マタイによる福音書3章6節

マタイによる福音書
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† 福音書縦観 「ヨハネの出現」 マタイ3:1~6

マタイ3:1~6  マルコ1:1~6  ルカ3:1~6  ヨハネ1:6,23
マタイ3:1~6

Matt.3:6自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt. 3:6

【漢訳聖書】
Matt. 3:6 且由之洗禮於約但河、自承己罪。

【明治元訳】
Matt. 3:6 己(おの)が罪(つみ)を悔(くい)あらはしヨルダンにて彼(かれ)よりバプテスマを授(さづけ)られたり

【大正文語訳】
Matt. 3:6 罪を言ひ表し、ヨルダン川にてバプテスマを受けたり。

【ラゲ訳】
Matt. 3:1 己が罪を告白して、ヨルダンにて洗せられ居りしが、

【口語訳】
Matt. 3:6 自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。

【新改訳改訂3】
Matt. 3:6 自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。

【新共同訳】
Matt. 3:6 罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

【バルバロ訳】
Matt. 3:6 罪を告白し、ヨルダン川で洗礼を受けた。

【フランシスコ会訳】
Matt. 3:6 自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けた。

【日本正教会訳】
Matt. 3:6 己の罪を認めて、イオルダンに於て彼より洗禮を受けたり。

【塚本虎二訳】
Matt. 3:6 自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

【前田護郎訳】
Matt. 3:6 おのが罪を告白してヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

【永井直治訳】
Matt. 3:6 且つその罪を告白しつつ、ヨルダンにて彼よリバプテズマせられたり。

【詳訳聖書】
Matt. 3:6 そして、自分たちの罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。

† 聖書引照 Matt. 3:6

Matt. 3:6 罪を言ひ表し、ヨルダン川にてバプテスマを受けたり。

[罪を言ひ表し]  レビ16:21; 26:40; 民数5:7; ヨシュ7:19; ヨブ33:27,28; 詩篇32:5; 箴言8:13; ダニ9:4; マル1:5; ルカ15:18~21; 使徒2:38; 19:18; 22:16; ヤコ5:16; Ⅰヨハ1:9
[ヨルダン川にてバプテスマを受けたり]  マタ3:11,13~16; エゼ36:25; マル1:8,9; ルカ3:16; ヨハ1:25~28,31~33; 3:23~25; 使徒1:5; 2:38~41; 10:36~38; 11:16; 19:4,5,18; Ⅰコリ10:2; コロ2:12; テト3:5,6; ヘブ6:2; 9:10; Ⅰペテ3:21

† ギリシャ語聖書 Matt. 3:6

Stephens 1550 Textus Receptus
και εβαπτιζοντο εν τω ιορδανη υπ αυτου εξομολογουμενοι τας αμαρτιας αυτων

Scrivener 1894 Textus Receptus
και εβαπτιζοντο εν τω ιορδανη υπ αυτου εξομολογουμενοι τας αμαρτιας αυτων

Byzantine Majority
και εβαπτιζοντο εν τω ιορδανη υπ αυτου εξομολογουμενοι τας αμαρτιας αυτων

Alexandrian
και εβαπτιζοντο εν τω ιορδανη ποταμω υπ αυτου εξομολογουμενοι τας αμαρτιας αυτων

Hort and Westcott
και εβαπτιζοντο εν τω ιορδανη ποταμω υπ αυτου εξομολογουμενοι τας αμαρτιας αυτων

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt. 3:6

καὶ ἐβαπτίζοντο ἐν τῷ ᾽Ιορδάνῃ ποταμῷ ὑπ᾽ αὐτοῦ ἐξομολογούμενοι τὰς ἁμαρτίας αὐτῶν.

† ラテン語聖書 Matt. 3:6

Latin Vulgate
Matt. 3:6

et baptizabantur ab eo in Iordane, confitentes peccata sua.
And they were baptized by him in the Jordan, acknowledging their sins.
~ Since this was not the Sacrament of Confession, the translation prefers ‘acknowledging’ to ‘confessing.’

† ヘブライ語聖書 Matt. 3:6

Matt. 3:6

.וְהֻטְבְּלוּ עַל־יָדָיו בַּיַּרְדֵּן כְּשֶׁהֵם מִתְוַדִּים עַל חַטֹּאתֵיהֶם

† 私訳(詳訳)Matt. 3:6

【私訳】 「そして、自分たちの罪<的外れ、道を踏み外す、過ち、神への罪>を告白し<まったく同意し、認め、言い表し、承認し>、ヨルダン川で彼〔ヨハネ〕から洗礼<水に沈める<浸す>儀式>を受けた」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt. 3:6

καὶ ἐβαπτίζοντο ἐν τῷ ᾽Ιορδάνῃ ποταμῷ ὑπ᾽ αὐτοῦ ἐξομολογούμενοι τὰς ἁμαρτίας αὐτῶν.

