マタイによる福音書5章5節

マタイによる福音書
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
カテゴリーで絞込

† 福音書対観 「幸い」 マタイ5:3~12

マタイ5:3~12ルカ6:20~26
マタイ5:3~12

Matt.5:5柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.5:5

(ラゲ訳、バルバロ訳はマタイ5:5を4節に、5:4を5節に置く。本書では他の聖書に沿って、両聖書の位置を入れかえた)

【漢訳聖書】
Matt.5:5 溫柔者福矣、以其將得土也。

【明治元訳】
Matt.5:5 柔和(にうわ)なる者(もの)は福(さいはひ)なり其(その)人(ひと)は地(ち)を嗣(つぐ)ことを得(う)べければ也(なり)。

【大正文語訳】
Matt.5:5 幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。

【ラゲ訳】
Matt.5:5 福なるかな柔和なる人、彼等は地を得べければなり。

【口語訳】
Matt.5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。

【新改訳改訂3】
Matt.5:5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。

【新共同訳】
Matt.5:5 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。

【バルバロ訳】
Matt.5:5 柔和な人は幸せである、彼らは地をゆずり受けるであろう。

【フランシスコ会訳】
Matt.5:5 柔和な人は幸いである、その人は地を受け継ぐであろう。

【日本正教会訳】
Matt.5:5 温柔(をんじゅう)なる者は福(さいはひ)なり、彼等地を嗣(つ)がんとすればなり。

【塚本虎二訳】
Matt.5:5 ああ幸いだ、“(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、”、“(約束の)地(なる御国)を相続する”のはその人たちだから。

【前田護郎訳】
Matt.5:5 さいわいなのはくだかれた人々、彼らは地を継ごうから。

【永井直治訳】
Matt.5:5 福なる者は柔和なる者〔なり〕。そは彼等は地を嗣ぐべければなり。

【詳訳聖書】
Matt.5:5 柔和な者<穏やかな、忍耐強い、しんぼう強い人>は祝福されている<幸福である、喜悦にあふれ、喜びに満ち、霊的に栄えている[すなわち、外側の状態にはかかわりなく神の愛顧と救いに生命の喜びと満足を得ている]>。なぜなら、その人たちは地を受け継ぐからである。

† 聖書引照 Matt.5:5

Matt.5:5 幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。

[幸福なるかな、柔和なる者]  マタ11:29; 21:5; 民数12:3; 詩篇22:26; 25:9; 69:32; *marg:; 147:6; 149:4; イザ11:4; 29:19; 61:1; ゼパ2:3; ガラ5:23; エペ4:2; コロ3:12; Ⅰテモ6:11; Ⅱテモ2:25; テト3:2; ヤコ1:21; 3:13; Ⅰペテ3:4,15
[その人は地を嗣がん]  詩篇25:13; 37:9,11,22,29,34; イザ60:21; ロマ4:13

† ギリシャ語聖書 Matt.5:5

Stephens 1550 Textus Receptus
μακαριοι οι πραεις οτι αυτοι κληρονομησουσιν την γην

Scrivener 1894 Textus Receptus
μακαριοι οι πραεις οτι αυτοι κληρονομησουσιν την γην

Byzantine Majority
μακαριοι οι πραεις οτι αυτοι κληρονομησουσιν την γην

Alexandrian
μακαριοι οι πραεις οτι αυτοι κληρονομησουσιν την γην

Hort and Westcott
μακαριοι οι πραεις οτι αυτοι κληρονομησουσιν την γην

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.5:5

μακάριοι οἱ πραεῖς, ὅτι αὐτοὶ κληρονομήσουσιν τὴν γῆν.

† ヘブライ語聖書 Matt.5:5

Matt.5:5

אַשְׁרֵי הָעֲנָוִים, כִּי הֵם יִירְשׁוּ אֶת הָאָרֶץ

† ラテン語聖書 Matt.5:5

Latin Vulgate
Matt.5:5

Beati, qui lugent: quoniam ipsi consolabuntur. (Latin Vulgate マタイ5:5は通常聖書ではマタイ5:4である)
Blessed are those who mourn, for they shall be consoled.

