マタイによる福音書2章5節

マタイによる福音書
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† 福音書対観 「東方の博士の来訪」 マタイ2:1~12

マタイ2:1~12

Matt. 2:5彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt. 2:5

【漢訳聖書】
Matt. 2:5 衆謂之曰、於猶太伯利恒、蓋預言者有此錄云、

【明治元訳】
Matt. 2:5 答(こたへ)けるはユダヤのベテレヘム(※1)なり蓋預言者(※2)の錄(しる)されたる言(ことば)に (※1 明治14(1881)年版では「ベツレヘム」 ※2 明治14(1881)年版では「預言者」のルビが「よげんじゃ」)

【大正文語訳】
Matt. 2:5 かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり。それは預言者によりて、

【ラゲ訳】
Matt. 2:5 彼等云ひけるは、ユデアのベトレヘムに、其は預言者の録して、

【口語訳】
Matt. 2:5 彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、

【新改訳改訂3】
Matt. 2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。

【新共同訳】
Matt. 2:5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。

【バルバロ訳】
Matt. 2:5 彼らは、「預言者が次のように書いていますから、ユダヤのベトレヘムに生まれるはずであります。

【フランシスコ会訳】
Matt. 2:5 彼らは答えた。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によって次のように書き記されています。

【日本正教会訳】
Matt. 2:5 彼等 曰へり、 イウデヤの ワィフレエムに 於てす、 蓋 預言者に 因りて 斯く 録されたり、

【塚本虎二訳】
Matt. 2:5 彼らはこたえた、「ユダヤのベツレヘムで。預言者(ミカ)によって、こう書かれているからです。

【前田護郎訳】
Matt. 2:5 彼らは答えた、「ユダヤのベツレヘムにです。預言者によってこのように書かれています、

【永井直治訳】
Matt. 2:5 乃ち彼等いへり、ユダヤのべツレヘムに。そはかく豫言者によりて録されたればなり、

【詳訳聖書】
Matt. 2:5 彼らは答えた、「ユダヤのベツレヘムです。なぜなら、預言者によって次のように書かれてありますから、

† 聖書引照 Matt. 2:5

Matt. 2:5 かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり。それは預言者によりて、

[ユダヤのベツレヘム]  創世35:19; ヨシュ19:15; ルツ1:1,19; 2:4; 4:11; Ⅰサム16:1

† ギリシャ語聖書 Matt. 2:5

Stephens 1550 Textus Receptus
οι δε ειπον αυτω εν βηθλεεμ της ιουδαιας ουτως γαρ γεγραπται δια του προφητου

Scrivener 1894 Textus Receptus
οι δε ειπον αυτω εν βηθλεεμ της ιουδαιας ουτως γαρ γεγραπται δια του προφητου

Byzantine Majority
οι δε ειπον αυτω εν βηθλεεμ της ιουδαιας ουτως γαρ γεγραπται δια του προφητου

Alexandrian
οι δε ειπον αυτω εν βηθλεεμ της ιουδαιας ουτως γαρ γεγραπται δια του προφητου

Hort and Westcott
οι δε ειπον αυτω εν βηθλεεμ της ιουδαιας ουτως γαρ γεγραπται δια του προφητου

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt. 2:5

οἱ δὲ εἶπαν αὐτῷ, ᾽Εν Βηθλέεμ τῆς ᾽Ιουδαίας οὕτως γὰρ γέγραπται διὰ τοῦ προφήτου

† ヘブライ語聖書 Matt. 2:5

Matt. 2:5

אָמְרוּ לוֹ: “בְּבֵית לֶחֶם יְהוּדָה, כִּי כֵן נִכְתַּב עַל־יְדֵי הַנָּבִיא:

† ラテン語聖書 Matt. 2:5 Matt. 2:5

Latin Vulgate
Matt. 2:5

At illi dixerunt: In Bethlehem Iudæ: Sic enim scriptum est per prophetam:
And they said to him: “In Bethlehem of Judea. For so it has been written by the prophet:

† 私訳(詳訳)Matt. 2:5

【私訳】 「それで彼らは彼〔ヘロデ〕に言った。『ユダヤのベツレヘムに。なぜなら<というのは>、預言者<解釈者、代言者、神のことばを伝え解釈する者>を通して次のように<このように>書かれて<記録されて、刻まれて>いますから』」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt. 2:5

