マタイによる福音書3章10節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「ヨハネの宣教」 マタイ3:7~10

マタイ3:7~10  ルカ3:7~14
マタイ3:7~10

Matt.3:10斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。(3:10そこで群衆が彼に、「それでは、わたしたちは何をすればよいのですか」と尋ねた。 3:11彼は答えて言った、「下着を二枚もっている者は、持たない者に分けてやりなさい。食物を持っている者も同様にしなさい」。 3:12取税人もバプテスマを受けにきて、彼に言った、「先生、わたしたちは何をすればよいのですか」。 3:13彼らに言った、「きまっているもの以上に取り立ててはいけない」。 3:14兵卒たちもたずねて言った、「では、わたしたちは何をすればよいのですか」。彼は言った、「人をおどかしたり、だまし取ったりしてはいけない。自分の給与で満足していなさい」。 ルカ3:10~14)口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt. 3:10

【漢訳聖書】
Matt. 3:10 今也斧置樹根、凡樹不結善果者、則見砍而投於火。

【明治元訳】
Matt. 3:10 今(いま)や斧(をの)を樹(き)の根(ね)に置(おか)る故(ゆゑ)に凡(すべ)て善(よき)果(み)を結(むすば)ざる樹(き)は斫(きら)れて火(ひ)に投(なげ)入(いれ)らるべし

【大正文語訳】
Matt. 3:10 斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし。

【ラゲ訳】
Matt. 3:10 斧既に樹の根に置かれたり、故に総て善き果を結ばざる樹は伐られて火に投入れらるべし。

【口語訳】
Matt. 3:10 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。

【新改訳改訂3】
Matt. 3:10 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

【新共同訳】
Matt. 3:10 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。

【バルバロ訳】
Matt. 3:10 おのはもう木の根におかれた。よい実を結ばぬ木は、切り取られて火に投げ入れられる。

【フランシスコ会訳】
Matt. 3:10 おのはすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はみんな切り倒され、火に投げ入れられるのだ。

【日本正教会訳】
Matt. 3:10 既(すで)に斧も樹の根に置かる、凡そ善き果を結ばざる樹は斫(き)られて、火に投げられん、

【塚本虎二訳】
Matt. 3:10 斧はすでに木の根に置いてある。だから、良い実を結ばない木はどんな木でも、切られて火の中に投げ込まれる。

【前田護郎訳】
Matt. 3:10 すでに斧は木の根に置かれている。よい実を結ばぬ木はみな切りとられて火に投げ込まれよう。

【永井直治訳】
Matt. 3:10 されど既に斧も樹の根に對ひて置かる。是の故にすべて良き實を出ださざる樹は伐り倒され、且つ火に投げ入れられん。

【詳訳聖書】
Matt. 3:10 斧はもうすでに木の根に置かれてある。だから、良い実を結ばない木はみな切り倒されて火の中に投げ込まれる。

† 聖書引照 Matt. 3:10

Matt. 3:10 斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし。

[斧ははや樹の根に置かる]  マラ3:1~3; 4:1; ヘブ3:1~3; 10:28~31; 12:25
[斧]  ルカ3:9; 23:31
[されば凡て善き果を結ばぬ樹は]  詩篇1:3; 92:13,14; イザ61:3; エレ17:8; ヨハ15:2
[伐られて火に投げ入れらるべし]  マタ7:19; 21:19; 詩篇80:15,16; イザ5:2~7; 27:11; エゼ15:2~7; ルカ13:6~9; ヨハ15:6; ヘブ6:8; Ⅰペテ4:17,18

† ギリシャ語聖書 Matt. 3:10

Stephens 1550 Textus Receptus
ηδη δε και η αξινη προς την ριζαν των δενδρων κειται παν ουν δενδρον μη ποιουν καρπον καλον εκκοπτεται και εις πυρ βαλλεται

Scrivener 1894 Textus Receptus
ηδη δε και η αξινη προς την ριζαν των δενδρων κειται παν ουν δενδρον μη ποιουν καρπον καλον εκκοπτεται και εις πυρ βαλλεται

Byzantine Majority
ηδη δε και η αξινη προς την ριζαν των δενδρων κειται παν ουν δενδρον μη ποιουν καρπον καλον εκκοπτεται και εις πυρ βαλλεται