† 私訳(詳訳)Matt.5:5

【私訳】 「柔和な<温和、穏やか、素直な、忍耐強い、優しい、執着しない>人々は、幸い<羨ましい、祝福されている、幸福、至福>である、なぜなら、その人たちは地<大地、土地、国、故郷、祖国、世界>を受け継ぐ<相続する、手に入れる、獲得する、あずかる、受け取る>からである」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.5:5

μακάριοι οἱ πραεῖς, ὅτι αὐτοὶ κληρονομήσουσιν τὴν γῆν.

【柔和な人々は】 πραεῖς  πραΰς  プラゆス  praus {prah-ooce‘} (ap-nm-p 形容詞・主男複)

1)温和な、柔和な、穏和な、穏やかな、素直な 2)優しい、おとなしい、素直な 3)忍耐強い、辛抱強い 4)執着しない

バルバロ訳 「小さな人々」

ヘブル語では「anau  アナウ」で「神を畏れる人、貧しい人、弱い人」 捕われ、つながれ、打ち砕かれた心を意味する。 詩篇22:26;25:9 イザヤ11:4;61:1 ゼファニヤ2:3

詩篇37:11 「貧しい人は地を継ぎ、豊かな平和に自らをゆだねるであろう」

「柔和な人々 πραΰς  プラゆス」は「抑圧された者、へりくだる者、忍耐する者」である。

(G4239 πραΰς Apparently a primary word; mild, that is, (by implication) humble: – meek. See also 4235.  Internet Sacred Text Archive)

マタ5:5; 11:29; 21:5;  Ⅱペテ3:4

【幸いである】 μακάριοι  μακάριος  マカリオス  makarios {mak-ar‘-ee-os} (a–nm-p 形容詞・主男複)

< μακαρίζω 幸福と考える 幸福とみなす

1)祝福されるべき、羨むべき、幸福な、めぐまれた、幸いな、うらやむべき、至福の 2)ねえ君 3)幸多き者(内村鑑三)

ヘブル語の「幸い」は「אַשְׁרֵי  ‘esher {eh’-sher} うまく行く、進む」である

「μακάριος マカリオス」は元来、不安、労働、死のない至福の状態を指す言葉。「μακαριτής マカリテース」は「祝福された者」で「最近死んだ者」を指す。聖書においては主に霊的な祝福に用いられる。

(G3107 μακάριος A prolonged form of the poetical μάκαρ makar (meaning the same); supremely blest; by extension fortunatewell off: – blessed, happy (X -ier).  Internet Sacred Text Archive)

マタ5:2,3,4,5,6,7,8; 5:9,10,11; 11:6; 13:16; 16:17; 24:46;  ルカ1:45; 6:20,21,22; 7:23; 10:23; 11:27,28;12:37,38,43; 14:14,15; 23:29; ヨハ13:17; 20:29 etc.

【なぜなら】 ὅτι  ὅτι  ホティ hoti {hot‘-ee} (cs 接続詞・従)

1)~ということ 2)なぜなら~だから、というのは~だから、すなわち 3)~であるから 4)というのは

G3754  ὅτι Neuter of 3748 as conjugation; demonstrative that (sometimes redundant); causatively because: – as concerning that, as though, because (that), for (that), how (that), (in) that, though, why.  Internet Sacred Text Archive)

【その人々は】 αὐτοὶ  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npnm3p 代名詞・主男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive)

【地を】 γῆν  γῆ ゲー  gē {ghay} (n-vf-s 名詞・呼女単)

1)地、大地 2)土地、陸、陸地、地面、土壌 3)国、国土、領地 4)地域、地方 5)故郷、祖国、世界

(γῆ はヘブル語の אֶרֶץ エレツ で「エレツ イスラエル」は「イスラエルの地(約束地)」)

G1093 γῆ Contracted from a primary word; soil; by extension a region, or the solid part or the whole of the terrene globe (including the occupants in each application): – country, earth (-ly), ground, land, world.  Internet Sacred Text Archive)

マタ10:29; 13:5,8,23; 15:35; 23:35; 27:51;  マル4:8,20,26,28,31; 8:6; 9:20; 14:35;  ルカ13:7; 14:35;22:44; 24:5;  ヨハ8:6,8: 12:24;  ヘブ6:7;  ヤコ5:5 etc.

