マタイによる福音書4章3節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「荒野の試み」 マタイ4:1~11

マタイ4:1~11  マルコ1:12~13  ルカ4:1~13
マタイ4:1~11

Matt.4:3すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい(この石に、パンになれと命じてごらんなさい ルカ4:3)」。 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.4:3

【漢訳聖書】
Matt.4:3 試者就之曰、爾若神之子、則命此諸石爲餅。

【明治元訳】
Matt.4:3 試(こころ)むる者(もの)かれに來(きた)りて曰(いひ)けるは爾(なんぢ)もし神(かみ)の子(こ)ならば命(めい)じて此(この)石(いし)をパンと爲(せ)よ

【大正文語訳】
Matt.4:3 試むる者きたりて言ふ『汝もし神の子ならば、命じて此等の石をパンと爲らしめよ』

【ラゲ訳】
Matt.4:3 試むるもの近づきて、汝若神の子ならば、命じて此石を麪とならしめよ、と云ひければ、

【口語訳】
Matt.4:3 すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。

【新改訳改訂3】
Matt.4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」

【新共同訳】
Matt.4:3 すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」

【バルバロ訳】
Matt.4:3 すると試みる者が近づい、「あなたが神の子ならこれらの石がパンになるように命じよ」と言った。

【フランシスコ会訳】
Matt.4:3 そのとき試みる者が近づき、イエズスに、「もし、あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい」と言った。

【日本正教会訳】
Matt. 4:3 試みる者彼に就きて曰へり、爾(なんじ)若(も)し神の子ならば、此の石に命じて餅(ぱん)と爲らしめよ。

【塚本虎二訳】
Matt.4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」

【前田護郎訳】
Matt.4:3 試みるものが彼に近づいていった、「もし神の子なら、これらの石にパンになれといいなさい」と。

【永井直治訳】
Matt.4:3 また試むる者彼に進み來りていへり、汝もし神の子ならば、此等の石の、パンになるやういへ。

【詳訳聖書】
Matt.4:3 すると試みる者が来て彼に言った、「もしあなたが神の子であるならば、これらの石に命じてパンにしなさい」。

† 聖書引照 Matt.4:3

Matt.4:3 試むる者きたりて言ふ『汝もし神の子ならば、命じて此等の石をパンと爲らしめよ』

[試むる者きたりて言ふ]  ヨブ1:9~12; Job 2:4~7; ルカ22:31,32; Ⅰテモ3:5; 黙示2:10; 12:9~11
[汝もし神の子ならば]  マタ3:17; ルカ4:3,9
[命じて此等の石をパンと爲らしめよ]  創世3:1~5; 25:29~34; 出エ16:3; 民数11:4~6; 詩篇78:17~20; ヘブ12:16

† ギリシャ語聖書 Matt.4:3

Stephens 1550 Textus Receptus
και προσελθων αυτω ο πειραζων ειπεν ει υιος ει του θεου ειπε ινα οι λιθοι ουτοι αρτοι γενωνται

Scrivener 1894 Textus Receptus
και προσελθων αυτω ο πειραζων ειπεν ει υιος ει του θεου ειπε ινα οι λιθοι ουτοι αρτοι γενωνται

Byzantine Majority
και προσελθων αυτω ο πειραζων ειπεν ει υιος ει του θεου ειπε ινα οι λιθοι ουτοι αρτοι γενωνται

Alexandrian
και προσελθων αυτω ο πειραζων ειπεν ει υιος ει του θεου ειπε ινα οι λιθοι ουτοι αρτοι γενωνται

Hort and Westcott
και προσελθων αυτω ο πειραζων ειπεν ει υιος ει του θεου ειπε ινα οι λιθοι ουτοι αρτοι γενωνται

† ギリシャ語聖書 Interlinear

Matt. 4:3

Καὶ προσελθὼν ὁ πειράζων εἶπεν αὐτῷ, Εἰ υἱὸς εἶ τοῦ θεοῦ, εἰπὲ ἵνα οἱ λίθοι οὗτοι ἄρτοι γένωνται.

