† 福音書対観 「イエスの誕生」 マタイ1:18~25
Matt. 1:20彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt. 1:20
【漢訳聖書】
Matt. 1:20 思念其事時、主之使現夢於彼、曰、大闢之裔約瑟乎、勿以娶爾妻馬利亞爲懼、蓋彼所懷之孕、乃由聖靈也。
【明治元訳】
Matt. 1:20 斯(かく)て此(この)事(こと)を思(おもひ)念(めぐら)せる時(とき)に主(しゆ)の使者(つかひ)かれが夢(ゆめ)に現(あらは)れて曰(いひ)けるはダビデの裔(こ)ヨセフよ爾(なんぢ)妻(つま)マリヤを娶(めとる)ことを懼(おそ)るる勿(なか)れその孕(はらめ)る所(ところ)の者(もの)は聖(せい)靈(れい)に由(よる)なり。
【大正文語訳】
Matt. 1:20 かくて、これらの事を思ひ囘(めぐ)らしをるとき、視よ、主の使、夢に現れて言ふ、『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを納(い)るる事を恐るな。その胎(たい)に宿る者は聖靈によるなり。
【ラゲ訳】
Matt. 1:20 是等の事を思い囘(めぐ)らす折しも、主の使彼が夢に現われて云いけるは、ダヴィドの裔ヨゼフよ、汝の妻マリアを納るることを懼(おそ)るる勿(なか)れ、蓋(けだし)彼に胎(やど)れるものは聖靈によれり。
【口語訳】
Matt. 1:20 彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
【新改訳改訂3】
Matt. 1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
【新共同訳】
Matt. 1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
【バルバロ訳】
Matt. 1:20 彼がこうしたことを思い煩っていたとき、突然夢の中に主の天使が現れて言った、「ダビドの子ヨゼフよ、ためらわずにマリアを妻として迎えよ。マリアは聖霊によって身ごもっている。
【フランシスコ会訳】
Matt. 1:20 ヨセフがこのように考えていると、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアを妻として迎え入れなさい。彼女の胎内に宿されているものは、聖霊によるのである。
【日本正教会訳】
Matt. 1:20 然(しか)れども此の事を思へる時、視よ、主の使夢に彼に現れて曰へり、ダワィドの子イオシフよ、爾の妻マリヤを納るることを懼(おそ)るる勿(なか)れ、蓋(けだし)其内に孕まれし者は聖神(せいしん)に由るなり。
【塚本虎二訳】
Matt. 1:20 しかし(なおも)そのことを思案していると、主の使いが夢でヨセフに現われて言った、「ダビデの末なるヨセフよ、心配せずにあなたの妻マリヤを(家に)迎えよ。胎内にやどっている者は、聖霊によるのである。
【前田護郎訳】
Matt. 1:20 彼がこのことを考えているころ、見よ、主の使いが夢の中に彼に現われていった、「ダビデの子ヨセフよ、おそれずなんじの妻マリヤを迎えよ、彼女が宿すものは聖霊によるから。
【永井直治訳】
Matt. 1:20 また此等の事を思ひめぐらししとき、見よ、主の使夢にて現はれ、云ひけるは、ダビデの子ヨセフよ、マリア、汝の妻を取ることを懼るる勿れ、そはその生まるるは聖靈にてなればなり。
【詳訳聖書】
Matt. 1:20 ところが彼がこのことを熟慮していると、見よ、主のみ使いが夢の中で彼に現われて言った。「ダビデの子<子孫>ヨセフよ、あなたの妻[として]マリヤを受け入れることを恐れてはならない。なぜなら、彼女の胎内に宿っている者は聖霊によるもの<聖霊から来たもの、聖霊から出たもの>だからである。
† 聖書引照 Matt. 1:20
Matt. 1:20 かくて、これらの事を思ひ囘(めぐ)らしをるとき、視よ、主の使、夢に現れて言ふ、『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを納(い)るる事を恐るな。その胎(たい)に宿る者は聖靈によるなり。
[かくて、これらの事を思ひ囘(めぐ)らしをるとき] 詩篇25:8,9; 94:19; 119:125; 143:8; 箴言3:5,6; 12:5; イザ26:3; 30:21
[主の使い] 士師13:3,8,9; ルカ1:10~13,19,26~38; 2:8~14
[主の使、夢に現れて言ふ] 創世31:11; 民数12:6; Ⅰサム3:5; ヨブ4:13~16; 33:15~17; ヨエ2:28; マタ2:13,19,22;
[ヨセフ] イザ7:2,13; エレ33:26; ルカ2:4
[妻マリヤを納(い)るる事] マタ1:19 ルカ2:1~7
