† 福音書対観 「東方の博士の来訪」 マタイ2:1~12
マタイ2:1~12
Matt. 2:10彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。 口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt. 2:10
【漢訳聖書】
Matt. 2:10 博士見星、喜不自勝、
【明治元訳】
Matt. 2:10 彼等(かれら)この星(ほし)を見(み)て甚(いた)く喜(よろこ)び
【大正文語訳】
Matt. 2:10 かれら星を見て、歡喜に溢れつつ、
【ラゲ訳】
Matt. 2:10 彼等其星を見て甚喜び、
【口語訳】
Matt. 2:10 彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
【新改訳改訂3】
Matt.2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
【新共同訳】
Matt. 2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
【バルバロ訳】
Matt. 2:10 星を見て大いに喜んだ彼らは、
【フランシスコ会訳】
Matt. 2:10 博士たちはその星を見て、非常に喜んだ。
【日本正教会訳】
Matt. 2:10 彼等 星を 見て 喜に 勝へざりき。
【塚本虎二訳】
Matt. 2:10 彼らはその星を見たとき、大喜びに喜んだ。
【前田護郎訳】
Matt. 2:10 彼らはその星を見て大よろこびによろこんだ。
【永井直治訳】
Matt. 2:10 されば彼等は星を見て、一方ならず大なる喜もて喜べり。
【詳訳聖書】
Matt. 2:10 星を見た時彼らは感激の喜びで身震いした。
† 聖書引照 Matt. 2:10
Matt. 2:10 かれら星を見て、歡喜に溢れつつ、
[かれら星を見て、歡喜に溢れつつ] 申命32:13; 詩篇67:4; 105:3; ルカ2:10,20; 使徒13:46~48; ロマ15:9~13
† ギリシャ語聖書 Matt. 2:10
Stephens 1550 Textus Receptus
ιδοντες δε τον αστερα εχαρησαν χαραν μεγαλην σφοδρα
Scrivener 1894 Textus Receptus
ιδοντες δε τον αστερα εχαρησαν χαραν μεγαλην σφοδρα
Byzantine Majority
ιδοντες δε τον αστερα εχαρησαν χαραν μεγαλην σφοδρα
Alexandrian
ιδοντες δε τον αστερα εχαρησαν χαραν μεγαλην σφοδρα
Hort and Westcott
ιδοντες δε τον αστερα εχαρησαν χαραν μεγαλην σφοδρα
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt. 2:10
ἰδόντες δὲ τὸν ἀστέρα ἐχάρησαν χαρὰν μεγάλην σφόδρα.
† ヘブライ語聖書 Matt. 2:10
Matt. 2:10
כִּרְאוֹתָם אֶת הַכּוֹכָב שָׂמְחוּ שִׂמְחָה גְּדוֹלָה עַד מְאֹד.
† ラテン語聖書 Matt. 2:10
Latin Vulgate
Matt. 2:10
Videntes autem stellam gavisi sunt gaudio magno valde.
Then, seeing the star, they were gladdened by a very great joy.
† 私訳(詳訳)Matt. 2:10
【私訳】 「それで、彼ら〔マギ、占星術の学者たち〕は、その星を見て<理解して、洞察して>大きく激しい<ひどく、非常に強い>喜び<歓喜、湧き上がる喜び>を喜んだ<心から喜んだ>」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt. 2:10
ἰδόντες δὲ τὸν ἀστέρα ἐχάρησαν χαρὰν μεγάλην σφόδρα.
【また】 δὲ δέ デ de {deh} (ch 接続詞・完)
1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ
【学者たちはその星を見て】 ἰδόντες δ τὲὸν στέραἀ 原文「彼らは星をみて」
【星を】 ἀστέρα ἀστήρ アステール astēr {as-tare‘} (n-am-s 名詞・対男単)
1)星 2)天体 3)光輝
マタ2:2,7,9,10; 21:29; マル13:25; Ⅰコリ15:41 ユダ13; 黙示1:16,20; 2:1; 3:1; 6:13; 8:10,11,12; 9:1;12:1,4
【見て】 ἰδόντες εἶδω エイドー eidō {i‘-do} (vpaanm-p 分詞・2アオ能主男複)
1)見る、~の方を見る、目で見る 2)知る、味わう、経験する、見て知る、洞察する、理解する、悟る、認める 3)探す、考える、心に調べる、分かる、見つける
マタ2:2; 4:26;27:49; 14:14; 28:6; マル1:10,16; 2:1; 8:33; ルカ5:26; 7:22;14:18; ヨハ1:47,48; 6:26;7:52;19:6; 使徒9:35; 12:16; ガラ1:19; Ⅰテモ6:16 etc.