Καὶ  προσελθὼν   ὁ   πειράζων      εἶπεν  αὐτῷ,    Εἰ   υἱὸς   εἶ     τοῦ θεοῦ, 
And  approaching  the  tempting[one]  said  to him,    If   Son   thou art   of God,

εἰπὲ  ἵνα        οἱ λίθοι   οὗτοι  ἄρτοι    γένωνται.
say in order that    stones  these   loaves   may become.

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.4:3

Καὶ προσελθὼν ὁ πειράζων εἶπεν αὐτῷΕἰ υἱὸς εἶ τοῦ θεοῦεἰπὲ ἵνα οἱ λίθοι οὗτοι ἄρτοι γένωνται.

† ラテン語聖書 Matt.4:3

Latin Vulgate
Matt.4:3

Et accedens tentator dixit ei: Si Filius Dei es, dic ut lapides isti panes fiant.
And approaching, the tempter said to him, “If you are the Son of God, tell these stones to become bread.”

† ヘブライ語聖書 Matt.4:3

Matt.4:3

נִגַּשׁ אֵלָיו הַמְנַסֶּה וְאָמַר: אִם בֶּן־הָאֱלֹהִים אַתָּה, צַוֵּה שֶׁהָאֲבָנִים הָאֵלֶּה יִהְיוּ לְלֶחֶם

† 私訳(詳訳)Matt.4:3

【私訳】 「そのとき、誘惑する者<試みる者>が近づいて来て彼〔イエス〕に言った。『もしあなたが本当に神の子であるのなら、これらの石<白い石、石ころ>がパンになる<石からパンが生じる>ように、言え』」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.4:3

Καὶ προσελθὼν ὁ πειράζων εἶπεν αὐτῷ, Εἰ υἱὸς εἶ τοῦ θεοῦ, εἰπὲ ἵνα οἱ λίθοι οὗτοι ἄρτοι γένωνται.

【そして】 Καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

【誘惑する者が】 πειράζων  πειράζω  ペイラゾー  peirazō {pi-rad‘-zo} (vppanm-s 分詞・現能主男単)

1)試みる、試験する、誘惑する、やってみる、企てる、探りを入れる 2)力を試す、試す、襲う、戦う 3)経験する、体験する、体験して知る、確かめる 4)誘惑する、誘う、試みえる

英語「誘惑 seduction」はラテン語「seducer わきに導く」に由来する

マタ4:1,3; 16:1; 19:3; 22:18,35;  マル1:13; 8:11; 10:2; 12:15;  ヨハ6:6; 8:6 etc.

【来て】 προσελθὼν  προσέρχομαι プロセルこマイ proserchomai {pros-er‘-khom-ahee} (vpaanm-s 分詞・2アオ能主男単)

< πρός 向かって + ἔρχομαι 行く、来る

1)近づく、来る、ある人の許に行く(来る)、ある場所に行く(来る)、寄る 2)立ち向かう 3)降服する 4)同意する

【彼に】 αὐτῷ  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npdm3s 代名詞・与男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

【言った】 εἶπεν  εἶπον エイポン  eipon {i‘-pon}  (viaa–3s 動詞・直・2アオ・能・3)

1)言う、話す、語る、告げる、言いあらわす、述べる、呼ぶ 2)命じる、願う、尋ねる 3)~と呼ぶ、称する 4)語られたこと、言葉、発言、発話、話の内容 5)出来事

【神の子なら】 Εἰ υἱὸς εἶ τοῦ θεοῦ

【もし】 Εἰ εἰ エイ  ei {i } (cs 接続詞・従位)

1)もし 2)もしも、かりに 3)もし~であれば 4)~かどうか 5)~ならば 6)決して~ない

【神の】 θεοῦ  θεός てオス  theos {theh‘-os} (n-gm-s 名詞・属男単)

1)神 2)神性 3)唯一の神

θεός の語源は次の二語に求められる

1 τεθειχέναι 万物を自らの基の上に置く
2  θέειν 駆ける

【子】 υἱὸς   υἱός フゅィオス huios {hwee-os’}  (n-nm-s 名詞・主男)

1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子

「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן  ベーン ben {bane}  息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。

マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45;  Ⅱコリ6:18;  ガラ3:7 etc.

