マタイによる福音書 2章2節

マタイによる福音書
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† 福音書対観 「東方の博士の来訪」 マタイ2:1~12

マタイ2:1~12

2:2「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt. 2:2

【漢訳聖書】
Matt. 2:2 曰、生而爲猶太人之王者安在、蓋我儕在東方、會見其星、故來拜之。

【明治元訳】
Matt. 2:2 曰(いひ)けるはユダヤ人(びと)の王(わう)とて生(うま)れ給(たまへ)る者(もの)は何處(いづこ)に在(いま)す乎(や)われら東(ひがし)の方(かた)にて其(その)星(ほし)を見(み)たれば彼(かれ)を拜(はい)せん爲(ため)に來(きた)れり

【大正文語訳】
Matt. 2:2 『ユダヤ人の王とて生れ給へる者は、何處に在すか。我ら東にてその星を見たれば、拜せんために來れり』

【ラゲ訳】
Matt. 2:2 云ひけるは、生れたるユデア人の王は何處に在すぞ、即(すなわち)我等東方にて彼が星を見、之を拝みに來れり、と。

【口語訳】
Matt. 2:2 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。

【新改訳改訂3】
Matt.2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

【新共同訳】
Matt. 2:2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

【バルバロ訳】
Matt. 2:2 「お生まれになったユダヤの王はどこにましますが。われわれはその星がのぼるのを見たので礼拝に来た」と尋ねた。

【フランシスコ会訳】
Matt. 2:2 「お生まれになったユダヤ人の王はどこにおられますか。わたしたちはそのしるしの星が上るのを見て、拝みに来ました」と言った。

【日本正教会訳】
Matt. 2:2 生れたる イウデヤ 人の 王は 何処に 在(あ)るか、 蓋(けだし) 我等 其 星を 東に 見たれば、 彼を 拜せん 爲に 來れり。

【塚本虎二訳】
Matt. 2:2 言った、「(今度)お生まれになったユダヤ人の王[救世主]はどこにおられるか。われわれはそのお方の星が出るのを見たので、おがみにまいった。」

【前田護郎訳】
Matt. 2:2 「お生まれになったユダヤ人の王はどこにおられるか。われらは彼の星を東方で見たので、彼を拝みに来ました」と。

【永井直治訳】
Matt. 2:2 云ひけるは、産まれ給へる彼、ユダヤ人の王は何處におはすや。そは我等東にてその星を見たれば、彼に平伏(ひれふ)さんために到りたればなり。

【詳訳聖書】】
Matt. 2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。私たちは彼の星を東の国で<その上るのを>見たので、彼を拝みに来ました」

† 聖書引照 Matt. 2:2

Matt. 2:2 『ユダヤ人の王とて生れ給へる者は、何處に在すか。我ら東にてその星を見たれば、拜せんために來れり』

[ユダヤ人の王とて生れ給へる者]  民数24:17 Mat 21:5; 詩篇2:6; イザ9:6,7; 32:1,2; エレ23:5; 30:9; ゼカ9:9; ルカ2:11; 19:38;23:3,38; ヨハ1:49; 12:13; 18:37; 19:12~15,19;
[我ら東にてその星を見たれば]  民数 24:17; イザ60:3; ルカ1:78,79; 黙示22:16
[拜せんために來れり]  マタ2:10,11; 詩篇45:11; ヨハ5:23; 9:38; 20:28; ヘブ1:6

† ギリシャ語聖書 Matt. 2:2

Stephens 1550 Textus Receptus
λεγοντες που εστιν ο τεχθεις βασιλευς των ιουδαιων ειδομεν γαρ αυτου τον αστερα εν τη ανατολη και ηλθομεν προσκυνησαι αυτω

Scrivener 1894 Textus Receptus
λεγοντες που εστιν ο τεχθεις βασιλευς των ιουδαιων ειδομεν γαρ αυτου τον αστερα εν τη ανατολη και ηλθομεν προσκυνησαι αυτω

Byzantine Majority
λεγοντες που εστιν ο τεχθεις βασιλευς των ιουδαιων ειδομεν γαρ αυτου τον αστερα εν τη ανατολη και ηλθομεν προσκυνησαι αυτω

