マタイによる福音書2章15節

マタイによる福音書
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† 福音書対観 「エジプト避難と幼児殺戮」 マタイ2:13~18

マタイ2:13~18

Matt.2:15ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.2:15

【漢訳聖書】
Matt.2:15 寓彼、至希律終、致應主托預言者所言云、我會召我子出埃及矣、

【明治元訳】
Matt.2:15 ヘロデの死(しぬ)るまで其所(そこ)に止(とどま)れり是(これ)主(しゆ)預言者(よげんしや)に託(より)て我(われ)わが子(こ)をエジプトより召(よび)出(いだ)せりと云(いひ)給(たま)ひしに應(かなは)せん爲(ため)也(なり)

【大正文語訳】
Matt.2:15 ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ。これ主が預言者によりて『我エジプトより我が子を呼び出せり』と云ひ給ひし言の成就せん爲なり。

【ラゲ訳】
Matt.2:15 ヘロデの死するまで其處に居れり、是主より曾て預言者を以て云はれし事の成就せん為なり、曰く「我我子をエジプトより呼出せり」と。

【口語訳】
Matt. 2:15 ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。

【新改訳改訂3】
Matt. 2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。

【新共同訳】
Matt.2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

【バルバロ訳】
Matt.2:15 ヘロデが死ぬまでその地にとどまった。こうして主が預言者によって言われたみことばは実現した、「私はわが子をエジプトから呼んだ」。

【フランシスコ会訳】
Matt.2:15 ヘロデが死ぬまでそこに留まった。これは主が、「わたしはわが子をエジプトから呼び出した」と預言者を通じて言われたことが成就するためである。

【日本正教会訳】
Matt.2:15 彼處に 在りて、 イロドの 死するに 至れり。 是 主が 預言者を 以て 言ひし 所に 應ふを 致す、 云く、 我 吾が 子を 召して エギペトより 出せりと。

【塚本虎二訳】
Matt.2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。主が預言者(ホセア)をもって“わたしはエジプトからわが子を呼び出した”と言われた言葉が成就するためであった。

【前田護郎訳】
Matt.2:15 そしてそこにヘロデの死までとどまった。それは預言者によって主がいわれたことの成就するためであった、「エジプトからわが子を呼んだ」と。

【永井直治訳】
Matt.2:15 かくてヘロデの生(いのち)の終(をはり)まで彼處にありき。是れ豫言者によりて、主より謂はれしことの成就せらるるためなりしなり、云ひ給ひけるは、我エジプトより我が子を呼べり。

【詳訳聖書】
Matt.2:15 そして、ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。これは主が預言者によって、「私はわが子をエジプトから呼び出した」と語られたことが成就するためであった。

† 聖書引照 Matt.2:15

Matt.2:15 ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ。これ主が預言者によりて『我エジプトより我が子を呼び出せり』と云ひ給ひし言の成就せん爲なり。

[ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ]  マタ2:19; 使徒12:1~4,23,24

[これ主が預言者によりて、云ひ給ひし言の成就せん爲なり]  マタ2:17,23; 1:22; 4:14,15; 8:17; 12:16~18; 21:4; 26:54,56; 27:35; ルカ24:44; ヨハ19:28,36; 使徒1:16

[我エジプトより我が子を呼び出せり]  民数24:8; ホセ11:1

† ギリシャ語聖書 Matt.2:15

Stephens 1550 Textus Receptus
και ην εκει εως της τελευτης ηρωδου ινα πληρωθη το ρηθεν υπο του κυριου δια του προφητου λεγοντος εξ αιγυπτου εκαλεσα τον υιον μου

Scrivener 1894 Textus Receptus
και ην εκει εως της τελευτης ηρωδου ινα πληρωθη το ρηθεν υπο του κυριου δια του προφητου λεγοντος εξ αιγυπτου εκαλεσα τον υιον μου

Byzantine Majority
και ην εκει εως της τελευτης ηρωδου ινα πληρωθη το ρηθεν υπο του κυριου δια του προφητου λεγοντος εξ αιγυπτου εκαλεσα τον υιον μου

Alexandrian
και ην εκει εως της τελευτης ηρωδου ινα πληρωθη το ρηθεν υπο κυριου δια του προφητου λεγοντος εξ αιγυπτου εκαλεσα τον υιον μου

Hort and Westcott
και ην εκει εως της τελευτης ηρωδου ινα πληρωθη το ρηθεν υπο κυριου δια του προφητου λεγοντος εξ αιγυπτου εκαλεσα τον υιον μου

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.2:15

καὶ ἦν ἐκεῖ ως τἕῆς τελευτῆς ῾Ηρῴδου ἵνα πληρωθῇ τὸ ῥηθὲν πὑὸ κυρίου δι τοὰῦ προφήτου λέγοντος, Εξ ᾽Αἰγύπτου ἐκάλεσα τὸν υἱόν μου.

