マタイによる福音書3章9節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「ヨハネの宣教」 マタイ3:7~10

マタイ3:7~10  ルカ3:7~14
マタイ3:7~10

Matt.3:9自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.3:9

【漢訳聖書】
Matt. 3:9 勿自意云、我有亞伯拉罕爲祖也、蓋我語爾、神能使此石爲亞伯拉罕子焉。

【明治元訳】
Matt. 3:9 爾曹(なんぢら)われらが先祖(せんぞ)にアブラハム有(あり)と云(いふ)ことを意(おも)ふ勿(なか)れ我(われ)爾曹(なんぢら)に告(つげ)ん神(かみ)は能(よく)この石(いし)をもアブラハムの子(こ)と爲(なら)しめ給(たま)ふなり

【大正文語訳】
Matt. 3:9 汝ら「われらの父にアブラハムあり」と心のうちに言はんと思ふな。我なんぢらに告ぐ、神は此らの石よりアブラハムの子らを起し得給ふなり。

【ラゲ訳】
Matt. 3:9 汝等、我等の父にアブラハムありと心の中に云はんとすること勿れ、蓋我汝等に告ぐ、神は是等の石よりアブラハムの為に子等を起すことを得給ふ。

【口語訳】
Matt. 3:9 自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。

【新改訳改訂3】
Matt. 3:9 『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

【新共同訳】
Matt. 3:9 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。

【バルバロ訳】
Matt. 3:9 心の中で、<われわれの父にアブラハムがいる>と言おうとするな。私は言うが、神はこれらの石からもアブラハムの子らを創ることができる。

【フランシスコ会訳】
Matt. 3:9 『われわれの父はアブラハムである』と、心の中で思ってはならない。わたしは言っていく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを造ることがおできになる。

【日本正教会訳】
Matt. 3:9 自ら意(おも)ひて、我等の父はアウラアムなりと云ふ勿れ、蓋(けだし)我爾等に語ぐ、神は此の石よりアウラアムの爲に子を興(おこ)すを能(よく)す、

【塚本虎二訳】
Matt. 3:9 『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などと考えてはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。

【前田護郎訳】
Matt. 3:9 そしてわれらには父なるアブラハムがあると心の中にいおうと思うな。あなた方にいうが、神はこれらの石からアブラハムに子をおこしたもう。

【永井直治訳】
Matt. 3:9 また汝等己自らのうちに、我等は父にアブラハムありと云はんと思ふ勿れ。そはわれ汝等に云はん、神は此等の石より、アブラハムのために兒等を起し給ふことを得べければなり。

【詳訳聖書】
Matt. 3:9 われわれの先祖にはアブラハムがるのだと心の内で言おうと思うな。私は言う、神はこのような石からアブラハムの子孫を起こすことができる。

† 聖書引照 Matt. 3:9

Matt. 3:9 汝ら「われらの父にアブラハムあり」と心のうちに言はんと思ふな。我なんぢらに告ぐ、神は此らの石よりアブラハムの子らを起し得給ふなり。

[汝ら「われらの父にアブラハムあり」と心のうちに言はんと思ふな]  マル7:21; ルカ3:8; 5:22; 7:39; 12:17
[われらの父にアブラハムあり]  エゼ33:24; ルカ16:24; ヨハ8:33,39,40,53; 使徒13:26; ロマ4:1,11~16; 9:7,8; ガラ4:22~31
[神は此らの石よりアブラハムの子らを起し得給ふなり]  マタ8:11,12; ルカ19:40; 使徒15:14; ロマ4:17; Ⅰコリ1:27,28; ガラ3:27~29; エペ2:12,13

† ギリシャ語聖書 Matt. 3:9

Stephens 1550 Textus Receptus
και μη δοξητε λεγειν εν εαυτοις πατερα εχομεν τον αβρααμ λεγω γαρ υμιν οτι δυναται ο θεος εκ των λιθων τουτων εγειραι τεκνα τω αβρααμ

Scrivener 1894 Textus Receptus
και μη δοξητε λεγειν εν εαυτοις πατερα εχομεν τον αβρααμ λεγω γαρ υμιν οτι δυναται ο θεος εκ των λιθων τουτων εγειραι τεκνα τω αβρααμ

Byzantine Majority
και μη δοξητε λεγειν εν εαυτοις πατερα εχομεν τον αβρααμ λεγω γαρ υμιν οτι δυναται ο θεος εκ των λιθων τουτων εγειραι τεκνα τω αβρααμ