Alexandrian
λεγοντες που εστιν ο τεχθεις βασιλευς των ιουδαιων ειδομεν γαρ αυτου τον αστερα εν τη ανατολη και ηλθομεν προσκυνησαι αυτω

Hort and Westcott
λεγοντες που εστιν ο τεχθεις βασιλευς των ιουδαιων ειδομεν γαρ αυτου τον αστερα εν τη ανατολη και ηλθομεν προσκυνησαι αυτω

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt. 2:2

λέγοντεςΠοῦ ἐστιν ὸ τεχθεὶς βασιλεὺς τῶν ᾽Ιουδαίων; εἴδομεν γὰρ αὐτοῦ τὸν ἀστέρα ἐν τῇ ἀνατολῇ καὶ ἤλθομεν προσκυνῆσαι αὐτῷ.

† ヘブライ語聖書 Matt. 2:2

Matt. 2:2

שָׁאֲלוּ: “הֵיכָן מֶלֶךְ הַיְּהוּדִים אֲשֶׁר נוֹלָד? כִּי רָאִינוּ אֶת כּוֹכָבוֹ בַּמִּזְרָח וּבָאנוּ לְהִשְׁתַּחֲווֹת לוֹ.”

† ラテン語聖書 Matt. 2:2

Latin Vulgate
Matt. 2:2

dicentes: Ubi est qui natus est rex Iudæorum? vidimus enim stellam eius in oriente, et venimus adorare eum.
saying: “Where is he who was born king of the Jews? For we have seen his star in the east, and we have come to adore him.”

† 私訳(詳訳)Matt. 2:2

【私訳】 「言った。『ユダヤ人の王として生まれた方はどこにいますか? というのは、私たちは東方<東の国>で彼の星を<その方の星が昇るのを>見たので、彼にひれ伏す<ひざまずく、礼拝する>ために来ました』」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt. 2:2

λέγοντες, Ποῦ ἐστιν ὸ τεχθεὶς βασιλεὺς τῶν ᾽Ιουδαίων; εἴδομεν γὰρ αὐτοῦ τὸν ἀστέρα ἐν τῇ ἀνατολῇ καὶ ἤλθομεν προσκυνῆσαι αὐτῷ.

【言った】 λέγοντες  λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vppanm-p 分詞・現能主男)

1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す

マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34;  マル2:11; 5:9; 12:18;  ルカ5:39; 6:46; 20:41;  ヨハ1:29; 2:6; 16:12; etc.

【ユダヤ人の】 ᾽Ιουδαίων  ᾽Ιουδαῖος    イゥーダイオス Ioudaia {ee-oo-dah‘-yah} (ap-gm-p 形容詞・属男複)

1)ユダヤの 2)ユダヤ人の

マタ2:2; 27:11,29,37; 28:15;  マル7:3; 15:2,9,12,18; 15:26;  ルカ7:3: 23:3,37,38,51;  ヨハ1:19;2:6,13,18,20; 3:1,22,25; etc.

【王として】 βασιλεςὺ  βασιλεύς  バシれウス  basileus {bas-il-yooce‘} (n-nm-s 名詞・主男単)】
1)王、君侯、支配者、族長 2)(無定冠詞で)ペルシャ王、ローマ皇帝 3)王族、貴族 4)統治、支配、王威、王国、王権 5)神 6)キリスト信徒

マタ1:6; 2:2; 17:25; 27:11;  マル6:14,22  ルカ1: 22,25;  使徒7:10; Ⅰテモ2:2; 6:15;  Ⅰペテ2:13; 黙示15:3; 17:14

【お生まれになったかたは】 τεχθεςὶ  τίκτω  ティクトー  tiktō {tik‘-to} (vpapnm-s 分詞・1アオ受主男単)

1)母が子を産む、父が子をもうける 2)生む 3)生じる 4)産出する

マタ1:21,23,25; 2:2;  ルカ1:31,57,; 2:6,7,22;  ヨハ16:21;  ガラ4:27  ヘブ6:7;  ヤコ1:15;  黙示12:2,4,5,13

【どこにおられますか?】  Πο ῦἐστιν;