† ヘブライ語聖書  Matt.2:15

Matt.2:15

שָׁם נִשְׁאַר עַד מוֹת הוֹרְדוֹס, לְקַיֵּם אֶת אֲשֶׁר אָמַר יהוה בְּיַד הַנָּבִיא: “מִמִּצְרַיִם קָרָאתִי לִבְנִי.”

† ラテン語聖書  Matt.2:15

Latin Vulgate
Matt.2:15

et erat ibi usque ad obitum Herodis: ut adimpleretur quod dictum est a Domino per prophetam dicentem: Ex Ægypto vocavi filium meum.
And he remained there, until the death of Herod, in order to fulfill what was spoken by the Lord through the prophet, saying: “Out of Egypt, I called my son.”

† 私訳(詳訳)Matt.2:15

【私訳】 「そして、ヘロデの死までそこにいた。それは主が<主によって>預言者<解釈者、代言者、神のことばを伝え解釈する者>を通して言われたことが実現する<果たす、成就する、充満させる、完成する、成し遂げる、終える>ためだった。すなわち<いわく>、『わたしは、エジプトからわたしの子を<息子>を呼び出した<呼びかけた、大声で呼んだ、召喚した>』」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.2:15

καὶ ἦν ἐκεῖ ως τἕῆς τελευτῆς ῾Ηρῴδου ἵνα πληρωθῇ τὸ ῥηθὲν πὑὸ κυρίου δι τοὰῦ προφήτου λέγοντος, Εξ ᾽Αἰγύπτου ἐκάλεσα τὸν υἱόν μου.

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

【ヘロデの】 ῾Ηρδουῴ  ῾Ηρῴδης  ヘローデース Hērōdēs {hay-ro‘-dace} (n-gm-s 名詞・属男単)

ヘロデ  ギリシャ名「英雄」

(ヘロデ大王 マタ2:1~22;  ルカ1:5)

【死】 τελευτςῆ  Τελευτή テれウテー  teleutē {tel-yoo-tay‘} (n-gf-s 名詞・属女単)

1)成就、達成、決着 2)終り、終末、最期 3)死

【まで】 ἕως  ἕως へオース  heōs {heh‘-oce}  (pg 前置詞・属)

1)~まで 2)~するまで 3)ところまで 4)の限度まで 5)に及ぶまで

【そこにいた】 ἦν κεἐῖ

【そこに】 ἐκεῖ  ἐκεῖ エケイ ekei {ek-i‘} (ab 副詞)

1)そこに、そこで、かしこに、そちらへ、あちらへ、その方へ 2)その場所で 3)その時、当時

【いた】 ἦν  εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘} (viia–3s 動詞・直・未完・能・3単)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

【それは】 ἵνα  ἵνα ヒナ hina {hin‘-ah} (ch 接続詞・後置語)(ch 接続詞・後置語)

1)そこに(へ) 2)~するために 3)~する事を 4)~ので 5)という事は 6)~であるところの 7)~するように 8)すなわち

【主】 κυρίου  κύριος キゆリオス  kurios {koo‘-ree-os} (n-gm-s 名詞・属男単)

1)自由にする力のある、支配する、権威のある、力のある 2)主人、君主、所有者、旦那、師 3)正当な、順当な 4)主、神

マタ1:20; 8:25; 9:38; 10:24; 12:4,8; 16:22;  マル2:28: 12:9; 13:35;  ルカ6:5; 9:54; 10:17; 12:6,46; 14:21; Ⅱコリ1:3,14;  エペ6:5,9;  Ⅰテモ1:2,14; 6:15  etc.