Alexandrian
και μη δοξητε λεγειν εν εαυτοις πατερα εχομεν τον αβρααμ λεγω γαρ υμιν οτι δυναται ο θεος εκ των λιθων τουτων εγειραι τεκνα τω αβρααμ

Hort and Westcott
και μη δοξητε λεγειν εν εαυτοις πατερα εχομεν τον αβρααμ λεγω γαρ υμιν οτι δυναται ο θεος εκ των λιθων τουτων εγειραι τεκνα τω αβρααμ

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt. 3:9

καὶ μὴ δόξητε λέγειν ἐν ἑαυτοῖςΠατέρα ἔχομεν τὸν ᾽Αβραάμ. λέγω γὰρ ὑμῖν ὅτι δύναται ὁ θεὸς ἐκ τῶν λίθων τούτων ἐγεῖραι τέκνα τῷ ᾽Αβραάμ.

† ラテン語聖書 Matt. 3:9

Latin Vulgate
Matt. 3:9

Et ne velitis dicere intra vos: Patrem habemus Abraham. Dico enim vobis quoniam potens est Deus de lapidibus istis suscitare filios Abrahæ.

And do not choose to say within yourselves, ‘We have Abraham as our father.’ For I tell you that God has the power to raise up sons to Abraham from these stones.

† ヘブライ語聖書 Matt. 3:9

Matt. 3:9

וְאַל תַּחְשְׁבוּ בִּלְבַבְכֶם לֵאמֹר, ‘אַבְרָהָם הוּא אָבִינוּ’, כִּי אֲנִי אוֹמֵר לָכֶם שֶׁמִּן הָאֲבָנִים הָאֵלֶּה יָכוֹל אֱלֹהִים לְהָקִים בָּנִים לְאַבְרָהָם

† 私訳(詳訳)Matt. 3:9

【私訳】 「そして、『われわれは父<祖父、元祖>にアブラハムがいる』と自分自身の中<心>に言わん<告げよう>と思うな。なぜなら、神はこれらの石<石くれ、石ころ>から<によって、からでも>アブラハムに子孫を目覚めさせる<呼び起こす、生き返らす、つくり出す>力がある」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt. 3:9

καὶ μὴ δόξητε λέγειν ἐν ἑαυτοῖς, Πατέρα ἔχομεν τὸν ᾽Αβραάμ. λέγω γὰρ ὑμῖν ὅτι δύναται ὁ θεὸς ἐκ τῶν λίθων τούτων ἐγεῖραι τέκνα τῷ ᾽Αβραάμ.

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

【われわれの】 ἑαυτοῖς ἑαυτοῦ  ヘアウトウー heautou {heh-ow-too‘} (npdm2p 代名詞・与男2複)

1)彼(彼女、それ)自身の 2)自分自身の 3)自らの中に、自分自身に

【父は】 Πατέρα  πατήρ  パテール patēr {pat-ayr‘} (n-am-s 名詞・対男単)

1)父、父親、おとうさん 2)(複数)祖先、祖父、創始者、元祖 3)(複数)両親 4)父なる神

マタ2:22; 5:48: 6:8,9,32; 7:21; 10:37; 11:25; 18:10; 23:9; 25:34;  マル10:7; 11:25; 14:36; ルカ2:49; 6:36; 10:21; 11:2; 12:30,31; 14:26; 15:12; 16:24; 22:42; 23:34,46 etc.

【アブラハム】 ᾽Αβραάμ  ᾽Αβραάμ アブラアム Abraam {ab-rah-am‘ }  (n-am-s 名詞・対男単

アブラハム  ヘブル名「衆人の父、父は高められる」 (創世11~25章)

創世記11:26~17:5; マタ22:32;  ルカ19:9;  ヨハ8:33;  使徒3:25;  ロマ4:1~5;  ガラ3:6,7,29;  ヘブ7:1,2

【あり】 ἔχομεν  ἔχω エこー  echō {ekh‘-o} (vipa–1p 動詞・直・現・能・1複)

1)持っている、保持している、保存する、保管する、所有する、保つ 2)身につける、帯びる、具備している、着る 3)含んでいる、抱く、とどめる、しっかり捕らえている 4)~とみなす、思う

【己自らのうちに】 ἐν ἑαυτοῖς

【己自らの】 ἑαυτοῖς   ἑαυτοῦ  ヘアウトウー heautou {heh-ow-too‘} (npdm2p 代名詞・与男2複)

1)彼(彼女、それ)自身の 2)自分自身の 3)自らの中に、自分自身に

【うちに】 ἐν  ἐν エン en {en}  (pd 前置詞・属)

1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に

【言わんと】 λέγειν  λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vnpa 不定詞・現)

1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す

マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34;  マル2:11; 5:9; 12:18;  ルカ5:39; 6:46; 20:41;  ヨハ1:29; 2:6; 16:12;etc.

