マタイによる福音書1章25節

マタイによる福音書
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† 福音書対観 「イエスの誕生」 マタイ1:18~25

マタイ1:18~25

Matt. 1:25しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt. 1:25

【漢訳聖書】
Matt. 1:25 惟末與同室、迨生冡子、則稱其名曰耶穌。

【明治元訳】
Matt. 1:25 冢子(うひご)の生(うま)るるまで牀(とこ)を同(とも)にせざりき其(その)生(うま)れし子(こ)をイエスと名(なづ)けたり

【大正文語訳】
Matt. 1:25 されど子の生るるまでは、相知(あひし)る事なかりき。斯(かくて)その子をイエスと名づけたり。

【ラゲ訳】
Matt. 1:25 牀(とこ)を偕にせずして冡子(うひご)をうむに至れり、而して其子の名をイエズスと名けたり。

【口語訳】
Matt. 1:25 しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

【新改訳改訂3】
Matt. 1:25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

【新共同訳】
Matt. 1:25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

【バルバロ訳】
Matt. 1:25 そしてマリアは子を生んだ。だがヨゼフは彼女を知らなかった。彼はその子をイエズスと名づけた。

【フランシスコ会訳】
Matt. 1:25 マリアが男の子を産むまで、ヨセフは彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

【日本正教会訳】
Matt. 1:25 唯未だ室を同じくせざるに、其冡子(ちょうし)を生むに迨(およ)べり、則其名をイイススと名づけたり。

【塚本虎二訳】
Matt. 1:25 しかし、子が生まれるまでは、一緒にならなかった。そして(子が生まれると、)その名をイエスとつけた。

【前田護郎訳】
Matt. 1:25 しかし彼女が男の子を生むまでは彼女と相知らなかった。そして彼の名をイエスとつけた。

【永井直治訳】
Matt. 1:25 されど彼はその子、長子を彼の産みしまで、彼を知らざりき。かくて彼はその名をイエスと呼べり。

【詳訳聖書】
Matt. 1:25 しかし、彼女が初めての男の子を産むまで、夫として彼女とともにならないでいた。そして彼の名をイエスと名づけた。

† 聖書引照 Matt. 1:25

Matt. 1:25 されど子の生るるまでは、相知(あひし)る事なかりき。斯(かくて)その子をイエスと名づけたり。

[初子]  出エ13:2; 22:29; ルカ2:7; ロマ8:29
[その子をイエスと名づけたり]  マタ1:21

† ギリシャ語聖書 Matt. 1:25

Stephens 1550 Textus Receptus
και ουκ εγινωσκεν αυτην εως ου ετεκεν τον υιον αυτησ τον πρωτοτοκον και εκαλεσεν το ονομα αυτου ιησουν

Scrivener 1894 Textus Receptus
και ουκ εγινωσκεν αυτην εως ου ετεκεν τον υιον αυτησ τον πρωτοτοκον και εκαλεσεν το ονομα αυτου ιησουν

Byzantine Majority
και ουκ εγινωσκεν αυτην εως ου ετεκεν τον υιον αυτησ τον πρωτοτοκον και εκαλεσεν το ονομα αυτου ιησουν

Alexandrian
και ουκ εγινωσκεν αυτην εως ου ετεκεν υιον και εκαλεσεν το ονομα αυτου ιησουν

Hort and Westcott
και ουκ εγινωσκεν αυτην εως ου ετεκεν υιον και εκαλεσεν το ονομα αυτου ιησουν

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt. 1:25

καὶ οὐκ ἐγίνωσκεν αὐτὴν ἕως οὗ ἔτεκεν υἱόν καὶ ἐκάλεσεν τὸ ὄνομα αὐτοῦ ᾽Ιησοῦν.

† ヘブライ語聖書 Matt. 1:25

Matt.1:25

מִבְּלִי שֶׁיָּדַע אוֹתָהּ עַד אֲשֶׁר יָלְדָה בֵּן, וְקָרָא אֶת שְׁמוֹ יֵשׁוּעַ.

( ֶּרֶק הַבָּא, הַבְּשׂוֹרָה עַל־פִּי מַתַּי, הַבְּרִית הַחֲדָשָׁה (תרגום חדש

† ラテン語聖書 Matt. 1:25

Latin Vulgate
Matt. 1:25

et non cognoscebat eam donec peperit filium suum primogenitum et vocavit nomen eius Iesum
And he knew her not, yet she bore her son, the firstborn. And he called his name JESUS.