【喜びにあふれた】 ἐχάρησαν χαρν μεγάλην σφόδραὰ 原文「大きな、湧き上がる、烈しい喜びを喜び」
【大きな】 μεγάλην μέγας メガス megas {meg‘-as} (a–af-s 形容詞・対女単)
1)(大きさ、長さ、高さ、強さ、程度が)大きい、非常に、大いに 2)驚くべき 3)壮大な、広大な、偉大な、優れた 4)名高い、重要な 5)重要な 6)激しい
マタ2:10; 4:16; 7:27; 8:24,26; 20:31; 24:21,24,31; 27:46,50; 28:2,8; マル4:37,39,41; 5:42; ルカ2:9,10;4:25,38; 8:37; 21:11,23; 23:23; 24:52; ヨハ5:20; 6:18; 11:43; 14:12; 15:13 etc.
【激しい】 σφόδρα σφόδρα スふォドラ sphodra {sfod‘-rah} (ab 副詞)
< σφόδρος 烈しい、過度な
1)非常に強く 2)すっかり、全く、ひどく 3)大いに、甚だしく、烈しく、激しく、強く 4)正確に、はっきりと
マタ2:10; 17:6; 19:25; マル16:4; ルカ6:7; 18:23; 使徒6:7; 黙示18:23
【喜びを】 χαρνὰ χαρά かラ chara {khar-ah‘} (n-af-s 名詞・対女単)
1)喜び、湧き出る喜び 2)歓喜、嬉しさ、喜悦、愉快 3)楽しさ
マタ2:10; 25:21,23; 28:8; ルカ1:14; 2:10; 15:7,10; 24:41,52; ヨハ3:29; 15:11; 16:20,21,22,24: 17:13 etc.
【喜んだ】 ἐχάρησαν χαίρω かイロー chairō {khah‘ee-ro} (viao–3p 動詞・直・2アオ・能欠・3複)
1)喜ぶ、心から喜ぶ、大いに喜ぶ 2)好む、好んで~する 3)ごきげんよう、(無事であることを喜ぶ)、御無事で、
ユダヤ人は会う時、別れの時に挨拶としてこのことばを用いる。
マタ2:10; マル14:11; ルカ15:5,32; 19:6,37; 22:5; 23:8; ヨハ3:29; 4:36; 8:56; 16:20; 20:20 etc.
† 英語訳聖書 Matt. 2:10
King James Version
2:10 When they saw the star, they rejoiced with exceeding great joy.
American Standard Version
2:10 And when they saw the star, they rejoiced with exceeding great joy.
New International Version
2:10 When they saw the star, they were overjoyed.
Bible in Basic English
2:10 And when they saw the star they were full of joy.
Darby’s English Translation
2:10 And when they saw the star they rejoiced with exceeding great joy.
Douay Rheims
2:10 And seeing the star they rejoiced with exceeding great joy.
Noah Webster Bible
2:10 When they saw the star, they rejoiced with exceeding great joy.
Weymouth New Testament
2:10 When they saw the star, the sight filled them with intense joy.
World English Bible
2:10 When they saw the star, they rejoiced with exceedingly great joy.
Young’s Literal Translation
2:10 And having seen the star, they rejoiced with exceeding great joy,
Amplified Bible
2:10 When they saw the star, they rejoiced exceedingly with great joy.