[恐れるな] 創世46:3; 1列王17:13; イザ51:7; エレ40:9; マタ28:5; ルカ1:30
[その胎(たい)に宿る者] マタ1:18; エレ31:22
[聖靈によるなり] マタ3:16; ルカ4:1; ロマ15:13;
† ギリシャ語聖書 Matt. 1:20
Stephens 1550 Textus Receptus
ταυτα δε αυτου ενθυμηθεντος ιδου αγγελος κυριου κατ οναρ εφανη αυτω λεγων ιωσηφ υιος δαβιδ μη φοβηθης παραλαβειν μαριαμ την γυναικα σου το γαρ εν αυτη γεννηθεν εκ πνευματος εστιν αγιου
Scrivener 1894 Textus Receptus
ταυτα δε αυτου ενθυμηθεντος ιδου αγγελος κυριου κατ οναρ εφανη αυτω λεγων ιωσηφ υιος δαβιδ μη φοβηθης παραλαβειν μαριαμ την γυναικα σου το γαρ εν αυτη γεννηθεν εκ πνευματος εστιν αγιου
Byzantine Majority
ταυτα δε αυτου ενθυμηθεντος ιδου αγγελος κυριου κατ οναρ εφανη αυτω λεγων ιωσηφ υιος δαβιδ μη φοβηθης παραλαβειν μαριαμ την γυναικα σου το γαρ εν αυτη γεννηθεν εκ πνευματος εστιν αγιου
Alexandrian
ταυτα δε αυτου ενθυμηθεντος ιδου αγγελος κυριου κατ οναρ εφανη αυτω λεγων ιωσηφ υιος δαβιδ μη φοβηθης παραλαβειν μαριαμ την γυναικα σου το γαρ εν αυτη γεννηθεν εκ πνευματος εστιν αγιου
Hort and Westcott
ταυτα δε αυτου ενθυμηθεντος ιδου αγγελος κυριου κατ οναρ εφανη αυτω λεγων ιωσηφ υιος δαυιδ μη φοβηθης παραλαβειν μαριαν την γυναικα σου το γαρ εν αυτη γεννηθεν εκ πνευματος εστιν αγιου
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt. 1:20
ταῦτα δὲ αὐτοῦ ἐνθυμηθέντος ἰδοὺ ἄγγελος κυρίου κατ᾽ ὄναρ ἐφάνη αὐτῷ λέγων, ᾽Ιωσὴφ υἱὸς Δαυίδ, μὴ φοβηθῇς παραλαβεῖν Μαρίαν τὴν γυναῖκά σου τὸ γὰρ ἐν αὐτῇ γεννηθὲν ἐκ πνεύματός ἐστιν ἁγίου.
† ヘブライ語聖書
Matt. 1:20
בְּעוֹד שֶׁהָיָה מְהַרְהֵר בָּזֶה נִרְאָה אֵלָיו מַלְאַךְ יהוה בַּחֲלוֹם וְאָמַר: “יוֹסֵף בֶּן דָּוִד, אַל תַּחְשֹׁשׁ לָקַחַת אֵלֶיךָ אֶת מִרְיָם אִשְׁתְּךָ, כִּי אֲשֶׁר הוֹרָה בָּהּ מֵרוּחַ הַקֹּדֶשׁ הוּא.
† ラテン語聖書
Latin Vulgate
Matt. 1:20
haec autem eo cogitante ecce angelus Domini in somnis apparuit ei dicens Ioseph fili David noli timere accipere Mariam coniugem tuam quod enim in ea natum est de Spiritu Sancto est
But while thinking over these things, behold, an Angel of the Lord appeared to him in his sleep, saying: “Joseph, son of David, do not be afraid to accept Mary as your wife. For what has been formed in her is of the Holy Spirit.