οἱ δὲ εἶπαν αὐτῷ, ᾽Εν Βηθλέεμ τῆς ᾽Ιουδαίας οὕτως γὰρ γέγραπται διὰ τοῦ προφήτου

【それで】 δὲ  δέ  デ de {deh}  de {deh} (ch 接続詞・完)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【彼に】 αὐτῷ  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npdm3s 代名詞・与男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

【彼らは言った】 εἶπαν  εἶπον エイポン  eipon {i‘-pon}  (viaa–3p 動詞・直・2アオ・能・3)

1)言う、話す、語る、告げる、言いあらわす、述べる、呼ぶ 2)命じる、願う、尋ねる 3)~と呼ぶ、称する 4)語られたこと、言葉、発言、発話、話の内容 5)出来事

【ユダヤの】 ᾽Ιουδαίας  ᾽Ιουδαία  イウーダイア Ioudaia {ee-oo-dah‘-yah} (n-gf-s 名詞・属女単)

1)ユダヤ 2)ユダヤ人

マタ2:1,5,22; 3:5; 4:25; 19:1; 24:16;  マル1:5; 3:7; 10:1; 13:4;  ルカ1:5; 2:4; 4:44;  ヨハ4:3,47,54;  使徒1:8; 8:1 etc.

【ベツレヘム】 Βηθλέεμ  Βηθλέεμ  ベーとれエム  Bēthleem {bayth-leh-em‘} (n-df-s 名詞・与女単)

ベツレヘム  ヘブル語「パンの家」

マタ2:1,5,6,8,16;  ルカ2:4,15;  ヨハ7:42

【に】 ᾽Εν ἐν エン en {en}  (pd 前置詞・属)

1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に

【なぜなら】 γὰρ  γάρ  ガル gar {gar} (cs 接続詞・従位)

1)なぜなら、というのは、その理由は、だから 2)すなわち、では、いったい、結局 4)確かに、もちろん、だって

【預言者を】 προφήτου προφήτης  プロふェーテース  prophētēs {prof-ay‘-tace} (n-gm-s 名詞・属男単)

< πρό  前に + φημί  語る

1)あらかじめ言う 2)解釈者 3)預言者、神のことばを伝え解釈する者、代言者、予言者

マタ1:22; 13:57; 21:11;  ルカ1:76; 7:16; 16:16;  エペ4:11; Ⅰテサ2:15;  黙示22:6  etc.

【通して】 διὰ  διά ディア dia {dee-ah‘} (pg 前置詞・属)

1)~を通って、通り抜けて 2)~を通じて、~中ずっと、~の中に、~の中へと 3)~の故に 3)~のために、~の故に 4)~の間で 5)~を経て、~によって、~の後に

【このように】 οὕτως  οὕτω フートー houtō {hoo‘-to} (ab 副詞)

1)次のように、このように、それ程に、こういう風にして 2)さあ、ぐずぐずせずに 3)そこで、かくて 4)それ故、だから 5)それほど、非常に

【書かれている】 γέγραπται  γράφω  グラふォー  graphō {graf‘-o} (virp–3s 動詞・直・完了・受・3単)

1)引っ掻く、刻み込む、掻き傷をつける 2)字を刻む、書き記す、記録する、銘記する、筆記する、書送る、焼印を押す

マタ4:4;  マル1:2;  ルカ10:20;  Ⅰコリ10:11;  Ⅱコリ3:2,3;  ピリ4:3;  ヘブ12:23;  黙示20:12;21:27

† 英語訳聖書 Matt. 2:5

King James Version
2:5 And they said unto him, In Bethlehem of Judaea: for thus it is written by the prophet,

American Standard Version
2:5 And they said unto him, In Bethlehem of Judaea: for thus it is written through the prophet,

New International Version
2:5 ”In Bethlehem in Judea,” they replied, “for this is what the prophet has written:

Bible in Basic English
2:5 And they said to him, In Beth-lehem of Judaea; for so it is said in the writings of the prophet,

Darby’s English Translation
2:5 And they said to him, In Bethlehem of Judaea; for thus it is written through the prophet:

Douay Rheims
2:5 But they said to him: In Bethlehem of Juda. For so it is written by the prophet:

Noah Webster Bible
2:5 And they said to him, In Bethlehem of Judea: for thus it is written by the prophet,

Weymouth New Testament
2:5 ‘At Bethlehem in Judaea,’ they replied; ‘for so it stands written in the words of the Prophet,

World English Bible
2:5 They said to him, ‘In Bethlehem of Judea, for thus it is written through the prophet,