【思うなかれ】 μὴ δόξητε

【思う】  δόξητε  δοκέω  ドケオー  dokeō {dok-eh‘-o} (vsaa–2p^vmaa–2p 動詞・仮・1アオ・能・2複/命)

< δέχομαι 受け取る

1)期待する、望む、欲する 2)意見を持つ、考える 3)思う、信ずる、つもりである 4)ふりをする

マタ3:9; 6:7; 17:25; 18:12; 21:28; 22:17,42; 24:44; 26:53,66;  マル6:49;  ルカ8:18; 10:36; 12:40,51;13:2,4; 19:11; 24:37;  ヨハ5:39;,45; 11:13,31,556; 13:29; 16:2; 20;15 etc.

【なかれ】 μὴ  μή メー  mē {may} (qn 不変化詞・否定)

1)~ない

永井訳 「また汝ら己自らのうちに、我らは父にアブラハムありと言わんと思うなかれ」

【だから】 γὰρ  γάρ  ガル gar {gar} (cs 接続詞・従位)

1)なぜなら、というのは、その理由は、だから 2)すなわち、では、いったい、結局 4)確かに、もちろん、だって

【あなた方に】 ὑμῖν  σύ スゆ sou {soo}  (npd-2p 代名詞・与2複)

1)あなた 2)汝 3)君

【言う】 λέγω  λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vipa–1s 動詞・直・現・能・1)

1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す

マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34;  マル2:11; 5:9; 12:18;  ルカ5:39; 6:46; 20:41;  ヨハ1:29; 2:6; 16:12;etc.

【なぜなら】 ὅτι  ὅτι  ホティ hoti {hot‘-ee} (ch 接続詞・完)

1)~ということ 2)なぜなら~だから、というのは~だから、すなわち 3)~であるから 4)というのは

【神は】 θεὸς  θεός てオス  theos {theh‘-os}  (n-nm-s 名詞・主男単)

1)神 2)神性 3)唯一の神

θεός の語源は次の二語に求められる

1 τεθειχέναι 万物を自らの基の上に置く
2 θέειν 駆ける

【こんな石からでも】 ἐκ τῶν λίθων τούτων

【こんな】 τούτων  οὗτος フートス houtos {hoo‘-tos} (a-dgm-p 形容詞・指示属男複)

1)その、この、これ 2)この者、この男・女 2)そんな、こんな 3)すなわち、だから 4)そこで、それ故

【石】 λίθων  λίθος  リとス  lithos {lee‘-thos} (n-gm-p 名詞・属男複)

1)石 2)石ころ 3)石版 4)ひきうす、大きい石 5)宝石、大理石

マタ3:9; 4:3,6; 7:9; 21:42,44; 24:2; 27:60,66; 28:2;  マル5:5; 12:10; 13:1;,2; 15:46: 16:3,4;  ルカ3:8; 4:3,11; 17:2; 19:40,44; 20:17,18; 21:5,6; 22:41; 24:2; ヨハ8:7,59; 10:31; 11:38,39,41; 20:1 etc.

【から】 ἐκ  ἐκ エク  ek ex {ek, ex} (pg 前置詞・属)

1)から、~の中から 2)~の外に、~から外へ、~から出て 3)によって 4)で  (動作の出発点を示す) 5)のために

【アブラハムの】 ᾽Αβραάμ  ᾽Αβραάμ アブラアム Abraam {ab-rah-am‘ }  (n-gm-s 名詞・対男単)

アブラハム  ヘブル名「衆人の父、父は高められる」 (創世11~25章)

創世記11:26~17:5; マタ22:32;  ルカ19:9;  ヨハ8:33;  使徒3:25;  ロマ4:1~5;  ガラ3:6,7,29;  ヘブ7:1,2

【子たちを τέκνα  τέκνον  テクノン teknon {tek‘-non}  (n-an-p 名詞・対中複)

< τίκτω  生まれたもの

1)子、子ども 2)息子 3)弟子 4)子孫

マタ2:18; 3:9; 7:11;10:21; 15:25;  マル7:27; 12:19; 13:12;  ルカ1:17; 3:8; 14:26;  使徒7:5; 21:5 etc.

