† 福音書縦観 「四人の弟子」 マタイ4:18~22
マタイ4:18~22 マルコ1:16~20 ルカ5:1~11 ヨハネ1:35~42
マタイ4:18~22
Matt.4:19イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.4:19
【漢訳聖書】
Matt. 4:19 遂謂之曰、從我、我將使爾爲漁人之漁者焉。
【明治元訳】
Matt. 4:19 之(これ)に曰(いひ)けるは我(われ)に從(したが)へ我(われ)爾曹(なんぢら)(※3)を人(ひと)を漁(すなど)る者(もの)と爲(なさ)ん』 (※3 明治14(1881)年版ではどちらもひらがな表記)
【大正文語訳】
Matt. 4:19 これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』
【ラゲ訳】
Matt. 4:19 彼等に向ひて、我に從へ、我汝等をして人を漁る者とならしめん、と曰ひしかば、
【口語訳】
Matt. 4:19 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。
【新改訳改訂3】
Matt. 4:19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
【新共同訳】
Matt. 4:19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
【バルバロ訳】
Matt. 4:19 「私に従え、私はあなたたちを人をすなどる者にしよう」といわれると、彼らはただちに網を捨てて従った。
【フランシスコ会訳】
Matt. 4:19 イエズスはその二人に「わたしについて来なさい。あなたたちを、人をすなどる者にしよう」と仰せになった。
【日本正教会訳】
Matt. 4:19 乃(すなはち)彼等に謂ふ、我に從へ、我爾等を人を漁(ぎよ)する者と爲さん。
【塚本虎二訳】
Matt. 4:19 「さあ、ついて来なさい。人間の(漁をする)漁師にしてあげよう」と言われると、
【前田護郎訳】
Matt. 4:19 彼らにいわれた、「さあ、ついて来なさい。あなた方を人間の漁夫にしてあげよう」と。
【永井直治訳】
Matt. 4:19 乃ち彼等に云ひ給ふ、我に跟き來れ、さればわれ汝等を人の漁り人と爲すべし。
【詳訳聖書】
Matt. 4:19 それでイエスは彼らに言われた、「[弟子として]私について来なさい<私を指導者にし、私に従いなさい>。そうすれば私はあなたたちを人間をすなどる人にしよう」。
† 聖書引照 Matt.4:19
Matt. 4:19 これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』
[我に從ひきたれ] マタ8:22; 9:9; 16:24; 19:21; マル2:14; ルカ5:27; 9:59; ヨハ1:43; 12:26; 21:22
[さらば汝らを人を漁る者となさん] エゼ47:9,10; マル1:17,18; ルカ5:10,11; Ⅰコリ9:20~22; Ⅱコリ12:16
† ギリシャ語聖書 Matt.4:19
Stephens 1550 Textus Receptus
και λεγει αυτοις δευτε οπισω μου και ποιησω υμας αλιεις ανθρωπων
Scrivener 1894 Textus Receptus
και λεγει αυτοις δευτε οπισω μου και ποιησω υμας αλιεις ανθρωπων
Byzantine Majority
και λεγει αυτοις δευτε οπισω μου και ποιησω υμας αλιεις ανθρωπων
Alexandrian
και λεγει αυτοις δευτε οπισω μου και ποιησω υμας αλιεις ανθρωπων
Hort and Westcott
και λεγει αυτοις δευτε οπισω μου και ποιησω υμας αλιεις ανθρωπων
† ギリシャ語聖書 Interlinear
Matt. 4:19
καὶ λέγει αὐτοῖς, Δεῦτε ὀπίσω μου, καὶ ποιήσω ὑμᾶς ἁλιεῖς ἀνθρώπων.
καὶ λέγει αὐτοῖς, Δεῦτε ὀπίσω μου, καὶ ποιήσω ὑμᾶς ἁλιεῖς ἀνθρώπων.
And he says to them, Come after me, and I will make you fishers of men.
† ギリシャ語聖書 品詞色分け Matt.4:19
Matt.4:19
καὶ λέγει αὐτοῖς, Δεῦτε ὀπίσω μου, καὶ ποιήσω ὑμᾶς ἁλιεῖς ἀνθρώπων.
† ラテン語聖書 Matt.4:19
Latin Vulgate
Matt.4:19
et ait illis: Venite post me, et faciam vos fieri piscatores hominum.
And he said to them: “Follow me, and I will make you fishers of men.”
† ヘブライ語聖書 Matt.4:19
Matt.4:19
אָמַר לָהֶם: בּוֹאוּ אַחֲרַי וְאֶעֱשֶׂה אֶתְכֶם דַּיָּגֵי אָדָם
† 私訳(詳訳)Matt.4:19
【私訳】 「そして、彼〔イエス〕は彼らに言われた。『わたしの後から〔ついて〕来なさい。あなたがたを人間の漁師〔人間ををすなどる者〕にしよう』」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.4:19
καὶ λέγει αὐτοῖς, Δεῦτε ὀπίσω μου, καὶ ποιήσω ὑμᾶς ἁλιεῖς ἀνθρώπων.