【であるなら】 εἶ  εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘} (vipa–2s 動詞・直・現・能・2単)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

【これらの】 οὗτοι  οὗτος フートス houtos {hoo‘-tos} (apdan-p 指示代名詞・主男複)

1)その、この、これ 2)この者、この男・女 2)そんな、こんな 3)すなわち、だから 4)そこで、それ故

【石が】 λίθοι  λίθος  リとス  lithos {lee‘-thos} (n-nm-p 名詞・主男複)

1)石 2)石ころ 3)石版 4)ひきうす、大きい石 5)宝石、大理石

マタ3:9; 4:3,6; 7:9; 21:42,44; 24:2; 27:60,66; 28:2;  マル5:5; 12:10; 13:1;,2; 15:46: 16:3,4;  ルカ3:8; 4:3,11; 17:2; 19:40,44; 20:17,18; 21:5,6; 22:41; 24:2; ヨハ8:7,59; 10:31; 11:38,39,41; 20:1 etc.

【パンに】 ἄρτοι  ἄρτος  アルトス  artos {ar‘-tos} (n-nm-p 名詞・主男複)

1)パン、厚さ2センチくらいの円形のパン 2)パンの一塊 3)食物

マタ4:3,4; 7:9; 12:4; 14:17,19; 15:26,33,34,36; 16:5,7,8,9,10,11,12; 26;26;  マル2:26; 6:37,38,41,44,52; 7:27; 8:4;,5,6,14,16,17,19,14:22 etc

【なる】 γένωνται   γίνομαι  ギノマイ ginomai {ghin‘-om-ahee}  (vsad–3p 動詞・仮・2アオ・能欠・3複)

1)存在するようになる、存在するにいたる、存在を始める 2)生じる、生ずる、生まれる 3)現れる、おこる、発生する、始まる、になる、ふりかかる、成る、登場する、来る 4)~とされる、仕上げられる、作られる、行われる、なされる 5)出る、起こる

【ように】 ἵνα  ἵνα ヒナ hina {hin‘-ah} (cc 接続詞・等)

1)そこに(へ) 2)~するために 3)~する事を 4)~ので 5)という事は 6)~であるところの 7)~するように 8)すなわち

【命じよ】 εἰπὲ  εἶπον エイポン  eipon {i‘-pon}  (vmaa–2s 動詞・命・2アオ・能・2)

1)言う、話す、語る、告げる、言いあらわす、述べる、呼ぶ 2)命じる、願う、尋ねる 3)~と呼ぶ、称する 4)語られたこと、言葉、発言、発話、話の内容 5)出来事

† 英語訳聖書 Matt.4:3

King James Version
4:3 And when the tempter came to him, he said, If thou be the Son of God, command that these stones be made bread.

American Standard Version
4:3 And the tempter came and said unto him, If thou art the Son of God, command that these stones become bread.

New International Version
4:3 The tempter came to him and said, “If you are the Son of God, tell these stones to become bread.”

Bible in Basic English
4:3 And the Evil One came and said to him, If you are the Son of God, give the word for these stones to become bread.

Darby’s English Translation
4:3 And the tempter coming up to him said, If thou be Son of God, speak, that these stones may become loaves of bread.

Douay Rheims
4:3 And the tempter coming said to him: If thou be the Son of God, command that these stones be made bread.

Noah Webster Bible
4:3 And when the tempter came to him, he said, If thou art the son of God, command that these stones be made bread.

Weymouth New Testament
4:3 So the Tempter came and said, ‘If you are the Son of God, command these stones to turn into loaves.’

World English Bible
4:3 The tempter came and said to him, ‘If you are the Son of God, command that these stones become bread.’

