」と呼ばれる。
小高いテル tell の上にある「町」は、夜の暗闇の中でも、家々の明かりが見え、「隠れること」はなかった。
キリスト者が「世の光」と言われるのは、「山の上にある町」のように、その存在を「隠す」ことが「できない、し得ない、その力がない」ことによる。信仰者は隠れることがない。たとえ彼が信仰を公にしなくとも、「山の上にある家から光が漏れ出る」ように、その存在が自ずから「光」として周囲を照らすのである。
† 心のデボーション
「視よ、われ戸の外に立ちて叩く、人もし我が聲を聞きて戸を開かば、我その内に入りて彼とともに食し、彼もまた我とともに食せん」 黙示録3:20 大正文語訳聖書
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事する」 新改訳聖書
「ホルマン・ハント」
ウイリアム・ホルマン・ハント(1827~1910)の描いた「世の光」では、夜中に王衣をまとい茨の冠をかぶったイエスが左手に燈火をかかげ、右手で戸を叩いている。戸は永い間開けられたことがなく、蔦が絡まっている。イエスの足元には雑草がたかく生い茂り、幾つかの林檎(アダムとエバの林檎)がころがっている。暗い空には蝙蝠が飛んでいる。閉ざされた戸は人の「心」である。「戸」には取っ手がない。そのことに気づいた人にハントは「描き忘れたのではなく、わざと描かなかったのだ。戸は人の心を表わしている。本人が内側から開かなければ、誰も、たとえ神様でも外から開くことはできない」と答えたという。
ハントは「世の光」の主題を黙示録3:20から得たと言われている。
ハントの「戸」は外の危険から身を守るのではなく、内の闇を守って光の侵入を拒むためにある。たとえ神様でも外から開くことはできない。
† 心のデボーション
「汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし」 マタイ5:14 大正文語訳聖書
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」 新共同訳聖書
「世の光」
「世の光」という表現は弟子たちにアレクサンドリア Ακεξάνδρεια にあるという巨大な「灯台」を思い浮かべたかもしれない。前280年、エジプトのアレクサンドリア港口のファロス島の東端に建設された高さ180メートルの石積みの灯台は巨大な鏡で光を反射し、ファロス島周辺を航行する船を危険な浅瀬や暗礁から守ったという。その光は56キロ離れた海岸から見られたという。灯台は14世紀に二度の地震で全壊し、1480年ごろ跡地に残骸を使ってカーイト・ベイ要塞が建設された。
しかし、イエスの「世の光」は世界に輝く灯台ではなく、夜の部屋をにぶく照らす「燭台」だった。キリスト者は、世を照らすアレクサンドリアの巨大灯台であるよりも、小さな家の灯であることを何よりも喜ぶ者である。
† 心のデボーション
「汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし」 マタイ5:14 大正文語訳聖書
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」 新共同訳聖書
「犀の角」
鶴見俊輔氏は、アーナンダ・クーマラスワミーの『ブッダ伝』からブッダの教えについて書いている。
「『汝自身を灯火(ともしび)とせよ。be a right to yourself』と。その当時は蝋燭(ろうそく)だよね。蝋燭の光みたいなものを、自分の中でともす。その光によって生きよ、と。そして、「犀のように一人で歩め walk alone like a rhinoceros」。犀といっても、二本の角を持つアフリカ犀と違ってインド犀の角は一本で、その中はぶよぶよとした肉で、お互いの闘争の武器ではありません。だから、喧嘩の道具としては役に立たないし、あまり闘わない。だが、体はでかいから、ほかからつっかかってこない。孤独のままずっと一人でのこのこ密林を歩いている。2500年前には、いまと違ってインドの森の中にたくさんいて孤独の歩みを続けていたらしい。それを釈迦牟尼は見ることがあって、ああいうふうに生きるのがいいというイメージを持ったんだ」(鶴見俊輔『かくれ仏教』)
ブッダの「灯火」は、人間自身の光で、「犀の角」のように密林をただ一人歩み行く。
† 心のデボーション
「汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし」 マタイ5:14 大正文語訳聖書
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」 新共同訳聖書
「朧(おぼろ)月夜」
小学校唱歌「朧(おぼろ)月夜」の歌詞2番では、「里わの火影も、森の色も 田中の小道を、たどる人も かわずの鳴く音も、鐘の音も さながらかすめる おぼろ月夜」と歌われる。夕暮れどきに、森は刻一刻と黒くなり、里のあたりの家々に明かりが灯り、灯火に照らされてできる影が朧月の中に浮かび上がる。「火影」が見せるのは、そこに暮らす人々の安らぎであろう。「火影」という「世の光」もある。
† 心のデボーション
「汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし」 マタイ5:14 大正文語訳聖書
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」 新共同訳聖書