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

【自分たちの】 αὐτῶν  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npgm3p 代名詞・属男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

【罪を】 ἁμαρτίας  ἁμαρτία  ハマルティア  hamartia {ham-ar-tee‘-ah} (n-af-p 名詞・対女複)

1)的を外す、正しい道から迷いでる 2)罪、失敗、誤り、間違い、過ち、咎 3)犯罪、犯行 4)罪人

ἁμαρτία ハマルティアの元意は「的をはずす」こと

マタ1:21; 12:31;  ヨハ1:29; 8:34;  ロマ5:21; 6:6,12,14,17; 7:17,20,23; 8:2;  Ⅰコリ15:17,56;  Ⅱコリ11:7;  1テサ2:15;  ヘブ4:15;  ヤコ1:15  etc.

【告白し】 ἐξομολογούμενοι  ἐξομολογέω  エクソモろゲオー  exomologeō {ex-om-ol-og-eh‘-o} (vppmnm-p 分詞・現中主男複)

 ἕξ + ὁμο 同じことを + λογέω 言う

1)まったく同意する、同じことをいう、告白する、言い表す 2)認める、同意する、まったく同意する 3)たたえる、賛美する、感謝する 4)承認する、白状する

マタ3:6; 11:25; マル1:5;  ルカ10:21; 22:6;  使徒19:18;  ロマ14:11; 15:9;  ピリ2:11;  ヤコ5:16

【ヨルダン】 ᾽Ιορδάνῃ  ᾽Ιορδάνης   イオルダネース Iordanēs {ee-or-dan‘-ace} (n-dm-s 名詞・与男単)

1)ヨルダン(川) 2)古アラム語 「流れる」「河」

マタ3:5;,6,13; 4:15,25; 19:1;  マル1:5,9; 3:8; 10:1;  ルカ3:3; 4:1;  ヨハ1:28; 3:26; 10:40

【川】 ποταμῷ  ποταμός  ポタモス  potamos {pot-am-os‘} (n-dm-s 名詞・与男単)

1)川、河 2)流れ

マタ3:5;  マル1:5,ヨハ7:38;  使徒16:13;  Ⅱコリ11:26;  黙示8:10 etc.

【で】 ἐν  ἐν エン en {en}  (pd 前置詞・属)

1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に

【彼】 αὐτοῦ  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npgm3s 代名詞・属男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

【から】 ὑπ᾽ ὑπό ヒゆポ hupo {hoop-o‘} (pg 前置詞・属)

1) 下に、~の下から 2)~の下に、下の 3)によって 4)~の故に 5)と共に

【バプテスマを受けた】 ἐβαπτίζοντο  βαπτίζω  バプティゾー  baptizō {bap-tid‘-zo} (viip–3p 動詞・直・未完・受・3複)

< βάπτω つける、浸す

1)水中に潜らす、浸す、沈める、つける、濡らす、洗う、注ぎかける 2)洗礼を施す

βάπτω は人が川を渡ってみずに浸かる、船が沈没する等の意味に用いられた言葉

マタ3:6,7,11,14; 21:25; 28:19; マル1:4,8; 11:30; 16:10;  ルカ3:3,12,16,21; 7:29; 20:4;  ヨハ1:25,26,33 etc. 使徒11:16「ヨハネは水の中に沈めたが、あなたがたは聖霊の中に沈められた」

† 英語訳聖書 Matt. 3:6

King James Version
3:6 And were baptized of him in Jordan, confessing their sins.

American Standard Version
3:6 and they were baptized of him in the river Jordan, confessing their sins.

New International Version
3:6 Confessing their sins, they were baptized by him in the Jordan River.

Bible in Basic English
3:6 And they were given baptism by him in the river Jordan, saying openly that they had done wrong.

Darby’s English Translation
3:6 and were baptised by him in the Jordan, confessing their sins.

Douay Rheims
3:6 And were baptized by him in the Jordan, confessing their sins.

Noah Webster Bible
3:6 And were baptized by him in Jordan, confessing their sins.

Weymouth New Testament
3:6 and were baptized by him in the Jordan, making full confession of their sins.

World English Bible
3:6 They were baptized by him in the Jordan, confessing their sins.

Young’s Literal Translation
3:6 and they were baptized in the Jordan by him, confessing their sins.

Amplified Bible
3:6 and they were being baptized by him in the Jordan River, as they confessed their sins.

