マタイによる福音書3章17節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「バプテスマ」 マタイ3:13~17

マタイ3:13~17  マルコ1:9~11  ルカ3:21~22  ヨハネ1:32~34
Matt.3:17

また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
(1:32ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。 1:33わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。 1:34わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。ヨハネ1:32~33)口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt. 3:17

【漢訳聖書】
Matt. 3:17 自天有聲云、此乃我之愛子、我所喜悅者也。

【明治元訳】
Matt. 3:17 又(また)天(てん)より聲(こゑ)ありて此(こ)は我(わが)心(こころ)に適(かなふ)わが愛子(あいし)なりと云(いへ)り

【大正文語訳】
Matt. 3:17 また天より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』

【ラゲ訳】
Matt. 3:17 折しも又天より聲ありて、「是ぞ我心を安んぜる我愛子なる」と云へり。

【口語訳】
Matt. 3:17 また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

【新改訳改訂3】
Matt. 3:17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

【新共同訳】
Matt. 3:17 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

【バルバロ訳】
Matt. 3:17 天から、「これは私が喜びとするいとし子である」という声がした。

【フランシスコ会訳】
Matt. 3:17 そのとき、天から、「これはわが愛する子、わが心にかなう者である」という声がした。

【日本正教会訳】
Matt. 3:17 且(かつ)天より聲ありて云ふ、此は我の至愛(しあい)の子、我が喜べる者なり。

【塚本虎二訳】
Matt. 3:17 するとその時、「これは(いま)わたしの“最愛の子、”“わたしの心にかなった”」と言う声が天から出た。

【前田護郎訳】
Matt. 3:17 すると見よ、天から声がしていう、「これこそわがいとし子、わがよみするもの」と。

【永井直治訳】
Matt. 3:17 また見よ、天よりの聲〔あり〕、云ひ給ひけるは、此の者は我が子、愛せらるる者なり、彼に於てわれ悅を得たり。

【詳訳聖書】
Matt. 3:17 そして見よ、天からの声があり、「これは私の子、私の愛する者、私の喜ぶ者である」と言った。

† 聖書引照 Matt. 3:17

Matt. 3:17 また天より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』

[また天より聲あり]  ヨハ5:37; 12:28~30; 黙示14:2
[曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』]  マタ12:18; 17:5; 2:7; イザ42:1,21; マル1:11; 9:7; ルカ3:22; 9:35; エペ1:6; コロ1:13; Ⅱペテ1:17

† ギリシャ語聖書 Matt. 3:17

Stephens 1550 Textus Receptu
και ιδου φωνη εκ των ουρανων λεγουσα ουτος εστιν ο υιος μου ο αγαπητος εν ω ευδοκησα

Scrivener 1894 Textus Receptus
και ιδου φωνη εκ των ουρανων λεγουσα ουτος εστιν ο υιος μου ο αγαπητος εν ω ευδοκησα

Byzantine Majority
και ιδου φωνη εκ των ουρανων λεγουσα ουτος εστιν ο υιος μου ο αγαπητος εν ω ευδοκησα

Alexandrian
και ιδου φωνη εκ των ουρανων λεγουσα ουτος εστιν ο υιος μου ο αγαπητος εν ω ευδοκησα

Hort and Westcott
και ιδου φωνη εκ των ουρανων λεγουσα ουτος εστιν ο υιος μου ο αγαπητος εν ω ευδοκησα

† ギリシャ語聖書 Matt. 3:17

Matt. 3:17

κοὶ ἰδοὺ φωνὴ ἐκ τῶν οὐρανῶν λέγουσα, Οὗτός ἐστιν ὁ υἱός μου ὁ ἀγαπητός, ἐν  εὐδόκησα.

† ラテン語聖書 Matt. 3:17

Latin Vulgate
Matt. 3:17

Et ecce vox de cælis dicens: Hic est Filius meus dilectus, in quo mihi complacui.
And behold, there was a voice from heaven, saying: “This is my beloved Son, in whom I am well pleased.”