† 私訳(詳訳)
【私訳】 「さて、彼がこれらのことに思いを巡らして <心に重くとめて、熟慮して>いたとき、見よ、驚くことに、主の使いが夢に現れて<姿を見せて>彼に言うには、『ダビデの子ヨセフよ、あなたの妻マリヤを受け入れる<共に行く、引きうける>ことを恐れるな<逃げるな>。というのは、彼女〔マリヤ〕にある<内に宿っている>のは、聖霊によって<聖霊の内に>もうけられた<成った、宿った、生ぜられた>のである』」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt. 1:20
ταῦτα δὲ αὐτοῦ ἐνθυμηθέντος ἰδοὺ ἄγγελος κυρίου κατ᾽ ὄναρ ἐφάνη αὐτῷ λέγων, ᾽Ιωσὴφ υἱὸς Δαυίδ, μὴ φοβηθῇς παραλαβεῖν Μαρίαν τὴν γυναῖκά σου τὸ γὰρ ἐν αὐτῇ γεννηθὲν ἐκ πνεύματός ἐστιν ἁγίου.
【さて】δὲ δέ デ de {deh} (cc 接続詞・等位)
1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ
【彼が】αὐτοῦ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npgm3s 代名詞・属男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
【このことを】ταῦτα οὗτος フートス houtos {hoo‘-tos} (apdan-p 指示代名詞・対中複)
1)その、この、これ 2)この者、この男・女 2)そんな、こんな 3)すなわち、だから 4)そこで、それ故
【考える、思い巡らす】ἐνθυμηθέντος ἐνθυμέομαι エンとゆメオマイ enthumeomai {en-thoo-meh‘-om-ahee}(vpaogm-s 分詞・1アオ能欠属男単)
<ἐν 中に + θυμός 魂、呼吸、生命、生気、気力、心
1)心にとめる、肝に銘ずる、熟慮する、熟考する、考える、思う、気づく、思い巡らす 2)推論する、思い到る
「考える、思い巡らす」は「θυμός トュモス 魂、呼吸、生命、生気、気力、心の中に」で、事柄を「魂の中に」入れること。「心に重く、精神的負担とする」こと。
マタ1:20; 9:4
バルバロ訳「思い煩って」
新改訳「彼がこのことを思い巡らしていたとき」
【見よ】ἰδοὺ ἰδού イドゥ idou {id-oo‘} (qs 不変化詞)
1)そら、ほら、さあ、まあ、それ 2)見よ、見よ驚くことに、ごらん
注意を喚起する言葉「見よ、驚くことに」
バルバロ訳 「突然夢の中に主の天使が現われて」
【主の】κυρίου κύριος キゆリオス kurios {koo‘-ree-os} (n-gm-s 名詞・属男単)
1)自由にする力のある、支配する、権威のある、力のある 2)主人、君主、所有者、旦那、師 3)正当な、順当な 4)主、神
マタ1:20; 8:25; 9:38; 10:24; 12:4,8; 16:22; マル2:28: 12:9; 13:35; ルカ6:5; 9:54; 10:17; 12:6,46; 14:21; Ⅱコリ1:3,14; エペ6:5,9; Ⅰテモ1:2,14; 6:15; etc.
【天使が】ἄγγελος ἄγγελος アンゲろス aggelos {ang‘-el-os} (n-nm-s 名詞・主男単)
1)使者、使節、布告者、使いの者 2)天使、御使、神の使い
マタ1:20; 2:13; 4:6; 18:1,5; マル1:2; ルカ1:11,26; 16:22; 22:43; ヨハ20:12; 使徒7:35; 10:3; 12:23; 27:23; ガラ3:19; 黙示9:11; 14:8; 16:5 etc.
【夢】ὄναρ ὄναρ オナル onar {on‘-ar} (n-an-s 名詞・対中単)
1)夢 2)幻影 3)夢で、夢の中で
マタ1:20; 2:12,113,19,22; 27:19
【に】κατ᾽ κατά カタ kata {kat-ah‘} (pa 前置詞・対)
1)~から下へ、下まで 2)に従って、によって 3)に向って 4)~の向かい側に、の近くに 5)の間に 6)毎に 7)~に逆らって、反対して 8)~に誓って、~にかけて、~を指して 9)~の故に、~に関して、~の為に
【現れ】ἐφάνη φαίνω ふァイノー phainō {fah‘ee-no} (viap–3s 動詞・直・2アオ・受・3単)
1)輝く、光を放つ、見えるようになる、照らす、現われる、見える、姿を見せる 2)示す、出現させる 3)明るい 4)あらわにする、明らかにする 5)知らせる、訴える、告発する
マタ1:20; 2:7,13,19; 13:26; 24:27,30; マル16:9; ヨハ1:5; 5:35; ロマ7:13; Ⅱコリ13:7; Ⅱペテ1:19; Ⅰヨハ2:4; 黙示1:16 etc.
