† 福音書縦観 「四人の弟子」 マタイ4:18~22
マタイ4:18~22 マルコ1:16~20 ルカ5:1~11 ヨハネ1:35~42
マタイ4:18~22
Matt.4:20すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。 (すると、イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」。 5:11そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。 ルカ5:10~11)口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt. 4:20
【漢訳聖書】
Matt. 4:20 彼卽棄網從之。
【明治元訳】
Matt. 4:20 彼等(かれら)やがて網(あみ)を棄(すて)てイエスに從(したが)ふ
【大正文語訳】
Matt. 4:20 かれら直ちに網をすてて從ふ。
【ラゲ訳】
Matt. 4:20 彼等直に網を舍きて從へり。
【口語訳】
Matt. 4:20 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
【新改訳改訂3】
Matt. 4:20 彼らはすぐに網を捨てて従った。
【新共同訳】
Matt. 4:20 二人はすぐに網を捨てて従った。
【バルバロ訳】
Matt. 4:20 彼らはただちに網を捨てて従った。
【フランシスコ会訳】
Matt. 4:20 すると、二人はただちに網をそのままにして、イエズスに従った。
【日本正教会訳】
Matt. 4:20 彼等直に網を遺(のこ)して、之に從へり。
【塚本虎二訳】
Matt. 4:20 彼らはすぐ網をすててイエスに従った。
【前田護郎訳】
Matt. 4:20 彼らはただちに網を捨てて彼に従った。
【永井直治訳】
Matt. 4:20 乃ち彼等は直に網を差しおきて彼に從へり。
【詳訳聖書】
Matt. 4:20 すると彼らはすぐに網を放置して彼の弟子になった<彼の仲間になって、彼に従った>。
† 聖書引照 Matt. 4:20
Matt. 4:20 かれら直ちに網をすてて從ふ。
[かれら直ちに網をすてて從ふ] マタ10:37; 19:27; Ⅰ列王19:21; 詩篇119:60; マル10:28~31; ルカ18:28~30; ガラ1:16
† ギリシャ語聖書 Matt. 4:20
Stephens 1550 Textus Receptus
οι δε ευθεως αφεντες τα δικτυα ηκολουθησαν αυτω
Scrivener 1894 Textus Receptus
οι δε ευθεως αφεντες τα δικτυα ηκολουθησαν αυτω
Byzantine Majority
οι δε ευθεως αφεντες τα δικτυα ηκολουθησαν αυτω
Alexandrian
οι δε ευθεως αφεντες τα δικτυα ηκολουθησαν αυτω
Hort and Westcott
οι δε ευθεως αφεντες τα δικτυα ηκολουθησαν αυτω
† ギリシャ語聖書 Interlinear
Matt. 4:20
οἱ δὲ εὐθέως ἀφέντες τὰ δίκτυα ἠκολούθησαν αὐτῷ.
οἱ δὲ εὐθέως ἀφέντες τὰ δίκτυα ἠκολούθησαν αὐτῷ.
they And immediately leaving the nets, followed him.
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt. 4:20
οἱ δὲ εὐθέως ἀφέντες τὰ δίκτυα ἠκολούθησαν αὐτῷ.
† ラテン語聖書 Matt. 4:20
Latin Vulgate
Matt. 4:20
At illi continuo relictis retibus secuti sunt eum.
And at once, leaving behind their nets, they followed him.
† ヘブライ語聖書 Matt. 4:20
Matt. 4:20
מִיָּד עָזְבוּ אֶת הָרְשָׁתוֹת וְהָלְכוּ אַחֲרָיו
† 私訳(詳訳)Matt. 4:20
【私訳】 「そして、彼らは直ちに<たちどころに、まっすぐ、たちまち>網を放って<打ち捨てて、そのままにして、放り出して>彼〔イエス〕に従った<同じ道を歩いた、随行した、弟子になった、かたく結びついた、生死を共にした>」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt. 4:20
οἱ δὲ εὐθέως ἀφέντες τὰ δίκτυα ἠκολούθησαν αὐτῷ.