Young’s Literal Translation
4:3 And the Tempter having come to him said, ‘If Son thou art of God — speak that these stones may become loaves.’

Amplified Bible
4:3 And the tempter came and said to Him, “If You are the Son of God, command that these stones become bread.”

† 細き聲 聖書研究ノート

<試むる者きたりて言ふ『汝もし神の子ならば、命じて此等の石をパンと爲らしめよ』>

サタンの第一の試みは、「もしあなたが神の子(メシア、救い主)ならば、これらの石をパンにして民にあたえたらどうか」というものだった。

<誘惑者>

「誘惑する者 πειράζω  ペイラゾー」は獲物を狙う猛獣のように近づく。彼は誘惑の効果が最大にふくらむのを待ち、一気に襲いかかる。

<サタンの試み>

「神の子なら」 原文「もし、あなたが本当に神の子であるなら」 悪魔はイエスが「神の子」であるかどうかを疑うのではない。イエスの意味を変えようと試みるのである。

サタンのイエスに対する試みの隠れた目的は、神によって創られた人間の意味を変えることであった。その試みは、イエスに退けられた後も諦めることなく延々と人間の歴史の中に続いている。

<大審問官と復活のキリスト>

ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』に復活のキリストと老大審問官との対話がある。それは次男イワンが3男アリョーシャに語るキリストとサタンの会話である。

老大審問官は復活のキリストが巷でかつてと同じ奇跡を起こすのをみてキリストを捕らえて牢に閉じ込め、なぜ「荒野の誘惑」を退けたのかを問ふ。

老大審問官はもし、あのときキリストが石をパンに変える奇跡をおこしたなら、人間はイエスをメシアと認め、膝まづき礼拝したであろう。そうしなかったために人間は今日もパンを求めて迷っている。

サタンの側に立つ老大審問官は饒舌に語る。

「われわれはおまえの名をもって、彼らに食を与えてやるからだ。しかしおまえの名をもってと言うのは、ほんの出まかせにすぎないのだ。そうとも、われわれがいなかったら、彼らは永久に食を得ることができないのだ! 彼らが自由であるあいだは、いかなる科学でも彼らにパンを与えることはできない。結局、彼らは自分の自由をわれわれの足もとに投げ出して、《わたくしどもを奴隷になすってもかまいませんから、どうか食べ物をください》というようになるだろう。つまり、自由とパンはいかなる人間にとっても、両立しがたいことを、彼らはみずから悟るだろう。実際どんなことがあっても、けっして彼らは自分たちのあいだで、うまく分配するということができないに決まっているから、また彼らは無力で、不徳で、無価値な暴徒にすぎないのだから、けっして自由になり得ないことも悟るだろう。おまえは彼らに天上のパンを約束したが、何度もくり返すようだが、はたしてあの無力で、永久に不徳な、永久にげすばった人間の眼から見て、天上のパンが地上のパンと比べものになるだろうか? よし幾千万の人間が、天上のパンが欲しさに、おまえの後からついて行くにしても、天上のパンのために地上のパンを捨てることのできない幾百、幾千万の人間は、いったいどうなるというのだ?」

復活のキリストは老大審問官のすべての言葉を聞いて、無言で大審問官に歩み寄り、接吻する。

「それが回答の全部なのだ、老人はぎくりとした。なんだか唇の両端がぴくりと動いたようであった。と、彼は扉(とびら)のそばへ近づいて、それをさっとあけ放しながら、囚人に向かって、『さあ、出て行け、そしてもう来るな……二度と来るな……どんなことがあっても!』と言って、『暗い巷(ちまた)』へ放してやる。すると囚人はしずしずと歩み去るのだ」(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

<パン>

漢訳聖書は「パン」を「餅」と訳す。日本正教会訳もそれに従い「餅」として「パン」と読ませる。(山浦玄嗣訳では「握飯」)