【どこに】 Ποῦ  ποῦ  プー  pou {poo} (abt 副詞・疑)】
1)どこに、どこへ 2)どの場所に 3)どのように 4)どうして

【おられますか?】 ἐστιν;  εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3単)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

【というのは】 γρὰ  γάρ  ガル gar {gar} (cs 接続詞・従位)】
1)なぜなら、というのは、その理由は、だから 2)すなわち、では、いったい、結局 4)確かに、もちろん、だって

【東方】 ἀνατολῇ  ἀνατολή  アナトれー  anatolē {an-at-ol-ay‘} (n-df-s 名詞・与女単)】
< ἀνά +τολή →  τέλλω 昇る、出現する

1)太陽が昇る、日の出る所 2)東方 3)東

マタ2:1,2,9: 8:11; 24:27;  ルカ1:78; 13:29;  黙示7:2; 10:12; 21:13;

【で】 ἐν  ἐν エン en {en} (pd 前置詞・属)】
1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に

【その方の星を】 ατοὐῦ τν ὸἀστέρα  原文「彼の星」

【その方の】 ατοὐῦ  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘} (npgm3s 代名詞・属男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど    】
【星を】 ἀστέρα  ἀστήρ  アステール  astēr {as-tare‘} (n-am-s 名詞・対男単)

1)星  2)天体 3)光輝

マタ2:2,7,9,10; 21:29;  マル13:25;  Ⅰコリ15:41  ユダ13;  黙示1:16,20; 2:1; 3:1; 6:13; 8:10,11,12; 9:1;12:1,4

【私たちは見た】 εδομενἴ  εἶδω  エイドー  eidō {i‘-do} (viaa–1p 動詞・直・2アオ・能・1複)

1)見る、~の方を見る、目で見る 2)知る、味わう、経験する、見て知る、洞察する、理解する、悟る、認める 3)探す、考える、心に調べる、分かる、見つける

マタ2:2; 4:26;27:49;   14:14; 28:6;  マル1:10,16; 2:1; 8:33;  ルカ5:26; 7:22;14:18;  ヨハ1:47,48; 6:26;7:52;19:6;  使徒9:35; 12:16;  ガラ1:19;  Ⅰテモ6:16  etc.

【それで】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc/ch 接続詞・等位/完)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

【彼を】 ατὐῷ  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3s 代名詞・与男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど    】
【拝みに】 προσκυνσαι ῆ προσκυνέω  プロスクゆネオー  proskuneō {pros-koo-neh‘-o} (vnaa 不定詞・1アオ能)

< πρός ~に + κυνέω  接吻する

1)平伏して敬意を表す、ひざまずく、拝する、恭しく挨拶する、尊崇の意をあらわす、敬礼する、2)拝する、礼拝する

マタ2:2,8,11; 4:9; 8:2; 9:18; 20:20;  マル5:6; 15:19;  ヨハ9:38;  使徒10:35;  黙示3:9

【来たのです】 ἤλθομεν  ἔρχομαι エルこマイ  erchomai {er‘-khom-ahee} (viaa–1p 動詞・直・2アオ・能・1複)

1)来る、やってくる、~しにやってくる 2)近づく、臨む、達する 3)着く、到着する 4)現れる 5)上がる、下る

† 英語訳聖書

King James Version
2:2 Saying, Where is he that is born King of the Jews? for we have seen his star in the east, and are come to worship him.

American Standard Version
2:2 Where is he that is born King of the Jews? for we saw his star in the east, and are come to worship him.

New International Version
2:2 and asked, “Where is the one who has been born king of the Jews? We saw his star in the east and have come to worship him.”

Bible in Basic English
2:2 Saying, Where is the King of the Jews whose birth has now taken place? We have seen his star in the east and have come to give him worship.

Darby’s English Translation
2:2 Where is the king of the Jews that has been born? for we have seen his star in the east, and have come to do him homage.

Douay Rheims
2:2 Saying, Where is he that is born king of the Jews? For we have seen his star in the east, and are come to adore him.

Noah Webster Bible
2:2 Saying, Where is he that is born king of the Jews? for we have seen his star in the east, and have come to worship him.