† 私訳(詳訳)Matt. 1:25

【私訳】 「しかし、彼女が息子をもうけるまで、彼女(マリア)を知らなかった(夫として知り合うことはなかった)。そして、彼(ヨセフ)はその子の名をイエスと呼んだ(名づけた)」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt. 1:25

καὶ οὐκ ἐγίνωσκεν αὐτὴν ἕως οὗ ἔτεκεν υἱόν καὶ ἐκάλεσεν τὸ ὄνομα αὐτοῦ ᾽Ιησοῦν.

【しかし】καὶ  καί カイ kai {kahee} (ch 接続詞・完)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

【男の子】υἱόν  υἱός フゅィオス huios {hwee-os’}  (n-am-s 名詞・対男単)

1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子

「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן  ベーン ben {bane}  息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。

マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45;  Ⅱコリ6:18;  ガラ3:7

【生まれる】ἔτεκεν  τίκτω  ティクトー  tiktō {tik‘-to} (viaa–3s 動詞・直・2アオ・能・3単)

1)母が子を産む、父が子をもうける 2)生む 3)生じる 4)産出する

マタ1:21,23,25; 2:2;  ルカ1:31,57,; 2:6,7,22;  ヨハ16:21;  ガラ4:27;  ヘブ6:7;  ヤコ1:15;黙示12:2,4,5,13

【まで】ἕως οὗ

ἕως  ἕως へオース  heōs {heh‘-oce}  (pg 前置詞・属)

1)~まで 2)~するまで 3)ところまで 4)の限度まで 5)に及ぶまで

οὗ  ὅς  ホス  hos {hos} (-aprgm-s  関係代名詞・属男単)

1)この~ 2)これ 3)ところの、そして

【彼女と】αὐτὴν  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npaf3s 代名詞・対女3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

【関係し】ἐγίνωσκεν  γινώσκω ギノースコー  ginōskō {ghin-oce‘-ko} (viia–3s 動詞・直・未完・能・3単)

1)知る、認識する、理解する、知り合う、意識する、気づく、分かる、知るに至る、聞き知る、知覚する 2)~しようと考える、判断する 3)気づく、認識する、さとる 3)確かめる、つきとめる、推察する

マタ1:25; 10:26; 22:18;  マル5:43; 7:24; 9:30;  ルカ6:44; 18:34; 24:35;  ヨハ8:27,55; 10:6,15; 13:35;16:3; 17:3,25;  ロマ1:21; 2:18; 11:34;  Ⅰコリ1:21; 2:16  Ⅰヨハ2:3,4,14; 3:1,6; 4:8 etc.

【なかった】οὐκ  οὐ  ウー ou {oo} (qn 不変化詞・否定)

1)否 2)~ない 3)~でない

【そして】καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

【彼の】αὐτοῦ  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npgm3s 代名詞・属男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

【名を】ὄνομ  ὄνομα  オノマ  onoma {on‘-om-ah} (n-an-s 名詞・対中単)

1)名前、名、名称 2)人数 3)本人、人間、人格 4)名声 5)名目、口実 6)語、用語、術語

マタ1:21; 10:2;  マル3:16; 14:32;  ルカ1:5,26;  ヨハ1:6; 3:1;  使徒13:8;  黙示21:14 etc.

【イエスと】᾽Ιησοῦν ᾽Ιησοῦς イエースウース  Iēsous {ee-ay-sooce‘ } (n-gm-s 名詞・対男単)

イエス 意味は「ヤㇵウェは救いである」

「イエス」はヘブル語「 יְהוֺשׁוּעַ イェホーシュア Yehowshuwa` {yeh-ho-shoo’-ah} ”Jehovah is

salvation” 主は救い、ヨシュア」の ギリシャ名

マタ16:16;  マル5:7;  ルカ1:32;  ヨハ1:29,36; 14:6; 6:33,51;  ロマ1:16: 3:29; 11:26; 14:9;  Ⅰコリ1:24; 2:8; 15:45;  Ⅰテモ6:15;  ヘブ2:10; 3:6; 9:11,15; 12:24;  黙示1:5,8; 2:8; 3:14