【そして】 καὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
【彼らに】 αὐτοῖς αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3p 代名詞・与男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
【言われた】 λέγει λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3)
1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す
マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34; マル2:11; 5:9; 12:18; ルカ5:39; 6:46; 20:41; ヨハ1:29; 2:6; 16:12;etc.
【わたしについて来なさい】 Δεῦτε ὀπίσω μου 「弟子になれ」
【わたしに】 μου ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npg-1s 代名詞・属1単)
1)私 2)わたし
【ついて】 ὀπίσω ὀπίσω オピソー opisō {op-is‘-o } (pg 前置詞・属)
1)後ろで 2)後方から、後から 3)の後に、逆戻りして、後方に 4)後を 5)後方を 6)逆に 7)もとに 8)今後、将来 9)後ほど、あとから
【来なさい】 Δεῦτε δεῦτε デウテ deute {dyoo‘-the} (ab^vmaa–2p 副詞/動詞・命・アオ・能・2複)
1)ここへ 、ここに 3)さあ、いざ、来なさい、さあ~しなさい、おいで
マタ4:19; 11:28; 22:4; 25:34; 28:6; マル1:17; 6:31; ヨハ4:29; 21:12 etc.
【あなたがたを】 ὑμᾶς σύ スゆ sou {soo} (npa-2p 代名詞・対2複)
1)あなた 2)汝 3)君
【人間をとる漁師】 ἁλιεῖς ἀνθρώπων
【人間の】 ἀνθρώπων ἄνθρωπος アンとローポス anthrōpos {anth‘-ro-pos} (n-gm-p 名詞・属男)
< ἄνήρ 人 +ὤψ 顔
1)人間、人、人類 2)男、夫 3)ある人、或る者、この人
【漁師】 ἁλιεῖς ἁλιεύς ハりエウス halieus {hal-ee-yoos‘} (n-am-p 名詞・対男複)
< ἅλς 海、塩、塩水
1)漁師、漁夫 2)船乗り
マタ4:18,19; マル1:16,17; ルカ5:2;
【~にしよう】 ποιήσω ποιέω ポイエオー poieō {poy-eh‘-o } (vifa–1s 動詞・直・未来・能・1)
1)造る、こしらえる、建てる 2)創造する、原因となる、準備する、生み出す 3)やる、なす、行う~にならせる、~にする、こしらえる、準備する、~を~とする、ある状態にする 4)発芽する、結ぶ 5)行う、為す、行動する 6)過ごす 7)守る
マタ1:24; 17:4; 22:2; マル6:21; 9:5; 10:6; ルカ14:16; ヨハ9:11,14; 使徒7:43; ロマ9:20; 16:17; エペ2:15; ヤコ3:12 etc.
† 英語訳聖書 Matt.4:19
King James Version
4:19 And he saith unto them, Follow me, and I will make you fishers of men.
American Standard Version
4:19 And he saith unto them, Come ye after me, and I will make you fishers of men.
New International Version
4:19 “Come, follow me,” Jesus said, “and I will make you fishers of men.”
Bible in Basic English
4:19 And he said to them, Come after me, and I will make you fishers of men.
Darby’s English Translation
4:19 and he says to them, Come after me, and I will make you fishers of men.
Douay Rheims
4:19 And he saith to them: Come ye after me, and I will make you to be fishers of men.
Noah Webster Bible
4:19 And he saith to them, Follow me, and I will make you fishers of men.
Weymouth New Testament
4:19 And He said to them, ‘Come and follow me, and I will make you fishers of men.’
World English Bible
4:19 He said to them, ‘Come, follow me, and I will make you fishers for men.’
Young’s Literal Translation
4:19 and he saith to them, ‘Come ye after me, and I will make you fishers of men,’
Amplified Bible
4:19 And He said to them, “[b]Follow Me [as My disciples, accepting Me as your Master and Teacher and walking the same path of life that I walk], and I will make you fishers of men.”
Footnotes:
[b]The concept of “follow” can represent three separate possibilities: in the early stages of His ministry, (1) walking with Him physically (literally), that is, merely being in His presence regardless of personal belief or commitment, (2) accepting and identifying with the salvation He offered; and later on, (3) being identified with Him by being subject to the scorn and rejection of unbelievers because of personal belief and commitment to Him.