Weymouth New Testament
2:2 inquiring, ‘Where is the newly born king of the Jews? For we have seen his Star in the east, and have come here to do him homage.’

World English Bible
2:2 ‘Where is he who is born King of the Jews? For we saw his star in the east, and have come to worship him.’

Young’s Literal Translation
2:2 saying, ‘Where is he who was born king of the Jews? for we saw his star in the east, and we came to bow to him.’

† 細き聲 聖書研究ノート

<ユダヤ人の王とて生れ給へる者は、何處に在すか。我ら東にてその星を見たれば、拜せんために來れり>

マギたち(東の博士たち)はペルシャからの長い旅の果てにエルサレムに到着すると、直ちにヘロデ王を訪れ、来訪の目的を告げる。彼らは王に直接会うことのできる人々である。

マギたちがもたらした「ユダヤに新しく王が誕生した」という情報は、現在ユダヤ王であるヘロデを驚かせ動揺を与えた。

<危険な質問>

東方の博士たちの質問はヘロデ王を「恐れ、惑わせ」る。「危険な質問」というものがある。それは発するのも秘めるのも危険である。賢者であるマギ達が異国の王の前で「危険な質問」に気づかないはずはない。あえて質問することでヘロデの猜疑心を刺激したのかもしれない。

「危険な質問」は、する者もされる者もその事柄を注意深く扱うべきである。隠されたことを引き出すことの負うべき責任というものもある。

<王の所在>

「新しい王」の所在を現在の王に尋ねるべきではない。

ヘロデは陰険な王である。しかし、東の博士たちがヘロデに危険な情報提供者として捕えられることもなく、質問をすることができたのは、ヘロデに自分たちを利用したほうが得策との判断をいだかせるように仕向けることに成功したからかもしれない。東の博士たちにはヘロデを超えたしたたかさもある。彼らの「占星術 ἀστρολογί  (  ἀστροは ἄστρον 星、星座について考えること)」は、天体の動きに人間の心を扱う学問であった。

<星に静かなる心の耳をかたむけしめよ>

「祝すべき星よ、なんじに声なし、ひびきなし、されどもなんじのことばは時に地のはてにまでおよぶ。われら、なんじの声にききてあやまらざるなり。冬天、空澄みてなんじの光燦然たるとき、われらをして、なんじのとなうる福音に、われらの静かなる心の耳をかたむけしめよ」(内村鑑三『聖書注解』)

真実を知りたいという強い熱意 (ἐνθουσιασμός 熱意、感動、熱狂、霊感) がマギをイエスに導いた。この強い熱意 (ἐνθουσιασμός 熱意、感動、熱狂、霊感)は、すべての人の内にある。

<時のしるし>

「見る ὁράω  ホラオー」はただ見ることではなく、「見つめ、調べ、探し、分かり、悟る」こと。時のしるしは空にある。しかし、心に調べるのでなければ、それに導かれることはない。「時のしるし」は頭上にあり、見上げればすべての人を照らしている。(フランシスコ会訳は「星」を「しるしの星」と訳す)

しかし、「時のしるしを見る」ことへの危険というものもある。自分は天体の運行に意味を見いだせるというのは人間のおごりである。天体は常に人間の存在とは無関係に自らあるように存在している。人は天から謙虚さを学ぶしかない。

<礼拝>

「拝む προσκυνέω  プロスクゆネオー」は「接吻する」から来ている。「礼拝」は神に接吻せんとひざまずくこと。神との親しき交わり」のある所はどこも「教会」であり「礼拝の場」である。

<イエスのいます所>

東方の博士たちは遠国からイエスのいますところを尋ねて来た。「イエスのいます所」は「尋ね、探し、考え、見つめる」末に到着する。「今、ここ」の「私」という地点である。

† 心のデボーション

「我ら東にてその星を見たれば」 マタイ2:2 大正文語訳聖書

「わたしたちは東方でその方の星を見たので」 新共同訳聖書

「土星」

天体望遠鏡で「土星」を見た。土星は音もなく暗い空間に輪を傾けて浮かんでいた。

人の心には太古の昔から夜空に「星」を見上げた記憶が残っているのかもしれない。遠くから語りかけるものの存在のあることを忘れることはできない。

† 心のデボーション

「東の博士たち」 マタイ2:1 大正文語訳聖書

「博士等東より」 永井直治訳聖書

「老賢者」

「老賢者 Old Wise Man」はユングのとりあげた元型の一つで、無意識にある父親の像、完成された人間のイメージである。「マギ」も叡智と指導力の「老賢者」の一面をあらわす人々であった。