【造り出すことが】 ἐγεῖραι  ἐγείρω  エゲイロー  egeirō {eg-i‘-ro} (vnaa 不定詞・1アオ能)

1)眠りからさます、おこす、めざめさせる、目を覚ます、呼び起こす、起こす、立ち上がる 2)動かす、刺激する 3)甦らせる、復活する、生き返らす

マタ1:24; 2:13,14,20, 21; 11:11; 8:15,26; 11:5; 25:7; 26:46;  マル4:27; 5:41; 14:42;  使徒3:15; 12:7;  ロマ13:11;  エペ1:20; 5:14  コロ2:12;  Ⅰテサ1:10 etc.

【おできになる】 δύναται  δύναμαι  ドゆナマイ  dunamai {doo‘-nam-ahee} (vipn–3s 動詞・直・現・能欠・3単)

1)力がある、可能な、能力がある 2)できる、し得る 3)生み出し得る 5)~をし得る、~することができる

マタ3:9; 6:27; 8:2; 9:15,28; 10:28; 12:29,34; 17:19; 19:12,25; 20:22; 26:9,61;  マル1:40; 2:7;,19; 3:23;4:32;,33; 5:3; 7:15;,18; 9:3;,28,39; 10:26,38,39; 14:5,7 etc.

† 英語訳聖書  Matt. 3:9

King James Version
3:9 And think not to say within yourselves, We have Abraham to [our] father: for I say unto you, that God is able of these stones to raise up children unto Abraham.

American Standard Version
3:9 and think not to say within yourselves, We have Abraham to our father: for I say unto you, that God is able of these stones to raise up children unto Abraham.

New International Version
3:9 And do not think you can say to yourselves, `We have Abraham as our father.’ I tell you that out of these stones God can raise up children for Abraham.

Bible in Basic English
3:9 And say not to yourselves, We have Abraham for our father; because I say to you that God is able from these stones to make children for Abraham.

Darby’s English Translation
3:9 And do not think to say within yourselves, We have Abraham for our father; for I say unto you, that God is able of these stones to raise up children to Abraham.

Douay Rheims
3:9 And think not to say within yourselves, We have Abraham for our father. For I tell you that God is able of these stones to raise up children to Abraham.

Noah Webster Bible
3:9 And think not to say within yourselves, We have Abraham for our father: for I say to you, that God is able of these stones to raise up children to Abraham.

Weymouth New Testament
3:9 and do not imagine that you can say to yourselves, ‘We have Abraham as our forefather,’ for I tell you that God can raise up descendants for Abraham from these stones.

World English Bible
3:9 Don’t think to yourselves, ‘We have Abraham for our father,’ for I tell you that God is able to raise up children to Abraham from these stones.

Young’s Literal Translation
3:9 and do not think to say in yourselves, A father we have — Abraham, for I say to you, that God is able out of these stones to raise children to Abraham,

Amplified Bible
3:9 and do not presume to say to yourselves [as a defense], ‘We have Abraham for our father [so our inheritance assures us of salvation]’; for I say to you that from these stones God is able to raise up children (descendants) for Abraham.

† 細き聲 聖書研究ノート

<汝等、我等の父にアブラハムありと心の中に云はんとすること勿れ>

「我らの父にアブラハムあり」はユダヤ人の選民意識を形成する信仰の確信だった。

バプテスマのヨハネはユダヤ民族の信仰の核心に迫って、その誤りを告げる。「アブラハム」に約束された神の祝福は「アブラハムの子孫」である彼らに自動的に来るものではなかった。信仰はあくまでも神と個人の関係においてのみ与えられる祝福である。

<祝福の連鎖>

「アブラハムの子孫」は、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」を「私の神」と告白する者に伝えられる「祝福の連鎖」である。あらゆる「祝福」は、次に伝えるべく自分に来たものである。

<路傍の価値なき石くれ>

「アブラハムの子孫を」は原文で「アブラハムに子孫を」。アブラハムの祝福を路傍の価値なき石くれが引き継ぐ。

<アブラハムの祝福>

「アブラハムの祝福」は、与えられてからその価値を知ることになる。

<石ころの「目覚め ἐγείρω  エゲイロー」>

「石ころ」は「アブラハムの祝福」を知らない。器は盛られたもののゆえに「貴き器」の自覚にいたるのである。それは石ころの「目覚め ἐγείρω  エゲイロー」である。目覚めた石ころは、もはやただの「石ころ」ではない。

「石ころ」に「目覚め ἐγείρω  エゲイロー」を呼びかけるのは神である。

† 心のデボーション

「汝等、我等の父にアブラハムありと心の中に云はんとすること勿れ」 マタイ3:9 大正文語訳聖書

「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」 新共同訳聖書

「われにアブラハムあり」

「われにアブラハムあり」はユダヤ人の精神の深くに刻まれた確信と誇りである。ヨハネはそれを砕く。「われにアブラハムあり」との信仰はむなしい。信仰は「私」にはじまり、「私」に至るものである。そのようにして「私」を生きる者の譜系が「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という「祝福の連鎖」である。