† 細き聲 聖書研究ノート
<これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん>
イエスはガリラヤ湖畔で漁をしていたペテロとアンデレの兄弟に、従ってくるならば、あなたがたを「人間を漁る者」にしようと仰せられた。
<「わたしについて来なさい」>
「わたしについて来なさい Δεῦτε ὀπίσω μου」は「わたしの後からついて来なさい」。
「キリストの弟子になる」とは、キリストの「後方」から「行く」ことである。その足跡をたどれるような「師」を持つ人は幸いである。
<人間をとる漁師>
「人を漁(すなど)る者」明治元訳
「人間の(漁をする)漁師」塚本虎二訳
「人の漁(すなど)り人」永井直治訳
† 心のデボーション
「これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』」 マタイ4:19 大正文語訳聖書
「イエズスはその二人に「わたしについて来なさい。あなたたちを、人をすなどる者にしよう」と仰せになった」 フランシスコ会訳聖書
「我に從ひきたれ」
多くの献身者が『我に從ひきたれ』というイエスの言葉を聴いて、牧師への道を選んだ。召された者の生涯はこの短い言葉からはじまり、どのような困難をも乗り越える力を与える。
† 心のデボーション
「これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』」 マタイ4:19 大正文語訳聖書
「イエズスはその二人に「わたしについて来なさい。あなたたちを、人をすなどる者にしよう」と仰せになった」 フランシスコ会訳聖書
「イミタチオ・クリスチ」
中世以来、トマス・アケンピスの『イミタチオ・クリスチ De imitatione Christi』は、日本でも慶長1 (1596) 年天草のセミナリオからキリシタン版『こんてむつすむんぢ』として刊行され、同 15年 京都原田アントニヨ印刷所から日本字による抄訳本を刊行され、以来『キリストに倣いて』『キリストのまねびなど、十種類以上の訳が刊行されている。
ラテン語imitatione イミタチオは、英語imitation イミテーションで「模倣」である。
「學」は師が知恵を授け、弟子は両方の手でそれを受け取ることを意味する。「学び」は「まねび」である。
イエスに従う道は、キリストの「まねび」である。
† 心のデボーション
「これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』」 マタイ4:19 大正文語訳聖書
「イエズスはその二人に「わたしについて来なさい。あなたたちを、人をすなどる者にしよう」と仰せになった」 フランシスコ会訳聖書
「宣教」
「宣教」を「投網をなげて人を捕らえる」と受け取るなら、必ず失敗する。人は「漁られる」ことを何よりも嫌うし、「網にかけて漁れる」ようなものではない。
ペトロは「漁り人」として海に静かに深く網を下ろして魚をとることを生業としてきた。イエスはペトロに「これからは人間に深く網を下ろして、人間を漁れ」と言われたのである。「人間をとる漁師」とは、自己という海に深く網を下ろして「私」をすなどる者である。
† 心のデボーション
「これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』」 マタイ4:19 大正文語訳聖書
「イエズスはその二人に「わたしについて来なさい。あなたたちを、人をすなどる者にしよう」と仰せになった」 フランシスコ会訳聖書
「人を漁る者となさん」
「人を漁る者となさん」の「なさん ποιέω ポイエオー」には「造る、こしらえる、建てる 創造する、準備する、生み出す」などの意味がある。
神は創造の神であり、「私」を「ある状態」に「造る、こしらえる、建てる 創造する、準備する、生み出す」ことをなされるお方である。
「私」を創造するのは神であって、わたしではない。わたしの内にはすでに「私」が存在している(神によって創造されている)。
何者かになろうとするのではなく、神がすでにわたしの内に創造され、そこにある「私」になりたいのである。
† 心のデボーション
「これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』」 マタイ4:19 大正文語訳聖書
「イエズスはその二人に「わたしについて来なさい。あなたたちを、人をすなどる者にしよう」と仰せになった」 フランシスコ会訳聖書
「人を漁る者」
2014年10月8日、世界初の青色発光ダイオード(青色LED)の開発に成功した名城大学赤崎勇教授、カリフォルニアのサンタバーバラ校中村修二教授とともにノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学天野 浩教授はインタビューで「工学部とは人と人を結ぶ学問と教えられてきた」と語った。
イエスの「人を漁る者」は、あらゆる学問がそうであるように「人と人を結ぶ者」への招きである。
† 細き聲 説教
「人間をとる漁師」
「これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』」 マタイ4:19 大正文語訳聖書
「イエズスはその二人に「わたしについて来なさい。あなたたちを、人をすなどる者にしよう」と仰せになった」 フランシスコ会訳聖書
イエスはガリラヤの漁師であったペテロとアンデレの兄弟に、これからは「人間をとる漁師」にしてあげようと言われ、弟子とされた。
イエスの「弟子」の務めは「人間をとる漁師」である。
「人間をとる漁師」は教会の宣教への招きとして理解されることが多い。しかし、「宣教」とは人を教会に連れて来ることであるという解釈は、しばしば信徒を苦しめることになる。
はたして、宣教とは漁師が網で魚を捕えるように人間を捕えて教会に連れて来ることだろうか?
「人を魚のように釣り上げる」ことに抵抗を感じる信徒は自らの「不信仰」を恥じるばかりである。
イエスの弟子は、まず、自らに対して「人間をとる漁師」でなければならない。すなわち「人間とは何か」という根源的な問いに対して、自らの存在のうちに神が形づくられいのちの息を吹き込まれた「人間」なる存在を豊かに見出さなければならない。それがイエスに従うものの第一義的な務めである。
この求道的な歩みこそが「宣教」である。それなくしてなされる「宣教」はイエスの望まれることではない。
(皆川誠)
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