Alexandrian
ηδη δε και η αξινη προς την ριζαν των δενδρων κειται παν ουν δενδρον μη ποιουν καρπον καλον εκκοπτεται και εις πυρ βαλλεται

Hort and Westcott
ηδη δε και η αξινη προς την ριζαν των δενδρων κειται παν ουν δενδρον μη ποιουν καρπον καλον εκκοπτεται και εις πυρ βαλλεται

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt. 3:10

ἤδη δὲ ἡ ἀξίνη πρὸς τὴν ῥίζαν τῶν δένδρων κεῖται πᾶν οὖν δένδρον μὴ ποιοῦν καρπὸν καλὸν ἐκκόπτεται καὶ εἰς πῦρ βάλλεται.

† ラテン語聖書 Matt. 3:10

Latin Vulgate
Matt. 3:10

Iam enim securis ad radicem arborum posita est. Omnis ergo arbor, quæ non facit fructum bonum, excidetur, et in ignem mittetur.
For even now the axe has been placed at the root of the trees. Therefore, every tree that does not produce good fruit shall be cut down and cast into the fire.

† ヘブライ語聖書 Matt. 3:10

Matt. 3:10

וּכְבָר מֻנָּח הַגַּרְזֶן עַל שֹׁרֶשׁ הָעֵצִים. עַל כֵּן כָּל עֵץ אֲשֶׁר אֵינֶנּוּ עוֹשֶׂה פְּרִי טוֹב יִגָּדַע וְיֻשְׁלַךְ לְתוֹךְ הָאֵשׁ

† 私訳(詳訳)Matt. 3:10

【私訳】 「また、斧はすでに<今にも、今やすでに>木の根元<付け根>に置かれてある。だから、良い<ふさわしい、美しい、健全な、価値ある>実を結ばない木はみな<一つ残らず>切り倒され、そして火<審判の火、燃えさかる火>の中に投げ込まれる」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt. 3:10

ἤδη δὲ ἡ ἀξίνη πρὸς τὴν ῥίζαν τῶν δένδρων κεῖται πᾶν οὖν δένδρον μὴ ποιοῦν καρπὸν καλὸν ἐκκόπτεται καὶ εἰς πῦρ βάλλεται.

【また】 δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【斧は】 ἀξίνη  ἀξίνη  アクシネー  axinē {ax-ee‘-nay} (n-nf-s 名詞・主女単)

1)斧 2)戦斧

マタ3:10;  ルカ3:9

【既に】 ἤδη  ἤδη  エーデー  ēdē {ay‘-day} (ab 副詞)

1)すでに、もう 2)すぐに、今にも、今や 3)いまやついに、いまやすでに

【木の】 δένδρων  δένδρον  デンドロン  dendron {den‘-dron} (n-gn-p 名詞・属中複)

1)木 2)樹、樹木 3)果樹

マタ3:10; 7:17,18,19; 12:33; 13:32; 21:8;  マル8:24;  ルカ3:9; 6:43,44; 13:19; 21:29;  ユダ12;  黙示7:1,3; 8:7; 9:4

【根元に】 πρὸς τὴν ῥίζαν

【根元】 ῥίζαν  ῥίζα  リザ  rhiza {hrid‘-zah} (n-af-s 名詞・対女単)

1)根 2)根本 3)付け根 4)根底 5)根源、源泉 6)家系、種族、子孫

マタ3:10; 13:6,21;  マル4:6,17; 11:20;  ルカ3:9; 8:13; ロマ11:16,17,18;  Ⅰテサ6:10;  ヘブ12:15

【に】 πρὸς  πρός プロス pros {pros} (pa 前置詞・対)

1)~のところへ、~の方へ、~に向かって 2)~の近くに、~の側に、~に接して 3)~のために 4)~に対して 5)~について 6)~の面前で

【置かれている】 κεῖται κεῖμαι  ケイマイ  keimai {ki‘-mahee} (vipn–3s 動詞・直・現・能欠・3単)

1)置かれる、横たえる、横たわる、倒れている 2)積まれている 3)定められる、認められている

マタ3:10; 28:6;  ルカ2:34; 3:9;  ヨハ20:5,6,12;  Ⅰコリ3:11;  Ⅱコリ3:15;