【受け継ぐ】 κληρονομήσουσιν  κληρονομέω  クれーロノメノー  klēronomeō {klay-ron-om-eh‘-o} (vifa–3p 動詞・直・未来・能・3複)

1)相続する、受け継ぐ、あずかる 2)得る、受け取る、手に入れる、獲得する

(G2816 κληρονομέω From 2818 to be an heir to (literally or figuratively): – be heir, (obtain by) inherit (-ance).  Internet Sacred Text Archive)

マタ5:5; 10:29; 25:354;  マル10:17;  ルカ10:25; 18:18 etc.

† 英語訳聖書 Matt.5:5

King James Version
5:5 Blessed [are] the meek: for they shall inherit the earth.

New King James Version
5:5 Blessed are the meek,For they shall inherit the earth.

American Standard Version
5:5 Blessed are the meek: for they shall inherit the earth.

New International Version
5:5 Blessed are the meek, for they will inherit the earth.

Bible in Basic English
5:5 Happy are the gentle: for the earth will be their heritage.

Today’s English Version
5:5 “Happy are those who are humble; /they will receive what God has promised!

Darby’s English Translation
5:5 Blessed the meek, for they shall inherit the earth.

Douay Rheims
5:5 Blessed are they that mourn: for they shall be comforted.

Noah Webster Bible
5:5 Blessed are the meek: for they shall inherit the earth.

Weymouth New Testament
5:5 ‘Blessed are the meek, for they as heirs shall obtain possession of the earth.

World English Bible
5:5 ‘Blessed are the humble, for they shall inherit the earth.

Young’s Literal Translation
5:5 ‘Happy the meek — because they shall inherit the land.

Amplified Bible
5:5 “Blessed [inwardly peaceful, spiritually secure, worthy of respect] are the [b]gentle [the kind-hearted, the sweet-spirited, the self-controlled], for they will inherit the earth.

Footnotes:
[b]Or humble, meek.

† 細き聲 聖書研究ノート

<幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん>

マタイ5:3~12「九つの幸い」の第三は「柔和なる者」で、その人は「地を嗣ぐ」。

「貧しい人は地を継ぎ、豊かな平和に自らをゆだねるであろう」 詩篇37:11  明治元訳聖書

<幸福なるかな>

「さいわいなのは、柔和な人です。虐げられ、踏みつけられて、なおはげしい言も出さず、羊のように忍んでいる人、欺かれ、掠められて、なお取返そうともせず、奴隷のように甘んじている人、そういう人は、この世では一番みじめでしょう。けれども憶えていなさい。後に地を嗣ぐのはこの人たちなのです」 (藤井武『信仰生活』)

<柔和なる者>

「柔和な人 πραΰς  プラゆス」は「温和な、柔和な、穏やかな、素直な、優しい、おとなしい、忍耐強い、辛抱強い」人のことである。ラテン語 mites 「穏やかな、柔和に」である。

英語 meek は中期英語 meke,meoc で古ノルド語(北欧) 「mjūkr 柔らかい、温和な、おとなしい」から来ている。「忍耐強く控えめな、温和な、柔和な」の意味。

「貧者の一灯」をマルコ12:42から英語で「the widow’s mite」という。「mite」は小銭のことである。

「柔和 πραΰς  プラゆス」の語に相当するヘブル語は「anau  アナウ」で「貧しい人」「打ち砕かれた心、捕われた心、つながれている人」である。(イザヤ61:1) 「神を畏れる弱き人」であ

る。「神を畏れる弱き人」である。(詩篇22:26; 25:9)「神に従う、自らその下僕と感じる者」(詩篇37:11)「抑圧される者、へりくだる者、忍耐する者」である(岩隅直『新約ギリシャ語辞典』)。「苦しみに耐える人」である。(ゼファニヤ2:3)

