† 福音書縦観 「荒野の試み」 マタイ4:1~11
マタイ4:1~11 マルコ1:12~13 ルカ4:1~13
マタイ4:1~11
Matt.4:7イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。 口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt. 4:7
【漢訳聖書】
Matt. 4:7 耶穌謂之曰、錄亦有云、爾不可試主爾之神。
【明治元訳】
Matt. 4:7 イエス彼(かれ)に曰(いひ)けるは主(しゆ)たる爾(なんぢ)の神(かみ)を試(こころ)むべからずと亦(また)録(しる)せり
【大正文語訳】
Matt. 4:7 イエス言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と、また録されたり』
【ラゲ訳】
Matt. 4:7 イエズス曰ひけるは、又録して「主たる汝の神を試むべからず」とあり、と。
【口語訳】
Matt. 4:7 イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。
【新改訳改訂3】
Matt. 4:7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
【新共同訳】
Matt. 4:7 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。
【バルバロ訳】
Matt. 4:7 イエズスは、「また、<あなたの神なる主を試みるな>と記されてある」と答えられた。
【フランシスコ会訳】
Matt. 4:7 イエズスは仰せになった。「『あなたの神、主を試みてはならない』とも書き記されている」。
【日本正教会訳】
Matt. 4:7 イイスス之に謂(い)へり、亦(また)錄(しる)せるあり、主爾の神を試みる勿(な)れと。
【塚本虎二訳】
Matt. 4:7 イエスは言われた、「ところが、“あなたの神なる主を試みてはならない”とも書いてある。」
【前田護郎訳】
Matt. 4:7 イエスはいわれた、「聖書にまたいわく、『なんじの神である主を試みるな』と」。
【永井直治訳】
Matt. 4:7 イエス彼に述べ給へり、主、汝の神を試むべからず、と復た録されたり。
【詳訳聖書】
Matt. 4:7 イエスは言われた、「しかしまた『あなたの神である主を試みる<徹底的に試験する<度を過ぎて試みる>ことをしてはならない』とも書いてある。
† 聖書引照 Matt. 4:7
Matt. 4:7 イエス言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と、また録されたり』
[主なる汝の神を試むべからず] 出エ17:2,7; 民数14:22; 申命6:16; 詩篇78:18,41,56; 95:9; 106:14; マラ3:15; 使徒5:9; Ⅰコリ10:9; ヘブ3:9
[また録されたり] マタ4:4,10; 21:16,42; 22:31,32; イザ8:20
† ギリシャ語聖書 Matt. 4:7
Stephens 1550 Textus Receptus
εφη αυτω ο ιησους παλιν γεγραπται ουκ εκπειρασεις κυριον τον θεον σου
Scrivener 1894 Textus Receptus
εφη αυτω ο ιησους παλιν γεγραπται ουκ εκπειρασεις κυριον τον θεον σου
Byzantine Majority
εφη αυτω ο ιησους παλιν γεγραπται ουκ εκπειρασεις κυριον τον θεον σου
Alexandrian
εφη αυτω ο ιησους παλιν γεγραπται ουκ εκπειρασεις κυριον τον θεον σου
Hort and Westcott
εφη αυτω ο ιησους παλιν γεγραπται ουκ εκπειρασεις κυριον τον θεον σου
† ギリシャ語聖書 Interlinear
Matt. 4:7
ἔφη αὐτῷ ὁ ᾽Ιησοῦς, Πάλιν γέγραπται, Οὐκ ἐκπειράσεις κύριον τὸν θεόν σου.
ἔφη αὐτῷ ὁ ᾽Ιησοῦς, Πάλιν γέγραπται,
said to him Jesus, Again it has been written,
Οὐκ ἐκπειράσεις κύριον τὸν θεόν σου.
Not overtempt shalt thou [the] Lord the God of thee.
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt. 4:7
ἔφη αὐτῷ ὁ ᾽Ιησοῦς, Πάλιν γέγραπται, Οὐκ ἐκπειράσεις κύριον τὸν θεόν σου.
† ラテン語聖書 Matt. 4:7
Latin Vulgate
Matt. 4:7
Ait illi Iesus: Rursum scriptum est: Non tentabis Dominum Deum tuum.
Jesus said to him, “Again, it has been written: ‘You shall not tempt the Lord your God.’ ”
† ヘブライ語聖書 Matt. 4:7
Matt. 4:7
אָמַר לוֹ יֵשׁוּעַ: עוֹד כָּתוּב, לֹא תְּנַסֶּה אֶת־יהוה אֱלֹהֶיךָ
† 私訳(詳訳)Matt. 4:7
【私訳】「イエスは彼〔悪魔〕に言われた。『あなたの神、主を試みて<誘惑して、試験して、試して>はならない』ともまた書いてある」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt. 4:7
ἔφη αὐτῷ ὁ ᾽Ιησοῦς, Πάλιν γέγραπται, Οὐκ ἐκπειράσεις κύριον τὸν θεόν σου.