【それで】 οὖν  οὖν  ウーン  oun {oon} (ch 接続詞・後置語)

1)それで、それから、それゆえ、そうゆうわけで、故に、さて、ところで、そこで 2)そのように、実際に、確かに、いずれにしても、とにかく 3)だから、その理由で、そんなわけで 4)すると、それでは

【良い】 καλὸν  καλός  カろス  kalos {kal-os‘} (a–am-s 形容詞・対男単)

1)良い、すぐれた、立派な 2)ふさわしい 3)見事な、美しい、うるわしい、善い 4)健全な 5)尊敬すべき、正しい、立派な、価値ある 6)潔白な、高潔な

καλός カろス は、形状、外観がよいこと、使用して目的に叶うこと

ἀγαθός  アガとス は、外観にかかわらず、そのものの内的本質がよいこと

マタ3:10; 5:16; 7:17,18,19; 12:33; 13;8,23,24,37,38,45,48; 15:26; 17:4; 26:10,24  マル4:8,20; 7:27; 9:5,50; 14:6,21 etc.

【実を】 καρπὸν  καρπός  カルポス  karpos {kar-pos‘}  (n-am-s 名詞・対男単)

1)木の実、果実、実、果物 2)田畑の作物、収穫物 3)収穫、作物、実り、成果、行為、結実、結果 4)益、利益、もうけ、利息

マタ3:8,10; 7:16,17,18,19; 12:33; 13:8; 21:19,34,41,43;  マル4:7,8,29; 11:14;  ルカ1:42; 3:8,9; 6:43;,44;8:8; 13:6;,7,9;  ヨハ4:36; 12:24; 15:2,4,5,8,16 etc.

【結ばない】 μὴ ποιοῦν

【結ぶ】 ποιοῦν  ποιέω  ポイエオー poieō {poy-eh‘-o } (vppann-s 分詞・現能主中単)

1)造る、こしらえる、建てる 2)創造する、原因となる、準備する、生み出す 3)やる、なす、行う~にならせる、~にする、こしらえる、準備する、~を~とする、ある状態にする 4)発芽する、結ぶ 5)行う、為す、行動する 6)過ごす 7)守る

【ない】 μὴ  μή メー  mē {may} (qn 不変化詞・否定)

1)~ない

【木は】 δένδρον  δένδρον  デンドロン  dendron {den‘-dron} (n-nn-s 名詞・主中単)

1)木 2)樹、樹木 3)果樹

マタ3:10; 7:17,18,19; 12:33; 13:32; 22:8;  マル3:9; 6:43,44; 13:19; 21:29;  ユダ12; 黙示7:1,3; 8:7; 9:4

【みな】 πᾶν  πᾶς パース pas {pas}  (a–nf-p 形容詞・主複)

1)どれでも、何であれ、何でも、あらゆる、みな  2)~全部の、あらんかぎりの、1つも欠けが無い、ひとり残らず 3)全体の、全部の、すべて 4)混じりものがなく、純粋な

πᾶσαι  パーサイ 「πᾶς どれでも、全体の」の複数形

【切り倒されて】 ἐκκόπτεται  ἐκκόπτω  エクコプトー  ekkoptō {ek-kop‘-to} (vipp–3s 動詞・直・現・受・3単)

1)切り取る、切り倒す、切り落とす、切り捨てる、切り払う 2)やっつける、片づける、始末する、根絶する、断ち切る 3)削り取る、消す

マタ3:10; 5:30; 7:19: 18:8;  ルカ3:9; 13:7,9;  ロマ11:22,24;  Ⅱコリ11:12

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

【火に】 εἰς πῦρ

【火】 πῦρ  πῦρ  プゆル  pur {poor} (n-an-s 名詞・対中単)

1)火 2)審判の火 3)火祭に積み重ねた薪、燃えさかる火、薪の台の上で犠牲の供物を焼く 4)熱

マタ3:10,11,12; 5:22; 7:19; 13:40;,42,50; 17:15; 18:8,9; 25:41;  マル9:22,43,48,49;  ルカ3:9,16,17; 9:54;12:49; 17:29; 22:55;  ヨハ15:6 etc.