【そして】 δὲ δέ デ de {deh} (cc 接続詞・等位)
1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ
【すぐに】 εὐθέως εὐθέως エウてオース eutheōs {yoo-theh‘-oce} (ab 副詞)
< εὐθύς まっすぐに
1)まっすぐに、真っ直ぐな 2)率直な 3)正しく 4)たちまち、直ちに、たちどころに 5)直後に
マタ4:20,22; 8:3; 14:22,31; 20:34; 24:29; 25:16; 26:49; 27:48; ルカ5:13; 12:36;,54; 14:5; 17:7; 21:9; ヨハ9:18,20,34; 12:10; 16:10; 17:10,14; 21:30 etc.
【網を】 δίκτυα δίκτυον ディクとゆオン diktuon {dik‘-too-on} (n-an-p 名詞・対中複)
1)網
マタ4:20,21; マル1:18,19; ルカ5:2,4,5,6 ヨハ21:6,7,21
【捨てて】 ἀφέντες ἀφίημι アふィエーミ aphiēmi {af-ee‘-ay-mee} (vpaanm-p 分詞・2アオ能主男複)
< ἀπό ~から + ἵημι 送る
1)あるものを放っておく、投げやる、投げ捨てる、放免する、見逃す、見放す、引き渡す 2)放す、手放す 3)捨てておく、~から去らせる、うっちゃっておく、許す、~させておく、解放する、構わずにおく、そのままにまかせる、許す、受ける、放棄する、置き去る、残す 4)見捨てる、免除する、放免する 6)放り出す、絶縁する
マタ3:15; 6:12,14,15; 9:2,5,6; 12:31,32; 12:32; 18:21,27,32,33; 19:14; 23:13: マル1:34; 2:5,7,9,10; 3:28; 4:12; 5:19,37; 10:14; 11:6,16,25 etc.
【彼に】 αὐτῷ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3s 代名詞・与男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
【従った】 ἠκολούθησαν ἀκολουθέω アコるーてオー akoloutheō {ak-ol-oo-theh‘-o} (viaa–3p 動詞・直・1アオ・能・3複)
< α + κέλευθος 道
1)同じ道を歩む、ついて行く、従う、つき従う、一緒に行く、~に同行する、随行する、同行する 2)導かれる、適合する 3)弟子になる、弟子である 4)愛着する、固く結びつく、生死を共にする
マタ4:20,22,23; 8:1,10,19,22,23; 9:9,27; 10:24; 19:2,21,27,28; 20:29,34; 26:58 etc.
† 英語訳聖書 Matt. 4:20
King James Version
4:20 And they straightway left [their] nets, and followed him.
American Standard Version
4:20 And they straightway left the nets, and followed him.
New International Version
4:20 At once they left their nets and followed him.
Bible in Basic English
4:20 And straight away they let go the nets and went after him.
Darby’s English Translation
4:20 And they, having left their trawl-nets, immediately followed him.
Douay Rheims
4:20 And they immediately leaving their nets, followed him.
Noah Webster Bible
4:20 And they immediately left their nets, and followed him.
Weymouth New Testament
4:20 So they immediately left their nets and followed Him. As He went further on,
World English Bible
4:20 They immediately left their nets, and followed him.
Young’s Literal Translation
4:20 and they, immediately, having left the nets, did follow him.
Amplified Bible
4:20 Immediately they left their nets and followed Him [becoming His disciples, believing and trusting in Him and following His example].