† 細き聲 聖書研究ノート
<かれら星を見て、歡喜に溢れつつ>
「導きの星」は遂にベツレヘムの幼子イエスのおられる所まで進み、その上にとどまった。東の博士たちは家の前に立ち喜びにあふれた。
<導きの力>
博士たちは、出発の原因となった「星」が今も「導きの力」を失っていないことを知って、「烈しく大きな湧き上がる喜び」に満たされる。出発の原因となった力は、完成を導く力である。
<大きな激しい喜び>
人は次第に「大きな激しい喜び」を忘れる。「私」という存在に「大きな激しい喜び」を感じなくなったのだ。星の導きを再び見出せ。人が「私」の存在に「大きな激しい喜び」を受け取るのは、創造の神を「私」という存在に知るときである。「大きな激しい喜び」は静かに私を包む。
<大きな激しい喜び>
「大きな激しい喜び χαρὰν μεγάλην σφόδρα」は、現実から遠いところにあるのではない。わたしの頭上にあって、わたしを照らす光に導かれる喜びである。
<ベツレヘムの星>
博士たちを導いた星を「ベツレヘムの星」という。クリスマス・ツリーの先端に飾る大きな星は「ベツレヘムの星」を模したものである。
「ベツレヘムの星」は民数記24:17に預言されている。
「私は見る。しかし今ではない。私は見つめる。しかし間近ではない。ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く」 (新改訳聖書)
「ベツレヘムの星」を天文学的に特定しようとする試みに意味があるとは思えない。それというのも、東のマギは「ベツレヘムの星」を見たが、「ヤコブから一つの星が上る」との預言を知るエルサレムの祭司・学者たちでさえも、「ベツレヘムの星」を「見た」という記録を見出すことはできないからである。
マギは天体を観測していて、「新しい王の誕生」を告げる「星」を見た。しかし、それは他の誰もが分かるような特異な自然現象としての星の出現ではなく、今日私たちが見上げるのと同じ夜空であった。しかし、天体の運行に人間の運命を重ねて夜空を仰ぐ東のマギには、そこに「新しい王の誕生」を読み解くだけの知恵があったということではないか。東のマギは彼らにのみ意味をもつ「星の物語」をもっていたのだろう。そのようにして、人は夜空を見上げるのである。
† 心のデボーション
「かれら星を見て、歡喜に溢れつつ」 マタイ2:10 大正文語訳聖書
「されば彼等は星を見て、一方ならず大なる喜もて喜べり」 永井直治訳聖書
「ベツレヘムの星」
「ベツレヘムの星」は幼子の上にとどまった。星が指す地上の一地点を特定するにも東の博士たちの「智慧」が必要であったろう。
ナビゲイション navigation はラテン語 navi 船 と gate 操縦 から来る「航海術」を意味する言葉である。目的地まで導いてくれる。現代、人は目的地まで正確に連れて行ってくれる機器を手に入れた。ナビゲイション機器に目的地を入力さえすればどこにでも行けるようになった。しかし、我々はそれと引きかえに、どうしてここに来られたかを思考する力、つまり「星の位置」から地の一点を探り出す能力を失ったのではないだろうか。そのうち人間は「目的地」そのものを見出す能力をも失うかもしれない。
† 心のデボーション
「かれら星を見て、歡喜に溢れつつ」 マタイ2:10 大正文語訳聖書
「されば彼等は星を見て、一方ならず大いなる喜びをもて喜べり」 永井直治訳聖書
「歡喜に溢れつつ」
「歡喜」の「歡」は口をそろえて声をあわせること。マギたちには「からだを曲げ、にぎやかに声をあわせて喜ぶ」友がいた。これもまた、神に導かれる者の幸せではあるまいか。
(†心のデボーション00174)
† 心のデボーション
「彼等(かれら)この星(ほし)を見て甚(いた)く喜(よろこ)び」 マタイ2:10 大正文語訳聖書
「されば彼等は星を見て、一方ならず大いなる喜びをもて喜べり」 永井直治訳聖書
「博士の井戸」
伝説によると、マギがエルサレムから2~3キロほど南に進んだとき、それまで見えていた星が急に見えなくなった。彼らは途方にくれたが、なにげなくそこにあった井戸を覗くと、井戸の水面に美しい星が映っていた。不思議に思って空を見上げると、見失った星が輝いていたという。そこからこの井戸は「博士の井戸 Well of Magi」と呼ばれるようになった。