【に】 εἰς  εἰς エイス  eis {ice}  (pa 前置詞・対)

1)~の中へ 2)~へ 3)~まで 4)~のために 5)~に対して 6)~に向かって 7)~を目標にして 8)の間に

【投げ込まれる】 βάλλεται  βάλλω  バるろー  ballō {bal‘-lo} (vipp–3s 動詞・直・現・受・3単)

1)投げる、投げつける、投じる、投げ捨てる、落とす 2)撒く、ふりかける 3)打つ 4)突進する、ぶつかる 5)置く、入れる、横たえる 6)注ぐ 7)納める

(元来、武器や飛び道具を投げること)

マタ3:10; 4:6; 5:29; 6:30; 7:6,19; 13:42,50; 18:8,9;  マル9:22,42,45,47,12:41,42,43,44;  ルカ3:9; 4:9;12:28,58; 21:1,2,3,4;  ヨハ15:6 etc.

† 英語訳聖書 Matt. 3:10

King James Version
3:10 And now also the axe is laid unto the root of the trees: therefore every tree which bringeth not forth good fruit is hewn down, and cast into the fire.

American Standard Version
3:10 And even now the axe lieth at the root of the trees: every tree therefore that bringeth not forth good fruit is hewn down, and cast into the fire.

New International Version
3:10 The ax is already at the root of the trees, and every tree that does not produce good fruit will be cut down and thrown into the fire.

Bible in Basic English
3:10 And even now the axe is put to the root of the trees; every tree then which does not give good fruit is cut down, and put into the fire.

Darby’s English Translation
3:10 And already the axe is applied to the root of the trees; every tree therefore not producing good fruit is cut down and cast into the fire.

Douay Rheims
3:10 For now the axe is laid to the root of the trees. Every tree therefore that doth not yield good fruit, shall be cut down, and cast into the fire.

Noah Webster Bible
3:10 And now also the ax is laid to the root of the trees: therefore every tree which bringeth not forth good fruit is hewn down, and cast into the fire.

Weymouth New Testament
3:10 And already the axe is lying at the root of the trees, so that every tree which does not produce good fruit will quickly be hewn down and thrown into the fire.

World English Bible
3:10 Even now the ax lies at the root of the trees. Therefore, every tree that doesn’t bring forth good fruit is cut down, and cast into the fire.

Young’s Literal Translation
3:10 and now also, the axe unto the root of the trees is laid, every tree therefore not bearing good fruit is hewn down, and to fire is cast.

Amplified Bible
3:10 And already the axe [of God’s judgment] is [g]swinging toward the root of the trees; therefore every tree that does not bear good fruit is cut down and thrown into the fire.

† 細き聲 聖書研究ノート

<斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし>

荒野を訪ねたパリサイ人やサドカイ人にバプテスマのヨハネは「悔改め」の時が迫っていることを告げる。

「神の国」の接近は、決断の時をもたらす。「斧ははや樹の根に置かれ」、悔改めてよき実を結ばぬ樹を切り倒そうとしている。

これを聞いて群衆はヨハネに「それでは、わたしたちは何をすればよいのですか」と尋ね、ヨハネは人々に為すべきことを告げている。

「3:11彼は答えて言った、「下着を二枚もっている者は、持たない者に分けてやりなさい。食物を持っている者も同様にしなさい」。 3:12取税人もバプテスマを受けにきて、彼に言った、「先生、わたしたちは何をすればよいのですか」。 3:13彼らに言った、「きまっているもの以上に取り立ててはいけない」。 3:14兵卒たちもたずねて言った、「では、わたしたちは何をすればよいのですか」。彼は言った、「人をおどかしたり、だまし取ったりしてはいけない。自分の給与で満足していなさい」。 (ルカ3:10~14)口語訳聖書

<人生の樹の根元>

人生の樹の根元には、どの瞬間にも「斧 ἀξίνη  アクシネー」が横たえられている。「樹は実によりて知らるる」 (マタイ12:33)

「実のならないイチジクの木のたとえ」でイエスは、3年もの間、実をつけなかったイチジクの木を「切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか」というぶどう園の主人に、園丁に「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥しをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません」と言わせている。(ルカ13:6~9) 人生の樹の根元に置かれた「斧」を見出す者は、同時に、園丁のことばにイエスの声を聴くのである。