イエスはご自身を「わたしは柔和で謙遜な者」と言われている。(マタイ11:29)

「柔和な人 πραΰς  プラゆス」は、自らの「弱さ」を知る人で、打ち砕かれた心を持ち、神を畏れる人である。

バルバロ訳 「小さな人々」

「虐げられ、踏みつけられて、なお暴(はげ)しい言も出さず、羊のやうに忍んでいる人、欺かれ、掠められて、なお取返さうともせず、奴隷のやうに甘んじている人」 (藤井武 『信仰生活』)

「我意をはらざるもの、人に地歩をゆずるもの、無抵抗者、剣をもって争わざるのみならず、口をもっても、また筆をもっても、害を他人に(とくに敵に)加えざるもの、かかるものは幸福なり」 (内村鑑三 『聖書注解全集8』)

<その人は地を嗣がん>

「地を受け継ぐ κληρονομέω  クれーロノメノー」は「地を相続する」の意味。地を受け継ぐ人は又、「永遠の命」を受け継ぐ。(マタイ19:29) 「無抵抗主義者の幸福はとくにここにあり。すなわちそのみずからゆずりしものをふたたび与えられるるにあり」 (内村鑑三『聖書注解全集8』)

<ゴーブル訳>

日本最初の翻訳聖書を出版したのは、バプテスト派の宣教師ジョナサン・ゴーブル(Jonathan Goble,ABF)である。(1860年 万延元年来日)。ゴーブルは、ギリシャ語の原語と欽定訳聖書からの日本語口語訳に挑み、1864年(元治元年)から始めて、1871年(明治4年)に『摩太福音書』を東京で出版した。

ゴーブル『摩太福音書』

にうわの ものは さいわい じや けだし その ひと せかいを そうぞく せやう ぎを したい うゑ かつゑる ものは さいわい じや けだし その ひと みちませう (マタイ5:5~6)

† 心のデボーション

「幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん」 マタイ5:5 大正文語訳聖書

「柔和な人は幸いである、その人は地を受け継ぐであろう」 フランシスコ会訳聖書

「生命の力」

ホイヴェルス神父は「柔和」とは「世の波風を受けとめて、それを自分に役立たせていく者」で「その人は抱擁する力と転換する力をもっている」という。「生命の力」である。(ホイヴェルス神父『日本人への贈り物』)

† 心のデボーション

「幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん」 マタイ5:5 大正文語訳聖書

「柔和な人は幸いである、その人は地を受け継ぐであろう」 フランシスコ会訳聖書

「柔和」

「柔和 πραΰς  プラゆス」には「穏やかな」「辛抱強い」という意味がある。彼は己の「貧しさ、弱さ」を穏やかに辛抱強く抱きしめ、地に生きる。柔和な人は、たとえ地を受け継いだとしても、やはり「柔和な人」である。彼は地の支配者の顔をしていない。

† 心のデボーション

「モーセはその人と爲(なり)温柔(おんじう)なること世の中の諸の人に勝れり」 民数12:3 明治元訳聖書

「モーセという人はこの地上のだれにおまさって謙遜であった」 新共同訳聖書

「温柔(おんじう)」

モーセがエチオピアの女性を妻としたことをアロンとミリアムがモーセを非難したとき、モーセは自分のことを「その人と爲(なり)温柔(おんじう)なること世の中の諸の人に勝れり」と語っている。(民数記12:3)

「温柔(おんじう)」は「柔和」の意味である。

モーセは、人から非難されても、自分は「世の中の誰よりも柔和なもの」だから「怒らない」といいたいのではない。

「柔和 πραΰς  プラゆス」は「温和な、柔和な」。この語に相当するヘブル語は「gn”x; a-nag  アナウ」で「貧しい人」「打ち砕かれた心、捕われた心、つながれている人」の意味である。