† ヘブライ語聖書 Matt. 3:17

Matt. 3:17

וְהִנֵּה קוֹל מִן הַשָּׁמַיִם אוֹמֵר: “זֶה בְּנִי אֲהוּבִי אֲשֶׁר בּוֹ חָפַצְתִּי

† 私訳(詳訳)

【私訳】 「そして見よ、天からこう告げる声〔があった〕。『これはわたしの子、わたしの愛する<こよなく愛する>者<息子、我が子>、わたしはこれを喜びとする<意に適う、満足する、心に適う、好ましく思う、良いと思う>』」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt. 3:17

κοὶ ἰδοὺ φωνὴ ἐκ τῶν οὐρανῶν λέγουσα, Οὗτός ἐστιν ὁ υἱός μου ὁ ἀγαπητός, ἐν ὧ εὐδόκησα.

【そして】 κοὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

【見よ】 ἰδοὺ  ἰδού イドゥ  idou {id-oo‘} (qs 不変化詞)

1)そら、ほら、さあ、まあ、それ 2)見よ、見よ驚くことに、ごらん

注意を喚起する言葉「見よ、驚くことに」

【天から】 ἐκ τῶν οὐρανῶν

【天】 οὐρανῶν  οὐρανός  ウーラノス ouranos {oo-ran-os‘} (n-gm-p 名詞・属男複)

1)空、大空、蒼穹、丸天井 2)天の、天にある、天、天界  3)神の座、神のいますところ、神のみ住まい 4)王権 5)宇宙

ユダヤ人は天が幾層もあると考えた

マタ3:2,17; 5:35,48; 6:9,20,26; 7:11; 24:29;  マル1:11; 13:25; 16:19;  ルカ2:1311:13; 12:33; 15:18;24:51;  ヨハ1:51 etc.

【から】 ἐκ ἐκ エク  ek ex {ek, ex} (pg 前置詞・属)

1)から、~の中から 2)~の外に、~から外へ、~から出て 3)によって 4)で  (動作の出発点を示す) 5)のために

【~という】 λέγουσα  λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vppanf-s 分詞・現能主女)

1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す

マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34;  マル2:11; 5:9; 12:18;  ルカ5:39; 6:46; 20:41;  ヨハ1:29; 2:6; 16:12;etc.

【声】 φωνὴ  φωνή  ふォーネー phōnē {fo-nay‘} (n-nf-s 名詞・主女単)

1)音声、声、音、響き、鳴き声 2)言葉、言語、国語 3)叫び、響き 4)騒音、物音

マタ3:17; 12:19; 17:5; マル1:3,11;  ルカ1:42; 9:35;  ヨハ1:23: 10:3;,4,16,27: 12:30; 18:37;  使徒9:1; 22:14; 24:14;  ガラ4:20;  Ⅰテサ4:16;  Ⅱペテ1:17; 2:16;  黙示1:10; 3:20

永井訳 「また見よ、天よりの聲(あり)」

【わたしの愛する子】 Οὗτός ἐστιν ὁ υἱός μου ὁ ἀγαπητός

【これは】 Οὗτός  οὗτος フートス houtos {hoo‘-tos} (apdnm-s 指示代名詞・主男単)

1)その、この、これ 2)この者、この男・女 2)そんな、こんな 3)すなわち、だから 4)そこで、それ故

【わたしの】 μου  ἐγώ エゴー  egō {eg-o‘} (npg-1s 代名詞・属1単)

1)私 2)わたし

【愛する】 ἀγαπητός  ἀγαπητός  アガペートス agapētos {ag-ap-ay-tos‘} (a–nm-s 形容詞・主男単)

1)愛する、愛された、愛されている、かわいい、こよなく大事な、寵児の 2)願わしい、歓迎された、好ましい 3)かわいい

マタ3:17; 12:18; 17:5;  マル1:11; 9:7; 12:6;  ルカ3:22; 20:13;  Ⅱコリ1:17 etc.