男性は常に「老賢者」に呑みこまれる危険性をもっている。男性は「父」に呑みこまれることなく、個性化を果たさなければならない。

個性化の危機は信仰の危機でもある。

マギはヘロデ王に「わたしたちは、東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と告げることによって、「個性化の危機」を退ける。マギは「その方の星を見て、拝するために行く」ことによって、「礼拝される者」になるよりも「礼拝する者」にならんとする。それによって彼らは自らを「星」にする危機から守られている。それがマギ達の獲得した「智慧」であった。

信仰はしばしば神的存在になれと人を誘惑する。アダムは「神のように」なろうとした。それが「罪」であり、個性化の危機を招いた。

† 心のデボーション

「我ら東にてその星を見たれば、拜せんために來れり」 マタイ2:2 大正文語訳聖書

「そは我等東にてその星を見たれば、彼に平伏(ひれふ)さんために到りたればなり」 永井直治訳聖書

「礼拝」

東の博士たちはイエスを「礼拝する προσκυνέω  プロスクゆネオー」ために来た。Darby’s English Translationは homage と訳す。

「礼拝する προσκυνέω  プロスクゆネオー」はラテン語 adoratio  で、adoratioには「崇拝」の意味がある。英語の adoration であり「尊崇、崇敬、熱愛、祈り、礼拝」の意味を持つ。

あらゆる意味で尊崇の念が失われるとき、それはもはや礼拝の場ではない。

† 心のデボーション

「ヤコブより一箇の星いでん」 民数記24:17 明治元訳聖書

「ヤコブから出る者が治め」 新改訳聖書

「砂漠の星空」

世界で最も美しい星空はチリの北部に位置するアタカマ砂漠だそうだ。(アタカマ砂漠はサハラ、ゴビとならぶ世界三大沙漠の一つ) 砂漠では無数の星が見渡す限りに広がるのが見える。

博士たちが見上げた砂漠の夜空にも驚くばかりの星が出現していたろう。

その中の「一つの星」が彼らの目にとまったのはなぜだろうか?】
求める人にはそれが見えるのだろうか?

† 心のデボーション

「我ら東にてその星を見たれば、拜せんために來れり」 マタイ2:2 大正文語訳聖書

「そは我等東にてその星を見たれば、彼に平伏(ひれふ)さんために到りたればなり」 永井直治訳聖書

「導きの星」

あの夜、三人の博士たちは、導きの星を見失いました。

二人は、つえで地面に何かを描き始め、計算をしながら
何度も首をかしげていました。
でも、星はいっこうに見つかりません‥‥‥。
星の導きを熱望していた二人は、
夜の沈黙の中で、涙を流しました。

もう一人の博士は、少し離れた所で、こう考えていました。
「私たちも、のどが渇いた。
動物たちも、のどが渇いているに違いない。
さあ、水をやろう。」

彼は、おけの取っ手を持ち上げ、
ラクダたちに水を飲ませました。
彼が見つけたのは、そのときでした。
おけの水面に映って、
静かに、優雅におどっているあの星を。
(「導きの星」 エドモンド・ロスタンド Edmond Eugène Alexis Rostand、1868~ 1918)