† 細き聲 聖書研究ノート
<かれら直ちに網をすてて從ふ>
ペテロとアンデレは直ちに網を投げ捨てて、イエスに従った。
<網をすてて>
「網をすてる ἀφίημι アふィエーミ」は「投げ捨てる、引き渡す、手放す、うっちゃっておく、そのままにまかせる、置き去る」こと。
永井直治訳は「網を差しおきて彼に從へり」である。
<すぐに従う>
「すぐに εὐθέως エウてオース」は「正しく従う」の意味。神に「正しく従う」のでなければならない。すばやい服従は正しくなければ危険である。「正しく従う」ことが分からないなら従うべきではない。
† 心のデボーション
「かれら直ちに網をすてて從ふ」 マタイ4:20 大正文語訳聖書
「すると、二人はただちに網をそのままにして、イエズスに従った」 フランシスコ会訳聖書
「ついて行く力」
「従う ἀκολουθέω アコるーてオー」は「同じ道を歩む」こと。ペトロは三年後、「わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか」とイエスに尋ねている。(マタイ19:27) イエスと同じ道を歩むのは、かくも難しい。しかし、イエスが「わたしについて来なさい」と呼びかけられるとき、従う者に「ついて行く力」も与えられるのである。
† 心のデボーション
「かれら直ちに網をすてて從ふ」 マタイ4:20 大正文語訳聖書
「すると、二人はただちに網をそのままにして、イエズスに従った」 フランシスコ会訳聖書
「網を捨てて従う」
ペトロとアンデレが「網を捨てて、従う」ことが出来たのは、彼らが日常の中で「わたしについて来なさい」と呼びかける声を聞き逃さない人であったからである。直ちに行動する姿勢をもって生きる人々だった。
† 心のデボーション
「かれら直ちに網をすてて從ふ」 マタイ4:20 大正文語訳聖書
「すると、二人はただちに網をそのままにして、イエズスに従った」 フランシスコ会訳聖書
「我に従え」
イエスに「我に従え」と言われて、弟子の一人は「主よ、先づ、往きて、我が父を葬ることを許したまへ」とそれを断った。(マタイ8:21) 富める青年は「なんぢ若し全からんと思はば、往きて汝の所有を賣りて貧しき者に施せ、さらば財寶を天に得ん。かつ來りて我に從へ」と言われて、「悲しみつつ去った」。「大なる資産」を持っていたからである。(マタイ19:16~22)
やむを得ない理由はある。それにしても、何ゆえに今なのだろうか?
† 心のデボーション
「かれら直ちに網をすてて從ふ」 マタイ4:20 大正文語訳聖書
「すると、二人はただちに網をそのままにして、イエズスに従った」 フランシスコ会訳聖書
「喪失への備え」
ペトロとアンデレは「網を捨てて」従う。何一つ失わずにイエスに従うことはできない。「網」はペトロとアンデレにとって軽く捨てることのできるものではなかった。捨てる「網」が何かは従う者には明確である。イエスに従う者は「喪失」への備えをせよ。「備え」はイエスに従うことでもたらされるもののうちにある。
† 心のデボーション
「かれら直ちに網をすてて從ふ」 マタイ4:20 大正文語訳聖書
「すると、二人はただちに網をそのままにして、イエズスに従った」 フランシスコ会訳聖書
「失うことに備える」
新しいものを手に入れるとき、失うものがある。得ることに生きる人は、失うことに備えるべきだ。だが、新しく得るものの豊かさに、喪失の悲しみはさして深くない。
† 心のデボーション
「彼等(かれら)やがて網を棄(すて)てイエスに從(したが)ふ」 マタイ4:20 明治元訳聖書
「彼卽棄網從之」 漢訳聖書
「從」は、「从」二つの「人」からなり、前の人に後ろの人がしがたう形を示す。「止 あし」+「彳 いく」で「歩く」の意味。前の人の後を後ろの人が歩いて行くこと。
昔、瞽女たちは雪の中を、前の人の肩に手をかけたり、杖を握って一列になって旅したという。私たちはイエスの肩に手をおいて、旅をする。
† 細き聲 説教
「イエスに従う道」
「かれら直ちに網をすてて從ふ」 マタイ4:20 大正文語訳聖書
「すると、二人はただちに網をそのままにして、イエズスに従った」 フランシスコ会訳聖書
イエスはガリラヤ湖で網を打っていたペトロとアンデレに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。そこで二人は網を捨ててイエスに従った。
彼らはガリラヤ湖の漁師であった。海は彼らの仕事場であり、網は彼らの日常だった。
そこから、信仰はあたかも日常から離れたところに行くことであるとの考えが来る。しかし、イエスの招きの言葉から、そうではないことがわかる。
イエスはペトロとアンデレに『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』と言われた。(マタイ4:19)
この言葉は「投網をなげて人を捕らえる」という宣教への招きとされるが、宣教はそのようなものでは決してない。
「人間を漁る者」とは「人間に深く網を下ろして、人間を漁る者」の意味であろう。「人間をとる漁師」とは、自己という海に深く網を下ろして「私」をすなどる者である。
イエスは日常から離れたところへと弟子たちを呼ばれるのではない。人間という日常に私たちを招かれるのである。
(皆川誠)
コメント