【子】 υἱός  υἱός フゅィオス huios {hwee-os’}  (n-nm-s 名詞・主男)

1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子

「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן  ベーン ben {bane}  息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。

マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45;  Ⅱコリ6:18;  ガラ3:7 etc.

【わたしの心に適う者】 ἐν ὧ εὐδόκησα

【わたしの心に適う】 εὐδόκησα  εὐδοκέω  エウドケオー  eudokeō {yoo-dok-eh‘-o } (viaa–1s 動詞・直・1アオ・能・1単)

< εὐ よく + δοκέω 思う

1)喜びとする、~を喜ぶ、意にかなう、~に満足する、心にかなっている 2)決心する、決定する 3)欲する 4)同意する、よいと考える、よいと思う、賛成する、好ましい、気に入っている

マタ3:17; 12:18; 17:5;  マル1:11;  ルカ3:22;  Ⅱコリ2:12;  Ⅱテサ2:12;  ヘブ10:6,8,38;  Ⅱペテ1:17 etc.

【ところの者】 ὧ ὅς  ホス  hos {hos} (aprnn-s 関係代名詞・与男単)

1)この~ 2)これ 3)ところの、そして

【で】 ἐν ἐν エン en {en}  (pd 前置詞・属)

1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に

【ある】 ἐστιν  εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3単)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

† 英語訳聖書  Matt. 3:17

King James Version
3:17 And lo a voice from heaven, saying, This is my beloved Son, in whom I am well pleased.

American Standard Version
3:17 and lo, a voice out of the heavens, saying, This is my beloved Son, in whom I am well pleased.

New International Version
3:17 And a voice from heaven said, “This is my Son, whom I love; with him I am well pleased.”

Bible in Basic English
3:17 And a voice came out of heaven, saying, This is my dearly loved Son, with whom I am well pleased.

Darby’s English Translation
3:17 and behold, a voice out of the heavens saying, This is my beloved Son, in whom I have found my delight.

Douay Rheims
3:17 And behold a voice from heaven, saying: This is my beloved Son, in whom I am well pleased.

Noah Webster Bible
3:17 And lo, a voice from heaven, saying, This is my beloved Son, in whom I am well pleased.

Weymouth New Testament
3:17 while a voice came from Heaven, saying, ‘This is My Son, the dearly loved, in whom is My delight.’

World English Bible
3:17 Behold, a voice out of the heavens said, ‘This is my beloved Son, in whom I am well pleased.’

Young’s Literal Translation
3:17 and lo, a voice out of the heavens, saying, ‘This is My Son — the Beloved, in whom I did delight.’

Amplified Bible
3:17 and behold, a [m]voice from heaven said, “This is My beloved Son, in whom I am well-pleased and delighted!”

Footnotes:
[m]This is the first instance recorded in the Gospels of the Father speaking audibly to His Son. Also see Matt 17:5; Mark 1:11; 9:7; Luke 3:22; 9:35; John 12:28.

† 細き聲 聖書研究ノート

<また天より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』>

バプテスマを受け水から上がられたイエスは神の御霊が鳩のように下るのをご覧になり、天から「これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり」と告げる声をお聞きになった。

「これは我が愛しむ子」は詩篇2:7からの、「わが悦ぶ者なり」はイザヤ42:1からのものである。

<天からの声>

ラマから「嘆き叫ぶ声」が聞え、ヨルダンから「荒野で叫ぶ声」が聞こえ、そして今、天から「叫ぶ声」がする。「天からの声」はラマからヨルダンへ、そして「私」へ届く。

<これにおいて喜ぶ>

「心に適う εὐδοκέω  エウドケオー」は「好ましい、満足する」の意味。新約聖書には21回使われており、おもに神を主語として使われている。共観福音書ではイエスに対する神の喜びを表わしている。