【イエス】 Ιησοῦς ᾽Ιησοῦς イエースウース Iēsous {ee-ay-sooce‘ } (n-nm-s 名詞・主男単)
イエス 意味は「ヤㇵウェは救いである」
「イエス」はヘブル語「 יְהוֺשׁוּעַ イェホーシュア Yehowshuwa` {yeh-ho-shoo’-ah} ”Jehovah is salvation” 主は救い、ヨシュア」の ギリシャ名
マタ16:16; マル5:7; ルカ1:32; ヨハ1:29,36; 14:6; 6:33,51; ロマ1:16; 3:29; 11:26; 14:9; Ⅰコリ1:24; 2:8; 15:45; Ⅰテモ6:15; ヘブ2:10; 3:6; 9:11,15; 12:24; 黙示1:5,8; 2:8; 3:14 etc.
【彼に】 αὐτῷ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3s 代名詞・与男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
【言われた】 ἔφη φημί ふェーミ phēmi {fay-mee‘} (viaa–3s 動詞・直・2アオ・能・3単)
1)言う、述べる、言明する 2)答える 3)質問する 4)意味する 5)肯定する、同意する、主張する 6)報告、うわさ、評判、風評、名声 5)神のお告げ、予言
【あなたの】 σου σύ スゆ sou {soo} (npg-2s 代名詞・属2単)
1)あなた 2)汝 3)君
【神】 θεόν θεός てオス theos {theh‘-os} (n-am-s 名詞・対男単
1)神 2)神性 3)唯一の神
θεός の語源は次の二語に求められる
1 τεθειχέναι 万物を自らの基の上に置く
2 θέειν 駆ける
【主を】 κύριον κύριος キゆリオス kurios {koo‘-ree-os} (n-am-s 名詞・対男単)
1)自由にする力のある、支配する、権威のある、力のある 2)主人、君主、所有者、旦那、師 3)正当な、順当な 4)主、神
マタ1:20; 8:25; 9:38; 10:24; 12:4,8; 16:22; マル1:3; 2:28: 12:9; 13:35; ルカ6:5; 9:54; 10:17; 12:6,46; 14:21 Ⅱコリ1:3,14; エペ6:5,9; Ⅰテモ1:2,14; 6:15 etc.
【試しては】 ἐκπειράσεις ἐκπειράζω エクペイラゾー ekpeirazō {ek-pi-rad‘-zo} (vifa–2s 動詞・直・未来・能・2単)
< ἐκ + πειράζω 試みる
1)試験する、試す、試みる 2)誘惑する 3)尋ねる
マタ4:7; ルカ4:12; 10:25; Ⅰコリ10:9
【ならない】 Οὐκ οὐ ウー ou {oo} (qn 不変化詞・否定)
1)否 2)~ない 3)~でない
【~とも】 Πάλιν πάλιν パりン palin {pal‘-in} (ab 副詞)
1)逆の方向に、引き返して 2)元に、元の方向に、戻って、また、再び、~とも 3)後ろに 4)もう一度、こんどは、他方では
【書いてある】 γέγραπται γράφω グラふォー graphō {graf‘-o} (virp–3s 動詞・直・完了・受・3単)
1)引っ掻く、刻み込む、掻き傷をつける 2)字を刻む、書き記す、記録する、銘記する、筆記する、書送る、焼印を押す
マタ4:4; マル1:2; ルカ10:20; Ⅰコリ10:11; Ⅱコリ3:2,3; ピリ4:3; ヘブ12:23; 黙示20:12;21:27
† 英語訳聖書 Matt. 4:7
King James Version
4:7 Jesus said unto him, It is written again, Thou shalt not tempt the Lord thy God.
American Standard Version
4:7 Jesus said unto him, Again it is written, Thou shalt not make trial of the Lord thy God.
New International Version
4:7 Jesus answered him, “It is also written: `Do not put the Lord your God to the test.’ “
Bible in Basic English
4:7 Jesus said to him, Again it is in the Writings, You may not put the Lord your God to the test.
Darby’s English Translation
4:7 Jesus said to him, It is again written, Thou shalt not tempt the Lord thy God.
Douay Rheims
4:7 Jesus said to him: It is written again: Thou shalt not tempt the Lord thy God.
Noah Webster Bible
4:7 Jesus said to him, It is written again, Thou shalt not tempt the Lord thy God.
Weymouth New Testament
4:7 ‘Again it is written,’ replied Jesus, ”Thou shalt not put the Lord thy God to the proof.”
World English Bible
4:7 Jesus said to him, ‘Again, it is written, ‘You shall not test the Lord, your God.”
Young’s Literal Translation
4:7 Jesus said to him again, ‘It hath been written, Thou shalt not tempt the Lord thy God.’
Amplified Bible
4:7 Jesus said to him, “On the other hand, it is written and forever remains written, ‘You shall not test the Lord your God.’”
