† 福音書対観 「幸い」 マタイ5:3~12
マタイ5:3~12ルカ6:20~26
マタイ5:3~12
Matt.5:10義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.5:10
【漢訳聖書】
Matt.5:10 爲義而遭迫害者福矣、以天國乃其國也。
【明治元訳】
Matt.5:10 義(ただしき)ことの爲(ため)に責(せめ)らるる者(もの)は福(さいはひ)なり天國(てんこく)は即(すなは)ち其(その)人(ひと)の有(もの)なれば也(なり)
【大正文語訳】
Matt.5:10 幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり。
【ラゲ訳】
Matt.5:10 福なるかな義の為に迫害を忍ぶ人、天國は彼等の有なればなり。
【口語訳】
Matt.5:10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
【新改訳改訂3】
Matt.5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
【新共同訳】
Matt.5:10 義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
【バルバロ訳】
Matt.5:10 正義のために迫害される人は幸せである、天の国は彼らのものである。
【フランシスコ会訳】
Matt.5:10 義のために迫害される人は幸いである、天の国はその人のものだからである。
【日本正教会訳】
Matt.5:10 義の爲に窘逐(きんぢく)せらるゝ者は福(さいはひ)なり、天國は彼等の有(もの)なればなり。
【塚本虎二訳】
Matt.5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
【前田護郎訳】
Matt.5:10 さいわいなのは義のゆえに迫害される人々、天国は彼らのものであるから。
【永井直治訳】
Matt.5:10 福なるものは義のために迫害せらるる者〔なり〕。そは天國は彼等のものなればなり。
【詳訳聖書】
Matt.5:10 義のために<正しくあり、また正しい事を行うゆえに>迫害される者は祝福されている<幸福である<うらやましいほど幸いである<霊的に栄えている[すなわち、外側の状態にはかかわりなく神の愛顧と救いに喜びと満足を見いだす状態にある]>。なぜなら、天の国はその人たちのものだからである。
† 聖書引照 Matt.5:10
Matt.5:10 幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり。
[幸福なるかな、義のために責められたる者] マタ10:23; 詩篇37:12; マル10:30; ルカ6:22; 21:12; ヨハ15:20; 使徒5:40; 8:1; ロマ8:35~39; Ⅰコリ4:9~13; Ⅱコリ4:8~12,17; ピリ1:28; Ⅱテモ2:12; 3:11; ヤコ1:2~5; Ⅰペテ3:13,14; 4:12~16; Ⅰヨハ3:12; 黙示2:10
[天國はその人のものなり] マタ5:3; Ⅱテサ1:4-7; ヤコ1:12
† ギリシャ語聖書 Matt.5:10
Stephens 1550 Textus Receptus
μακαριοι οι δεδιωγμενοι ενεκεν δικαιοσυνης οτι αυτων εστιν η βασιλεια των ουρανων
Scrivener 1894 Textus Receptus
μακαριοι οι δεδιωγμενοι ενεκεν δικαιοσυνης οτι αυτων εστιν η βασιλεια των ουρανων
Byzantine Majority
μακαριοι οι δεδιωγμενοι ενεκεν δικαιοσυνης οτι αυτων εστιν η βασιλεια των ουρανων
Alexandrian
μακαριοι οι δεδιωγμενοι ενεκεν δικαιοσυνης οτι αυτων εστιν η βασιλεια των ουρανων
Hort and Westcott
μακαριοι οι δεδιωγμενοι ενεκεν δικαιοσυνης οτι αυτων εστιν η βασιλεια των ουρανων
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.5:10
μακάριοι οἱ δεδιωγμένοι ἕνεκεν δικαιοσύνης,ὅτι αὐτῶν ἐστιν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν.
† ヘブライ語聖書 Matt.5:10
Matt.5:10
אַשְׁרֵי הַנִּרְדָּפִים בִּגְלַל הַצֶּדֶק, כִּי לָהֶם מַלְכוּת הַשָּׁמַיִם
† ラテン語聖書 Matt.5:10
Latin Vulgate
Matt.5:10
Beati, qui persecutionem patiuntur propter iustitiam: quoniam ipsorum est regnum cælorum.
Blessed are those who endure persecution for the sake of justice, for theirs is the kingdom of heaven.