† 細き聲 聖書研究ノート

<罪を言ひ表し、ヨルダン川にてバプテスマを受けたり>

バプテスマのヨハネは罪を言いあらわす人びとにヨルダン川で「悔改めのバプテスマ」を施した。

<ἐξομολογέω  エクソモろゲオー 告白>

「告白する ἐξομολογέω  エクソモろゲオー」は「同じことを」+「言う」で、全く同意すること。重過ぎもなく、軽過ぎもなく、ありのままを言いあらわすのが「告白 ἐξομολογήσις」である。「告白」のことばは、自己の事実と全く「同じ」でなければならない。自己の事実よりも重く罪を告白するのは謙遜ではない。自己の事実をありのままに告白するのが謙遜である。

<罪>

「罪 ἁμαρτία  ハマルティア」の元意は「的をはずす」こと。私が「私」でないことが「罪」である。「私」という的を外した私の存在が罪である。

<バプテスマ 洗礼>

「バプテスマ βαπτίζω  バプティゾー」は「水に浸す」こと。「ヨハネは水の中に沈めた(バプテスマされた)が、あなたがたは聖霊の中に沈められ(バプテスマされ)た」(使徒11:16)

「バプテスマ βαπτίζω  バプティゾー」は死と再生の儀式であった。私が「私」になるのは、私が死んで「私」に甦ることを意味する儀式である。「いのち」の根源的働きを指す。

バプテスマを受けることに死と再生の効果は何もない。バプテスマの儀式は死と再生の経験の証として働くのである。

<告解と悔い改め>

「罪の告白」は、プロテスタント教会では「悔い改め」、カトリック教会では「告解」である。

カトリックでの「告解」は神父に自分の罪を言いあらわし、とりなしを願う。プロテスタントの「悔い改め」は神への個人的な言いあらわしである。

† 心のデボーション

「罪を言ひ表し、ヨルダン川にてバプテスマを受けたり」 マタイ3:6 大正文語訳聖書

「自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けた」 フランシスコ会訳聖書

「告白」

英語で「告白 confession」はラテン語 confiteor からきたもので、con 「十分に、完全に」+ fess 「言う、物語る」こと。「承認する、告白する、言明する」の意味である。

「告白 ἐξομολογέω  エクソモろゲオー」は「ἕξ + ὁμο 同じことを + λογέω 言う」で、自己の事実をありのままに言いあらわすことである。神が見たもう私に同意し、言いあらわす。それは密室でなされる神と私の共同作業である。したがって、「告白」がすでに神の業である。この告白によって自己がつくられていく。

† 心のデボーション

「罪を言ひ表し、ヨルダン川にてバプテスマを受けたり」 マタイ3:6 大正文語訳聖書

「自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けた」 フランシスコ会訳聖書

「且由之洗禮於約但河、自承己罪」 漢訳聖書

「自承己罪」

漢訳聖書には「自承己罪」とある。「承」は人がひざまずいて両手でささげるさまをいう。「悔い改め」はひざまずき、自分の罪を自分で「両手でささえあげる」ことである。

† 心のデボーション

「罪を言ひ表し、ヨルダン川にてバプテスマを受けたり」 マタイ3:6 大正文語訳聖書

「自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けた」 フランシスコ会訳聖書

「罪の告白」

相手を傷つけた「罪」を悔い改めた後、その相手にもその「罪」を告白すべきだろうか? 相手がそれを知らないときに、それを「言いあらわす」なら、相手を二重に傷つけることもある。

神に言いあらわした後に、人にも同じように告白するべきかは、神と相談すべきである。

「罪の告白」がよき実を結ぶなら、その傷は癒される。よき実を結ばぬ告白は「真実の告白」ではない。

人に告白することも、告白を隠すことも、神の栄光のあらわれを願う、さらなる祈りである。

† 細き聲 説教

「罪の告白」

「罪を言ひ表し、ヨルダン川にてバプテスマを受けたり」 マタイ3:6 大正文語訳聖書

「自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けた」 フランシスコ会訳聖書

バプテスマのヨハネは罪を言いあらわす人々にヨルダン川で「悔改めのバプテスマ」を施した。

「罪の告白」はギリシャ語 「ἐξομολογέω  エクソモろゲオー」で、この語は「ἕξ + ὁμο 同じことを + λογέω 言う」で、「全く同意すること」である。

重過ぎもなく、軽過ぎもなく、ありのままを言いあらわすのが「告白 ἐξομολογήσις」である。

「告白」は、自己の事実と全く「同じ」でなければならない。自己の事実よりも重く罪を告白するのは謙遜ではない。自己の事実をありのままに告白するのが謙遜である。

英語で「告白 confession」はラテン語 confiteor からきたもので、con 「十分に、完全に」+ fess 「言う、物語る」こと。「承認する、告白する、言明する」の意味である。

神が見たもう「私」に同意し、言いあらわす。それは密室でのみなされる神と私の共同作業でなければならない。「告白」がすでに神の業である。この告白によって自己がつくられていく。

「罪の告白」は、プロテスタント教会では「悔い改め」、カトリック教会では「告解」と呼ばれる。

カトリックでの「告解」は神父に自分の罪を言いあらわし、とりなしを願うのである。

プロテスタント教会においても、「告白」を牧師または教会に向けて言いあらわすというイメージが伴うことがあるが、そうではない。

人は自らの「罪」を人の前で全く言いあらわすことはできないし、そうすべきでもない。

「悔い改め」は神への個人的な言いあらわしである。

我らは「自分の奥まった部屋にはいり、戸をしめて、隠れた所におられ、隠れた所で見ておられる父なる神に自らを告白する」のである。

「なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん」 マライ6:6 大正文語訳聖書

(皆川誠)

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