マタイによる福音書1章15節

マタイによる福音書
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† 福音書対観 「イエスの系図」 マタイ1:1~17

マタイ1:1~17  ルカ3:23~38  (ヨハネ1:1~18)
マタイ1:1~17

Matt. 1:15エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt. 1:15

【漢訳聖書】
Matt. 1:15 以律生以利亞撒、以利亞撒生馬但、馬但生雅各、

【明治元訳】
Matt. 1:15 エリウデ、エリアザルを生(うみ)エリアザル、マツタンを生(うみ)マツタン、ヤコブを生(うみ)

【大正文語訳】
Matt. 1:15 エリウデ、エレアザルを生み、エレアザル、マタンを生み、マタン、ヤコブを生み、

【ラゲ訳】
Matt. 1:15 エリユド エレアザルを生み、エレアザル マタンを生み、マタン ヤコブを生み、

【口語訳】
Matt. 1:15 エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、

【新改訳改訂3】
Matt. 1:15 エリウデにエレアザルが生まれ、エレアザルにマタンが生まれ、マタンにヤコブが生まれ、

【新共同訳】
Matt. 1:15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、

【バルバロ訳】
Matt. 1:15 エリウドはエレアザルを生み、エレアザルはマタンを生み、マタンはヤコブを生み、

【フランシスコ会訳】

Matt. 1:15 エリウデの子はエレアザル、エレアザルの子はマタン、マタンの子はヤコブ、

【日本正教会訳】

Matt. 1:15 エリウドはエレアザルを生み、エレアザルはマトファンを生み、マトファンはイアコフを生み、

【塚本虎二訳】
Matt. 1:15 エリウデの子はエレアザル、エレアザルの子はマタン、マタンの子はヤコブ、

【前田護郎訳】

Matt. 1:15 エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、

【永井直治訳】

Matt. 1:15 またエリウデはエレアザルを生めり。またエレアザルはマッタンを生めり。またマッタンはヤコブを生めり。

【詳訳聖書】
Matt. 1:15 エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、

† 聖書引照 Matt. 1:15

Matt. 1:15 エリウデ、エレアザルを生み、エレアザル、マタンを生み、マタン、ヤコブを生み、

以後の人物について旧約聖書には記述がない

† ギリシャ語聖書 Matt. 1:15

Stephens 1550 Textus Receptus
ελιουδ δε εγεννησεν τον ελεαζαρ ελεαζαρ δε εγεννησεν τον ματθαν ματθαν δε εγεννησεν τον ιακωβ

Scrivener 1894 Textus Receptus
ελιουδ δε εγεννησεν τον ελεαζαρ ελεαζαρ δε εγεννησεν τον ματθαν ματθαν δε εγεννησεν τον ιακωβ

Byzantine Majority
ελιουδ δε εγεννησεν τον ελεαζαρ ελεαζαρ δε εγεννησεν τον ματθαν ματθαν δε εγεννησεν τον ιακωβ

Alexandrian
ελιουδ δε εγεννησεν τον ελεαζαρ ελεαζαρ δε εγεννησεν τον ματθαν ματθαν δε εγεννησεν τον ιακωβ

Hort and Westcott

ελιουδ δε εγεννησεν τον ελεαζαρ ελεαζαρ δε εγεννησεν τον ματθαν ματθαν δε εγεννησεν τον ιακωβ

† ギリシャ語聖書 Matt. 1:15

Matt. 1:15

Ελιοὺδ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ελεάζαρ᾽Ελεάζαρ δὲ ἐγέννησεν τὸν ΜατθάνΜατθὰν δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ιακώβ,

† ヘブライ語聖書 Matt. 1:15

Matt. 1:15

אֱלִיהוּד הוֹלִיד אֶת אֶלְעָזָר, אֶלְעָזָר הוֹלִיד אֶת מַתָּן וּמַתָּן הוֹלִיד אֶת יַעֲקֹב.

† ラテン語聖書 Matt. 1:15

Latin Vulgate
Matt. 1:15

Eliud autem genuit Eleazar Eleazar autem genuit Matthan Matthan autem genuit Iacob
And Eliud conceived Eleazar. And Eleazar conceived Matthan. And Matthan conceived Jacob.