† 私訳(詳訳)Matt.5:10
【私訳】 「義<正義、公正、正しい、正直、神の目から見ての正しさ、信仰の義、神のことばによる義>のために迫害される<追い払われる、追跡される、狩り立てられる、責められる、告訴される>人々は幸い<羨ましい、祝福されている、幸福、至福>である、なぜなら、天の国<神の統治、支配>はその人たちのものである」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.5:10
μακάριοι οἱ δεδιωγμένοι ἕνεκεν δικαιοσύνης, ὅτι αὐτῶν ἐστιν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν.
【義】 δικαιοσύνης δικαιοσύνη ディカイオスゆネー dikaiosunē {dik-ah-yos-oo‘-nay} (n-gf-s 名詞・属女単)
1)義、正義、公正、正直、正しい 2)神の目から見て正しい、神に嘉納される義、神の義と合致してること、信仰の義 3)神のことばを守る
「δίκαιος 正しい」は元来 「δίκη 正義」を遵守する者の意味で、「δίκη 正義」はギリシャ神話のゼウスとテミスの娘で刑罰と復讐を司る正義の女神「Δίκη ディケー 正義」からきている。
(G1343 δικαιοσύνη From 1342 equity (of character or act); specifically (Christian) justification: – righteousness. Internet Sacred Text Archive)
マタ3:15; 5:6,10,20; 6:1,33; 21:32; ルカ1:75; ヨハ10:8,10; 使徒10:35; 13:10; 17:31; ロマ1:17;3:5,21,22,25,26; 4:3,5,6,9,11,13,22; 5:17,21; 6:13,16,18,19,20; 8:10; 9:30,31; 10:3,5,6; 14:17 etc.
【~のために】 ἕνεκεν ἕνεκα ヘネカ heneka {hen‘-ek-ah} (pg 前置詞・属)
1)~のために 2)~のゆえに 3)~にかんして 4)~に関する限り 5)~の結果 6)~により
(G1752 ἕνεκα Of uncertain affinity; on account of: – because, for (cause, sake), (where-) fore, by reason of, that. Internet Sacred Text Archive)
【迫害される】 δεδιωγμένοι διώκω ディオーコー diōkō {dee-o‘-ko} (vprpnm-p 分詞・完了受主男)
1)追い払う、追いかける、追い求める、追求する、追跡する、追う 2)狩り立てる、責める、迫害する 3)押し進める、突き進む 5)述べる、告訴する
(G1377 διώκω A prolonged (and causative) form of a primary verb δίω diō (to flee; compare the base of 1169 and 1249 ; to pursue (literally or figuratively); by implication to persecute: – ensue, follow (after), given to, (suffer) persecute (-ion), press toward. Internet Sacred Text Archive)
マタ5:10,11,12,44; 10:23; ルカ21:12; ヨハ5:16; 15:20 etc.
【幸いである】 Μακάριοι μακάριος マカリオス makarios {mak-ar‘-ee-os} (a–nm-p 形容詞・主男複)
< μακαρίζω 幸福と考える 幸福とみなす
1)祝福されるべき、羨むべき、幸福な、めぐまれた、幸いな、うらやむべき、至福の 2)ねえ君 3)幸多き者(内村鑑三)
ヘブル語の「幸い」は「אַשְׁרֵי ‘esher {eh’-sher} うまく行く、進む」である
「μακάριος マカリオス」は元来、不安、労働、死のない至福の状態を指す言葉。「μακαριτής マカリテース」は「祝福された者」で「最近死んだ者」を指す。聖書においては主に霊的な祝福に用いられる。
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
マタ5:2,3,4,5,6,7,8; 5:9,10,11; 11:6; 13:16; 16:17; 24:46; ルカ1:45; 6:20,21,22; 7:23; 10:23; 11:27,28;12:37,38,43; 14:14,15; 23:29; ヨハ13:17; 20:29 etc.