永井訳「夢にてあらわれ」
【彼に】αὐτῷ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3s 代名詞・与男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
【言うには】λέγων λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vppanm-s 分詞・現能主男)
1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す
マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34; マル2:11; 5:9; 12:18; ルカ5:39; 6:46; 20:41; ヨハ1:29; 2:6; 16:12; etc.
【ダビデの】Δαυίδ Δἀυίδ ダウイド Dabid { dab-eed‘} (n-gm-s 名詞・属男単)
ダビデ ヘブル名「愛せられる者」 イスラエルの王
マタ1:1,6,17; マル11:10; ルカ1:32; 使徒15:16; ヘブ4:7; 黙示3:7
【子】υἱὸς υἱός フゅィオス huios {hwee-os’} (n-vm-s 名詞・呼男単)
1)息子、子、子供、男の子、兄 2)子孫、末裔 3)従者、弟子、仲間 4)客、深い関係にあるもの 5)(ロバの)子
「υἱός フィオス」はヘブライ語「בֵּן ベーン ben {bane} 息子」にあたり、「בֵּן ベーン ben {bane}」は「בָּנָה バーナー banah {baw-naw’} 建てる」に由来する。「家を建ち上げる、興す者」の意味である。
マタ1:1; 3:17; 16:16; 22:42,45; Ⅱコリ6:18; ガラ3:7
【ヨセフよ】᾽Ιωσὴφ ᾽Ιωσήφ イオーセーふ Iōsēph {ee-o-safe‘} (n-vm-s 名詞・呼男単)
ヨセフ ヘブル名 「彼は増し加える」
(イエスの父ヨセフ 職業は「大工」マル6:3)マタ1:16~24; ルカ1:27; 2:4,16; 3:23; 4:22; ヨハ1:45; 6:42
【恐れ】φοβηθῇς φοβέω フォベオー phobeō {fob-eh‘-o} (vsao–2s^vmao–2s 動詞・仮・1アオ・能欠・2単/命)
1)追い散らす、敗走させる 2)恐怖に陥れる、恐れる、恐怖する、畏怖する、驚愕する、こわがる、おどす、逃げる、心配する
マタ1:20; 10:31; 14:30; 25:25; マル5:33; 6:20; 10:32; 16:8; ルカ1:50; 8:50; 12:7,32; ヨハ12:5; 19:8;使徒16:38; 22:29; ロマ10:2; 11:20; 13:4; エペ5:33; ヘブ13:6; Ⅰペテ2:17 黙示14:7 etc.
【ずに】μὴ μή メー mē {may} (qn 不変化詞・否定)
1)~ない
【あなたの】σου σύ スゆ sou {soo} (npg-2s 代名詞・属2単)
1)あなた 2)汝 3)君
【妻】γυναῖκά γυνή グゆネー gunē {goo-nay‘} (n-af-s 名詞・対女単)
1)女、婦女、婦人 2)女主人、貴婦人 3)いいなずけ、妻、花嫁、人妻 4)寡婦 5)女中 6)雌
マタ1:20,24; 5:31,32; 14:3; 19:3,5; 22:28; マル6:18;12:23; ルカ4:26; 20:33; 使徒5:1,7;,14; Ⅰコリ7:2; エペ5:22;,28; 黙示2:20 etc.
【マリヤを】Μαρίαν Μαρία マリヤ Maria {mar-ee‘-ah, } (n-af-s 名詞・対女単)
マリヤ ヘブル名「頑固、強い」 ヘブル語「ミリアム」のギリシャ名、ヘブル語の「ミリアム」には「海の一滴の水」の意味もある。
(イエスの母マリヤ)マタ1:16,18,20; マル2:1;13:55; 6:3; ルカ1:26~58; 使徒1:24
【迎え入れなさい】παραλαβεῖν παραλαμβάνω パラらムバノー paralambanō {par-al-am-ban‘-o} (vnaa 不定詞・2アオ能)
<παρά 傍らに + λαμβάνω 掴む
1)受け入れる、引き継ぐ、受け継ぐ、継承する、引き受ける、受け取る、受ける 2)相続する、わがものにする 3)配偶者を受け入れる、みとめる、共に連れて行く 4)連れ出す、連れて行く 5)取り去る、取り上げる
マタ1:20,24; 17:1; 26:37; マル4:36; 5:40; 7:4; ルカ9:10; ヨハ1:11; Ⅰコリ11:23; 15:1,3; ガラ1:9,12; ピリ4:9; コロ2:4; 4:17; Ⅰテサ2:13; 4:1; Ⅱテサ3:6; ヘブ12:28; etc.