【呼んだ】ἐκάλεσεν   καλέω カれオー kaleō {kal-eh‘-o} (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・3単)

1)呼ぶ、呼びかける、大声で呼ぶ 2)招く 3)呼び出す、呼び掛ける、呼び寄せる 4)~を~と呼ぶ、名づける 5)召喚する

マタ1:21; 2:15; 4:21; 9:13; 20:8; 22:3,8,9; 25:14;  マル1:20; 2:17; 3:31;  ルカ7:39; 19:13  ヨハ2:2;10:3;  使徒4:18; 24:2;  ヘブ3:13; 11:8;  Ⅰペテ2:9 etc.

† 英語訳聖書 Matt. 1:25

King James Version
1:25 And knew her not till she had brought forth her firstborn son: and he called his name JESUS.

American Standard Version
1:25 and knew her not till she had brought forth a son: and he called his name JESUS.

New International Version
1:25 But he had no union with her until she gave birth to a son. And he gave him the name Jesus.

Bible in Basic English
1:25 And he had no connection with her till she had given birth to a son; and he gave him the name Jesus.

Darby’s English Translation
1:25 and knew her not until she had brought forth her firstborn son: and he called his name Jesus.

Douay Rheims
1:25 And he knew her not till she brought forth her firstborn son: and he called his name JESUS.

Noah Webster Bible
1:25 And knew her not till she had brought forth her first-born son: and he called his name JESUS.

Weymouth New Testament
1:25 but did not live with her until she had given birth to a son. The child’s name he called JESUS.

World English Bible
1:25 and didn’t know her sexually until she had brought forth her firstborn son. He named him JESUS.

Young’s Literal Translation
1:25 and did not know her till she brought forth her son — the first-born, and he called his name Jesus.

Amplified Bible
1:24 Then Joseph awoke from his sleep and did as the angel of the Lord had commanded him, and he took Mary [to his home] as his wife,

Amplified Bible
1:25 but he kept her a virgin until she had given birth to a Son [her firstborn child]; and he named Him Jesus (The Lord is salvation).

† 細き聲 聖書研究ノート

<されど子の生るるまでは、相知(あひし)る事なかりき。斯(かくて)その子をイエスと名づけたり>

ヨセフとマリヤは正式な婚姻関係に入ったが、二人はイエスが誕生するまでの間を聖別した。彼らにとってもそれが「聖なる期間」であった。

<知る>

「関係する γινώσκω ギノースコー」は「知り合う」こと。聖書で「知る」は知的に理解するというよりも、相手を経験することによって「知る」のである。ヨセフはマリヤを経験した。

信仰の原点は「私」にあり、神との関係のうちに「私」は神を知る。したがって神を「知る」ことは私が「私」を知ることと同義である。「私」とは「今、ここ」にある「神との関係」に現れ、その都度受け取る「私」である。

<霊的な経験への畏敬>

ヨセフがイエスの出産まで「マリヤを知らなかった(夫として知り合うことはなかった)」のは、マリヤの身におきた霊的な経験への畏敬からであったろう。

知らぬことを知らぬままにするのも神への信仰である。ヨセフは「男の子が生まれるまでマリヤと関係することはなかった」ことによって、マリヤを「知った 経験した」のである。このときの「ヨセフとマリヤの関係」はヨセフとマリヤにしか知り得ようのない事柄である。そのような経験はあらゆる夫婦に存在する。

<その子をイエスと名づけたり>

King James Versionは「その子」を「her firstborn son 彼女の最初の息子」と訳す。ギリシャ語写本にその語はない。意味を訳したものである。

† 心のデボーション

「されど子の生るるまでは、相知(あひし)る事なかりき」 マタイ1:25 大正文語訳聖書

「男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた」 新共同訳聖書

「聖別」

ヨセフとマリヤは正式な婚姻関係に入ったが、二人はイエスが誕生するまで通常の夫婦関係を遠ざけて過ごしたようだ。そのようにして彼は、「聖なる期間」として時を聖別したのであろう。これはマリヤとヨセフにのみ奉げることのできる信仰であった。

† 心のデボーション

「されど子の生るるまでは、相知(あひし)る事なかりき」 マタイ1:25 大正文語訳聖書

「男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた」 新共同訳聖書

「相知る」

ヨセフはイエスが生まれるまでマリヤを「知ること」はなかった。「知る」のラテン語訳は「cognoscebat」で「知る、認識する、承認する、知ろうとする、尋ねる、探究する」の意味がある。