「私」という存在もまた、神に好ましく、意に適うものである。神は「私」を創り、「私」において喜び給う。神の満足し給うものを、私はなぜ喜べないのだろうか? 私はまだ「私」についてその全部を知らない。ただ、この御言葉を自分の前に置いて、少しでも「私」に近づきたいのである。しかし、もし私が「私」を引き受けることに「ひるむ」ようであれば、それは神の意に適わない(へブル10:38)。

<アンドレア・ヴェロッキオの『キリストの洗礼』(フィレンツエ ウフィツィ美術館所蔵)>

1473年~1475年にヴェロッキオ工房で、フィレンツエのアン・サルヴィ修道院からの依頼で描かれた。アンドレア・ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチの合作と言われるが、他にも複数の画家の手が加えられているとされている。立っているイエスの頭にヨハネが水をそそいているところから適礼のようである。天から鳩をおくる手が描かれている。背後に黒い一羽の鳥が旋回している。サタンはすでにイエスをうかがっているようである。

(イエスの左に二の人天使がおり、その顔を描いたのは若きレオナルドであった。ヴェロッキオは二人の天使を見て、その出来栄えに驚き、自らの筆を折り、二度と絵筆をとることはなかったという。しかし、それは伝説で事実ではないという)

 † 心のデボーション

「また天より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』」 マタイ3:17 大正文語訳聖書

「そのとき、天から、「これはわが愛する子、わが心にかなう者である」という声がした」 フランシスコ会訳聖書

「私の存在」

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神の聲はイエスにとどまることなく、イエスを通って「私」に向けられる。

神は「私」という存在を喜び、楽しまれる。おお、その楽しみの深さよ!

† 心のデボーション

「また天より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』」 マタイ3:17 大正文語訳聖書

「我所喜悅者也」 漢訳聖書

「わが喜ぶ者」

「わが喜ぶ者」に漢訳聖書は「喜悅者」と訳す。「悦」は「心」+「兌」で「心の結ぼれを分解して取り去ること」。(「漢字源」学研) 神は心の底から喜ばれる。

† 心のデボーション

「また天より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』」 マタイ3:17 大正文語訳聖書

「そのとき、天から、「これはわが愛する子、わが心にかなう者である」という声がした」 フランシスコ会訳聖書

「気質」

「気質 temperament」はラテン語「四体液を適当な割合で混ぜること」に由来し、古代ギリシアのヒポクラテスが「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4種類を人間の身体の構成要素として定められ、その配合のぐわいによって健康状態、気質などが決められるものと考えられた。

聖書は気質は神が人の心に刻まれたもので、その一人一人を神は愛される。

(†心のデボーション00811)

† 細き聲 説教

「これは我が愛しむ子」

「また天より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』」 マタイ3:17 大正文語訳聖書

「そのとき、天から、「これはわが愛する子、わが心にかなう者である」という声がした」 フランシスコ会訳聖書

バプテスマを受け水から上がられたイエスは神の御霊が鳩のように下るのをご覧になり、天から「これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり」と告げる声をお聞きになった。

「これは我が愛しむ子」は詩篇2:7からの、「わが悦ぶ者なり」はイザヤ42:1からのものである。

「心に適う εὐδοκέω  エウドケオー」は「喜びとする、意にかなう、満足する」の意味である。この言葉には「同意する、よいと考える、よいと思う、賛成する、気に入っている」という意味に加えて「決心する、決定する」の意味もある。

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」はイエスにとどまることなく、イエスを通って「私」に向けられる。神は「私」という存在を喜び、楽しみとされている。

神はイエスをご覧になり、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と告げられ、そのイエスにある「私」を、イエスをご覧になると同じ眼でご覧になり、決して、神の喜びに相応しいとは思えない「私」を、神はイエスによってこれを「喜びとする、意にかなう、満足する」ことに「同意し、よいと考え、よいと思¥い、賛成し、気に入る者」と「決心し、決定された」のである。

(皆川誠)

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