モーセは、自分は「神を畏れる弱き人、打ち砕かれた人」であることにおいて「世の中の諸の人に勝れる」と語ったのである。(詩篇22:26;25:9)

† 心のデボーション

「幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん」 マタイ5:5 大正文語訳聖書

「柔和な人は幸いである、その人は地を受け継ぐであろう」 フランシスコ会訳聖書

「柔和な人」

「柔和な人」を性格や言葉、態度が穏やかで荒々しくない人と考えると間違える。その顔つきから物腰まで「温厚」な顔の下に思わぬ過激が潜んでいることがある。

† 心のデボーション

「幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん」 マタイ5:5 大正文語訳聖書

「柔和な人は幸いである、その人は地を受け継ぐであろう」 フランシスコ会訳聖書

「地の相続者」

「地を嗣ぐ κληρονομέω  クれーロノメノー」は「相続する、受け継ぐ」の意味で、「支配、所有」ではない。

「神を畏れる弱き人」は「地の相続者」である。神からの預かり物として「柔和」に扱う。

† 心のデボーション

「幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん」 マタイ5:5 大正文語訳聖書

「温柔(をんじゅう)なる者は福(さいはひ)なり、彼等地を嗣(つ)がんとすればなり」 日本聖公会訳聖書

「温柔(をんじゅう)なる心」

「子よ、柔和な心で、お前の仕事を果たせ。そうすれば、お前は神に喜ばれる人に愛される」 ベン=シラ3:17 フランシスコ会訳聖書

「柔和な心」とは、静穏で辛抱強い心のことである。「温柔(をんじゅう)なる心」によって成し遂げられる仕事は神の人に愛される。

(†心のデボーション00706)

† 細き聲 説教

「柔和なる者」

「幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん」 マタイ5:5 大正文語訳聖書

「温柔(をんじゅう)なる者は福(さいはひ)なり、彼等地を嗣(つ)がんとすればなり」 日本聖公会訳聖書

「柔和なる者」

「柔和 πραΰς  プラゆス」は「温和な、柔和な」。この語に相当するヘブル語は「anau  アナウ」で「貧しい人」「打ち砕かれた心、捕われた心、つながれている人」である。(イザヤ61:1) 「神を畏れる弱き人」である。 (詩篇22:26; 25:9)「神に従う、自らその下僕と感じる者」(詩篇37:11)「抑圧される者、へりくだる者、忍耐する者」である(岩隅直『新約ギリシャ語辞典』)。「苦しみに耐える人」である。(ゼファニヤ2:3)

「柔和な人 πραΰς  プラゆス」は、自らの「弱さ」を知る、打ち砕かれた心を持ち、神を畏れる人である。

バルバロ訳聖書は「小さな人々」と訳す。

「柔和な人 πραΰς  プラゆス」は「温和で、忍耐強く、辛抱強い」。その表情は「穏やかで優しい」、しかし、それは「よく自己統制された静かさ」である。

アロンとミリアムがモーセがエチオピアの女性を妻としたと公然と非難したとき、モーセは自分を「その人と爲(なり)温柔(おんじう)なること世の中の諸の人に勝れり」と語っている。(民数記12:3)

「温柔(おんじう)」は「柔和」の意味である。

モーセはアロンとミリアムの批判に「弁明の権利」「怒りの権利」を放棄する。

「柔和」とは単なる心の優しさではない。自分が人から批判されるとき、自己主張も弁解も怒りも放棄して事柄を「神」にゆだねることである。

モーセは、自分は「神を畏れる弱き人、打ち砕かれた人」であることにおいて「世の中の誰よりも勝れる」と語る。(詩篇22:26; 25:9)

その「謙虚さ」ゆえに神はモーセを愛され、モーセを弁明される。

聖書はこの人々が神の祝福を受け継ぐと語る。

「貧しい人は地を継ぎ、豊かな平和に自らをゆだねるであろう」 詩篇37:11 新改訳聖書

イエスもまた、ご自身を「わたしは柔和で謙遜な者」と言われている。(マタイ11:29)

(皆川誠)

コメント