【が】 ὑπὸ  ὑπό ヒゆポ hupo {hoop-o‘} (pg 前置詞・属)

1) 下に、~の下から 2)~の下に、下の 3)によって 4)~の故に 5)と共に

【預言者を通して】 δι τοὰῦ προφήτου

【預言者を】 προφήτου  προφήτης  プロふェーテース  prophētēs {prof-ay‘-tace} (n-gm-s 名詞・属男単)

< πρό  前に + φημί  語る

1)あらかじめ言う 2)解釈者 3)預言者、神のことばを伝え解釈する者、代言者、予言者

マタ1:22; 13:57; 21:11;  ルカ1:76; 7:16; 16:16;  エペ4:11; Ⅰテサ2:15;  黙示22:6  etc.

【通して】 διὰ  διά ディア dia {dee-ah‘} (pg 前置詞・属)

1)~を通って、通り抜けて 2)~を通じて、~中ずっと、~の中に、~の中へと 3)~の故に 3)~のために、~の故に 4)~の間で 5)~を経て、~によって、~の後に

【言われたことが】 ῥηθνὲ  εἶπον エイポン  eipon {i‘-pon}  (vpapnn-s 分詞・1アオ受主中)

1)言う、話す、語る、告げる、言いあらわす、述べる、呼ぶ 2)命じる、願う、尋ねる 3)~と呼ぶ、称する 4)語られたこと、言葉、発言、発話、話の内容 5)出来事

【実現する】 πληρωθῇ  πληρόω  プれーロオー  plēroō {play-ro‘-o} (vsap–3s 動詞・仮・1アオ・受・3単)

< πλήρης 満たす、~で一杯の、充ち満ちた

1)~を~で満たす、一杯にする、充満させる、充填する、満期になる、満了する、実現する、うめる 2)果たす、成就する、全うする、為し終える、充足する 4)返済する、完全にする、完成する 5)果たす、成し遂げる、終える 5)返済する

マタ1:22; 2:15,17,23; 3:15; 4:14; 5:17; 13;48;  ルカ1:20; 3:5; 7:1; 21:24;  ヨハ3:29; 7:8; 15:11; 16:24;17:13;  ピリ1:11;  コロ4:17 etc.

【いわく】 λέγοντος  λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vppagm-s 分詞・現能属男)

1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す

マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34;  マル2:11; 5:9; 12:18;  ルカ5:39; 6:46; 20:41;  ヨハ1:29; 2:6; 16:12; etc.

【エジプト】 Αγύπτουἰ  Αἴγυπτος  アイグゆプトス Aiguptos {ah‘ee-goop-tos} (n-gf-s 名詞・属女単)

エジプト

はじめはナイル河を呼ぶ名であったが、後に国を指すようになった。

マタ2:13,14,15,19;  使徒2:10; 7:9,10,11,12,15,17,18,34,36,39,40; 13:17; ヘブ3:16; 8:9; 11:26,27  ユダ5  黙示8:27

【から】 ᾽Εξ  ἐκ エク  ek ex {ek, ex} (pg 前置詞・属)

1)から、~の中から 2)~の外に、~から外へ、~から出て 3)によって 4)で  (動作の出発点を示す) 5)のために

【わたしの子を】 τν υὸἱόν μου

【わたしの】 μου  ἐγώ エゴー  egō {eg-o‘} (npg-1s 代名詞・属1単)

1)私 2)わたし

【子を】 υόνἱ  υἱός フゅィオス huios {hwee-os’}  (n-am-s 名詞・対男)

1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子

「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן  ベーン ben {bane}  息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」

は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。

マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45;  Ⅱコリ6:18;  ガラ3:7 etc.

【呼び出した】 ἐκάλεσα  καλέω カれオー kaleō {kal-eh‘-o} (viaa–1s 動詞・直・1アオ・能・1単)

1)呼ぶ、呼びかける、大声で呼ぶ 2)招く 3)呼び出す、呼び掛ける、呼び寄せる 4)~を~と呼ぶ、名づける 5)召喚する

マタ1:21; 2:15; 4:21; 9:13; 20:8; 22:3,8,9; 25:14;  マル1:20; 2:17; 3:31;  ルカ7:39; 19:13  ヨハ2:2; 10:3; 使徒4:18; 24:2;  ヘブ3:13; 11:8;  Ⅰペテ2:9 etc.