Young’s Literal Translation
2:5 And they said to him, ‘In Beth-Lehem of Judea, for thus it hath been written through the prophet,

Amplified Bible
2:5 They replied to him, “In Bethlehem of Judea, for this is what has been written by the prophet [Micah]:

† 細き聲 聖書研究ノート

<かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり。それは預言者によりて>

祭司長、律法学者たちはヘロデの問いに聖書を調べる必要もなかった。彼らは「メシアの来訪」を待ち望む人々だったからである。祭司長、律法学者たちは即座に、ミカ5:2から「ユダヤのベツレヘム」ですと答えることができた。

<祭司長・律法学者>

「ベツレヘム Βηθλέεμ  ベーとれエ」はヘブル語で「パンの家」の意味。祭司長、学者はメシアがどこで生まれるかを知っていた。知ることが彼らの務めだった。この時の「祭司長、律法学者」は、知らせることもなく知り、出発することもなく座すだけの人々だった。

「彼らは聖書学者として申し分がなかった。しかしながらそれだけであった」(内村鑑三『聖書注解』)

<よき知らせ>

「よき知らせ」は預言者によって語られ、記録された。祭司長、律法学者はそれらを筆写、所持し、問われれば直ちに引き出すことが出来た。しかし、ついに「ことば」は彼ら自身のものにはならなかった。「生きたことば」には、それ自身として、伝達し、知らせ、実現する力がある。ことばを所持することが大切なのではなく、「ことば」が「生き」「働く」かどうかである。それには「ことば」そのものが自在に働き、自らもそれを「生きる」ことがなくてはならない。

<反対者の情報>

反対する者の情報がすべて誤りではない。彼らも同じ情報を共有している。真実は反対者の情報によっても語られる。真実のためには反対者の情報にも耳を傾ける必要がある。

真実を知りたければ、全ての情報を集め、分析し思索することである。

<ベツレヘム>

「ベツレヘム Βηθλέεμ ベーとれエ」はヘブライ語で〈パンの家〉を意味する。アラビア語で バイト・ラフムBayt Laḥm と呼ばれる。正教会訳は「ワィフレエム」と表記される。ベツレヘムはエルサレムの南8キロのところにありダビデ王の生地で「ダビデの町」と呼ばれた。4世紀にコンスタンティヌス大帝が降誕教会を建設,ヒエロニムスのラテン語訳聖書《ウルガタ Vulgata》はこの教会の地下の一室で生まれた。

† 心のデボーション

「われわが戀人を呼たれども彼らはわれを欺むけり」 哀歌1:19 明治元訳聖書

「わたしは愛した人々に呼びかけたが、皆、わたしを裏切った。わたしの祭司ら長老らは、都で息絶える。命をつなごうと、食べ物を乞いながら」 哀歌1:19 新共同訳聖書

「祭司長、律法学者」

祭司長、律法学者は直ちに聖書からメシアの誕生の場所を特定することが出来た。しかし、聖書のメッセージは、座り込んだ彼らを一寸も動かさない。

彼らは「都で命をつなごうと、食べ物を乞いながら」歩き回る、「今にも息絶えようとする」学者だった。彼らがそうしている間にも、神の「愛した人々(「わが戀人」明治元訳)」は囚われて異国に引かれていく。(哀歌1:18~19)。

† 心のデボーション

「ヒゼキヤこれがために喜びその寶物の庫金銀香物貴き膏(あぶら)および武器庫ならびにその府庫(くら)にあるところの一切の物を之に見せたりその家にある物もその國の中にある物も何一箇としてヒゼキヤが彼等に見せざる者はなかりき」 Ⅱ列王20:13 明治元訳聖書

「ヒゼキヤは、彼らのことばを聞いて、すべての宝庫、銀、金、香料、高価な油、武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった」 新改訳聖書

「何を語り、いかに黙すか」

祭司長、律法学者たちは、ただちに「メシア」に関する情報をヘロデに伝える。彼らは聞かれると全てを語ってしまう。それは「メシア」を待望するイスラエルの民とその指導者としての自分への裏切りである。

かつて、ユダの王ヒゼキヤは敵国バビロンの使者に神殿の宝庫と武器庫を開いて見せてしまい、それによって厳しい裁きを受けたではないか。(Ⅱ列王20章)

神は「我は口重く舌重き者なり」と訴えるモーセに、「然ば往けよ我なんぢの口にありて汝の言ふべきことを敎へん」と励まされた。(出エジプト4:10~13) 何を語り、いかに黙すかは神の導きにある。