「メノーラー」
ユダヤ人の会堂シナゴーグには中央の聖櫃の上にメノーラー menorah と呼ばれる7本に枝分かれした燭台が置かれ、消えることのない火がともされ、メノーラーの光は「ネール・タミード」と呼ばれた。ユダヤ人達は、その光の中で学び、祈りをした。メノーラーはエルサレムの神殿に立っていたもので、エルサレムの神殿が破壊された時にはローマ兵たちが略奪して運び出す様子がローマのティトゥス凱旋門に浮き彫りにされている。メノーラーは現在のイスラエルの国家紋章になっている(中央にメノーラーがあり周囲をオリーブの葉が囲む)。
略奪することも、消すこともできない光がある。
† 心のデボーション
「汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし」 マタイ5:14 大正文語訳聖書
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」 新共同訳聖書
「あるがまま」
「光」はあるがままにものを見る能力である。
† 心のデボーション
「汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし」 マタイ5:14 大正文語訳聖書
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」 新共同訳聖書
「山の上にある家の光」
英語で「山の上にある町 A town put on a hill」は「仰ぎ見るべき手本」の意味に用いられる。
「山の上にある家の光」にその自覚はない。
(†心のデボーション00936)
† 心のデボーション
「汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし」 マタイ5:14 大正文語訳聖書
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」 新共同訳聖書
「燈台もと暗し」
「燈台もと暗し」は「燈台人を照らし、己を照らさず」ともいうそうである。
「燈台は目立つところに立ちたがり」とでも言おうか。「燈台になる」のは難しい。
(心のデボーション01013)
† 細き聲 説教
「世の光」
「汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし」 マタイ5:14 大正文語訳聖書
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」 新共同訳聖書
イエスは弟子たちに、「地」にあっては「地の塩」であれと言われ、同時に「世の光」でなければならないと告げられた。
我々はこの地に溶け込むために、「世の光」と呼ばれる点に注目しなければならない。
光は塩とは正反対の意味をもつ。塩が物に溶け込んで効き目をはっきするが、光は高い所で物を照らす。物から離れて効き目を発揮する。
このように、イエスは「あなた方は地の塩、世の光である」と二つの言葉を同時に語られたのである。
アレクサンドリアの大灯台
「世の光」という表現は弟子たちにアレクサンドリア Ακεξάνδρεια にあるという巨大な「灯台」を思い浮かべたかもしれない。
前280年、エジプトのアレクサンドリア港口のファロス島の東端に建設された高さ180メートルの石積みの灯台は巨大な鏡で光を反射し、ファロス島周辺を航行する船を危険な浅瀬や暗礁から守ったという。その光は56キロ離れた海岸から見られたという。灯台は14世紀に二度の地震で全壊し、1480年ごろ跡地に残骸を使ってカーイト・ベイ要塞が建設された。
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」
誰もが「あなたがたは世の光である」の言葉に、アレクサンドリアの大灯台のように、海ゆく船の導きとなりたいと思わぬ者はいない。
しかし、それに続く「山の上にある町は、隠れることができない」という言葉は、「世の光」というイメージを大きく変える。
当時の都市の多くは「テル tell」と呼ばれる「山の上」に築かれた。「テル tell」は人間の長期にわたる居住によって積み重ねられた丘である。テルはアラビア語で,イラン,アフガニスタンでは「テペ tepe」と呼ばれる。
「山の上にある家」は、小高いテル tell の上に建てられた幾つかの家の中の「一軒の家」を指している。
ユダヤの家は6畳一間ほどの広さで、そこに家族と家畜が同居した。家の中の高い所に土の皿に少量の油を注いだ「灯」が夜通しほの暗く光を放っていた。
丘の上に建つ家に灯される「灯」は戸の隙間から漏れて、そこに家族が夜を過ごしていることが知れた。夜の暗闇の中でも、家々の小さな明かりが漏れ見えて、「隠れること」はなかった。
イエスが語られる「世の光」は世界を照らす大灯台ではなく、夜の部屋をにぶく照らすほどの小さな「燭台」だった。
「世の光」とは暮らしを照らす一皿の灯である。その光は何よりも「灯」の在りかを人に親しき者たちに知らせる。それは足元を照らす「道の光」である。
キリスト者は世に埋没してはいけない。又、世を超越してもならない。真に地の痛みを知る者は、自らのいのちの「光」をもって地を照らす者である。
(皆川誠)
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