† 英語訳聖書 Matt.2:15

King James Version
2:15 And was there until the death of Herod: that it might be fulfilled which was spoken of the Lord by the prophet, saying, Out of Egypt have I called my son.

American Standard Version
2:15 and was there until the death of Herod: that it might be fulfilled which was spoken by the Lord through the prophet, saying, Out of Egypt did I call my son.

New International Version
2:15 where he stayed until the death of Herod. And so was fulfilled what the Lord had said through the prophet: “Out of Egypt I called my son.”

Bible in Basic English
2:15 And was there till the death of Herod; so that the word of the Lord through the prophet might come true, Out of Egypt have I sent for my son.

Darby’s English Translation
2:15 And he was there until the death of Herod, that that might be fulfilled which was spoken by the Lord through the prophet, saying, Out of Egypt have I called my son.

Douay Rheims
2:15 That it might be fulfilled which the Lord spoke by the prophet, saying: Out of Egypt have I called my son.

Noah Webster Bible
2:15 And was there until the death of Herod: that it might be fulfilled which was spoken from the Lord by the prophet, saying, Out of Egypt have I called my son.

Weymouth New Testament
2:15 There he remained till Herod’s death, that what the Lord had said through the Prophet might be fulfilled, ‘Out of Egypt I called My Son.’

World English Bible
2:15 and was there until the death of Herod; that it might be fulfilled which was spoken by the Lord through the prophet, saying, ‘Out of Egypt I called my son.’

Young’s Literal Translation
2:15 and he was there till the death of Herod, that it might be fulfilled that was spoken by the Lord through the prophet, saying, ‘Out of Egypt I did call My Son.’

Amplified Bible
2:15 He remained there until the death of Herod. This was to fulfill what the Lord had spoken by the prophet [Hosea]: “Out of Egypt I called My Son.”

† 細き聲 聖書研究ノート

<ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ。これ主が預言者によりて『我エジプトより我が子を呼び出せり』と云ひ給ひし言の成就せん爲なり>

ヨセフとマリヤはヘロデ王が死ぬまでエジプトで逃避生活を送った。ヘロデ王は前4年に亡くなっているので、彼らのエジプト滞在は長い期間ではなかった。これらのことは預言者ホセアによって預言されたことの成就であった。

本節はホセア11:1からの引用である。

「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした」 ホセア11:1 新共同訳聖書

<終わり>

エジプト滞在はヘロデが死ぬまで続いた。一つが終わらなければ次が始まらない時がある。何事にも「終り」がある。終わらぬ一つというものはない。

<大声で呼ぶ>

「呼び出す καλέω カれオー」は「大声で叫ぶ」の意味。神は「身を隠す者」を「大声で呼び出さ」れる。人が沈黙する時、神は叫び出される。神の声は大きく、届かぬことはない。

<呼び出された者>

人は「呼び出された者」「呼ばれた者」である。人が神の呼び出しに応じるのも神による。神の「呼び出し」は、それに「応じる」道、出発する力を含んでいる。

<神の叫び>

神は「大声で」呼び出される。しかし、神は「叫ぶ」が、それを退けんとする力もまた働くのである。

ホセア11:1~2

イエスのエジプト逃避行をホセアの預言の成就であるとする理由は、「わたしが彼らを呼び出したのに、彼らはわたしから去って行き、バアルに犠牲をささげ、偶像に香をたいた」(ホセア11: 2)イスラエルの民にあるのかもしれない。イエスを拒絶したのはヘロデだけではなく、メシアを待ち望むエルサレムの住民、イスラエルの民であった。

<脱出>

今いる所から脱出しなければ時がある。神がそこから「呼び出される」のを聞いたら、ためらわずに行動すべきである。

<預言の成就>

本節はホセア書11:1からの引用。イスラエルはかつてモーセに導かれエジプトから「呼び出され」た。イスラエルはエジプトから脱出したが偶像から離れず、「呼べば呼ぶほど」神から遠ざかった(ホセア11:1~)。この預言はイエスにおいて成就した。

<コプト教>

コプト教は、イエスとその家族はエジプトへ逃避し、ヘロデが死ぬまでの3年間、ナイル川中部、アシュートの北にあるクムカム山の麓で過ごしたとして、その地に「エル・ムアラッカ教会」を建てた。この修道院は現在もコプト教の聖地となっている(地下鉄マリ・ギルギス駅の近く)。彼らはエジプト人こそがイエスがガリラヤで宣教を開始する前に、幼子イエスを受け入れ、主と認めた民であると信じている。