† 心のデボーション

「これらの誡命は、みづから定めたる禮拜と謙遜と身を惜まぬ事とによりて知慧あるごとく見ゆれど、實は肉慾の放縱を防ぐ力なし」 コロサイ2:23 大正文語訳聖書

「これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない」 口語訳聖書

「礼拝」

「礼拝する προσκυνέω  プロスクゆネオー」は「πρός ~に + κυνέω  接吻する」で「平伏して敬意を表す、ひざまずく、拝する」こと。

漢字の「拜(はい)」は「組んだ両手を上げて上体を曲げる」ことで、「ぬかずく」の意味。

「拝する」形は異なっても、尊崇の念をあらわすことに違いはない。

しかし、形は間違いなくても、「ひとりよがりの礼拝」「わざとらしい謙遜」というものがある。そのような礼拝は何の役にも立たない。

「わざとらしい謙遜」は、本人には気づかなくても、他人にはすぐ分かる。

† 心のデボーション

「我ら東にてその星を見たれば、拜せんために來れり」 マタイ2:2 大正文語訳聖書

「そは我等東にてその星を見たれば、彼に平伏(ひれふ)さんために到りたればなり」 永井直治訳聖書

「遠くを見る人々」

「東の博士 マギ μάγος  マゴス magos {mag‘-os}」は哲学、薬学、自然科学に秀でていた天文学者で「魔術師、占星学者」と呼ばれている。

彼らは「遠くを見る人々」であった。彼らの思考は地を離れ天に向けられている。

「もろもろの天は神のえいくわうをあらはし 穹蒼はその手のわざをしめす」 詩篇19:1 明治元訳聖書

† 心のデボーション

「『ユダヤ人の王とて生れ給へる者は、何處に在すか。我ら東にてその星を見たれば、拜せんために來れり』」 マタイ2:2 大正文語訳聖書

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」 新改訳改訂3

「Saying, Where is the King of the Jews whose birth has now taken place? We have seen his star in the east and have come to give him worship.」 Bible in Basic English

「ユダヤ人の王」

Bible in Basic Englishは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」(新改訳聖書)を「the King of the Jews whose birth has now taken place 出生したユダヤ人の王」と訳す。

東の博士たちの「ユダヤ人の王」がすでにその地位についたかのような確信を示す訳である。

信仰は未だ見ないものを信じ、信じることによって現れる事実である。

† 細き聲 説教

「メシア誕生」

「『ユダヤ人の王とて生れ給へる者は、何處に在すか。我ら東にてその星を見たれば、拜せんために來れり』」 マタイ2:2 大正文語訳聖書

東の博士たちは、エルサレム到着後、直ちにヘロデ王に接見を求め、ユダヤ来訪の目的を隠すことなく告げている。ユダヤ王であるヘロデに「ユダヤ王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか」(新改訳聖書)と問いかけるのは、いかにも不自然である。「賢者」といわれた人々の言動としては不思議である。

しかし、東の博士たちの言動には「迷い」がない。それは遠く離れた東の国からエルサレムまで彼らを導いた「導きの星」は、エルサレムのヘロデ王に彼らを導いたからではなかっただろうか?

では、「導きの星」は何故、祭司長ではなく、ユダヤの王に、「メシアの誕生」の報をもたらされたのだろうか?

この疑問を考察する前に、東の博士たちがヘロデ王に「ユダヤ王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか」(新改訳聖書)との問いに、ヘロデ王はすぐにエルサレムの祭司長、律法学者たちを集めたことについてふれなければならない。

ヘロデ王は東の博士が「ユダヤ王としてお生まれになった方」と告げたのに対して、祭司長、律法学者たちに「キリストはどこで生まれるのか」と調べさせているのである。(マタイ2:4)

ヘロデ王が祭司長、律法学者を集め、「キリスト(メシア)の誕生」について預言者の言葉を調べさせたのは、この問題が単なる政治的な危機であるよりも、ユダヤ人の信仰の歴史にかかわる事柄であることをヘロデ王が見抜いたからではないか?

そうだとすれば、ヘロデ王は東の博士たちの言葉から、彼らが知りえた知識よりも、さらに深い理解を持つことができたと考えることができる。

これらのことを通して、マタイはキリスト(メシア)が、信仰の中心とこの世の中心に伝えられたことを語る。それは、救いが信仰の世界での出来事として受け止められるだけではなく、この世の現実世界にかかわり、経験の全体に及ぶものでなければならないことを意味するのではないだろうか。

キリスト(メシア)の誕生の知らせは、まず東の国の名もない人々に伝えられ、ローマの統治者ヘロデ王に第一報が入り、エルサレムの神殿にいる祭司長に伝えられたのである。

「導きの星」よ、わが身を導け。

(皆川誠)

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