【すなわち】γὰρ γάρ ガル gar {gar} (cs 接続詞・従位)
1)なぜなら、というのは、その理由は、だから 2)すなわち、では、いったい、結局 4)確かに、もちろん、だって
【彼女の】αὐτῇ αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdf3s 代名詞・与女3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
【内にあるものは】ἐν ἐν エン en {en} (pd 前置詞・属)
1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に
【聖】ἁγίου ἅγιος ハギオス hagios {hag‘-ee-os} (a–gn-s 形容詞・属中単)
1)神聖な、神に献げられた、畏敬すべき 2)畏敬すべき 3)聖なる、聖い 4)清い、正しい 5)至聖所
マタ27:52; マル1:24; ルカ1:49; ロマ1:4,7; 11:16; 12:1; Ⅰコリ7:14; 16:20; エペ1:4; 5:27; ヘブ9:2,3,8,25,24; 12:10; 黙示4:8
【霊に】πνεύματός πνεῦμα プネウマ pneuma {pnyoo‘-mah} (n-gn-s 名詞・属中単)
<πνέω 呼吸する、吹く、風が吹く
1)風、運動している空気 2)(生命力としての、生のエネルギーの根源としての)息、気息、息吹、呼吸、3)精神、心、(知、情、意を代表する 精神生活の座としての)霊 4)霊、霊的存在、悪霊 5)神、(神の霊、キリストの霊、聖霊)
マタ1:18; 27:50; マル2:8; ヨハ3:8; 4:24; 使徒16:7; ロマ8:9; Ⅰコリ2:11,12,14; 3:16; 6:11; Ⅱコリ7:1; ガラ4:6; コロ2:5; Ⅱテサ2:8; ヘブ1:14; Ⅰヨハ4:2; 黙示11:11
【よって】ἐκ ἐκ エク ek ex {ek, ex} (pg 前置詞・属)
1)から、~の中から 2)~の外に、~から外へ、~から出て 3)によって 4)で (動作の出発点を示す) 5)のために
「ἐκ エク」は出自を示す 「聖霊の子である」
【宿ったのである】γεννηθὲν γεννάω ゲンナオー gennaō { ghen-nah‘-o } (vpapnn-s 分詞・1アオ受主)
1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる
マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5; Ⅰヨハ4:7; 5:1
† 英語訳聖書
King James Version
1:20 But while he thought on these things, behold, the angel of the Lord appeared unto him in a dream, saying, Joseph, thou son of David, fear not to take unto thee Mary thy wife: for that which is conceived in her is of the Holy Ghost.
American Standard Version
1:20 But when he thought on these things, behold, an angel of the Lord appeared unto him in a dream, saying, Joseph, thou son of David, fear not to take unto thee Mary thy wife: for that which is conceived in her is of the Holy Spirit.
New International Version
1:20 But after he had considered this, an angel of the Lord appeared to him in a dream and said, “Joseph son of David, do not be afraid to take Mary home as your wife, because what is conceived in her is from the Holy Spirit.
Bible in Basic English
1:20 But when he was giving thought to these things, an angel of the Lord came to him in a dream, saying, Joseph, son of David, have no fear of taking Mary as your wife; because that which is in her body is of the Holy Spirit.
Darby’s English Translation
1:20 but while he pondered on these things, behold, an angel of the Lord appeared to him in a dream, saying, Joseph, son of David, fear not to take to thee Mary, thy wife, for that which is begotten in her is of the Holy Spirit.
Douay Rheims
1:20 But while he thought on these things, behold the angel of the Lord appeared to him in his sleep, saying: Joseph, son of David, fear not to take unto thee Mary thy wife, for that which is conceived in her, is of the Holy Ghost.
Noah Webster Bible
1:20 But while he thought on these things, the angel of the Lord appeared to him in a dream, saying, Joseph, thou son of David, fear not to take to thee Mary thy wife: for that which is conceived in her is by the Holy Spirit.
Weymouth New Testament
1:20 But while he was contemplating this step, an angel of the Lord appeared to him in a dream and said, ‘Joseph, son of David, do not be afraid to bring home your wife Mary, for she is with child through the Holy Spirit.