† 心のデボーション

「ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ」 マタイ2:15 大正文語訳聖書

「ヘロデが死ぬまでそこに留まった」 フランシスコ会訳聖書

「派遣と拒絶」

神は救い主イエスを送られたがヘロデは拒絶し、イエスは逃亡者としてエジプトに追いやられる。神はそのイエスをエジプトから再びイスラエルに連れ戻されるが、エルサレムは拒否する。神と人間のあいだに繰り返される神の派遣と拒絶はそのままに「私」と神の間の緊張関係である。人は拒みながら受け入れ、望みながら拒む。

† 心のデボーション

「ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ」 マタイ2:15 大正文語訳聖書

「ヘロデが死ぬまでそこに留まった」 フランシスコ会訳聖書

「和解なく」

ヨセフとマリヤは「ヘロデが死ぬまで」エジプトに留まった。二度とそこに戻ることのできない関係というものがある。ここには「話せばわかる」という思考はない。神が二つを隔てられたのだ。和解なく過ごさなければならない時である。

† 心のデボーション

「ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ」 マタイ2:15 大正文語訳聖書

「ヘロデが死ぬまでそこに留まった」 フランシスコ会訳聖書

「呼ぶ者」

イエスはエジプトから「呼び出され」た。(マタイ2:15)神は「エジプト」のイスラエルを「呼ばれた」が、彼らはいよいよ「その呼者(よぶもの)に遠ざかった」(ホセア11: 2)

神は人をあるべき「私」に呼ばれる。しかし、人は神が呼べば呼ぶほど、自分という存在から遠ざかり、己の偶像に香を焚く。

「イスラエルの幼かりしとき我これを愛しぬ我わが子をエジプトより呼いだしたり   かれらは呼るるに隨ひていよいよその呼者(よぶもの)に遠ざかり且もろもろのバアルに犠牲をささげ雕たる偶像に香を焚(たけ)り」 ホセア11:1~2 明治元訳聖書

† 細き聲 説教

「魂の救済」

「ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ。これ主が預言者によりて『我エジプトより我が子を呼び出せり』と云ひ給ひし言の成就せん爲なり」 マタイ2:15 大正文語訳聖書

マタイはイエスのエジプト逃避行をモーセの出エジプトと重ねて説明する。

イエスのエジプト滞在は「逃避」というよりも、エジプトからの「呼び出し」により大きなメッセージがある。

マタイのメッセージはユダヤ人に「イエスによる民族解放」の期待を告げるものであった。

しかし、マタイの福音書はイエスの十字架と復活による罪の赦しの福音を語るのである。(マタイ26:26~29)

イエスはイスラエルの民族解放のためではなく、神の国の到来を告げるために来られたのである。(マルコ1:14~15)

我々は一人の人の救済が、出エジプトの出来事に対比されて語られることに注視する必要がある。それは単なる比喩ではなく、まさに一人の魂の救済は民族の解放につながり、「神の国」の到来を告げるにふさわしい意味を持つのである。個人の救済なくして「神の国」は来たり給わない。

世はあげて魂の救済を拒むであろう。そのために権力は力をもって魂を圧殺しようと試みるだろう。しかし、神による魂の解放をとどめることはできない。

(皆川誠)

† 細き聲 説教

「ヘロデの死ぬるまで」

「ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ。これ主が預言者によりて『我エジプトより我が子を呼び出せり』と云ひ給ひし言の成就せん爲なり」 マタイ2:15 大正文語訳聖書

ヨセフはマリヤと「ヘロデ王が死ぬまで」エジプトに隠れた。

ヘロデ王のメシア抹殺の意思はその死まで続き、変わることはなかった。

すべての人に悔い改めの機会はあるが、死にいたるも終わることのない悪もある。

しばしば、権力者の悪はその死にいたらなければ終わらないのである。

「王者いくさびと多をもて救をえず勇士ちから大なるをもて助をえざるなり 視よヱホバの目はヱホバをおそるるもの並その憐憫をのぞむもののうへにあり」 詩篇33:16,18 明治元訳聖書

(皆川誠)

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