† 細き聲 聖書研究ノート
<イエス言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と、また録されたり』 >
エルサレム神殿の先端から地に身を投げてみよとイエスを誘惑するサタンに対して、イエスは聖書から「神を心むべからず」とお答えになる。
本節は申命記6:16「あなたがたがマサにいたときにしたように、あなたがたの神、主を試してはならない」の引用である。
<主を試す>
「主を試す」は「果たして神は我々の間におられるかどうか」についての「試し」である。(出エジプト17:7) 神が存在するか否かを問うことは、すでに自らを「神」とすることである。
<歪曲した問い>
悪魔は神のことばを意図的に歪曲して用いる。しかし、イエスはそのことにはふれず、あたかも対等の者と対話するかのように悪魔の問いに答えられる。我らはすべての発せられた問いに答えることは出来ない。しかし、反論の価値もないと無視した問いがいつのまにか巨大な怪物に成長して我らを襲うことがある。問われたら誠実に答えなければならぬ。「天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」(マタイ11:12)
<大審問官と復活のキリスト>
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(細き聲 聖書研究 マタイ4:3,6 研究ノート参照)で第二の試みについて老大審問官は続けていう。
「人間というものは弱くて卑しいものだ」、それにもかかわらずイエスは奇跡をおこされない。大審問官はイラつきながら「おまえは人間をあまりに高く見積りすぎたのだ」と語る。(ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』)
† 心のデボーション
「イエス言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と、また録されたり』」 マタイ4:7 大正文語訳聖書
「イエスは、『「あなたの神である主を試してはならない」とも書いてある』と言われた」 新共同訳聖書
「イエスの奇跡」
イエスの最大の奇跡は、このときイエスが奇跡をなさらなかったことである。それによって老大審問の支配する人間とは「別の人間」が誕生した。
† 心のデボーション
「イエス言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と、また録されたり』」 マタイ4:7 大正文語訳聖書
「イエスは、『「あなたの神である主を試してはならない」とも書いてある』と言われた」 新共同訳聖書
「主を試みる」
イスラエルがレフィデムに宿営したとき、水がなく、人々は渇いてつぶやいた。モーセが杖でホレブの岩を打つと水が出た。その場所をマサ「試し」(又はメリバ「争い」)と名付けた。イスラエルは、「果たして主は我らの間におられるかどうか」とモーセと争い、主を試した。(出エジプト17:7)
「主を試みる」は「神に仕事をさせてみる」ことである。
「汝マツサにおいて試みしごとく汝の神ヱホバを試むるなかれ」 申命記6:16 明治元訳聖書
† 細き聲 説教
「第二の試み」
「イエス言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と、また録されたり』」 マタイ4:7 大正文語訳聖書
「イエスは、『「あなたの神である主を試してはならない」とも書いてある』と言われた」 新共同訳聖書
悪魔はイエスに第二の問いを発する。「いいだろう。人間が『神の口から出る一つ一つのことばで生きる』を認めよう。では、彼の口に『神のことば』を与えよ。人間がこの神殿の屋根から身を投げるも驚くことではない。神は、『神が天使に命じると天使は手であなたを支える』と語られたのだ」
第二の試みは、創世記の「蛇の試み」の再現である。蛇はアダムとエバに「決して死ぬことはない、それを食べると目が開け、神のように善悪を知るものとなる」と誘惑して成功し、荒野で「身を投げても決して死ぬことはない」とイエスを誘惑して、人間への「試み」を完成しようとする。
人間が「神の口から出る一つ一つのことば」によって「人間」であるとき、人間は自らに語られる神のことばを身に帯びる。神のことばを身に帯びた人間は神のごとき者となる。これは誘惑である。アダムの「神のごとき存在にならん」という意志と、イエスが身を投げることによって神にことばの実行を強いることとは同質の行為である。
「神への応答によって自らの存在を『神のごとき者』にまで身を高く引き上げよ、それこそが人間の救いなのではないか」と悪魔はイエスに問うのである。ならば、まず神殿の屋根の上から飛び降りてみよ。それによって人間の救いが実現し、新しい「人間」が出現するだろう。「神はわれらの中に居ます!」
悪魔の問いに対して、イエスは申命記6:16から「あなたの神である主を試してはならない」と語られる。
イスラエルがエジプトから脱出しレフィデムに宿営したとき、そこに水がなく、人々は渇いてつぶやいた。モーセが杖でホレブの岩を打つと水が出、その場所はマサ「試し」(又はメリバ「争い」)と名づけられた。イスラエルは、主は我らの間におられるかどうかと言ってモーセと争い主を試したの。(出エジプト17:7) これを受けて申命記に「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたの神である主を試してはならない」と記される。
人間はいかなる意味においても、自らを「神のごとき者」としてはならない。それは「神を試す」ことである。
「人間は神に創られた」、ゆえに、あらゆる状況において「神ではない」と自らに告げる、ゆえに、人間は「尊き者」である。そこに人間の尊厳がある。
人間は神との関係の中に生きる。神から離れるとき、人は「神」を失い、そして「人間」を失う。神との関係に生きること、すなわち「人間」であることこそが人間の「救い」である。悪魔の「神のごとき者」という人間に対して、イエスは神との関係の中の人間の尊厳を守られる。
(皆川誠)
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