World English Bible
1:20 But when he thought about these things, behold, an angel of the Lord appeared to him in a dream, saying, ‘Joseph, you son of David, don’t be afraid to take to yourself Mary, your wife, for that which is conceived in her is of the Holy Spirit.
Young’s Literal Translation
1:20 And on his thinking of these things, lo, a messenger of the Lord in a dream appeared to him, saying, ‘Joseph, son of David, thou mayest not fear to receive Mary thy wife, for that which in her was begotten is of the Holy Spirit,
† 細き聲 聖書研究ノート
<かくて、これらの事を思ひ囘(めぐ)らしをるとき、視よ、主の使、夢に現れて言ふ、『ダビデの子ヨセフよ妻マリヤを納(い)るる事を恐るな。その胎(たい)に宿る者は聖靈によるなり>
ヨセフは妻マリヤが思わぬかたちで身ごもったことで思い悩み、これが公になればマリヤは罪に問われることになることから、彼女をさらし者にしないためには秘かに離縁するしかないと思い巡らせていた。すると、夜の夢に主の使いが現れ、マリヤの胎に宿る者は聖霊によることが告げられた。
<思いを巡らす>
ヨセフは「マリヤ」を「自らの魂の中に」入れ、「思いを巡らせ ἐνθυμέομαι エンとゆメオマ」た。「思いを巡らすἐνθυμέομαι エントュメオマイ」は「心にとめる、肝に銘ずる、熟慮する、思う、気づく、思い到る」こと。「思い煩い」は「メリムナオー μεριμνάω」で「部分に分ける、分離する、分裂する」の意味である。
ヨセフはマリヤの問題を自らの「魂の中に」入れた。それでヨセフの心は分裂し、思いは裂かれた。しかし、それもまた一つの調和である。魂はその分裂に耐える力をもっている。
やがて、「思いを巡らす者」は、「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださる」(Ⅰペテロ5:7)という神の言葉を聞くのである。
Darby Bibleは「思いを巡らせ ἐνθυμέομαι エントュメオマイ」の訳に「pondered」を用いる。ponder は動詞形 pondrare 「重さを量る」から派生した言葉で「思案する、熟考する」の意味である。
<祈り>
祈りは、「思いを巡らす ἐνθυμέομαι エントュメオマイ」ことである。「私」の事柄について「心にとめ、肝に銘じ、熟慮し、思い、気づき、思い到る」ことである。
神の前で「思考」せよ。神は聴かれる。
<見よ、驚くことに>
原文に「見よ、驚くことに(ἰδού イドゥ)主の使いが夢に現れ」とある。「現れ φαίνω ファイノー」は「見える、姿を見せる、明らかにする」の意味。神の「現われ φαίνω ファイノー」あるところに「驚き」あり。 「驚きなき信仰」はむなしい。もはや何ものにも驚かなくなったのは、信仰が死んだのである。
<夢>
「夢」は無意識から意識へのメッセージであり、しばしば隠れた事柄を明らかにする豊かな霊的内容をもつ。神が夢の中で語られるとき、意識は目覚めていなければならない。夢はしばしば重要なメッセージを伝えてくれる。
夢は夢として理解できるのではなく、読み解かれるべきものである。それを読み解くには神の光を必要とする。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか」(創世記40:8 新改訳聖書)
<ダビデの子ヨセフ>
天使はヨセフを「ダビデの子ヨセフ」と呼ぶ。「ダビデの子」はイエス・キリストに用いられたことばである(マタイ1:1)。この呼称はマリヤの身におきたことが約束の「救い主」にかかわるものであることをヨセフに伝えるものであった。
ヨセフは自分が「ダビデの子孫」であることは知っていた。しかし、自分を「ダビデの子」と呼ぶことはなかった。天使の呼びかけはヨセフに深い霊的緊張を起こす。信仰には「私」が「神の子」と呼びかけられる驚愕の瞬間がある。
<恐れるな>