「われにアブラハムあり」は、形をかえて何度でも人間の心によみがえってくる。砕くべきは「アブラハム」ではなく、「われにアブラハムあり」という我らの強い思いである。あらゆる背景を消して一人神の前に立つ。それが「アブラハム」である。

† 心のデボーション

「汝等、我等の父にアブラハムありと心の中に云はんとすること勿れ」 マタイ3:9 大正文語訳聖書

「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」 新共同訳聖書

「存在の秘密」

「アブラハム」という名はユダヤ人に多くの期待をもたらした。「アブラハム」はユダヤ人の誇りであり未来であった。「名」には存在の秘密が隠されている。人が名をもち、それが現れてくることは驚くべきことである。

それら一個一個の名は「アブラハム」の名と同じ重さを持つ。

「アブラハム」はすべての「私」の基として、その名は限りなく尊い。

† 心のデボーション

「答へて言ひ給ふ『われ汝らに告ぐ、此のともがら默さば、石叫ぶべし』」 ルカ19:40 大正文語訳聖書

「彼らに言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家でなければならない」 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした』」 新共同訳聖書

「路傍の石」

イエスが十字架にかかられる直前、ロバに乗りエルサレムに入城されたとき、群衆は上着を道に敷き、声も高く神を賛美して歓迎した。だが、パリサイ派の人たちはイエスに群衆を「しかりつける」ようにと要請した。イエスはパリサイ派の人々に「此のともがら默さば、石叫ぶべし」と答えられた。(ルカ19:28~40)

また、イエスは娘のことで助けを求めたカナンの女に、「子供のパンをとりて小狗(こいぬ)に投げ與ふるは善からず」と言われた。女はイエスを見上げ「然り、主よ、小狗も主人の食卓よりおつる食屑(たべくず)を食ふなり」と答え、イエスは「をんなよ、汝の信仰は大なるかな、願のごとく汝になれ」と祝福された。(マタイ15:21~28)

神は「路傍の石」に賛美の口を与え、小狗(こいぬ)に「いのちのパン」を下さる。恵みは、受け取る資格のないものこそに溢れ来る。

† 細き聲 説教

「祝福の連鎖」

「汝ら「われらの父にアブラハムあり」と心のうちに言はんと思ふな。我なんぢらに告ぐ、神は此らの石よりアブラハムの子らを起し得給ふなり」 マタイ3:9 大正文語訳聖書

「われらにアブラハムあり」は、ユダヤ人の確信と誇りであった。

神はアブラハムに現れ、「爰にヱホバ、アブラムに言たまひけるは汝の國を出で汝の親族に別れ汝の父の家を離れて我が汝に示さん其地に至れ 我汝を大なる國民と成し汝を祝み汝の名を大ならしめん汝は祉福の基となるべし」と祝福された。(創世記12:1~3)

アブラハムに約束された祝福は息子イサクに引き継がれ、さらにヤコブにと継承された。神は「アブラハム、イサク、ヤコブの神」である。

「祝福」はひとりアブラハムにとどまることなく、次から次へと伝えられ、継承されるものであった。その信仰がユダヤ人に「われらにアブラハムあり」という誇りを与えた。

しかし、ヨハネはこのユダヤ人の信仰を打ち砕く。

「汝ら「われらの父にアブラハムあり」と心のうちに言はんと思ふな。我なんぢらに告ぐ、神は此らの石よりアブラハムの子らを起し得給ふなり」 マタイ3:9 大正文語訳

「祝福」は自動的にアブラハムの子孫に継承されるのではない。「祝福」は、それ自体に祝福を起こし、次に継承し、完成する力がある。もし、神の祝福を阻むものがあるならば、「祝福」は「路傍の石」にさえ向かうだろう。

「祝福」は「受ける資格のない者」に現れる。

「賛美の口を与えられ」「いのちのパンを食した」者は、自らが「路傍の石」であったことを忘れてはならぬ。

もし、私が学ぶこと、賛美することを止めるなら、神はとんでもない者に学びと賛美を与えるだろう。

もし、私が学ぶこと、賛美することを自分の内にだけとどめるなら、祝福は私から取り上げられ、とんでもない者に移されるだろう。

「祝福」をよく吟味せよ。私にとどめることなく、自分から外に渡せ。

祝福に内蔵される働きにゆだねて、自分から送り出せ。

祝福の連鎖にあることが「祝福」である。

(皆川誠)

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