【なぜなら】 ὅτι ὅτι ホティ hoti {hot‘-ee} (ch 接続詞・完)
1)~ということ 2)なぜなら~だから、というのは~だから、すなわち 3)~であるから 4)というのは
(G3754 ὅτι Neuter of 3748 as conjugation; demonstrative that (sometimes redundant); causatively because: – as concerning that, as though, because (that), for (that), how (that), (in) that, though, why. Internet Sacred Text Archive)
【天の国は】 ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν
【天の】 οὐρανῶν οὐρανός ウーラノス ouranos {oo-ran-os‘} (n-gm-p 名詞・属男複)
1)空、大空、蒼穹、丸天井 2)天の、天にある、天、天界 3)神の座、神のいますところ、神のみ住まい 4)王権 5)宇宙
ユダヤ人は天が幾層もあると考えた
(G3772 οὐρανός Perhaps from the same as 3735 (through the idea of elevation); the sky; by extension heaven (as the abode of God); by implication happiness, power, eternity; specifically the Gospel (Christianity): – air, heaven ([-ly]), sky. Internet Sacred Text Archive)
マタ3:2,17; 5:35,48; 6:9,20,26; 7:11; 24:29; マル1:11; 13:25; 16:19; ルカ2:1311:13; 12:33; 15:18;24:51; ヨハ1:51 etc.
【国は】 βασιλεία βασιλεία バシれイア basileia {bas-il-i‘-ah} (n-nf-s 名詞・主女単)
1)統治、支配、王位、主権 2)王権、王国、王権
「天の国」は「神の支配」を意味する
(G932 βασιλεία From 935 properly royalty, that is, (abstractly) rule, or (concretely) a realm (literally or figuratively): – kingdom, + reign. Internet Sacred Text Archive)
マタ6:33; 12:25; 21:31; 24:7; 25:34; 26:29; マル1:15; 11:10; 13:8; 14:25; ルカ4:43; 9:62; 11:17;13:18;17:21: 18:29; 21:25 ヨハ3:3; 18:36 etc.
【その人たちの】 αὐτῶν αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npgn3p 代名詞・属男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848. Internet Sacred Text Archive)
【ものである】 ἐστιν εἰμί エイミ eimi {i-mee‘} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3単)
1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている
(G1510 εἰμί First person singular present indicative; a prolonged form of a primary and defective verb; I exist (used only when emphatic): – am, have been, X it is I, was. See also 1488 1498 1511 1527 2258 2071 2070 2075 2076 2771 2468 5600. Internet Sacred Text Archive)
† 英語訳聖書 Matt.5:10
King James Version
5:10 Blessed [are] they which are persecuted for righteousness’ sake: for theirs is the kingdom of heaven.
New King James Version
5:10 Blessed are those who are persecuted for righteousness’ sake,For theirs is the kingdom of heaven.
American Standard Version
5:10 Blessed are they that have been persecuted for righteousness’ sake: for theirs is the kingdom of heaven.
New International Version
5:10 Blessed are those who are persecuted because of righteousness, for theirs is the kingdom of heaven
Bible in Basic English
5:10 Happy are those who are attacked on account of righteousness: for the kingdom of heaven will be theirs.
Today’s English Version
5:10 “Happy are those who are persecuted because they do what God requires; /the Kingdom of heaven belongs to them!
Darby’s English Translation
5:10 Blessed they who are persecuted on account of righteousness, for theirs is the kingdom of the heavens.
Douay Rheims
5:10 Blessed are they that suffer persecution for justice’ sake: for theirs is the kingdom of heaven.
Noah Webster Bible
5:10 Blessed are they who are persecuted for righteousness’ sake: for theirs is the kingdom of heaven.
Weymouth New Testament
5:10 ‘Blessed are those who have borne persecution in the cause of Righteousness, for to them belongs the
Kingdom of the Heavens.
World English Bible
5:10 ‘Blessed are those who have been persecuted for righteousness’ sake, for theirs is the Kingdom of Heaven.
Young’s Literal Translation
5:10 ‘Happy those persecuted for righteousness’ sake — because theirs is the reign of the heavens.
Amplified Bible
5:10 “Blessed [comforted by inner peace and God’s love] are those who are persecuted for [c]doing that which is morally right, for theirs is the kingdom of heaven [both now and forever].
Footnotes:
[c]Lit the sake of righteousness.