「恐れる φοβέω フォベオー」は「逃げる、敗走する、恐怖を感じる、驚愕する」の意味。逃げると「恐れ」はしつこく追ってくるくる。恐れから抜け出るには、そこに踏みとどまって、小さな一歩を踏み出せばよい。
<結婚>
「迎える παραλαμβάνω パラらムバノー」は「παρά 傍らに + λαμβάνω 掴む」で「受け入れる、引き継ぐ、引き受ける、相続する、わがものにする、配偶者に受け入れる」の意味。結婚は相手の存在を我が身に引き継ぐ、相続することで、相手がそれまで所有してきたものの全てを神からのものとして継承することである。
ヨセフがマリヤを妻として迎えることは、マリヤの胎に宿るもの、その困難な経験の全体を引き継ぎ、相続し、「わがものにする」ことだった。結婚は相手のもつ関わり、経験のすべてを我が身に引き受ける。ある事柄を引き受け、ある事柄を拒否することは許されない。
<すべての「いのち」は不思議である>
神の懐にあった「いのち」が母の胎に宿り、一個のいのちとしての営みをはじめ、私」として「今、ここ」に在ることを考えれば、マリヤの身に起こったことは、あり得ぬ不思議ではない。すべての「いのち」は聖霊によって宿ったいのちである。
† 心のデボーション
「かくて、これらの事を思ひ囘(めぐ)らしをるとき、視よ、主の使、夢に現れて言ふ、『ダビデの子ヨセフよ妻マリヤを納(い)るる事を恐るな。その胎(たい)に宿る者は聖靈によるなり」 マタイ1:20 大正文語訳聖書
「彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです」 新改訳聖書
「理解を超えた経験」
ヨセフは妻マリヤの身に起こった出来事について、マリヤから詳しく聞いたに違いない。マリヤは妊娠6か月目に天使ガブリエルから受けた告知(ルカ1:26~38)を、ことごとく夫ヨセフに語ったはずである。しかし、それはヨセフが直ちに受け入れることのできるものではなく、ヨセフに混乱と苦悩をもたらすことになった。
これらのことについて「思い巡らす」ヨセフに主の使いが現われ、天使ガブリエルがマリヤに告げたと同じことを告げる。
人がある経験を「知る」には、自らの経験全く否定するという困難な地点を通過しなければならないときもある。理解を超えた経験を導かれるのは神である。
† 心のデボーション
「神を畏れ」 使徒10:2 大正文語訳聖書
「神を恐れかしこみ」 新改訳聖書
「神を畏れる者」
「神を畏れる者 φοβούμενος τὸν θεὸν(使徒10:2)」に「恐れるな μὴ φοβηθῇς」と呼びかけられる。
「神を畏れる者」は、神のことばを受け入れることができるかどうかを、なによりも「恐れる φοβέω(神を恐れかしこむ)」。「神への畏れ」を感じる者に、「畏れるな」という声がある。
† 心のデボーション
「かくて、これらの事を思ひ囘(めぐ)らしをるとき、視よ、主の使、夢に現れて言ふ、『ダビデの子ヨセフよ妻マリヤを納(い)るる事を恐るな。その胎(たい)に宿る者は聖靈によるなり」 マタイ1:20 大正文語訳聖書
「彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです」 新改訳聖書
「恐るな」
「恐るな μὴ φοβηθῇς」の「φοβέω フォベオー phobeō {fob-eh‘-o}」は「追い散らす、敗走させる」からくる。恐怖に陥り驚愕して逃げ出すこと。
明治元訳聖書は「懼(おそ)るる勿(なかれ)」と訳す。「懼」の「瞿+忄こころ」で、「瞿 ク」は目が二つ入り、恐れて目をおどおどと動かすこと。鳥が左右に目を動かして周囲を見回す様を示す。
恐れるものの目は「鳥が不安そうに、たえまなく目を左右に動かす」ように、あたりを見回す。
† 心のデボーション
「かくて、これらの事を思ひ囘(めぐ)らしをるとき、視よ、主の使、夢に現れて言ふ、『ダビデの子ヨセフよ妻マリヤを納(い)るる事を恐るな。その胎(たい)に宿る者は聖靈によるなり」 マタイ1:20 大正文語訳聖書
「彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです」 新改訳聖書
「思いを巡らせ」
「思いを巡らせ ἐνθυμέομαι エントュメオマイ」のLatin Vulgate訳はcogitanteで、この語はデカルトの『方法序説』(Discours de la méthode)の「我思う、ゆえに我あり」、仏: Je pense, donc je suis、羅: Cogito ergo sum コーギトー・エルゴー・スム、cogito 我思う、ergo ゆえに、sum我あり)の「Cogito 考察する、省察する、思い浮かべる」である。思いを巡らすこと。