この井戸はエルサレムとベツレヘムの中間にあり、旅人は必ずラクダを止める所で、マリアとヨセフもベツレヘムに行く途中ここで休息したというところから、この場所は Kathisma カティスマ(座席)と呼ばれている。(新聖書大辞典)
導きの星を見失ったら、空から遠い深い井戸を覗くがいい。星は地の底からも見ることができる。井戸の底から見上げると昼間は見えない空の星も見える。
(†心のデボーション00107)
† 心のデボーション
「彼等(かれら)この星(ほし)を見て甚(いた)く喜(よろこ)び」 マタイ2:10 大正文語訳聖書
「されば彼等は星を見て、一方ならず大いなる喜びをもて喜べり」 永井直治訳聖書
「甚(いた)く喜(よろこ)び」
「甚(いた)く喜(よろこ)び χαρὰν μεγάλην σφόδρα」の英語訳は「exceeding great joy」King James Version で「限度を越えた、非常な、すばらしい」喜びである。 Weymouth New Testamentは「intense joy 激しい、激烈な、熱烈な」喜びと訳す。信じる者の聖霊による喜びである。
漢字の「甚」は「甘 (うまい物)」+「匹 (つれそう、つれあい)」で「とりわけ楽しい」こと。
星の一つに神の導きを見つけるのは、旨いものにありつくように嬉しい。
永井直治訳は「されば彼等は星を見て、一方ならず大いなる喜びをもて喜べり」である。
(†心のデボーション00134)
† 心のデボーション
「彼等(かれら)この星(ほし)を見て甚(いた)く喜(よろこ)び」 マタイ2:10 大正文語訳聖書
「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」 新共同訳聖書
「星を読み解く」
カーナビにまかせて運転すると、目的地にさえ行けるのならば、どの道をどのように通過するかは、どうでもよいと思えてくる。
目的地を知るということは、そこに至る道程を含めたものである。
東のマギ達は天の星の放つ光が指し示す地上の一点を読み解く能力をもっていた。現代の正確無比な機器一台と引換えに、天を見上げて星の放つぼんやりした光を読み解く力を失ってはなるまい。
(†心のデボーション00137)
† 心のデボーション
「彼等(かれら)この星(ほし)を見て甚(いた)く喜(よろこ)び」 マタイ2:10 大正文語訳聖書
「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」 新共同訳聖書
「歡喜の星」
東の博士たちは「星を見て、歡喜に溢れ」た。彼らは東方で見た「星」を、ベツレヘムで再び見て歡喜した。信じることの喜びは「星」として「見出すことのできるもの」であった。
人は何を見て「歡喜」するだろうか? 「歡喜の星」として見出し、「これ」と指差すことができるだろうか?
† 細き聲 説教
「喜びにあふれ」
「彼等(かれら)この星(ほし)を見て甚(いた)く喜(よろこ)び」 マタイ2:10 大正文語訳聖書
「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」 新共同訳聖書
東の博士たちは祖国で「導きの星」を観察し、確かめる為に長い旅にでた。ユダヤのエルサレムに到着しヘロデ王の宮殿に入り、数日間をすごした。
その間、「導きの星」は動きを止めていた。
ヘロデの宮殿を出発すると、「導きの星」が再び彼らの頭上に現われ、彼らを先導してベツレヘムへの幼子イエスの所でとどまった。
東の博士たちは「星を見て、歡喜に溢れ」た。
東の博士たちの、出発の原因となった「星」は完成に導く力であった。
東の博士たちは遂に求める「メシア」に出会ったことに「歓喜」するが、出発の原因となった「星」が終わりまで「導きの力」を失わなかったことへの喜びも含まれていたに違いない。
「導きの星」はがヘロデの宮殿の上にとどまり、静止したとき、東の博士たちは、ここまま星は動かないのではないかと不安を感じた。しかし、彼らが出発すると、星はこれまでと同じに彼らを先導した。
「導きの星」がとどまるときがある。もはや、神の導きが感じられない時である。しかし、動きの感じられないことも、また、「導き」である。
ベツレヘムまでの長い道程に起こることの一つ一つに「神の導き」のあることに「歓喜」したい。
(皆川誠)
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