† 心のデボーション

「試むる者きたりて言ふ『汝もし神の子ならば、命じて此等の石をパンと爲らしめよ』」 マタイ4:3 大正文語訳聖書

「そのとき試みる者が近づき、イエズスに、『もし、あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい』と言った」 フランシスコ会訳聖書

「パンの問題」

人は「パン」がなくては生きていけない。「パン」を求める行為は神聖なものである。

「汝は面に汗して食物を食ひ終に土に歸らん」 創世記3:19 明治元訳聖書

だが、人間にとって「パン」が「所有」の問題に変わるのにそう長い時間はかからなかった。所有を増やすことが人間の価値を決め、安定を約束したからだ。

ここに所有を目的とする人間が生まれた。人間の未来は、いかにして「パン」の問題を神聖な業に戻すかにかかっている。

† 心のデボーション

「試むる者きたりて言ふ『汝もし神の子ならば、命じて此等の石をパンと爲らしめよ』」 マタイ4:3 大正文語訳聖書

「そのとき試みる者が近づき、イエズスに、『もし、あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい』と言った」 フランシスコ会訳聖書

「マザー・テレサ」

マザー・テレサはインドの街頭に行き、そのまま放っておけば、まもなく死ぬであろう人を施設に連れ帰り、手厚く看護し、食物を提供して、いのちを救った。その人が「再び、街頭で物乞いができる」ほどに体力が回復すると、施設から出るように命じた。施設においてくれるように強く願う者もいたが、テレサは認めなかったという。

彼女は「石をパンにする」ことを拒み、それによってインドの貧しい人々を「人間」に戻そうとしたのである。

† 細き聲 説教

「パンの問題」

「試むる者きたりて言ふ『汝もし神の子ならば、命じて此等の石をパンと爲らしめよ』」 マタイ4:3 大正文語訳聖書

「そのとき試みる者が近づき、イエズスに、『もし、あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい』と言った」 フランシスコ会訳聖書

サタンの第一の試みは、「もしあなたが神の子(メシア、救い主)ならば、これらの石をパンにして民に与えたらどうか」というものだった。

サタンはイエスが「神の子、神から遣わされたメシア(救い主)」であることを疑っていない。むしろ、認めたうえで、「あなたが、神の子、神から遣わされたメシア(救い主)であることは認めよう。それなら、あなたが救おうとしている人間について論じよう。人間が求める救いとはなんだ? 勿論、それは「パンの問題」であることはあなたも知っているはずだ。あなたは、まずパンの問題を解決すべきだ。それにはこの砂漠の石をパンに変えて、民に与えたらどうだろうか。そうすれば、人間はあなたを「神の子、神から遣わされたメシア(救い主)」と認めるのではないか」とイエスを誘惑した。

サタンはイエスに「人間とは何か」という問いを発し、人間の救いの意味を通して「イエス(メシア)とは何か」を問うているのである。

サタンは「パンの問題」を人間の根源に据える。

それは「四十日四十夜」を断食をもって過ごされ、「餓えと渇き」を覚えられたイエスの肉体の苦悩に直接うったえる問いであった。

人間からすべてを奪う厳しい砂漠の中で、人間の生がぎりぎりのところで求めるのは「パンと水」であることは論をまたない。

旧約聖書は「パンの問題」を決して無視しない。

神の祝福は「その年の豊作」であり、「戦争への勝利」であり、「あふれる金銀」であり、「終わることのない長寿」であった。

ヨブも肉体を失い、家族を失い、家畜を失う試みを受けたが、試みが終わると、失ったものはすべて「倍」になって戻されている。(ヨブ42:12)

私たちも「パンの問題」を避けることがあってはならない。「パンの問題」を神に祈るのは極めて信仰の問題である。

しかし、「パンの問題」は、それを解決することが、神のなされる人間の救いではない。

神の創造された人間は「パンのみに生きる者」ではない。

「健康と長寿」のみを神に祈る信仰が、神の創造された人間ではない。

サタンも「人間とは何か」と人間に問いかけているのである。

(皆川誠)

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