† 心のデボーション

「かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり』」 マタイ2:5 大正文語訳聖書

「彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです」 新共同訳聖書

「導きの星」

イエスの誕生は中心にいた人々にも伝えられるが、中心はイエスに好意的ではない。むしろ、周辺の端にいたマギがイエスに関心を寄せる。彼等は「導きの星」を見たからには旅をしないわけにはゆかない人々であった。

自らの足で確かめようとしない「読む」だけの人々がいる。彼らの知識は量的にも質的にも十分だが、「星」が彼らを導くことはない。マギの知識は不十分なものであったが、求めることによって知識を深め、遂に導きを得た。

† 心のデボーション

「預言者の錄(しる)されたる言(ことば)」 マタイ2:5 大正文語訳聖書

「預言者がこう書いています」 新共同訳聖書

「一巻の巻物」

イスラエルの歴史は書記官によって記録され厳密に保管されていた。ダリヨス王の時代にバビロンの文書保管所から「一巻の巻物」が発見され、それによってエルサレム神殿の再建が実現した。(エズラ6:1~12)

わずか「一巻の巻物」からでも、神の言葉一つからでも、信仰の覚醒ははじまる。

しかし、ヘロデの時代のエルサレムの祭司、律法学者はエズラ、ネヘミヤの教えを学ばなかった。メシアの「記録を見つける」ことはできても、メシアを見出すことはできなかった。

その差は現代も変わることなく存在する。

† 心のデボーション

「かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり』」 マタイ2:5 大正文語訳聖書

「彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています」 新共同訳聖書

「パンの家」

「ベツレヘム Βηθλέεμ  ベーとれエ」はヘブル語で「パンの家」の意味。ベツレヘムは麦のとれる肥沃な土地であったところから「パンの家」と呼ばれた。ここでイエスはお生まれになった。

ブラジルのリオデジャネイロの丘の斜面には「ファベーラ」と呼ばれるスラム街が広がっている。「ファベーラ」は「神の街」という意味である。極度に貧しい人々の街で麻薬組織に支配される無法地帯である。切り立った丘の頂上に「コルコバードのキリスト像」が両手を左右に広げて街をみおろしている。リオデジャネイロは「キリストが見守る街」という意味であるという。(ブラジル全土には6300箇所ものファベーラがある)

「パン」の問題は現代も解決しないままに深刻さを増している。「ファベーラ」が「ベツレヘム パンの家」と呼ばれる日まで、我々は「ファベーラ」を「神の街」と呼ぶことを止めることはしない。

(†心のデボーション00173)

† 細き聲 説教

「ユダヤのベツレヘム」

「かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり』」 マタイ2:5 大正文語訳聖書

「彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています」 新共同訳聖書

ユダヤのベツレヘム(Bethlehem)はエルサレムの南8kmのところにある。

ヘロデ王に招集された祭司長、律法学者たちは、「メシアがどこに生まれるのか」と尋ねられて、直ちに「ユダヤのベツレヘムです」と答えている。

メシア誕生の地を知らせれば、ヘロデ王は必ず殺害に及ぶに違いないことを、祭司長や律法学者たちは知っていた。それはエルサレムに住むすべての人々が不安に感じるところでもあった。

しかし、ヘロデの意図を熟知している祭司長、律法学者たちは、どうして、「ユダヤのベツレヘムです」とメシア誕生の地を教え、「預言者がこう書いています」とその根拠まで明らかにしようとしたのだろうか?

祭司長たちの情報は危険なものだった。彼らの言葉から、ヘロデ王はベツレヘムに兵を差し向け、2歳以下の男の幼児を殺害するのである。悲惨な幼児殺害に祭司長、律法学者たちが自ら加担したのではなくとも、深くかかわっていることを見落とすことはできない。

祭司長、律法学者たちは東の博士たちの「メシア誕生」の一報を無視したのかもしれない。彼らには彼らの期待するメシアの到来があり、少なくとも「ベツレヘム」にその兆候を見ることはできないところから、メシア誕生の地をヘロデ王に伝えたのではないだろうか。

祭司長、律法学者たちのイエスをメシアと認めることのないメシア観は、イエス誕生の時にはじまり、十字架にまで続き、多くの犠牲を生むのである。

「メシア(救い主)」を待ち望む者は、期待の内容を整えなければならない。

「救い」は人の心から出るのではなく、神からもたらされるからである。

(皆川誠)

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