† 心のデボーション
「かくて、これらの事を思ひ囘(めぐ)らしをるとき、視よ、主の使、夢に現れて言ふ、『ダビデの子ヨセよ妻マリヤを納(い)るる事を恐るな。その胎(たい)に宿る者は聖靈によるなり」 マタイ1:20 大正文語訳聖書
「彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです」 新改訳聖書
「見よ、驚くことに」
原文に「見よ、驚くことに(ἰδού イドゥ)主の使いが夢に現れ」とある。
「ἰδού イドゥ」は何か新しいことが始まるときに用いられる言葉である。
「現れ φαίνω ファイノー」は「見える、姿を見せる、明らかにする」の意味。神の「現われ fai,nw ファイノー」あるところに「驚き」あり。 「驚きなき信仰」はむなしい。もはや何ものにも驚かなくなったのは、信仰が死んだのである。
信仰のあるところに「ἰδού イドゥ 驚き」あり。
† 細き聲 説教
「導き」
「かくて、これらの事を思ひ囘(めぐ)らしをるとき、視よ、主の使、夢に現れて言ふ、『ダビデの子ヨセよ妻マリヤを納(い)るる事を恐るな。その胎(たい)に宿る者は聖靈によるなり」 マタイ1:20 大正文語訳聖書
「彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです」 新改訳聖書
ヨセフは妻マリヤの身に起こった出来事について、マリヤから詳しく聞いたに違いない。マリヤは妊娠6か月目に天使ガブリエルから受けた告知(ルカ1:26~38)を、ことごとく夫ヨセフに語った。しかし、それはヨセフが直ちに受け入れることのできるものではなかった。
ヨセフは可能な限りの思いを注いて「そのこと」を理解しようとした。
ヨセフは「マリヤ」について「思いを巡らせ ἐνθυμέομαι エントュメオマイ」た。「思いを巡らせ ἐνθυμέομαι エントュメオマイ」は「自らの魂の中に入れる」ことである。
ヨセフはマリヤの身に起きたことを「自らの魂の中」に入れる。
愛は相手の存在をありのままに受け入れる。ヨセフはマリヤを愛していた。
そして、マリヤへの愛ゆえに、ヨセフは苦しむのである。
眠れぬ夜が幾日も続いた。ヨセフの思いは同じところを無限に巡っていた。それによって苦悩に耐えることができるのならヨセフは受け入れただろう。
しかし、マリヤの体に宿ったいのちは一日一日と成長していた。その事実がヨセフの苦悩をさらに重いものにしていた。マリヤの体の変化が人々に知られるところになれば、マリヤは「姦淫の罪」によって裁かれ、「さらし者」になることは必至である。
ヨセフの心には、しばらく前から一つの答えがあった。それは、マリヤを「さらし者」にしないために、「内密に去らせる(離縁」というものである。(マタイ1:19)
離縁すれば、マリヤが「姦淫の罪」で裁かれることは免れるかもしれない。しかし、それはユダヤ人社会でマリヤが一人で子どもを産み育てることを強いることになる。夫ヨセフを失うマリヤの受ける苦悩も計り知れない。
ヨセフにはマリヤを「内密に去らせる」以外に選択肢はないと思われた。それも直ちに実行しなければならないところに来ていた。しかし、ヨセフの心に、それを押しとどめるものがあったのである。
思い悩むヨセフに、主の使いが夢に現れて、ヨセフに「妻マリヤを迎えることを恐れるな。その胎に宿っているものは聖霊によるのである」と告げられる。
「夜」は人間の思考が止まる時である。神の言葉は人間の思考を越えたところに働いて真実を告げる。
ヨセフは天使ガブリエルがマリヤに告げたと同じ御言葉を聞かなければならなかった。
マリヤとヨセフは、それぞれが違った道筋に沿って、一つの神の御心に導かれるのである。
人がある経験に対して、それを認めるには自らを全く否定しなければならない時がある。そして、それを認めてしまえば何もかもが失われてしまう。
しばしば、「決断」は単純であり、それ以外に方法はないと思われる。そのようなとき、決断をためらわせる力が働くのは、自分の思いを超えたところからの「導き」が残されているのではないか。
理解を超えた経験を導かれるのは神である。
ヨセフはこれらのことについて「思い巡らし」ながら、なお静まり、天使ガブリエルがマリヤに告げたと同じことを告げるのを聞かなければならなかったのである。
「理解を超えた事柄」について、それを心にとめ、肝に銘じ、熟慮し、思い、気づき、思い到れ。神の前で「思考」せよ。神は聴き給う。
(皆川誠)
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