<良い実 καρπὸν καλὸν カルトン カロン>

「良い実 καρπὸν καλὸν カルトン カロン」は、木が己に「ふさわしく」つける「実」のこと。人にはそれぞれが結ぶべき実がある。「すぐれた存在」とは、自ずからなる実を結ぶ者のことである。 それとして結ぶ「良い実 καρπὸν καλὸν カルトン カロン」は美しい。

<火に投げ入れられる>

「火 πῦρ  プゆル」は「燃えさかる火」の意味で 「審判の火、火祭に積み重ねた薪」などを意味することもある。本節では「審判の火」を暗示する。

† 心のデボーション

「斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし」 マタイ3:10 大正文語訳聖書

「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」 新共同訳聖書

「斧ははや樹の根に置かる」

「私」という樹は「私」以外の実を結ばない。「私」でないものをつける樹は茂っていても切り倒すしかない。人生が「斧」をふるうだろう。

私は「私」について考えるとき、「斧は既に木の根元に置かれている」という緊張感を拭うことができない。

(†心のデボーション00165)

† 心のデボーション

「斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし」 マタイ3:10 大正文語訳聖書

「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」 新共同訳聖書

「青い実」

若い柿の木は春に沢山の花を咲かせるが、地面がうまるくらいに青い実を落とす。自身の幹を太らせるのに夢中で実を多くはつけない。実を豊かにつけるのは老木である。

老木になってもなお幹の太さを気にして、青い実を大量に落とすようなら、「伐られて火に投げ入れらる」も仕方がない。

(†心のデボーション00166)

† 心のデボーション

「斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし」 マタイ3:10 大正文語訳聖書

「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」 新共同訳聖書

「斧は樹の根に置かる」

「伐られて」を漢訳聖書は「砍」、明治元訳聖書は「斫(きら)れて」とする。「斫」は「石」+「斤」で「斤」は「斧」のことで、「硬いものを斧でたたき割る」の意味である。

実をつけない樹は根元から斧で叩き割られる。

「斧」は「私」という樹の根元に置かれている。

† 細き聲 説教

「よき葡萄の木」

「斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし」 マタイ3:10 大正文語訳聖書

「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」 新共同訳聖書

葡萄の木は3年ほど成長すると木の形も整い、1~2月に剪定をしなければならない。

剪定は実を結んだ枝に4~8芽を残して先を切り落とす。しかし、木の勢いの弱い枝は2~3芽を残して切る。

しかし、もし枝に病気が発生したなら、その枝は根元から切り取り、病気が他の枝にうつらないように火に投じて焼かなければならない。

イエスは御自分を「葡萄の木」に、従う者を「枝」にたとえられている。

「我は眞の葡萄の樹、わが父は農夫なり。 15:2 おほよそ我にありて果を結ばぬ枝は、父これを除き、果を結ぶものは、いよいよ果を結ばせん爲に之を潔めたまふ」 ヨハネ15:1~2 大正文語訳聖書

「実を結ぶ枝」は、ますますよき実を結ぶために余分な枝を落とさなければならないのである。「いよいよ実を結ぶ」ための「潔め」の業である。

しかし、病気で腐ってしまった枝は根元から切り取り、火に投じて焼却するのである。

バプテスマのヨハネが「斧ははや樹の根に置かる」と告げたのは、民衆を誤った教えに導くパリサイ人、サドカイ人たちに対してである。もし、悔改めて神のことばに立ち戻らなければ、「良い実を結ばない木」として「切り倒されて火に投げ込まれる」。

こそから、この御言葉は「相応しくない者」を教会から切断し排除する「神の裁き」を意味するとして語られることがある。

しかし、私たちはこの御言葉をイエスの葡萄の木につながる「枝」として自らに受け取る必要がある。

イエスの葡萄の木の「枝」であるすべての者は、よき実を結ぶために、年毎に、茂りすぎる枝を落とし、腐れが生じた枝は「斧」をもって切り落とさなければならないのである。

「剪定」はイエスの枝としての「私」に対する「神の手入れ」であって、「よき実」を結ぶための取り扱いである。

信仰生活は常に「実を結ぶよき枝」としてイエスに繋がり、イエスからいのちの流れを受け、よき実を結ぶために、「斧ははや樹の根に置かれた斧」を忘れないのである。

(皆川誠)

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