ヨセフとマリヤの間には「それ以上は尋ねない」という領域が存在した。成熟した愛はすべてを明らかにしようとはしない。それが自ずから姿を現すまでは触れようとは思わない。それもまた共有の一つの形である。ヨセフとマリヤは、そうすることで互いに充たされていた。

† 心のデボーション

「相知(あひし)る」 マタイ1:25 大正文語訳聖書

「男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった」 新共同訳聖書

「相手を知る」

「知る」を意味するギリシャ語「γινώσκω ギノースコー ginōskō {ghin-oce‘-ko}」は「経験する」の意味をあわせ持つ言葉である。「相手を知る」は関係における認識を意味する。だが、人は相手を全くは経験するわけではない。神は私を全く知られる(経験される)が、私は神を全くは知らない(経験することができない)のである。

† 心のデボーション

「相知(あひし)る」 マタイ1:25 大正文語訳聖書

「男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった」 新共同訳聖書

「知音」

中国春秋時代に鍾子期(しょうしき)は伯牙(はくが)の弾く琴の音を聞いて、伯牙の心をよく理解したという。その鍾子期が亡くなると、伯牙は「自分の琴を知ってくれる者がいなくなった」と琴の弦を切り、再び琴を弾くことはなかった。そこから、自分をよく知ってくれるひとを「知音(ちおん)」というようになった。

ヨセフとマリヤが「子の生るるまでは、相知(あひし)る事がなかった」ということは、むしろ彼らの「知音」の間柄を我らに教えてくれるのである。

琴の音を聞いて、奏者の心を知る耳が欲しいものだ。

† 心のデボーション

「その子をイエスと名づけたり」 マタイ1:25 大正文語訳聖書

「そして、その子をイエスと名付けた」 新共同訳聖書

「イエス・バラバ」

ユダヤの祭りのとき、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放する習慣であった。イエスが十字架につけられるとき、ピラトは囚人バラバを指して「バラバ・イエスかメシア・イエスか」と民衆に問いかけた。マタイ27:15~26 民衆は「バラバを赦せ。イエスを十字架につけろ」と叫んだ。

「イエス」という名はユダヤ人にはありふれた名前で、「イエス」の名を持つ人は多かった。「評判の囚人」バラバの名は「イエス・バラバ」だった。

バラバの両親は生まれた子に「イエス」の名をつけた。ヨセフは御使いの告示(マタイ1:20)を信じて生まれた子を「イエス」と名付けたのである。

バラバは「イエス」と呼ばれたが、知らぬ者もいない悪の人生をおくり、自分と同じ名の「イエス」を身代りにして釈放されることになった。

† 細き聲 説教

「ヨセフとマリヤ」

「されど子の生るるまでは、相知(あひし)る事なかりき」 マタイ1:25 大正文語訳聖書

「男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた」 新共同訳聖書

イエスが誕生するまでヨセフはマリヤと「関係することはなかった」と言われている。

「関係する γινώσκω ギノースコー  ginōskō {ghin-oce‘-ko} 」は「知る、認識する、理解する、知り合う」の意味である。この言葉には「経験する」の意味もあることから、日本正教会訳は「唯未だ室を同じくせざる」と訳す。

ヨセフがイエスの出産まで「マリヤを知らなかった(夫として知り合うことはなかった)」のは、マリヤの身におきた霊的な経験への畏敬からであったろう。

知らぬことを知らぬままにするのも神への信仰である。ヨセフは「男の子が生まれるまでマリヤと関係することはなかった」ことによって、マリヤを「知った(経験した)」のである。

このときのヨセフとマリヤにはそうすべき何らかの導きがあったのであろう。そのような経験はあらゆる夫婦に存在する。しかし、「ヨセフとマリヤの関係」はヨセフとマリヤにしか知り得ようのない事柄である。

イエスの誕生の後、ヨセフとマリヤには4人の兄弟と2人の姉妹が生まれたことがわかっている。(マルコ6:3)

ヨセフとマリヤにとって、イエスは特別な存在であったが、そのことが彼らと家族を「特別」にすることはなかったのである。

(皆川誠)

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