† 細き聲 聖書研究ノート
<幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり>
マタイ5:3~12「九つの幸い」の第八は「義のために責められたる者」で、「天國はその人のもの」である。
<幸福なるかな、義のために責められたる者>
「義 δικαιοσύνη ディカイオスゆネー」は「神に嘉納される義」である。しばしば、この「正しさ」は迫害の対象になる。
「『責められたるものの』原文に、『くるしめられて今日に至るもの』との意義存す」(内村鑑三 『聖書注解全書8』)
「義しさのために人から悪まれ、排斥され、迫害された人、不義姦悪なるこの世が置くに堪へなくなった人」 (藤井武 『信仰生活』)
「迫害 διώκω ディオーコー」が幸いなのではない。迫害されるほどの「義」を見出せたことが幸いである。反対がすべて迫害なのではない。
<天國はその人のものな>
「天国」は「神の国」であり、神の御支配を意味する。
マタイはイエスに従う者が過酷な迫害の犠牲者になることを祝福しているのではない。イエスの復活の証人として地の果てにまで証人として生きることを「幸い」と呼ぶのである。
迫害の厳しさを数えるよりも、キリストの復活の生きた証者とされたことを喜べ。
† 心のデボーション
「幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり」 マタイ5:10 大正文語訳聖書
「義のために迫害される人は幸いである、天の国はその人のものだからである」 フランシスコ会訳聖書
「義のために責められる」
初代教会において、「義のために責められる」ことは、そのまま迫害、殉教を意味した。
人々はそれがいのちをかける信仰であれば、信じるに価するものであることを真剣に求めた。それによって彼らは信仰に出会った。
江戸時代、キリシタン禁止令により、日本の各地でキリシタン改めが行われ、多くのキリシタンが処刑され、その資料が残されている。岩手県一関市にある大籠(おおかご)キリシタン殉教公園はその一つである。
仙台藩のたたら製鉄をおこなう「炯屋(どうや)」を仕切っていた千葉土佐が、製鉄技術をもつ備中国の千松大八郎・小八郎兄弟を招いた。千松大八郎・小八郎兄弟がキリシタンで、この地に布教し、多くのキリシタンが生まれた。しかし、キリシタン改めにより、300人以上が打ち首、磔などにより処刑された。
カトリックでは、死後その徳と聖性を認められた信者を「福者(ふくしゃ Beatus)」という称号を与え、それを「列福」という。さらに「列聖」の調査があり「聖者」の称号が与えられることもある。(正教には「列福」「列聖」の区別がない)
† 心のデボーション
「幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり」 マタイ5:10 大正文語訳聖書
「義のために迫害される人は幸いである、天の国はその人のものだからである」 フランシスコ会訳聖書
「福なるかな義の為に迫害を忍ぶ人、天國は彼等の有なればなり」 ラゲ訳聖書
「迫害を忍ぶ人」
ラゲ訳聖書は「迫害を忍ぶ人」と訳す。「忍」という漢字は「刃」+「心」で、「ねばりつよく鍛えられた刀の刃のような心」の意味である。
その心はねばりつよく、折れない。
† 細き聲 説教
「義のために責められたる者」
「幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり」 マタイ5:10 大正文語訳聖書
「義のために迫害される人は幸いである、天の国はその人のものだからである」 フランシスコ会訳聖書
長崎市外海地区の黒崎に隠れキリシタンが秘かに守って来たキリシタン神社「枯松神社、通称枯松さん」があり、毎年11月に「枯松神社祭」が行われる。
ミサとともに「殉教の血潮に」が歌われる。
「殉教の血潮に 養われて 茨の道の 三百年 真の教え 守りつぎし 遠つみ先祖の 裔ぞわれらは…」
信仰は初代教会の時から殉教者の血潮によって現代に伝えられ、我らは「殉教の血潮に養われる」のである。
復活のイエスを目撃した弟子たちは「今こそ、イスラエルのために国を再興してくださる」と心躍らせた。しかり、イエスは弟子たちに「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります」と告げられる。(使徒1:6~8 新改訳聖書)
「証人 μάρτυς マルトゆス」は「証人、証言者、証人、目撃者」の意味であり、同時に「殉教者」を指す言葉となった。「証人 μάρτυς マルトゆス」は目撃したことをいのちをかけて証言する人のことであった。
マタイはイエスに従う者が過酷な迫害の犠牲者になることを祝福しているのではない。イエスの復活の証人として地の果てにまで証人として生きることを「幸い」と呼ぶのである。
迫害の厳しさを数えるよりも、キリストの復活の生きた証者とされたことを喜べ。
(皆川誠)
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