† 私訳(詳訳)Matt. 1:15

【私訳】 「またエリウドはエレアザルをもうけた、またエレアザルはマタンをもうけた、またマタンはヤコブをもうけた」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt. 1:15

᾽Ελιοὺδ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ελεάζαρ, ᾽Ελεάζαρ δὲ ἐγέννησεν τὸν Ματθάν, Ματθὰν δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ιακώβ,

【また】 δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【エリウドは】 ᾽Ελιούδ   ᾽Ελιούδ  エりウード Elioud {el-ee-ood‘}  (n-nm-s 名詞・主男単)

エリウデ  ヘブル名 意味不明

マタ1:14,15

【エレアザルを】 ᾽Ελεάζαρ  ᾽Ελεάζαρ  エれアザル Eleazar {el-eh-ad‘-zar} (n-am-s 名詞・対男単)

エレアザル   ヘブル名「神はわが助け」

マタ1: 15

【もうけ】 ἐγέννησεν  γεννάω  ゲンナオー  gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)

1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる

マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5;  Ⅰヨハ4:7; 5:1

【また】 δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【エレアザルは】 ᾽Ελεάζαρ  ᾽ΕλεάζαρV エれアザル Eleazar {el-eh-ad‘-zar}  (n-nm-s 名詞・主男単)

エレアザル  ヘブル名「神はわが助け」

マタ1: 15

【マタンを】 Ματθάν  Ματθάν  マトたン  Matthan {mat-than‘} (n-am-s 名詞・対男単)

マタン  へブル名 「賜物」

マタ1: 15

【もうけ】 ἐγέννησεν  γεννάω  ゲンナオー  gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)

1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる

マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5;  Ⅰヨハ4:7; 5:1

【また】 δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【マタンは】 Ματθάν  Ματθάν  マトたン Matthan {mat-than‘}  (n-nm-s 名詞・主男単)

マタン  へブル名 「賜物」

マタ1: 15

【ヤコブを】 ᾽Ιακώβ  ᾽Ιακώβ  イアコーブ Iakōb {ee-ak-obe‘} (n-am-s 名詞・対男単)

ヤコブ  ヘブル名「踵をとる」

マタ1:14,15

【もうけ】 ἐγέννησεν  γεννάω  ゲンナオー  gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)

1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる

マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5;  Ⅰヨハ4:7; 5:1

† 英語訳聖書 Matt. 1:15

King James Version
1:15 And Eliud begat Eleazar; and Eleazar begat Matthan; and Matthan begat Jacob;

American Standard Version
1:15 and Eliud begat Eleazar; and Eleazar begat Matthan; and Matthan begat Jacob;

New International Version
1:15 Eliud the father of Eleazar, Eleazar the father of Matthan, Matthan the father of Jacob,

Bible in Basic English
1:15 And Eliud had Eleazar; and Eleazar had Matthan; and Matthan had Jacob;

Darby’s English Translation
1:15 and Eliud begat Eliazar, and Eliazar begat Matthan, and Matthan begat Jacob,

Douay Rheims
1:15 And Eliud begot Eleazar. And Eleazar begot Mathan. And Mathan begot Jacob.

Noah Webster Bible
1:15 And Eliud begat Eleazar; and Eleazar begat Matthan; and Matthan begat Jacob;

Weymouth New Testament
1:15 Eliud of Eleazar; Eleazar of Matthan; Matthan of Jacob;

World English Bible
1:15 Eliud became the father of Eleazar. Eleazar became the father of Matthan. Matthan became the father of Jacob.

Young’s Literal Translation
1:15 and Eliud begat Eleazar, and Eleazar begat Matthan, and Matthan begat Jacob,

Amplified Bible
1:15 Eliud was the father of Eleazar, Eleazar the father of Matthan, and Matthan the father of Jacob.

† 細き聲 聖書研究ノート

<エリウデ、エレアザルを生み、エレアザル、マタンを生み、マタン、ヤコブを生み>

家系は聖書に記録すべき事柄からも離れた歴史を刻む。

<系図 マタイ1:15 エリウデの子>

エリウデ   以後の人物について旧約聖書には記述がない。

エレアザル

マタン

ヤコブ  ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父 マタイ1:15

<無名の人々>

私たちは、これらの系図に名を連ねる人々について、ほとんど知らない。だが、ほとんど知られていない人々も、「系図」においては、アブラハム、ダビデと同じ意味をもっている。歴史はアブラハムとダビデだけでは完成しない。神は「無名の人々」のことごとくを親しく知っておいでになる。

† 心のデボーション

「我が子よこれらを汝の眼より離す勿れ 聰明と謹愼とを守れ」 箴言3:21 明治元訳聖書

「我が子よ、確かな知恵と、慎みとを守って、それをあなたの目から離してはならない」 口語訳聖書

「ある者は何の記念をも残さず、世になかりしごとくにして死に、生まれざりしごとく、またその子らをも残さざりしごとくなりき。されど彼らはいつくしみ深き人びとにして、その正しき行ないは忘られざりき」 ベン=シラの知恵 44:9~10 日本聖公会訳

「何の記念をも残さず」

「何の記念をも残さず、世になかりしごとくにして死に、生まれざりしごとく、またその子らをも残さざりしごとく」に生きよ。その「いつくしみ深き、正しき行ない」は天にて忘れられることがない。

(†心のデボーション00753 マタイ1:15)

† 心のデボーション

「なんぢら眼をあげて高をみよ たれか此等のものを創造せしやをおもへ 主は數をしらべてその萬象をひきいだしおのおのの名をよびたまふ 主のいきほひ大なり その力のつよきがゆゑに一も缺ることなし」 イザヤ40:26 明治元訳聖書

「この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる」 新改訳聖書

「無名の者」

無名に生きることは、何もなさずに(無為に)生きることではない。「私」をそれとして生きることである。残さずして残るところのものである。

神が「私」に呼びかける名がある。「私」という固有の名である。無名の者としてそれを聞け。その名は「根絶やし」にはされない。

(†心のデボーション00656)

† 細き聲 説教

「いのちの鎖」

「なんぢら眼をあげて高をみよ たれか此等のものを創造せしやをおもへ 主は數をしらべてその萬象をひきいだしおのおのの名をよびたまふ 主のいきほひ大なり その力のつよきがゆゑに一も缺ることなし」 イザヤ40:26 明治元訳聖書

「この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる」 新改訳聖書

町の一角にあった家が取り壊され整地される。ひと月後に通りかかると、そこに何があったのか、もう思い出せない。

人は亡くなると、そこに生きた自分というものの存在は、何によって記憶されるのだろうか。

マタイの「イエスキリストの系図」を読むと、1:13のアビウデから1:15のヤコブまで、旧約聖書に彼らの名を見出すことはできない。私たちはこれらの人々について系図に記された名以外何一つ知らないのである。

ユダヤ人は幾度か国を失い世界に離散した。しかし、どの時代のどのような迫害の中でも、ユダヤ人であることを忘れることはなかった。それだけでなく家の系図を残し、子孫に伝達することに真剣に取り組んでいる。

離散したユダヤ人が自らの民族的なアイデンティティを守りぬくために、もっとも大切だったのは「家族」であった。家族が助け合わなければ異国で危険を避けて生きていくことはできなかった。

離散したユダヤ人はどの国に逃れても、そこに「会堂 シナゴーグ」を建てた。安息日には家族で集い、神の律法を読んだ。「シナゴーグ」はユダヤ人が家族の絆を守り、ユダヤ人としてのアイデンティティを保つ重要な場所であった。

マタイの「イエスキリストの系図」には、一人一人のユダヤ人の歴史が隠されている。

ユダヤ人にとって人間の存在は誕生にはじまり死に終わるものではなかった。誕生以前に「私」ははじまり、死の後に「私」は生きている。

一人の人間の生は、それ以前とそれ以後を繋ぐ一本の鎖である。いのち以前から何を受け取り、いのち以後に何を伝えるかが、その生涯を決定する。その意味で、聖書において人は「歴史的人間」である。いかに無名の人であっても、その人の存在がなければ、鎖は繋がらない。

神は一人一人の人間を「その名をもって」呼び出される。神に呼び出されて、人は歴史の鎖の一つとして過去と未来を繋ぐ器となる。

「これは眞理の御靈なり、世はこれを受くること能はず、これを見ず、また知らぬに因る。なんぢらは之を知る、彼は汝らと偕に居り、また汝らの中に居給ふべければなり。 我なんぢらを遣して孤兒とはせず、汝らに來るなり」

ヨハネ14:17~18

(皆川誠)

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